きづき(日記)

きづき、またかんがえたことをしるす (いっぺい)
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2009年08月01日(土)

ふと空いた1時間、DQ3 を始めてしまった。 隠しボスを倒すとオルテガを生き返らせられるとか聞いて、 以前にやったときはゾーマ倒すところで終わってしまったよなあ、とか。 ひょっとしたら SFC 版はやったことがなかったかもしれない。

たまには遊びの時間くらいはあってもいいよなと自分に言い訳。 やってみて思ったが、「今から遊ぶ」と明示的にした方が 仕事時間に言い訳が効かなくて良いかもしれない。


2009年08月02日(日)

義実家にヨメと我が子に会いに行く。 我が子は赤子相応によく泣くようでヨメは大変だが、 丈夫な子なようでよかった。 本当によかった。 ヨメは本当によくやった。


2009年08月03日(月)

会議・事務処理でほぼ一日つぶれる。


2009年08月04日(火)

耳抜きの要領で鼓膜内側の気圧を高めると、聴こえる音の感度が変化する。 高音がよりよく聞こえるようになる。 これは鼓膜の振動の復元力が強くなって固有振動数が高くなり、 高周波を拾い易くなるからだろう。

小学校とかのプリントが B版文化なのは、小学生が背負うランドセルに入るサイズという 意味合いもあるのではなかろうか。 いや因果関係は逆でランドセルが B版文化を前提に作ってるというべき なのだろうけれど、A4が入るランドセルを小1児童が背負う図を想像すると ちょっと可哀想に思える。


2009年08月05日(水)

意見をもらってもそれに「上から目線」を感じればついついカチンと来てしまうが、 意見の内容が妥当ならば受け入れるべきだ。

プール。 100 m を 2.5分のペースで快調に泳いでいたが、 水球部が使うとかで止められて 700 m しか泳げず。

水中の浮力は肺に入れる空気の量で調節できる。 目一杯空気を吸い込むと浮力が強くなり、浮く。 あまり空気を吸い込まないと浮力が弱くなり、沈む。 ならば丁度良い量の空気を吸い込めば水と同じ比重となって水に揺蕩うことが できそうだ。 しかし同じ量の空気を肺に入れていても、 深いところでは水圧で圧されて体積が小さくなり、浮力が小さくなってより沈もうとする。 対して浅いところでは水圧が低く空気の体積が大きくなり、 浮力が大きくなってより浮こうとする。 重力と浮力が復元力的に働かないため、生身の人間が何もせず水中に揺蕩うのは 不可能ということだ。


2009年08月06日(木)

オープンキャンパスで「実験をやっている」というのでちょろっと見てみたら、 実験をする主体はそこの教員で客は標本だった。 それだったら呼び声は「ご協力をお願いします」であるべきだろう。 あたかも大学でやる実験を主体的に体験できるような言い方で客引きするのは不誠実だ。


2009年08月07日(金)

ヨメの言葉がじわじわしみてくる。 いいヨメだなあ。 頑張ろう。

白兵戦用に人体をモデル化したクラスを作成したいとする。 全身の1つ1つの筋肉の性能を情報として持つ、というのが方針の一つとして考えられる。 しかし、実際の場合そこまで細かい情報が必要なことは稀で、 大抵は幾つかの筋力をまとめて「ちから」というパラメータに押し込めてしまえば良い。 使用する武器が剣と槍ならば、 それらが差別化されるようなパラメータ構成を考えるべきだ。 モデルの妥当性は、そのモデルが扱う事象によって量られるべきで、 こういう考え方がモデル化の肝なのだと思った。

閉鎖環境試験漫画のはしりは、『11人いる!』(萩尾望都)だろうか。 この辺だとヨメに読ませても面白がってくれるかもしれない。 私は漫画を読み慣れすぎてしまっていて、読み慣れていない人にとって どういうものが面白いのかが分からなくなってしまっている。 ということは幼少期に家にあった漫画で当時の自分が面白く感じたものは そこそこ適当かもしれない。 手塚治虫とか、川原泉とか。

某打ち上げで他所の学科の人と飲み。 実に楽しい良い飲み会だった。 そのまま研究室に戻ってバタンキュー。


2009年08月08日(土)

量子論の勉強楽しいなあ。

FreeBSD だと10〜20台の大きなのクラスタにしたときに計算効率が低下しやすいが、 Debian は低下しにくい。 単機での計算ではほぼ同じ効率だったので、 ネットワークドライバとかその辺の差だろうなあ。 ということで研究室の計算機を Debian に置き換えていく計画。


2009年08月09日(日)

ちょろっとテトリスに興じてしまったが、 ある程度で自分の限界が見えたのでそこで醒めた。

「肺呼吸をする海棲生物が卵を産む場合には海亀のように陸に上がらなければならない」 という意見を見て、成程と思った。 魚のように水中に卵を生めば、生まれた瞬間に溺死してしまう。


2009年08月10日(月)

NHK の『ツレがウツになりまして』。 面白い。 私も自分が鬱になるとはあまり思ってないが、 現在鬱に悩まされている人の少なからずが同様に思っていたことだろう。 誰もが鬱になりうる、すなわち私も鬱になりうる。 あるいは、ヨメも鬱になりうる。 お互い過剰な対応をする必要はないだろうが、 テストケースとして想像してみることは有益かもしれない。

盆に私がヨメの実家に行くか行かないかで、 私は「先方のご両親に迷惑になるかも」という遠慮、 ご両親は「私が忙しかったり、来たいと思ってないかも」という遠慮で 探り合いの調整をしていたのだが、 私が行かない場合毎年ヨメは子供をつれて私なしで帰省するつもりだったらしい。 「何て寂しい将来像を思い描くのだろう」とその時は思ったが、 何か大きなことを為すのにはそれくらいの犠牲が必要なこともあるかもしれない。 父親としての手塚治虫はほとんど家に帰らず子供にもほとんど接しなかったと聞く。 ヨメはそのくらいの覚悟をしているということか。 強いな、ヨメ。 それは決して俺の理想とする家庭の姿ではないが。

高校の同級生と飲み。 2年くらいでバタバタとみんな結婚して、子供ができて、 となんか似たような人生になってる。 いろいろ情報交換した。 楽しく、有意義な飲みだった。


2009年08月11日(火)

コンビニの看板にある ENET のマークがレッドバロンのマークに見えてしまう。 いやリンクを探したりするほど価値のある話ではなく、単にパターン認識の話。


2009年08月12日(水)

私が義実家に行くのは邪魔だ迷惑だとヨメがいう。 この時点でかなり行く気がなくなってたのだが、 義両親は歓迎してくれるというし、娘にも会いたい。 「16:00〜17:00 に着くように動く」とメールすると 「ゆっくりめに来てください」と返事が来た。 こっちで夕食を取ってから出発することにした。

歓迎するか迷惑と思うかというのは家としての意見だ。 私は私の実家を離れ、ヨメはヨメの実家を離れ、新しい家を作っている。 ヨメが義実家としての意見を述べるというのは、 「その家を離れて独立した」という意識を持っていないということで、 ヨメは精神的には今でもその家のお嬢ちゃんなのだろうと思う。 ヨメが義実家の所属だったとしても、 家長が「歓迎する」と言ったことを「迷惑だ」などと覆すのは僭越だと私なら感じる。 私だったら母が歓迎すると言った人に「迷惑だ」などとは決し言うまい。 ヨメは二重の意味でお子様なんだと思った。

私の母や姉はヨメからみると姑、小姑になるわけで、 私が自分の正当性を主張しようと愚痴をこぼすと、 それがヨメにとってはプレッシャーになりかねない。 だから私は、不満をそちらにあまり伝えていなかった。 でも私の精神の健康がおびやかされつつある今は、もういいだろうという気分。 少し気が楽になった。 多分、ヨメも結構変な人だと思う。 私は決してそういう所を選んだわけではないのだが。

もういやだ。 人生がこんなにつまらないのは結構 異常な事態であるらしい。 そういえば、私は人生が楽しいことで満ち満ちていると感じる時期があった。 そんな時期があった。 結婚してから11ヶ月。 かなり疲れてきた。 あと1ヶ月で、1年。


2009年08月13日(木)

「ノートPC を義実家に持ってくるな」と言われた。 家の中で出す出さないの問題でなく、「持ってくるな」と。 「持って来ないで欲しい」という依頼ではなく、命令形で「持って来るな」と。 片道2時間、往復で4時間を、義実家で過ごす空いた細ぎれの幾つかの時間を ドブに捨てろというわけだ。 いくら勉強しても時間が足りないのに、無駄に時間をつぶさせろというわけだ。 今後ヨメに「出世しろ」だの「教授になれ」だのは決して言わせない。 万年助手で終わって妻としてそれを誇れなくとも、 ヨメの望む家を建てられなくてもそれはヨメの自業自得だ。

嫁の出産に際して、病院にノートPC を持ち来んでいたことが不満だったらしく、 「そんなことをするなんて、恥ずかしい旦那さんですね」 とかそういう話を助産婦さんとしていたらしい。 医療関係者である親御さんに聞けば、 病院は菌のあふれかえった不潔な所で、 そういう所に道具を持ち込むのは抵抗を感じるとのこと。 また病院内では電子機器の使用も控えるべきだという。 でも「携帯電話を使用しても良い」と看護師さんに言われていて、 親御さんもそこで食事とか取られている状況で、 一般人の私に何も言われずにそれを分かれというのが無理な話だと思う。 携帯電話は使うべきではないというのは私も知っていたが 携帯電話は通信のために電波を利用する機器で、 PC はそんなに電磁波を出さないと私は思う。

「PC を使って陣痛時間を計測していた」といったら急激に語気が弱まった。 仕事をしているというのが不満だったのか。 だったら何をしているのかキッチリ聞いたらいいのに。 筋違いの怒りをぶちまけることを私は恥ずかしいと思うが、 ヨメはそうではないのだろうか。


2009年08月14日(金)

義両親こみ家族会議2日目。


2009年08月15日(土)

義実家では盆に御詠歌を歌うという習慣がある。 御詠歌というのを私は知らなかったのだが、 西国三十三箇所の寺に因んだ短歌で、韻律に乗せて詠ずる。 三十三首のそれぞれを歌うことが、 そのお寺にお参りしたということを意味しているのだろう。 13日〜15日で1回ずつ、3回。

13日は夕方にお墓までご先祖さまを迎えに行く。 14日は明け方にお墓に。これも迎えに行っているのかも、と義母は行っていた。 15日は夕方、ご先祖さまを送りに行く。 これはお墓までは行かず、その手前の焼き場で線香や盆に使った道具を焼く。

墓石の正面に皿状の窪みがある。 私の実家ではここには水を入れる。 たぶんお水を飲んでくださいということだろう。 義実家では、ここに茄子を刻んだものを入れる。 食べてください、ということだろう。

赤子は自分の体がどう動くかを知らないのだな。 私が見ていた4日間のうちに、肘を伸ばして腕を振るという運動を覚え、 またどう動かせば口もとに手が届くかを知り、 お腹が減ればそれをしゃぶってみるということを覚えたようだ。

明日の出勤に備え、帰宅。


2009年08月16日(日)

試験問題の印刷業務。 closed な環境で行う必要があるので休日の図書室で鍵を掛けて行う。

義兄は将棋が強い。 幼少のころは奨励会に行っていたとか、アマ何段だとか、そういうレベル。 私は駒の動き方だけしか知らないのだが、 折角そういう人が身近にいるので将棋を習ってみようと思った。 今日対戦しても私はほとんど義兄の言うとおりに駒を動かすので ほとんど義兄 vs 義兄な局だったが、説明を聞きながら見れると面白い。 以下、知った考え方。

ヨメは私に車に乗って欲しいと思っている。 私は「車ではなくできるだけ電車で移動したい」と思っているのだが、 それを言ったらヨメは激怒する。 「ヨメがこうしてほしいという意図を汲んでくれない」と言い、 私には思い遣りがないと言う。 しかし私から見れば「私がこうしたいという意図をヨメが汲んでくれない」 と言え、ヨメの方が思い遣りがないとも言える。 双方の主張は対等だ。 こういう時、ヨメには妥協点をさぐるという考え方がない。 2回に1回は車で来るようにするとか、 月に1度程度運転して欲しいのならばその頻度を目安に運転するとか、 そういう妥協点を探る議論をすればいいのに、 ヨメにとっては自分の最初の意見が丸々通らなければならない。 通らなければ不貞腐れる。

「私はこれをするから、かわりにこれをして欲しい」 というのは私はごく普通の事だと思うのだが、 かつてヨメはこれを異常な状態だと言った。 曰く、「相手のことを思い遣ってすることは、無償のものでなければならず、 交換条件を提示するのは本当の思い遣りではない」。 結局、私がヨメのためにすることだけ採用されて、 ヨメが私のためにすることは拒否された。 こういうことばかり言われていると、 こちらから歩み寄ろうという気がどんどん失せてくる。 ヨメにはお互いに歩み寄るとか、お互い思い遣るとか、 妥協点の模索という思考が欠けている。

ヨメは議論・話し合いの目的をはきちがえている。 ヨメは自分の意見を押し通すことが話し合いだと思っている。 自分が論理的に説明できないから、勢いをつけて押し切ろうとするらしい。 それを自分がやられたら一体どう思うのだろうか。 私にとって議論とは押し通すための道具ではない。 相手との妥協点を探るためのものだ。 議論なんてのは正しい方が勝つわけでも 勝った方が正しいわけでもない。 自説に固執して曲げない方が勝つ。 誰でも勝てる。 誰でも勝てるのだから、勝つことに全く意味はない。 ただ、そういう事をして勝つことに固執する人間を私は軽蔑する。 たぶん世間一般的にも軽蔑されるだろう。 これが軽蔑されるべき行為ということを、私はヨメに教えてやらないといけないのだろう。

たぶんヨメは議論に勝った方が相手を自由にできると思っている。 それは誤りだ。 それが真だとすれば、譲歩しなければ必ず勝てることから、 誰でも他人に何でも強制できることになる。 いかなる盾も貫く最強の矛はどこにあるか、という話になる。 相手もこのくらいの知性は持ち合わせていると思って妥協点を探る習慣が私にはあるが、 相手にそういう習慣がなくただ勝って相手を従わせることに執着するのならば、 私ばかりが譲歩する形となって私にとって実によくない。 また、相手にとっても「それが社会のあるべき姿だ」と世界の見方を歪んだままに させてしまうことになる。 相手が妥協点を探ることなく議論に勝つことだけを目的とする行為を取るのならば、 それが如何に無意味で幼稚な行為であるかを 私は相手に知らしめてやらねばならない。 双方が折れない見苦しい議論というものは俺にとって唾棄すべきものだが、 それをやらねば分からぬ相手も居るだろう。

歯科医であるヨメはいつか開業することを一つの目的としているようで、 それは私にとっても応援してあげたい事だと思っている。 しかしヨメは自分以外の人間と対等に話し合うスキルを今現在は持ち合わせていない。 医院は医師や衛生士、その他アルバイトのような様々な違う立場の人間で 構成されるだろう。 雇用者である院長が何か無茶を言っても、被雇用者である相手は通常は一歩遠慮し 黙って従うだろう。 そして密かに軽蔑するだろう。 そういう立場の違いを勘案して、 自分が優位にある時こそ下手に出て相手の意見を汲み上げることができるだろうか? 今のヨメを見るに、勢いで押せば相手を従わせられると思っている限りは、 それができるとは思えない。 ヨメはまだ雇用者として人を使うのは早い。 今ここで私につまづいたのはヨメの人生にとって良かったことだと私は勝手に思ってる。 尤もつまづかれた石ころも、 蹴られて痛い思いをするためにそこに在ったわけではないのだが。

ヨメは殊更に私のことを「常識知らずで恥ずかしい」という。 しかし 自分では説明ができず、話にならず、 意見が通らないと会話をぶちぎってどこかへ行って、 親御さんに間に立って話をしてもらわないと問題が解決できないという方が 私にとっては余程恥ずかしい。 常識常識というが、三十路に入った人間が親離れできておらず、 親に頼らないと問題解決できないというのは常識的にはどうなのだろうか。

私は、忘れてはいけないことをメモる習慣がある。 だから相手からの依頼があれば、まずリマインダに書き込む。 相手に何かを依頼するときは、相手に染み込むのを待ち、 相手がメモを取るようなら書き終わるまでの時間を待つ。 寧ろ学生相手には「メモを取らなくて良いのか」と叱責することもある。 ヨメはメモる習慣がない。 過日のことだが頭の中にある複数のことを、 忘れぬ内に言ってしまおうとガーッとまくしたてた。 私はメモを取る暇もなかった。 そのとき言われたことの一つを実行し忘れたらヨメはいつまでも根に持ち、 「あなたは頼んだ仕事も満足にこなせないじゃないの。 だから私が全て作業手順も管理しなくちゃならないの」と思っていたようだ。 それは相手への依頼の仕方が悪いと私は思う。

歯医者という仕事では、医師自身はスケジュール管理がほとんど要らないようだ。 患者の予約管理は受付が全部やってくれて、自分は毎日決まった時間に職場に行って、 やってくる患者を順番に見て行き、その日の患者の対応が終われば帰れば良い。 たまにやってくるイレギュラーな雑事も覚えてしまえる程度の量なのだろう。 逆に言えば、余分な雑事に関わらずそれに専念しなければならないほど 高度でハードな仕事だとも言え、雑事を医師に回さないシステムが確立されている。 そのためヨメにはスケジュール帳で予定を管理したり、 備忘としてリマインダを利用するといった習慣が身に付かなかったようだ。

「一般的な仕事」の多くは「この日までに何をする」という複数の案件が同時に進行し、 自分でその調整をしながら進めなければならない。 歯科医は他の分野の医師と比べて手術は少ないし夜勤もない。 毎日は極めて平坦でいつも同じで変わらない。 ヨメの仕事はこの意味でかなり「一般的な仕事」とは違うだろう。 しかしヨメは自分の仕事の特殊性に気付いておらず、 世界中の全ての仕事がそのような単調な毎日だと思い込んでいて 「普段朝ゆっくりしてるんだから、当然明日もそうだ」と無前提に思い込んでいた。 自分にとっての毎日と同様、他人の毎日も均質で同様なのだろうと。 私の職業は「一般的な仕事」と異なる面が多いが、 予定管理という点では「一般的な仕事」に近い。 私の仕事は毎日やることが違う。 原稿の締切もあるし、授業がある日や会議のある日、研究のデータを整理したり、 学生の指導をしたり、研究室内の雑務をしたり。 決まった予定のない普段の多くの日は朝急いで出る必要がないのだが、 それを見てヨメは「常にゆったりしている」と思い込み、 仕事を頼めばその朝ゆっくりしてる分すぐにやれる筈だと思い込んでいた。 でもその日締切の仕事があったりすると、私は当然できない。 できなかったら激怒する。 思うにヨメは、 自分以外のモノを想像したり、そういうものがあることを受け入れる能力に欠けている。

体調やなんやで機嫌が悪くなることはありうると思う。 それ自身は当然のことだ。 だけれども、「それは当然だから耐えなさいよ」では、やっていられない。 あとで冷静になったときに「あのときはごめんね」くらいは言って欲しい。 車の運転の仕方を知らなくても、アクセルを踏めば車は進む。 それで誰かを傷つければ、「知らなかったから仕方ない」では済まされない。 当然だとふんぞり返るのではなく、詫びの気持ちを示すくらいはあるべきだろう。

「知らなかったんだからしょうがないじゃないの」。 私ならば 「そういう理由があったとは知らなかった。怒ったりしてすまない」 くらいは言う。 理由を聞かずに怒ったことを恥じる。 ヨメはこれが恥ずかしいと思えないのだろう。

昨日は親御さんに入ってもらうことでなんとか話になった。 向こうの親御さんはヨメが悪いと言ってくれた。 普通に考えれば、ムコである私を立ててくれたと見るべきだろう。 だが今は、本当に自分が正しかったと思いたい。 そうやって自分の精神の健康を守るしか。

私が言ってもヨメは受け入れない。 しかし親御さんが同じことを言えばヨメは受け入れる。 このことにどれほど私が不安を感じているか、ヨメは分かるだろうか。 私をどれだけ傷つけているか、ヨメは分かるだろうか。 きっと無自覚なんだろうなあ。 結婚一年を待たずしてかなり追い詰められた心境になっていたが、まあなんとか。 ヨメも「反省すべき点があった」と言ってくれてるし、頑張れる気がしてきた。 とりあえずヨメの今後に期待。

義実家からの帰りの車で、CDから流れた『どんなときも』(槙原敬之)が 沁みて泣きそうになった。 「言えないくらい辛い気持ち」とか、「好きなものは好きと言える気持ち」とか、 「昔は良かったねといつも口にしながら、生きていくのは本当に嫌だから」とか。 「鏡の前笑ってみる」というのはかなり「まだ平気」じゃないと思う。

何もかもやる気がでない。 人生ってつまらないなあ。

本当の鬱病の人には失礼だが、鬱病にかかりたいと思った。 自分でも分かっている。 こんなことを言うのは鬱病になることによる利得があるからだと。 そうなればヨメも反省するのではないかと。

大丈夫、大丈夫。 俺は病んでない。 だけど本当に病んでる人に聞いても「俺は病んでない」と答えるだろう。 だからこの言辞は何の意味も持たないのだなあ。

たぶん、私を知る多くの人が、「あいつに限って鬱にはならん」と思っていると思う。 私も思う。 だけど、現在鬱に悩む人の多くは「自分に限って鬱にはならん」と思っていた筈で、 ならば私も十分に怪しい。

ヨメが私をして、「ヨメを敵と見做してる」と評したのは、意外だった。 私は「ヨメが私を敵と見做している」と思っていたからだ。 理由を言わずに勝手に決定を押し付け、理不尽な命令をする存在は、 私から見ればどうしても敵だろう。 敵としての立場にならないような言動をしたり、システムを作れば良いのにと思う。 本来人間は共通の敵なくして、一致協力できない生き物だ。 システムを一個独立させて、二人を平等の仲間にするようにしたらいいのに、 ヨメは個人同士の扱いに差をつけて対立させるようなシステムを作る。 システムを作る段階でも、一緒に協力してシステムを作るようにすれば良いのに、 自分が一人で決めて、その勝手に決めたことに相手を従わせようとする。 ヨメが自分で私の敵になるようにしむけているのに。

統一性のないルールが最も能く人間を壊すと『ひぐらしのなく頃に』にあった。 ヨメを横に乗せて車の運転していると「急げ」と言ったり「急ぐな」と言ったり。 家にいてると「仕事しろ」と言ったり「仕事するな」と言ったり。 その時の気分やヨメにしか分からない理由で怒られてると、 何をするにしてもビクビクしながらヨメの意見を聞いて、それから従うようになる。 最近、ヨメの顔色を伺ってばかりいる自分に気付いた。 なるほど、こりゃ人格壊れるわ。 ヨメは人の心がどのように作用するかを知らない、分かっていない。

車の運転をするときに、安全運転こそが私にとっての最大限に達成すべきことだ。 歩行者の間を縫ってまで車を走らせたくないのに、 ヨメが横で「急げ、頭をつっこめ」とか言う。 自分がしたくないことなのだが、ヨメが急ぐことを望むから 仕方なくアクセルを踏むと「急ぐな」と言う。 心が、壊れる。

ヨメの趣味はドライブだという。 「車に乗る事があまり好きではない」と私が言うと、ヨメは寂しそうな表情を浮かべた。 もしヨメが、私と趣味を共有したいというのならば、どうすべきだろうか? 私は車の運転は好きでもないが、嫌いでもない。 しかし、ヨメと車に乗るのが嫌になってしまっている。 それが何故か、ヨメは考えたことがあるだろうか。

同乗者は運転者に敬意を払うべきだと思う。 あるいは、運転者の負担をできるだけ軽減するように配慮すべきだと思う。 だから私はヨメが運転してくれるのを有難いと感謝し、敬意を抱いてきた。 私はそもそもラップ系の音楽が好きではないのだが、運転者であるヨメが選んだ曲なので、 ヨメが運転している間はそれが流れるに任せていた。 同乗者の私にとって、運転者のヨメが楽しく運転できることが最も大切なことだからだ。 私が運転することになったとき、その曲が気に障るので変えてくれ、とヨメに言ったら 心底嫌そうな顔をして「なんでそんなことを言うの?」とか言い、 むっつりだまって乱暴に CD を交換した。 どうやら私には好きな音楽を選ぶ権利もないらしい。 どうすれば私はこの空間を好きになれるのだろう。

趣味を共有したいのならば、 相手にとって車が嫌な空間にならないようにしようとすべきだと私は思うのだが。 まあこれはヨメがどうにかすべき問題だろう。 ヨメが今のままでいるつもりならば、私はヨメの横で運転するのが嫌いなままで、 それを変えることは自分ではできない。 まあ必要なら運転するけどな。 しかし何か阿呆な命令をすればその場で運転を代わり、 それ以後は一切ヨメを乗せては運転しないことを今心に決めた。

ヨメの指示が一々細かくて、 その細かい部分についてそれより良いと思う方法を私が思い付いて言うと、 その部分にそれほどこだわっていなかった場合はすんなり通るが、 それを攻撃と感じて激怒することがある。 激怒されるリスクを考えると、私は思い付いたことを言えなくなる。 顔色を伺ってばかりだ。 私が何か家の為、ヨメの為の物を購入するにしても「無駄遣い」と 判断されるのが怖くてできない。 ヨメはこのような態度で子供にも接するのかなあ。 親や相手の顔色を伺ってばかりいる、 自分の頭で何も考えられない卑屈な人間にならないか心配だ。

帰ってテトリスばっかりやってた。 何もする気にならん。

かなりやばかった。 テトリスしてたらどこまでも深みに入りそうだった。 でも俺がそうなると悲しむ母や姉、そして友人の顔がうかび、 彼らは私がどんな不義理をしても生きていることを望むだろうということを考え、 なんとかこらえた。

ヨメはいうなれば、銀英伝のフォーク准将のような人なのかもしれない。 あんなに弁は立たないが。 東京ラブストーリーのあの歌が願望の歌に思えてきた。 もう一度人生をやりなおせるとして、あるいは来世で、 ヨメとまた結婚したいかというと、今はそうは思えない。 ヨメは「反省すべき点があった」と言っている。 「努力する」とは明には言っていないが、きっと努力してくれるのだろう。 だから将来はそう思えるはず。 そう信じる。 信じるしか。

「仕事してるかー?」と言われても PC で遊んでいる姿も見せてやるべきだったとは思う。 しかし、それに対してヨメが言う言葉として「仕事するな」はどうかと思う。 私には仕事をしなければならない時も、した方が良い時もある。 「仕事するな」では、「しなければならない時」も禁止することになるので 私としては反発せざるを得ない。 ヨメが言う言葉としては「一緒に遊ぼう」であるべきだと思う。 ヨメはもっと、自分が本当は何をしてほしいのか、 どうすればそれが解決するか、相手の立場だったらどうかを考える習慣を 身に付けるべきだ。 「なんかよく分からんけど不満だからぶちまける」では赤子と変わらん。

ヨメがしきりに「仕事を忘れるので任せられない。頼りない」というので 自分でもそのような暗示にかかっていたが、 私は研究室で一番しっかりしているのだと自負していたことをようやく思い出した。


2009年08月17日(月)

インデントを2文字に戻した。 以前「4 文字インデントで横幅が足りなくなるようなネスティングは ロジックがどこかまずいと思うべき。だから4文字で良い」というようなことを聞いて そうしていたのだが、 私はコーディング以外にもメモや TeX でインデントを使用するし、 この場合はコーディング以上にレベルが深くなりがちだ。 手元メモで箇条書きを表現するのに行頭に「-」をつけるのだが、 その行が次の行に続いたときに行頭を揃えるのが見苦しくなるというのもある。 vim の autoindent を使っていると自動的にインデントを合わせて改行してくれるのだが、 インデントレベルを下げるのに backspace を4×n回数えて打つのが面倒。

インデント幅を変更するスクリプトを作ってみたが、 こういうコマンドってどっかにありそうな気がするな。


2009年08月18日(火)

「私が家に居ると義母が気を使って家に来にくい」とヨメは思っているようだ。 その気持ちは分からなくもないが、私は義母には本当に気を使わずにいつでも来てほしいと 願っている。 私が居ることを無視してくれて全然構わないし、 何なら私はドアを閉めて部屋にこもるし、 二人だけの話に邪魔なのならば「家から出ていて」と言われるのも構わない。 義母にもいつかは慣れてほしい。 私と義母が、私の居ない時を狙ってしか呼べないような関係であり続けるべきだと ヨメは思っているのだろうか。 ヨメは気を回すことができるが、その回し方がどうも近視眼的な気がする。 最終的にどうなると気持ち良い家族になれるのか。 私と義母は仲良くならない方が良いとか、なれないと思っているのだろうか。

私は家に来た人に気を使い過ぎて欲しくない。 客には楽しんでいって欲しい。 私が他所の家に客として行くときも、 相手がそのように考えていることを取り敢えず前提とし、 私が殊更に気を使ってないように振る舞ったりする。 こちらが気を使えば向こうも同じ以上に気を使うだろうから。 家人が私に対して過分な気を使わずに寛いでいてくれると私は嬉しいし、次に行き易い。

ヨメは、私の友達や親を家に連れてきて欲しくないのかもしれない。 友達を家によんで家族ぐるみで友達づきあいというのに憧れがあったのだが、難しいか。

ヨメと少し電話で話したら自分の中で張り詰めていた気が緩んだ。 話すること重要。 しかしこれで甘やかしてしまうと本人も成長しない。 でも俺はヨメを甘やかしてしまうんだろうなあ。

赤子は2時間おきとかにお腹をすかせたり、排泄したりで泣くので ヨメは昼も夜もない生活をしている。 だから電話をかけて少ない休息の時間をさらに削るようなことを私はすべきではない。 メールが届いた瞬間はたぶんヨメが起きている時だから電話かけても良いのだろうが、 そういう時間は大抵会議中だったり、手が離せない時だったりする。


2009年08月19日(水)

1ヶ月検診ということでヨメが我が子をつれて帰宅。 我が子は頬の筋肉を動かすということを覚えつつあるようだ。


2009年08月20日(木)

ヨメが実家に帰っているので、普段夕食は私の実家の母が作る分を多めにしてもらって そこで頂いている。 今日明日は母が夕食を作らないので、研究室に泊まることにした。 そろそろ根つめて計算機整備を締め括りに行かないと。


2009年08月21日(金)

当初泊まるつもりではなかったけれど、作業が残っていたこと、 夕方プールで汗を流せたこと、明日は土曜で学生もあまり来ないだろうことから まさかの 2連泊。


2009年08月22日(土)

NHK の討論番組は議論の噛み合わなさが実に不愉快になれるなあ。 戦争に至ったという罪が日本にもあるとは私も思うが、 原爆の罪は落としたアメリカにあって落とされた日本にはないと思う。 それをあたかも日本の罪のように言うのはどうかと思う。 あと「希望を込めてこちらに入れました」とかいうのはどうか。 みんな希望はそちらにあるに決まっている。 「どちらが良いと思いますか」ではなく、「現実的にどちらだと思いますか」なのに。


2009年08月23日(日)

マンションの総会。 私は姉の持ち家への賃借人なので実は発言権・投票権がなかったのだが、 折角なのでオブザーバ出席してみた。 しかし話が噛み合ってないよ。錯綜してるよ。 「決算内訳を示せ」という発言に対して、 「領収証を出すのが煩雑」だとか「我々を信頼していないのか」とか。 「ガムを噛むとか失礼じゃないですか」とか本筋じゃないところで優位に立とうとしたり。 私には発言権がないので議論の流れを整理するための発言もできないので 非常にフラストレーションがたまった。 議論の流れを整理する事だけが役目の「議長」という役職(吉田寮の寮生大会でいう評議員) がいるべきだと思った。 まあそんな能力持った人間がそうそういるわけでもないので持ち回りは効かないし、 理事会とは別に選出するのも現実的ではないが。

ある危険行為を禁止するのに モラルの向上を訴えるのは一見コストが低そうに見えて、 実は効果を出すまでに非常に大きな作業コストがかかる。 多少の金銭コストをかけても原理的にその行為ができないようにすることが 管理者として模索すべき道だ。

期日前投票。 関西テレビの取材が来ていて少し聞かれたので答えた。


2009年08月24日(月)

プール。


2009年08月25日(火)

大学院入試。 責任が重いので、数値の取り扱いは慎重にやらなければならない。 24:00 まで集中して仕事し、それから研究室で寝る。


2009年08月26日(水)

院試関係の仕事が終了。 月末近いので事務系の仕事をゴリゴリ処理してから帰る。

大学の会計処理は月単位。 書類は月はじめに提出しても月末に出しても同じこと。 日常的に何かしら発注してるので、取引先からの請求書はいつ届くか分からない。 その度に手順を思い出し、事務まで提出しに行くのは無駄だ。 月末近くにまとめてやった方が時間を有効に使える。

「効率効率言うけれど、そればっかりではあかんよ」ということは、 言われるまでもなく分かっている。 他のものと秤にかけて、有益な方を選んでいるだけだ。

「期日前投票おつかれさまでした」といきなり学生に言われた。 「どういうことだ?投票所にいたのだろうか?」と思いつつ聞いてみると、 どうやらこないだの投票のときの取材されたのが放映されて、それを見たらしい。 私の話がどこからどこまで出たのかは分からないが、 とりあえず「消去法」という単語は電波に乗ったらしい。 どう編集されたのか見てみたかったような気もする。


2009年08月27日(木)

歩くとき、足を踏み出し、それが重力で落ちて足が接地する。 この速度が人間の歩行速度を決める。 我々が月に行くと重力加速度が 1/6 になるので、 地上と同じ歩き方では速度を出せないだろう。 胸まで漬かれるプールで歩くような感じだと思う。

東京にいる元寮生が大阪で就職を決めたので、それを祝う京都の会@さとのや。 近いうちに京大に行く用事があったので、それを翌日にくっつけた。


2009年08月28日(金)

32歳。

京大には午後に行けば良いので、 午前に京都文化博物館でやってる藤代清治の展覧会に行ってみた。 良かった。 『泣いた赤鬼』(浜田廣介)は藤代清治によって影絵芝居になっている。 この絵で絵本があったような記憶があり、ここ数年色々探し回っているが見つからない。

夏場のエレベーターの室内は暑い。 全棟空調でない限り、カゴにエアコンを付けるべきではない、それは当然だ。 カゴ内には空気の吹き出し口がある。 これは涼を取るためのものではなく換気のためだろうが、 これに当たりたいと思うのが人情だろう。 身の回りのエレベーターはどれも吹き出し口が壁際にあり、 「もっと中央近くに付ければ良いのに」と思っていた。 少し考えてみたが、エレベータは上から吊ってるので 構造上 中央には作り難いんだな。


2009年08月29日(土)

ロックマン2の TAS が更新された。 少し前にオープンソース的な開発体制でやるところが現れ、 その更新で究極に至ったかと思った。 何となく TAS の世界全体でも終末感というかそういうものを勝手に感じていた。 しかし今回さらに更新があって、まだ先があるのだということに何だか感銘を受けた。


2009年08月30日(日)

2ヶ月ほど前に姉の客人として実家に来て、一緒にゲームした夫妻の細君の方が 急に亡くなられたそうだ。 まだ若いのに、何とも言えん。 今ヨメを失ったら、俺は悲しく感じるだろうか。 もし悲しめなかったら、それが悲しい。

草野球の大会1回戦敗退。 体のキレは良かったが、打席が一度も回らず残念。


2009年08月31日(月)

何もかもがうまくいかない感じ。 やる気しねえ。 やるべきことは沢山あるけど、頭も心も目一杯だよー。 友人の一人が 「有能な人間がそういうところでパフォーマンスを落とすのは見るに忍びない」 と言っていた。 自分がそのような有能な人間かどうかは置いといて、出力は間違いなく落ちている。

人間は、傷つけられれば傷つくものだ。 自分が傷つけられれば殊更に喚くが、相手を傷つけることには鈍感なのではないだろうか。

プールで泳いでいるとコースがぐんにゃり曲がって見え、 対岸がやけに遠く見えた気がした。 気のせいだ、気のせい。 今年は2ヶ月間に11回プールに通って、10.7 km 泳いだ。 目に見えるもので世界を測る人は、 「十分健康じゃん。本当にしんどかったら泳ぐどころじゃないだろう」とか言うのだろう。

別に泳ぐこと自体はそれほど好きではない。 健康を維持するのに運動することが有効であり、 運動の中では水泳がキモチイイという選択の結果。 どちらかというと義務感の方が近い。

母が歩いていると何もないところでつんのめって転び、ついた右手が痛むそうな。 とりあえず母には「年だ年だ」と冷やかしておいた。 さて、今日は職場にいても全然やる気がでないし、 さっさと帰って母の料理を手伝うことにした。 ごはん食べて気力が回復すれば、そのあと自宅で勉強すればいいだけの話だ。


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