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2004-12-08
第六話「ヨン様/宗教のひみつ」
お久しぶりです。
いかがお過ごしでしょうか。
先生が掲示板に「よん様」のこと書いてはりましたが、こっちでは人気ゼロなんですよねえ。
あるおばさんに「よん様をどう思う?」と聞いてみたら、「ヌッキハダ」と。
「ヌッキハダ」は、脂っこい、しつこい、という感じで使うことばです。
こちらでは一般的に「癒し系」の男は頼りないと見做され、全くモテません。
私は先週末、3泊4日で済州島へみかん狩りに行ってきました。
とだけ書くと聞こえがいいですが、なかなか重いものでした。
その行事は学校の壁に貼ってあった広告を見て、電話して申し込んだのですが、
それは某異端宗教団体の主催するものだ、と後から友人に教えられたのです。
それを知って行くのをやめようとすると、その友人(文化人類学科)は、
「その団体の人たちとはあまり仲良くならないほうがいいけど、
異端宗教の実態を見られて良い経験になるから行け」と勧めてきたのです。
それもそうかと思い、テスト1週間前の授業を二つブッチしてみかん狩りへ・・・。
平日なのに250人も集まった高校生や大学生。
彼らのものすーごい純真さには驚かされました。
皮肉ではなくて、本当に純真なのです。
何につけても神に感謝する態度、とか。
一生懸命にダンスをする様子、とか。
とにかく、自信にあふれてキラッキラッしてるんですよねえ。
精神的に絶対的な拠り所を得ると、ああなるのでしょうか。
宗教とは一体何なのだろう、と終始考えずにはいられませんでした。
その宗教はキリスト教系だったのですが、親しみを持って詳しい話を聞かせてもらうために、
私は自分がキリスト教信者であると偽り、4日間演技しました。
こっそり友人に電話して、お祈りの方法を教えてもらったりしながら・・・。
日本語を理解する人がいなかったのを幸いに、メモも日本語で堂々と書きまくり、
「何を書いてるか知らないけど私たちの宗教に対して熱心な人」という印象を与えることに。
それは功を奏して、いろいろと話を聞かせてもらえたのはよかったのですが、やはり最後に苦労しました。
「明日からもいらっしゃいね」というお誘いを断るのにも最初は一苦労。
「昨夜家に電話したら父母様が他の教会に通うなとおっしゃった」
と言えば韓国では通用するだろう、と思いつき、案の定うまくいったのですが、
ものすごく親切心のあるお姉さんが、
「日本も聖書は同じでしょ。これこれこういうことについては聞いたことがある?どう思う?」
と熱心に問い詰めてきました。
聖書を読んだこともないのにキリスト教信者のふりなんてするもんじゃないですねー。
聖書の知識を口頭テストされて、知識があやふやであることがバレバレ。
「あなたが日本で通っていた教会は何を教えてくれたの?
聖書を理解できないなら通う意味がないから私たちの教会に通いなさい!」と。
心からの親切心で言ってくれるので、なおさら困りました。
韓国語が聞き取れなかったふりをする手もだんだん使えなくなってきていますし・・・。
それは嬉しいことではありますが、かなり活用していた方法だったので、不便になりました。
文化人類学の先生が以前、宗教を調査対象とするのは自分も引きずり込まれるから怖い、
と言っていましたが、そのことも実感しました。
私の場合はきちんとした調査ではなくて中途半端に足を突っ込んだので余計にそうだったのかもしれませんが。
私は「引きずり込まれまい」と常に自分に言い聞かせていたから抑制が効いたのですが、
そうとは知らずみかん狩り目的で初めて参加した中国人留学生3名は、見事に引きずり込まれていきました。
なぜなら、その団体の人たちに悪いところが見つからないのです。
怖いほどに心から純粋で親切で、ごはん(留学生には大きな利益ですね)も用意してくれて。
祈祷やダンスが最初はちょっとおかしいと思うけれど、
みんな自信に満ち溢れてやっているから、だんだん素敵なことのように思えてくるのです。
・・・そもそも、どうして私は「引きずり込まれまい」と思ったのだろう?
宗教団体以外の団体に接するときはそんな考えは持たないのに。
そして、この宗教団体は他の団体よりもかなり多くの物質的メリットをもたらしてくれるのに。
物質的メリットを得るためにうわべだけ繕ってこの宗教団体にかかわってもいいんじゃない?
それでも私が深入りを留まったのは、自分がキリスト教を信仰していないからです。
自分は何かの宗教を信仰している、と自覚したことなんてなかったのに、
ここに来て行動を合わせたとき、なぜだかわからないけれどものすごく家の仏さんが思い出され、
みんなが手を組んで「アーメン」と祈るとき、私は心の中で、仏さんごめんなさい、と呟いていました。
このことを後に先の友人に話したところ、「教会で仏を見出したのね」と笑われましたが。
みかん狩りで親しくなった、熱心な信者のお姉さんが、
「私はインドで先生になるのが夢。インドはヒンズー教中心で、
こんなにも素晴らしい(キリスト教の)神の教えをまだまだ知らない人が多いから、早く教えてあげたい」
と語っていたのが、かつての「未開社会に対する西洋人」を髣髴とさせ、そのことにも抵抗感を覚えました。
自分の信仰に反してうわべだけを繕うことは、簡単に見えて、実は本当にしんどいことなのですね。
このみかん狩りを通して、宗教って何なんだろう、という謎は深まるばかりでした。
このメールを読んでも判るように、私は徐々に客観性を失い、
自らの問題としてその宗教を見るようになってゆきます。
それゆえ精神的にものすごくエネルギーを使うことになりました。
教会で仏を見出したといっても、果たしてそれは私が仏教を信仰しているということになるのでしょうか。
旅行から3日経った昨日の朝、中国人の友人と山へ登りました。
そして、その頂上にあるお寺へもお参りしてきました。
韓国ではお寺は必ず山の上にあります(過去に排斥された名残で)。
お参りの仕方は友人と私とで異なり、さらにそのどちらもが韓国式とは異なるのですが、
それぞれの方法で拝み、各々の自己満足を得たのです。
拝むという行為そのものよりは、拝んだ後にしばらくぼんやりと仏像を眺めていたり、
日のあたる障子紙を見つめながら鳥の声を聞いたりしたことが、深い充足感をもたらしました。
それは仏教を信仰しているとは言えなくて、ただお寺の雰囲気を好んでいるだけのことなのかなあ。
考えれば考えるほどに、よくわからなくなります・・・。
それでは、このへんで失礼します。
日本も寒さが厳しくなってきたことと思われますが、体調にお気をつけ下さい。
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