資材として買ってあったパーツを組み立てて Windows マシンとして色々インストールして使える状態にした。 途中ついカッとなってFreeBSD マシンをクリーンインストールしようかという気分になったが、これは思い止まった。 今の俺は、そうやって仕事ができない期間が生じるリスクを負うよりも、 数万円ならばその程度の金を出しても予備でマシンを組んだ方が良い。 それくらいには時間が貴重になってきている。
やばい、プログラミングができていない。 毎週何かしら作らないと記憶が薄れて折角鍛えてもらった能力が錆びる。 明日は必ずやる。 明日やるつもりだった仕事は明後日だ。
研究室に来た学生が、『UNIX 今日の技』を知っていた。 聞けば、彼の親が技術者で彼に紹介したのだそうだ。
ヨメの作ったブタコマのトマトソース煮が非常にうまかった。
Google ではプログラマの労働時間の20% を、プログラマ自身がやりたいことに割り当てることを強制していると聞く。 人間 時間があるとついつい時間一杯まで使ってしまうので、それを最初からある程度取り上げて全体のスループットを増やす効果があるらしい。
あえて仕事を締め切りぎりぎりまで置いておくという選択もありなのかもしれない。 人間どうしても仕事の締め切りにあわせて様々なスケジュールを組み立てる。 締め切り間際の能力というものを漫画を描いていた我々はよく知っている。 あの爆発力を上手く利用できれば……。 でもメンタル的なダメージやリスクを考えるとやりたくはないなあ。
結婚生活がうまくいくかどうかで重要なのは「相手のことが好きであり、相手も自分のことが好きであるか」だと思う。 世間では「結婚相手と恋愛相手は違う」みたいな意見を見かけるが、 結婚相手に「好き」だという感情を持てなかったら、 仮に結婚できてもその先がうまくいかないと思う。 お互いが相手のことをどのくらい許容できるか、 相手のためにどこまで何かをしてあげようと思えるか、 これらの気持ちの源泉が「相手を好きであること」だろう。 これがなければ相手を自分に従わせるのがデフォルトになりそうだ。
好きでもない相手と結婚する事例は昔からある。 今でも相手のことを好きである必要はないと思っている人もいるだろうし、 「結婚を視野に入れて付き合うのに今更恋愛感情とかないわー」 とか言う人もいることだろう。 結婚するという瞬間の行為を目的とするのならそれでもいいかもしれないが、 結婚した後にずっと続く状態を重視し、その後離婚せずに円満な家庭を築き続けるためには、双方でこの点をキチンと確認し合うことがとても大事なことだと私は思う。
ムスメは音の出る絵本で自分でボタンを押せるようになってきたようだ。 手を叩くことを覚え、ラッパの玩具を吹くようになった。 つかまり立ちができるようになってきた。
英会話のレッスンは携帯電話のボイスレコーダーで録音しているのだが、 何度かデータが消えた。 録音中にメールが入ると録音中のデータが消えるからだ。 なんだろうな、この糞仕様。
英語のネイティブスピーカーの持つ英単語の感覚。 名詞に countable と uncountable とがあることは日本人でもよく知られている。 これは対象が 粒であるか、連続体であるかという感覚で括れるように思う。 名詞以外の他の品詞にも同様の意識が働いているように思う。 動詞については、動作動詞が粒のようなイメージで、状態動詞が連続体のようなイメージ。 形容詞ではたとえば constant と consistent の違い。 native に言わせると、どちらも「継続的に」という感じなのだが、 定期的に作動するのが constant、継続的に機能するのが consistent ということらしい。
量子論成立以前の物理学の世界で「光が粒であるか、波であるか」という論争があったが、 これは英語的な世界の見方(粒であるか、連続体であるか)と丁度マッチしていたのかもしれないとか思った。
なんか複数の仕事の締切が今日を焦点に集まった。
小中学校の教師は彼らが為した教育の成果がなかなか見えにくい。 それぞれの児童・生徒がその後どういう道を歩んだのかを知り、 今後の教育に活かすシステムがあっても良いと思う。 年賀状が彼らにとって良いツールであると思う。
今日はラグランジュの未定乗数法。
HTML、TeX を打つときに、あまりインデントしないことにした。 自然言語で文章書くときにインデントしてると、 行の長さを調整する必要がでてきてしまう。 変更箇所が複数生じてしまい、どこで改行するかを判断するのが面倒になる。 「変更に強い」という意識を持とう。
数学とか物理やるのに日本語のよくないところは、単語がいかめしくなること。 「rational number」なんて 「ratio (比)で表せる数」 という英語圏では小学生でも分かる単語なのに、日本語では「有理数」などというその時初めて聞く単語になってしまう。 有理数については「可比数」とかいう訳語にすれば良かったのにとか思う。
物理ノートを TeX で書いてる。 式は導出過程も含めて頻出するが、その全てに数式番号をつけるのは、 オープンにしすぎているクラスのような感じがしてきた。 後で参照する奴だけ番号をつけた方が、 目立つし重要性が視認できるし、良い。 ということで数式に 「\notag \\」をつけてまわる。 これが頻発するので、「\n」という短縮命令を作った。 また、TeX ソース内で使用するラベルも dvi で見れると便利なので これらを表示するようにした。
カツオのたたきとか、サラダとか。 タレやドレッシングをかけたまま置いておくと浸透圧で水が滲み出て薄くなる。 結果、不味くなってしまったり、より多くのドレッシングが必要になったりする。 この手の液体調味料は食べる直前にかけるようにしたり、かけずに一緒に食卓に出すのが良いと思う。 さりげなくこういうことができると、食べる前から「料理上手そう」とか思える。
あとカツオのタタキは切ったものを保存すると悪くなる。 空気に触れたところから色が悪くなり、味も落ち易る。 空気というのは料理に対して大抵悪影響しかおよぼさない。 ネギやニンニクといった薬味も切ってから置いておいたら、揮発成分が飛んでしまって風味がぬける。 だから切った状態で置いておくより、薬味は食べる直前に切るか食べる人に切らせる方が、ディレクターとしての腕が高いことの証左になる。
クラムチャウダーが腐った。 貝は足が早い。
人間の感覚として、 「〜〜しなくて済む」便利さよりも、「〜〜することを禁止されている」不自由の方が、よほど強く感じ易い。
人間の本性として「高いところにあろうとする」というのがある。 そこで「高いところを目指していくために、自分の力量不足の点も聞こうとする人」と、 「力量不足の点は目を瞑ってとにかく褒めて欲しがる人」とおおまかに2種類に分けられる。 これはかつて漫画描いてるときに感じたことだが、どこに行ってもそれなりに類型を成しているように思う。
化物語。 うん。よくできてるな。 なでこスネイクの OP が最高。
電器屋で買い物。 ウェブカメラ、デジタルクロック、エネループ単3 x 4本、ひげぬき用に使う女性用毛抜き。 毛抜きで店頭のラインナップはかなり最新機種っぽく、15000円とかした。 ひらしょーは「6000〜7000円くらいのものだった筈」と言っていてそのくらいの覚悟で買いに来たのだが、心が折れた。 節約できる時間を考えたらそれくらいの価値はあるとは思うのだが、 もう少し考えよう……。 帰ってアマゾンに聞いてみたら 9000 円くらいのがあった。 ポチる。
Windows のタッチパネルを店頭でさわってみたが、それほど操作感が良いとは感じなかった。
酒屋で試飲。 たまたま隣の席になった人と静かに話を。
肝臓の機能を再現する装置を作ると建物1個分になるとか何とか、 もう10数年前に NHK の番組か何かで聞いた。 最近の技術ではもう少し小さなサイズでできるのかもしれないが。 んで、そんだけ強力な機能を生体が有しているのならば、 たとえば豚の肝臓を使ってそういう装置を作ることもできるような気がする。
桜は個々の花単位で開き、散る。 個々の花によって咲くタイミングが多少前後する。 今年は一度咲きかけてまた冷え込んだため、咲き始めてしまった花はそのまま散り、 咲き始めなかった花はまた暖かくなってから開いた。 結局、大阪では満開にはならなかった感じ。
Happy Hacking Keyboard の静電式の高級モデルを使用している。 確かにキータッチは快適なのだが、カーソルキーがなくて不便を感じることがある。 Lite2 の方が良いかもなあ。 あと黒はだめ。 手がホームポジションにあれば全てのキーを暗記しているので見ずとも打てるが、 暗いときとか立ってちょっと触るとかいうときに不便。
「日本語配列キーボードは英語配列に比べてキー数が多く、これが単純に利点。 何かをさせるポテンシャルを持っていることになる」と聞いた時は成程と思った。 しかし、さらに最近聞いたことでは日本語キーボードでは Synergy が通らないらしい。 これは致命的な欠点だ。
最近を購入物品を決める時に、白色を優先している。 白が好きとかそういうわけではなく、 白を選んでおけば何かあったときにマジックでその機体の情報を簡単に書き込めるから。 なお、マジックを消すために使う消毒用エタノールは家、研究室ともに常備してある。
1日3回「いってきます」の日。
私が家を出るときは基本的にゴミを持って出る。 ヨメも歩いて出るときはゴミを持っていってくれる。 ヨメが車で外出するときにはゴミを持っていかなかったことがあったので、 「車で出るときはゴミ捨て場経由するのが手間なので持っていかなくても良いのだな」 と私は勝手に認識していたが違ったようだ。 どういうルールなのかを暫く考えていて、 ムスメのいない方が持っていくルールなのかと思い至った。 帰ってから聞いてみると結果的にこういうルールがあったのではなく、 私の荷物が台車を使わねばならぬ程多いということをヨメが認識していなかっただけだった。 しかしまあ「ムスメのいない方」というのは良いルールだと思うので、このまま己に課そう。
数学・物理ノートは TeX で作っていたが、 英語ノートも TeX にすると良いかもしれない。
英語ネイティブの発音で「タリー」と聞こえる単語が最初は何か分からなかったが、これは「Italy」だった。 たぶんこれ、子音なしの母音で始まる音が発音しにくいからだろう。
毛抜き到着。 今迄1本ずつピンセットでつまんで抜いたりしていたものが凄い勢いで抜ける。 擬音にすれば「ドヒュドヒュッ」という感じ。
物事を否定的に捉えるのは、俺の心の問題でもあるのだろうな。
白血病って blood cancer なんだな。 英語名の方が分かり易い。 UFO の U は undefined かと思い込んでいたが、実は unidentified だった。 undefined だとおかしいわな。 UFO という定義があるわけだから。
値を交換するのに一時変数を使わない方法があるのだと教えてもらった。 たとえば、XOR を使えばできるとのこと。 成程。
車の運転が終わって車から降りる前に確認しなければならない項目が幾つかある。 ライトを消す、ミラーを倒す、サイドブレーキをかける、ギアをパーキングに入れる、 ワイパーをオフにする、ETCカードを抜く、窓が閉じていることを確認する。 ぱっと思い付くだけでこんだけの項目があるのだが、 こんだけあるとチェック漏れの可能性がつきまとう。 個人的にはこんだけのチェック項目があれば書き出しておいてそれをチェックする方が、 全て暗記しておくよりも精神的な負荷が小さい。 これが自分一人の車だったらそうするけれど。 まあたぶん、格好悪いので NG だろうな。
地下鉄の駅の、2つ出入口があるエレベータ。 地上階と改札階で開く扉が違うのだが、エレベータ内のアナウンスはどちら向きでも 「到着階では奥の扉が開きます」と言う。 地上階に行くときも、改札階に行くときも同じアナウンスで違う扉を示すのだが、 それで OK なのだな。
「どっからどう考えてもおまえは海外とか行くべきだ」と言われた。 そうすべきだと思った。 若いうちにいろんなところで修行を積まないと、 年とってからだと遠慮されて本当に深いところに入れなくなる。
個人メモで句点を付けない主義 (cf. きづき 2006年07月05日(水) ) を暫くやっていたけれども、個人メモでも句点は必要だと思うようになった。 というのは日本語では終止形と連体形の区別がつかないことが多いからだ。 たとえば
彼は面白い 漫画が好きだ
だと「彼が面白く、また漫画が好き」なのか、「彼は、面白い漫画が、好き」のか判別しにくい。 そこで文が終わっていることを明示した方が読み易い。
プリントアウトのことをコピー、プリンタのことをコピー機という人って多いんだなあ。
「教員の学歴とかをチェックしている学生がいる」と話したら、 「あなた以外の全員そうしている」みたいなことを言われた。 そうでもないと思うんだけどなあ。 実際その場にいた別の学生は学科の教員全員の名前すら把握していなかったのだし。 つか旧帝大卒とかでも尊敬に値しない人間はゴマンといるし、 所謂低学歴でも尊敬に値する人間も沢山いることを私はよく知っている。 人間を判断するのに学歴で行うより、話の内容などで行う方が真っ当だと私は思う。
ノートPC 故障。 電車の中で書き物ができないので日記を書くタイミングがない。 あと英語の練習プログラムもなかなか実行できない。
豆腐を凍らせて高野豆腐になるメカニズムを理解した。 豆腐の中の水分が凍るときに、水と豆腐と混ざった状態が保たれず、両者は分離する。 無理矢理書けば、(豆腐+水分)→(豆腐)+(氷)。 豆腐の中の氷が解ければ、解けた氷の水分は豆腐の中に戻るのではなく、 そのまま豆腐の中にできた穴に留まり、絞ればその水が出てくる。 結果、豆腐の固形成分を凝縮したようなモノになる。 元々豆腐は水を透過するような性質を持っており、豆腐は最初に作るときも上に重石をのせて絞る。 豆腐のこういう性質とも関係付けて論じることができる。
だから麻婆豆腐とか、豆腐 in カレーは冷凍すると食感が変わる。 一般的には冷凍はあまりすべきじゃないとされている気がする。 まあ俺はあまり気にしないけど。
こないだ買ったオレンジ LED のデジタルクロックが機能美に溢れていて超カワイイ。
東芝NB100が故障したのでとりあえず京都出張には研究室ノートPCをもっていく。 TortoiseSVN が使えそうだということが分かったので適当に調整。 それはそれとして、ノートPCを買わなければならなさそうだ。 どっか行ってプレゼンテーションというのは業務のうちなので、予算を使う妥当性はある。 出張とかが重なって年度末にその予算が足りなくなることを少し考えたけれど、 予算からPCを買わなければその対案は自腹で買うしかない。 しかしその方針を選ぶくらいなら予算が足りなくなった出張を自腹で行った方が、支出は変わらずリスクが減って良いに決まっている。
ということで新しいネットブックを物色中。 求めているのはとにかく安いの。 私の場合ノートPCを常に持ち歩くのでPCにとって結構過酷な環境にある。 もちろん壊れないように注意はするが、壊れることは常に念頭に置いておく必要がある。 丈夫なモノを選ぶという考え方もあるが、どんな使い方をしてもどうせいつかは壊れるので、 寿命が半分であったとしても価格も半分ならそれで良しとする。 PCの陳腐化の観点からも低価格短寿命戦略の方が優れていると言えるだろう。
でもあまり良いのがないのだよな。 英語キーボードのノートPCというのは免税店においてあったりするらしいが、 大学とすでに付き合いのある商店でないと会計処理しにくい。 まあぼちぼち探そう。
京都出張直前になってガクブル気配。 あかんー。
英会話のレッスンでゲーム機の話になった。 Nintendoは日本語でどういう意味の単語なのか、 と聞かれて考えてみたが、 「天に任せる」なので、運を天に任せる感じなのかもしれない。 英語では表現できなかった。
スーパーファミコンからの次世代機の移行期のこと、 ソニーがプレイステーションで覇権を握ったのはそれまでゲームをしていなかった層を市場として開拓したからだと思う。 それまではRPGやシューティングゲームのような完全に没入するようなゲームが主流だったところが、 パラッパラッパーのようなライトでちょっと楽しめるようなゲームや パーティゲームのようなものが新たな顧客を生み出した。
ところがソニーの PS から PS2、PS3への進化は、さらに新たな市場を開拓する方向ではなく、それまでに時取り込んだ顧客をそのまま高度なゲームをさせる方向に進んだ。 対して任天堂は DS や Wii のように、手軽に遊べるモノ、 みんなで遊べるもの、また価格を抑えて比較的手軽に購入できるものという方向を選んだ。 これはおじさんおばさん、あるいはおじいさんおばあさん世代にスマッシュヒットとなった。 私の身の回りでは、それまで全くゲームをしなかった母が DS でゲームをするようになり、Wii Sports をするようになった。 世の中には「孫が喜ぶのでゲーム機を買おうと思うのだが、Wii ならば買う気になる」というような人も多々いることだろう。
そもそも初代ファミコンも、ファミリーコンピュータという名前のとおり、それまで子供だけの玩具だったゲームを家族みんなで楽しめるようにというコンセプトだった。 ソニーにシェアを奪われていた時代はあったが、任天堂はおおむね方針を一貫しているといえる。
まだしばらくは新規市場開拓は続くのだろうか? それとももう顧客数は頭を打ったのだろうか。 5年後10年後の情勢がどうなっているのか、他人事ではあるが興味深い。
英会話スクールのホームワーク添削サービス。 15分ほどでさっくり書いて出したモノは、「文法は正しいが内容がつまらん」と返って来た。 いいねいいね。 やる気出てきたよ。
京都出張。 共同研究の打ち合わせというか、いろいろダメ出し。 量子論キッチリ勉強せなあかん。 バンド理論より先にそっちをもっとしっかりせんと……。 連休も勉強だな。
寮で泊まった。 Ruby の勉強会があると聞いたので予定をくっつけた。 会場の京都女子大では女学生をたくさん見た。
英語の単語の数自体は日本語のそれよりも少ないような気がする。 改めて考えてみると、日本語も大和言葉の単語はそれほど多くなくて、 漢語や漢字の組み合わせで単語の数が増えているだけかもしれない。
忌引というのは「単純に葬式で大変だから休んでいいよ」とかそういう意味だと思っていた。 実際は、「人の死というケガレを職場や学校といった公の場に持ち込まない」というケガレの思想によるものだったらしい。
サマーウォーズ見た。 面白かった。
風呂で洗う順序を、体からにすべきか頭からにすべきか問題。 体から洗った方が洗い流すのが1手間になるので合理的かと思ったが、 湯を張らずシャワーですませる時は、シャワーで体を温めつつ頭から洗う。 結果、いざ洗おうというときに頭から洗うべきか体から洗うべきかという if 判定がついてくる。 この if 判定がなくなる価値を考えたら頭からで統一しても良いかもしれない。 つーかなー、どっちでもメリットデメリットがあるので、気にせずその時の気分で適当に洗えということだな。
小学生のころ、赤潮は植物プランクトンの過剰発生によるもので、これで魚が死ぬのはエラにプランクトンがつまるからだと説明された。 最近見かけた意見では、 「周囲の環境が栄養過多なら植物も光合成せず呼吸に専念する。その結果酸素が欠乏する」というのがあり、こちらの方がなんとなく納得できる。
英語と日本語の文書があったら英語を選ぼう。 英語の勉強の時間を兼ねることができる。
査読では、著者の文法ミスとかあまり気にせんでいいのかもしれん。
Intel MKL を使おう。
Google 日本語入力。 Capsキーで英字入力になるのだな。 それと知らずに英字入力になることもしばしばだが、それと知れば結構便利。
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