先日寮で将棋を指していると、相手が言った。 将棋は自分の駒の穴を塞ぐようにしながら、一番打たれて困るところを防ぎつつ手を進めていくべきだと。 なるほど。 しかし例えば麻雀では、基本的には自分の手が一番伸びるように手を進めるのが正解であることが多い。 ゲームの性質と、そのゲームに合った人の性格というのはこういうところで 決まるのかもしれない。
POV-Ray はたぶん有用で、長い付き合いになりそうだ。 ということでよく使いそうな関数(マクロ)なんかを作っていってる。 座標を表す矢印だとか、複素数を表現するための色見本とか。
英語は本当に先生次第だなあ。
英語国民は NG という意味で×という記号を使うが、OK という意味で○という記号を使わない。 かわりにチェックを使う。 たぶん小文字 o、大文字 O、アラビア数字 0 なんかと紛らわしいからだと思う。
卒論・修論関係の業務がほぼ終了。
飲んだー。
ヨメの姿勢が最近変化してきた。 結婚してから1年半かかったけど、ようやく幸せになれた。 本当にありがたい。
家が帰りたい場所であることは本当にありがたいことだ。 今は素晴しい状態になっている。 ヨメよ、ありがとう。
POV-Ray で自分用に使い回せそうな関数(マクロ)をごりごりと。 ベクトル v の x 成分を抽出するのは v.x でできる。 POV-Ray では x というのが x軸方向の単位ベクトルとして定義されており、 ドットによって内積演算となる。 この表現がクラスとか構造体のメンバ変数アクセスのようで面白い。
東京へのプログラミング合宿は仕事で使うプログラミングを学ぶ為とはいえ、身内に教わるものだから出張扱いにはできないだろうと勝手に思い込んでいたのだが、どうやら出張の許可が下りそうだ。
リモートログインで書類仕事。 行き帰り80分の時間を節約。
『とめはねっ』を読む。 そういえば私は学園祭で書道部の展示をワクワクしながら見ていた。 そのことを思い出した。
東急ハンズでお買い物。 ベルトが痛んできたのでそれを補修するための皮革用ボンド、 鍵用コイルストラップ、 折り畳み傘、 あひる隊長(幼児用お風呂玩具)。
英会話の先生にあひる隊長を見せたら、「Rubber ducky」と言った。 直訳すればゴムのアヒルだが、この日本語は聞き覚えがある。 そうだ、これは Wizardry V で溺れずに泳ぐためのアイテムの名前だった。
黄金比は r = (1+√5)/2 =1.618... 。 この小数部と黄金比の逆数 1/r = 0.618... とが一致することに初めて気付いた。
証明は簡単。まず、図を示す。
| r | A-----B---C | 1 |r-1|
線分 AC 上に黄金比を満たす点 B を取る。 線分 AC の長さを r とし、AB = 1 と置くと、 BC = r-1。 黄金比の定義より、
BC:AB = AB:AC BC/AB = AB/AC (r-1)/1 = 1/r r-1 = 1/r
ここで黄金比rは 1≦r<2 の値であることから、左辺の r-1 は黄金比の小数部になる。 右辺は黄金比の逆数であり、これによって題意を示せた。
また忙しくなってきた。
ヨメ発熱。 病気というより過労っぽい。
ヨメが何かの菌を持っていたらあかんので、ヨメがムスメと一緒に寝られない。 さあ、私の出番だ。 22:30 に寝て、24:00、3:00、6:00 くらいにムスメが泣く。 こりゃヨメも倒れるわ。 ムスメは寝ながら泣く感じで、夢を見て泣いているのではないかと予想する。
今日のムスメはよく頑張った。 2度ほど目が覚めたが、軽くタップしてやったり子守歌を歌ってやると すぐに夢の世界に戻っていった。
ムスメを寝かしつけようとすると泣く。 暗いのが怖いのではないだろうか。 そういえば私が物心ついた頃は、寝るときも電気がついてないと不安だった。
英会話のレッスンで珍しく日本人講師の予約が取れたので、 日本語でよく使われる表現・ニュアンスで、英語でどう表現するか分からないものを質問として用意していった。 そういうものの多くが私の無知によるものだとは思うが、 中には英語での簡潔な表現がそもそも存在しないものもある。 こういう質問をネイティブにしても、 私の質問の仕方が不明瞭なのか、そもそも表現が存在しないのかがよく分からない。 私も基本的には外国人相手に無理矢理でも説明して質問すべきだとは思うのだが、 日本人に聞いた方が良い質問もある。
英語の勉強は楽しくなってきた。 British pub というのを教えてもらった。 英米人がたむろしてるなら、今度飛び込んでみよう。
仕事頑張れ、俺。
ムスメを寝かしつけるのに、 Are you sleeping? の歌も結構効果的っぽい。
ムスメの下の歯が目立ってきた。 写真撮っとかんと。
一人で風呂入れ。 ヨメの手助けがないと私は下手なことだなあ。
布団や重ね着の断熱性について。 布団の上に毛布をかけた方がぬくいのだろうか、 順序を逆にした方がぬくいのだろうか?
重ね着したときの体感としてのぬくい・さむいは、温度ではなく体からの熱の流出速度で決まる。 外部の温度が低くても、 熱伝導性が極めて低ければ体からの熱流出量が少ないのであまり寒いとは感じない。 水温5度の水に入っているのと、 気温0度の空気中で裸でいるのと、 どっちが辛いかを考えてみれば良い。 前者は1時間もやってればきっと死人が出るだろう。
素材AとBがあったとしよう。 A, B という無味乾燥な記号を嫌うなら Aを毛布、Bを布団として読めば良い、 ……と書いた方が一般的に書けるがまあここでは分かり易さを優先して 毛布と布団として書いてしまおう。 毛布の上に布団を重ねた場合と、 布団の上に毛布を重ねた場合を比べてみよう。 いずれの場合でも最内面の温度は体温で近似できるし、最外面の温度は気温に近似できる。 さて、これらにくるまってしばらくすると、熱流量は定常状態に落ち着く。 定常状態においては、以下が全て等しくなる:
(体が失う熱量) = (毛布を通過する熱量) = (布団を通過する熱量) = (外気に放出される熱量)さて、一般に固体中の熱伝導は温度勾配に比例し、その伝熱のしやすさを熱拡散係数と呼んだりする。 毛布, 布団 の厚さや熱拡散係数は決まっているので、定常状態においてはどちらを先に重ねても 熱の流量は変化しない。 たとえば 体温が 36℃で外気が 0 ℃という状況で 毛布 の熱を通し易さが 布団 の2倍だとすれば、以下のようになる。
いずれも 毛布 の前後で 12℃の温度差があり、 布団 の前後で 24℃の温度差がある。 先に述べたように熱の流量は温度勾配に比例し、 温度には依存しないのでいずれの状態でも単位時間に体が失う熱量は等しくなる。 すなわちこのモデルでは毛布 と 布団 を重ねる順序によってあたたかさは変化しないことを示している。
固体の熱伝導によるモデルでは「重ねる順序による影響がない」ことを示せたが、 このモデルは十分に現実に則しているだろうか? 一般的な物理学では熱伝導の仕組みは伝導・対流・放射の3種類あるとされる。 伝導は先に述べたもので、これだけでは重ねる順序によって差が生じ得ないことが分かった。 しかし対流の効果を考えると、重ねる順序による差異が生じうることが示せる。 厳密な定義で言えば対流は「重力・密度に起因する流体の物質移動に伴う熱の移動」 ということになるだろうが、 ここではもう少し広くとらえて気体・液体の交換による熱の移動としておこう。
素材によって空気を遮断する性質が異なることがポイントだ。 毛布と布団モデルではどちらがより空気を遮断する性能が高いか自明ではないので、 ここではセーターとウィンドブレーカーをモデルとして採用しよう。 セーターは空気を沢山保持することで保温性を確保できるが、 空気を遮断する性能が低くて空気は常に外部と交換する。 ウィンドブレーカーは厚みがなく空気をほとんど保持しないが、 外部と空気を遮断する性能が高い。 空気は熱伝導性の低い物質であり、これで空間を埋めることで全体的な熱伝導度を下げることができる。 そう、セーターのように。 熱伝導性が低いとはいえゼロではないため、セーターが保持している空気を体温で温めることになる。 しかし空気は流動性を持つため、囲い込んでやらないと周囲の空気と交換されて、またその空気を温めるために体の熱が使われてしまう。 だからセーターの上にウィンドブレーカーを着るとその空気を留めることができて効果的に保温できる。 ウィンドブレーカー自体は空気を保持しないので、伝導という意味での断熱性は高くない。 だから裸にウィンドブレーカーを羽織って中が汗でぴっとりはり付くと体から外へ直接熱が放出されて大変寒い。 セーターの上にウィンドブレーカーを羽織ると保温効果が高いが、 逆にウィンドブレーカーの上にセーターを着ると、温めたセーター中の空気がすぐに逃げて保温効果が低くなる。
ということでまとめると、素材中に空気を保持するモノを内側に、 空気を遮断する性質のモノを外側にするのがよい。 布団と毛布を比較すると、体積当たりの物質量が毛布の方が高い。 すなわち布団の方が空気の保持能力が高く、毛布の方が空気の遮断能力が高かろう。 ならば毛布を布団の上にかけた方がぬくくなるだろう。
なお、3つの熱伝導の仕組みのうちの最後の1つである放射はとりあえず無視して良いと思う。 が、外側に黒いモノを配置すると外からのエネルギーを若干吸収するという効果はあるかもしれない。 しかしまあ誤差だ、こんなのは。
転位論の勉強もキッチリやらんと……。 時間足りねえ。
加算名詞を単数で使うときは必ず冠詞が必要だと思っていたけれど、 そうでもない場合があるようだ。 untill highscool とか。
英会話のレッスン中に単語が思いつかないことはよくある。 今日はイナゴをどう言えばよいかわからず、 incect, about this size, green とかで説明しようとしながら、 「単語がおもいつかなかったら、どういう単語を言おうとしているのか、それを英語で説明したらいいんだな」とか考えた。 なお、今日の場合は最終的に grasshopper を思い出した。 ありがとう田宮模型。
勉強とか。
相手の過失を許さない人は、自分が同様の過失を犯した場合、 自分に対してそれを許すべきではない。
初節句。 義実家に7段の雛壇があった。 すげえ。 もとはヨメが幼いころに義母とその母親で組み立てたものらしい。 20〜30年経ったとは思えぬほどピカピカして綺麗だった。
英会話レッスンでボキャブラリーを鍛えろと言われた。 これで2人の先生から言われたことになる。 たぶん私に一番弱いところがそこなんだということはほぼ確定。 英会話学校に通える回数は有限なので、 それに従ってやるべきだ。 単語帳系の学習をしよう。
東京にてひらしょープログラミングスクール開講。 まずは超感謝。
若干作りかけているプログラムはあるんだが、 UNIXベースでやっていたのとかいろいろあって倉庫番作りからC++プログラミングを学んでいった。 今日はまず基本文法。
ビバ玄米・豆ライフ。 ひらしょー夫妻がパンと呼んでいた物体もうまかった。
寝床は快適性にやや難があるが、それなりにキチンと寝られる。 納豆ライフ、素晴らしい。
ポインタのポインタがわからない。 ひらしょー曰く、高級言語に慣れすぎた弊害とのこと。
エディタが高機能すぎるとプログラマの能力が育たないそうだ。 たとえばコピペのコストが低いとそういうコードを書いてしまいがちだということ。 移動のコストが低いと最初に全体を考える癖が付かないとか、そういうこともあるかもしれない。
ファイル入出力をなんとか使えるようになった。
麻婆豆腐うめー。
作ってから2日目の麻婆豆腐は、写真に撮ってはいけない。 ひじきなっとう、そしてぶり鍋。 圧力鍋でやるとぶりの骨も食えるんだな。 うましうまし。
クラスの作り方を身につける。 ヘッダファイルは外へのインターフェイス。 まずヘッダファイルと空の関数だけつくってコンパイルしてミスが無いかチェックする。 余分なメンバ関数は作らない。
マイケルジャクソンのダンスはすごかった。 上体がどんなに動いても、腰の位置が動かない。 慣性のないCGのように、動作がキレすぎる。
ひつじこさんは妊娠中なので酒なしでいこうと思っていたが、 こちらが気楽に過ごしていることを望んでくれているようなので 夜は酒のんで楽しくくっちゃべった。
文字列操作開始。
ひらやまがピアノ修行に出て、そのあと直接拳法修行に行くとのこと。 私はとりあえず一緒に出て、ピアノ修行中はどっかで適当にプログラミングやっていて、 拳法修行に合流しよう。
で、高田馬場駅で周辺地図を見ると、近くに図書館があることがわかった。 その方向に歩いていくとなんか歩くのが楽しく、写真撮るのが楽しくなってきて適当に散策した。 歩は進んだがプログラミングは進まず。 拳法修行は久々にしたがやっぱりあかんかった。 体の節々が錆びついていて、肘の少し先のあたりに力の流れを阻害する何かがいる。 腰の固まり方がかなり嫌な感じ。 普段の生活でもうちょっと体を動かした方が良いのだろうな。 つか奴らの動きのキレは異常だ。
修行後はアメ横とか寄って買い物して帰った。 つかアメ横はアメヤ横丁なんだと知った。 てっきりアメリカだと思っていた。 いや大阪にはアメリカ村略してアメ村っていうのがあるらしいからさ。 買って帰った加賀鳶はうまかった。
漫研の某先輩とのじりがきて楽しくくっちゃべった。
文字列の処理の基本まで終了。 ずいぶん迷走した。
カレーっぽい何か。 うまければ正体は何でも良いのだ。
甘味が欲しくなったときは、ビタミンCが不足しているとの体からのシグナルということらしい。 甘いものといえば果物だった時代が長いため、 ビタミンC不足になると果物を食べろという指令が出るように遺伝子に刻み込まれているとのこと。 納得できる話だ。
ソートまでなんとか。 選択ソートは簡単に作れた。 クイックソートで N を固定したら何とか走ったが、 大きな N では立ち所にバグった。
修了証をもらった。 すげー力作。
帰宅。 つか本当にありがとう。 楽しく、かつ、ためになった。
写真のレタッチ。 幸せそうで、眩しい。
どうも私は幸せの定義を「不幸せでないこと」と思い違いをしていたようだ。 本当の幸せはもっと積極的なものだろう。
体重の話。 もともと少し脂肪を落として体重を減らす傾向に持って行った方が良いということで節食・運動を旨としてきたところ、 瞬間的に 71kg を下回るまでいった。 70kg を下回るのは高校以来なので少し目標にしていたのだが、 これはたぶん適正体重を下回っていて不健康だ。 実際、最近は動悸や眩暈に苦しむことがあり、辛かった。 このことから私のベストウェイトは多分 74kg 前後と判断するようになった。 心身ともに健康であることより見た目細身でカッコイイことを優先する人も世の中にはいるが、私にとっては逆だ。 どう考えても心身ともに健康であることの方が大事だろう。
新婚当初におどけて、腹で息を吸って 膨らました腹を見せたら それをマジモンだと思い込まれたな、そういえば。
卒業する学生が、下宿を引き払うということで炊飯器をくれた。 これで研究室で発芽玄米を炊ける。 ありがとう! 「お礼に幾らか払うよ」と言ったら、 日記に「金なんかいいですよ。それよりお礼を日記に書いてくださいよ」と言われた。 これはたぶん、あれだ。 この日記の作者が俺であるということを9割方確信していたが、 100%の確信を得るための積極的観測行為に違いない。 まあそれもいいさ。 俺だよ俺俺、名無しだよ。 ミクシの方に書いて逃げる案も浮かんだが、それはチキンだ。
プログラミングの学習会。 今日はハードウェアの話だった。
ウィンドブレーカー。 山でもバイクでも使えるゴアテックスの上物で10年ほど使ってるのだが、 前側に風通し用のファスナーがあることに最近気付いた。 発見したポケットには、同じ生地で出来た小袋が入っていた。 持ち運び用にコンパクトに収納できるのか。 10年間気付かなかったよ。 知っていれば便利だった筈のシーンもこの10年間に数回あったよ。
デジカメで撮った写真のレタッチに時間がかかる。 もっと時間がかからないシステムを考えないと。 芸術性を求めるか、記録としての写真か。 俺程度の撮り手ならば頑張っても芸術性はそれほど高くならないので、後者に徹した方が他の仕事ができて良いに違いない。 根本的には撮るときに構図や露光量をバチっと決められるようにすべきなのだろうけれど。
アフタヌーン付録の四季賞の本。 「ライオン」がすごく良かった。
Sleipnir から Google Chrome へ移行。 Sleipnir はクリップボードを監視してリンクが含まれていれば自動的にページを開いてくれるのが重宝していたが、 のじりに教えてもらった autopagerize が良すぎ。
サラダスピナーをヨメにプレゼント。
駅のホームへの階段の上りと下りの幅が違うことについて。 電車から降りる人は電車が到着したタイミングでまとまって生じるが、 電車に乗る人は三々五々に来る。 この差異を鑑みてホームから出る方の流路を大きく確保するのだろう。
アメリカは鉄道交通網があまり発達していない。 対して日本の発達っぷりは異常な程だ。 おそらく、細長い日本の地形では人の交通の方向が集中するので、 指向性の強い交通手段である鉄道の効率が良いのだと思う。
外干しの洗濯バサミは外界の埃とかがかかるので、 手洗いした直後の雑巾より洗濯バサミの方が汚いと思う。
他人に特定の振舞いを求める人がいたとする。 しかし彼自身にその振舞いが求められたときにそれをできるとは限らない。
一方から見て「甘い」と感じるということは、 他方から見て「神経質だ」と感じるのだということ。 「あなたのやり方が甘い/神経質だと私は思う」ということを私も言うことはあるが、 それを断定として「あなたのやり方は甘い/神経質だ」とは私は言わない。 真に客観的な視点から見た時にどうであるかは分からないからだ。 そのような場合、私は「違う」と表現する。
研究には一定のまとまった時間が必要だ。 「適当にやってれば計算機が走ってくれるので、人は考えなくても成果が勝手に積み上がる」 と思っている人もいるようだが、 実際には計算機で行うのは頭で作ったストーリーの検証作業になるので 脳を使う時間が一定量必要だ。 またそれを他人が読める論文という形にするには、 どうしても他の事に煩わされないまとまった時間が必要になる。 寄生獣でミギーが言うように「最低限これだけの」というリソースの量があり、 それによって同時に進行できる研究の数は限られてくる。 「実験も、計算も、何でもやればいい」というのは実にムリムリ感に溢れる方針だ。
他人の仕事について小一時間聞いただけでその人の仕事が全て分かったつもりになって 「死ぬ気で頑張りなさいよ」とか言うのはあまりに想像力に欠ける。 大学教員の日常がどれだけ雑用で潰れているか。 まあそういう人に言わせれば「雑用なんてちゃっちゃと片付けたらいいじゃない」、 で片付けられちゃうのだろうけれど。
研究以外のことに脳を使わざるを得なくなっているのは何故か。
夕食後も職場復帰して仕事する人がいる。 その人のように振舞うと周囲にも頑張ってることが分かって良いということらしい。 本人がどれだけの仕事を為すかではなく、 どれだけの時間をかけたかが大事なのだという考えなのだろう。 その人の目には、私が職場に泊まることはどのように映っているのだろう。 その人と同じく夕食後も仕事するための方策だと私には思えるのだが。
巷間に言われる「人の2倍働く」は本人が自分で決める心掛けであって、命令されることではない。
家で仕事している者あれば行って「仕事をするな」と言い、 家で仕事してない者あれば行って「人の2倍仕事をしろ」と言い、 家で寛いでいる者あれば行って「夕食取ってすぐ職場復帰する人を範とせよ」と言う。 言われた彼はどうしたら良いのだろうな。 「家に居ないようにする」以外の選択肢はなさそうに見える。
指摘や意見そのものは常に歓迎するべきだ。 たとえ自分が既に考慮していたことだとしても、「何言ってるの。そんなの既に考えていたに決まってるじゃない」などと言って意見そのものを拒絶するのは、近視眼的なプライドを満足するためには良いかもしれないが、今後意見を言ってもらえなくなる愚策と言える。 逆に意見を言う側に立てば、常に相手が考慮済であることを想定に入れながら言うべきだ。 「あなたには考えが足りない。私の意見に従うべきだ」という前提で 相手のアラを躍起になって探すのは社会的な経験が不足していると思う。 現在の自分からは思慮が足りないように一見 思えても、 実は自分より進んだ考えであることもよくあることだ。 大きくは国政や外交で、 小さくは個人間の作法や因習の違いでも、 「なんでこんな阿呆なことをするんだ」と思っても、 実は自分がよく知らないだけだったということは多々あることだ。 だから私は他人に「こうしなさい」と命令することは基本的にない。
相互理解のためには相手と共有していない場での私の話もした方が良いかと思って話を振ったら、 私にとって考慮済のことを「あなたの思慮が足りないからあーだこーだ」と延々繰り返して、私の非を探そうと躍起になった。 この人にはこういう話が向いてないのだろう。 少なくとも私は今後、同様の話をしたいとは思えなかった。
歯のレントゲン写真なんかを見ると歯茎のなかで根はまっすぐ尖って伸びている。 しかし、抜けた乳歯を見るとその先は尖っていない。 小学生だった私は考えた。 「きっとあの尖った歯は永久歯で、乳歯の根は尖っていないのだ」と。 歯科医であるヨメに聞いたところ、 しかし乳歯も根は本来尖っているのだそうだ。 ただし、歯の生え変わりの時期に乳歯の一部が歯茎に吸収されてあのような形になるということらしい。 なるほど。
C++ プログラムを開発するには Windows の Visual Studio が便利だ。 これはひらやまんところで実感した。 ならばそのソースはどのように Subversion で管理すべきか? Windows から samba ディレクトリで管理するのではなく、 直接 TortoiseSVN でバージョン管理するのがベターっぽい。
24時間監視してない限り、人間は他人がどのように仕事しているのかは完全には分からない。 そこで 「自分には分からないけど精一杯頑張っているのだろう」と考える人もいれば、 「自分には分からないから怠けている」のだと考える人もいる。
事務室前で急に礼を言われてびっくりした。 私は覚えていなかったのだが、1年ほど前に彼が教科書を廊下にぶち撒けて、 それを拾うのをどうやら私が手伝ったらしい。 私としては当然の行為だが、 そういうちょっとした厚意を覚えていてくれて、礼を言われるのって嬉しいもんだな。
他の人も自分と同様の意見であったとしても、 「他の人も同じことを言ってる」と発言するのは外部権力に頼るようで、 また「皆が言ってるから私の意見は正しいんだ」と主張するようで、私には醜く感じる。 「お母さん/先生が、言ってたもん!」と同じだ。 私は言いたくない。 しかしこれを言わないと自分の立場がある程度の客観性を持っていることを信用しない人がいる。 そういう人にはこのようなことを言わざるを得ない。
やる気しねえ。 仕事に集中できない。 なんでこんな嫌なことばかり頭ん中でぐるぐる回さなければならないのだろうか。
矛盾した内容の指図をする人のことを、多分私は気にしたらあかんのだと思う。 今後仕事の仕方とかに指図されたら適当に相槌打って無視しよう。 でないと精神が保たない。
今週はやや変則的だが水、金の2回研究室に泊まることにした。
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