1986年5月ころの事だよ。ヤマで買れた僕らは、晴海あたりのでーっかい現場にいったんだよ。ひとまわり上の丑年のニンジンと申年のパオと。右上のねこ(一輪車)押してる長髪ひげのおあにいさんが俺だよ。僕らは砂利を運んだりスコップで穴を掘ったり、それなりに正しく働いていたんだよ。さて、ふと見るとクレーターのように大きく掘れた窪みの真ん中で、ニンジンがスコップ突き刺したまんま佇んでいるんだよ。ケッコー
ずーっと、じーっと・・・5分くらい・・・なんとなくみんなが働いてるのに休んでるのは気が引けるというド平民的心配なんてはるかに超越した、なにかコウゴウしい、そう、それは戦場ならぬ工事現場に立ち尽くすキリストのようだったのだ。このニンジンというあだ名、おらと同じ顔がちょっとしゃくれててにんじんに似てるからでしょ、と言ったら、いやいや俺は忍ぶ人のニンジンであるとノタまった。どっちかっちゅうと人参じゃないかなとおらはお言葉を返した。・・・・・そうこうしつつも何日目かの午後。僕らはスコップで砂利をまいていた。絵の左上の方だよ。腕組みして僕らをひまそうな小監督がみてたんだけど、そこに何を血迷ったか中監督みたいのがやってきて、その小監督にやおらこう怒鳴ったのさ。「おらおら!そんなんじゃ兵隊うごかねーぞ!」・・・・このときだよ、スコップの柄握りしめ思ったのさ、”やっぱり俺らはヘイタイか、やーめた。”結局一週間やってこさえた5万持って、御徒町に行ってさ、針金とビーズとベッチン(黒いビロードの敷き布)買ってね、ネーム(針金ひん曲げて名前のブローチつくるやつ)300種類も作ってね、人からもらったアクセサリー横にならべて吉祥寺の駅の通路であこがれの道売りを始めるとゆー次第になりゆくわけなんだよ。
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