ヨメより早く目が覚めたので朝食を作ってみた。 目玉焼き、生レタス、茄子の味噌汁。 ダシ入りと銘打って売ってる味噌で美味いのはほとんどないように思う。
小学校低学年の頃、どこでもそうであるように、カンチョウとかが流行った。 その頃潮の満ち干を知り、干潮の反対が満潮だと知った。 さて、後ろからの攻撃はカンチョウなので前からの攻撃は……、など小学生っぽいバカなことを言っていた。 それを聞いた当時の父と母は実に微妙な表情をしていたが、その表情の理由が当時は分からなかった。 私はまだ秘密の花園の存在すら知らなかった。
のじり経由で 『中国嫁日記』。 異常に可愛いな。
良い椅子は一つ買っても良いと思う。 一生のうちに何度も買い替えるものでもないし、布団ほどではないが一生の時間の結構な比率をその上で過ごすことになるから。 とはいえ、ラクな椅子は体に対する負荷がなさすぎて結局体を甘やかせて筋力等が衰えてしまうのではないかとも思う。 まあ杞憂だろうが。 ともあれ、座ってガタガタ音がしない椅子は買っても良かろう。 でも椅子ってどうやって探すんだろうな。 地道にデパートとかで座ってみるのだろうか。
作ったプログラムには、ドキュメントをきっちり作っておかんとあかんなあ。 あとテスト環境もきっちり用意してあると修正作業を不安なく行える。
英会話学校のハロウィンパーティに出ることにした。 3650円/2時間。 普段のレッスンが 7000円/40分間なので、 英語を使わなければならない環境がこの程度の値段で買えるのなら安いもんだろう。 家族も参加 OK ということだが、幼児の参加は困難とのことなので難しいか。
じゃがいも、なす、ベーコンを炒めて上からとろけるチーズ。 バジリコをパラパラ。 あと味噌汁と生レタス。
安野光雅の展覧会。 細かいところまで見て理解し記憶するというよりも、 心の窓を開けて心に響かせるという感じの見方を心掛けてみた。
阿修羅像の絵は2つあったが、そのうちの背景が黒い方の絵に引き込まれた。 繪本 平家物語も良かった。 奈良炎上の炎の描写とか、那須与一の波の描写とか、倶梨迦羅落(くりからおとし) の一人一人の表情だとか。 遠近法を使わず、平行線はどこまでも平行という方法で描いているものがある。 これはカメラを無限遠に置いており、受ける印象としても距離をおいて客観的に見ているように感じさせる効果がある。
風景画についての文章で、「きれいに描けてしまうと何だか物足りず、色々試行錯誤したあとがないと完成した気がしない。」という趣旨のことを書いていて、実にこの人っぽいなあと思った。
『あいうえおの本』『壺の中』を購入。 『繪本 平家物語』はかなり迷ったが止めておいた。 縁があればまた買えるさ。
会場までは地下鉄で何駅もないし貧乏性も手伝って徒歩で。 展覧会が終わった時にはかなりざぁざぁ降りになっていた。 さて、今日行きたいところはあと日本橋のシリコンハウスと心斎橋の東急ハンズ。 「雨の中歩くのやだなあ」と迷いつつも、日本橋まで歩いて白・青色 LED、スイッチ付き単3電池ケースなどの電子工作部品を購入。 東急ハンズはまた機会があるだろう。 古本屋も余裕があれば行きたかったがパス。 ということでそこからの帰りは電車。
「〜〜すべき」と「〜〜しなければならない」の区別がついてない人も多い。
やばい。 かなり切羽つまってきた。
make の代替となりうる Ruby で書かれたビルドツール rake コマンドをちょっと時間とって勉強。 make で物足りなく思っていたこととか、最近プログラム開発でどうすんだろとか欲しいと思っていた機能がちゃんと入ってた。
英会話のレッスン最終日。 カウンセラーなんかはコース終了後も継続するように進めていたが、 それはもちろん彼らの仕事だからだ。 私としては英語を使う機会が定期的に得られるのは有り難いが、ここで一度休憩を入れたい。 休憩といっても本当に休むのではない。 これまでに受けた指摘をノートにまとめ直し、反復練習し、NHK の教材とかを使って自習する期間を設けるということ。 一歩立ち止まってそういう熟成期間を設けた方が学習の効果が高いと判断した。 勿論金をケチるという意味合いもあるが、金の問題を度外視してもその方が効果が高いと踏んだ。 英会話学校はコース継続だと少し安くなると言っていたが、でもそれは政府補助金と比べたら微々たる額だ。
ネイティブスピーカーと対話するというのは刺激としてはとても良いが、それはカンフル的な用法で十分だろう。 また、ある意味やや強すぎる刺激なので、ずっと続けていると疲弊する。 鉄は打てば強くなるが、ただ叩くだけではいけない。 時に休ませ、熱を補い、鋼を折り込み、そしてまた叩くという作業を適切に行わなければダメだ。
英語の勉強にかかるお金はある程度使って良いとヨメも言ってくれているので、また近い将来英会話学校にお世話になることもあるだろう。 次に行く時がある程度決まっていた方が自習のペースも決め易いかもしれん。 まあ大雑把な目安として、2年後くらいに一度検討するつもりでいよう。
ハチミツが常温で腐らないのはジャムが本来保存食なのと同じ理由だろう。 水分に比して糖分が多すぎると細菌が繁殖できない。 たぶん水の取り合いで細菌が砂糖に負けるのだろう。 だからハチミツは常温で保存できるし、逆に冷蔵庫に入れてしまうと糖分が結晶化してしまって食感が悪くなる。
お金という物はつきつめると、他人を働かすことができる量といえる。 我々現代人の大半が労働し、その一部を老後に備えて貯蓄している。 ここで思考実験として、 「社会の全員が老後に備えて万全の貯蓄をした上で消費する」という状態を考えてみる。 その場合、それ以上の労働は余剰を生むためのものであるため、 切羽詰まって労働する人はいなくなる。 労働力の供給が減り、対して需要過多によって労働の単価が上がり、 それが物価に反映されてそれまで貯蓄していた人の実質資産の価値が下がる。 何人かは、「万全の貯蓄」のラインから転落することになるだろう。 よって社会の全員の老後の備えが万全になるということはありえない。 「老後の備えが万全になる」というのは、 あくまで資金量や年齢の格差によって「一部の人の備えが万全になる」ということだ。
さて、全員が万全に備えられる状態にはなりえないのだが、 それでも個々人は自分だけは万全にしようと貯蓄をする。 様々な不確定要素が絡むため、万全には決してならないが、それでも貯蓄しようとする。 景気を回復させるには人々がお金を使わなければならないのだが、 個々人としては備えようとせざるを得ない。 というか、我々はそのように躾けられて育って来たわけだからな。 無駄遣いするな、と。
考えてみれば老後の分まで貯蓄できるということがここ100年くらいの出来事。 そもそも貨幣が発明されるまでは年単位の貯蓄という概念すらほとんどなかっただろう。 こんなことを考えた。
超大陸がなぜ存在しえたのか、不思議だった。 地表に起伏があり、そこに適当な量の水があれば一部は海になり一部が陸地になる。 それは分かる。 しかし地表の起伏の高い部分が地球上の一部の地域に偏ったとする。 すると地球の重心はその地域の方に偏って、 その分海はその地域を覆うようになる筈。 結果超大陸の一部は海の底ということになるのではないか?
さて、地球の内部構造には核、マントル、地殻とある。 そのそれぞれで比重が異なり、地殻やマントルの厚さが場所によって異なるらしいということを最近知った。 ということは、マントルが薄く、地殻が分厚い場所では同じ重力に対して地表の高さが高くなりうる。 ということで、超大陸では地殻の分厚い部分が地球上の特定の地域に偏っていたということで理屈がとりあえずつけられそうだ。
英語は 週3時間程度は勉強する時間を取らんとなあ。
ねみい。
rake に続いて、yaml を勉強。 以前、Line Separated Values という CSV を模したデータ構造を自分で勝手に考えて、その簡易パーサを作ったことがあるが、 これを廃棄して全体的に yaml を利用する方針を取ることにした。 フォーマットを策定して、パーサを本格的に作るというのはそれはもう大変な作業なので、私なんかがやるべき仕事じゃない。
レーザーの基本的な仕組みはなんとなく知っていたが、ようやく飲み込めた気がする。
ごりごり Ruby プログラミング。 開発手法がだいたいつかめた。
~/src 以下を bin と lib に分けるという方針を取ろうとしていたが、これはやっぱりよくない。 1つのディレクトリで3つ程度にしか分割できないというのは分割効率がよくない。 また昔は何でもかんでも1つのファイルに複数のクラス定義とか平気でやっていたが、今はもう少し進んで使うクラス毎にファイルを分けている。 クラス定義しか書いてないファイルはライブラリなので 1つのプロジェクトの中にライブラリとクラスが入ることになり、 そうすると ~/src/bin/foo/{bin,lib} とか整合性が取りにくい。 しかも foo を ~/src/{bin,lib} のどちらに入れたか分かりにくくなる。 ~/src 直下にプロジェクトを意味するディレクトリを作り、その中で bin, lib を分けるべきだ。
foo.rb というプログラムを開発するときは、以下のようなディレクトリ構成にする。
実行ファイル bin/foo.rb は入力インターフェイスとして、 、オプション解析やファイル名などをそこで解釈して扱い易いデータ型にし、 処理の本体は lib/Foo/Foo.rb で行う。 こうしておくことで大部分をユニットテストでカバーできる。 Ruby はユニットテストが強力なので、これをできるだけ使うようにする。 ~/src/Foo/Rakefile を用意し、テスト、インストールは rake を使用する。 エンドユーザとしてのインストール先は ~/bin/, ~/lib/Foo/ が適当だろう。 ライブラリ開発を ~/src/Foo/lib/ ではなく ~/src/Foo/lib/Foo で行うのは、rake test でのテスト時とインストール後でライブラリパスを揃えるため。 ライブラリを作成する時には、 Bar クラスについてはまず lib/Foo/Bar.rb を作成し、インターフェイスとなるメソッド名を全て決める。 中身を作る前に必要なユニットテストを考え、test/test_Bar.rb にテストケースを全て書き出しておく。 この形式に従った処理をする Rakefile を一度書いておけば、 他のプロジェクトを作るときでもほとんどそのまま流用できるだろう。
よく「人に名前を聞くときは自分から名乗るのが礼儀」と言うことを聞くが、 「私の名前は〜〜というのだけれど」と切り出すのはなんか変な気がする。
ある機能を実現するときに、どういう仕組みでそれを実現すべきか? Ruby のモジュールという考え方が随分理解できてきた。 何でもかんでもクラスでやるよりも、モジュールを使った方が良いことが多い。 最近作ったプログラムにもモジュールにかえた方が良さそうなのが何個かある。
私にはプログラミングの素質があるなどと自惚れていたが、そうではなかったと初めて自覚した。 単にプログラミングが好きだから、仕事として、また生活の時間に食い込んでも苦ではないため、とにかく莫大な時間をかけて1つのものを作っているだけなんだ。 もっと真面目に勉強しなければ。
プログラミングで煮詰まる時というのは大抵コンピュータの中の状態が見えない時なので、そういうときは見えるようにすることを集中して考えるべきだ。 可視化のための関数を作るとか、開発環境を使うとか、その手段は色々あるが持てるあらゆる方法を駆使してそのことだけを考える。 場当たり的に「あれをいじって、これをいじって」とやってみたところで上手くいく可能性は低い。
大きなプログラムを作る場合には 土台をしっかりさせておかなければならない。 しかし私にはその実力が足りない。 自分に見合わないサイズのプログラムは後回しにして 見合うサイズのプログラムで鍛錬を重ねるべきなんだろう。 また、プログラムを作って最適化するために多大なコストをかけてはいけない。 そのプログラムを作るために許容できる時間というものを先に決めておき、それを越えるようならやめるべきだろう。
かなり頑張った。 眠い。
『漢学と洋学』という本。 身内の書いた本ということで貰ったのだが、なかなか興味深かった。 一番印象深かったのは、 漢学においては学問とは古代の聖人に近付くための行動で、 洋学においては人類の知の限界を広げるための行動であるということ。 すなわち、知の極限の在るべき場所がそれぞれ太古と未来というのがそれぞれの端的な差異ということ。
lang-8 という SNS を知った。
アルコールで顔が赤くなる人は、掌も真っ赤になるようだ。
今日大学に行かざるを得なくなったのは、無理に プログラム開発に拘泥したからだ。
ムスメ発熱。
ムスメの玩具に PC 用キーボードの話。 Happy Hacking Keyboard Lite2 をエタノール消毒して、ムスメに遊ばせたりしている。 しかしケーブルがムスメの首に巻き付かないか不安があるため、 親の目の届く時だけ使わせたりしている。 一噌ケーブルを取ってしまえばそういう心配なくムスメに与えられるのだが、 このキーボードは現在 使用しているキーボードが故障したときの備えとして一応使える状態で置いておきたい。 そこで部屋を見回すともう一つ古い富士通のキーボードがあった。 これは安物だし破壊しても一向に惜しくない。 ということでケーブルひっこぬいて、キーを全部外して濡れ雑巾で磨き、エタノール消毒で仕上げた。 かわりに HHKey は回収。
シチュー。 圧力鍋があるにはあるが、 説明書がどこにあるか分からん。 普通に魔法瓶鍋に入れて待つことに。
人類最初の直線はどうやって引かれたのだろう、というのが小学生のころの疑問の一つだった。 定規を作るためには、定規で引いた直線が必要になるはずで、その最初の定規はどこから持ってきたのだろう? とかとか。 高学年になった頃、とりあえず、紙を折ればそれが直線になるという方法を見つけて一安心した。 今なら、「そこまでの精度はいらんから竹を割ったり、墨壺で引いたりなんとでもやりようはある」と答えるだろうけど。 あと結晶の稜線もかなり精度の高い直線だな。
ムスメに引き続きヨメも体調を崩す。
仕事でも何でも、もっと短時間で終わらせることに集中した方がよい。 締切が遠い状況では どの仕事も精度を高めるための努力をしてしまうが、 その精度でなければ回らない仕事なんてのは滅多にない。 70%, 80% 程度の精度で終わらせることを常に意識すべきだ。 怠けるためではない。 自分を鍛える時間を確保するために。
tDiary とか、援用ツールを試してみるべきかもしれん。 きっと、自前スクリプトよりよくできている筈だ。
私は一人で何でもできるので、放って寝ておけばいいのに。 無理してこじらせても誰も喜ばない。
体調を崩したときに寝るということを重要視していないから自分は寝ないし、 他人に対してもその考えを適用しがちなのだと納得した。 うん、ある意味筋の通った行動だ。
クラスの作り方。 そのクラスを利用する人が、用意されたメソッドの組み合わせで全てのことができるように基礎的なメソッドをたくさん作る。 クラスにメソッドを追加したいときに 外側だけでプログラミングでき、内部構造を調べなくても良いようにする。
全てのプログラムを作り直したい病。 つかここ最近プログラミングについて色々考えて新しい技術を知り、 能力が向上しているので、 これまでに作ったもののアラが色々見えてきた。
英会話学校のハロウィンパーティでは当然仮装が推奨される。 そこで目玉のおやじを作ることにした。 とはいえ、本当に作れるかどうかは不透明なまま。 作るとした場合に必要な資材であるダンボールは既に確保していたが、なかなか製作の時間が取れない。 というか作ってしまうと保存場所に困ることになるので、作るのは必然的に前日〜当日になる。 ということで仕事からの帰りが遅くなってしまった昨夜、ミッションスタート。 工作でガサゴソ音がしそうなので本当は昼間にやりたいところではあるが、 糊が渇くのに時間がかかるためできれば寝る前に一部だけでも糊付けしてしまいたい。 ということで設計図を引いてダンボールをカットし、北半球部分の糊しろに糊付けし、洗濯バサミで固定したところで 2:00。 そこで寝た。 起きてから残りの部分を作った。 午後のパーティには無事間に合った。
正確な球形はダンボール工作では無理なので、経度を10分割、緯度を5分割で近似した。 大抵のダンボール箱は短辺:長辺の比が 1:√2 付近なので 短辺を2分割、長辺を3分割するように折ると経度方向を輪にするための糊付けが不要になり、剛性を確保できる。 こういう細かい判断や適切な糊代の確保、三角関数を使った寸法決定、製作手順の決め方など、子供の工作よりは少しはレベルが高い工作をしたと自負。 「ハリボテは男の子の夢、裁縫は女の子の夢」とか思うでもなく感じながら作ってた。 総製作費はコンビニで購入した木工用ボンドと 瞳孔部分の A3 版のコンビニプリントで合計 300円くらい。 製作に専従した消費時間は8時間くらいかな。
私以外にはハリボテ仮装がいなかったこともあり、外国人講師にも、他の生徒にも大ウケだった。 基本的に、「ハリボテは男の子の仮装の花形、裁縫は女の子の仮装の花形」だと思う。 私も針と糸に抵抗はないし穴を繕うくらいのことはできるが、体の曲線を縫って形を作るようなことはできない。 なので女の子の花形である「裁縫でモノを作れる」ということは、それができない私には素直に尊敬できる。 これと同じように、女の子から見ればハリボテを作れるということはある程度の敬意を抱かれるのではないだろうか。 また男の子から見ても実際にハリボテを作れる人はそれほど多くないし、 「ショップでコスプレグッズを購入してそれを着るだけというのは負けだと思った」 などと嘯きつつ一生懸命そんな馬鹿をする人に対して良い評価をする人も少なくない。
頭にかぶっているときにそれが倒れて周囲に迷惑をかけてしまったので、 次に作る機会があれば頭に固定する方法をもっとしっかり考えよう。
部屋に 2つの椅子。 私の体感上ギシギシ言って騒く感じる方が隣で寝てるヨメからは静からしい。 うーむ。
居間に貼ってある月間予定表に私がペンで度々書き込むのを見ていたのだろう、 ムスメがそこに書き込むマネをした。
ムスメは徐々に、「〜〜したい」という欲求が満たされない不満を感じるようになってきたようだ。 子供が触ると危いものを取り上げたりしたとき、以前はすぐ別のものに興味を移していたのだが、最近は「うあー」と泣くような声をあげるようになってきた。
母が面倒見ている間に、ムスメがネコに向かって「にゃあ」と言ったそうな。 それを受けてネコがムスメに「にゃあ」と返したそうな。 ムスメは人語よりも先に猫語を話したのかもしれん。
ねみー。
私は自分に操作できない事象はバッサリ切り捨ててあまり考えないようにする。 どうもこれが他人と全然違う箇所のようだ。
昔キャンプとかで歌った 「ごーはんだごはんーだー、さあ食べよう!」 の歌が「線路は続くよ、どこまでも」 と同じメロディだということに今更気付いた。 あと『きらきら星』と『ABC のうた』が同じだということも。
名古屋からの帰りの電車、隣の席列の上に同じデザインの旅行鞄が並んでいた。 座っている人を見ると同じ服装をしている。 「スポーツ選手のチームかなー」 と思っていたのだが、降りる時に通路で列をなしている時、その鞄に Volleyiball と書いてあったのでバレーボールの選手だと分かった。 私もそこそこ身長が高い方だが、その私より 10〜20cm も背の高い人達がかたまっているというのはなかなか壮観だった。
論文を写経するのはアリかもしれんな。
論理関係を矢印で表すこと。 原因から結果に矢印を伸ばしても、結果から原因に矢印を伸ばしても、人間は何となく理解できてしまう。 どちらでも理解できるということは、それは記号としてあまり意味をなしてないことを意味する。 だから私はこの手の論理関係を矢印で表すことが嫌いで、使う時は慎重にしている。 勿論手順の説明やや単純なポインティングは別に構わないのだが。
「分かれば良い」と主張しがちな傾向と トータルコストを軽視する傾向とは相関性があるように思う。
ヨメの作った鯖の味噌煮が美味かった。 味噌汁を作った。 だし入り味噌から結構美味い味噌に変わっていた。 味噌汁のだし取りに使ったいりこもマヨネーズで美味しく無駄なく頂いた。 野菜分は玄米と人参スティックで補足。
Ruby でメソッドを作るときに仮引数名を型を表現したものにするか、 内容を表現したものにするか。 これまではよく型ベースでコーディングしていたが、これは内容を表現したものにすべきだったんだろう。 ダックタイピングという考え方があり、 Ruby ではそれに従ったコーディングが推奨されている。 Ruby では引数に型を仮定せず、これが Ruby におけるポリモーフィズムの一つ。 特定の型だけに限定せずにコーディングできるというのが Ruby の利点なのだから、 そのように考えるべきだ。
Twitter 始めてみた。
Ubuntu にしてから家の UNIX PC がクソ重い。 vim (テキストエディタ)ですらひっかかる。 これはあれだ、ガンパレードマーチの戦闘フェーズの先行入力を地で行く感じだな。 ストレスの問題以上に時間が勿体ない。 これはもうちょっと何とかしてもバチは当たらんな。 Windows PC も不調気味になってきたし、再インストールすべき時期にさしかかっているという事もあるので、動くべき色々な要因が重なってきた。
日本のドラマとアメリカのドラマって作り方が違うなあ。 日本のドラマはキャッチーで軽薄な感じ。 勿論アメリカでも日本に渡るくらい出来の良いものしか見てないという可能性もあるが。 さて私はアニメとかアニソンが好きなんだから、キャッチーなものは好きな筈なのに、 何故ドラマはアメリカのものが良いように感じるのだろう。
『フリーター、家を買う』。 竹中直人はいいな。 好きだ。 これ有川浩か。 母親に変化があったときの表現を文字で見てみたいな。
私がメインで研究指導をしている学生が発表練習をすると、これがなかなか上手くいかない。 いつも他の教員から「その説明ではよく分からない」という感じで学生が指摘を受ける。 私が自分で発表するのならば、「こういう絵を用意してこういう言葉遣いでこういう順序で説明すれば多数の人の理解を得られる」という方法論はそれなりにあるが、学生にはそこまでの技術がない。 これは逆に言うと私に技術がありすぎることが、学生にとってマイナスに作用しているのかもしれない。
ムスメの爪を切った。 以前は切ろうとするとイヤイヤしてなかなか切れなかったのだが、 今日は横で流していたピタゴラ装置の効果もあってかスムーズに切らせてくれた。
姉への誕生日プレゼントということで2週間ほど前にアマゾンに発注していたスコットランドヤードというボードゲームが今日届いた。 姉は勿論喜んでくれたが、今週渡せなかったら来週くらいには買っていたかもしれんとのことだった。 身内だし、今度から購入したものは前もって伝えておこう。 ということでスコットランドヤード第1回戦。 なかなか楽しかった。
学生の中間発表会。 どの発表も最低1つは質問できるように集中して聞くので、脳味噌を絞るように疲れる。
「作業している時にするな」と言われた事が、元々作業していない時にも「するな」と言われた事だったら、「いつしたらいいんだよ」という話になるわな。
午前英会話スクールの政府補助金手続き。 家から最寄りのハローワークは難波にあるのでそこに行ってみたが、 そこは雇用保険関係を取り扱っておらずできなかった。 住所所轄のところに行けということで、そういえばそう言われてたことを思い出した。 うかつな失敗。
予定が直前に決まることがある。 または正式なアナウンスがないことがある。 主催者というのは大きなエネルギーが必要で、また非常に大きな労力がかかることからそこにタダノリしている私がどうこう言う筋合いにはない。 だがその予定に間接的に影響を受ける人が私に文句を言うのは当然のことだ。 まあ仕方ない。
ムスメへの『ピタゴラ装置』洗脳計画は確実に成功しつつある。 私が家に帰ったら私の指を掴んで PC まで連れていく。 「『ピタゴラさん』を見せろ」というサインだ。 ピタゴラ装置を再生し始めるとムスメはそれに首ったけになる。
科研費書類提出完了。 さあ、通常業務をキリキリ進めるよ。
計算機科学では計算誤差という概念があり、 多くは倍精度で 10^(-15) 程度の誤差を考えるが、 その範囲内で演算は正確なものと考える。 しかし自然科学では有効数字という概念があり、 私がよく扱う結晶学なんかでは、たとえば 1- 0.333 = 0.666 と見做したい場面が多々ある。 ということで Ruby の Float クラスに許容値を設定し、その許容値の範囲内ならば同値と見做す仕組みを考えている。
やはり、Float クラスを継承した新しいクラスを作成すべきだろう。 しかし私はクラスを initialize と new で生成する方法しか知らず、 Float クラスは new メソッドを本来持たない。 そのため継承したクラスのインスタンスをどのように生成して良いものか分からない。 これは誰かに聞くべき問題だろうなあ。 プログラミング勉強会が丁度あるので聞けたら聞こう。
江戸時代以前の人はなんば歩きといって右手と右足を同時に出すような歩き方をしていたらしい。 なんでこんな歩き方してたんだろうと少し不思議だった。 ひょっとしたら、侍が背後から襲われたときに即座に振り返って対応するためかもしれないとか思った。
職場で無料アルコールパッチテストというのをやっていたのでやってみた。 定量試験ではなく定性試験なんだな。 結果は案の定全くの陰性。 アンケートも書いてみたが、そのアンケートがどうも「酒が強い人は必ず無理に他人に酒を勧める」という思い込みで作られたような感じがして気に食わんかった。
『小田霧響子の嘘』。 甲斐谷忍原作らしい。 彼の漫画はドラマ向きではあると思うが、これは(も)漫画で読んだ方が面白そうだ。
『流れ星』。 いい匂いがする。 が、ナナメに見てるだけでは主要人物の繋がりが見えない。
のじり経由で、 『上下に分けて下に味方するのが左翼、ウチとソトに分けてウチに味方するのが右翼 - Zopeジャンキー日記』。 すげー納得した。
精神が入れ替わる系の話って、本当に危機感と順応性の低い奴ばっかりだなあ。
the を ザと読むかジと読むか。 少し前に読んだ「ダーリンは外国人」でネイティブのダーリンが「そんな使い分けしてる?本当だ!」みたいなエピソードがあった。 ぱっと読んで、「ザとジなんて全然違うからそれを意識せずにできるものなのか」とか感じた。 でも日本人も「ん」の音を n で言うか m で言うかを次に続く音で自動的に使い分けている。 たとえば「なんば」と言うときには m の発音すなわち唇を閉じて「ん」の音を出すが、 「かんがえる」と言うときには n の発音すなわち舌を口蓋に接させることで「ん」の音を出す。 あとガ行の濁音・鼻濁音とか。 きっとネイティブスピーカーにとってはこんな感じで無意識に言い分けられているのだろう。
家 PC があまりに重くてしんどい問題に対処するため、 研究室で十分に使い倒して陳腐化し、退役して余ってたのを持ってきた。 これはもともと他組織で消耗品として購入したものを貰ってきたものなので倫理上の問題もないだろう。
フラッシュのゲームをちょっとやってみたり。 迷路っぽいのはタブレットでズルできる。 なぞるのではなく、ゴールっぽい場所をトンと叩けば通過せずにジャンプできる。
キンドルか iPad が欲しい。 が、今のところノート PC で事足りている。 というか読むことよりも書くことで必要なことが多い。 通勤電車で座れないとかだったりすると買うべきだろうけれど。
最新日記の各日付が当該月の日記へのリンクになっています。 さらに過去のものはトップページから辿れます。