きづき(日記)

きづき、またかんがえたことをしるす (いっぺい)

2010年08月01日(日)

昔はエアコンとかなかったから、必ずしもエアコンをかけなくても子供も大丈夫だろうと勝手に思い込んでいたが、そういう時は団扇で扇ぐとかしていたんだと指摘された。 成程、確かに。


2010年08月02日(月)

扇風機と霧吹きで一時的な涼をとったり。 でも空気がカラリとしていないとベタベタしたり、布団がしめしめしたりする諸刃の剣。 素人にはおすすめできない。

先週に故障したエアコンは一度直ったのだが、今日来てみるとまた不調。 事務には伝えたが、暑い。 プールに行くのはエアコンが故障して研究室が暑いからという意味もなくはない。 隣で水泳部が練習していた。 彼らのターンが綺麗。 私はターンが上手くないので、何か分からないかと少し見ていた。 気付いたことは、私のは泳ぎの動作を止めて「さあいくぞ」とターンの動作に入っているのに対し、彼らの動作はなめらかに繋がっているようにも思う。 また、彼らのスタート練習も横で眺めた。 あまり高く飛んでないことに気付いた。 高く飛ぶと横方向の速度が落ちるとか、着水後に深く沈んで水面まで上がるのに時間がかかるとか、そういう理由があるのかもしれない。


2010年08月03日(火)

『お前ら子供に何壊された?』 なるほど。

骨髄ドナーと登山はどちらが危険か? 感覚的には登山の方が危険に感じるが、定量的にはよく分からない。 なのでちょっとぐぐって数字を出してみた。

職場の同僚と槍ヶ岳・穂高への登山をするという計画がある。 私は出張があるので日程上難しいが、一応行けたら行きたい。 同程度に危険なので反対されると思っていたが、すんなり認めてくれた。 まあ登山は同僚との親睦という側面があるからだろう。


2010年08月04日(水)

zsh で拡張子でアプリケーション指定する方法を知った。 使い物になりうるのは、 「.doc を openoffice で」 「.pdf を acroread で」 「.mp3 を mpg321 で」 くらいか。 .txt のように様々な扱い方があるものは、何かを指定すべきではないだろう。

プール。

焦らず、一歩引いて判断すること。 研究を進める上でこれが大事。

統計学を少し勉強しといた方が良さそう。 研究の方針を模索する段階、予備計算と呼ばれる段階で、多数のデータのうちどのくらいの割合を検査すれば何%の正確さで傾向を反映するかとか、知っていると研究が効率化できるだろう。


2010年08月05日(木)

いろいろな家庭があるもんだ。


2010年08月06日(金)

一時期腕回りが細くなっていたが、ふと気付くとまた幾分太くなっていた。 たぶん7月からの水泳とプロテインの効果的な摂取が効いているのだと思う。


2010年08月07日(土)

「アメリカ建国は 216年前」と中学生のときの記憶。 216 なんてキリがよくないのになんでこの数字をおぼえてるのかと不思議だったが、6の3乗という意味でキリが良かった。 だが歴史の年号を「○年前」で覚えてもほとんど意味ねえよ。


2010年08月08日(日)

歯学分野というのもいろいろナワバリがあるようだ。 科学者よりも医者は「医院を経営して金を得る」という側面が大きいため、どういう風にお金を稼ぐかというスタイルにも幾つか流派があるらしい。


2010年08月09日(月)

一橋大学とお茶の水女子大学って国立なんだな。 私立だと思い込んでいた。

切符の自動改札では裏向きに入れたらダメだと小学校中学年くらいまで思い込んでいた。 あと当時は乗り越し精算機がどうして必要なのか不思議だった。 「普通、切符を買うときには目的地まででキチンと購入するだろう。 うっかり寝過ごしたとしても寝すごしたところで下車するわけでもなく目的の駅に戻るだけだろう。だからどういう人がアレを必要とするのだろうか?」とか。

ムスメは禁止の意味の「ないない」は理解し、さらに発音できるようになっている。 「ないなー」とか。 超絶かわいいですわ。

丸木俊という人の絵を見て「これはもしかして」と思ってググったら、やっぱり『ひろしまのピカ』の人だった。

プールに行ってみると水球部が活動していた。 水球部が活動しているとゴールの設置のためにプールの長辺で泳ぐことができない。 なので泳ぐのをやめようかと迷ったが、先週水曜のあとは行けなかったし、明日も名古屋出張なので遊び程度に泳ぐことにした。 長辺で泳ぐことができないので、壁際でターンの練習を重点的にやった。 こないだ水泳部のターンを見ていて気付いた最後の一蹴りをしてみると実にスムーズに体が回転した。 ただ、ターンの間手で鼻をつままないと、鼻の穴に水が入ってつらい。 水泳選手とかどうやってんだろう。

我が家は酒と煙草の持ち込み禁止だが、これは一定の妥当性がある。 というのは、やはり小さい子供がいる状況ではこれらのモノは危険なものだから。 子供がタバコを食べてしまって急性中毒になるというのは聞いたことがあるし、ありうることだろう。 そんな危険なものはそもそも持ち込み禁止にしてしまうのが危機管理上妥当な方策だ。 タバコほどの危険性はないだろうが、アルコールも同様の注意をした方が良いかもしれない。 まあ、たとえば子供が物心ついてそういう危険性を自分で回避できるようになったら、このルールは改めて考え直したい。

英会話学校では期間終了後も何らかの形でレッスンを続けることがスタッフに勧められるが、まあ双方ともに金の問題だわな。 でもまあしばらく自分でトレーニングし、自身の課題を煮詰めた方が良いだろう。

明日名古屋出張というのにノートPC のAC アダプタを研究室に忘れてきたようだ。 家にある他の AC アダプタで何とか代用できないか試してみたところ、ScanSnap の奴でとりあえず充電はできそうだ。 しかし本来 19V のところに 24V の電圧がきてるわけで、回路に負担がかかっていないか少々不安だ。


2010年08月10日(火)

朝、明るくなってから部屋を見たら床にノートPC の ACアダプタがころがっていた。

岡崎京子の漫画は、私の好みかというと必ずしもそうではないが、凄い。 この人は他の漫画にはないベクトルを作っている。 『リバーズエッジ』を読んだのは随分昔だけど、鮮烈だった印象が残ってる。 そして『ヘルタースケルター』が強烈。

「カメラのフラッシュで目を痛める」と言われたが、これはどうだろう。 純粋な光量なら昼間の屋外の方が多いだろう。 まあパルス状の光の方が害を与え易いというのはあるかもしれない。 しかし、1時間に1000回もフラッシュを見たりしたら目を痛めるかもしれないが、それは 200ml 飲んで安全な水を 1時間に10リットル飲んだら危険というのと同じことなんじゃないかなあ。

漫画スキャン再開。 ヨメが読んでくれると嬉しいなということで厳選したものを紙媒体で置いといたわけだが、結局その日は来ないと結論付けた。 いつか子供に部屋を明け渡す日が来るだろう。 そのときのために備えるという意味もなくはない。 いずれにせよモノは少ない方が良い。

名古屋出張のあと梅田で待ち合わせて高校の友達 4 人と飲み。 この面子は高校卒業後の方が仲が良くなった。


2010年08月11日(水)

電車の車両でゴキブリってあまり見ないよな。 地下鉄のトンネルとか、湿気もありそうに思うんだけど。

計算投げたり計算機構築作業をしたり。


2010年08月12日(木)

自分の行動を自ら律するのは悪いことではない。 しかしその条件を満たすために、無関係な第三者の行動を制限すべきではない。

頻繁に職場のエアコンの調子が悪くなるのは、室外機の能力が一定で、そこから子機同士で冷却能力の綱引きをしているからではないだろうか。

「フッ素は酸素を酸化する」。ほう、成程。

研究室の 無線LAN がイマイチ不調なので調べてみた。 最近他のネットワークで運用していた経歴を持つルータをハブとしてネットワークに入れたのだが、こいつが DHCP を提供していたため古いネットワークアドレスに対応した IP アドレスをクライアントに与えていたため。 そもそも1つのネットワークに DHCP サバが2つ存在すべきではない。 ルータをハブとして使う場合にはこの点に注意。

他研究室の学生に誘われて飲み。 他の教員の教育方針に抵触するような話もあって議論が難しい。


2010年08月13日(金)

自分が他人にして欲しいことはまず自分がその範を示すべきだ。 他人にマイルールを強いておいて自分はそれを実践できていない、という状況では発言力がだだ下がり。

畳み終わった洗濯物は大きいものの上に小さいものを重ねていくため、先に大物を畳めるように山の上の方に大物があると手間が減る。 そのためには取り込むときに小さいものを先に取り入れてスタックするのが効率的。

親が共働きだったので、子供の姉と私で留守番とかしていた。 洗濯物を取り込むのが私の仕事、畳むのが姉の仕事だった。 定期的にやっていると何となく手順が決まってくるもので、私は小物を洗濯挟み吊りからバチバチ外してカゴに放り込んでから大物を取り込む手順になっていた。 ある日姉が言った。 「いっぺいが取り込んだ洗濯物は、小物が下に、大物が上になるようにカゴに入っているから畳み易い」。 自分としては意識してやっていたことではなかったが、強く印象に残った。 効率的な手順というものを強く意識した最初の体験だったのかもしれない。

ムスメと遊ぶのは時間を食うが実に楽しい。 一日中やっていたい気もするが、それはヨメに比べて少ししかやっていないし、ヨメは世話という大変な部分も担っているのに対して私は遊ぶという楽しい部分だけをつまみ食いしているからだろう。 とりあえず、思う存分一緒に遊ぶことがヨメの負担を減らすことにもなると思うのでこのままいく。

ヨメ実家へゴー。


2010年08月14日(土)

義弟も義実家に来た。 私と2人で Wii Party のミニゲーム『とことんバナナ運び』をクリア。 ムスメは皆の真似して Wii Fit のバランスボードの上に乗ったりはしたが、まだゲームができない。

変な夢。 ゾンビランナーという名前の古典フラッシュゲーをあそんでた。 (現実には存在しないようだ。) 連打するだけの単純ゲーで、絵はシンプソンズを MS ペイントで描いたみたいなの。 主人公がゾンビから逃げる単純ゲーで、連打が足りず逃げ損ねたら主人公がゾンビになってゲームオーバー。 各面でゴールには主人公を助けてくれる人がそこにいるが、 次の面の導入でその人がゾンビになってまた追う人の1人になる、の繰り返し(のっぺらぼう方式)。


2010年08月15日(日)

Wii Fit Plus とか Wii Party とか、面白かった。 なかなかよく出来ている。

義父と話をしていて、 赤子がモノを口に持って行くことの話になった。 聞き齧りの「口唇期という考え方があるから、そういうことではないか」ということを話したが、結構的を射ていたような気もする。

帰宅。

ヨメが目を離した隙にムスメが洗面所で洗剤を食べようとしていたことがあったらしい。 それ以来洗面所の引き戸は必ず閉めるようにしようということになったが、最近徹底されていない。 洗剤の置き場所を工夫とかして、閉めることを徹底しなくていいと判断したのだろう。

今度義実家にエネループをプレゼントしようか。


2010年08月16日(月)

「よその家に行ったら遠慮するものなので、勧めを一度断ったとしてももう一度勧めなければならない」。 まあそういうもんだろう。 しかし、それを言う人がそれをできているわけでもない。 「〜〜すべき」くらいの強度にしておけばいいのになあと思う。

散らかし星人現る。 台所の引き出しを開けられるようになり、そこからモノを取り出してポイする。 しかし、「ないない」と嗜めてやったらそれらを引き出しを戻した。

「いないいないばあ」という小冊子がある。 両手で隠された顔が紙をめくると、「ばあ」とでてくる。 ムスメはそれを見て「いないいない」とか「ばあ」とか言う。 ムスメは絵に描いた人の顔を、それと把握している。

タオルケットをばさばさやったらムスメ大興奮。 ただ、タオルケットに飛び付くので絨毯の上でやってやらないと少し危険。


2010年08月17日(火)

「家にいたくない」と家族に思わせることを悲しいとか恥ずかしいとか思わない人も世の中にはいるんだろうなあ。

強制された命令について他の人に愚痴ったり相談することは悪口には当たらないだろう。 他人に命令して強制するということは、自分の立場が絶対に正しいと確信しており、たとえそれに対する反論があっても再反論が可能でさらに論破可能と考えている筈なのだから。 相手が社会一般に訴えても、寧ろ自説の正しさを世間一般に向けて論証する用意があるということ。 逆に、もし用意がないのならば安易な命令はしてはならない。 世間一般を説得することができないならば、今まさに当事者である相手をも説得することが不可能だということで、無理矢理従わせることになる。 これは、(原意での)確信犯的な立場に近い。 安易な命令をする人は自分の正当性を信じられる、ある意味無邪気な人だと思う。 普通の人は自分の立場がそこまで絶対的なものという確信を持っていないので、だから安易な命令はしないのだと思う。


2010年08月18日(水)

『火車』(宮部みゆき)。 クレジットや借金で雪ダルマがメインテーマ。 面白かった。 話の立て方、各人物の背景説明の散らせ方・折り込み方が巧みだ。 あと、私が読んだ文庫版の表紙の絵は静かで不気味、「火車」というキーワードからイメージされる赤を基調としたもので、内容にマッチしていて実に良い。

プログラミングの勉強会に行く日は夕食が遅くなるので 小腹抑えにマクドを利用することが多い。 ビッグマックがキャンペーンで 200円なので食べてみた。 味は結構好きだが、食いにくい。

クアッドコア計算機のセットアップ。

英語の勉強が不足気味。 睡眠も不足気味。 要は時間が不足気味ということか。


2010年08月19日(木)

私のズボンを洗濯するとヨメが言ったので、ポケットの中の物を出すとかで気が急いて意識が外れた隙に、ムスメがバランスボールの上に乗ろうとしてこけて頭を打った。 いかん。 何を置いてもヨメに言われたことを最優先、ということが私の脳に変に刷り込まれていることに気付いた。 ヨメの言うことよりも、ムスメの気遣いをする方が優先だ。 たぶん、ヨメにとってもそうだろう。 私なら、自分の頭で考えられない人間は好きになれない。 ヨメもそうだと考えるべきだろう。

「私もバランスボールでこけたことがある」とヨメから聞いて、これはてっきり「私がいない間にバランスボールを試してみていたのか」と内心微笑ましく思っていたのだが、どうやら違ったらしい。 実際は横を通ろうとしてひっかかってこけたとのこと。 これはいかん。 「注意すれば良い」という考え方もありうるが、 工学者としてはそもそも事故が起こり得ない環境にすることを考えるべき。 バランスボールは姉に返すことにした。 代わりにギシギシ言う椅子を使うことになるが、 怪我をするリスクより目が覚めてしまうデメリットの方がまだマシだろう。 私が気をつければギシギシ音は随分軽減されるし。

近所の納涼祭にムスメデビュー。 とはいえ乳母車で回っただけだが。 ピカピカ光る夜店アクセサリーを手に入れてやろうかと思ったが、 その間にムスメは眠ってしまっていた。

女の子が知っている男の部屋の乱雑さは高が知れている。 大抵の男は女の子が部屋に来るとなれば部屋を片付けるので、 片付けしたあとの状態だけを観測することになるからだ。 だから「平均的な男の子の部屋より散らかっている」と女の子が言ってもそれは他所で「ヨソイキ」状態を見ただけだとしか思えない。

今人間が10進法を使っているのは人間の指が5本ずつであるというのが主たる要因だという。 さて、5本の指で1〜5を示せるが、0もグーに握ることで示すことができる。 ということは実は 6進法で考えるのが効率的だと言える。 たとえば左手で 6の位を、右手で1の位を示して 36 までの数字を表すとか。

十までを両手の指で数えることができる。 すなわち八→九と同じ処理で 九→十 を数える。 十になったら桁を繰り上げて(どこかに 一 をメモして)一〇にするというのはもう一つ別の処理が必要になる。 10という数を表現するのに、十と一〇という2つの状態がありうる。 数を一〇という状態で持っておいて必要なときに繰り上げて十にする、という処理は5つ玉のソロバンを思い出す。 ひょっとしたらソロバンは元々人間の指を模したものだったのかもしれない。

躾けるときの上策は、自分で常にやってみせて言葉は最小限に留める。 中は言葉だけで従わせること、 下は自分がやってないことを強制すること。

学生の一人が「豊郷小学校行って来ましたよ」と言ってきた。 「なるほど、お茶してきたんだな。このクソヲタめ」と応えておいた。


2010年08月20日(金)

『スナーク狩り』(宮部みゆき)。 散弾銃でドライブな話。 面白い。 この人は文章がうまくて、イベントの発生頻度が実にエンターテインメントだ。


2010年08月21日(土)

五線譜。 子供の頃はそういうもんだと思っていたけれど、 今改めて見れば、あれはどうしても視認性悪いだろう。 どうしてオクターブが1単位になるようにしなかったんだろう。

440Hz がラの音と決まっているが、ラ以外の音は無理数な周波数になる。 なぜ ラ ではなく、ドを起点としてドレミと言うのだろう? ラだと平均的な人間が声で出しにくいから?

日本人の仏教観について、母に聞いたこと。 仏教はもともと輪廻転生を世界観のベースに置いており、多くの日本人がその概念を知っている。 人が死ねば様々な動物に生まれ変わり、そこで徳を積んで輪廻の輪から解脱することが仏教の究極の目的だ。 元々の仏教では、これが殺生を禁じる理由だそうだ。 今殺したその動物は、実は祖先の霊が宿ったものかもしれないから。 多くの日本人は基本的には仏教に則った慣習でもって生活している。 たとえば死んだときには坊主にお経を唱えてもらって、節目の年には法事を行う。 そして同時に、多くの日本人はお盆に祖先の霊が里帰りすると考えているのだが、これは矛盾だ。 解脱に至らない限り、祖先の霊は輪廻転生を繰り返しているわけで、どこかで生きている筈だ。 お盆だからといってその体を放って里帰りなんてできる筈がない。 そういう話を聞いて成程と思った。

10分待ってといわれて OK したのなら待つべきで、待てないのなら元々 OK すべきではない。 OK しといて待ち切れず不平を言うのはアンフェアだ。

前もって予定を伝えるということを軽視すべきではない。 確保できる時間を勘案してその中で時間配分するわけで、 予定外の割り込みが入ると作業を中断せざるを得なくなって、 作業そのものが無駄になったりする。

私が Wii でゲームをするとリモコンがピカピカひかったり、画面がうごいたりでムスメが喜ぶ事がある。 勿論、他の玩具と一緒ですぐ他に興味がうつるけど。

家に来た友人に、「家では酒も煙草も一切させてません」と誇らしげにヨメが言った。 彼女にとっては従ってくれている相手に有り難いと思うべき事ではなく、勝ち取ったトロフィーなんだろう。 まあいいけどね。 私の取る行動は同じなんだし。 でも煙草飲みの彼にはポジティブなアピールにならないと思う。


2010年08月22日(日)

英会話のレッスン。 ついでに心斎橋の東急ハンズでお買い物。 ムスメを風呂に入れるのに手桶があったらより楽にできると思う。 500円分の価値はきっとある。 あとニンニクの皮剥きというのがあったので、試しに買ってみた。 私はニンニクの風味が好きで、ヨメの実家からニンニクを貰えることがあるし、カツオのタタキは我が家の定番メニューでその薬味にニンニクは大活躍する。 これも投資してみる価値があると判断した。 あと水筒とペンケース。 ペンケースはノドアメ携帯用として使うつもり。

母に依頼された新 PC を調達。 母からは組み立て済で売られている物でもいいよと言われていたが、 さすがにメーカーメイドは選択肢に入れられない。 メーカーメイドPC はメモリが少ないなどハードウェア構成のバランスが悪い傾向にあるし、不要なソフトがテンコモリでそれがメモリを逼迫したりするし。 ショップメイドのものは検討に値するとは思っていたが、実際に見て回って結局パーツ買いすることにした。 core i5 あたりがコストパフォーマンスが良いと判断し、 それを核に GIGABYTE の MB を適当に選んで構成。 筐体もスリムで使い易そうなのがあれば買って交換したかったが、 これというのがなかったので結局古いミニタワーをそのまま流用。 HDD は私が持っている余りを使う。 結局 4万円程度におさまった。

埼玉だか栃木だかは、内陸地でありながらウナギが名産だと聞いた。 ウナギといえば海で産卵する箇所が最近判明したり、水産試験場とかで養殖の研究しているとか、海のものというイメージが強いので不思議に思った。 海で獲ったものを運ぶのだろうか? それともサケのように遡上するのだろうか? ウナギで有名な浜名湖は汽水湖なので、ウナギは淡水・海水両対応に近い性質なのかもしれん。

LED を光らせるのが何か好き。 でもマンガン電池・アルカリ電池などの一次電池だと使い捨てになるのが嫌。 Wii リモコン用に購入した eneloop のおかげで、LED 遊びが気楽にできるようになった。 まずはクリップ付き導線で原始的にやったが、これだと一度に3〜4個光らせるのが限界。 オープンキャンパスで電気系学科による電子工作でブレットボードというのを知り、 日本橋で投げ売りされていたブレットボードの小さな奴(500円)を購入してみた。 帰って配線すると、実にスマートに LED 遊びができるようになった。


2010年08月23日(月)

プールで水泳。 今年 14回目。 8月末まであと3回チャンスがあるな。 今日はなんか水位が普段より 10cm ばかり低かった。 50m × 20m のプールだと面積は 1000平米。 1.4m の水位まで水を入れると 1400立米。 水道代がどんなもんか分からんけど、仮に 10立米2000円くらいだとすると、全容量の水では30万円くらいになるのか。 水位は 0.1 m 分は 100立米に相当し、2万円分くらい。 まあ水を入れてなかったのは節約の観点からではないとは思うけど。

ローレンス・ブロック短編集を読んでいる。 いかんな、活字中毒的症状が。

無駄な労力を省くことが料理の上手下手の結構な要素だと思う。 ここに1本のネギがあったとし、このネギを切るという作業を例にあげよう。 60cm のネギを 5cm ごとに切るとすると、単純にやれば 11回包丁を入れる必要がある。 しかし以下の手順でやれば包丁は4回で済む; まず中央で 1回切って2本を束ね、さらに中央に包丁を入れて束ねて4本の束にし、さらに 2回包丁を入れる。 多人数分を一度に作った方が効率的と一般に言われるのは、こういうところの省力化が効いてくるというのも一面であると思う。

ヨメが台所に立っている間に話をしようとすると、 そちらを見ないようにしながら話をするという不自然なことになる。 なので基本的にヨメの料理が済んでから話をするように心掛けていたのだが、今日はヨメから話しかけてきた。 ということはそちらを向いても良いということか。 とうとうこの阿呆なルールを打破すべき時が来たということか。

「ちょっと用事で出掛ける」と言われた時、一度「何の用事?」と訊いてそれでも「ほんのちょっとした用事」くらいにしか答えなかったら、私はそれ以上訊かない。 その用事がどういう用事なのか少し気になるが、あまり詮索するようにするのも相手に悪いと私は思う。 逆に、自分が聞かれた時に積極的に何の用件かを答えようとしない人は、自分が相手に訊く場合も「だから何の用事?」と深く掘り下げて訊こうとすべきではないと思う。 しかしまあ、自分と相手を同等に扱うということはやっぱり普通の人には難しいのかもな。 勿論私も完全にはできてない、というか完全にできている人は勿論存在しないわけだが。


2010年08月24日(火)

相変わらず早く出ていけプレッシャー。

何かが上手くなるということは、何かを覚えるということ。 そこには新しい知識が必要だ。 たとえば料理だと、米の研ぎ方・ネギの切り方・味付けといった事柄について(採用するかどうかはともかく)他人のやり方を知るということが技術の土台を広げていく。 もっとインスタントには、食べる人が好きな食材を使用すること、具体的には「この銘柄が好き」という情報を得ることが、食べる人の料理への満足度を高めることに繋がる。 これも「料理が上手い」の評価に含まれると私は思う。

「〜〜してくれる?」(語尾下がる)という発言。 「〜〜してもらえない?」以外の言葉は命令だから、我が家では使わないことになっていた筈なのだがなあ。 やっぱりこの言語センスはおかしいと思う。 また、自分にできないことを相手に強要するのは下策だろう。

美味さと食べる量とが比例すると思っている人は少なからずいる。 ヨメも新婚当初はそう思い込んでいた。 さて、そのような思想を持つ人が料理を作って出せば、出された方は自分が適正と思う量よりも多かったとしても全て食べ切ってやろうとするもので、それは食べる人の「やさしさ」の発露であると思う。 「しあわせ太り」という言葉があるが、その内実が「やさしさ太り」である人も少なからずいると思う。


2010年08月25日(水)

色々と捗った。 が、また幾つか計算機クラスタを再インストールすべきだ。

日記スクリプトをちょっと調整してやるべき時期がきている。 一つには diary ディレクトリのファイルが増えすぎてしまっているので、年ごとにサブディレクトリを切ってやるべきということ。 古すぎる日記は非公開の場所に移すべきだし、 書きかけの日記をそのままに書いた分だけアップできるようにしたい。 まあぼちぼち考えよう。


2010年08月26日(木)

誰かの振舞いで自分が傷付けられたとし、後に彼が反省して行いを改めたとする。 自分が早い段階で彼の誤りを指摘すれば傷は浅いが、 もし自分が我慢を重ね、我慢しすぎたら彼が反省した頃には既に遅く、 自分の心は冷え切っているかもしれない。 嫌なことがあった場合にそれを我慢すべきか否かは、 「今我慢できるか」ではなく、「その心の澱が貯まり続けるか否か」で見定めなければならない。

減反で土地を余らせているくらいなら、米作ってバイオエタノールにすればいいんじゃないかと思った。 まあ日本の穀物価格だと競争にならんのかもしれんが。

人が歩いていると無意識に左に寄る( cf. きづき 2007年3月14日 ) ということに関して、 別の理由を思い付いた。 手が右利きの人は物を持つときまず右手で持つ傾向がある。 こうして右手に物を持つと体全体の重心が右に寄るため、このバランスを取るために体全体はやや左に傾き、この傾きのために進行方向が左に寄るという仮説。 また、右利きの方が無意識に左に寄るために心臓を守るのに有利であり、それが淘汰圧となって右利きの人が多くなったのかもしれない。

獣の利き手ってどうなっているんだろう? 馬の走り方とか見てたら非対称に動かしているので何かあるんだとは思うが。

職場の同僚とビアガーデン。

先日買った、ムスメを風呂に入れる用の手桶は、自分が体にかける湯を汲むのにも便利だった。


2010年08月27日(金)

納豆はボリュームがそのまま美味さに繋がる面があると思う。 大抵の市販納豆は 1パック 40〜45g 入りなのだが、なっとういち は 50g でたくさん食べられて美味いと思っていた。 なので文句なくこれを選んでいたのだが、いつのまにか 45g に減量していた。


2010年08月28日(土)

『ピタゴラ装置』の DVD をムスメに見せると、ムスメ大喜び。 最初から最後まで集中が持つわけではないが、30分のうち10分くらい気を引き付けることができる。 たまに何周してもずっと見てる事もある。 ムスメの科学する心を育てるのにも良いかもしれないと密かに思ってる。 喜んでくれるのはこちらも嬉しいが、他の刺激も受けるようにしなきゃとも思う。

ファミコン『ルナーボール』の TAS。 これは 5分くらいしか見てくれないけれど。 10回くらい見せてるけれど毎回ある程度の興味を引ける。 何も教えてないのにジングルで手を叩いたり。

相手が真剣な話をしているときに他所を向いて別の事を喋り出す。 これを禁じるのは一般的な躾けだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。 やや特殊な状況ではあったが、相手の話を蔑ろにするように子供を育てたいと言う人を見て吃驚した。


2010年08月29日(日)

言われた側にならないとその言葉の痛みを理解できない人がいる場合、 自分が言うまいと心に決めていた差別的な言葉であっても敢えて言ってやるべきなのだろうか。

他所の研究室でも、先に退出する学生が残っている人に向かって「お疲れさまでした」と言って出ていくことがあるらしい。 今迄何となく使い分けしてきたけれど、その意味を考えてみた。 「お疲れさま」は終わった仕事に対していう言葉なので、仕事が残っている人に言うのは妥当ではないということだろう。 「お疲れさま」と「ご苦労さま」の使い分けについては、先生と呼ばれる仕事をしていたら区別できなくなるのかもしれない。 私も実はキチンとは使い分けができていない。 偉ぶるのが嫌だという意識が先に走り、常に(目下の者に対しても)「お疲れさま」と言ってしまう。

「一緒に料理できない」と最初にヨメに思わせしめたのは、私の調理にヨメが口出しをして結局ヨメの料理にした経験だった、とのこと。 ……普通逆じゃなかろうか。 ともあれ、他人の家のキッチンでは、食材や調味料がどこにどのくらいストックされていて、料理器具がどこにあるか分からない。 だから自宅で調理するのと比較してどうしても不手際になるし、家主に聞かなければならない点が多くなる。 どこのキッチンに初めて行っても完璧にできる料理人というのは存在しない。 料理というスキルについて幻想を持っているのではなかろうか。

行き着けの酒屋では地下にセラーを持っており、そこで試飲をさせてくれる。 「決して売り物やないねんけど、試してみるか?」と言われたので、勿論試させてもらった。 それが何かというと、日本酒を開栓状態で保存したもの。 その酒屋では試飲用のビンの最後、1杯分にもならない分は売り物にならないとしてセラーに置いてある甕に入れてしまうそうだ。 セラーの気温は年中ほぼ一定に保たれており、甕の中でゆっくり酸化が進んでいく。 酸味はするが、酢というほど強くはなく、アルコールも幾分分解されていて胃に優しい。 吟醸酒をベースにためたものは吟醸香がほのかに香り、吟醸でないものをためたものはスキッとした飲み口になっていた。 まあ確かに売り物にはならんだろうけれど、面白かった。

散髪屋が美容師資格ももっていた。 俺的には後付け情報だが、ヨメの要求するレギュレーションを満たしていた事になる。


2010年08月30日(月)

寓話。

チャーチルとムッソリーニとヒトラーが船に乗っていた。 彼らは皆、他人を自分の思い通りに操作しなければ我慢できない性格だった。 そんな折、彼らの乗っていた船が難破してしまい、 チャーチルとムッソリーニのみが無人島に辿り着いた。 無人島では2人が力を合わせなければ行き延びることができない。 2人が2人とも自分の思い通りに相手に命令したいと最初は思っていた。 しかしそのうち、それだと2人ともの欲求を満たすことが不可能であることに気付き、譲り合うことにした。 お互い我慢が半分ずつであることに満足した。 そうやっているうちに、2人はそれを我慢と思わず、当たり前のことと思えるようになってきた。 そんな折、救助がやってきて、彼らは助かった。

彼らはまた船に乗っていた。 そして難破し、次はチャーチルとヒトラーのみが無人島に辿り着いた。 チャーチルは以前の経験から譲り合うことを提案した。 しかしヒトラーにとっては我慢がならない。 ヒトラーは自分の思い通りの行動をチャーチルにさせたいという欲求を我慢している。 反面チャーチルはそれを当然だと思っているので我慢していない。 ヒトラーは我慢の量が不平等だ、チャーチルがもっと我慢を必要とする条件で物事を進めるべきだと主張した。


2010年08月31日(火)

今年は 2ヶ月で 17回プールに行けた。 結構頑張った方だと思う。 例年は 8/31 の夕方にプール入っているとかなり肌寒かったものだが、今年は記録的な猛暑で今日でも暑かった。

夕方、夕焼け雲が赤みを失った頃にコウモリが飛び回る。 観察してるとプールの水面スレスレを這うように飛ぶことがある。 ああやって水を飲んでいるのかもしれない。 また、水辺に集った蚊を捕えるための習性なのかもしれない。

義実家に行っているヨメが帰ってくるまでにデジタルビデオカメラのデータを DVD-R に焼く作業を終了させないと。 画面の中は楽しい思い出でいっぱい。


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