*何ものよりも何よりも*
(キリリク10000)
【6】
「そういうことなら、行こう」
辻で拾った狭い軒に乗り込むと、黎深は膝に子供を載せた。
周囲の目がなくなったところで、黎深はさっそく子供に詰問を開始する。
「絳攸。お前はどうして邸から逃げた」
鳳珠はそこで初めて子供の名前が「絳攸」であることを知った。
「あ、あの……」
「言いたくないのなら、言わせてやろうか」
彼に至近距離で睨まれて否と言える人間はほとんどいまい。子供はふるふると首を横に振るとあっけなく陥落した。
「ね、猫が……」
「猫?」
「はい。庭院に猫が迷いこんでいて、それを追いかけていたら、いつのまにか……」
猫も見失ってしまって、どこにいるかも分からなくなって、と泣きそうに呟いた子供に、黎深は溜息をついた。
友人の溜息など珍しい、と彼といると溜息ばかりついている鳳珠は思った。
「…………そんなくだらないことで手間を掛けさせるな」
「すみません……」
そうして軒には沈黙が落ちる。
それはガタガタと揺れながらゆっくり紅家へと向かっていく。
その狭い空間にはなぜだか甘い香りが漂っていた。鳳珠は子供が側にいるせいかと思っていると、黎深がおもむろに懐から何かを取り出した。
「ああそうだ、忘れていた。先ほど買ったのだった」
これを、と彼が差し出したのは饅頭の包みだった。まだほのかに温かいそれが、甘い香りを発していたのだ。
「お前、そんなもの買っている暇があったのか」
「いや、美味しそうだったのでな。饅頭の匂いに絳攸が寄ってくるかと思って求めたのだが」
この子供は犬か。そう言ってやりたいのを鳳珠はどうにか堪えた。さすがに当の子供の前で言うべきことではない。
そう思っている間にも、黎深は包みから饅頭を取り出してそれをちぎる。と、それを子供の口へと押し当てた。
「ほれ、食べろ絳攸」
「わ。――むぐ。………………おいしい、です。ありがとうございます、黎深様」
無理矢理食べさせられたにも関わらずそう呟いた子供に、黎深は笑みを零れさせた。それは本当に珍しい、今まで見たことのないような優しい微笑で、鳳珠を大層驚かせた。
そういえば、と鳳珠は気付く。
先ほどこの友人は、姪を膝に載せている兄と、その兄に饅頭を食べさせている姪を見て「羨ましい」と言っていなかったか。ひょっとしてこの子供でそれをやるために饅頭を買ったのか、と気付いた鳳珠は、ついくすくすと笑った。常識知らずで傍若無人、ワガママ大王で兄一家にしか興味のない変態だとばかり思っていたこの友人だが、こんな人並みでかわいい一面もあったのだ。彼に自覚があるのかは定かでないが、いつの間にかちゃんと、兄一家と同じくらい、いやそれ以上に大事なものを見つけている。
尚もくすくすと笑い続ける鳳珠に、黎深は冷たい視線を送った。
「……何がおかしいのだ、鳳珠」
「いや? 黎深、私にも饅頭をくれないか」
「……一つだけだぞ」
ほれ、と丸々一つ付きつけられた饅頭を受け取って、鳳珠も幸せそうにそれをほおばった。
END.
【←5】
10000Hitの暁様からのリクは「チビ秀麗よりチビ絳攸を優先する黎深様」だったのですが……。なんだか鳳黎ちっくな話になってしまってすみません……(汗)

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