34. フンザ(Hunza)への道
 5月17日木曜日 フンザへ出発しようとしたら、いきなりパンクしていました。バイクを修理屋まで押していって10ルピーで修理完了。パンクの修理屋は軒先にタイヤのチューブをぶら下げているのですぐにわかります。9時15分に出発。ギルギットからフンザに向かうにはギルギット川とフンザ川の合流点まで戻って、合流点から少し下流に架かる橋をわたって左岸(東側)に移ります。左岸沿いに合流点まで戻るとダイニョール(Dainyor)という村があり、そのはずれにカラコラムハイウェイ建設工事で亡くなった方々の慰霊碑があります。白いコンクリートの台座の上に削岩機が縦に載っています。




 カラコラムハイウェイはここからフンザ川の広い谷に入ります。北向きにしばらく進むと川が南北から東西方向に向きを変えるのに沿ってカラコラムハイウェイも東に折れ曲がります。コーヒスタン島弧の北限をなす断層(Main Karakorum ThrustまたはShyok Suture)はこのあたりを通過していることになっています。断層の北側には古い堆積岩起源の変成岩類、南側にはコーヒスタン島弧と当時のユーラシアとの間にあった海洋の堆積物と火山岩類が分布することになっています。ところが、その境界線の位置を現場で決めようとするとなかなか難しいことになります。境界付近は2、3kmくらいの幅にわたって似たような岩石の地層が繰り返し現れ、いずれも多かれ少なかれ変成作用を受けて変成岩になっています。それらのなかのどこが厳密な意味でのコーヒスタンとユーラシアの境界なのかについて、研究者によって意見が違うのです。次の写真はそうした境界の候補の一つを自分なりの判断で見つけたものです。画面の右側が砂質の堆積岩の変成岩、左側が玄武岩質の弱変成岩です。



 道路は広い谷間の段丘の上を通っていて眺めもよくて快適に走っていると、やがて前方右側に巨大な岩壁が現れます。道路はこの岩壁の基部に向かってまっしぐらに続いています。一目で「危ない」ことが予想できますが、ここは実際に落石で通行止めになることが多い場所です。この時は何の問題も無く通れました。しかし、数年後にバスで通りかかったときは、前日の大雨で地盤が緩んでいて数分おきに壁の上部から石が落ちてくる状態でした。結局バスは通過できなくてギルギットに引き返しました。



35. ラカポシ(Rakaposhi)
  この難所の先は再び開けていて、やがてラカポシ(7788m)の麓にさしかかります。南を向くとすぐそばにラカポシの北壁が聳え立っています。道路は標高2100mくらいを通っているので、頂上まで5000m以上の高度差があります。ここから頂上を見るには普通に南向きに立ってもダメで、頭を反らさないといけません。カメラのズーム倍率を大きくして頂上を狙うと、見上げる角度の大きさを実感できます。


 

 フンザ川を渡って右岸(北側)を進み12時30分にフンザの入口にあたるアリアバード(Aliabad)通過。ここで左に分岐する細い道に入るべきところを見逃し、ガニシュ(Ganish)まで行ってしまいました。フンザの中心地区であるカリマバード(Karimabad)はここから北側の急傾斜地の上の方にあります。アリアバードまで戻るのがめんどくさかったので、ジーブ用の道に乗り入れたのですが、これが失敗でした。ガニシュからカリマバードまではジグザグで石ころだらけの急坂でした。荷物満載のバイクではかなり苦しく、タイヤを石に乗り上げて空転させたり、砂がたまっているところに嵌って降りて押したりと、結果的に遠回して舗装路を辿ったほうが早かったと思います。どうにかカリマバードのはずれまでたどりついたのですが、ここでバイクに無理をさせたことが翌日以降のトラブルの元になります。ガイドブックで当たりをつけておいた「ニューフンザツーリストイン(New Hunza Tourist Inn)」にチェックインしました。名前は立派ですが、全部で数室程度と思われる小さな宿です。宿代は2食付きで76ルピーでした。




36. フンザ
 ホテルで一息ついたあと、バザール見物に出かけます。カリマバードは、街の規模が小さい割に観光客が多いようで、通りを歩くと旅行者と思われる人が目につきます。土産物屋もたくさん並んでいて英語や日本語の看板もあります。途中、地元の人たちが直径40cmくらいで長さ5m以上はありそうな丸太にロープをかけて数人で引張っているのを見かけました。フンザは急斜面に拓かれていて道が細く、当時は市街地の上部まで貨物車を乗り入れることができませんでした。おそらく建物に使う木材は、このように人力で運ぶしかなかったのでしょう。



 バザールを冷やかしながら街はずれまで歩くと学校の校庭のような広場に出ます。ここからは南にラカポシ、南東にディラン(Diran 7257m)を眺めることができます。背後にはウルタル峰(Ultar Peak 7388m)が聳えています。次の写真は上から順にラカポシ、ディラン、ウルタルです。






 帰りがけに、「バルチット古城(Baltit Fort)」に寄ることにして、バザールの通りの途中から山側に伸びる石段の道に入ります。午後3時ごろ、ジグザクに続く石段を登り始めてすぐに空が曇って風が吹き始めました。風はだんだん強くなり、まもなく砂嵐のような状態になってしまいます。目、鼻、口に容赦なく細かい砂塵が入ってくるのですが、逃げ込む場所がないのでしかたなく石段を登り続けて数分で城の入口にたどり着きました。そこにはおじさんが座っていて入場料10ルピーを徴収されます。ここは、およそ50年前までフンザ地域の領主(藩王)の宮殿だったそうです。私が訪れた時点ではかなり荒れて、ほとんど崩れかけのような状態で、床には土埃がたまっていました。外見は小さく感じるものの内部は細かく仕切られていてたくさんの部屋があります。うっかりすると迷いそうです。内部の階段を登っていくと屋上に出ました。本来なら雄大な景色が広がっているはずのところが、砂嵐のために一面灰色の世界でした。




 4時頃になると風が弱くなって晴れてきました。砂嵐は、どうやらフンザの背後にある谷から吹き出す、あるいは谷に吹き込む風が一定の時間にやってくるもののようです。全身砂まみれになって宿に帰りつき、決死の思いで冷水のシャワーを浴びました。フンザの水源は氷河から流れてて来る水なので、とても冷たくて少し濁っているのです。もちろん、ボイラーを備えているホテルならちゃんとお湯が出ます。
 夕食は主食のチャパティに手打ちうどん風のダウロ、豆のカレー、マトンのカレーに肉詰めポテトが出ました。デザートにカスタードプリンつきです。味付けはマイルドで辛くはありません。ギルギットのフンザ料理では「腹痛事件」がありましたが今回は問題なしです。この日の移動距離は105km、ラーホールからの通算1047km。



...つづく

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