義実家から帰宅。
連休にして義実家にいるつもりだったので休みを取ったが、 昨日帰ったので普通に休み。
普段ヨメがムスメと一緒に寝ているのだが、 2〜3時間おきにムスメに起こされるので一緒に寝ているヨメは結構大変。 休日くらいはと疲労の色濃いヨメのかわりに私がムスメと一緒に寝るようにしているのだが、 これが結構難しい。 夜泣きしても私は結局お乳をやれない。 完全に泣かせてしまうと神経が昂って次に眠れなくなるらしいし、 かといって泣き出してすぐにヨメを起こすようでは 何のためにヨメの代わりに一緒に寝ているのか分からなくなる。
授業。
会議。 議事録を TeX でつけられるようにいろいろやってみた。 次からは会議中に pdf まで持っていける。
Libretto L1 ほぼ寿命っぽい。 BIOS 消えた。 「Press [F1] key for default setting」 とか出よるが、F1 キーを押してもその画面が何度も出る。
なんどか F1 押してると BIOS は設定できたようだ。
もう片方はなんとか生き返った。
時計が壊れる。 研究室用のキッチンタイマーは随分前にすぐ壊れたのだが、 掛け時計も壊れた。 まだ何年も使ってないのに。 made in china はあかんのか。 というより、電波時計は普通の時計よりも繊細な部品が多いから壊れ易いのだろうな。 電波時計でも電池は切れるわけだし、そのタイミングで時計の時刻調整すれば 手間の差はほぼゼロだ。 ということで電池式電波時計は私的にはありえない選択肢となった。
「来週の国際会議はポスターももうできてるし余裕だぜ」とか思ってたんだけど、 Poster preiew があった。 たった1分のスライド作成が結構手強い。
Libreto の 片方はもうダメだ。 ブートしねえ。 BIOS の記憶されているフラッシュメモリが死んだのだろう。 もう1台のための部品取り用にしよう。
もう1台もかなりダメっぽい。 2つのキーボードを入れ変えても不調になるキーは同じ。 両方のキーボードが同時に同じキーだけ不調になったか、 やはり本体側どこかの問題が同時に顕在化したのか。 まあもともと 8年物の機体なのでそれでもよく頑張ったと見るべきだろう。 使える方の不調はキーボードだけなので、 例えば電子フォトケースとしての余生を検討できるかもしれない。
出張やなんやで仕事の効率を保つために使えるノートを1つは持たなければならない。 これまでは Libretto L1 がその責を担ってきたのだが、これがあやしくなってきた。 随分前に職場で購入した NB100 は FreeBSD を入れると ACPI でひっかかる。 そろそろ 8.0-RELEASE が出る見込みなのでそれを待ってみるつもりだったのだが、 そうも言っていられない状況。 とりあえず Ubuntu を入れて整備を開始した。 HDD 上に 8.0-RELEASE を入れるスペースも空けておけばそれほど問題にはならんだろう。
完全ではないけれど、それなりに使える感じにしてみた。 vim で日本語が打てて、subversion で文書のバージョン管理ができたらそこそこなんとかなる。
ムスメは手の使い方が上手になってきた感じ。
gnome ちょっとうざいかもな。 skk で文字を入力しようとすると、 そのスモールウィンドウもじわっとポップアップされたりする。
『図書館戦争』の堂上教官が言うてたようなことだが、 たとえば「容姿に瑕疵があるから結婚するのをやめる」のと同様、 「片親だから以下略」いう男が娘の将来に出てきたとしたら、 そういう阿呆とは元々結婚しない方が娘の幸せためなのでないだろうか。
「道理が我にあるならば百万人といえど我行かん」という言葉があるが、 「自分の言動に責任を持って、自分の言動を誰に伝えられても胸を張っていられるような 生き方を心掛ける人」 というのはそれほど多くないのかもしれない。
教える・教わるという関係をサル山のマウンティングと同じだと思ってる人もいるようだ。
研究室で仕事しながら横で流していた NHK の『あべ上がりの夜空に』にはびっくりした。 ツカミで完全に目を奪われた。 面白かった。
文字に向きを感じる。 「あ」は左向き、「い」は右向き」、「う」は左向き。 この向きは何に起因しているのだろうか。 人間の顔パターン認識能力に関係がある気がするが。 また、同じ文字は誰もが同じ方向を感じるものだろうか。
原因を見誤ったまま物事の対処をしようというのは滑稽だ。 もう限界を越えたな。 どこで終了するかは分からんが、あとは消化試合みたいなもんだ。
『Wind climbing』 泣きそうになったが、本来意図された感動と違う感情だ。
自分の好きなことを我慢すること。 自分から言い出したことでもあるのでその約束を守る責任があるが、 そのことに相手が感謝してくれなければ我慢のしがいがない。 決して私も過度の対価を求めているわけでもないのだが、 無趣味な人には「人が好きなことを我慢することが精神的にどれくらいの犠牲を 捧げているのか」を我が事として理解できないのだろう。
『ガンパレードマーチ』にあった発言力システムは結構現実の人間関係を 上手く表現したものと思う。 何かをしてあげることで発言力が上がり、誰かに何かをお願いすることができる。
眠れねえ。
名古屋出張。
バンケット。 日本で働く外国人(インド人?)に、 私の最近の人生観についてインド仏教的世界観という喩えを出したら大層面白がられた。
「何かを明らかにしたい」という強い動機が研究者に必要な資質の一つ。 特に、その「何か」を適切に設定すること。 研究対象を自分で見つける能力と言っても良い。 私にも不思議に思うことは色々あるし、それが何故か原因を考えることも好きだが、 「特に明らかにしたい何か」を特定するまではならず、どうも散漫とした感じだ。 学生のときの研究室の人たちは、流石によく私のことを分かっていた。 そして、こんな人間でもフリーソフトウェア開発的な貢献で人の役に、 研究・学会の役に立つことができると、 私のあり方を肯定的に捉え直させてくれた。 「物理学者にあらねば学者にあらず」というわけではなく、 理論の論文を読んでコードにすることを仕事にするのもありだということだ。
遠慮して断っておいて後で文句を言うのなら、そもそも遠慮をしないで欲しい。 言ったことを受け入れておいて後で遠慮がないと文句を言うのなら、 そもそも受け入れないで欲しい。 まあ私が急ぎすぎたのが悪かったのだろう。
やっぱり計算系の方が関心持たれるなあ。 ポスター発表だったが結構喋ることができて良かった。 英語で喋るときには「どう文章を組み立てるか」を早く考えようと脳の能力を 一杯一杯まで使うが、ここで私の脳が焼き切れそうな感じにまでならないのは、 「正しい英語にしなくてはならない」というプレッシャーを あまり強く感じていないからだろう。
出張には東芝 NB100 を持ってきた。 Windows installed な状態で発売されている Atom ノート PC だが、 Ubuntu のみを入れてある。 Windows のインストールが上手くいかなかったからだ。 それでも文房具としては決して悪くない。 今回プレゼンテーションを自前PC でする必要がなかったからそれで良かったが、 今後のことを考えると Windows と PowerPoint を入れておく必要があるだろう。 ここでふと、 MacOS のノートも十分魅力的な選択肢になりうると思った。 MacOS X は FreeBSD ベースなので UNIX コマンドやターミナルは動くし、 たぶん vim や subversion といった UNIX ソフトウェアも使えるだろう。 さらに MS-Office や Photoshop も問題なく使える筈だ。
学生に自分で実験方法を考えさせる仕組みの授業で、 気付けば時間一杯学生に話をしていた。 喋るのというか、自分の知識を他人に伝えることがやっぱり私は好きなんだと思った。
強い情動。 稀な体験。 自分の精神状態が興味深い。
やる気がでなかったのでゼルダやってた。
たぶんもうどうしようもなかったんだと思う。 嘘も方便とは言うが、優しい嘘というのはそれだけの余裕がなければ無理なのだと知った。
ノート PC でポインティングデバイスがタッチパッド式のものは、 キーボードを打っている最中に親指が触れてウィンドウフォーカスが外れたりして困る。 感圧ポインタはゼロ点補正さえ問題なければ意図せずポインタが動作する危険性は低く、 私の場合感圧ポインタのものがベターだ。 タッチパッドはパネルを叩くだけでクリックと見做されるのが便利なので、 マウス操作が主でキーボード操作をあまりしない人ならばタッチパッドを選ぶべきと言える。 今の NB100 はタッチパッド式なので物書きしてると少しストレス。 とりあえずタッチパッドを遮蔽物で隠してみようか。 ポインティングデバイスを使うときはそれを跳ね上げれば良い筈。 アルミ箔を上に置いてやってみたが、触れるとカーソルが反応した。 生体電流的な何かではないらしい。 エアクッション(プチプチシート)をかぶせてみるといい感じに反応しないように することができた。 また跳ね上げなくても強く押せば操作できるのでかなりいい感じ。
プログラミングの勉強。 特に作法のあたりをまとめる。
プログラミング開始。 まずは これまで UNIX 上で g++ & make で作っていたコードを VisualStudio で構成してみよう。 1つの samba 共有ディレクトリにソースを置く形式にしておけば、 unix でも VisualStudio でも make したりできるかもしれん。 そうすると、コメントに日本語は排除して英語でやらんとあかんようになるが、 それも英語の勉強として良いかもしれない。
やらんとあかんこと・やらなあかんこと。 てんこもり。
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(村上春樹)。 当初文体がくどい感じたが、速読のようにパパッと見ていくような読み方をすると 結構快適かもしれん。 で、まあ何というか。 ストーリーというより文体を楽しむものかな。
街灯に虫の死骸が溜まっていた。 虫の走光性が死を呼んだのだろう。 所謂「飛んで火に入る夏の虫」という奴だ。 この性質は一見「淘汰圧がかかって絶滅するのでないか」という気がした。 ただ、そこに行けば同種の虫がいる可能性が高いので、 交尾の相手を探すのに都合が良く、それが有利に働くのかもしれない。 虫にとって街灯は、いわば社交場のようなものかもしれん。
学生実験。
年度末に向けての買い物シーズン。 自分の金でなくて買い物できるのは楽しくもあるが、 同時に最適化しなければならないという責任感を重く感じて どうしても時間を食ってしまう。
授業や勉強やメールで回ってくる仕事や出張の準備など。
誘われてイタリアン。 楽しかった。
誰かと行くことがあるかもしれないし、飲み会を主催することもあるだろう。 そう考えて自分が行った飲食店で美味かったものはメモを残すことにしている。 これらの店にいつかヨメと行きたいなあ。
英会話スクールでは自分で作った英作文を添削してくれるサービスがある。 これを有効に使いたいなあ。
NF の翌日の火曜日午前に京大出張がくっついた。
母らと近所のベトナム料理店。 最後の方は味付けに飽きてきたが、総じて美味かった。 ベトナム料理はハーブの使い方が上手く、香りの良いものが多い。 「料理にこだわる文化的気質はかつてフランス領だったことに起因するのではないか」と 母が言っていた。
ちょっと重要めの用が出来たので自宅待機。
全く鏡のようだったわけだ。
京大NF最終日ということで行くが、出るの遅れた。 昨日までは他の OB も結構いたようだが、彼等に会えなくて残念。 まあまた会う機会もあるさ。きっと。 コンパでは若いのと話をした。 若いのにも漫画技術を論じることができる奴がいて、それがとても嬉しかった。 そのあとはアニソン カラオケを堪能した。 『Wind Climbing』を歌う前と後でリアル心境が変化した。 歌って良かった。 「♪君と生きてく明日だから、這いあがるくらいで丁度いい」
寮に行って泊めてもらう。
8:45 に起きて中央食堂でトレイにメシを取ってきたところで激しく気分が悪くなり、 目が回った。 「あー、これは体内のカロリーが不足してるせいだろうなー」 ということで無理して口に入れて咀嚼する。 食いながら暫くすると復活してきた。 ディスカッションの後、急いで大阪の職場へ。
疲れてたので早めに帰った。 妙にポカポカするので体温を測ると 37.2℃。 疲れだな。
起きている間に脳内に睡眠物質みたいなものが溜まり、 眠るとそれが消費されて減っていく。 私はこのようなイメージを眠気のメカニズムとして持っている。 私の場合は特に、寝入り端に脳内の睡眠物質が消費されるのだろう。 10分間仮眠するだけでかなり眠気が解消される。 だけどこの性質は同時に、 「夜寝る時に寝入りに失敗すると、次に眠気が来るまでまた2〜3時間は眠れなくなる」 という側面も持つことになる。 私の睡眠に関する体質は、こういう感じで説明できる気がする。
朝シャワーをあびて体重を測ると 71.1kg。 腹の脂も減ったが体全体の筋肉がより多く落ちてる気がする。 そして体力も急激に落ちてる。 少し走ると気分が悪くなりそうになる。 たぶんもうちょっと体重増やした方が良いのだろう。 私のベストウェイトは 72〜73 kg ではなかろうか。 理想的には筋トレして筋肉で増やすべきなんだろうけど、 大学のジムは使えないし、市民体育館に行くのも面倒だし、何より今時間がない。
英語力足りない。 もっと日常的に英語に浸るようにしないと……。
細かいことは気にしない。 それが必要だ。 だが難しい。 気にしなければならないことと、気にしなくても良いこととの選別が必要。 塀の上を歩くようなものかもしれん。 まあなんとかなるだろう。 というか、なるようにしかならん。
そろそろ計算機にも手をかけてやらないと……。
2〜5限が全部予定で埋まった。
水曜夜から木曜朝にかけて玄米を水に浸し、それからざるで2日間。 発芽玄米が成功したのか不明瞭だがとりあえず炊いてみた。 うん、美味いからたぶん成功したのだろう。 もうちょっと温い環境に置いた方が発芽が早いんだろうなあ。
年末に同窓会ゴルフに行くことになった。 ということで、久々にゴルフの練習に姉と行った。 やっぱり精度は落ちていたが、予想していたよりは落ちてなかった。 前についたクセがある程度抜けて丁度良い感じなのかもしれん。
心機一転、頑張ろう。
9年間も一人暮らししていると生活上の大抵のことは自分でできるようになってしまう。 自分一人では生きていけないような、本当の意味で頼りない人はそれほどいない。 私が「相手と一緒に居たい」と思うのは、 「いなかったら困る」というマイナス思考ではなく、 「いたら楽しい」というプラス思考での面が大きい。
『ロバート・フック-ニュートンに消された男』(中島秀人)。 母から10年くらい借りてた本をようやく読んだ。 際立って面白いとは思わないがまあ良かった。 おおまかに言うとフックは実験屋として天才で色んな実験道具を発明して科学の発展に 寄与したが、 理論屋のニュートンという強烈な光に埋もれてしまった、という感じか。 主題は工学と理学の対比なのだが、著者はそれをもっと早い段階で提示すべきだったと思う。
言いたいことがあっても、怖いと感じてなかなか言えない。 私が怖がることなんて決して誰も求めていないのに。
まず敵か味方かを判断するようだ。 相手への反応は相手が言った内容そのものに対して決定されるのではない。 敵だと見做せば攻撃(反撃)するし味方なら同意する。
私は言い方と内容は別だと思っており、 それを切り分けて判断できる人物になりたいとずっと思って来た。 相手の態度が気に食わなくても、言ってる内容を正当に汲み取るべき。 喧嘩腰に言われても、相手の要求の内容そのもので検討し、可能か不可能かを返答する。 愚者の行う千に一つの正しい言説を見逃さないようにする。 これが私の目指す地点だ。 多くの人が目指すべきだとも思う。 しかし、私と同じ程度に相手もそれを希求していることを前提にしてしまうのはよくないわな。
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