37. ギルギットまで
 5月18日金曜日 曇っていてラカポシやディランは見えません。今回の偵察旅行の最終目的地は国境のフンジェラーブ峠(Khunjerab pass)でした。中国のビザを持っていないので国境を踏むことは無理でも、手前の検問所くらいまでは行けると思っていました。ところが、宿の主人からフンジェラーブ峠は雪が多くてまだ開通していないとの情報があり、国境方面に行くのをあきらめてギルギットに戻ることにしました。帰路はKKHを使ってベシャムまで戻り、そこから別の峠を越えてスワート地方(Swat)に入る予定です。下図の「北西辺境州」は、2010年4月に改称されて「ハイバル・パフトゥーンハー州(Khyber Pakhtunkhwa)」となっています。



 荷造りを終えてバイクを出そうとしたらいきなりパンクしていました。この先ベシャム到着までつづく「パンク地獄」の始まりです。昨日、石ころだらけの急坂を無理して登ったのが原因です。修理屋はカリマバードにもあるのですが、運悪く閉まっています。ジープの運転手と交渉して麓のアリアバードにある修理屋まで車輪ごと運んでもらうことにしました。往復で150ルピーと高めの要求額でしたがやむを得ません。パキスタンの山岳地帯では古い型のジープがバスやタクシーに代わる重要な輸送手段になっています。ジープの運転手は私から見たらとんでもない悪路でもホイホイ通ってしまいます。バイクから車輪をはずして麓の修理屋に持ち込むと「チューブが裂けているので交換しなければだめ。」とのこと。70ルピー払って交換したのですが、タイヤに合うサイズのものがなくて、一回り細いチューブで間に合わせました。これが後にさらなるトラブルを呼び込みます。
 12時30分に出発し、昨日来た道を戻るだけで何事もなくギルギットに到着しました(16時00分)。行きと同じパークホテルに入りましたが、今度は部屋を借りるのではなくてホテルの庭に持参したテントを張って泊まることにしました。前に欧米系の旅行者がこのホテルの庭でテント泊していたのをまねたものです。庭の使用料は20ルピー。屋内のシャワーを使用可能です。テント泊は次に単独で野宿するときの予行演習を兼ねています。当時は今よりも治安状況がよかったとはいえ、いきなり野宿を試みるのは危険かもしれないし、手持ちの装備だけで可能かどうかも確認する必要がありました。この日の移動距離は112km、ラーホールからの通算1159km。

 5月19日土曜日 キャンプに必要な装備を物色するためにギルギットに滞在しました。往路での滞在時に見つけていた登山用具の店は、いずれも外国の登山隊が払い下げて残したものを扱っているようです。ピッケル、アイゼン、カラビナなどの登攀用具は置いてあるもののキャンプ生活の道具はあまりありません。実用的なものは地元の人に使われていてバザールには出回らないのかもしれません。先に入った2軒ではめぼしいものはなく、あまり期待せずに最後に立ち寄った店(パークホテルの隣)に新品同様のソビエト連邦製のストーブ(調理用のコンロ)を見つけました。ストーブは燃料が少しでも残っていると飛行機で運べないので、日本で使っていたやつを持ち込むことができませんでした。なんとかして現地調達しなければならないもので、前回滞在時にも探したのですがありませんでした。そのストーブは外見も作動方式もホエーブスというオーストリア製のものにそっくりでした。ホエーブスは大学山岳部に所属していたときに使い慣れているので、それのコピー製品なら使い方に迷うことはありません。値段は300ルピーと少々高いのですが、こちらの「買う気」がバレバレなので値下げ交渉もうまくいきません。結局300で手に入れました。下はギルギット川に架かる吊橋です。この橋はメインストリートのすぐ近くにあるので、いつもたくさんの人が渡っています。




38. パンク地獄と野宿
5月20日 日曜日 8時20分出発。数日前に北上してきた道をひたすらチラース方面に戻ります。ジャグロットを通過した後、10時20分頃に後輪が不安定になったので止まってみると空気が抜けていました。困ったことに、このあたりから最も近い町までは、前方のタリチ、後方のジャグロットともに10kmくらいはあります。荷物満載のバイクを押していくのは容易ではありません。しばらく考えて、車輪をはずしてヒッチハイクでジャグロットに戻ることにしました。数台の車に無視されたあと、ベッドフォードのトラックが止まってくれました。運転手は私の片言のウルドゥ語と身振りで事態を理解してくれたようでした。ジャグロットは長距離トラックの休憩場所なので、パンクの修理屋はたくさんあります。修理屋は「空気入れ」以外はすべて手作業でトラックの大きなタイヤも直してしまいます。



 今回のパンクの直接の原因はリムの内側の一部が錆ていて、錆の出た部分がチューブを傷つけたことでした。錆をゴムでカバーし、パンクしたチューブにパッチを張って10ルピーで直りました。チラース方面行きのトラックに乗せてもらってバイクを置いた場所まで戻り、車輪を取り付けて走行再開です。10kmくらい走ってタリチの村にさしかかったところで、また空気が抜けていました。
 今度はチューブのバルブの根本を覆っているO型のゴムが剥離して空気がもれていました。本来の規格より細いチューブを使っているので、ゴムの継目に無理な力がかかっているようです。道沿いのチャイハナ(喫茶店)の店番をしていた若者が自転車用のゴム糊を使って応急処置してくれました。ただし、彼の自転車用空気入れはかなりの年代物で、空気圧が上がるとシリンダーから空気が漏れてしまいます。バイクのタイヤには充分な空気を入れることができません。タイヤが半分つぶれたような状態でやむをえず出発しました。トラブルの連続で時間を食ってしまい、すでに16時30分になっていました。ここからチラースまでの間、自分の記憶ではパンクを修理できる場所はありません。チラースまでたどり着けなければ食べ物がない状態で野宿となってしまいそうです。私はこの地質偵察旅行で最大のピンチに追い込まれていました。つぶれかけのタイヤをかばうため、路面の凹凸を避け、石などを踏まないようにノロノロ運転をするのは気力・体力を消耗します。
 およそ65kmを慎重に運転し続けて18時15分にチラースに辿りつきました。どうやら空気圧が低かったおかげで、結果的にパッチだらけのチューブへの負荷が小さくて新たな空気漏れが起こりにくかったようです。ここからは約100km先のカミラまで街道沿いに大きなバザールはありません。途中でバイクが故障するととても面倒なことになります。傷んだチューブそのものを変えたかったのですが、街道沿いの修理屋には適合するサイズがなくて、ゴムパッチを追加して間に合わせるしかありませんでした。台地の上にあるバザールに立ち寄って地元の人向けの食堂で夕食を取り(35ルピー)、朝食にする食品と飲み物を買って野宿の準備を整えました。
 次の課題は「どこにテントを張るか」です。私のウルドゥ語の実力では、バイクで町まで移動できるのにわざわざキャンプをしている理由を説明できません。町の近くの人目に付くところに寝ていると、「不審者」として怪しまれるか、「そんなところに居ると危ないから家に泊まりなさい。」と言われるか、あるいは本当に危ない目に合ってしまいます。そこでチラースから少し先に進み、道路の左手(山側)にある砂山を一つ超えて浅い谷に降りたところでテントを張りました。ここなら道路からは見えないし、周囲に人家はありません。下地が砂なので快適に寝ることができました。
 この日の移動距離は146km、ラーホールからの通算1305km。

39. ベシャム到着
5月21日 月曜日 夜が明けきる前の4時55分に出発。幸いにもタイヤの空気は抜けていませんでした。順調に走って9時にカンディア川の合流点に到着。試しにバイクで渡って少し進んでみたところ、道路はずっと奥まで続いているようでした。カンディア川はこの地域のインダス川の支流としては大きいほうで、合流点から70km以上にわたって流域が広がっています。その上流部はコーヒスタン島弧の領域の中央部にあたります。既存の文献を読む限り、カンディア川上流域の地質調査を行った人はいないらしいことがわかっていましたので、調査してみる価値が充分にあります。このときは入口付近を覗いただけですが、調査は可能との感触をつかめました。合流点の写真は往路のページと同じ物です。



 10時に走行再開。前輪の「泥除け」がガタつき始めましたが、どうにもできないのでそのまま走行します。11時30分にダスーに到達。パンク修理屋を見つけてタイヤの空気圧を計っててもらい(5ルピー)、問題ないことを確認しました。15時にドベイルを通過し、15時40分にベシャムにたどり着きました。この日はベシャムに泊まって、明日はインダス川を離れてスワート地方に向います。街道沿いの安宿はあまり快適そうではないので、山側に少し登ったところにあるアルサフィーナというホテル(Hotel Al Safina)に決めました(ダブルルームで60ルピー)。室内はわりときれいで、トイレ・シャワー付き。ただし、シャワーは水圧が低くて使い物になりません。フロントへ行って「シャワー、シャワー」と騒いでいたら別の部屋のを使わせてくれました。この日の移動距離は210km、ラーホールからの通算1515km。


...つづく

Indexに戻る