実家でお正月。 将棋はやはり負け。 なかなか勝てません。
義実家へごー。
義父、義弟と交代しながら Wii sports のボクシング。 私がやっている姿を見たヨメが「ボクシングじゃなくて中国拳法みたい」と言った。 うむ。 あまり真面目にはやってなかったが、 私は実際に中国拳法を学んだ時期があって、 その影響は普通の人に「中国拳法っぽい」と思わせる程度には残っているということだろう。 実際中国拳法は、西洋的なスポーツしかして来なかった私に、 異なった種類の運動の仕組みを気付かせてくれた。
パーティゲームをするとき、ヨメは義父や義弟を応援することが多い。 ……寂しくなんかないよ!
ムスメにも徐々に自我が芽生えてきたようで、何かを促しても「やいやい」と言ってやってくれないことがでてきた。 たとえば風呂に入れたいのに風呂に「やいやい」と言って風呂に行ってくれないとか、実家に行きたいのに別のことをしたがっているとか。 そういう時に無理矢理抱き上げて強制実行するより、出来るだけ「より楽しい何か」で促すようにしている。 たとえば、「お風呂クラゲとブクブクあそびできるよ」とか、「ばーばの家でアワアワ(Windows7 のスクリーンセーバー)見にいこう」とか。 勿論これで動かないことも多々ある。 公園のブランコは何を提示してもとにかく動かないとか、公園から歩いて帰ろうとしてもまた戻ろうとするとか。 こういう風にできないことも多いけど、基本方針としてはこれで良いだろう。
ムスメの背が高くなってきたので、浴槽の中で立ってしまうと上半身が冷える。 だから肩まで漬からせたいが、肩を押さえつけて無理矢理言うこと聞かせるのも可哀想だ。 そういうときにタオルでクラゲを作ってブクブク遊びをする。 浴槽の底の方にクラゲを持っていくとムスメがそれを潰そうと屈み込むので自然と肩まで漬かるという仕組み。
ムスメは母親、祖父母それぞれを「かっちゃ」「じーじー」「ばっちゃ」と言えるようになったが、「とうちゃん」系は言えない。 これはたぶん、父親への愛情が薄いとか家庭内で誰も「お父さん」という単語が使われてないとかいうことではない。 きっと。 ムスメを「とわちゃん」と呼んでいるので、これが「とうちゃん」と発音上の区別がしづらいからだと思う。 うん、そうだよ。 明らかだね! あと a, i 音に比べて o 音の発音が難しいのかもしれない。
靴のことを「くっく」と言うようになった。 これからどんどん単語を覚えていくのだろう。
台車を押したそうにしていたので押させてみたら、 前輪だけ方向の変わる台車なのに案外上手く操作した。 普段買い物用のパイプ製キャリーを玩具にしているからかもしれないとヨメの言。
義実家から帰宅の後、 実家に挨拶と届け物と年賀状の確認、返礼の作成、 同窓クラス会の人数追加関係の手続き、ムスメを風呂に入れるなど、大童。
同窓クラス会。 割引券を入手するツテがある関係でがんこを選ぶことが多く、今年もがんこ。 一昨年に同窓クラス会で行ったオカマとオナベの店を、 彼らが「あの店は美味かったし、なかなか面白かった」と覚えていてくれたのがちょっと嬉しかった。 二次会としてそこに行ってみたのだが、店の中身が別のものに変わっていた。 少し残念。 (後日知ったが、京橋あたりに移転したらしい。)
「尊敬する漫画家は?」と質問される場合、必ず「手塚先生(手塚治虫)と藤本君(藤子・F・不二雄)です」と答えている。特に元相棒の藤子・F・不二雄に対する想いは誰よりも強いようで、ことあるごとに「藤本君は天才だ」「彼がいなければ僕は漫画家にはならなかったと思う」と力説している。 ( Wikipedia 藤子不二雄 A )
尊敬すべき人をライバルとし、また一緒に仕事できたなんて、なんて幸せな人なんだろう。
「京都三条糸屋の娘 姉は十八妹は十五 諸国大名弓矢で殺す 糸屋の娘は目で殺す」というのが、 文章の「起承転結」を説明する際によく使われるらしい。 ( Wikipedia 平賀源内 ) 結はオチをつける事のではなく、異なる2つの事象を結ぶという事だったのか。
ウチのドア錠は、外から回すとどう回してもカチャンと音がなる。 これはたぶん防犯上の理由で、泥棒が開錠する事に対して心理的な抵抗を与える為だろう。 さて、ムスメとヨメの寝室がドアの近くなので、彼女らが寝ているときはドアの開閉にも気をつけるべきなのだが、どうしても音がなる。 できるだけそれを抑えるように入らなければならない。 普段でも常にその可能性を考えてできるだけ音がしないように開閉しているが、中にいるヨメが外から帰ってきた私にムスメが寝ている事を伝えるために、ヨメが作った貼り紙を使っていた。 でもテープで貼る仕組みは粘着力が弱まったりして定期的に交換せんならん。 ということでマグネットシートで簡単にペタリと貼れるモノを作った。 マグネットシートはポストに投函されていた水道トラブル対応の広告のものを使った。 余っている無地シールに絵を描き、シートと同サイズに切り抜いて貼る。 このままだとシール部分が触れることで汚れるので、クリアフォルダの余りをやはり同サイズに切り取ってその上からセロテープで止めた。 また、めくり易いようにフチにセロテープでツマミ部分を作った。 良い工作と自画自賛。
ムスメと枕投げ。 勿論投げるというより渡す・落とすに近い感じだが。
ジャグリング。 私は正直上手くないが、3つのモノでたまに10回くらい続けることができる程度の能力。 それでもムスメが声をあげて喜ぶ。 ジャグリングで上手く行っている時ではなく、失敗して落とした瞬間が、ムスメにとって最も激しい喜びポイントのようだ。
年末の餅搗きの時、米蒸しかまどの煙突で左腕を火傷した。 その場には医者が何人かいて、さっと軟膏を塗り、痛み止めと化膿止めの薬を出してくれた。 そして「ラップでも巻いとき」と言われた。 うむ、湿潤療法という奴だな。 乾燥させるとカサブタがヒビ割れ痛むところだが、湿らせた状態で保持すると殆ど痛みがない。 細胞の活動は湿っている方が活発化する筈なので、湿潤療法は理に適っている。 ではなぜ人類の歴史の中で「傷は乾かした方が良い」という方法が取られ続けてきたのか。 これは多分、菌の繁殖とかそういうのの問題だと思う。 たとえば昔は良い消毒薬がなかった。 良い保護フィルムもなかった。 栄養状態が悪く、免疫機能も弱かった。 そのような条件の下、傷を湿潤状態で置いておくと雑菌が繁殖し易く、その菌が破傷風などの致命的な悪影響を及ぼしかねない。 人体にとって特に怖いのは嫌気性の細菌で、こいつらに対して空気中の酸素はそのままで殺菌剤として機能する。 ということで乾かした方が治りは遅いし痕は残るが、安全ということだったのだと思う。 本物の湿潤療法は、厳密には消毒薬を使わないらしいが、そこまで厳密にやらんでいいと思う。 要は細胞の再生能力と自身の免疫と雑菌繁殖の兼ね合いなので、 「常に細胞の再生能力最優先」がその最適解になるとは限らないだろう。 2つの観点を両方持ってバランスを適当に調整するのが合理的だと思う。 ラップを巻いていると周囲が痒くなってたまに乾かしたくなる。 こういう時も我慢せずに適宜乾かしてやった方が、酸素の殺菌力で変な菌を殺すタイミングになって良いのではなかろうか。
年賀状を出してない人から届いたら、返礼を出す必要がある。 勿論、早い方が好ましい。 朝ポストを見て届いていたら、すぐに返事を書いて出したい。 そのタイミングを逃がすとまた翌日になってしまう。
そろそろ馬力かけんと。
また家 PC が止まった。 何なんだろうな。
ヨメの体調が戻らず、風呂に入れないので帰って風呂に入れる。 ちと馬力かけて仕事やりたいが、外泊はまずいかな。
プログラミングが難しいと感じるときは、 おそらく問題の切り分けがうまくいっていないとき。
テストプログラムを作成するという事は仕様を定める事とほぼ同義になる。 そして仕様は外側のインターフェイスだけ定まっていれば、内部処理についてはそれほど細かく問われない。 外側とのインターフェイスである public メソッドについてテストプログラムを作成すべきだが、内部だけに使われる private メソッドは本来テストプログラムを作成しない。 実際 Ruby の Test::Unit では private メソッドはテストできない。 しかしプログラム開発時点においては、private メソッドを public スペースに置いてテストを作成することは一考に値する。 原因不明のバグが出ている時は大抵データの中身が不透明な場合であり、節目節目で動作を完全にすることは大変重要なことなので、その目的にテストは有効だ。 テストが終わってメソッドを private に設定した時点で該当のテストをコメントアウトすれば良い。
ムスメは積み木を積んで遊ぶことを覚えた。 崩れる瞬間がどうやら一番楽しいようだ。 せっかくなので、今積んでいるブロックの数を「いーち、にー、さーん」と声に出して数えてやり、数を教えてみている。 着替えのときも「右手ー、左手ー、左足ー、右足ー」とか言って、右と左を覚えさせようとしている。
部屋の暖房。 エアコンは機体のサイズがデカいので感覚的に消費エネルギーが大きいような気がして床置きの暖房器具を使ってしまったりしていたが、これは考え直した方が良い。 全てのエネルギーは最終的に熱に変わるわけで、電気器具で消費された電力は全て熱に変わる。 その意味ではどの暖房器具を使ってもいいわけだが、エアコンはヒートポンプとして外気の熱を室内に汲み入れることができるため、投入エネルギーに対して室内に放出される熱量が大きくなる。 うん、これからはエアコンを使う方に少しシフトしよう。
2回生のころに寮で同室だった奴にばったり会った。 聞けば河合塾の講師をしているそうだ。
『くぼたのたんぼ』。 稲は連作障害がないということを雑草学の大家に聞いたことがあるが、 水田のシステムがすごいということか。 まあ日本や海沿いのアジアのように水が潤沢にある環境だからできることかもしれん。 秋に稲を刈ったまま切り株を残して冬を越えるのは、 根による複合材料っぽくすることで強固にし、土壌の流出を抑える効果があるのか。
一日ムスメの世話。 ムスメが寝た時間に少々プログラミングだが、これでは時間が足りん。 明日は職場に行かせてもらうことにしよう。
下手なのは問題ではない。 ただそれがコンプレックスなんだったら上手くなるように努力すれば良い。 ……と思ってしまうが、これは努力が苦にならないタイプの人間だから言えることなのかもしれない。
Bライフ研究所。 寮生にいそうだな、こういうの。 こういう穴蔵生活っぽいものに対する憧れもなくはないが、実際やるとなるとすげー大変だろうな。
住吉大社に行くプランは、寒さが厳しく、祝日ということで人が多そうだということで急遽中止。 メッセンジャーはただ仲介しているだけなのに、責任や不満を真っ先にぶつけれられる。 まあそういう役回りなのだと諦めるしかない。
自分が予定を変更されることを嫌うのなら、他人の予定を左右するようなことをいきなり言うのは避けるべきだと思う。
「なんで」という質問は、本当にその理由を聞きたいという側面と同時に、相手に対する非難の色を持つことがある。 休日に「職場に行くことにする」と言うとただ「そう」と返され、「やっぱり行かないことにする」と言うと「なんで」と返されるのはそういうことなんだろうか。 もし仮にそうだったとしても、家にいるダンナは邪魔者扱いというのは日本の家庭の典型の一つなので、よくあることとは言える。
マンションの集会室の片隅に住人が持ち寄った遊具が置いてあったりする。 適当に箱に詰められているのだが、これらを整理している間に片付け魂に火がついた。 規格の違うブロックをそれぞれ分離して大きな塊に組み上げ、壊れた紙製の玩具をゴミ箱に入れ、タイルやボーリングピンのようなグループになるものを紙袋に分類した。 そうこうしている間にムスメが一人ですべり台に上って滑っていて、自分でびっくりしていた。 ムスメすげーな。 そして自分の目が少し離れていたことを反省。
家で三角形の積み木で斜面を作って「すべり台」と言ってやると、ムスメはその上に乗ろうとする。
ヨメの体調は完調には遠く、湯船に漬かれない。 湯船に漬かるのが私とムスメだけなので、湯船の自動給湯の設定値を下げてみた。 最小の設定にすると、私が一緒に入って水位が上がったところで丁度ムスメが湯船の底に座れる感じになる。 中途半端な高さだとムスメが立ってしまって肩が冷えるので、このくらいが良いように思う。
オタフクお好み焼きソースはぼんやりした印象の味で私はイマイチ好きになれない。 私の実家では、お好み焼きはソースをかけずプレーンな状態でテーブルに出しておいて、 各自がマヨネーズ・ケチャップ・ウスターソースで好みに合わせて適当に味付けという方式だった。 私はこれらの調味料を使う事を押し付けない。 オタフクソースが好きな人はそれを使うのが良い。 好みは人それぞれで、どれも絶対的な正義ではありえないから。 だからできれば各自で味付けということにしたい。 以前ヨメは私の実家の味を覚えてくるとか言っていたが、一番基礎的なところに気付かなかったようだ。
プログラミングをゴリゴリと。 どういうライブラリをどういう名前でどういう仕様で作って、というコツを少し掴めて来た気がする。
洗濯済の洗濯物を洗濯機から洗濯籠に移す。 洗濯漕の中でもつれて絡み合っている洗濯物をまとめてがっさり引き抜いて、 ベランダで実際に干す段階で絡み合った洗濯物をほぐしてから干す。 このやり方だとほぐし損なって地面に洗濯物を落とさないように気を使わなくてはならなかった。 ふと思い付いて、洗濯機から取り出すところで絡み合いをほぐして、一つずつカゴに入れるようにしてみた。 寒いベランダでの作業が短くなり、地面に落とす心配が減った。
川面を云々というアニメ。 不愉快な気分になれる。 自分の血を受けた子供でないことを知らない夫が可哀想。 夫が彼女に興味を失くしたとあるが、これもそもそも彼女が夫に興味を持っておらず共通の話題とか作る努力してなかったからという可能性もあるな。 夫側の描写がないのでよくわからんが。
研究で使用するプログラムは、取り敢えずの自分の用途には足るまで作ったのだが、これをもう少し拡張してキリの良いところまでやらないと、これを使用する人に渡せないな。
ブレットボード用の配線は購入した被覆銅線を使っていたが、 これお菓子の包装に使うカットワイヤーで代用できるな。 というか、ラインが強靭なのでより使い易い。 まあ本物の導線に比べて抵抗が高いとかあるかもしれんが。 実際、大分減った電池を使い切る為の短絡回路を構成したとき、この配線の箇所で強く発熱した。 まあ使い方に気を付ければあまり問題にはならないだろう。 あと昔懐かしのエナメル線が便利かもしれん。 エナメル線はエナメルをしっかり剥がすのが肝要だな。 紙やすりが必要だ。
ヨメが土曜日も仕事に出ることになりそう。 私はヨメがやりたいことを応援する。 自分がやりたいことのために他人に負担をかけるな、などと言う人もいるが、 個々人が本来やりたいことを実現するために助け合うのが理想だと私は思う。
ムスメ用と書いてある豆乳は私が飲んでも良いのだろうか? わざわざ書いてあるということは避けた方が良いのだろうな。
研究。 援用プログラムを作りながら、少しずつ進む。
さむいなー。
センター試験関係業務。 試験監督だったら読み物とかできないが、 空き時間にモノを読める業務なのでそこでクラスター展開の資料を読み、だいたい理解できた。
さらにさむいなー。 昨日は曇りだったのに対して今日は晴れていたので気分は良いがそのためもあって寒い。 風も強い。
今日もセンター試験関係業務。 今年の卒論で見てる学生の処理能力があまり高くないので土日休んでる場合じゃないとメールでハッパかけたいが、その暇がない。
private メソッドのテストをどうするかという問題で少し頭を悩ませていたが、 本体で private になっているものを public 指定したりすれば良いのか。 あと test スクリプト内でゲッターメソッドを作るという技もあるな。
6:00前起き、ほぼ野外立ちづくめの労働環境で11時間を 2日連続で、前後の平日もいつも通りに仕事。 肉体的に結構ハードだったので実際にかなり疲弊しているのだが、他人には「こいつは酒飲んで眠いだけだ」と思われても仕方ないか。
センター試験がおわってほっとした。 10時間寝た。
少し熱っぽい気がする。 帰ったら体温測ろう。
美味い味噌が尽きて、また美味くない味噌になった。 味噌汁の味の基本は味噌なので、早く美味い味噌に戻って欲しい。
挨拶は別にしなきゃいけんというわけでもないのだが、 その効用を定量的に評価すると支払うべきコストだということが分かる。 そういう定量評価を意識的にしなくても、社会に出れば感覚的に分かるものではあるが。
京都出張。 出張先が高野近辺で、宿泊先が寮。 「メシどうすっかなー」と歩きながら高野に出たところで天々有(ラーメン屋)があるじゃないかと思い立った。 で高野の交差点から北上したが、歩くと結構あるのな。 京都にいたころは大抵車で行ってたから徒歩での距離感がよく分かってなかった。 で、着いてみたら 19:00 開店で 1時間近くありやがんの。 仕方ないのでバスで寮まで移動。 寮では「宿泊パックを使用されたことはありますか?」と聞かれたので、「元寮生です」と答えた。 「メシどうすっかなー」問題はそっくりそのまま残っていたが、最終的には「そうだ、末広食堂(名前完全に忘れていた)があったじゃないか」と。
「流れる水は腐らない」とかいうのは、水の動きのために酸素が水中に取り込まれ、その酸素が嫌気性細菌なんかを殺菌するためかもなー。
寮で泊まるとコタツ寝になるので少し体に負担がかかる。
出張の仕事は 13:00 ころに終了。 まっすぐ帰れば 15:00 ころに帰宅できる事になるが、 今日はヨメ出勤でベビーシッターさんがムスメと家に居る日なので、すぐには帰宅せず寮で時間を潰す。 19:00 に梅田に着くように移動して、英語とプログラミングの勉強会。
帰宅は 24:00 前。
7.5時間睡眠。
本当はこの辺で研究室泊を入れてゴリゴリ仕事したかったが、 私がムスメを風呂に入れた方が良いように思うので帰ることにする。 つか私自身の体力が戻り切ってもいないので、そういう意味でも帰って寝た方が良いだろう。
9時間睡眠。 ほぼ回復。
ヨメは体調が悪く、行く予定だった勉強会も行けなかった。 私は予定通り家にいてムスメと一緒に遊んでいたが、 その間4時間ほどヨメはぐっすり。 少しは役に立てたと思う。
学生の連絡次第では大学に行く必要が生じうる。 しかし変に可能性を提示するとヨメの頭がショート寸前になって「はよいけモード」になってしまう可能性があるので、 本当に行く必要があると確定するまで余計なことは言わない方針で。
人に仕事をさせることになる時は、先にその人に都合を聞いておくべきだ。 その辺の根回しは社会に出て少し経てば身に着く筈のものではある。
ムスメ用と書いてある豆乳を飲んではいけない理由は、 買ってくるのが重いからとのこと。 私にとって豆乳と牛乳はそれぞれ代替的に消費される。 一日に摂取する水分量がほぼ一定なので、 豆乳を飲めば飲む分だけ牛乳を飲まずに済むことになる。 特に、現状では私が飲む分の牛乳もヨメが買ってきてくれてるので、 結局ヨメの買い物の重さは変わらない。 現状のシステムでは豆乳を飲まないようにしたところで、 牛乳も私が飲む分を分けて私が買うようにしないとヨメの負担は軽減されない。 中途半端で無意味なシステムに見える。 つか牛乳も豆乳も卵もその他も、私が仕事帰りにスーパー寄って買ってくるくらいはやるのになあ。 開封されているのは常に1つにしておき、開封している期間が短いうちに回転早く消費した方が俺にとってもムスメにとっても新鮮なものが飲めて良いのではなかろうか。 まあこだわるほどのことではなく、私は楽させてもらっているのでこれでも良いのだが。
まあ朝三つ暮四つにするか、朝四つ暮三つにするか。 本質的に支払うコストに差がなく、構成員全体の満足度に差があるのならば、効果が高い方を選ぶべきだ。 あの故事成語には、このような心構えを為政者に説くものという解釈も導くこともできるな。
赤塚不二夫展。 ヨメは体調が悪かったので結局一人で。 それで正解だった。 最後の日曜日なので人出が多く、ムスメを連れて歩くのは難しかっただろう。 やはり彼は天才だねえ。 昔実家に何冊かにあった天才バカボンを思い出したり。 順路後半に等身大のキャラクターPOP がずらっと通路の左右に並んでいるので少しうるっと来た。 赤塚不二夫個人の素晴らしさではなく、展覧会としてのファインプレーだと思う。
小腹おさえにマクドのハンバーガー。 クレジットカードのポイントでゲットしたマクドの金券カード(500円)で 100円分使用。 カードに磁気的に残金を記録するのかと思ったら、レジで 400円のお釣りをくれた。 とすれば、これ換金率いいな。 500円×8枚あるので、800円分使って 3200円の現金になる。
おじゃる丸の住んでる町が月光町というらしいのだが、 アニメでその単語が出てくるたびに「月光蝶である!」とつい呟いてしまう。
『レベル7』(宮部みゆき)読了。 面白いなあ。 上手いと思ったのは、不愉快なオバサン(みさおの母親)の配置。 この人がいるおかげでともすれば退屈になってしまいそうな真行寺ルートの話にピリッとスパイスが効いて、ワクワクして読めた。 エンターテインメントとして実に適切だ。 私のようなヌルい凡人にはこのような不愉快な人間をリアルに描くことができない。 きっと、どこかで世界を理想化してしまう癖があるのだろう。 ちょっと飛ばし気味に読んだので、読み飛ばした箇所を探すように二度目の飛ばし読み開始。
年度末に向けて予算残額で買えるものを買うべく物品選定と発注。 昔は単年度会計が無駄遣いするようで嫌いだったけど (cf. きづき 2008年03月14日)、 たぶんこうやって無理にでも金を使うようにしむけた方が社会全体の経済活動的に見て有益なんだと思うようになった。
少し前は、友人とリアルで会えば愚痴ばかり言って心配かけてましたが、 最近ようやく、本当に幸せになれたような気がします。 ご心配おかけしました。 コンゴトモヨロシク。
ムスメを風呂に入れる時、英語の歌を歌う。 自分の発音の練習にもなるし、ムスメの耳トレになっている可能性がある。 発音を省略しないようにゆっくりと歌い、特に R・L の違い、s・sh・θ の違いなどに注意して発音しているつもり。 歌える曲数は多くはなく、全部覚えてるのは一つとしてないが、まあつぎはぎでもいいじゃないか。 とりあえず、以下の曲をよく歌う。
日記 8〜9月分をアップ。 追い付くまであと約 4ヶ月分。
日記システムを更新して、古すぎるのとかを非公開とかしたいが、 なかなか日記が追い付かずそのタイミングがつかめない。
再帰を含む少しややこしいプログラミング。 クラスが他のクラスのインスタンスをやりとりするのは悪だな。 とりあえず、インターフェイスは組込みのみでやるように徹底した方が良さそうだ。 だが怖いのは速度。 再帰を使うので重い処理になることが予想される。
年賀状のお年玉番号チェック。 普通の番号通りの昇順ソートではなく、末尾の桁から優先してソートしておくと便利。
睡眠が足りないと体を壊す。 寝坊するって事は体が睡眠を欲してるということだ。 特に予定がないようならば、私は相手の体のことを思って自分で起きるのに任せる。
ふと二郎系列ラーメン屋の『夢を語れ』が京都でどの辺に在るのかを検索してみて、 天天有の隣であることを知った。 先週京都に行ったとき、その隣まで行ってたじゃん、俺。
最近は寝付きのときに、少しプログラミングのことを考える。 思考が上手い具合にループしてよく寝付ける。 もし凄いアイデアを思い付いたとしても、無視して寝ようとするのが大事。 忘れてもまた思い付けるさ。
にんにくスープ。
『君の届け』。 作者若いんだろうなあ。 人物描写に「こんな奴いねえよ」と思ってしまう場面がしばしば。 特に男の子の描写が年頃の女の子から見た理想化された世界の住人のように見える。 ストーリーとして落ち着くところが見え見えなので一生懸命見なくても良く、しかし邪魔にならない程度の品質はある。 「ながら見」に適した、実に適度の「どうでもいい感」。
PiTaPa のラリー。 期間が2ヶ月と長く、チェックポイントが全て通勤路上もしくはほとんどロスなく辿れるところだったので、時間いっぱいかけて無理なく踏破。 賞品がパズルなので、ひょっとしたらムスメの良い玩具になるかもと思っていたのだが、ピースが思ったより小さかった。 これ間違ってピースを食べたりしてしまわないだろうか。 ともあれ、ぴたぽん可愛いよぴたぽん。
『メタプログラミングRuby』 の読書会。 メソッドの動的定義とかなかなか面白い。
夕食食うのが母と私だけだったので焼き肉でも行くか、という話もあったのだが、結局鍋の新作を試すことになった。 ふだん作っているゴマダレに黒酢、ゴマ油、刻みニラ、おろし生姜、醤油を各自適当にトッピングしたものをタレとする。 具材は豆もやし、豆苗、大根をピーラーできしめん状にしたもの、豚肉。 完全新作というより普段鍋のアレンジ的な感じだったが、十分に美味かった。
なお、我が家のゴマダレの作り方(5人分)。
このレシピは昔父が同僚から作り方を聞いたものを、少しアレンジして私が受け継いでいるもの。 擦り切りではなく山盛りでやってる。 元々のレシピでは唐辛子と水を入れて仕上げるレシピだったが、 我が家では各自の小鉢で適当に調整するということでそこは省略している。
昔作った、結晶構造を povray に落とし込むプログラムを拡張しようと思うのだが、 我ながらわけわかめな仕様になっている。 さあ、リファクタリングの時間だ。
プログラマに伝わる箴言に以下がある。 「3日前のソースは他人のソース」、「他人のソースは汚い」。 これらから「3日前のソースは汚い」ということが帰結される。 しかしまあ自分のコードが汚いと感じられるということは、 その間に自分が成長しているということだ。
最新日記の各日付が当該月の日記へのリンクになっています。 さらに過去のものはトップページから辿れます。