自転車の後輪が妙にフラつく。 この自転車は 1997年購入だったから、もう13年か。 できたらもっと一緒に頑張りたいが、そろそろ本当に寿命なのかもしれん。 とにかく、一度しっかり見てみよう。
ノートPC( Acer Aspire One ) に Ubuntu を入れて使っているが、かなり快適。 4万円弱と安価だったこともあって大満足。 液晶がグレアなのが少し残念で、 普段は地下鉄なので映り込みがあまり気にならないが、 出張するときとかは新幹線で外光が強いので映り込んで画面が見辛い。 なんか艶消しフィルタみたいなの手に入らないかなぁ。 あるいは工作でなんとかできないか、サランラップとか、透明の下敷とかを使った方法を少し考えてみよう。
家 PC の Via Eden マシンで ubuntu はかなり重い。 gnome ではなく icewm で起動するようにしたらなんぼかマシになった。
先日名古屋出張の帰りに ひかり でもあまりかわらんだろうとおもって自由席で適当にのったら米原とかにも止まって時間がかかった。 今日切符を買うときにひかりの指定席だったので確認したら、 「大丈夫ですよ。速い方のひかりですから」と言われた。 なるほど、ひかりにも種類があるのな。
ムスメを団扇で扇いでやり「パタパタ」と言ってやると、 たまに「ぱたぁ」とか言う。 「てぃぱー」とかも言う。 まあ確かに、P音と T音が入っているので気持ちはわかる。
ムスメの左手掌底にタコができていた。 ハイハイのせいだろう。 右手にはなく左手にだけできたということは、ムスメはやはり右利きなのかな。
ヨメが台所にいるときはそちらを見るな、と言われていたが、これは駄目だ。 まず、配膳を含めた手伝いを私ができない。 周りを見ずに手伝うなんて芸当は不可能だからだ。 そもそも私は誰かが家のために動いていたらそれを手伝う習性があるが、こと食事の用意についてはこれが一切禁じられる形になっている。 またムスメの教育にも良くないだろう。 ムスメには他の人が家事をしていたら手伝うような習慣を身に付けて欲しいが、そのためには私が範を示すべきだ。 「他の人が何かしていたら、手伝うようにしなさい」とムスメに教えたり、「ちょっと手伝って」と言う日がいつか来るだろう。 そしてムスメに「何でお父さんは手伝わなくてもいいの?」と問われた時に、「お母さんが嫌だからだよ」と答える覚悟があるのだろうか。 私にはない。 今、ヨメが台所にいる間は私はお茶も淹れられず不便というのがあるが、まあこれは我慢できる。 最後に、これが精神的にかなりヤバイと思うのだが、ヨメが台所に立っていない時でも常に、無意識にヨメを見ないようにする癖がついてしまう。 お互いを見ようとしない家庭はもう崩壊していると言って良いだろう。 私はそうなりたくはない。 この現状は打破しなくてはならない。 たぶんヨメも、このような状況になることを想像せずに勢いで言ってしまったことだとは思う。 戦わなくちゃ、現実と。
今の家に住み始めた当初、私は自室の机を居間と台所に顔を向け易いように机を配置した。 そちらに背中を向け続けるよりも、顔を向け易くしてまめに顔を見るようにした方が家庭にとってプラスだと思ったからだ。 だが、現体制下ではヨメが台所に立っている間そちらに顔を向けてはいけないので常に嫌なプレッシャーがかかってしまう。 でも机の向きを変えるより、制度を変えるべきだ。
ヨメは滅多に私と一緒にごはんを食べない。 だけど、これは一緒に食べたくないというのではなく一緒に食べることに価値を見出していないからだと思う。 できるだけ一緒にごはんを食べた方が良いと、私は個人的には思っている。 これが幸せな家庭の必要条件ではないものの、一つの形だとは思うから。 が、これはあくまで個人的な考えだ。 調理用具の片付けをさっさとしてしまいたい気持ちは分からなくもないし、一緒に食べるよりもそれを優先する価値観が存在することも理解できる。
従弟の結婚式。
ヨメは研究会的な何か。
母親と同様父親も、我が子が生まれた直後から毎日ずっと子供の様子を見たいと願っている。 赤子が母親と一緒に里帰りしていても、母親が見せてあげたいと思う気持ちを持ってさえいればそれは行われるものだ。 というかその頃の母親は心底大変な筈なので、その気持ちを伝えるだけで十分だろう。
牛乳がなくなっていたので買い物。 レタス1玉 98円と安かったのでこれを今日のおやつにすることに急遽決定。 生野菜最高。 半分くらいだけ食うつもりが1玉丸々食ってもうた。
ムスメにとって、手渡しされた物を渡し返すというのが遊びになっている。 ボールをわたすと、それを返すためにこっちにくる。 また、その時に少し歩く。 片手に物を持っているときは、ハイハイよりも立って歩く方が楽なのだと学習したのかもしれない。
母が一人ゲームに使っていたトランプの1枚が失くなり、 トランプとしての用をなさなくなった。 これがムスメの玩具として与えられたのだが、かなり良い。 箱から出して散らかすという動作が遊びになっている。
本棚から本を出すという遊び。 私とかヨメの本棚から本を取り出して、その辺にポイする。 後片付けが困るが、まあムスメが楽しそうなのでそれで良し。 これも観察していると、本棚から引き抜いた時点で興味がなくなって、本を見ずにポイしているのがわかる。
FF6のフィールド曲で、一人アカペガ 【ヒャダイン】。 元の曲も良いが、歌声もいいし、何より歌詞がいい。
毎日、歩く距離と安定感が増している。
ベッドからも確実に降りられるようになった。 「賢い降り方」ということで「かしこ降り」と勝手に名付けた。
自転車の後輪がおかしいのはたぶん、タイヤ部分の外装が痛んでチューブが露出しそうになっているためだと思う。 一度自転車屋で見てもらおう。 新しいタイヤを買うのにも少々金がかかるな。
プール。10ヶ月ぶりの水泳だが、 1km を30分切りで泳げた。
Ubuntu で日本語テキストがプリントアウトできない問題。 UTF-8 の問題かと思ったが、EUC-JP に変換しても文字が化ける。 いろいろ探してみて、 まず u2ps で ps に変換すると日本語の入った postscript ファイルを生成できるが、この ps はそのままプリンタに渡すとなんかエラーになる。 プリンタ側の問題かもしれない。 これを ps2pdf すると acroread で読める pdf に変換できる。 acroread 上では日本語プリント可能。 acroread はコマンドラインで postscript に変換するオプションがあるので、 これらを組み合わせて以下のような zsh 関数を用意した。
function lprUtf8() { u2ps $* --output=/dev/stdout | ps2pdf - - | acroread -toPostScript | lpr }なんかムチャクチャ遅いけど、とりあえず使えるようになったのでこれで良しとする。
組織の再編があるかもしれないというウワサ。 その辺でどういう意見を持っているのかの情報交換を含めた飲み会。
授業でライブコーディングをしてみた。 効果的だったような気がする。 もう1人の教員がツッコミを入れてくれたのが凄く良かった。 コーディングしつつそのコードについての話をしているとそれだけで脳の処理能力の100%を超えてしまう。 そこでコードを別の視点から「こうしたいときどうすんの?」と要求を入れてもらって、それに対応したコード修正を行う、というのは手前味噌ながら良かったと思う。
自転車をショップに持っていってブレーキシューとタイヤを交換してもらう。 「あぶないのでもっと早くに交換せんとあかんよ」と注意された。 毎年1度は自分でチェックするようにリマインダに入れた。 タイヤは上下面よりも側面がより磨り減ってそこが先に危険な状態になっていた。 私が何も言わなくても、「タイヤは側面までゴムが盛ってあって丈夫な奴を選んでおいた」と言ってやってくれるショップはマジ信用できる。 たぶん、本気で自転車競技やるような人は丈夫さよりも重量を気にする傾向があるだろうから、私が元々使っていたような側面のゴムを削ってでも軽量化を図ったようなタイヤが適しているのだろう。 でも私にとって自転車は誰かと競うものではなく、生活の道具だ。 メンテの頻度が少なくて済むという事がより優先される。
タイヤはきかえて整備してもらったら自転車乗ってる感覚がかなりシャッキリした。 さすがプロの整備は違う。 アライメントというのか、ハンドリングがぶれにくい感じ。 タイヤの空気圧を高めにしているのか、路面の手応えが感じられる。 ロードレーサーの感覚でちょっと懐しい。 ブレーキワイヤーが錆びてるらしいのでこれも交換しよう。
つかこの自転車もそのショップで買ったんじゃないので多少心苦しかったりする。 まあ気にすべき点ではないのだろうけれど。 まあ次に自転車を買う時、ワタシ用は勿論ムスメ用やヨメ用とかも含めて、そこで相談するようにしよう。
泳いだ。 26分切り。
股ぐらから尻にかけてあせもができる。 夏場はつらい。 化繊のズボンは蒸れてなおつらい。
国政選挙。 近年消去法でしか投票先を決められないのだが、今回の参院選はマジで投票先がない悪寒。 投票率とか白票率によって議員数が増減したらいいのに。 選挙公報とかで可能な限り情報を集めるのが社会人としての責務だとは思うのだが……。 まあ土曜日に考えよう。
鼻毛の数本の毛先が白くなったり。 毛がシラガになる仕組みってどういうものなのか考えてみる。 以下、想像。 毛を作る細胞には、本体を作る細胞と色素を作る細胞があって 本体を作る細胞が毛本体を作り始めるけど色素を作る細胞が先に衰えると「ちょい待てよー、今からやるからー」と後追いで仕事し始めるようになるのではないか。 で、色素を作る細胞が仕事できなくなると完全な白髪になると。
量子論ノートのファイルが気付けば 4000行以上、200kb 以上になっていた。 非常に編集しにくどこに何が書いてあるか分からない。 演算子についての記述が散在しているし、とてもじゃないがノートとしての体裁を保っているとは言えない。 これを分割して整理しよう。
4000行のファイルを分割することを考える。 何個のファイルに何行ずつ配分するのが理想的だろうか? 環境に依存するが、私の場合はテキストエディタで 30行くらい標準状態で表示できようにしているため、4000行のファイルでは 130画面分くらいになる。 ファイルを探す手間とファイルの中からその行に辿り着くまでを相似の操作だと考えれば、130 の平方根で 11〜12のファイルに分割するのが綺麗なのかもしれない。
「とりあえずノートにメモしておいてあとで整理しよう」という考え方はダメだ。 どこに書くかを考えてからの順序にしないとゴミが増えるだけだ。
自分が行動の理由を聞かれたくないのなら他人にも聞くべきではないし、他人の行動の理由を聞きたいのなら自分からも言うべきだ。 「自分が聞かれたときに答えないが、他人には問う」というのは少々見苦しい。
選挙の投票先を決めるべく選挙公報とにらめっこ。 テキストエディタで要点を書き出せば大体自然に3つくらいに絞られる。 多数の候補から1つを選ぶ時も、一度平方根くらいの数に簡単に絞って、それから1つに絞るようにするのがラクに妥当なものを選ぶ良い手段だと思う。
比例代表選挙で党内の候補の名前を決めるというのに違和感がある。 個人の考え方に賛同して投票するのが選挙区選挙で、党の考え方に賛同して投票するのが比例代表選挙だと私は思う。 なのに何故、党内の序列決めに投票するという発想になるのだろうか。
「党の考え方」という個人に属さないものに投票するという考え方を進めれば、本当にその議員が存在する必要もないのではなかろうか。 仮想的な議員として国会の議決に加算すれば良いと思う。 そうしておけば給料払わんでいいし。
ヨメが外出する用事があるので、私がムスメの世話を見る。 夕方くらいに散歩に行ってやってくれと頼まれていて、 ついでなので区役所まで行って期日前投票してきた。 明日はプログラミング勉強会で私が外出する予定で投票してその足で出るつもりだったのだが、先に済ませておいた方が気楽。 ということでムスメの選挙初体験。 彼女は不思議そーに見ていた。
ゴミ箱上端から 2 cm くらいのところにドリルで穴をあけて、S 字フックでメタルラックの柱から吊り下げる。 こうしてゴミ箱がムスメにとってアクセスできない高さに配置され、ゴミ箱の中をあさることができなくなった。 また、居住空間において貴重なリソースである床面積が空き、 掃除機をかけるときにゴミ箱をどける手間を減らせるという効果も。 なお、S字フックは手頃なのがなかったのでハリガネハンガーをペンチで切って作った。 風呂場のポールにも S字フックがあると便利なのでそこにも置きたかったが、そのポールがステンレス製で錆が怖いのでやめておいた。
ムスメはメリー(音楽と共に回転する玩具)のスイッチの on と off を自分で操作できるようになっていた。
ナツメロという言葉を最初に聞いたのは小学生のころだったと思うが、 その時分の私は何故か「夏のけだるい午後のメロドラマ」の意味だと思っていた。 「夏」と「メロドラマ」はまあいいとして、どこから「けだるい午後」という要素が混入したのだろうか。
Ruby の Test::Unit は public メソッドしかテストできないので、private メソッドは一時的に public に置いてテストしたりしていた。 あとから考えてみてこれはイマイチなことに気付いた。 私はもともとボトムアップアプローチに拘泥する嫌いがあるのでついついそういうテストをしていたが、特に問題が見当たらなければそんなテストを無理矢理する必要はない。 もっとトップダウン的な視点から見るべきだ。 クラスは外界とのインターフェイスをしっかり守るのが最重要課題だ。 内部的には何が行われていても外のクラスからは関係がない。 ユニットテストは外界とのインターフェイスである public メソッドを確認するためのツールであると捉えるべきなのだろう。
「zip でくれ」とネット上で発言するだけで違法ダウンロードと見做されるそうな。 それを受けて、最近の麿の物言わぬ迫力はすごいと思う。
骨髄バンクのドナー候補になるかもしれない、という話なんだが、自分の見えないところで人を助けることに意義を感じない人もいる。 「医は仁術なり」という言葉が幻想であることと同様、「医療に携わる人は仁性を備えている」というのも勝手な思い込みなのだろう。
ああ本当、白血病なんて病気はこの世からなくなればいいのに。
「某氏みたいに有能で余裕があれば自分にもできるだろうけれど、自分にはできない」という物言いは、 「その人みたいになることを「目指している」ように聞こえるけれど、 本当は「自分がその人みたいになろうとしていない」ことを示している。 なろうとしているのならば、今まさにこの時がそれを試し鍛える時である筈なのに、やらないのだから。
「自分の命令に唯唯諾諾と従え」と命令することは、相手の体調その他も全部考慮に入れて最善の選択をするという覚悟がなければならない。 だから真っ当な人間は絶対君主の如く振る舞うことを避けようとするのだと思う。 また、「自分の思い通りに他人が動くわけではない」という当たり前のことを理解せずに社会に出てしまう人もいる。 というかむしろその方が多いかもしれない。 他人には他人の理屈があるということ、一般にそれが自分の理屈と違うのだということをキチンと理解できていないから「他人の行動に理屈なんかない」とか声高に言えるのだろう。
とりあえずパンフレットを読んだり、身内の医療関係者に尋ねたりしたようだ。 世の中には言ってもできない人がいるので、この点は素直に感謝。 しかしその上でダメだと言われた。 まあ「納得できないんだったら諦める」と私から言い出していたことなので、ヨメが納得できないんだったら私は受け入れるべきだ。 ひとまず落ち着こう。
「100%を保証しろ」と言うが、100%を保証することは神ならぬ人の身では不可能なことだ。 「世の中に 100% を保証できるものなんて何一つない」というのは、社会に出る頃には大抵の人間が理解している事だ。 その上で「100%保証できないならば、してはいけない」というのは卑怯な論理だ。
俺はまた阿呆なことを考えていたな。 他人の命なんかよりも家庭の不和の方が重大事だ。 元々患者なんて存在していない、あるいはその人を助ける手段なんてなかったと考えるべきだ。 もともとその人は死ぬ運命で、私には助けられない人だったのだ。 毎日世界中で五万と人が死んでいく現状から考えれば、 その人一人が死ぬことは全体としては大した意味がないと考えなければならない。 私がその死を阻むことができない人は元々いないことと一緒で、それでも我々は平然と毎日を生きている。 ドナーになることは今後も無理だろう。 登録を抹消した。
ムスメは本をめくったり破ったりするのが好きなので、 使わなくなった辞書を与えてみた。
もうすぐムスメの誕生日。 プレゼントとかを用意するとすればどんなのが良いか? 打楽器とか良いように思う。 今ある楽器は吹く系の物ばかりで、今のムスメにはやや高度なので。 クレヨンクレパスも良さそうに思えるが、壁に落書きとかしそうなので対策が必要かも。 しかしまあ、まだ特には必要ないとも思う。 ヨメに聞いたら同意見だった。 ムスメのためにしっかり貯金しておいてあげるのが、将来的に一番良いプレゼントかもしれない。
地下鉄天王寺駅のホームは上り2車線、下り1車線の合計3車線。 なんで両方同じ数じゃないのだろうか? ……などと思うでもなく不思議に感じていた。 ふと、上りが2車線あると便利なことを思い付いた。 天王寺駅は車庫に直結していて車庫は天王寺駅より下り側にある。 よって上り天王寺発や、下り天王寺止の電車がある。 上り天王寺発の場合は暫くホームに滞在しておけば乗客は勝手に入って座って発車を待っていられる。 しかし下り天王寺止まりはそのあと車庫に入るのでホームに留めておく必要はなくサッサと乗客を降ろしてしまうべきだ。 天王寺駅の下りホームにはベンチがあったが、上りホームにベンチはなかったと思う。 そういう意図なのかもしれない。
人は2回死ぬという表現がある。 曰く、「1度目は肉体が死んだとき、2度目は周囲の人の記憶からその人のことが消えたとき」。 小説や漫画で、婆さんが孫を取って嫁を追い出し「母親は死んだ」と教え込むような状況を見かけるが、これは2度目の死を先に与えるということで、ある意味その人を殺す扱いなのではないかなーとか思った。
自分が気付かずに相手を傷つけていたということを知った時の反応 2種類。
ノートPCの グレア液晶をノングレアにするライフハック。 クリアホルダを画面サイズに合わせて切り取って貼りつけた。 本当は液体をうすく塗って気圧で貼りつけたかったのだけれど、 水分は内部回路に回って錆など故障の原因になりそうだし、 エタノールも液晶表面の樹脂に悪影響を及ぼしたら嫌なので、結局セロテープで貼った。 たしかに映り込みは軽減したが、全体が白くにごった感じになってしまい却ってみづらかった。 やるなら貼り付ける機構が絶対に必要。
クリアホルダの切れ端は、栞にとても良い気がする。
ノートの整理。
朝のワイドショー的な番組で新人議員の最初の月の給与の満額支給について 今回の参院選のあとの7月の任期は6日間なのでこれを日割にすると1億円が浮くとか。 まあ庶民感覚で言えば大きいけどな。 だけど国家財政から言えば小さいし、 たとえば2億円の効果のある議案が他にあればそちらを優先すべきだ。
その番組では新人議員について焦点を当てていたが、 現職の議員については選挙期間中も給料が支払われているということだろうか。 そうだとすれば、それはおかしいと思う。 彼らは自分が当選するためだけの活動をしているのに。 「国会議員は選挙活動も仕事の内だ」などと主張するのならば、 まだ国会議員になっていない候補者にもその給与が支払われるべきだということになってしまう。
論文を整理しなおす。 かつて論文タイトルをそのままファイル名に入れて、100文字以上のかなり長いファイル名にしていたものがあったが、これは可読性がかなり低く結局見なくなる。 JabRef などの管理ツールを適切に使用して、ファイル名は bibtexkey と同一にして短く保つべき。 それと分類を発表年に変更した。 以前 first author の頭文字で分類しようとしたことはあるが、 これは高々 26 しか分類できないのでまた溢れる可能性がある。 今回は出版年で分類することにした。 これなら直交性も保たれるし、年を経る度に新しいディレクトリを作っていける。 一年に読むべき論文が 100 を超えたりすることはまずないだろう。 さて、あとは JabRef データをチェックしなくちゃ……。
極座標の微分やら積分やらを一度まとめ直そう。
とある教育訓練。 講師のスライドで日米の意識の比較みたいなのがあった。 曰く、「日本では個々の対処がメインで個人の教育をその対策とする傾向がある。欧米ではそもそも事故の起こらないシステム作りを旨とすることが多い。」 たぶん、「欧米を見習うべきだ」と言いたいのだろう。 でもこの講習会自体が正に日本式のやり方になっていると私は思ったのだが、講師の人はどう考えていただろうか。 さすがにちょっと質問できなかった。
ヨメが外出してる間に掃除機をかけたことがあった。 そんときヨメの部屋で水木しげるの漫画を見かけた。 しかし勝手に読むとヨメの機嫌を損ねるかもしれない。 私が漫画好きなのはヨメも知ってるからそのうち読ませてくれるだろうととりあえず放っておいたのだが、なかなかそう言ってくれない。
ある二次画像に違和感。 その違和感は黒板を向いて右側に外向きの窓があることだった。 思い返せば私が通った学校で記憶に残っている教室はどれも左手に窓があった。 漫画やアニメなんかでもそういう印象が強い。 もしかしたらの理由。 採光のために廊下を北、教室を南にするとする。 すると午前は窓の左方向から、午後は右方向から太陽が差す。 生徒の正面方向に太陽があると眩しいので、できるだけそれを避けるようにしたいが、午前と午後で方向が変わるのでどちらかを優先することになる。 午前4時限、午後2時限の時間割では午前の方が長いので、 午前に眩しくない方を優先して、窓を向いて右方向に黒板を置いた方が良い、と。 こういうことではなかろうか。
実家にはピアノがある。 私も姉も小〜中学くらいまでは習ってたので鍵盤を触ることに抵抗はないが、その程度の能力しかない。 でも片手で単音ずつなら出せる。 カエルのうたとかその辺を軽くやってみる。 ムスメも鍵盤を叩いて音がでるのを喜んでた。
「良い夫・妻になりそうだ」というのは何か1つの美点で判断するものではない。 たとえば「酒を一滴も飲まない」というのは見る人にとっては美点かもしれないが、それだけで「良い夫・妻になりそうだ」と言うのは見方が浅い。 もし仮にその人が浪費癖を持っていたりギャンブル好きだったりするとあっという間にその評価は覆る。 しかしまあそんなことは誰でも知っていて、そういう評価する人もちゃんと分かってる筈だ。 だからこそ、そういう発言は聞き手に対するあてつけとしてしか機能しない。
尤も、「酒を飲まない方が良い」というのは数ある評価方法の1つでしかない。 世の中には酒を一緒に楽しめる人が良い配偶者となると判断する人もいる。
他人が好きなものを自分も好きになろうという心意気を持っている人の方が少ないのかもしれない。
ムスメ誕生日おめでとう。 この1年間熱一つ出さなかった。 元気に生まれてくれて、育ってくれてありがとうと、ムスメに。 元気に生んでくれて、育ててくれてありがとうと、ヨメに。
もし現実に巨大怪獣が攻めてきたりしたとしても、フィクション慣れしてたり妄想してたりでそれなりに冷静に対応できる人が一定数いるような気がする。
査読。 あー、reject してえ。 どうも著者の知識レベルが足りていない気がする。 まあ結果は結果なので料理方法を適切にすれば掲載には足りる可能性があるので、一査読者としては Major revision で留めておくべきような気がする。 ただその料理方法を指導するのは本来指導教員の仕事だろう。 俺の仕事じゃねえ。
昼休みにプールに泳ぎに行ったら外国人がいた。 話してみたらイタリア人とポーランド人だった。 ありがとう英会話スクール。 英語でそれなりに話をできた。 明日の昼飯を約束した。 メシってのは良いツールだよな。
件のイタリア人とメシくいにいった。 彼は日本人の同僚(というか学生)が一緒にごはんとかに誘ってくれないのが寂しいそうだ。 話し相手になるというのは向こうにとっても有り難いことのようだ。 行っててよかった英会話。 むこうが付き合ってくれれば半定期的にメシでも一緒にしてくれれば英語で喋る機会になりそうだ。 友達になれるとよいな。
私が職場に泊まるタイミングに合わせてヨメは実家に帰り、日曜に戻って来ると言う。 「そうだ、発芽玄米を作ろう」と思い立って、米をザルに入れて濡らした状態で放置。 この季節なら2日あれば十分発芽してくれるだろう。 ヨメが家にいると台所が片付かないことや炊飯器を使うタイミングがヨメのストレスになりそうなので、こういう機会にやらないと。
組合の仕事で出勤。
日差しがきつい。 ここんところ雨降ってないので湿度がさほどないのが救いだが。 でも水不足とかが少し気になる。 気象関係で働いている義兄に聞いたところ、水不足の懸念がやはりあるそうだ。
玄米はちゃんと発芽した。 炊く前に、芽や根の伸びつつある米をしげしげと観察。 そして、「命を食うんだなあ」などととしみじみ思う。
TOEIC 受けてきた。
中華なのか和食なのかよくわからない不思議なものを食べた。
ムスメが本棚の本を抜きたがる。 そんなこともあろうかと、本棚の本は随分減らしてあって下の方にはいらない(破いても良い)本しか置いてない。
ライブラリ群とかの整備がうまくいってない。 こまったな。 方針を確立しないと。
今の状態が当たり前だと次第に考えるようになる精神作用が人間にはある。 他人の厚意によって行われていることでも、それが常態化すればそれが当たり前の状態になり、たまにやらなかったら非難するとか。 そういう事態を避けるためにも、毎回「ありがとう」を言うことは大事だと思う。
研究用にプログラムを作る必要があるが、ライブラリが整理されていないのでまずそれからかかる。
車で移動するというのはやっぱり心配だ。 事故に遭う可能性はゼロではないし、何かあったら駆け付けなければならない。 だからヨメが車で移動する前と後にメールでも送っておいてもらえると心配が減って助かる。 そういうことをヨメに言うと、「どうしてもバタバタして送れないことがある」という。 まあそういうこともあるだろうし、過大な負荷を強いてまで送ることを強要するのもおかしな話だ。
さて、私が職場を出る時の「帰るメール」をうっかり失念した時に、「メールがなかったけど」と言われたことがある。 私は勝手に責めのニュアンスを感じてしまったけど、ヨメはそういうつもりじゃなかったんだな。 自分にできないことを他人に強要するということはあるまい。
私が台所を使うと「台所に切りくずとかが残って汚い、片付かないので絶対に使わせない」と言われたことがあった。 勿論今はそんな制限はない。 ま、ヨメも良い加減にイイカゲンになってきてイイカンジだと思う。
格子定数まわりのライブラリを作る。 だいぶ綺麗にプログラムを作れるようになってきたように思う。
200m のビニル紐に結び目がまじってた。 どれくらいの確率だろう?
草野球。 最初の3回を 35歳以上、残りの4回には34歳以下も出場可能というルール。 数年前、最初につけられた10点差ビハインドを若手が引っくり返す劇的な逆転勝ちをしたことがある。 年寄連中はそのときの印象が強く残りすぎ、「10点差以内で若手に渡せば勝目がある」と思い込んでる節がある。 強すぎる成功体験が組織をダメにしている例と言えるだろう。 勝負事なんだから、まず自分らがリードして有利な状況を作る事を考えるべきだ。 年寄連中は勝つことが目的ではなく、参加して自分が出場することを目的にしているように見える。
参加賞の発泡酒マズすぎ。 プラスチックを飲んでいるような妙な味。 まあ勿論プラスチックを飲食したことはないけど。 研究室に持っていって学生にやろう。
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