如此出ば、天津宮事以て、天津金木を本打切末打断て、千座置座に置足はして、天津菅曽を、本刈断末刈切て、八針に取辟て天津祝詞の太祝詞事を宣れ
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『如此(カク)(イデ)ば、天津宮事(アマツミヤゴト)(モチ)て、天津金木(アマツカナギ)を本打切(モトウチキリ)末打断(スエウチタチ)て、千座置座(チクラノオキクラ)に置足(オキタラ)はして、天津菅曽(アマツスガソ)を、本刈断(モトカリタチ)末刈切(スエカリキリ)て、八針(イヤハリ)に取辟(トリサキ)て天津祝詞(アマツノリト)の太祝詞事(フトノリトゴト)を宣(ノ)れ』

 天津宮事(アマツミヤゴト)以(モチ)てとは、天(神さま)の宮(大宮殿・全大宇宙)の事象(働き・出来事・すがた)を、借りて持って来て、模型として縮図的に移して。即ち一瞬一瞬新たに、神さまの全徳が、一大統一・一大調和の姿をもって、無限の無限の大光明燦然と輝き渡り、最高理想の全大宇宙と成っている、その姿を模型的に表して。

 天津金木を本打切末打断て、千座置座に置足はしてとは、天津金木(宇宙創造の根本の仕組み・働きを、極簡単に示す為の道具・模型)を、無限大に・無限小に伸展する部分をカットして、種々様々な組織構成の仕組み・働きとして、表現し・配列すること。神さまの宇宙創造は本来、すべてのすべてを尽くした表現なので、無限に無限に複雑なのです。だから無限の無限の全大宇宙を、一枚の地図に表そうとするようなものです。

 天津菅曽を、本刈断末刈切て、八針に取辟てとは、天津菅曽(神さまの命・光の流れを模型的に示すもので、草の茎の繊維を代用する)を、無限大に・無限小に伸展する部分はカットして、命・光の流れ・分かれを、模型的に表現すること。

 天津祝詞の太祝詞事を宣れとは、天津祝詞(神さまの宇宙創造の祈りの言霊)即ち神さまの全徳の無限の無限の輝きが一杯!の祈りを、そのままに表現できる言葉が太祝詞事であって、その言葉を駆使して祈ることです。太とは、大を重ねたもので、無限に無限に大きい、という意味です。またすべてを束ねる意味も有るのです。祝詞とは、祈り言葉のことです。事(ごと)とは、言(コト)言(コト)であって、沢山の言葉という意味です。

 天津祝詞の太祝詞事とは、
(1) 『ありがとうございます』
(2) 『宇宙絶対統一神・天照大御神 今ここに 在します』
(3) 『新たなる全徳の無限の無限の輝きが一杯!』
(4) 『新たなる無限の無限の幸せが一杯! 新たなる無限の無限の喜びが一杯! 新たなる無限の無限の安らぎが一杯! 新たなる無限の無限の平和が一杯! 新たなる無限の無限の調和が一杯! 新たなる無限の無限の健康が一杯! 新たなる無限の無限の恵みが一杯! 新たなる無限の無限の愛が一杯! 新たなる無限の無限の知恵が一杯! 新たなる無限の無限の力が一杯! ・・・・・・・・・・・・・・・』
 (1)(2)(3)(4)を一つに束ねた(1)『ありがとうございます』なのです。

 『ありがとうございます』という言葉は、唯一無二絶対の・すべてのすべてなる・真の神さまの、究極の御名なのです。真の神さまのすべての働き・全体像を指し示す言葉なのです。『ありがとうございます』と唱えることは、真の神さまを呼んでいるのです。呼ばれたら、真の神さまは、喜んで出て来てくださるのです。真の神さまは、呼ばれるのを待っているのです。対面できるのを、心待ちにしているのです。全知全能の真の神さまが現れたら、すべての問題は瞬時に解決するのです。一切の罪穢れは、瞬時に消えるのです。既に既に、新たなる全徳の無限の無限の輝きが一杯!なのです。
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