54. 休養と調査の準備
1990年6月1日 今日は休養日と決めて、何もせずゴロゴロしているつもりでした。でも、午後になると暇を持て余してしまい、4時ごろに大学キャンパス内のプールに出かけました。プールは競泳用の立派なもので、高飛び込みの台がついてます。水が少し緑がかって濁っているので最初は腰が引けましたが、入ってしまえばあまり気になりません。イスラムの国ですからプールに来ているのは男性だけです。20〜30人くらいはいたはずです。1時間くらい泳いで引き上げました。
55. 再びイスラマ
6月16日 偵察でわかったことにもとづいて、最初の調査は上部スワート渓谷のバーレーンを拠点に、そこからバイクと徒歩で到達できる範囲をやることに決めていました。11:30発のバスに乗って17:30にラーワルピンディのコミッティチョークに到着。もちろん「エアコンあり」のバスですから前回と違って楽なものです。ピンディは一泊だけなのでバスターミナルのすぐそばにあるAsia Hotelという安宿(シングル一泊75ルピー)に入ったのですが、これは失敗でした。昼間に太陽光をたっぷり浴びた建物は全体が暖まっていて、夜に気温が下がっても体感温度が下がらないのです。バスターミナルのそばなので外が騒々しくて窓は開けられません。天井のファンを回しても温風が降り注ぐだけです。格安なのでエアコンはありません。暑苦しい中で何とか寝ようしますが無理です。この暑苦しさの主因は熱がこもったコンクリート壁にあるようでした。壁の近くに立つと壁から身体に熱気が伝わってきます。そこで壁に水をかけてみると、しばらくの間は涼しくなったように感じます。洗面台から水を汲んできてバシャバシャ壁にかけると1、2時間はなんとか凌げます。水が乾ききって暑さで目が覚めるとまた水をかけるという作業の繰り返しで朝になりました。ところで、Asia Hotelの隣のHotel Unitedは安宿よりワンランク上の中級ホテルですが、そこのNeelam Restrantのチキンシャシュリク(串焼きにした鶏肉と野菜をカレー味の炒め煮に仕上げた料理。串のままソースと別に出されたり、焼かずに炒め煮にしたものもある。)は絶品です。ただし、20年以上前の話ですから、今でも同じ味かどうかは保証しかねます。イギリスのシェアウッドというブランドが、ここのチキンシャシュリクとよく似た味の瓶詰めのソースを出したいたのですが、チキンシャシュリク味は生産中止になってしまいました。
56. 上部スワート渓谷へ出発
6月17日 エアコンが効いたバスに6時間も乗った後で暑くて寝苦しい状態に晒されたせいで、起きたときには喉を痛めていました。Neelam Restrantで朝食を摂って10時にホテルをチェックアウト。ピンディとイスラマバードの間を往復する連絡バスに乗ってイスラマバードの中心街区アブパラマーケットで下車(3 Rs)。そこから中央郵便局(GPO)までタクシーで行き(20 Rs)、日本へ手紙を発送。GPOからT氏宅までタクシーで(20 Rs)。イスラマバードのバス路線を把握していなかったので、細かい移動に割高なタクシーを使ってしまいました。体調が思わしくないのでT氏宅で休養させていただきます。
6月18日 T氏宅に預けてあったバイクに乗ってピンディへ。バイクに乗せるブリキの道具箱の完成品を受け取りに、旧市街のバザールの金物屋に出向きます。目論見どおりバイクのシートの左右に振り分けて乗せられるサイズに仕上がっていました。代金250 Rsの残額50 Rsを支払って引き取ります。他に調査用の雑貨を買ってT氏宅に戻りました。
6月19日 7:30にT氏宅を出発。 でした。イスラマバード市街を西側に抜けて、そのまま西に向かいます。9:35にアトックを通過し、10:45にノウシェラの立体交差(マルダン分岐)に差し掛かります。偵察旅行のときにサイドバックから出火したのは、この辺りをイスラマバード方面に向かっていたときでした。ここをそのまま西進すればペシャーワルです。スワート方面への道路は北に分岐します。乾いた岩肌を這うように登る道を辿り、13:00にマラカンド峠を越えるとスワート地方です。峠を北側に下りきるとスワート川が現れます。
57. バーレーン(Bahrain)まで
6月20日 9:20にミンゴーラのホテルを出発。スワート川に沿う道を東に進み、ついで北上すること40分でホワザヘラ(Khwazakhela)のバザールを通過します。スワート川はホワザヘラの少し先までは広い河原を水路が分岐したり合流したりしながらゆったりと流れています。両岸の平地の幅も広くて河原から山裾まで畑が広がっています(上の写真)。前に述べたようにマディヤン(Madyan)あたりまで進むと川幅が狭まり、渓谷らしい急流になります。11時丁度にバーレーンに到着しました。偵察旅行のときに、上部スワートでの根城にしようと考えたホテル(Hotel Zahoor)に寄ってみると、マネージャーのハーン・ザダ(以下「オヤジ」と略称)は私を覚えていました。5月の話ではホットシャワー付きの部屋が70ルピーで、冷水だけの部屋は30ルピーということでしたが、6月15日からは観光シーズンで客が多いのでそれぞれ150と60ルピーになるそうです。私は長期滞在するということで、交渉の結果お湯の出る部屋に100ルピーで泊まれることになりました。ただし、オヤジから「パキスタン人観光客に宿代を聞かれたら150と答えるように」と念を押されました。