*にわにはにわにわとりがいる*
(黎深・絳攸)
【1】
「黎深様、香茶をお持ちいたしました」
紅家の家人はそう言うとテキパキと茶器や菓子を卓に並べていく。ふわりとよい香りが室に漂い、茶器が奏でるかちゃかちゃという音が止んだのを見計らって、黎深は読んでいた書物から顔を上げた。
「それでは失礼致します」
黎深が軽く扇を振って合図をすると、家人は心得たように頭を下げて退出していく。
茶と、その横に置かれた饅頭を見て、黎深はしばし思考を巡らした。
まんまるの、形のよい饅頭は、ほこほこと湯気を立て、とても美味しそうだ。紅家専属点心師がたったいま、黎深のために作ったものに違いない。
だが。
「…………」
黎深は無言で席を立つと、茶には手をつけずに室を出た。
「待てっ、この、ばか鶏っ!!」
史上最年少で状元及第、朝廷随一の才人であり、いついかなるときでも冷静沈着な「鉄壁の理性」と名高い李絳攸は、そんな世間の風評からは想像できないほど、怒りを前面に出した顔で庭院を駆けずり回っていた。朝廷で見せる冷酷さとはうらはらに、私生活では非常に感情豊かな彼は、目の前を飛び跳ねる鶏に対して全力で怒りをぶつけていた。
「逃げるな! 覚悟決めておとなしく食材になれっ!」
「コケッ! コッコッコッコッコケー!!」
鶏だって、そんなことは嫌に決まっている。文字通り命からがら必死で逃げ回る鶏と、お世辞にも武術に長けているとはいえず(なにせお勉強一筋、もっぱらデスクワークの文官だ)食材も扱いなれていない(もう何年もお坊ちゃん生活である)絳攸との『追いかけっこ』は、すでに半刻が経とうとしていた。
「往生際の悪い鶏めっ! お前は何のために長年うちの鳥小屋で飼われてきたと思ってるんだっ!」
鶏にしてみれば、そんなの知ったことか、である。庭院じゅうを逃げに逃げて、逃げまくっていた。
「待たんか、コラッ!」
「――何の騒ぎだ、騒々しい」
【2→】
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