きづき(日記)

きづき、またかんがえたことをしるす (いっぺい)

2010年06月01日(火)

レポートの採点でかなり死んでる。

「絶対に〜〜する」という約束はなかなかできない。 そのような約束をさせようとする人からすると「そんな風に『どんな状況でも』とかは考えなくて良いから、空気読んでくれよ」ということらしいなのだが、「絶対」という言葉の重さを考えると、やっぱり「最善の努力はする」以外の約束はできない。


2010年06月02日(水)

私の持っている携帯電話はスライド式で、閉じている間はキーが機能しなくなるキーロック機能がついている。 しかしそのキーロック機能は携帯を閉じていても機能する。 結果、キーロックをかけて閉じていても、キーロックボタンに何かが当たって長押しされるとキーロックが解除されてしまい、気付くとネットに接続した状態になっていたりする。 何なんだろうな、この糞仕様。


2010年06月03日(木)

一日中 Ubuntu 化作業。 研究室の分はほぼ以前以上の状態に持って行けた。

Ubuntu は思った以上に快適。 OpenOffice.org がさっくり使えるのがいい。


2010年06月04日(金)

私が研究室に泊まり込みになるのに合わせてヨメは実家に帰ることが多い。 ヨメが自宅に帰ってくる直前に掃除機をかけてみるということを数回やってみたが、ヨメは何も言わない。 というかそもそも気付かないようだ。 なら、やらなくてもいいな。 うん。

5m USBケーブルを購入して、机の背面の本棚にスキャナを置けるようにしてみた。

戦争が起きるというのは、 「相手が攻めてくるだろうから先に打撃を加える」というより、 「それをしなければ自国が滅びるから行う」という緊急避難的な思考が原因になることが多いような気がしてきた。 9条的精神はいささか夢想的に思える。


2010年06月05日(土)

ドラクエとか FF とか、ファミコン時代の RPG のマップってキュービズム的だと思った。 z軸(上空方向)から見た地形で行動が制限されるけれど、キャラやテクスチャはx軸(水平方向)から見てる。

『リオ』『朱夏』(今野敏)。 この『樋口』シリーズは『隠蔽捜査』シリーズより「作者の主張したいこと」のニオイがやや強いか。 作者は昨今の家族の在り方について色々述べたいことがあるようだ。 その辺が私の個人的事情と絡んで、気がつくと私は自分のことを考えてしまって作品世界に入り込めなかったりもした。 が、総じて読み易い文章。 隠蔽捜査の方が、主張の色が弱く、良い感じに力が抜けて無色で良質なエンターテインメントになっているような感じがする。 主人公の樋口は引っ込み思案な性格をしているが、そのことがストーリーに役立っておらず、作者が家族の在り方について論じるためだけにその性格が与えられたように感じる。


2010年06月06日(日)

NHK のガンダム特集で宇宙世紀シリーズの流れをおおまかに見る。 ファースト→Z→ZZ へとやっていくうちに、 モビルスーツのデザインとか配置とかが洗練されていくように感じた。 モビルスーツの格好良さとか、子供受けしそうな要素を上手いこと盛り込んでいるなあ、と思った。 あと、連邦軍は直線的なデザインで、ジオン軍は曲線的なデザインということ。

ニュータイプがなんか察知する時の SE 欲しいな。 メールの着信音にしたい。


2010年06月07日(月)

風呂からあがった後、寝る迄に時間があるようならパジャマではなく室内着を着るということになっているが、その「時間がある」の線引きがどれくらいなのか分からない。 なのでヨメが先に風呂に入ったときはヨメが着ているもので判断している。 で、暫く観察してみたところ寝るまで結構時間があるときでもヨメがパジャマを着ていることがあるので、まああまり気にしなくても良いのだろう。


2010年06月08日(火)

ひげぬき機を使うようになってからアゴの肌が腫れる感じが続いている。 風呂は雑菌の温床なので、風呂の中でやるのがよくないのかもしれない。 風呂から上がって肌を乾かしてから使うのを試してみたら翌日も肌は健康だった。 この方針だな。

お通夜。 亡くなられたご本人を私は直接知らないわけだが、そういう人間が最後のお別れに行くというのも不思議な気がした。 しかし、葬式は亡くなった方のためというのが主眼ではあるけれども、遺された人のための儀式という側面が少なからずある。 この観点からすると遺された彼らのために家族の知人が行くというのは筋が通っている気がした。


2010年06月09日(水)

ベッドやソファの上にいるムスメが床に降りようとするとき、 今迄は常に果敢に頭からチャレンジしようとしていたのだが、 最近は足から降りようとするようになった。 とはいえ、今でも段差の下に布団やクッションがある場合には頭からチャレンジしようとするので目を離せない。

『JR東海 そうだ、京都行こう。1997年夏 詩仙堂編』 。 最後の「まあ、色々あったんじゃないでしょうか」というのが 突き放して広がりを持たせる、良いフレーズ。 ぞくぞくっと来た。


2010年06月10日(木)

ふと、ムスメが指をさしていた。 おかえしに、私が別の方向を指さしてみると、その方向に顔をむけた。 ムスメはいつの間にか、指さすことで方向を示すということを理解したのだろう。 以前同じことをやったことがあるが、ムスメは私の指先を見てるだけだった。 (cf. きづき2005年05月10日)

飲み会。 同僚のある先生もまだ新婚というべき時期なのだが、その配偶者の方が「手元調味料が許せない」という人らしい。 こういう人は味覚の差異とか皆の幸福よりも自身のプライドの方を優先しているのだと私は思う。 まあ何だ、勘違いした頑固おやじのラーメン屋のような世界観だ。 今のヨメはその人よりも大きく前を歩いているので、私はヨメを誇らしく思う。


2010年06月11日(金)

自作スクリプト、ドットファイルを ~/src に入れて一元管理していたが、最近はファイルの数が増えて見通しが悪くなってきた。 今 ~/src に入っているファイルを大別するとプログラム・ ライブラリ・ ドットファイルの3種類。 これらをサブディレクトリを分ける方針で考えてみよう。 あるいは ドットファイルはかなり扱いが違うのでこれは ~/src の外に出すべきかもしれない。 これらのディレクトリに入っているファイルを然るべきディレクトリ(~/bin, ~/lib, ~/ )にインストールするプログラムも調整しなければならない。


2010年06月12日(土)

家の PC も Ubuntu にして、UTF-8 に移行する作業開始。


2010年06月13日(日)

w3m で表示がくずれる問題はどうやら mlterm に原因があったようで、 Ubuntu でも mlterm を使えば同様の症状が出た。 しかし rxvt を使えばおおよそ問題ない。 まだ問題のある文字もあるが、 mlterm よりその数が少なく、十分に我慢できるレベルだ。 Subversion も特にいじることなく UTF-8 化できてくれた。 クライアント側のロケールにあわせてファイル名を自動的に変換したりしてくれる機能があったのだろう。 と、まあこれらを使っていれば FreeBSD のまま UTF-8 化できたのかもしれんなあ、とか思った。 Ubuntu は(というかたぶん Gnome が) VIA Eden 1.2GHz なマシンでは結構重いのでまた FreeBSD に戻りたい思いにも少しかられるが、 まあ OpenOffice.org や AcrobatReader がさっくり動いてくれるのは十分な利点だろう。

UTF-8 化したおかげで vim のコマンドモードで「の」入力でターミナルごと化ける問題が解消。 synergy で Windows からのコピペが可能になった。 でもこのもっさり感は低スペックマシンでは実に困る。 gnome 切って icewm 環境にすればもうちょいマシだろうか。

latex は euc-jp な環境を想定しているようで、UTF-8 化することをいろいろ頑張っている人もいるようだがやはり安定してないようだ。 かといって TeX ファイルだけ EUC-JP にすると、grep (ファイル内文字列検索)などのプログラムから扱うときに面倒。 仕方ないので euc-jp に変換したファイルを生成し、これをコンパイルするという簡単スクリプトを作る。

正直、TeX の設計は古臭いと思う。 分割編集していてその章だけの dvi を生成したいし、 分割編集でのサブディレクトリの扱いがこなれてないし、 コマンドラインオプションでの制御が不十分で、 この辺をもっと便利にできるだろうにと思う。 イマドキのプログラミングの知見を用いて設計した新しいシステムとか出てこないものだろうか。 つーか私が作れないだろうか? 考えてみれば TeX をラッピングすれば良いだけかもしれない。 少し考えてみよう。


2010年06月14日(月)

体調が悪い。 寝不足の感あり。


2010年06月15日(火)

発熱。 たぶん菌的な何かではなく疲労の蓄積。 私は昔から半定期的にこういう発熱の仕方をする。 日々の生活のうちに体の中に何かよくないものが蓄積しており、それを浄化するプロセスのように今の私は考えている。 病気のときに発熱するのは抗体とかの活性を上げて病原体に対する抵抗力を高めるためだろう。 同じように何かよくないものを払拭するために、たまに体温を上げる機会が必要なんじゃなかろうか。 車のエンジンで、たまに強めにアクセルをふかした方がエンジンの調子を保つために良いというような。 だから 38度とかを越えない限りは解熱剤とか服用とかしない方がいいんじゃないかとか漠然と思ったりする。 この考えが正しいとすれば、定期的にランニングとかすれば発熱しないということになってしまうが、さて、どうか。

熱を出したとはいえ今日中に片付けなならん仕事がある。 「午前中は家にいて様子見ながら仕事して、その様子を見て午後の方針を決めようと思う」 と言ったら、「午前中しっかり休んで、午後は職場に行った方が良いのではないか?」と言われた。 しかし私の体にとって一番優しいのは、家で随時休みを入れながら仕事をすることだ。 往復の通勤で消費する体力が勿体無い。


2010年06月16日(水)

熱はすんなり下がったので無事に職場に出て授業できた。

「〜してもらえない?」の方が下手に出てる分だけ相手が断わり難い気がするので、私はあまり使いたくない。 まあそもそも頼みごとをしなければ良いということだ。

鳩山劇場は、政治としては笑えないが ショーとしては面白かった。

政治家なんてのは、信念通りにやれば世界が良くなると短絡的に信じられる人だけがやれるのだと思う。 どんな選択でも一定数の不利益を被る人が生じる。 誠実な人ほど自分の選択によって不幸になった人のことを真面目に受け止めすぎて精神が保たないのではなかろうか。 結果賢く真面目な人は淘汰され、少し不真面目で頭の悪い人ばかり残るのではなかろうか。

UTF-8 化しておおよそ良い感じだが、ambiguous width character な問題が実に不快。 アメリカ人は無理して記号を半角幅で使おうとするんじゃねぇ。 全角幅でいいじゃん。 元々大半の記号類は正方形の領域を仮定して描かれたものだ。 「自分の環境は半角幅で統一したい」という気持ちは分からなくもないが、そら我侭というもんだろう。 もともとタブ文字なんかは1バイトで複数幅を持ってたんだし、前例もある。

ヨメは私の目に触れないうちに家事を完璧に済ませておかばならないと思っているようで、すなわち彼女の頭の中では私はお客さんなのかもしれん。 だから完璧でない状態のときに、私が家にいたらそれを恥と思うようだ。 しかし「食事の用意ができるまで帰って来て欲しくない」というのはヨメのワガママだと私は思う。 それは「キッチリしている」という美徳ではなく、そのために他人の行動を制約する悪癖だ。 どういう家庭を作るかではなく、自分がデキルオクサマをどう演じ切るかで精一杯なんだろうなあ。 まあそういう意欲すらない人よりは格段に良いのだが。


2010年06月17日(木)

電池の両極を導線で直接繋げばどうなるか? 小中学校の理科の教科書的に考えると抵抗が 0 になるので、電流は無限大。 電圧は電池電圧で、消費電力は電圧×電流で無限大。 すなわち電池に蓄えられていたエネルギーが瞬間的に解放されて激しく発熱する筈ということになる。 しかし実際は、発熱はするとしてもそんなに瞬間的な現象ではない。 高校の化学くらいだとこの辺は「電池の内部抵抗」という言葉で説明できたりするが、実際のところは電池が出せる電流は内部の化学反応速度に律される。 外を抵抗0の導線で繋いだら、内部の化学反応が完了する時間だけかけて、エネルギーが熱として放出される。

電池は水流を流すポンプに喩えることができる。 電池が水を低所から高所に汲み上げ、電池の外の回路は水路で電池の片方の極に繋がってそこまで水を運ぶ。 豆電球や電熱線はその水路が狭くなっていて抵抗を生じることに喩えられる。 抵抗は線形的な効果を及ぼすので、電池の電圧が低くてもそれに応じた電流が常に流れる。 豆電球を繋いだ電池は、十分な時間があれば蓄えられたエネルギーを全て使い切って、エネルギーが空の状態になる。 LED は水の落差そのものをエネルギーとして取り出す仕組みで、落差が光の色に一対一対で応する。 だからある色の光を出そうとするならば一定以上の落差(電圧)が必ず必要になる。 電池の電圧というのは終始一定ではなく、蓄えられているエネルギーを消費するに従って電圧が低下していく。 よって電池で LED を光らせていた場合には、 LED を光らせるのに必要な電圧までは電圧低下が起こるが、 それ以上はエネルギーを消費できないのでそこで化学反応がストップし、 電池に蓄えられているエネルギーを消費し尽くすことができない。 リモコンとかで使えなくなった電池でも、残っている電圧・エネルギーで半導体を使わないデバイス(時計とか)で使えたりするのはこのためだ。

小中学校の理科でオームの法則というのを習うが、 これは LED などの半導体では成立しない。 物理の世界では「線形性から外れる」とか表現する。 LED が使う電圧を越えた分が駆動力となり、 たぶんこの差に比例した分の電流が流れるはず。

あ、だめだ。 限界越えた。

禁止系の命令は対象者の行動として見えにくい。 だから意識することがなく、無制限にできると思ってしまうのかもしれない。

ムスメに癒された。 明日も帰ろう。 ムスメに癒されに。


2010年06月18日(金)

傘が雨水を通して濡れる。 まず布が濡れて裏面まで浸透し、そこに次の雨粒が衝突する振動で内側に飛沫が散るという感じ。 黒い傘でも光に翳せば布目のパターンが確認できるように、張ってある布はミクロに見れば穴だらけだ。 傘の布で一度雨をストップするだけでもそれなりに効果があるが、布に防水処理がされていればそこで水がはじかれて水が浸透しにくくなる筈だ。 買った時の状態では、布に防水処理がなされているのだろうが、何年も経って効果が薄れたのだろう。 防水スプレーを買って来よう。


2010年06月19日(土)

泊まりのあと、一度家に帰ってシャワーを浴び、 それからすぐに高校野球部の OB 総会と現役生の壮行会へと家を出る。 今年の3年生は物怖じしない、なかなか神経の太い奴が多かった。

自分が活躍したいという欲が誰にもある。 しかし自分が活躍することよりもチームが一つでも多く勝つことが本当に目指すべき目的だ。 それこそが全員にとっての勲章であり、ベンチから外れた人にとっては特にそうであろう。 他の人が活躍できる場を支えることが大事で、試合に出ている人も、彼らがいるから自分が活躍できるのだと感謝すべき。 ……当然、自分が高校生の頃はこんな殊勝な考え方はできなかったが。

英語。 the で「ザ」と発音するか「ジ」と発音するか。 度々言い間違えるが、わざわざ言い直すことの方がより大きな間違いだろう。


2010年06月20日(日)

数学ライブラリの使い方をちゃんと勉強しよう。 以下ののいずれの組み合わせでもリンクできることをサンプルコードを作って試そう。


2010年06月21日(月)

親子の絆は切ろうと思っても切れるものではない。 それに比べて夫婦の絆は切ろうと思えば切れてしまう。 この違いに気付いておらず、配偶者に向けて 親にするのと同じようにワガママ勝手に感情をぶつけてしまい、相手の気持ちの限界を越えてしまう人も世間には一定数いるような気がする。

ムスメは、ハーモニカが私でないと吹けないと認識したらしい。 私が吹いているとまず取り上げて、自分の口に持っていって舐めたり齧ったりしてみるが、鳴らないのでまた私に渡す。 渡すというよりハーモニカで叩く・押し付けるという感じで、歯に当たったりして正直痛い。 が、まあそれもよきかな、よきかな。

英語アレルギーはだいぶ収まったので、UNIX の環境変数 LANG あたりはもう C (英語)でやれば良いように思った。 が、LANG を C にすると、zsh のファイル名補完とかがうまくいかない。 やっぱ UTF-8 か。


2010年06月22日(火)

普段 UNIX マシンでビープを活用している。 make が終わったら音で知らせるとか、カップ麺にお湯を入れて3分後に ピッと音を出すとか。 スピーカー経由で音を鳴らすこともできるが、こちらはイヤホンが繋がっていたりしているので、別系統でイヤホン関係なしに鳴らせる機構が重宝する。 しかし Ubuntu を入れたマシンでビープが鳴らない。 Google 先生に聞いたりしたところ、ビープを消す方法が色々見つかるが、鳴らす方法について書いてあるのは少数。 ビープ音嫌われてるんだなあ。 ふとパッケージをタブ補完で探してみたら beep という名前のパッケージがあった。 使うと鳴った。 でもこれまで使ってきた機構とちょっと違うみたい。 これまでは ASCII で定義されたベル文字をターミナルに出力することでターミナルから音を出していたのだが、beep コマンドはカーネルにお願いして音を鳴らすようだ。 両者の違いが生じるのはリモートログインのとき。 ベル文字を出力する方式だと手元マシンで音が鳴るが、bell コマンドだとリモートホストで音が鳴る。 bell コマンドは、少し不便。


2010年06月23日(水)

授業のレポート採点用に、プログラムをチェックするプログラムが必要だ。 たとえ完全なチェックは無理だとしても、

これらが自動化されるだけで労力がかなり違う。 インデントのチェックもできるかもしれない。 あと、再提出や提出なしの学生の扱いも毎週やってて疲れ果てた。 こんなのはプログラムで判定させるべきだ。

提出させた学生のプログラムを手元の環境で実行しているが、これはいささか不安だ。 なにせ Ruby は何でもできる。 system('rm -rf ~/') なんてコードを埋めておけば、実行者のデータを壊滅させることも可能だ。 これに対する対策は、chroot とかやってみるか、採点用のアカウントを作ってその権限で実行するとか考えられるが、さて。

$SAFE によるセキュリティレベルで制御するのはちょっと違いそう。 基本的に外から取ってくる文字列の危険度を扱うもので、手元のコードの危険度を扱うものではないようだ。 外部コマンド(system, eval, ``) とファイル出力だけ、手元で grep でチェックすることにしよう。

Ruby で syntax チェックだけやってくれるモードとかないかなあ。


2010年06月24日(木)

英語の勉強がぜんぜん追い着かん。


2010年06月25日(金)

専攻のソフトボール大会。 9打数7安打(2本塁打、1三塁打、2二塁打、2単打)。 右バッターが打つときは、古典物理から簡単に導けるように、右方向より左方向の方が飛距離が出易い。 私も左中間に打つ方が好きだった。 しかし野球は飛距離を競う競技ではない。 寧ろ右中間の方がサードベースに遠く3塁打になり易いという長所がある。 現役時代はあまり意識していなかったが、私はそこそこ右方向へ打つのが得意だ。 特に右中間に狙って打てるというのが俺の強みだろう。 今後野球するときは意識して、積極的に右方向を狙っていこう。

バッターはピッチャーの投げたボールに対してそのボールを何処に飛ばすべきか瞬間的に判断する。 その打席ではセンターがかなりレフト寄りに守っていたので基本右方向で考えていたけれど、 ボールが内角気味に来たので思い切って狭い左中間を狙ってみた。 打球は自分が思い描いた通りの完璧な軌跡を描き、左中間の深いところに落ちた。

今年もショートを守っていたが、去年よりエラーが少なかった。 グローブの形を修正したのが効いたのかもしれない。

グラウンドを借りている時間の制約のため、1試合40分で終了しなければならない。 そのためグラウンドルールが「30分経過時点で表だったらその回ノーカウントで前の回までの点数で勝敗を決め、裏だったらその回が終わるまで攻撃しても良い」ということになっていた。 このルールだと後攻が圧倒的に有利。 だいたい3回くらいから最終回の様子になり時間との勝負になる。 ケースに分けて考える。

すなわち、 前の回まで先攻チームがリードしていてタイムアップを迎えた場合には後攻チームが逆転のチャンスを追えるケースがあるが、 前の回まで後攻チームがリードしていてタイムアップを迎えた場合には必ず後攻チームの勝利が確定する。

私を呼ぶときは先生と呼ばなくても良いと個人的には考えているのだけれど、教員を先生と呼ばせる習慣をつけさせた方が学生のためなのかもしれん。

当日のうちから筋肉痛。


2010年06月26日(土)

激しく筋肉痛で歩くのも痛い。

「これまで沢山の異性と付き合って来た」というのは多分、「私は他の異性から見ても魅力的」と外からの評価が高いことをアピールしているのだろう。 が、他人の評価は参考程度にして人間の魅力を自分の目で判断しようとする人にはそのアピールはあまり効果がないように思う。 むしろ一部の人間には逆効果になるだろう。

「ブランド物は嫌な気分の時に買ってもその気分がずっと残る」と言われて「へーそんなもんか」と思ったことがあるが、成程そのブランドは印象が強い。


2010年06月27日(日)

最近、ちょっとオサレめぽい理容室に行っている。 その店は理美容 と銘打っているが、美容師資格を持っているかはまだ聞いていない。 で、ヨメの美的感覚に適う髪型を理容師さんと相談しているのだが、私にも分かんないからいつも二人で困ってる。 今回もヨメはノーコメントだった。 たぶん、自分の言うことに従わないのならどんな髪型でも一緒なんだろう。 ならもう気にすることはないな。 「短めでおまかせで」で今後は頼んでしまおう。 他人にとって同じ事ならば、自分が好きなことをして精神的負荷が減る方が良い。

なお、美容院に行くことは耐えられない。 「オサレでしょ」という空気が嫌、仕上がりの髪が長くて鬱陶しい、仕上がりが長いのでまたすぐ切りに行かなならん、高い。……と行きたいと思う理由が何一つない。 唯一の利点としてヨメが喜ぶということはあるが、その代償が大きすぎる。 かっこいい髪型でしかめ面して暮らすより逆の方が良かろう。

授業の小テストの採点。 来年は採点プログラムを絶対作る。 でも他の教員に採点とか任せるためにどうしようかな。 いろいろシステムを構築しなければならない。 PHP という手もあるが、せっかくだから Ruby on Rails を調べてみようか。

家族カタン。 1ターン5点取りの追い込み勝利。


2010年06月28日(月)

水曜日の授業準備は終わらせた。 あとは金曜日の研究報告だが、これは水・木の空き時間で何とかなるだろう。

いろいろと許してやらんといかんのだろう。 謝るべき時に謝れない人や、自分の誤りを修正できない人もいる。 決してその人の本性が悪なのではなく、ただ普通の人なだけなのだ。

「玄米を炊くのが苦痛で仕方ない。それを私にさせるのならば対価として1ヶ月に1万円を支払え」というような要求をされたことがあった。 でも本当に1万円を欲しかったのではなく、自分の言うことに従わせたかっただけなのだと思う。 きっと「1万円も払えないのでそれは諦める」と言って欲しかったのだろう。 そして今ではきっとそれが歪な要求だったということに気付いているのだろう。 だから「研究室に炊飯器があるから、弁当用の玄米は炊かなくていいよ」とか、きっと私は言わない方が良い。

とはいえ発芽玄米はやりたいところだけど。 まあこれくらいは我慢するか。 いや、一度だけ感触を聞いてみても良いかもしれない。

「行使していない権利は持っていないも同じこと」と考える人も世の中にはいそうだが、これは明らかに違う。 選挙権は全ての成人に与えられているが、権利を放棄することは個人の自由だ。 放棄した人が、たとえば「私は選挙権を行使していないのでそれ以外の社会サービスを提供しろ」などと主張するのはおかしい。


2010年06月29日(火)

ヨメも見てないらしいが、母のところでムスメが10歩ほど歩いたらしい。

種を畑に直接撒かずに苗にしてから田畑に植えるのは、その種が発芽しないことがあるからだろう。 撒いたあとそこから発芽しなかったらその部分の土地が遊んでしまって収穫に寄与しない。

『FRIENDS』を見ることにした。 以前に見ようとしたときは家での勉強禁止令下で、 しかも「英語の勉強用に買った」とか無邪気に言い放たれて見る気をなくしてしまったのだが、今は私もヨメも普通に勉強できる環境にあるので。

テスト自体をプログラミングしておいて自動化するテスト駆動プログラミングというスタイルが、Ruby では推奨されている。 以前からそのことは知っていたけれど、なんとなくやらずに済ませてきた。 今回、学生プログラムのチェックプログラム作るのに、そのスタイルを用いてみた。 テストが通る快感がかなり素敵だった。 また、クラスの作り方にも一つの視点を与える。 これまではクラスの持つ何がしかのメソッドから直接画面に文字を打ち出す事を平気でしていたのだが、Ruby の Test::Unit では標準出力への出力は捕捉しないので、テストするためにはメソッドからは極力データを返して出力を一箇所にまとめる必要がある。 そしてそのように作る方がデータ管理的により良いのだと思う。

『英語公用語化について』 。 少し前にのじり経由で見た英語と知的エリートの話。 一言で要約すると、 「英語ができて仕事ができない人が、仕事ができて英語ができない人より優位に立つべきではない」。 そう、英文法的な間違いは恥ではないのだ。 「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」というが、「意図が通じなかったらどうしようと、英語での質問を躊躇う気持ち」にも適用できる。 間違いを恐れず、聞いて知識を新たにする機会を恐れずに活用すべき。 些少な間違いを笑う人をこそ、心の中で笑ってやれば良い。

名古屋出張。 頑張って、英語で質問してみた。 することができた。


2010年06月30日(水)

授業。

ムスメのあゆみは「足を踏みかえる」という感じだが、 今日は3歩ほど進んだ。 母のところで見せたパフォーマンスより少ないが、 「親がいると甘えて歩かないのかも」とヨメが言う。 うん、ありそうな事だ。

「いないいない、ばあ」 タオルケットで頭を隠すムスメの可愛さ限りなし。 「いないいない」のあと、b 音のために唇を閉じて溜めていると、一緒に「ばあ」と言ってくれる。

ヨメが買った NHK の Jブンガク というテキストを自分の勉強がてら音読していたら、ムスメがなんかケラケラ笑ってた。 声かけ遊びみたいなもんと思ってたのかもしれない。

「天下りは悪そのもの」という意見をマスコミでよく見かける。 でも優秀な官僚に対して国がはらうべき報酬の一部を、民間が担ってくれていると見ることもできるのではなかろうか。 利益誘導があったかどうかだけが争点になるべきで、天下りそのものは悪ではないように私は思う。 勧善懲悪と善悪の判断の問題と同じで。

ひらしょー経由で 『再就職までのよくあるお話、始めます』。 なんつーかすごいね。 コメントが荒れてたけど、あそこで荒らしている主張をするような人は人間観察が足らんなあと思う。 私が思うに、女性の全てがそういう苛烈な性質を持っているとは筆者は思っていないように感じた。 ただ、その苛烈さを奥さん個人の資質としてしまうと奥さんの逃げ道がなくなるので「そういう種族なのだから仕方ない」という風に、奥さんを責めずに済むようにしているのだろう。 またこういう苛烈なタイプの人間(記事の奥さん)は自分で「女性はみんな自分と同じようにこう言う」と一般化する傾向があるので、奥さん自身が筆者に主張したことなのかもしれない。

私は基本的に精神的なところで「男だから/女だから」を盾にしたり、それを非難の種にするのが嫌いで、やりたくない。 しかし、「女性だからしかたないよね」としてまとめた方が個人を非難せずに済む場合も多い。 あの筆者を叩ける人はそういう苦悩を味わったことのない、ある意味幸せな人なのだと思う。

ウチのヨメは今は普通に素敵な女性だし、以前もあそこまで苛烈ではなかった。 念の為。

『鬼切り夜鳥子』(桝田省治)。 小説家が本業でないだけあって、文章下手だなあ。 読む気があまりしない。 事象をペタペタとつなげてるだけで、メリハリがなく平板な印象。

アメとムチと俗に言う。 基本方針として禁止事項にはムチ、推奨事項にはアメが適しているのではなかろうか。 こうしておけば両方共アクションが取られたときにリアクションがあるという形になる。

授業目一杯、会議もあるよ! 金曜日の出張準備もあるよ! ということで研究室泊。 オウチが恋しい。

言葉で謝ってくれなくても、胸の内で反省していそうならばそれで許す。 この心構えができた。 ずいぶん楽になった。


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