*春雪*
(黎深・絳攸・楊修)


【1】

さらさらと筆を走らせる音に、時折紙をめくる音。それだけが室を支配していた。
書翰をまとめていた李絳攸は、背後の書棚がカタリと音を立てたのにも気づかないほど集中していた。
無言でひたすら筆を走らせていた絳攸は、視界の端に動くものを捉えて、ようやくその集中の糸を解く。
(なっ、なんだ!?)
顔を上げて周囲を見回すと、すぐ横に、人の良さそうな笑みを浮かべた男が立っていた。そのあまりの近さにギョッとして無意識のうちに身を竦める。
見たことのない顔だったが、色のついた衣を着ているということは上官に間違いない。
そう認識した新進士である絳攸は、筆を置くと礼を取った。
「これは……とんだご無礼を致しました」
「いいえ、そう畏まらずとも良いのですよ。驚かせてしまった私が悪いのです」
ふふ、と笑った気配に、絳攸はゆっくりと顔を上げた。
「私もただ府庫を利用しに来ただけですし。ただ府庫を利用するのに、身分の上下は関係ないでしょう?」
そう言って笑った男の年の頃は絳攸よりは上、絳攸の養い親と同年代かわずかに下、といったところか。取り立てて秀でたところもおかしなところもない、ごく普通の青年官吏だった。
だが、優しげな笑みを浮かべてはいたが、目は心から笑ってはいなかったし、すぐ横に気配を殺して立っていたことからも、油断のならない相手かもしれない、と絳攸は感じていた。
「少々こちらを使わせていただいてもよろしいですか?」
けれど、初対面の、しかも上官に失礼な態度を取るわけにもいかない。
絳攸はいささか無理に微笑んで告げた。
「え、ええ、もちろんです」
その返事を受けて、男は絳攸の隣に腰を下ろした。

【2→】
【最新小説もくじ】
【TOP】
(C) asakawa itsuki
all right reserved.