49. ペシャーワル滞在1
 5月27日 今日と明日の二日間をかけて中心部を見て回ります。まずはバイクを走らせて新市街のバザールへ。ペシャーワルの旧市街は細い道が迷路のように走っていますが、その西側に拓かれた新市街は格子状に区切られて整然としてしいます。格子状の街区はわかりやすそうな気がしますが、どちらを向いても似たような感じに見えるのが曲者です。初めて通るときは方向を見失いやすく、一つ前の交差点に戻ったりすることが多くて手間取ります。新市街のバザールは日用品、布地・仕立、金物、野菜などを扱う店が格子状の通りごとに仕分けされたように並んでいます。そこで、扱っている品目と通りの位置関係を把握できれば迷うことはなくなります。新市街には軍用品を扱っている店が並ぶ一角があります。歩兵用の服装、靴、ガンベルト、ヘルメット(鉄兜)などを売っています。「銃」や弾薬は見当たりませんが、表に出していないだけなのかもしれません。調査に使えそうなものがないかどうか物色していると厚い帆布製の鞄がありました。これをバイクの荷台の左右に取り付ければ荷物の重心が下がって車体が安定しそうです。交渉の結果、二個で100ルピーに加えて手間賃30ルピーで荷台に固定してもらいました。


 一旦宿に戻って、今度は旧市街のバザールに歩いて出かけます。ホテルを出てすぐの交差点を東に進むとハイバルバザール(Khyber Bazar)です。自動車も通行できる広い通りに沿って日用品や電化製品の店が並んでいます。どういうわけか、普通の店にまじって所々に不気味な絵柄の看板が置かれています。人の顔の一部を切り取って顎の骨を露出させたようなデザインだったり、歯の断面を大きく描いたものです。歯医者のものだということはわかりますが、そこで治療を受けようという気にはなれません。ハイバルバザールの東端の交差点からさらに東に進むと道が一段狭くなって人通りが多くなります。そこから先がキッサハーニーバザール(Qisa Khawani Bazar)です。金物屋(鍋、水差しなどの調理具が多い)と銅や真鍮を細工した絵皿などの装飾品を扱う店が並んでいます。買物の予定はないので、面白そうな店があったらひやかしたり、枝道に入ってみたりしながらゆっくり進みます。ただし、旧市街のバザールは迷路のように複雑なので気をつけていないと迷ってしまいます。慣れるまでは、「枝道に入るときは一つ目の交差点または曲がり角まで」と自主規制しておきます。キッサハーニーバザールの東の端はチャーチロード(Church Road)に接続するT字路になっています。チャーチロード側にもバザールが続いているので左折して北に進みます。バザールの様子は、詳しく文章にしてみたところで実際に歩いたことがないとわかりにくいでしょう。でも最近はGoogle Mapで詳細な街路を表示できるようになりました。このサイトを見ている方ならペシャーワル旧市街の地図は簡単に見つけられると思いますので、そちらをご覧ください。
 しばらく歩くと雑然としていた街路が開けて長方形の広場が現れます。ここはチョークヤドガー(Chowk Yadgar)と呼ばれる公園のようなところのはずなのですが、このときは大規模な土木工事が行われていました。広場は全体に渡って数メートルの深さに掘り下げられていて、大きな竪穴のような状態でした。チョークヤドガーの周囲には立派な構えの商店が並んでいます。バザールのお店で扱われているものよりもお洒落な衣類やアクセサリーを扱っているようです。その店先の路上には両替屋がたむろして商売しています。ガラスのショーケースに各国の紙幣を並べてるのですが、縁日の露店のようなスタイルなので紙幣がおもちゃのお札のように見えます。米ドルや英ポンドなどの主要通貨のほかに、中東の国々の紙幣が多く取引されているようです。今日はこのあたりで宿に引き返しました。



50. ペシャーワル滞在2
 5月28日 今日も徒歩で旧市街の見物です。キッサハーニーバザールの手前で左折してシネマロード(Cinema Road)を北東に進みます。この通りには名前のとおり映画館が並んでいます。映画館には独特の絵柄の看板(ヒゲ面のおじさんが流血しながら武器を振り回している)で飾りたてられているのですぐにわかります。アンダルシャールロード(Andar Sheher Road)とのT字交差点で右折してモハーバットハーンモスク(Mohabat Khan Masjid)に向かいます。モスク入口の周辺には宝石と貴金属を扱う店が集まっていてサラファバザール(Sarafa Bazar)と呼ばれています。日本の貴金属店では指輪やネックレスなどの完成品を売っているのが普通ですが、ここでは完成品は見本のような扱いです。カットした石そのものや、加工前の原石がたくさん並んでいて、客は気に入った石を好みの状態に加工して購入するようです。原石状態の「宝石」の値段は店番の「言い値」ですら日本で買う場合とは比べようもない安さです。値引き交渉すれば当然もっと安くなります。ただし、ペリドットやアクアマリンのような比較的安価な種類のものしか見ていません。資産価値があるような高級品(エメラルドやルビーの上質品)は店先には並べていないのでしょう。
 モクスにはイスラム教徒でなくても入れます(現在の状況は未確認)。内部は土足禁止なので入口付近に座っている下足番に靴を預け、小銭を渡して番号札を受け取ります。預かり賃がいくらだったかは忘れてしまいましたが当時の1ルピー(7円)程度だったはずです。靴下は履いたままでも問題ないようなのですが、汚れるのが嫌だったので裸足になりました。内部はタイル張りで掃除がいきとどいていて、裸足でペタペタ歩いても不快感はありません。中央には池があります。壁が高いのでモスクの敷地内にはバザールの喧噪はあまり届いてきません。奥に進んで西側にあるドームの中に入るとエアコンもないのに涼しく感じます。静かで涼しくて快適なので昼寝でもしたい気分になります(実際に寝転がっている人もいる。)が、10時30分ごろにモスク内のスピーカから大音量の放送が始まってしまいました。宗教上の説教のようです。この地方の言葉(パシュトー語)は全くわからないので、BGMだと思ってやりすごそうとしたものの、古臭いラッパ型のスピーカを大音量で鳴らすので音が割れてしまって私にとっては騒音でしかありません。あきらめて退散します。
 一旦宿に戻って身体を休め、夕方に再び新市街の商店街へ出かけます。「商店街」としたのは新市街の表通りの店は構えがしっかりしていて「バザール」という雰囲気ではないからです。パキスタンでは夏はとにかく暑い(高地を除く)ので、夏場の市街地の人出は昼よりも夜のほうが多くなります。新市街の商店も昨日昼間に来たときよりも若者は家族ずれで賑わっているように感じられます。書店、電器店、食料品店と思いつくままに冷やかしてまわり、レストランで食事を取ってペシャーワル滞在を終えることにしました。



51. イスラマバードまで
 5月29日 7時45分に出発し、イスラマバードへ向かいます。市街地から出ていく方向を間違えてしまい、10分くらい彷徨ったあとグランドトランクロードに戻れたところから仕切り直しです。1時間くらい調子良く走っていると、沿道を歩いている人の視線がこちらに集まっているように感じるようになります。その視線が自分ではなくて、バイクの後方に向いているようです。やがて、後輪を指差して何かを叫んでいる人の姿が視野の端に入ったところで車体の後部に異常があるのだと悟ります。首を回して後を見るとマフラー付近から白い煙が流れ出しています。普通の状態でこんなに白い排気ガスが出ることはありません。慌てて道路脇に停車して降りてみると、ペシャーワルで取付けたサドルバッグの底とマフラーが接触していて、サドルバッグの布地が焦げて煙を出しているのでした。バッグを取り外そうとしているうちに焦げたところから炎がでて燃え始めます。これにはさすがに慌てふためきましが、大きく燃え広がることはなく、タオルで押さえるだけで消し止めることができました。マフラー側のサドルバックにはギルギットで買ったストーブと岩石のサンプルを入れていました。これが重すぎてバッグの底が垂れ下がり、マフラーと接した状態で走り続けたためにマフラーの熱が伝わって発火したのです。岩石試料は焦げた穴からどこかに転げ落ちてしまっていました。今回の調査は「偵察」なので、試料は参考程度と思って取ったものです。失っても大きな損害ではありません。バッグを外して中に残っていたストーブを別の袋に移し、気を取り直して走行再開です。


 東に向かってしばらく進むと、左側に薄い青色の水面が広がってきます。アフガニスタン側から流れてきたカーブル川です。向こう岸がわからないほど広い川に緑の灌木を生やした中州が点在しています。水面と空の色が似ているために、両者が一体になっているように見え、中州はまるで宙に浮いているようです。その先には警察のチェックポスト(検問所)があり、通りかかった私は小さめのバスターミナルのような施設に誘導されます。そこではバスの荷物を検査しています。私は荷物満載のバイクに乗った外国人ですから明らかに怪しいわけです。警察官らしき人物が近寄ってきて「どこから来た?」から始まってお定まりの会話となります。バイクと荷物は検査されませんでしたが、「写真を撮ってくれ。」と言われます。荷物からカメラを出していると、事務所の奥から休憩中と思われる私服姿のおじさんがぞろぞろ出てきます。彼らが写真に収まるときの「ノリ」が、日本の男子中高生のような感じで楽しそうでした。要するに変わった人物が通りかかったので暇つぶしに呼び止めたということのようです。


 チェックポストを出て30分くらい進むと道路は斜面を斜めに登って段丘の上に出ます。その先でインダス川に架かる大きな鉄橋を渡ります。この鉄橋からインダス川とカーブル川が合流する様子を眺めることができます。平原を大きく蛇行したり分岐しながらゆったり流れているインダス川は、この鉄橋のすぐ近くで西から来るカーブル川を合わせて急に水量を増します。水流が一本に集約されると穏やかだった川が堰を切ったような急流に変貌し、岩壁を削り込むように南へ流れていきます。写真を撮りたくなるようは壮大な眺めなのですが、大きな橋は軍が管理していて武装した歩哨がいます。ここでカメラを構える勇気はありませんでした。インダス川を離れると、人気のない乾燥地域から麦畑が広がる風景に変わります。30分くらいでハサンアブダール(Hasan Abdal)を通過します。ここからグランドトランクロードとカラコルムハイウェイが分岐していて、私は行きがけにもこの地点を通過しています。これでパキスタン北部を一周(ディール地方を除く)したことになります。さらに南東へ進んでタキシラを通過し、見覚えのあるオベリスクが立っている峠を越えます。その先でイスラマバード方面への道は左に分岐します。当時は乾いた平原の中にまっすぐ道が伸びていましたが、最近は開発が進んで市街地化しているようです。12時30分にゼロポイントと呼ばれる大きな交差点に到達しました。ここには警察のチェックポストがあり、呼び止められてパスポートとバイクの登録書を調べられましたが荷物の検査はありませんでした。首都イスラマバードの中心部に入ると、各国の大使館がある北東の区画に向かいます。東京などと違って建物が立て込んでいないので、日本大使館はすぐにみつかりました。ラーホールを出発する前に、大使館職員のTさんに「イスラマバードに滞在する時にご自宅に泊めてもらうことと、バイクと荷物を預かってもらうこと」をお願いして快諾していただいています。今日到着することは連絡済みなので、受付でTさんへの面会をお願いすると数分でご本人が来てくれました。彼はまだ仕事があるので、専属の運転手に車で先導してもらってご自宅まで移動します。14時すぎには到着しました。地質調査に出かける際に、毎回ラーホールを起点にバイクで往復するのは無駄な労力がかかるということは出発前からわかっていました。そこで、バイクと調査用具はイスラマバードに置いておき、ラーホールとイスラマの間はバスを利用するつもりなのです。イスラマかピンディのホテルに有料で預かってもらうことも考えていましたが、大使館職員の自宅に置けるのですから、自分にとってこれ以上安全な場所はありません。この日の走行距離は168kmで、出発時から通算すると2227kmになりました。これでオートバイによる移動の行程は終了です。


...つづく

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