40. シャングラ峠(Shangla pass、まれにShang-laとも表記)
 5月22日 朝出発しようとするとタイヤの空気が抜けていました。例によってパンク修理屋に押していきます。バルブの根元のゴムが劣化して空気が抜けているためチューブごと替えるしかありません。幸いベシャムのバザールは規模が大きいのでサイズの合うチューブを入手できて、150ルピーで修理完了。これでようやく頻発するタイヤまわりのトラブルから解放されるはずです。9時40分出発。インダス川を離れて西に向かい、シャングラ峠を超えてスワート地方の中心地であるミンゴーラに向かいます。




 スワートへの道はインダス川に西側から流れ込む支流の渓谷に沿ってついています。この地域に共通することですが、インダス川に沿う地域は乾燥した気候で岩と砂だらけなのに、支流の渓谷には緑の森が広がっていることが多く、ここも同様です。谷の斜面には段々畑が広がっていて、日本の田舎の風景と似ています。一時間足らずで北から合流する支流にさしかかり、道路は北に大きく迂回します。その先に支流を渡る橋がかかっていて手前にアルプライ(Alpri)という小さなバザールがあります。ここまでは谷底を縫うように道がついていて、途中に民家が点在していましたが、この先は地形が険しくなり、道路は針葉樹林の急斜面をつづら折りになって高さを増していきます。この坂道を登りきったところがシャングラ峠です(11時20分着)。ヒマラヤと周辺地域では「ラ」が峠を意味することが多いので、シャングラの「ラ」もおそらく「峠」であると思われます。「シャングラ峠」では同義語を繰り返すことになるのですが、かといって「シャング峠(Shang-pass)」では地元の人には通じないでしょう。富士山(Fujisan)を"Fuji-yama"あるいは"Mount Fuji"と呼ぶのは「何となくしっくりしない。」感じがするのと似ています。「固有名+地形の呼称」の全体が地名として通用している場合、それらを分離して翻訳するのは適切ではないのだと思います。




41. 藍閃石片岩
 峠からスワート側に少し下ったところの右手(山側)の法面に黒っぽい光沢のある岩が露出しています。その岩はヒマラヤ地域で初めて記載された藍閃石片岩です(Shams, 1972, Pakistan Jour. Sci. Res., 24, 343-345; Desio 1974, Boll. Soc. Italia, 4, 345-368)。藍閃石は高圧低温型の変成作用で生じる鉱物です。通常は過去の「海洋プレート沈み込み帯」に沿って分布する岩石に含まれています。ヒマラヤのような大陸衝突型の造山帯で起きる変成作用は中圧型であると考えられていたので、ヒマラヤでは藍閃石を生じるような高圧かつ低温の条件は実現しないはずでした。シャングラ峠の藍閃石片岩は地質学の歴史上で重要な発見です。しかし、年代が古いのでインドとユーラシアが衝突したときの変成作用(ヒマラヤ変成作用)とは直接関係がないことがわかっています。シャングラ峠の藍閃石片岩は露頭では地味なものですが、薄片にして顕微鏡で覗くと青くて細長い藍閃石が束になっている様子がとてもきれいです。偏光顕微鏡なら、ステージを回すと90度ごとに青と紫の色が入れ替わるのを観察できます。





42. ミンゴーラ
 峠の直下は険しい地形ですが、少し西側に下ると段々畑が広がる田園地帯になります。峠の東側のように、谷の両岸が切り立っていて狭苦しい感じでなくて明るく開けています(下の画像)。数十分で広い河原の左岸(南側)に至ります。この川の先はスワート川に合流しているはずですが、道は合流点よりも手前で幹線道路に接続していて、そこにホワザヘラ(Khwazakhela)のバザールがあります。バザールには寄らずに左折してスワート川の左岸(東側)を下流方向に進みます。このあたりは谷間というよりは、丘陵地帯のなかの広い盆地のようです。スワート川は西方にゆったりと流れています。




 道路はいつのまにかバスやトラックでも対面通行できる幅になっていて、中央線も引かれています。蛇行する川に近づいたり離れたりを繰り返しているうちに交通量が増えていき、大きい町に近づいていることがわかります。ホワザヘラから1時間弱走ってミンゴーラ(Mingora)に到着しました(14時30分)。ミンゴーラは街道沿いの小さなバザールではなくて、久しぶりに見る立派な「都市」です。コンクリートのビルもたくさん建っています。パンク地獄で疲れていましたし、安宿にありがちなトラブル(水が出ない、ゴキブリが出る、人の出入りが多くて落ち着かないとか)を避けたかったので、ラーホール出発以降で最も高級なホテルに泊まることにします。
 中心街から南に離れたところにあるスワートセレナホテル(Swat Serena Hotel)に予約なしで行ってみたところ、あっさり部屋が取れました。今は客が少ない時期らしく、料金が割引されて二食付きで783ルピー(約5500円)でした。フロントのマネージャーによるとSerenaというのはcomfortableという意味とのこと。広い敷地の周囲に沿って樹木が配置され、白壁の建物が芝生の中庭を囲むゆったりした造りになっています。スワート地方の旧領主の御殿を改装したものだそうです。ここは料金が高い(日本ならビジネスホテル並なのですが)だけに部屋は広々としいてエアコン付き。部屋の片隅には暖炉があります。冬はかなり寒いのでしょう。ベッドは大の字になっても手足がはみ出ない大きさ(クイーンサイズ以上?)でバスルームには浴槽があります。安宿ではシャワーだけが普通です。そのシャワーもたいていは壁に固定されているタイプで水の出口は半分くらい詰まっていてあらぬ方向に水が飛び出します。このホテルでは建物の一区画ごとにワイシャツに蝶ネクタイを締めたベルボーイ(当時の私から見れば「おじさん」ですが)が待機していて、部屋のブザーを押すとすぐにやってきます。雑用を頼めるのは便利なのですが、その都度チップの小銭を準備するのがめんどうです。
 チェックインしたあとで、バイクでミンゴーラのバザールへ出かけます。どういうわけかバイクの右のフットレストが傷んで取れかかっていたので、直さなければなりません。小さい鉄工所があったのでそこにバイクを持ち込んでみると、そこで作業していた若い男性が電気溶接機で一瞬にして固定してしまいました。代金を払おうとしましたが断られました。つまりダタです。この種の修理はパキスタンでは実に簡単にできてしまいます。ついでにバザールで買物をしてホテルに戻りました。この日の走行距離101km、通算1616km。


...つづく

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