2005-01-25

第七話「北韓からぶじ帰還」

 
おひさしぶりです。
年末年始は濃い経験をたくさんしすぎて、
なかなかメールを書く時間ができなかったというのが言い訳であります。
 
その経験たちをざっと挙げてみると・・・
まず、12月中旬で休暇がスタートして、寄宿舎が閉館。
(休みに閉館する寄宿舎って何やねん、という感じですが。
韓国でも特殊な例のようです。)
全員が荷物を全部運び出し、韓国人はそれぞれの実家へ、留学生は別の建物にある客員室へ。
私以外は全員中国人です。
客員室と言えば聞こえはいいですが、26人の留学生が4つの部屋に・・・。
定員1名の部屋に6人ずつですから、
ギリギリ全員が横になれる程度のスペースしかありません。
さらに私の部屋には調理できるガスなどもなく、
外食するお金もなく、みんなで毎食ラーメンやパンやミカン。
そんな生活が10日間続きました。
相手が中国人だったから10日持ったんやろうなーと思いますが。
日本人同士ならあの身体的・精神的密着度に耐えられなかったことでしょう。
 
クリスマスイブの夜には、いくつかの教会で「セビョク(=未明、夜明け)聖歌」をすると聞いて、
知り合いに話をつけてもらい、一人で見物&参加してきました。
夜7時からミサと子どもたちの出し物、9時ぐらいから青少年が班に分かれて街頭でアメ配り。
そのアメ配りに行く前、班長の子(私と同い年)が
「さあ輪になって祈りましょう」
と言い、
「神様、これから私たちは伝道に参ります。
苦しいときもわれわれをお助け下さい」
と祈ったのには驚きました。
班員の多くは小学生なのに、
もう伝道するという自覚を多かれ少なかれ持つ(持たされる)のだなあ、と。
アメ配りの後は11時ごろ教会で韓国風のお雑煮がふるまわれましたが、
そのとき私は牧師さんに呼ばれ、
ちょうど他の教会の牧師夫妻もやってきていたので、
一緒に食べることになりました。
その夫妻は、他の牧師さんの前だったことも手伝ってか、
どんな話も神様や聖書に回帰させます。
奥さんのほうは、キリスト者でもなく韓国人でもない私を怖がって、
でも興味はあるらしく、
「日本ではお雑煮がないのか聞いてみてよ」とひそひそ声でご主人に頼むのです。
ご主人だって日本語が出来ないんだから自分で直接聞いても同じなのに・・・。
そしていよいよ12時から、セビョク聖歌。
今度は青年と大人とで班を作り、信者の家を回って玄関先で聖歌を歌います。
するとだいたいの家は、500円相当のお菓子か温めた高麗人参ジュースをくれるのです。
歌う前には必ず、「輪になって」「心を込めて」と言われました。
「輪になる」という行為は、平等を思わせるものだからか、
教会でやたらと好まれるような気がします。
 
クリスマスの日は、あの狭い客員室を後にして、
バスで5時間ほどかけてインチョンへ。
というのも、私が友達に「こんなすさまじい生活を送ってる」と話したところ、
友達がそのまた友達に相談してくれて、
その家のお母さんが「一日も早く来い」と言ってくれたのです。
だからその家の子とはあまり話したこともなく、
しかもその子は考古学の発掘調査合宿に出かけていて、
その家に私を直接知っている人は一人もいなかったのです。
それでも、ご両親とお姉さんがいろいろと世話を焼いてくれて、
楽しく過ごさせてもらいました。
韓国の人はだいたいそうですが、
みんな正直にものを言うし自分より年下の者には余計な気を遣わないので、
嫌なことは嫌と言ってもらえるし、
いいと言った事は本音だと確信できるので、こちらも気楽でした。
変に気を遣ってごちそうを出してくれるとかではなくて、
朝のおかずの残りを使って昼にお父さんがコゲコゲの焼き飯を作ってくれたりして(笑)。
 
27日からは金剛山へ行ってきました。
金剛山、つまり北朝鮮ですね。
韓国の旅行会社がツアーを主催しているのです。
そしてそれが、韓国人が北へ行ける唯一の機会なのです。
ツアーで団体行動とはいえ、一人で申し込んだので、
場所が場所だけにかなり不安でした。
出発の2週間前からパスポートのコピーやら写真やらを送らなければならず、
かなり複雑でした。
私が金剛山へ行くというと、
周りの韓国人が予想以上にうらやましがったのには驚きました。
金剛山は
「韓国人なら誰もが一生に一度は行ってみたいと思う心のふるさと」
であるようです。
その日の参加者は観光バス9台にも及ぶ大人数でした。
南韓・北韓の2つの検問所でパスポートチェックをして、いざ北朝鮮へ。
金剛山には金日成主席の記念碑がいくつも建てられていて、
その台座に乗ろうとした人が強くたしなめられたり、
登山中も北朝鮮の人々が「案内役」という名目で立ちながら監視していたりで、
なかなか緊張しました。
全員が大きな顔写真つきの名札を首から下げなければならないのですが、
その台紙の色が、韓国人と「外国人」では異なります。
薄い色調だったので周りの韓国人もあまり気付いていませんでしたが、
「案内人」は私が通ると名札に逸早く目を止めて、
「どこからきたんですか?」と尋ねてきました。
「日本からです」と答えると、「ふーん」と言うだけで無表情でした。
金剛山のエリアでは写真撮影も自由(カメラに制限はあり)だったのですが、
それもそのはず、
あそこは北朝鮮であって北朝鮮でない、
韓国人のために作られた特別な区域であるという印象を受けました。
ファミリーマートがあって店内には韓国製品が何でも
(パック牛乳などの生ものさえ)並んでいましたし、
駐車場にかかっている音楽は韓国のK−POP。
大きな土産物店には免税店もあり欧米のブランド品が並んでいて、
店員は韓国の百貨店のような制服で、怖いほど美人揃い。
そして「案内人」も店員も、朝鮮語ではなくきれいな韓国語を話します。
金剛山エリアに来るまでにバスの車窓から見た村の風景(撮影禁止)とはあまりにも違いすぎました。
それでも、支払いはウォンは不可、としているところが北朝鮮のプライドなのでしょう。
客の9割以上が韓国人なのだからウォン支払いを可能にした方が便宜的なのに。
ものを買うためには、
ウォンで「金剛山カード」というプリペイドカードを買うか、
あるいは米国ドルで支払わなくてはなりませんでした
(なぜに敵国のドル?と不思議な気もしますが)。
帰りのバスの窓からは、あぜ道を歩いて家に帰ってゆく子どもたちの姿が見え、
その子どもたちを待っている家を思ってあたたかな気分になりました。
北朝鮮というと寒くて怖いイメージばかりで、
この国にも母親たちがいて子どもたちがいるという
当たり前のことを今まで考えたこともありませんでした。
このようにいろいろと面白かったのですが、帰りの北側のパスポートチェックのとき、
前に並んでいた韓国人はポンポン進んでいっていたのに、
私のときは憲兵がじーっとパスポートを眺めてしばらく動かなかったので、
このまま出国させてもらえなかったらどうしよう、
とすごく不安になりました。
無事に南側の検問所も通り抜けたとき、本当にほっとしました。
検問所を出た後で、
行きしなに没収された携帯電話と南韓の地図を返してもらいました。
 
金剛山からまたインチョンの家に帰り、
2日ほど過ごしたあと、12月31日の夕方からは、
これまた一人でソウル郊外のお寺へテンプルステイに行きました。
その日の参加者は46名。
本当は定員45名だったのですが、私が30日に電話して頼みこんだのです。
「ダメです」
「どうしても行きたいんです」
「ダメです。寝る場所がありません」
「なくてもいいです」
「・・・じゃあ、まあ来てください」という感じで。
祈祷の仕方を習い、夕食を食べ、僧侶の「人生とは何であるか」という講義を聴き、
祈祷をしてから、蓮の花の提灯を作り、蝋燭の火を灯して闇の中を練り歩き、
瞑想をして1日目は終わり。
お経は日本と全く同じなのに祈祷の方法が全然違うのは不思議です。
そして、教会で出される食事とお寺で出される食事が、
肉の有無を除いてほとんど同じであるのも不思議です。
牧師さんの話と僧侶の話が、違うとはいえ似ているのもこれまた不思議です。
瞑想も終わり、最後に僧侶が
「みなさん実はこの中に日本人がいるんです」と私を紹介したので、
穴があれば入りたい気分でした。
しかも木浦という南の端っこの田舎から来たとわかると、
その場の全員が「おおお」と感嘆・・・。
ソウルの人から見ると全羅南道地域は
「食べ物が美味しいけどガラが悪くて未知の世界」らしいですが、
このみんなの感嘆の声で
「遠い未知の世界」ぶりが裏付けられたと言えます。
翌朝は4時に起きて除夜の鐘を撞いたあと、登山。
2時間ほどかけて上り、頂上から初日の出を拝みました。
それにしても、寒かったこと。
鼻の中が凍って呼吸のたびにカパカパし、汗が凍って髪が真っ白になりました。
下山してから朝食、解散。
私はそこで知り合った大学生の女の子2人とソウル市内へ出てお茶を飲み、
その日の夕方の便で日本に帰ってきました。
数時間前までソウルでお茶を飲んでいたからか、
どちらの国でも言葉が通じてしまうからか、
日本に着いても海外から帰って来たという感覚が全くありませんでした。
むしろ神戸の下宿から実家に帰るときのほうが
よっぽど「帰って来た」という実感があった気がします。
そして、最初は少し違和感のあった日本のテレビや街や日本人が、
思っていた以上にすぐに違和感のない存在になり、
自分がすんなりと日本の生活に戻れてしまったことに自分で戸惑いました。
今回ですらインチョン空港を飛び立つときせつなくなったのだから、
来年の夏に韓国を離れるときはもっと寂しい思いをするのだろうけれど、
帰ってしまうとじきに用事に追われ普通の生活に適応してしまうんだろうなあ、と思います。
 
実家で5日まで過ごした後はタイのバンコクの友人の家へ。
12日に日本へ帰国し、また16日に木浦へ戻ってきました。
冬休みは学校に人がいないし図書館まで閉まってしまう(!)のですが、
語学院の授業があるし、ここでの生活もあと半年しかないのだから、
と早く戻ってきたのです。
 
でも予想以上にやることや考えないといけないことはいっぱいありますね。
韓国語の勉強もありますが、そろそろ進路のことが気になりだしました。
私も新学期が来たら4年生になるので、4年で卒業するためには、
そろそろ論文のことを考えなければならない時期に来ています。
韓国に来てから、できるだけいろんな見聞をするように心がけ、
興味を惹かれることもいろいろとあるのですが、
まだどれも「おもしろいな」で止まっている段階です。
論文の準備をするためには焦点を絞って見ていかなければならないでしょう。
その一方で、まだまだ自分の知らないことが山のようにあるのも事実です。
論文のために視野を「狭く深く」してしまうことは、
今の自分にはとてももったいないことだと思われます。
 
すごーく長ーくなってしまい、読むのにお疲れになったことだと思います。
すいません。
そちらも寒いと思われますが、お体に気をつけてお過ごし下さい。



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