保育園の抽選に通ったようだ。 順当にいけば 7月頭から通うことになる。
人間が出来ていない人に恨みを買うということに不安を抱く気持ちもあるが、 出来ている人からの反感を買う可能性も削りたい。 これはどちらに重点を置くかというだけの問題なので、 最適点についてこだわるところではない。 特に相手がどういう人か分からない場合には、 ますますこだわる意義が薄い。
対話のときに 一々完全に論破して一見論理的に完全な正当性を主張していく 方法もありうるが、 「そういう考え方もあるよね、だけど私はこうしたい」 というマイルドな進め方もある。 両方知っておくべき。
統計学も勉強が足らん。 つか、この世の全ての知識を勉強できるわけでもないので、 使える部分だけ取り出して生きる道もそれは別に悪いことではない。
バナナジュース。 ジューサーでバナナを砕いたあとに氷を丸のまま投入するよりも 氷と一緒に砕いた方が美味い。 でもジューサーの刃が痛むかな。
遠出する日に、行く途中で切手を売っている場所を探して 買ってポストに投函というのはやればできるだろうが あまりやりたくない。 切手販売の場所が見つからないなど、 何かあれば出先まで書類を持って行くことになり、 出せない・紛失するなどのリスクが増す。 土曜日、日曜日にポストに投函しても回収されるのは月曜日なので 月曜朝に投函しても結果はほとんど同じことになる。 私なんかは締切に間に合いさえすれば別に急がなくても良いと考えて その中のスケジューリングを最適にする(コストを下げる) ことを考えるのだが、 締切までに余裕があったとしても 可能な限り早いうちに済ませなければ気が済まない人がいる。 たとえそれにどんだけの追加コストを払うことになっても、 また他人にそのコストを支払わせても。
「子供がかわいそう」という意見は、必ずしも賛同できない。 子供は自分のことを可哀想と思ってはおらず、 それは大人の勝手な感受性なんだと思われるケースが多々ある。 たとえば「保育園で雑魚寝させるのは可哀想」とかいう意見もあるが、 私が園児のころはたぶんそれが普通だと受け止めていて 自分の事を可哀想とかは思わなかった。 「鍵っ子」も同様。
ポンキッキの昔の録画が YouTube にあり、 ムスメもよく選んで見ている。 ポンキッキは良い番組だったと思う。 今でも朝の 8:00 とかに、再放送したら子供に見させたい。 まあタレントに金を落とさなければならない産業構造になっている 今のテレビ業界には期待できなさそうだ。 「ある時間枠でタレント起用しない → お前のテレビ局には一切ウチの事務所のタレント出さない→ テレビ局困る」という図式なのだと想像する。 でも最近のテレビについて タレントとかワイプとかを嫌う意見もしばしば見受けられる。 一切タレント出さない、というスタンスを取ればむしろ 一定の視聴者を引き付けるような気がするが、どうだろう。 どっかやらねえかな。
研究者や医師といった仕事は、組織にあってもある程度は個人の判断が要求される。 その中において上司は部下の仕事をどのように認めるべきか。 たとえば部下の研究者や医師が自身の経験の中で確立したやり方を許容せず、 上司の教授や院長が一々そのやり方はおかしいと問答無用に修正を強要するケースがある。 そのことに憤りを持つのなら、自分はその上司と同じ振舞いをすべきではない。 まあドクターと言われる役職に限らず、 社会の仕事一般にそうなんかもしれん。
結婚式のために東京へ。 正確には明日が式なのだが、せっかくなので前日入りして共通の友人である 某氏宅に泊めてもらう。 調べてみると、以前に泊めてもらったのは 2004, 2006 年だったようだ。 6年ぶりか。 そのときは私も某氏も両者とも結婚していなかった。 某氏の奥さんは今回初めて会うことになる。 まあ犬大将が泊めてもらえるくらいだから俺もきっと大丈夫だろうと 勝手に判断してお願いしたわけだが、 なるほど姐さん気質のとても気さくな方で、楽しく滞在できた。 料理うまかった。 本がいっぱい素敵空間。 元素図鑑を見たり、 『テルマエ・ロマエ』のオカザキマリの日記漫画を読んだり。 野崎昭弘の『数学的センス』を借りた。 次に返すのは何年後になるか分からないけれど、 「本を貸しておいたらまた返しにウチに来てくれるかもしれないしー」 とウェルカムな空気を出してくれているので お言葉に甘えることにした。 いつかまた来る。
某結婚式。 私の周りは必然的に寮の同窓会的な雰囲気に。 スギリン、チャーリー、ヒョードー、オジイサン、 バニー、ヨタブン、ピロイケ、ボヤッキー、デカモリタ、私。 私を含めて、寮のこの面子の半数以上が結婚しているという事実にオドロキだ。
よく写真を撮った。 いい披露宴だった。 東京が職場だったら、 かの合唱団に一度は行ってみていただろうなあ。
「人生は不運なことの方が多い」というのは、 幸運なことよりも不運なことの方が印象に残りやすいためだと言われる。 「学生時代にもっと勉強しておいたら良かった」と 思うことは多いが、 これも「勉強しておいて良かった」と思ったことは 印象に残りにくいからじゃないかな。
テレビの韓流について。 「『カンリュウ』は正直どうでもいい」と発言したら、 「その発音で君が心の底からどうでも良いと思っていることが良く分かった」と言われた。
そして、まるでわからないようなときは、 かまわずさきに進むことをおすすめしたい。 また、気になることがあってわかった気になれないときも、 その疑問をなるべくはっきりいいあらわす程度で満足して、 ムリにその場で解決しようとせず、前進した方がよい。 (数学的センス, 野崎昭弘, p.81)
私達の間にもう子供ができないという事態になったならば、 養子っつーのもありなんかな。 まあ、カミサンが子供を沢山欲しいと思っているかどうかが 最も大事になるし、 考えるのはもっともっと先でいいが。
ズボンのポケットに穴があいたので繕ってみたが、その横の部分に穴があいた。 生地自体が弱っているのでもうどうしようもない感じ。 まあズボン買い替えるべきだろうが、 少しの手間くらいは払って修繕を試みてみよう。 どうせ捨てるのだし失敗しても失うものはないし、経験にはなる。 ということで今回は手縫いではなく カミサンが持っているミシンを借りてみた。 ……ミシンすげえ! 機械萌え。 セットアップ手間はあるが、手縫いの数十倍の速度と正確さでガンガン縫える。 端切れで少し練習した後、 ダメになった別のズボンから取った生地で元のポケットに近い形に袋を縫製。 これを目的のズボンに縫い付けるところが難しかったので、そこで諦めた。 裁縫できる人ってすごいなあ。 どことどこが合わさってどうなるとか、 3次元的な構造が頭にできているのだろう。 私にはない。
ワープロの普及と文学の質の変化。 ワープロのない時代の小説家という人種は基本的に字を書くという 行為が好きだったと思うのだが、 それでも書くのにはコストがかかるわけで、 少ない文字数で効果的な表現をするという圧力がかかっている。 その結果ページあたりの情報量が高いものになったのではないか。 近年はパソコン・ワープロの普及で1文字あたりの書くコストが かなり減少した。 その結果ページあたりの情報密度を上げるという圧力がかからず、 逆にページ数を増やした方が原稿料的に有利だという負の圧力がかかる。 また一定のページ比率で挿絵がついて、 売れ行きは内容よりも挿絵で決まりがちだということで さらに情報密度に対する吟味がなくなる。
ミシンでのポケット縫製についてもうちょっと考えてみた。 トポロジカルに考えるとポケットの手を入れるところを穴と見做し、 そこに袋の口を縫い合わせるだけのはずだよな。 そう考えると作業が理解できる気がしてきた。 どこを縫うかの固定も難しい事の一つだが、 他のズボンを見ると脚部の外側に袋を縫い合わせてしまっているもの がある。 こうやって固定しておいた方が初心者の私には易しいかもしれない。 なんだかできる気がしてきたな。 また今度、カミサン・ムスメが留守のスキに挑戦してみよう。 ムスメがいる横でのミシン作業は避けるべきだろう。 ムスメが指をつっこんで手を縫ってしまった、とかはダメ絶対。
わかりやすいように、抽象的に話してください。 (数学的センス, 野崎昭弘)
金星の太陽面通過。 写真を撮ってみたが、金星はやはり小さい。。
「ファイルを読んで正規表現でマッチして」という処理を使うプログラムで、 Ruby で書いていたところを外部コマンド(grep, tail, head)を 使うように書き換えたら 20 倍速くなった。
家 UNIX 機の HDD を換装して Ubuntu 11.10 を入れた。 beep が鳴るようになって快適になった。 しかし subversion が不調。 サーバとして他のマシンからの commit, update は動く。 クライアントとして commit, update すると generic failure とか 出るようになった。 他のマシンのディレクトリを rsync してもエラーメッセージが 変化ないのでコマンド側の問題かなあ。 面倒なので全部 git で管理するように舵を切ってもいいな。
ムスメが、嫌がって何かをしようとしない場面が増えてきた。 テレビを見たがってごはんを噛むのをしない、 ハミガキをしようとしない、うがいをしようとしないとか。 カミサンが頑張って叱って躾けている。 私も叱るべきか、そうせざるべきか、迷う。
ムスメ「ぱそこんさんおやすみー。ぱそこんさんばいばいー」。 朝、出掛けるときに。
基本的なスタンスとして、 これまで subversion で管理してきたモノをちょっとずつ git に移行してきた。 今の subversion の不調も頑張れば直るかもしれんが、 その手間がどれだけかかるか見積れない状況。 そのコストを払って subversion で何とか 戦い続けることも可能だが、 全てを git 管理にする事で有限のコストで目的を達成できる。 今日時間が空いたので subversion を追放してみた。 やってみるとコマンドなんかも一元化できるし、管理がすっきりした。
照明を消し忘れないようにするよりは、 炊飯器で保温をし続けないようにするのが節電にはより効果的だと私は思う。 しかし、些少な節電のために自分にとっての生活の質を犠牲にすべきでもなかろう。
パジャマズボンが2つ、チノパン 1 つ、ジーンズ1つ。 ここ 3ヶ月くらいの間に ズボン系のものが相次いで穿き潰れてきている。 生地が薄くなって繕うにも繕えない状態まで穿き、十分使い切った。
のど飴フリークな話。 コンビニに新しく並んだものは試してみてる。 のど飴という物は基本的に喉に唾液を流して保湿することが効果の大半だろうから 成分はさほど重要ではなかろう。 と言いつつ、ロッテのカリンのど飴は薬臭いけどそれがよく効く感がして好き。 ロッテのフルーツ味の奴はより美味いが、薬臭さが少なく、 よく効く感が低い。 カンロは酸味と甘味のバランスが良く、どれも大体美味い。 UHA 味覚糖はたまに買うが、開発者の味覚が少し狂ってると思う。 どこのメーカーのものでも、 二重構造とかで清涼剤やら何やらが混ざっているタイプのものは、 食感としては面白いがのど飴としての地位は一段低い。 唾液を出すためののど飴なのに、 体積あたりの舐め時間が減って唾液の分泌量が減るからだ。
SCRABBLE DICTIONARY をスキャンして OCR かけてみた。 スキャン条件を高くするほど OCR の精度が上がるが、 どう頑張っても 100 % の精度は出せないことを実感した。 ということは grep できるような正確なデータに することは最初から諦めるべきだ。 OCR 後のテキストデータを持っていたとしても、 後々照合するために元の PDF を持ち続ける必要がある。 となると、OCR って何のためにあるんだろうという気分になる。
OCR のアルゴリズムについてそれほど知っているわけではないが、 人間の字句解析のアプローチとかけ離れているように思う。 OCR は基本的に 1文字ずつ解析しているようだが、 人間はぼんやりとおおまかな形から見ることが多い。 人間が英文を見る場合は、単語ごとに上下の突き出しなんかで大体の単語予測を行っている。 前後の文脈でも予測できることが多い。 校正のプロなんかはこういう人間的な見方をしないように 特殊な訓練を積んで一文字ずつ誤字がないかを確認する 見方をするらしい。 OCR はもっと賢いアルゴリズムができそうに思う。
ムスメと一緒にお風呂。 今日は 100 まで数えられた。
先週の結婚式で貰ったシャボン玉セットで遊ぶ。 ムスメ大喜び。
ムスメに動画の選択を委ねると おもちゃの CM っぽいものを選ぶことが多い。 確かに幼少の頃の私も CM とかで動作を見て楽しんでいたな。 買って貰えない代償行為として見ていた、という面もあったが。
ズボンポケットの繕いがまずまず成功。 生地を裏返して見るという技に気付き、 このことで明らかにレベルが1つ上がった。 そしてミシン萌え。
先日貰ったシャボン玉吹き器は輪っかが小さく、 輪っかの中心に息を当てたり、息の強度の調整など微妙なコツが要る。 しかしムスメのシャボン玉吹きがかなり上達していて、 かなりの精度でシャボン玉を出すことができていた。 反復によって物事は上達するのなだなあと感心した。
母がムスメの世話を申し出てくれて、 カミサンと映画デート『テルマエ・ロマエ』。 面白かった。 上戸彩は可愛いけれど、確かに平たい顔だ。
石油の無機成因論が正しいとすれば、 火星などでも石油があるということになる。 逆に、火星に石油が見つかれば、 石油の無機成因論が正しいことになる。 石油の無機成因論が間違っているとすれば、 火星には石油がないことになる。 しかし存在しないことの証明はほぼ不可能であるため、 火星の石油の存在の有無から石油の無機成因論が間違っていることを 証明することはできない。
格好良い格好なんかしてやるものか、 という感じの意固地なところが私にはある。
高飛車という言葉は勝気なお嬢様萌えの為にあるようなものだが、 この言葉の正確な意味を知るために 将棋を勉強するのも良いのではないだろうか。 今の私は、飛車を高い位置にしただけでは勝てる気がしない。
走って帰宅して なんばユニクロで裾合わせズボンを受け取り、 スポタカでプロテインを購入して帰宅。 週1回のランニングだとあまりパフォーマンス上がらんなあ、 と感じていたが、 記録によれば最近 3回では 1回走るごとに約 3 % ずつ速くなっていた。 体慣らしの時期でもあるが、まあ十分な向上だ。 体感はあまりアテにならんな。
阪堺電車の恵比寿町駅の木造の建物が古くて小さくて可愛い。 「じゃりン子チエの舞台のモデルとなったのはこの辺かなー」と思いつつ走っていたが、 今一つ確信が持てないので帰宅してからぐぐった。 南海電鉄の萩之茶屋駅付近のようだ。 次回はこの辺を通るとしよう。
ムスメはトラックボールを操作して、 youtube の動画を選んでクリックすることができるようになった。 また、youtube の広告をスキップもできる。 すごい。
カミサンはムスメにピアノのお稽古をさせたいようだ。 良いと私も思う。 たとえば小学生で3つも4つもお稽古毎を掛け持ちして 窮屈な毎日になってしまうことはいけないが、 どれが好きでどれが嫌いになるかを把握するまでは 何をさせても構うまい。 特に音楽的な素養に関しては、 もしムスメが天才的な素質を秘めているとしたならば 3歳くらいからやっておくことは有益だろう。 まずないとは思うが。 天才でなかったとしても、 音楽に対する拒絶感が減れば人生を楽しむ幅が増える。
判子のついてある書類というのは その判子を押した人が作成したという証明なので、 判の名前の人以外がいじると公文書偽造で法に抵触するおそれがある。 写しもそういう書類が作成されたという証拠であるわけで、 同じこと。
自宅 PC がフリーズ。 業務も含めて全てのメールをこのマシンで管理しているので その日届いている筈のメールも見れなくなって困る。 フリーズの頻度は年1〜2回といったところで、 無視しても大きな問題はないとも言える。 しかし何らかの改善はできそうだ。 さてどうしたものか。 フリーズするようになったのは Ubuntu にしてからのことで、 FreeBSD のころはこんなことがなかった。 Ubuntu (Linux) は過負荷に対する耐性が低い印象がある。 職場側にサーバ機能を持って来るというのが一つの方策。 年数回停電で止まるというデメリットはあるが、 それは計画的に決まっていることだ。 あるいは、クラウドでメールを使うようにするのか。
体調が悪い。 熱は出ていないが、喉の痛みと咳が少し。 金曜の仕事は休めず、土曜もムスメの世話などがあるため 今日のうちに休んでしっかり直しておこう。
体調が悪いときの栄養。 免疫の材料のための蛋白質と 体温を上げて免疫機能を上げるためにカロリーが必要。 ということで、ゆで卵で補充。 あと粘膜の材料であるビタミンC が欲しいところ。
家を少し出るくらいは何の問題もないので ムスメの送り迎えと買い物はしておいた。
託児所のお迎えで同い年くらいの男の子と一緒になった。 そこの母親さんから、ムスメは 「20まで数えられますよね、賢いですねー」と言われた。 うん、まあ 100 まで数られるけど。 こういうのは褒め合うのが文化だろうけど、 残念ながら私は迎えに行くのが一番最後になることが多く、 その子の特性を知らないので何とも言えなかった。
その子はエレベータのボタンを押したがった。 しかし母親が先に押していたので拗ねていた。 ボタンは押したいよな、気持ちは分かるぞ、少年よ。
まだちょっと喉が痛いが、結構回復。 今日薬飲んで寝たら深く眠れて疲れが取れた感じ。 疲労系っぽいな。
託児所はビルの 5 F。 帰りは 1F から外に出るが、 雨の場合は地下2階の地下鉄改札外を通って交差点を越える。 このとき、「ちか2かいだねー。ちか3かいだねー」とムスメが言った。 ムスメの行動範囲内で地下 3階の場所はないので、 「地下 2階というものがあるのなら、その延長で地下 3階というものもあるのだろう」 という類推を行ったものと思われる。
学校に来ない学生をどうするか。 たとえば無断欠席する奴、 返事を返さない奴、 病気で大学に来ない奴、 指示したことについて報告すらしない奴。 色々なパターンがある。 最低限のことをやっても応えない奴は放っておいても良いと思う。 しかしなにがしか、 最大限の成果を上げられるように工夫してやるべきか。 そこまでお膳立てしてやる事もないような気もするのだが。
鼻水を拭ってやるのに、 ハナカミを渡して自分で拭うことができるようになってきた。 さらに、「鼻から息を出してみ?」と促してみると、 まだ圧力は足りないものの「ふん」とできるようになってきた。
最近のムスメの嗜好は英語の歌。 Super Simple Songs とか。 Youtube は偉大なり。 そのおかげでムスメは「ロボット」ではなく、Robot と発音する。 最後の母音がなかったり、bo の部分が a と o の間の音だったり。 耳から入るとこうなるんだなあ。 エライ。
野球してきた。 負けた。 セーフティバントを試みてみたが、失敗。 中学んときはバント上手かったんだけど、今はあかん。 バントするつもりではなく、バッティングの感覚でバットを動かせば 上手にできるのではないだろうか。 試合前にバッティングセンター行くくらいはしよう。
『王様と奴隷』。 良いタイミングで巡り会ったなあ。 王様と奴隷の話は折に触れて思い出すようにしよう。 教員と学生の立場にも適用できる。 王様は学生だよ。 私は何か勘違いしとったな。 「教員が王様で絶対に言うことを聞かせる」みたいなことは 思ってなかったが、 一対一の人間関係として不誠実なことをする学生は放っておけ、 みたいなことを思ってしまっていた。 そうではない。 そういう奴でさえ社会に利益を与える真っ当な人間にすることも含めて 教育なんだろう。 まあ本当にドロップアウトしたいというように振る舞う人、 すなわちそういう教員にとって本当に打つ手のない学生も実際にはいる。 友人・知人にも心当りがある。 不誠実な人であっても不誠実でないように性質を修正するところも含めて、 できるだけ多くの人に教育の効果を与えるのが教育機関の役割で、 そのために私は給料を貰っているのだ。
Fromヘッダを任意のアドレスに書き換えてスパム送信なんてのは、 アドレス知ってさえいれば本人のタッチしないシステムでもできる事なので 防ぎようがないわな。
スパムウォッチは手間のかからない趣味。 日常で不快な何かを一縷の愉しみに変換できてとってもお得。 荒唐無稽な設定そのものを楽しんだり、 作者がどういう気持ちで書いたのか想像してみたり。
母の PC から「おとうさん」とチャットが飛んできた。 聞けばムスメがひらがなタイプで打ち込んだらしい。 いままでは、ひらがななどの文字はそれ単体を表す記号だったのが、 組み合わせると口で言うのと同じく言葉になるということを 理解しつつあるのだと思われる。 そういえば託児所の帰り道すがらの看板で 「『あります』って書いてあるねー」 「どこに、あります、ある?」 「ここにあるよ。あ、り、ま、す。」 「あります、あるねー」 みたいなやりとりをした。 この時の「ムスメの中で繋がった感」はちょっと印象に残っている。
『PEANUTS』(いわゆる SNOOPY) のセレクションの新書を買ってみたが、右開きで読み難い。 前後関係のある連作があるため 本の尻から読むという手は使えないし。 見開きなら左ページから、 見開きでなければ右ページから読むなんて判断を読者に強いるな。 編集は何も考えてないだろ。 あと変な有名人の選者もいらん。 祥伝社か、今後この出版社の本は買いたくない。
家の PC が不安定。 今日1日で 2回ダウンした。 1回目はたまたまカミサンから電話があったので そのついでに電源再投入してもらったが、その後また落ちた。 原因は何だろな Ubuntu、MB、CPU への過負荷、NIC のどれもが考えられる。 MB を交換してみる手もあるが面倒。 とりあえずダウンしたときの致命度を下げるために メールシステムを自宅の外に移すことにした。 しかし職場は年間に合計 5日間ほど停電する環境で、 これを基幹にはしたくない。 ということで、Gmail を使って もう全ての情報を Google 様に献上することにした。 慣れてしまえばそう悪くはなさそうだ。 ロードマップとしては以下のような感じか; Gmail の転送設定解除 → 現在使用しているメールアドレスを Gmail アドレスへ転送設定(イマココ) → ローカルの Maildir をいいかんじに整理(スパム削除、フラット階層化?) → ローカルの Maildir のデータを Gmail に転送 → とりあえずブラウザの Gmail で慣れる → 余力があれば Thunderbird とか Mutt とかから操作できるか試す。 職場の転送設定は管理者に聞くことになるのでまた明日以降に進める。
台風、かつメールが見れないということで 早く帰って来た。 PC は MB まわりの発熱とかやばいのかもなー、 と BIOS まわりの設定を見直していたら 起動すらしなくなった。 そうか、MB が逝ったか。
カミサンはムスメの保育園の説明会に行く予定だったが、 警報が出たので延期となった。 ムスメに熱が出ているらしいので、結果的に休みになって良かった。 ムスメは食欲がなく、プリンやアイスくらいしか食べられない。 夕食の時に我慢してもらって薬を飲んだが、突如全部吐いた。 カミサンは瞬時に反応し、それを手で受け止めた。 カミサンすげー。 私は少し狼狽え、カミサンの指示があって始めてボウルを持って来れた。 だめだなあ、私。
ムスメが発熱。 実は月曜夜から続いていたらしい。 今日、カミサンは仕事だが私は職場に居る必要がない。 ということで私が家でムスメの世話をすることに。
小児科を受診。 「泣かずに頑張っているなー」と思っていたが、 もうすぐ終わる、というあたりで激泣き。 ココア風味で飲み易くした薬もなかなか飲めなかった。 慣れない環境だもん、そらストレスかかるわ。 仕方ないよ。
「オカユ・オジヤ・ウドンなどの消化の良い物を食べさせてください」 と医師に言われた。 オカユっぽい何かを作ってみた。 手抜きダシの素でスープを作り、 ニンニク、何かの菜っ葉、豚肉をみじん切りで煮る。 白米を煮てから溶き卵を投入して軽くかき混ぜながら少し蒸らす。 ダシ醤油を投入。 昔カミサンに塩気は悪だと強く言われたのでかなり薄味にしてみたが、 ムスメは強めの味にしないと食わないらしい。 今日、ムスメは食えなかった。
カミサンはハンバーグとかを食わせようとしていたが、 肉はそこそこ脂肪があって消化しにくいと思う。 たぶんカミサンは胃腸が強く、自分が病気でもそういうものを 食えてしまうのだろう。 そして私もそこそこ胃腸が強い方なので、 その子供であるムスメも胃腸が強い可能性は高い。 だからハンバーグ戦略は妥当とも言える。
考えてみれば、アイスクリームも脂肪が多く、 また胃腸をダイレクトに冷やして消化に悪い。 だから胃に溜まって戻し易いのではないだろうか。 冷たくて甘いし、 食欲がわかないときにこれだけは食べられる、 という意味で必要な食品だが、多用はできないものだろう。 薬と同じように捉えるべきかもしれない。
MB を交換してみた。 OS を入れ替えなくても起動した。 これで安定するなら話は早い。
英語圏の人に「ブイ」と言っても全く通じない。 「ヴィー(vee)」である。 「最初に V を ブイ って言い出した奴誰だよ」と憤っていた友人がいたが、尤もである。 ゼットにしても、「zed」という表現はあるものの「zee」と言う方が一般的のようだ。 たぶん、日本人にとって聞き分け難い似た音の文字が他にあることに起因するのだろう。 B(bee) と V(vee)、Z(zee) と G(gee) である。 それらの区別のために要らぬ配慮をしての和製発音ができたんだろう。 今でこそ「ヴ」音は日本人もよく使うようになっているが、 英語に初めて触れた頃の日本人では区別し難かっただろう。 「vee」を「ブイ」と言うことで「bee」との区別をつけ、 「zee」を「ゼット」と言うことで「gee」との区別をつけたのだろう。
ムスメの熱は今日も下がらず、託児所を休む。 私とカミサンの仕事の都合から今日も私が仕事を休むことに。 明日まで長引けばカミサンが休むことになりそう。
雨が激しく、グラウンドコンディション回復の見込みがないため、 明日の職場のソフトボール大会は中止になった。 丁度良かった。 これでムスメの体調に対する対応の自由度が増える。
日曜の野球でゲッツー崩れでベースに駆け込んだとき、 左踵を痛めた。 骨ではなく軟骨とかその辺だと思うし、 数日で少しずつ痛みが引いて来ている。 もう数日で完治するだろうが、 この観点でもソフトボールが中止になって 良かったかもしれん。
「おかゆおいしい」 とムスメに言わせしめた。 嬉しいねー。 何かに勝った気分。
賞味期限 を 5 ヶ月越えたぼんち揚げ発見したので消化。 十分食える。
ムスメは無事回復。 昨日のうちに熱も下がっていたし、 託児所に行く気になっているようだったので行かせ、 夫婦とも出勤できた。
自宅 Windows PC も逝った。 こっちは電源断による HDD 上の OS データの破壊っぽい。 ついでにゴソゴソ作業するが、 ムスメが起きてる間はなかなか進まない。
カミサンのところに届いた架空請求メールを見せてもらった。
船舶免許の更新。 船舶のトンは重量ではなく容積だと聞いていたが、 もともとは酒樽から来た用語らしい。
帰宅途上にて、なんばのダイキに寄って物資調達。 慣れてないというのが大きいだろうが、ダイキはどこに何があるのか微妙に分かりづらい。 ダイキはコーナンよりも家具とか組み立てるだけのものに 重心がある感じ、 コーナンは工作寄りっぽく道具・資材系に重心がある感じ。 私はコーナンの方が好き。
Windows PC はおおよそ復旧。 でも新しくしたハードウェア構成は消費電力が大きく、 電源容量が不安。
UNIX PC につけているハードウェア RAID が 5インチベイ 2 個分の高さがあるため、手持ちの筐体には入らない。 そのためケーブルを外に出し、筐体の外に置いて運用していたが、 やはり取り回しがしにくい。 十分な 5 インチベイがある筐体はデカいため、 入れている棚板に一工夫が必要になる。 じゃあもう筐体を自作するしかないかなあ、と思っていた。 ふと、メッシュパネルが使えるんじゃねえか、と気付いた。 この上にワイヤー等で部品を括り付けていけば良い感じになりそう。 構成部品のサイズを測定して配置の見積りを行ったところ、 300 x 450 mm もあればいけそう。 アイリスオーヤマのメッシュパネルが ダイキに置いてあったが、このサイズはなかった。 とりあえず 450 x 450 mm のものを購入。 結束バンドやカットワイヤーで マザーボード・電源ユニット・ハードウェアRAID を括り付けて 電源を入れると無事稼動した。 そこそこ上手くいった模様。
ファイルツリー・ディレクトリによる分類をするならば、 各々の要素が重複することなく分類できなければいけない。 たとえば大学・学部という分類では、学部が大学に包含されるので 学部のファイルを大学に入れるか迷うことになる。 メールのフォルダ分けも基本的に同じだ。 しかし gmail のメール分けはフォルダではなくラベル付けで行う。 多元的な情報を付加できるのでなるほどというか、 きちんと実装したメーラを初めて見たというか。
やる気が低調。 リマインダ整理して、集中して括弧撃破というのはモチベーション維持に良い。
保育園の説明会で書類をもらいそびれた模様。 どうも日程調整の情報提出を回覧でやっていたらしい。 回覧では経路から漏れる人が出る可能性がある。 隣の人から受け取って自分のスケジュールを確認して書き込み隣 の人に渡すのは1〜2分程度かかることもあるだろう。 40人もいれば最高にうまくいっても 30 分はかかるし、 スケジュール確認に手間取っている人はそのあいだ 説明を聞く集中が削がれる。 最初に紙を配っておいて部屋から出るときに回収すべきだ。
長時間保育の紙は別途配布とのことらしかったが、 あまり強調されておらず、紙に書かれているのに後から気付いた。 つか数割くらいの保護者が利用するだろうから全員に添付しておくべきだろう。 そうすれば手間が省ける。 病気になったときだけ医師に書いてもらう書類を参考で添付しておいて、 長時間保育の紙を添付してないのは優先順位が逆だろう。 説明会で適宜質問や、適当に区切って質問時間を設けないのもダメ。 質問事項をメモっておいて質問漏れなくする習慣のある人はそれほど多くない。 全体の質問を打ち切って「あとは個別に質問してください」 とするのもダメ。 短期的には時間の節約に見えるかもしれないが、 ああいう場で質問される事の多くは複数人が思い当たる質問事項なので、 各個で質問に来ると同じ説明を何度もすることになり手間が増える。
どうすれば自分と全体の手間を最小化できるかということを あまり理解できていない模様。 まあでも一般人の議長スキルはこんなもんなので仕方ない事ではあるが。
Gmail は問題なく運用できることがわかった。 これまでのメールについて、 とりあえず Maildir の中で中途半端に分類していたディレクトリ分類を フラットにしなおした。 ここ数年は inbox → 1monthdone → 1yeardone → done への移動のみで運用し、 そもそも分類していなかったのでこの半端な分類はそれ以前(2008年ごろまで) ということになる。 フラットにしてしまえば gmail にインポートすることは可能なようだ。 ここで考えてみたが、 そもそも古いメールを見返すことはほとんどないため情報の一元化が重要になる ケースはほとんどないはず。 また個人情報を含んでいるので一切合切 google に渡してしまう事に躊躇いがある。 ということでとりあえず ~/Maildir で保存することにする。 数年後にまた判断して一元化するかもしれんが、そのときでいい。
いかに Google のサーバ管理の堅牢性を信用していても、 手元でバックアップを持っておくのはエンジニアの心得だよな。 imap でいい感じにできるか試してみるか。
学生から来週の飲み会に誘われたが、 ムスメを迎えに行く日なので断らざるを得なかった。 当たり前だが、暫くはこういうことも増えるだろう。 近視眼的には私個人の自由度が減るように見えるが、 カミサンが働きに出れてムスメを保育園に預けられることの有り難みとは 比べ物にならない。
授業テキスト作成をおおよそ終わらせた。 あとは試験問題と採点支援スクリプトか。
携帯のキャリアは私が Softbank でカミサンが DoCoMo。 キャリアを揃えると家族プランな感じのもので安くなる可能性がある。 私は携帯アドレスでしか連絡をやりとりしない人がほとんどいないので キャリアを変え易いが、カミサンは逆。 私よりカミサンのメールアドレスの方が重要性が高いので、 揃えるならば私がキャリアを変えるべきだろう。 しかし私らの間ではメールや電話はそれほど多くないので 元々お互い同士の通信費はそれほど高くない。 昨今のネットニュースなどからはあまり好ましい企業に感じられず、 今の DoCoMo はあまり近付きたくない感じ。 結局、次の携帯電話を iPhone か Android にするかで決めるんだろうな。 今のところ iPhone と Android はどちらも同程度に魅力的に感じるので、 まあこれまで同様様子見を続けるんだろう。
ムスメはガラガラうがいができるようになった。 ただし口に入れた後、吐き出さないことがある。 うがい水はどこに行った?
ムスメが私の頬を軽くひっかいた。 見ると爪が伸びていた。 爪切りの催促だったのだろうか。
ムスメは背筋をぴんと伸ばし、すごく綺麗に正座する。
自分の二の腕の見たことない位置にニョッキリ 5cm くらいの太い毛が 一本だけ生えているのを発見した。
去年作った学生の提出プログラムの採点支援スクリプトを よりシンプルに作り直した。
胃瘻という医療処置がある。 自分で食べることができない人にもチューブで 直接胃袋に栄養を届けて生かすことができる。 そういう技術があることは結構なのだが、 問題は意識がなく、回復する見込みのない状態で 生かし続けることができてしまうこと。 極端な仮定を考えてみよう。 意識不明の人でも無限に延命させることができる技術があるとする。 皆が皆を延命させたとすると、 そうやって延命した人が社会にどんどん貯まっていく。 人の生産年齢は多く見積っても 100年程度だろうが、 意識不明の老人は無限にいる。 この社会は明らかに破綻する。 現在の胃ろうの問題はこの仮定を少し緩やかにしただけにすぎない。 では途中で胃ろうをしないようにすればいいと思うかもしれないが、 その技術を使うという選択肢の存在下では 家族は「それを使わない」という選択肢を実質選びにくい。 生かすことができる技術があるのに見殺しにする、 「自分が見殺しにした」という感覚になってしまうからだ。 現在でも胃ろうにかかる費用は 月に何十万円とかになる。 意識不明で回復の見込みがない人にこんな金をかけるより、 出産・養育・教育を厚くする方が良いと私は思う。
大阪市営地下鉄の車両が新しくなり、 御堂筋線に液晶ディスプレイのついた車両が導入された。
OALD の 7th edition を図書館で借りられた。 暫く試してみよう。 最新は 8th edition が発売されているらしい。 使い勝手が良ければ買おう。 ムスメが将来使っても良いだろう。
UNIX 機めっさ安定。 不安定さは Ubuntu のせいじゃなくてハードウェアだったっぽいな。
ムスメは託児所で紙製の財布を作ったようだ。 それを片手に持ち、 もう片手に鞄を持って帰途に就いた。 暫く歩いてその状態が邪魔だと気付き、 自分で鞄に財布をしまった。 知恵ついてきたなあ。
ムスメ発熱、39.6℃。 知恵熱というやつだろうか。
『まんがサイエンス』など、ムスメに読ませたい本も スキャンすることにした。 ムスメが読めるようになるのもあと 5〜6年くらいかかるだろうし、 そのころには電子ブックリーダがもっと普及し、 当たり前になっているだろう。
某コンサートのチケット購入。 効率化されていないのは、本気度をはかるフィルタになっているのだと思う。
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