無限の無限の調和が一杯!No.3
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 天地の初発は常に『今・此処』にあり、天地の終りも常に『今・此処』にあるのです。本心の自分は、この『今・此処』を把握することによって、いつ・どこにあっても、無限の無限の幸せ・喜び・感謝で一杯なのです。

 「天地(あめつち)」の「天(あめ)」は、「あ」の一音を直観することによって知ることができるのです。「あめ」の音に漢字の「天」と当て字するので、その「天」なら誰もが知っていると思ったら、大きな思い違いをしていることになるのです。「あめ」とは「あ」を「見(み)え」〔「みえ」がつづまって「め」〕であって、「あ」を直観する、即ち「あ」を直接的に観る(心で見る)ということです。「あ」を直観するには、一つには、晴れ渡った夜空を仰ぎ見て、星空を凝視し続けると良いのです。その無限に奥深い、無限に広大な、悠久無限の宇宙の神秘に心撃たれ、無限の感嘆・感激・感動を覚える一瞬が、必ず訪れてくるのです。そして感無量の「あ」という叫びが、思わず知らずに発せられるその時に、その人は「あ」を直観したと言えるのです。その人は「あめ」と一体になったのです。「あめ」に融け入って、「あめ」そのものになりきったのです。二つには、眼を閉じて太陽に向き、その無限に暖かい愛の光に溶け込むと良いのです。その光が大きく広がり、宇宙大の愛の光体と化して、自分を包み込んでいると観想するのです。そうすると無限の愛に抱かれているというその喜びの余りに、「あ」という感極まった喜びの叫びが、自然に発せられる時が来るのです。その時その人は、「あ」を直観したと言えるのです。「あ」とは、無限大の生命であり、愛であり、光であり、善であり、美であり、絶対神のこの上無く素晴らしく、尊い“すべてのすべて”なのです。

 「天地(あめつち)」の「地(つち)」も、「つ」の一音を直観して知ることができるのです。「つ」を直観するには、真っ暗闇の中で正座し、瞑目して、「つ・つ・つ・つ・つ・・・・・」と無限小を逐って、小さく縮み込む一点集中の観想をおこなうのです。そうするとその無限小の極に、忽然として観ずるものがあるのです。その時その人は「つ」を観たのであり、「つち」と一体となったのです。

 無限大の極の「あ」と、無限小の極の「つ」とは、絶対においては一つのものです。故に「天」と「地」とは一体であり、その「天地」は無限なるものです。「無限」というものは全く捕らえどころがないので、そこで無限に限界を付けて、それを味わい楽しもうとするのです。限界とは端(はし)です。端を観る、「はしみえ」で「はじめ」というのです。無限である絶対が、有限である現象となるのを、「はじめ」というのです。その逆に有限である現象が、無限である絶対に帰るのを、「おわり」というのです。

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