●餘部駅開設記念 壁画の横には下記の案内文がありました。 「余部駅建設の従事する地元の子どもたち」 明治45年3月に山陰本線が開通してもここは長い間、駅がありませんでした。余部の人々は駅ができるまでは、香住・浜坂方面に行くために余部鉄橋を渡り、4つのトンネルを抜けて鎧駅まで歩かなければなりませんでした。 そこで、昭和33年、余部小学校の児童などが当時の坂本兵庫県知事あてに、駅の設置を願う手紙を書き、これが余部駅設置の大きなきっかけとなりました。 駅の建設が始まると、余部の子どもたちは、大人の一緒に力を合わせ、海岸の石を運び、駅までの道やホームを造りあげました。 そして翌年の昭和34年4月に念願の餘部駅が完成したのです。 この壁画は、平成3年11月に土曜ふれあい学級の取り組みとして、昭和34年当時の余部駅建設の様子を再現したものです。 下絵は小学校教師が担当し、ペイント作業には余部小学校の児童を始め、教師や保護者も一緒になって壁画を完成させました。 平成17年10月 香美町・香美町教育委員会 |
●余部鉄橋概要 位置:山陰本線鎧・餘部間京都から188k637m97cm 橋梁形式:トレッスル式橋梁 長さ:310m59cm 高さ:41m45cm 橋台:2基 橋脚:11基 プレートガーター桁:23基 着工:明治42年12月 完成:1912年明治45年1月完成 試運転:明治45年1月28日 開通:1912年明治45年3月1日 橋脚鋼材:アメリカンブリッジカンパニーヘンコイド工場製 門司経由余部沖から陸揚げ 鉄橋鋼材:石川島造船所製 明治44年9月神戸から陸送 工事費:33万1,535円(現在の金額2億5000万円相当) 同一のものを新造した場合の概算見積り:約24億円 設計:鉄道院技術研究所 古川晴一氏 当初、コンクリート橋で検討したが工事費が46万円前後と 巨額となるため安価な鉄橋に決定された。 2010年秋新コンクリート橋にバトンタッチ予定 残念ながら満100歳を迎えることができない。 |
●架け替えについて 兵庫県 余部鉄橋定時性確保のための新橋梁の形式選定に関する提言 検討橋種概要 |