茅ケ崎市内(鶴嶺八幡宮・南湖左富士)編


やはり基本は地元散歩です。
(あくまで個人の趣味での選択ですので、大事なスポットが抜けておりましたら申し訳ございません)

大体「北→南」順で見ていきます。まずは鶴嶺八幡宮周辺から。



国道1号線沿い「鳥井戸橋」交差点にある大鳥居です。ここを下った800m先にお宮があります。
鳥居に反り増しや台輪があり典型的な八幡鳥居ではなく、これだと台輪鳥居ですね。
鎌倉が近いから禅宗の影響を受けているのでしょうか?
ちなみにこの近くの鳥井戸橋の起始部に下の「南湖の左富士之碑」があります。

説明板は以下です。

そしてこれが安藤広重の”原画”です。


確かに、左に富士山、右に大山が見えています。昔はこんな松並木だったんですね(多分)。
ちなみに鳥井戸橋の柵にはこんな絵が。


上の絵にはない帆舟が入っています。江戸時代の荷運びには舟運が重要だったんですね。


現在見える富士山(茅ヶ崎駅前のジャスコ屋上からの写真)
昔は高い建物もなく、空気も澄んでいてもっと見えたんでしょうね。

そしてこちらが大山。

丹沢山塊は約五百万年前に南の海からやって来て、ここまで日本列島に食い込んできたんですねー。
富士山なんて今の形になったのはここ1万年位のことらしいからまだまだひよっこです。

せっかくなので箱根の中央火口丘も。

上下二子山や駒ヶ岳・神山も見えてます。”火山の天然博物館”「箱根」は大好きなので、
別ページを作っていく予定です。

ついでついでに箱根・富士山・大山並べて(さすがにこれだと小さいな〜)。


少し流れを戻して、鳥井戸橋から見た夕方の富士山。

「千の川」も少し写ってます。
左岸の工場は「ミヤタ自転車」。地元企業応援してます。


かなり脱線してしまいました。そろそろ鶴嶺八幡宮に向かいましょう。


ここまでの参道は車が走っています。両側道の松は年々数が減っています。


この太鼓橋から先は車両進入不可。この橋を歩いてみたいけど、私が乗ったら壊れそうです(笑)。



木々の薫りがいい感じです。



参道脇の「神池」はほとんど水がたまっていません。
幼稚園児の帰り道にもなるので、危険防止なんでしょう。


参道脇にはこんな碑や石も。



ようやく鶴嶺八幡宮境内へ。子供たちが歩いているのは流鏑馬(やぶさめ)道。


鶴嶺八幡宮といえば大イチョウです。



河内源氏が関東・東北へ進出する契機となった、平忠常の乱や前九年の役の戦勝祈願として誕生した
神社やイチョウの木なんですね。
ちなみに源頼義は、のちに鎌倉幕府を開く源頼朝のひいひいひいおじいさん、
源義家(八幡太郎)は頼朝のひいひいおじいさんです。
 その後戦国時代に、おそらく里見氏との戦いで社殿などが燃やされてしまったが、江戸時代になって
三代将軍徳川家光の時代に、朝恵上人と地頭の山岡景信が協力して社殿や参道を復活させた
ということですね。
 それにしても樹齢1000年近いと伝わるこの「大イチョウ」は必見です。


手水舎にある何だかかわいい説明図。

ひしゃくに直接口をつけないようにとのこと。


ようやく拝殿

天皇家ご先祖とともに菅原道真も合祀されているとのこと。神社のこのおおらかさがいいですね。


こちらが本殿。切妻造り平入り、外部に棟持柱有り、双堂ではなく、堅魚木は9本、千木は外削ぎ。
八幡宮なのに、神明造りですね。


ちょっとマニアックになってしまいました。息抜きに拝殿にあったこんなものを出してみます。


この「かわらけ」(ミニ盃)に祈念しながら息を吹きかけ、大イチョウの前に置いてある厄割石に
ぶつけて割れれば願いがかなうとのこと。

こちらがその厄割石。

かわらけがどんなふうに飛ぶのかわからず、割れないと厄が払えない気がして結構ドキドキ(笑)。
100円払って、皆さまの安産を願ってトライ!!   さて結果は...?!




石の端に当たって何とか割れてくれました。本気でホッとしました。


八幡宮の横に、女性を護る淡島神社もあります。


お産の方には安産を、婦人科の方には「ガン」が出ませんようにとお祈りしてきました。

ちなみにこれが「ガン封じ石」。兄弟石も機会があったらアップします。

淡島神社にはこのほか針塚や人形供養もありました。

また、この境内には八幡宮(+天満宮)・淡島神社のほかに、稲荷神社と鉾宮神社もあります。
神社って本当におおらかです。まるでデパート状態。


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