46. 再びミンゴーラへ
 5月25日 朝起きると川の対岸で羊の屠殺・解体をやっていました。足を縛った羊を横にして神に祈ってから頸動脈を切ります。絶命したら頭蓋骨直下の関節を切って頭を分離します。次に後足の腱を切って関節をはずし、その足をX字型に組み合わせて固定したら金具にかけて逆さ吊りにします。腹部を切って内蔵を取り出し、後足の皮に切れ目を入れてそこから首のほうに向かって皮を剥ぎ取ります。これで羊の本体は学校の理科室の人体模型のような状態になります。正確に計ったわけではありませんが、ここまで10分少々かかったと思います。頭、本体、内蔵は肉屋へ運ばれていきますが皮は残されます。解体する人の取り分になるようです。冷蔵庫は高価ですし、当時は充分な電力が供給されていなかったので所有していたとしてもあてにはできません。「肉」を供給するにはその日の朝に処理するしかなかったのです。  7時45分にバーレーンの宿を出発し、一昨日来た道を引き返します。8時55分にホワザヘラを通過し、9時40分にミンゴーラに到着しました。楽な行程だったので贅沢せずに安宿を選びます。市街の中心部にあるHotel Ellumに入ってみるとシングル40ルピーの部屋がとれました。かなりボロいのですが掃除が行き届いていてベッドも清潔です。ただし、この値段だとシャワーのお湯は出ません。この日の走行距離63km、通算1853km。



47. バザールの露天商
  時間があるのでバザールを散策することにします。金曜日(イスラム教の休日)であるせいか、バザールは閉まっている店が多くて街は閑散としています。路上で薬売りが店開きしていました。藁で編んだ籠が二つと商品の薬が入っているらしい小瓶が布の上に並んでいます。薬売りの男が籠の蓋を開けると生きているサソリがたくさん入っていてわさわさ動いています。男はサソリを見せながらウルドゥ語(パンジャービー語かもしれない)で口上を述べます。その薬の製法と効能を説明しているわけですが、売り手の隣に座っている男が口上の一区切りごとに何かを喋ります。どうやら口上をパシュトー語に通訳しているようです。スワート側流域は、ホワザヘラとマディヤンの中間あたりを境に、上流側はコーヒスタニーと呼ばれる民族が住んでいて母語はコーヒスタニー語です。下流域の住民はパターンまたはパシュトゥーン(パフトゥーンと発音することもある。)と呼ばれる民族で、パシュトー語を話します。ミンゴーラは田舎なので、ウルドゥを理解できる人が少なくて通訳が必要になるのでしょう。パターン人はミンゴーラや今日の目的地であるペシャーワル(Peshawar)を含む北西辺境州(現ハイバル・パフトゥーンハー州)多数を占める民族で、隣のアフガニスタンの主要民族でもあります。パキスタンとアフガニスタンの国境は、旧宗主国のイギリスが植民地を統治するために都合がいいように引いた線(デュランドライン)が受け継がれていて、民族の居住域の境界とは一致していません。意図的にパターン人の居住域を分断したのだと考えられています。パターン人はイギリスによる支配には激しく抵抗したらしいので、その勢力を抑えるために「分割」を行ったのでしょう。それが現在に至るまで続くアフガニスタンの混乱の主要な原因の一つであり、パキスタンの治安悪化の原因でもあります。  あまりにぎわっていないバザールを暇そうにぶらついているとナイフを売っている少年が近づいてきました。浅い籠に大小の折畳み式ナイフを並べて抱えています。売り手はアフガニスタン製だと言います。この手の刃物はパキスタンでも上質のものが作られているはずです。アフガン産だということがなぜ「売り」になるのかについてはわかりませんでした。内戦状態のため「観光」では入国できないことから、土産物を「アフガン産」と称すると付加価値があるのかもしれません。向こうの言い値は刃渡り8cmくらいの手頃な大きさのものが150ルピーです。買う気はないので 通り過ぎようとするとしつこくまとわりついてきます。無視して歩き続けると、こちらは値切っていないのに100、50、40、25と勝手に値下げします。最後に背後から聞こえてきた値段は20でした。仕入れ値は10ルピーくらいでしょうか。人通りが少ないなかで何とかして売りたいという気持ちはわかります。でも150と吹っかけてからのディスカウントは勢いがよすぎます。売手が焦りすぎているとかえって買う気を削がれてしまうように思えます



48. ペシャーワルまで
 5月26日 北西辺境州の中心地であるペシャーワルを目指して7時40分出発。谷というよりは細長い盆地の底の南寄りを西に向かいます。谷底の幅は1km以上あり、スワート川の流れは広大な畑の奥に隠れて見えません。畑の緑とは対照的に南側と北側を縁取る山は岩だらけで植物が生えていません。西に進んでいくとしだいに畑の緑がまばらになり、谷全体が乾燥した雰囲気に変わっていきます。小さい街をいくつか通過したあと、スワートの谷を南に逸れてマラカンド峠(Malakand pass)への登りにさしかかったところでテントを落としてしまったことに気がつきました。テントは荷台にゴムベルトで固定していたのですが、締め付けが緩かったのか走行中にすり抜けて落ちてしまったようです。Uターンして探してみます。鮮やかな黄色のナイロン製なので視界に入ればわかるはずです。最後に小休止したバザールまで来た道をゆっくり戻ってみましたが見つかりません。道沿いにはけっこう多くの人が歩いています。何か価値のありそうなものが落ちていればすぐに拾われてしまうでしょう。見つけるのは難しそうですし、テントは入手可能なので諦めて先に進むことにしました。峠への道は浅い谷間に沿って徐々に高度を上げていき、周囲の地形が少し険しくなってきたと感じたその先は台地状になっていて小さい街があります。最高点がどこなのかわかりにくいのですが、そのあたりがマラカンド峠です(9時通過)。台地の南側に出ると地形が険しく、南方の視界が一気に開けて遥か遠くの平野部の街まで見渡せます。


 道路は急カーブが連続する下り坂です。坂を下りきって平野を進むと畑と市街地が交互に現れます。 11時少し前にカーブル川(Kabul river)の流れにさしかかりました。カーブル川は上流に遡っていくとアフガニスタンの首都カーブルに至ります。川に架かる橋を渡るとノウシェーラ(Nowshera)という街の西外れに出ます。マラカンド峠から下ってきた道は、そこでグランドトランクロードに接続しています。左方向はラーワールピンディ、ペシャーワルは右です。12時丁度にペシャーワルの市街地中心部に到達しました。ペシャーワルの中心部は数本のバザールとそれらに接続する狭い横道が迷路のように複雑にからみあったような構造になっています。宿はそのバザール地区の西外れにあるRose Hotelにチェックインしました。シングルは満室で、ダブルの部屋を一人で使って100ルピーでした。   Peshawarは、日本のニュースなどでは「ペシャワール」と読まれますが現地での発音は「ペシャーワル」または「ペシャワル」です。スワートのバーレーンでは「ペフワル」という発音も聞きました。ところで、スワートからここまでの地名には独特の音韻のものがあるように感じます。ホワザヘラ、ミンゴーラ(発音はミンガオラに近い)、マラカンド、ノウシェーラ、そしてペシャーワルなどは、一度現地の発音を耳にすると強く印象に残ります。この日の走行距離206km、通算2059km。


...つづく

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