きづき(日記)

きづき、またかんがえたことをしるす (いっぺい)
Last modified : Mon Oct 05 10:42:07 +0900 2009

2009年10月01日(木)

ムスメに発音を教育中。 こちらが「あー」「おー」とか発音すると、それに対して応えることがあるので、 それまで辛抱強く。 上手くムスメの「あー」に「あー」と応えると、 ゲームだと思っているのか笑顔で「あーおぅ」などとさらに返事が返ってきたりする。 口を動かし、「発音するぞ」と思っていても呼吸が合わないのか 発音に失敗することもある。 いと うつくし。


2009年10月02日(金)

学会で少し痛めの言葉を頂いて少しヘコんでいたのだが、 時間が経つと叩いてもらって良かったと思うようになってきた。 良薬口に苦し、忠言耳に痛し。


2009年10月03日(土)

文具として使用中のノートPC で無線LANを使えるようにしてやろうと考えて少し調べる。 FreeBSD での 無線LAN 設定の方法は色々変遷があるようだ。 Libretto に入っているのは 6.2-RELEASE とちと古いので、 今の状態で入れるために画策しても、後々に生きない情報になるかもしれない。 たぶん 1ヶ月以内に 8.0-RELEASE が出るだろうから、 少なくともそれ以降にするかな。


2009年10月04日(日)

vim で起動時に fold を設定するのをやめた。 fold 設定にしていると、 「/」での検索時にインクリメンタルサーチができないのがダメなところだ。 かといって off にすると編集中も折り畳めないので、十分に大きな値として 「set foldlevel=99」しておいた。


2009年10月05日(月)

老人と若者が同じ部屋にいると若者の方がよく蚊に刺され、 「若い方が血が美味しいからだ」と言われることがある。 ヨメとムスメが同じ部屋にいると、 ムスメの方が生まれたてほやほやで血が美味しそうなものだが、 蚊はヨメの方ばかりを刺すらしい。 蚊は血の美味い不味いを区別しているのではなく、 代謝が活発で CO2 をより多く吐き出す方に寄せられるのだろう。 だからたぶん、若者>中年>老年>幼児といった感じなのだと思う。

『Fate/zero』読了。 おさまるべくところにキチンとおさまった感じ。 商業ライターすげえな。 きっと書くの速いんだろうな。


2009年10月06日(火)

プリンタ修理に来てもらった。 技術者さんにもどうもよくわからないらしく、予想外に時間がかかった。 今日では埒が開かないので、後日引き取りに来て、そんときに見積りを提示してくれる ことになった。


2009年10月07日(水)

赤子の毛は細く柔らかいため、赤子の髪の毛を筆の毛にするということがあるらしい。 毛というのは生え始めは極細から始まり、ある程度で一定の太さになる。 途中で切られた毛は、そこに断面を持ち毛先が極細にはならない。 きっと筆にするには、切られることなく生えたままの毛が必要なのだろう。 通常 筆には獣の毛が使われるが、 当然動物には毛を切るという習慣がないため、全ての毛が基本的に先細りになっている。 見れば、赤子の髪の毛は全て先が細っている。 普通の人で全ての髪の毛の先が細っているのは、人生でこの時だけだろう。


2009年10月08日(木)

結局、プリンタはおそらく他の箇所も悪くなっているだろうし、 今回直してもその箇所の修理にまた数万飛ぶことになるだろう、 そういうわけで修理を諦めた。 トナーはネットオークションとかで処分するとなんぼかのお金になるだろうとのこと。 なるほど。 やったことないけど、やってみようか。 まずは手順や安全性などについて情報を集めるところからだな。


2009年10月09日(金)

ムスメは掴むことを使いこなしつつある。 キチンと表情として笑うようになってきた気がする。

母音として O, A、子音として H の音は出せるようなので、 起きたとき試みに「おーはー」と言わせようとしてみたら、 そう聞こえなくはないように発音した。 これで「『おは』と言った」なんて言えば親馬鹿丸出しなので、 ヨメの前で同様に発音させてみようとしたが二度目はなかった。 まあいっか。 ゆっくりでもいい、しっかり成長して欲しい。

私は子供の相手が上手いんじゃないかと思っていたが、その通りかもしれん。 世話はそれほど上手くないかもだが。


2009年10月10日(土)

英会話スクールでのレッスンの前後には当然予習復習が必要だ。 やらんでもレッスンは受けられるが、 折角高い金を払って受講しているのだし効果を最大化するための努力はすべきだろう。 当初、ヨメと一緒に勉強できればその費用もさらになんぼか活きるだろうし、 テキストのロールプレイなんかはヨメとゲームのようにやっても面白いかもしれないなどと 思っていたが、いろいろあってできなくなってしまった。


2009年10月11日(日)

プリンタ購入。 研究室で Canon をよく使ってるので Canon製品を買おうと思っていたのだが、 Canon は全体的な戦略を 2万円以上の複合機にシフトしており、 単純なプリンタで LAN 使用可能な物はなかった。 Epson は 13000円台でそういうプリンタがあった。 この価格差は魅力的すぎる。 Epson 製では、LAN が不要ならば 1万円という商品も電器店に置いてあった。 私が最初にプリンタを購入した頃(1997年頃)では、600dpi で5万円くらいしてたと思うが、 考えればあれから 12年も経ってるんだな。


2009年10月12日(月)

科研費、国際会議の発表ポスター、授業準備と仕事てんこもり。 家でできないので出勤。


2009年10月13日(火)

人間は、習性としてどこかに敵を認識しようとする。 自分の周囲で最も敵度の高いものを敵と認識し、 それ以外の者は相対的に味方と見做す。 もしその最も敵度の高い敵がいなくなったらどうなるか。 暫くはストレスのない快適な生活と感じられるだろうが、 次第に他の誰かが敵だと感じるようになってくる。 問題は常に相対的である。

もし世界征服を為し遂げたとしたらその世界は平和になるだろうか? その次は内紛・内戦が生じる。 宗教の宗派対立・セクト主義なんてのは結局そういうものだ。


2009年10月14日(水)

Libretto L1 のヒンジがユルユルで困っていたのだが、 世の中にはやっぱり同様の悩みを持っている人がいて web 検索でひっかかった。 2mm の六角レンチでヒンジのネジを締める必要があるのだが、 スペース的に5mm 程度しかないので普通の六角レンチでは無理。 ネットの人とかは六角レンチを改造することで対処していた。 しかし「先がくびれて玉状になっている六角レンチ」ならば ある程度ナナメになっていても回せるので、それでやることも可能。 それでもツメが邪魔なのだが、どうせボディのネジで留めるのであまり気にせずツメを 切除して行った。 快適度アップ。

韓国出張で使う発表用ポスターの作成。 学生のころに作ったポスターがデザイン的によく出来ていたので それをベースにはめこんでいこうとしていたのだが、 やっぱりこの方針はダメだ。 ポスターの作成の手順は、漫画の作成手順とほぼ同様だ。 材料を用意し、コンテを切る。 特に発表コンテンツの配置はコマ割りと全く同じ技術・理論が適用できる。 私が今迄やろうとしていたことは、違う題材の漫画を同じコマ割りで描こうとする ことに相当する。


2009年10月15日(木)

ポスターとりあえず完成。 1ヶ月後の名古屋の国際会議でも使用するつもりなのでちょっと気合い入れて 一枚物でデザインしたんだけど、 海外出張でポスターケースに入れて背負って行くつもりはなく、 折り畳んで持っていくつもりなので分割ベースでデザインした方が良かったかもしれん。

さて、明日は科研費の申請書だが、いろいろ時間的にタイトだ。 大丈夫かな。 まあ科研費申請はしてないといろいろ不義理になるが、 絶対の責任ではないので最悪ブッチだな。 取り敢えず来週一杯頑張ってみよう。


2009年10月16日(金)

英会話。 1回40分は少々物足りない。 以前見てもらってた 3000円/1時間の先生は、 俺が無茶なことを言い過ぎただけでそう悪くなかったのかもしれん。


2009年10月17日(土)

学生が原稿のチェックを待っているのだが、 停電だから研究室に行っても仕事できない。

ゼルダの伝説 トワイライトプリンセスを始めた。


2009年10月18日(日)

ロマサガ2 のエンディングは帝制を捨て共和制になるというもので、 高校生だった初プレイ当時はこの結末が若干気に食わなかった。 プレイヤーの分身である、有能たるべき皇帝が統べるならば帝制のままの方が 国の発展に役立つのではないか? 現代社会が共和制を良しとしているので、それに迎合した形のエンディングに したのではないか? 物語を締め括るためにそのような結末を強制したのではないか? そんな感想を抱いていた。

ロマサガ2 のストーリー全体のその背景を最近改めて確認し、 やはり帝制は捨てなければならなかったんだと納得した。 古代人の技術を用いてモンスターを吸収し、個人に力を集積したモノが七英雄だ。 七英雄はその結果得られた強大なパワーで古代人の脅威たるモンスターを駆逐していった。 皇帝は、古代人の技術を用いて力を継承し、 世代を重ねることによって個人に力を集積していく。 その結果得られた強大なパワーで現代人の脅威となった七英雄を駆逐していった。 もし七英雄を滅したあとも皇帝が継承を続けることができるとして、 もしそうなればどうなるか。 力を集積しすぎた皇帝は、現在の七英雄が現代人に対してそうであるように、 未来の人の脅威となるだろう。 そして古代人にマークされ、 新たな技で滅せられるべき存在になるかもしれない。

バレンヌ帝国は政治形態として特殊だ。 レオン→ジェラールを最後として、最高統治者が世襲で決まらない。 その時その時に応じて最適の人材が(プレイヤーによる)天啓によって選択される。 その対象は生え抜きのバレンヌ帝国国民だけでなく、 異国民・異民族・人外にまで広がっている。 血縁に因らぬ最高統治者選択が定期的に起こっている。 バレンヌ帝国国民や官僚は、帝制時代からして世襲に因らない政治形態に慣れており、 民主政治・共和制の土壌は既にあったと見ることができる。


2009年10月19日(月)

GPGPU というソリューションがあるらしい。 CPU よりも処理能力の高い GPU を演算に利用するらしい。 描画関連の計算を CPU とは別に持つ進化として GPU を持つようになり、 それをまた CPU のように用いるというのはなんだか不思議な感じだ。


2009年10月20日(火)

科研費書類。 前回まで MS-Word でやっていたのだが、今年は科研費LaTeX を試してみた。 書くのが楽しくなって素敵すぎる。


2009年10月21日(水)

4年生中間発表のシーズン。 夕方から夜にかけて全体のプレゼン練習会、夜から深夜にかけて個別の指導。


2009年10月22日(木)

今季の学生実験 1回目。 赤茶色の粉末である Fe2O3 から金属 Fe への還元実験をやっているのだが、 去年作った純鉄の塊の表面が赤茶色に戻っていた。

夕方から夜にかけて学生全体の指導、夜から深夜にかけて学生の個別指導。 明朝にまた指導が発生し、まさかの連泊。


2009年10月23日(金)

午前に2名分ほど学生のプレゼン資料をチェックし、それから帰宅。 シャワーをあびて昼食、それから研究会へ。

友人が「英会話の場数を踏みたいなら、梅田の立ち飲みバーで軽く飲みながら そこに居る外国人話すれば良い。」と言っていたので見てきた。 が、外国人いなかった。 17:00台ではいかんのかもな。 ビールが300円、ジュースが100円。 今の英会話スクールが 1時間あたりに換算すると 1万円くらいになることを考えると どうやっても格安だろうとは思う。


2009年10月24日(土)

中間発表で出勤。 発表する学生に質問することは教員の義務だと私は思っているため、かなり集中して聞く。 かなり疲れる。

Librett L1 のキーボードの効きが悪くなった。 これはたぶん、ヒンジを締めるときにキーボードコネクタを外したが、 それを戻した時に下手をして接触が甘くなってしまったからだろう。 キーボードを外して、エアダスターで軽く吹いて、 ケーブル側を軽く拭って再度接続してみる。 回復したっぽい。

科研費申請書は一通り書き上がった。 電子申請しようとしたら容量オーバー。 写真をもっと小さくしないといけないが、門限が迫っていたので残りは明日。


2009年10月25日(日)

言うべきではないし、書くべきではない。 その生活をずーっと続けてきて、ついに我慢できなくなる。 忙しい時期で日記が遅れたということもあるが、 方々で辛いことが私を苛み それを書いたものを上げるべきか迷っていた。 しかし結局、書くべきではないと結論。

思いやりがあるということと、優しいということは違うと思う。


2009年10月26日(月)

韓国出張出発。 14:00 過ぎに釜山に着く。 学会が用意したシャトルバスが 17:00 に来るとアナウンスがあったので待つ。 しかし来ない。……来ない。……来ない。 この心細さは異常。 だが異国の地ではこれくらい日常茶飯事だぜ。きっと。 17:10 頃に事務局に電話してみたが、 「I guess the bus has already gone.」とのこと。 マジかよ。指定の場所にチラリともガイドが見えなかったぞ。 ここで「海外では行動に保険がかけられるのなら小金はケチるべきではない」 という教訓を得た。 ともあれ目当てのシャトルバスがないのは確定したので、 ここでとやかく言うてもしゃあない。 さて、どうしようか。 シャトルバスのアナウンスが来る前の予定では 「釜山の中央部まで行って高速鉄道で東大邱まで」というつもりだったのだが、 ターミナルでよく調べてみると東大邱までの 18:00発直通バスがあった。 少し待ってそれに乗り込んだ。

バスターミナルで座ってたアジア系外国人が同じ学会の紙を持っていたので話しかけて みたら日本の大学に在籍するインド人だった。 旅の道連れになってくれたおかげで大層心強くなった。 両方韓国語が使えないからタクシーで難儀したけれど。 韓国では車が右側通行。 「車の通行が左側なのは日本とイギリスくらいのものだ」と昔学校で習った気がするが、 インドも左側通行らしい。 なるほど、イギリスの影響強いもんなあ。

海外通貨に両替するときは日本国内より現地で換金した方が率が良いらしい。 特に空港は換金率が悪いらしい。

今日はレセプションパーティがあるので夕食はそこで取ろうと思っていたが、 パーティに間に合わなければ夕食を取る場所を何処か他所で探さなければならない。 それが気がかりだった。 ホテルに着くとレセプションパーティはほぼ散会状態。 しかしバイキング形式で まだ食事が残ってるので、負けるものかと食事を取る。 主催者の先生もニコニコと「Please eat enough.」みたいなことを言うてくれたので 気兼ねなく頂いた。 ビール、ジンロなんかを交わして楽しくお喋りした。 いや、私はあまり喋れないのでかなり聞き役だったけど。

ホテルの部屋を欧米風のベッドの部屋か、韓国式のオンドル部屋かを選べた。 折角なので後者を選んでみた。 でも大邱は大阪とあまり気温が変わらないので、今の季節は結構暖い。 もうちょっと寒い時期の方が価値あるだろうなあ。


2009年10月27日(火)

ぬくいので窓を開けて寝ていたら目の前の大通りを通る車の音とか、 明け方にはヘリの音っぽいのとかで騒かった。 そうか、それで二重窓になっていたのか。

良い天気。 空を戦闘機っぽい飛行機が飛んでいた。

韓国では市街地のかなり大きな通りでも信号がない。 韓国のバスは日本のより速い気がする。 そして運転が荒く、酔う。

日本・韓国が多く、 ドイツあたりの非英語圏の欧州もそこそこ。 しかし英国・米国の人が少ない。 この学会には英語が第一言語じゃない人同士の発表練習の場という側面があるような気がする。


2009年10月28日(水)

学会バンケット。 中華系スウェーデン人とフランス人と話をした。 なんとなく喋るっぽいことはそれなりにできたが、 聞き取り系の能力がもっと必要だ。

学会バンケットで国ごとに参加者があつまって、歌を歌うという催し。 我々日本人勢は『上を向いて歩こう』だった。 ふと思い付いたんだけど、『カエルのうた』の輪唱をするとウケると思うんだけどなあ。 日本人誰でも歌えるだろうし、 外国人の目には「なんだあのチームワークは!?」と奇特に映るだろう。

最後に各国のカラオケ好きが集まって『We are the world』を歌った。 なるほどなー、マスターしておくと便利かもしれん。


2009年10月29日(木)

韓国の高速鉄道 KTX に乗って大邱から釜山まで。 後から気付いたけど、乗るときも乗ってるときも降りるときも チケットの改札、検札がなかった。

帰りの飛行機は明日朝なので、今日はインド人とバスに乗って釜山観光し、 英会話の練習をさせてもらった。

地下鉄で3駅の魚市場で夕食。 市場にそのまま座席をつけたような形で、言うた奴をその場でさばいてくれる。 味はともかく興味深かった。 そして日本ではないので、まず一周してそれから値段交渉をするようにすべきだと知った。

任せて安心東横インが釜山にもあったのでそこで泊まる。


2009年10月30日(金)

東横インの朝食サービスが始まる前の早朝のバスに乗らなければならないので 昨夜コンビニでおにぎりを買っておいた。 これが大層辛かったが大層うまかった。

帰国。 帰宅途上に大学があるのでちょっと寄る。 16:00〜17:00 ころには帰るつもりだったのだけれど、 会議があったり、来週の授業の準備があったりで結局 22:00 帰宅に。

Libretto L1 の o のキーが渋いのが直ってない。 むしろ悪化。 2台あるのでキーボードだけ交換してみたが同様だった。 2台のキーボードの o キーが同時に悪化するとは考えにくいので ということは内部の問題が疑われる。


2009年10月31日(土)

義実家へ。

ヨメがヘルペスに罹った。 水疱瘡に一度かかるとウィルスが体内に残り、 疲れなどで免疫機能が落ちるとそれが表に出て耳などに発疹するそうな。 母親は代わりの効かない仕事だからなあ、大変だ。


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