きづき(日記)

きづき、またかんがえたことをしるす (いっぺい)

2010年05月01日(土)

ベビーカー押しつつ公園を散歩。 ムスメに目線を合わせて顔を見てると身を乗り出してきた。 ああ、これがこの姿勢を覚えた瞬間なのだろう。 あと、これまで散歩のときにはあまり声を出さなかったのだが、 ベビーカーから出して抱っこして遊んでいたら 「あー」とか言うようになった。 外の散歩も家の中の遊びと同じという感覚を知ったのではなかろうか。


2010年05月02日(日)

私が小学1年生のときに使っていたハーモニカを、確か捨ててなかった筈……。 ということでムスメと遊ぶために見つけ出して来た。 ムスメ大喜び。 俺って物持ち良いなあ。 俺の保育所時代のカスタネットも発見したよ。

ハーモニカで吹いて音が鳴る口と吸って音が鳴る口との配置が交互になっているのは、分解能を上げるためなんだろう。 ドとレの間くらいに口の位置があっても、吹いたときには「ド」のみが、吸ったときには「レ」のみが鳴るようになっている。 適当に口を窄ませずに「ドレミ」の3音に跨っていても、そこで吸えば「レ」のみが鳴る。 もし「吸う」と「吸う」が並んでいれば両方の音が混ざって鳴ってしまい易い。

ドレミファソラシ は 7音階と奇数なので、 オクターブの違う音でも吹く・吸うを揃えるならば どこか隣り合うところで同じ動作で鳴らすようにしなければならない。 これが ラとシで、隣り合っているのに両方ともが吸うことで音が鳴るようになっている。 だから小学生のころラとシのところでよく音が混ざっていたのかと今になって理解した。 あとラとシの間の仕切りは他の音に比べて若干厚くなっているが、これも隣り合っている口の分解能を上げるための工夫だろう。

机にコップを置く時に立つ音で、隣室で寝ているムスメが起きることがあるので神経を使う。 ということでコースター作成。 不要な CD-ROM を持ってきて、データ面に「コースター」と書く。 輪ゴムを4つくらいに切ってラベル面にセロテープで貼る。 抜群の消音性能を発揮。

『娚の一生』(西炯子)。 面白かった。

『GIANT KILLING』 遠近法がしっかりしていて、カメラの使い方が上手い。 空間の広がりを体感できて読んでいて気持ち良い。

結婚してからも「実家に帰る」と親本人が言うのは構わないと思うが、 子供にとっては夫婦の作っている家が「帰るべき家」というべきだろうなあ。


2010年05月03日(月)

京都へ行って漫研同窓会的飲み会。 言われて初めて気付いたが、ヨメを連れてくるのもオプションの一つだったか。 まあムスメがいるので難しかったとは思うが。 次の機会があればそういう風にしてみても良いかもな。 何年後になるかは分からんし、そんとき知り合いが誰か残っているか分からないけれど。


2010年05月04日(火)

京都から帰って、勉強、勉強。 そして実家でボードゲーム。


2010年05月05日(水)

あとから考えたら連休のどこかで義実家に1泊とかしてくるのがベターだったかもしれん。 まあ体力的にもきつかったけど。


2010年05月06日(木)

ヨメがかつて使っていたノートPC の調子がおかしくなったので、 「研究室で使えるかもしれない」と身元を引き受けた。 暫く動くけど、ある所で突然死ぬ。 この感じは熱暴走だろうな。 ファンに埃がたまって空気が流れなくなったりしてるんだろう。 ということで裏蓋を開けようとしたが、ネジ山が潰れ(て)た。 私がやってしまったのかもしれないし、もとからそうだったのかもしれない。 破壊的なことはしないように、ということなのでここで諦め。


2010年05月07日(金)

アゴに吹出物。 これは毛抜きが要因の一つだろう。 使用頻度を調整してみよう。 抜くのが楽しくて1日おきとかやってみたけど、3〜4日はあけないとあかんっぽい。


2010年05月08日(土)

私の座っている椅子が安物なのか、ガタガタする。 普通に座っていてもガタガタ響いて隣の部屋に寝ているムスメが起きてしまうようだ。 ということもあって、姉からバランスボールを借りてきた。 これに座ることにすれば音がしない。

バランスボールを見るとムスメは栓の部分をなめようとする。 たぶん図形的なパターンが乳首に似てるからだと思う。


2010年05月09日(日)

ムスメはボタンのあるものを押したがる。 ヨメが PC で作業をしているとキーボードをバンバン押そうとする。 ということで避雷針として使ってないキーボードを用意。 丁度 Happy Hacking Keyboard Lite2 の PS/2 接続のやつがあったので キーを全部外して拭き掃除し、仕上げにエタノールで拭いて消毒した。 そこそこ喜んでくれた……かな?


2010年05月10日(月)

私は話しかけた相手が反応しなかったらまず「聞こえなかったんだな」と考える。 わざと無視するという事を自分がしないから、相手がわざとそうするという事が思い付かない。 自分の機嫌がわるくても、相手がいかな阿呆なことを言うてても、それに顔を向けて対話をする。 それは「話し合いが人間関係の基本だ」という信念があるからだ。 だから私に話し掛けたときに私が反応しなかったならば、それは私に聞こえなかったか、私に向かって話しかけたのだと思わなかったということだ。 決して意図的に無視はしない。 逆に相手の反応がなかったときに「無視するな」と非難する人がいれば、『その人自身が「無視する」という行為を選択しうる』ということを自ら暗示していることになる。


2010年05月11日(火)

今年の授業ではレポートを電子的に提出させている。 そのレポート提出システムを他の先生が PHP で作ってくれてとりあえず動いていたが、いろいろ調整不足な点があり、そのために幾許かの無駄な仕事が生じている。 特に、レポートには再提出というのがあるということを考慮しておらず、仕分けが面倒。 採点者である私自身が PHP をいじれる必要があるだろう。

英会話学校のパーティというのが催されるそうな。 4000円で強制的に英語を使う機会を得られるのなら安いものだと思った。 当日入る筈の別の予定がなくなったので事務方に聞いてみたが、残念ながら既に満席だった。

かなり最近までしつこくこびりついていた英語アレルギーは、「英文というのは修飾関係などで一意に文意が定まらない」と感じていたことに起因する。 でも考えてみえば日本語でも阿呆の書いた文章は文意が一意に定まらない。 言語による問題ではなく、書き手による問題なのだ。 最近は(よく巷で言われるように)寧ろ英語の方が扱い易い気がしてきた。

自分でもとっくに分かっていたことを改めて話のタネに上げる。 たぶん誰でもしていることだろう。 しかしこういう話しかけられ方をした時に、「そんなことも分かってなかったのか」と相手を馬鹿にしたような返答を返す人がいる。 こういう人が相手だと、話のタネを探すのに苦労する。


2010年05月12日(水)

「イイカンジに嫌な気分になれる」と言ったら全然通じなかった。 ……当たり前だ。 この言い方が通じるのは漫画や何やを散々オススメし合った付き合いの長い友人に限られる。 ここで改めて説明してみると、「漫画や映画といった創作物を見るときに嫌な気分になることも、私にとっては感情が動くのでその感覚が好きなのだ」ということになる。 普通の人は嫌な気分になるものは喜んでは読むまいが、そういう楽しみ方もあるという話。 たぶんこういうのは絵画とかを含めた芸術の一ジャンルになっていると思う。

Android が気になる。 が、俺の携帯はまだ2年ちょっとしか使ってないし、 Android や iPhone のようなものを使うにしてももうちょっと技術が枯れてからの方が良いだろう。

携帯のボタンが打ち難いのは、中央が決定ボタンになっているからだと思う。 ファミコンの十字キーのようにまん中に指を置いてずらすように入力できればもっとラクなのにと思う。


2010年05月13日(木)

  1. 無声音 k を有声音で出すと g。
  2. 無声音 s を有声音で出すと z。
  3. 無声音 t を有声音で出すと d。
  4. 無声音 p を有声音で出すと b。
  5. 無声音 f を有声音で出すと v。

1,2,3 は おおむね清音と濁音の対応になっている。 4,5 あたりでは日本語の清音と濁音の対応がやや錯綜する。 さて、h の有声音はどんな音だろう? b ではない。b は p の有声音だ。 発音してみると、「あ゛」のような音になった。 「あ゛ーだりー」の「あ゛」。 複数の外国語を勉強すると、こういう発音に関する理解が深まるんだろうか。


2010年05月14日(金)

PHP を少しいじる。 体系的には学んでないが、まあ大体つかんだ。 あとは必要なときに必要なリファレンスを引けば使えるだろう。

ここんところずっとインデントに2文字スペースを使っていたが、タブ文字を使うことにした。 もともとタブ文字を忌避していた理由は環境によって文字幅がちがうこと、 ダウンロードしたソースでタブとスペースの混在コードがあったりしたからなのだが、 前者は自分の環境で一意であれば十分だし、 後者も「作法として混在はダメ」だと偉い人も言っているようなので、私が見たのは少数の稀な例だったのだろう。 また、vim で行番号を表示するようにした。


2010年05月15日(土)

母の家でムスメが、半透明のケースにダイスを入れてカラカラ鳴る状態になったものを喜んで遊んでいたが、これは蓋が外れてしまったときにダイスを誤飲してしまう可能性があってあまりよろしくない。 ふと思い付いて乾燥炒り豆を入れてみた。 これなら万一の時に誤飲してもそう酷いことにはならないだろう。 ダイスほどのダイナミズムはないが、そこそこいけそうだ。

バギーに乗せてムスメと散歩していると、いつもムスメはその途中で眠りについてしまう。 今日はムスメは興奮して起きまくりだった。 景色とか、空間的な広がりが分かるようになってきたのかもしれない。


2010年05月16日(日)

こいくちしょうゆは濃口醤油、うすくちしょうゆは淡口醤油と書くようだ。 濃淡の言葉のイメージとは逆に、淡口醤油の方が塩分濃度が高いらしい。 その名称の意味するところは「塩分の割に色が濃い/淡い」とのこと。 だとすれば減塩には濃口醤油の方が効果的だということになる。 ヨメは以前寿司にも醤油をつけるべきではないという程に減塩を謳っていたが、家には淡口醤油しかなかった。 ヨメは濃口醤油の風味が嫌いなのかもしれない。 でもまあ普通は使い分けるべき、性質の異なる調味料だと私は思う。

ムスメが転んで、「大丈夫か?」とかけよったところ、 私の顔を見てから声をあげて泣き始めた。 親の反応を見て、大事だと判断して泣いたのかもしれない。 親は心配な心をぐっと堪えて「大丈夫だよ、大丈夫」と、まずにこやかに話しかけてみるべきだと思う。 そのあと怪我してないかを見てやることを、最初にかける言葉の選択に関わらずしっかりしてやれば良い。

国語の教科書で読んだのだったか。 雪国の子育てでは、ストーブにわざと触らせて「これは危険なものである」と認識させて、大怪我から子供を守るという。 子供をどんな小さな痛みからも守るというのは子供に対して優しいようでいて、本当は怪我から身を守る術を学ばせない育て方なような気もする。 物理的・精神的な後遺症が生じない程度に適切な怪我をする経験というのはとても大事だと私は思う。 が、いろいろ難しい。 我々のように基本優しさを持って接しているのならばやりすぎることは決してないと信じたいが、その基準を客観的に定めることは困難だ。 また、「子供が泣くのを分かっていて、対策を取らずに泣かせるなんて親として失格だ」とか世間から見られないだろうかと心配になる。

典型的な母親というものは子供をこの世のあらゆる災厄から隔離して守ろうとする傾向があるように思う。 極端な言葉を使えば、温室で育てたがるというか。 私の立場はちょっと違って、痛みを覚えるのも大切なことだと思う。 擦傷を作らないことには自転車に乗れるようにはならないのだから。 予防接種のように、大きなリスクを避けるために必要な痛みという物もあるものだから。 子供は、転んだら痛いので転ばないようにしようとするわけだし、自分が痛いと嫌だから他人を傷付けないようにするものだろう。 私のこのスタンスは典型的な父親像なのかもしれない。 と、ここで、「『他人の痛みが分かる優しい人間に育てたい』という親として当然の欲求は、『子供がそれと同じ痛みを経験することを願っている』ことにもなるのか」と気付き、少し驚いた。

その人なりのロジックで公平な振舞いをしていても、 それを不公平な振舞いをしていると見做す人もいる。 人は自分の見たいように世界を見るものだ。

依頼・命令をどの程度受け入れられるかは 「提案の内容」と「誰に提案されるか」の両方によって変わってくるものだ。 誰だって無限の依頼は受けられないわけで、そういう目に見えないキャパシティが心の中にある。 それを越えてしまうかどうかは普段その人とどういう接し方をしているかが大きく影響する。 相手に命令を聞いて欲しいと思うことがあるのならばそうである程、命令はよく吟味し小出しにしなければならない。 お金を使った買い物と同じだ。 なお、受け手にとって納得できることなら口調が命令であってもほとんどその量は消費されない。 受け手にとって理不尽に感じることを、説得できないから勢いで押す、とばかりにやっていると命令1つで許容量の限界を越えることもある。


2010年05月17日(月)

週に一日は早く帰るようにと考えてみている。 とりあえず月曜日ということに。

義兄に借りた詰将棋の本。 一手詰めというのが良かった。 将棋盤を何となく 9×9 のパネルで見るようなイメージができる。 駒の効きがあるところだけ色がつくような。


2010年05月18日(火)

団扇で扇いでやったり、持たせてやるとムスメが大層喜ぶ。 あと、つかまらず立ちが 5秒間保った。

『神の雫』。 風景漫画だな。 ソムリエの説明をそのまま愚直に絵にしてるだけ。 つか筋書が陳腐だ。

政治について議論っぽいことをしようとすると、 自説がいかに正しいかを強弁し、相手を屈服させないと気がすまない人がいる。 良識ある人間は「あなたの意見はこの点で妥当だが、私の意見もこの点が良いと思う」 で留めるべきだが、これができない。 政治なんてそもそも誰にも正解が見えないものなんだし、 急いで結果を出さなければならないわけでもない。 さらに相手を同じ意見にさせなければならないわけでもない。

随分諦めることができた。


2010年05月19日(水)

「どんぐりころころ」の歌を「どんぐりこ」と誤って覚えていたことが発覚。 さて、 「どんぐりころころ どんぶりこ」の節に合わせて、 「いーろはにほへと ちりぬるを」とやってみた。 最後までピッタリだった。 「じーんせいらくありゃ くーもあるさ」の節に合わせても同様。 7 + 5 で 12音、これを4節 ということで典型的な節回しなのかもしれん。 あと、「ぼうやーよいこだ ねんねしな」

地下鉄にて無意識にいつもよく嗅ぐ匂い。 ふと近くの人が傘を持っているのが目に入ってから、その匂いを意識した。 ああ、これは雨の匂いなんだ。

手元の調味料で自分好みの風味に調整すること。 たとえば、

これらを一度禁止された。 曰く、

最近ヨメの性格が穏やかになって、どうも少し緩和されたような……。 おっかなびっくりためしてみたところ、何も言われなかった。 よかった。 ヨメも成長している。

人間にとって「諦める」ことも立派な成長要素だと思う。 それは「世界を知る」とも言える。 幼いころは世界の全てを手に入れたり、全ての人を服従させられる、あるいはそれに類する事を考えてしまったりするが、それは実現不可能な欲求だ。 他者の欲求と干渉するなど、現実的に満たされる筈のない欲求は、欲求として感じる前に無意識に棄却することが大人として振る舞うのに必要だ。 それができなければ、その人はいつまで経ってもコドモのままだ。 世間を見ているとそういう人が散見される。 所謂アダルトチルドレンという奴の要素の一つだと思うが、そうやってオトナになってしまった彼等にはもう成長の見込みがほとんどない。

コマンドラインから英英辞典や和英辞典を引けるように zsh 関数を調整する。 これまでは OALD を使っていたけれど動作が重いので、 google の define: を使うことにした。

「20:00 までは帰って来ないで欲しい」と言われた。 何故かと聞くと「仕事帰りのあとで準備ができていないから」とのこと。 別に私は帰った瞬間にメシができていなかったり風呂が沸いてなくても平気だが、むしろ家に帰るという行動に制限が加えられる方が嫌だ。 しかし状況を聞いてみると、ヨメが仕事に出ている間にベビーシッターを頼んでいる女性が我が家に一人でいるわけで、ヨメが帰る前に私が帰ってしまうとその方に余計なプレッシャーを与えてしまいかねず、そう考えると私は帰るべきではない。 そういう理由だったら納得できる。 女性に対してそういう配慮をすることは失礼でもなんでもないのでそう言えば良い。


2010年05月20日(木)

プログラムの変数名とかに付ける英語の名刺は全て単数形というルールでしていたけど、これは逃げだろう。 複数形にする妥当性・必要性を考える習慣を付けよう。


2010年05月21日(金)

本の栞。 普通の紙の栞だと幅がありすぎて、本のノドに書かれてあることを隠してしまったり、弾力で上のページをはねあげてしまったりと不自由を感じる。 そこで私は使用済みのプラスチック製磁気カード(たとえばテレホンカードや鉄道のプリペイドカード)の短辺を幅7mm くらいで切ったものを本の栞に使っている。 細くて丈夫で満足。 栞の端を少し折っておけば本の中に埋没しにくくなる。 端にパンチで穴をあけて紐を通すこともあるが、なくても十分使える。


2010年05月22日(土)

大学のボート祭というのがあるらしい。 こちらに赴任してからずっと気になっていたのだが、 チームメンバーが集まらず毎年参加できなかった。 今年は学生の一人がボート部員だったので、 彼のチームの一員として参加させてもらった。 楽しかった。 そんなに綺麗な川ではないけれど、水面のすぐ上に浮いているという感じが新鮮だった。 ヨットに乗るときに小舟の操作はするが、あれは立って漕ぐし海なので波が荒いしと、かなり気分が違う。 漕ぐときに肝心なのは、きちんと手首を返してオールの向きを変えてから漕ぐ前の状態にオールを戻すこと。 オールを戻す動作の最中にオールの穂先が水面に触れてしまうことがあるが、穂先の向きを変えておかないと穂先が水面に触れてしまった時にオールが水中深くに入り込んでしまって大きなタイムロスになる。 穂先の向きを変えておくと穂先が水面に触れても水中に潜り込まない。 あとは姿勢を保つこと。 全力で漕いでしまって椅子から尻が浮いてしまうとだめで、 力一杯漕ぐよりも、八分の力で漕いで残りで姿勢を保つための制御に回す方が良い。 最後に重要なのは、息を合わせること。 これはたぶん物理量としての仕事の問題。

来たときと別の道を通ろう。 森ノ宮まで出れば JR を使わず 市営地下鉄だけで済むので、明日来る時にも電車賃を節約できるだろう、というみみっちい計算も込み。 ついでなので大阪城を通ってみる。 さらについでなので大阪城に入ってみる。 ……コンクリート製の博物館だね、ありゃ。 松山城と比ぶべくもない。 まあ大阪まで来た来客に「見るほどの価値はあまりないですよ」と言えるようになったのが収穫というべきか。


2010年05月23日(日)

ボート祭決勝戦は雨天中止。 iPod ほしかったなあ。


2010年05月24日(月)

濃いお茶が好きな人と薄いお茶が好きな人がいたときにどうするのが良いだろうか。 中間くらいの濃さにするというのが解決策の一つだ。 ただこれはお互いの好みの濃さがある程度近い場合には良い解決策だが、 それがかなり離れている場合には双方ともが満足できずあまり良い解決策とはならない。 お茶は濃く沸かしておいて、後者が水で薄めて飲むというのがもう一つ。 淡く沸かしておいて濃くすることはできないから。 もし世界の物理の法則が逆で、この世界で水を足すくらいに簡単にお茶を濃くすることができるのならば、私は喜んで薄く入れておいた烏龍茶を濃くして飲むだろうに。


2010年05月25日(火)

『果断−隠蔽捜査2−』(今野敏)。 面白い。 この人の文章よみやすくて良い。

『歴史と風土』(司馬遼太郎)。 俺理論満載。 まあ見方の一つを知るという意味では面白かったと言うべきだろう。


2010年05月26日(水)

「いないいないばあ」。 ムスメはこの遊びを理解したようだ。 ムスメにタオルケットを与えて私が「いないいない」と言うと、ムスメはタオルケットを頭上まで覆って頭を隠し、次にそこから顔を出して「ばー」と言ってくれる。 ムスメが頭をかくす仕草は、この世にこれ以上かわいいものはないとすら思う。 ムスメは「ぃないぃない」とも言える。 ムスメは「いないいないばー」を、一回ごとに私と交互に言うこともできる。


2010年05月27日(木)

ムスメが立つ。 保持時間を 15秒と大幅に記録更新 そのすぐ後に26秒で更に記録更新。 その上、立ったまま両手を打ち合わせることを知ったようだ。

鰹と長芋とワカメの合え物。 紫蘇の風味が合いそうだ。

ムスメに噛まれた。 勿論イイヨー、イイヨー。 子供が大きくなる通過儀礼みたいなもんだ。


2010年05月28日(金)

「家事はやりだすときりがない」というのは家事を主に受け持つ人が持ち易い認識のようだ。 たとえば気合いを入れれば掃除は、 掃除機→拭き掃除→磨きとレベルがどこまでも上げられる、とのこと。 まあそういう側面はあるだろう。 家事はしんどくて大変だと思うし、自分が設定したラインを達成したい気持ちも分かる。 しかし私は、「家事をこなすこと」より「快適に暮らすこと」が上位の目的に位置すると考えている。 自分で設定した家事レベルが高すぎて「しんどい、辛い」ばっかり思うようではその大目的を満足しない。 その「しんどい」が原因で不機嫌になるくらいならば、自分にとって低い設定レベルが不満であっても敢えて設定レベルを下げて家庭として快適な空間にすべきだと私は思う。

まあ人間、目的と手段を取り違えてしまうことはよくあることだ。 私もよくやってしまう。 大目的・中目的・小目的のスタックをキチンと扱えるほどには、人間の頭は性能良くできていない。

研究室のPC故障。 実に困った。 問題が生じたのはUNIXマシンで、起動してしばらくはまともに見えるのだが、10分ほどしたところで突然電源断→再起動になる。 まず熱暴走を疑うが、CPUやチップセットの温度を BIOS で確認すると50度程度でさほど問題ではなさそう。 よくわからんがどっかのコンデンサが劣化したのかも。

FreeBSD を入れてみるが、xorg の調整でつまったり、いろいろ。 で、段々面倒になってきて Ubuntu を入れてみた。 なんとなくもっさりしてる気がするが、色々手軽に便利な環境が入るっぽい。 OpenOffice.org と Acroread を簡単にインストールして使えるのは魅力的。 Ubuntu はデスクトップ用途にはかなりすごいと感動した。 で、色々メリット・デメリットを足し算引き算して勘定し、 FreeBSD から Ubuntu に移行してしまった方が良いだと判断した。 何より今まで FreeBSD で色々試してといった潜在的に支払ってきたコストが馬鹿にならないのではないか、このような努力と諦めがこれで不要になるのではないかと思うようになった。 自分でプログラムを調整して自前 make でプログラムを管理するような人ならば、FreeBSD は非常に良い選択肢だとは思うが、元々私がやっているのは完全なエンドユーザだ。 最大のデメリットであるもっさり感も gnome を切るとかで改善できるかもしれない。 あと、Ubuntu はインストール時のデフォルト設定として UTF-8 を使うようになっており、UTF-8 環境への移行に多少の安心感がある。 だが家のメインマシンを UTF-8 環境に移行することは少し躊躇する。 これまで書き貯めてきた様々なメモを Subversion で管理しているのだが、Subversion が問題なく UTF-8 で動くか? あるいは、Subversion を扱うホストによってロケールが違っても問題ないか? FreeBSD で UTF-8 が問題ないか? このあたりが悩ましい。


2010年05月29日(土)

建物の空調メンテで空調が停止するので、その間室温が上がって計算機が死ぬのを防ぐために窓を開けておく。 ということで研究室に泊まった。 今日は比較的涼しく、窓を開けておくだけで気持ち良い風が入って来た。 おかげで計算機を止めずに済んだ。


2010年05月30日(日)

ヨメは勉強会、私も Ruby の読書会。 その間ムスメの面倒を母が見てくれた。 私の行った読書会は強制力がなくて休もうと思えば休めるが、それでも行けたのはありがたい。 母の住んでるのが近いとこういうときに助かる。 どちらかというとヨメの実家が近い方がヨメも遠慮せずに頼めて良いのかもしれんが、まあそれはタラレバ話だ。


2010年05月31日(月)

よく考えたら、 職場デスクトップ故障、ノートPCも故障→新調したところで、 自宅PCは OS インストールから 2年ほど経過してそろそろシステム更新したいという時期。 Ubuntu 化を今やれという天のお告げかもしれない。 まあなに、上手く行かなければいつでも戻ってこれるさ。 完全なバックアップを取っていれば、作業の1〜2日のコストを捨てるだけですぐに以前の状態までは戻せる。 ということで完全 Ubuntu 化の方向へ足を踏み出した。


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