*桜染*
(黎深・絳攸)


【1】

「一体何のご用でしょうか、紅尚書」
尚書室に入るなり絳攸は上司にそう問うた。
眉間にしわを寄せ、頬をぴくぴくと引きつらせた彼は、決して上機嫌とは言い難かった。
吏部は現在、春の除目の準備で忙殺されていた。そしてそのあとには新進士たちに実施する吏部試の準備が待っている。
ただでさえ忙しいこの時期なのに、上司ときたらいつものようにまったく仕事をしてくれず(「いつものように」という表現がつくこと自体おかしいのだが)、そのしわ寄せは吏部侍郎である絳攸に多大に掛かっていた。
少しでも早く侍郎室に戻って仕事を片付けたいのに、と思いつつ、絳攸は目の前でひらひらと扇をはためかせている上司を睨む。
だが、上司である黎深はそんな部下の視線などものともせず、これまた優雅に微笑んだ。
「そうカリカリするな。――お前、今日の夜は暇か?」
にっこりと微笑みながらそう言った黎深に、絳攸はプチンと自分の堪忍袋の緒が切れる音を聞いた。
「……っ、どれだけ仕事が溜まってると思ってるんですか!!!!! 本来あなたがやるべきことをしてくださらないせいで、吏部官たちは当分邸には帰れません!!」
「ほう? 私一人分の仕事を、全員で手分けしても終わらないのか? いつの間に吏部官はそんなに怠惰で無能になったのだ」
なさけない、と呟いた黎深に、絳攸はバリンと自分の堪忍袋に穴が開く音を聞いた。
「そりゃあなたが何か月分も仕事を溜めこんでるからでしょうがっ!!!」
絳攸がばんっと机案を叩いた衝撃で、周りにあった書翰の山がどさどさと崩れたが、キレた絳攸にはそんなことはどうでもよかった。
「今日という今日は、俺も言わせてもらいます! あなたのせいで吏部のみんながどれだけ迷惑してると思ってるんですか!! 仕事してください、仕事!!! このままじゃ吏部から過労死する者が出ますよ!!!!!」
「私の知ったことではない」
しれっとした表情で返した黎深に、絳攸はバァンと自分の堪忍袋が粉々に破裂した音を聞いた。
「じゃあ黎深様は俺が死んでもいいっていうんですね!!! そうですよね、分かりました、もう頼みません!! ではこれにて失礼致します!!!」
「……………………」
眉をひそめた黎深は、しばし視線を宙に漂わせると、はぁ、と一つ溜息をついた。そうして、背を向けて室を出て行こうとする絳攸に声を掛ける。
「待て絳攸。では、仕事がなくなればお前は暇になるのだな?」
「ええ! すべて片付けば!!」
「ならば暇にしてやろう。――持って来い」
「え……っ!?」
ふふん、と不敵に笑った黎深を、絳攸は驚きつつ振り返った。
まんまるに瞳を見開いている絳攸に、黎深はにっこりと微笑んで告げる。
「その代わり、今夜は私に付き合えよ」

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