計算機の稼働状況チェックに ganglia というのが便利らしい。 以前から噂は聞いてはいたのだが、 自前のスクリプトの出来がそこそこ良かったので使わずに済ませていた。 でもまあ一度入れてみてもよかろう、ということでいじる。 が、どうやら DNS とサブネットの対応についてより明確なルールを定めておいた方が 良いような。 ということで途中から作業スタックの最上位に DNS 作業を積んでそっちの作業。
ダムの目的は治水と発電。 治水ダムでは、農業用水の確保や水害が起こらぬようにするために、 梅雨時や台風など増水が見込まれるときには放水して水位を下げておく。 上にも下にもある程度のキャパシティを見込んでおく。 発電ダムでは、水位が高いほど落差から取り出せるエネルギーが大きくなるため、 可能な限り水位を高く保っておいた方がメリットが大きい。 結果、同じ天気予報に対しても最適な水位というのは両者で異なることになる。
DNS の逆引きをキチンと設定する。 これもなんとなく設定しかやってなくて、 使用することがないからキチンとしていなかった。 とりあえず ganglia が逆引きでホスト名を取得している可能性があるため、 これをキチンとした。 正引き・逆引きが一対一の情報で2つのファイルに記述する必要があるため、 この情報を一元化するためにスクリプトを作成。
今年最初のプール。 本当は昨日がプール開放の初日なのだが、忙しくて行けなかった。 1km に 30分かかった。 家に帰るとき、水着を研究室に忘れてしまった。
車の窓は、運転者ではなくできるだけその席に座った人が閉めるべきだと思う。 指をつめたりしたら大変だ。 特に今後子供を乗せるようになるわけで 子供は何をするか分からないし、その上で事故のリスクを最小限に抑える 行動パターンを決めてしまった方が良いと思う。
研究室に泊まる予定だし、今日も水着を洗わなければかなり嫌な感じだ。 なので研究室で洗って研究室で干した。
相手の言うことを唯々諾々と従うだけの yesman のことを、 「器が大きい」とはふつう言わない。 器の大きさは、相手の言うことに従って自分が行動することではなく、 自分の意の外にある相手の行動を許容することの方が近いと思う。
私はヨメが自分ですることに対して基本的に寛容だと思う。 ヨメは、私が自分ですることに対して不寛容な点がある。 いやまあ最近のヨメは随分頑張って減らしてくれているのだが、 ヨメは私に対してもう少し寛容であって欲しいと思ったりもする。 しかしひょっとすると、私はヨメの不寛容に対して寛容になるべきなのかもしれない。 これを私がすることになると、 私はヨメより2段階上の立場からヨメを見ることになるのだが、 ヨメのプライド的にはそれ OK なのだろうか。
姉が買うてきた Celt とかいうゲーム。 基本的に最初に配られた札の運で有利不利が大きく決まるゲームで、 ゲーム中のルールも有利な人がより有利になるようなシステムになっている。 どうもプレイヤーの戦略でこれを覆すことが難しい印象だったので、 その時点の感想を率直に言ってしまった。 反省だ。 本当に運の要素がない知的要素だけを楽しみたいのなら、 将棋でもやってろという話になる。 Celt については、優位に立っている人の手前の番の人が自分を犠牲にしても 優位の人が欲しいカードが渡らないようにすべきかもしれん。 こういう自治的なセンスで成り立つゲームなのかもな。 考えれば、カタンだってそうだ。 点数的に優位に立つものほど生産力が高く次の局面で有利なのだから。
法的には、結婚後に築いた財産は夫婦の共有物だが、 結婚前に築いた財産はそうではないらしい。 同僚や友人に「ウチは共働きの状態だけど小遣い制」と言ったら、 「なんで?」と聞かれることが多かった。 まあヨソはヨソ、ウチはウチなので別に構わんのだが、 新婚当初、ヨメに「通帳を預けないなんて信じられない」というよなことを言われた その根拠はどこにあったのだろう。
「Wii Fit をヨメと一緒にやったら楽しかろう」と 夕食後に立ち上げてヨメを待っていたら、 「いつまでもゲームしてないで風呂入って寝なさい」と言われたことがある。 別にゲームしたくてやってたんじゃないんだけどなぁ。 ヨメと遊びたかっただけなのに。 少し傷付いてそれ以来やってない。
ヨメは Friends というアメリカンコメディ(?)が好きらしく、DVD を持っている。 どこがどう面白いのかとか聞きそびれていたのだが、 とにかく一度見てみるべきだろうな。 そういえば過去にヨメがこの DVD を見ていたことがあったが、 途中から見るのも何だな、と思って自室で仕事をしてしまったことがあった。 あれはきっとヨメの「一緒に見よう」サインだったに違いない。 反省だ。
私達は同じすれちがいや回り道をしているんだろうなあ。
最も締切のキツい仕事に、なんとか間に合う見込みがついた。
クラスタ計算機の下っ端ノードに HDD の容量はいらん。 30 GB もあれば十分で、ギリギリまで削れば 10GB 以下に減らしても構わんだろう。 こうなってくると、大容量の HDD は却って使いづらくなってくる。 というのもインストール作業は基本的にマスター disk からのコピーになり、 その処理時間は容量に比例するからだ。 80GB SATA の HDD で 1台 40分ほどかかる。 なので多少高くても低容量の HDD を購入したいのだが、 今時 100GB 以下の HDD なんて売ってない。 マスター disk 用に SSD を導入するのもアリかもしれん。 というか、数台見積り出してみた。 将来的にはディスクレスブートとか考えるべきかもしれんが、 今ある機械では当面無視しよう。 他にすべきことはたくさんある。
OS の問題なのか、ハードウェアの問題なのか、 FreeBSD 計算機でクラスタ計算すると負荷が上手くかからないことがある。 クラスタ効率について、OS 比較をきっちりしてみよう。 この効率比較は10台クラスの計算機全部で OS を入れ直す必要があるので 正直面倒なのだが。 パフォーマンステストをすると、Debian が良いことが分かった。 Gentoo に比してパフォーマンスが向上するのは、 カーネルのバージョン差の問題もあるだろう。 ともかく Gentoo は現時点の最新版が 2008.0 と更新が停滞気味なので、 少なくとも暫くは Gentoo を離れた方が良さそうだ。
Debian を試してみた。 パッケージ管理システムがちょっと馴染みにくいが、まあなんとか。 Fedora とか Ubuntu とか、デフォルトのログイン画面がグラフィカルログインなのは 性に合わないのだが、Debian はキャラクターログインなのでその点が好ましい。
今年2度目のプール。 1km 28 分を切った。 去年の動きを少しずつ取り戻していく感じ。
初孫の誕生に供えて母は編み物をしたり色々こさえてる。 その状況を母は「マゴバカ」と言っているが、 「親馬鹿」という言葉と対応させるのならば寧ろ「バババカ」と言うべきだろう。
母親だけで子育てしようとしてしまうと、 赤子と一対一になって世話に追い詰められて 赤子に当たってしまうとか育児放棄してしまう傾向があるそうな。 浅慮な人は「自分だけはそうならない」と根拠なく思ってしまうのだろう。 しかしそうなってしまった人だって元々「自分だけはそうならない」と思っていた筈で、 「人間基本的に弱いもの。誰だってそうなりうる」という認識は持っておくべきだろう。 ヨメは「自分だけはそうならない」とか思うような人でなかった。 よかった。 ……どうみてもムコバカです。 本当にありがとうございました。
満月と新月の日は、出産件数が増える傾向があるらしい。 出産予定日は 7/22 で日食の日。 ということは新月だ。 初産は遅れると言われるが、 丁度予定日通りに出てくる可能性も結構あるんじゃないかなあ。 今、月齢は満月から新月に向かっており、下弦の半月のちょい手前。 あの月が全て欠けた時が生まれ時。
計算機のパフォーマンスをキッチリチェックしてみると、 ネットワークカード(NIC)がボトルネックになっており、 オンボード NIC に切り替えるとパフォーマンスが向上した。 カニさんチップはだめだと思い込んでいたけれど、 そういうことはないんだな。 機械は基本的に毎回テストせんとあかんなあ。
Fedora 11 あきらめ。 /etc/resolv.conf を勝手に書き変えられ、それを止める方法が分からんかった。 google によると昔からそれで悩んでいる人もいるのだが、 ディストリビュータはそれを解決しない。 すなわち DHCP を基本的な解決手段と考えており、 static 設定の人は軽視されていると見ることができる。 あと公式のドキュメントがインデックス化されておらず、 1枚ずつページめくっていかなあかんぽいのでドキュメントに迅速に当たれない。
mixi とかブログとかで、 本文最初の一行の書き出しをタイトルにしてるのが、最近鼻につく。 (「最近、」とか「ちょっと、」とか。) タイトルは本文の究極の要約であるべきだと私は思う。 まあ気にしなきゃいいというか、気にしてはいけない、 自分がしなければ良いだけなんだろう。
今月ももう半分過ぎる。 やべえ。 なんとかなる見通しが立ったかと思えた研究の進捗がはかばかしくない。 ストーリーはなんとかなるけど、定量評価が難しい。
ganglia を debian に入れようとがんばる。 ganglia の最新は 3.1.2 で、FreeBSD の ports は 3.1.1、これで動く。 debian のは 2.7.5 とかいう古いバージョン。 どうも debian はパッケージ管理を中央集権的にやる気がないようだ。 古き良き UNIX 文化ぽいので、パッケージじゃなくて自分でコンパイルしろ、 という思想なのかもしれない。
プール。1km を 27分切った。
私が普段使いしているコンセントタイマーがどっか行って困った。 ヨメに聞くと「使ってない(とヨメが勝手に決め付けた)から、片付けた」とのこと。 こういうのを勝手にやるのはどうかと思う。 それを使いたいときにどこにあるか分からなくなる。 冷凍庫の保冷剤を使ってないと私が決めつけて勝手に片付けたら ヨメはどう思っただろうか。 保冷剤の整理を提案しただけでキレられた私は、 このことにキレる資格が十分にあるだろう。 勿論実際にキレはしないが。 思うところがあったら問答無用の実力行使の前にまず提案し、 提案された側はキレずに話し合うというようにすべきだと思う。 ヨメはどうもこの辺の感受性というのか、 自分の感覚を相手の立場に当て嵌めて考える能力が弱いように思う。 どういう人物像を、自分がなるべき理想にヨメが考えているのかがいまいち分からない。 あるいはダブルスタンダードを格好悪いと思っていないのかもしれない。
ヨソのケンカはレベルが違う。 嫁がするということで合意に至ったタスクを、 感情的な理由だけで嫁が勝手にボイコットすることがあるそうな。 こういうレベルと比較すると、ウチのヨメは比べるのが失礼という程に良い嫁だ。 私が素で要求するレベルが高すぎるのか、 世間的な嫁レベルが低すぎるのかは分からん。 しかしとにかく有り難い。 ムコバカだが。
職場の飲み会の会場が家の近くだったので、そこから歩いて帰った。
計算機整備作業。 可動計算機を8台追加。
7月末締切の予稿が2本。 やばい。 実にやばい。 分かっていることだけで何とかお茶を濁すことも不可能ではないが、避けたい。 秋の国際会議に向けて、英会話学校をそろそろマジで検討せんとあかんのだが 全然時間がない。
午前、ヨメを病院に送る。 ヨメの状態を聞いてから学校に行きたいところだけど、 2限目に用事があるのでヨメを置いて学校へ。 あとで入った情報によると、まだ生まれそうな徴候はなさそうで。
18:00 頃にプール。 心身ともに少し低調な感じ、 また水球部が一般開放のレーンを横に埋める形で使用していて邪魔だった。 勿論水球部から見れば私が邪魔なのだが。 ということで今日は急がずのんびりめに泳ぎ、1km を 40分。
別レーンの水泳部員のクロールのフォームを見ていると、 掌を横に 親指から水に入れている人がいた。 やってみると水面で失うエネルギーが少なく、スムーズに動く気がする。 クロールで腕を掻くときに肘を伸ばした方が力が入る気がするが、 たぶん肘を曲げて体に近いところを掻いた方が テコの原理的に良いと思う。 これらを組み合わせると、手は着水時に親指から入り、 その次の瞬間からは前腕の外側で掻くようなイメージで上手く統合できた。
歩いているとコンクリートの歩道の上をセミの幼虫が這っていた。 このままだと踏まれそうだったので、木につかませようとするも その辺の木では樹皮がツルツルすべってうまく捕まれない。 そういえばセミの羽化ってちゃんと観察したことがなく、 白い羽を一度見てみたかったことを思い出したので、 職場の廊下の網戸に捕まらせて観察してみた。 職場にカメラを持っていってなかったので携帯電話のカメラでポチポチ撮るが 光量が足りず綺麗に撮れず。 しかし綺麗だったし、面白かった。 自分の抜け殻につかまって羽を伸ばすのはアリによる危険を最小限に抑えるためだろう。 また、抜け殻と腹部だけ固定して逆立ちのようにして暫く待機するのは、 脚部を乾かして固めるためだろう。 さて、羽を伸ばして最後の乾燥フェーズに入ったところで、私は困ってしまった。 網戸の内側なので、このまま放置したら廊下を飛び回って騒く、 周囲の研究室に迷惑がかかる。 かといって、あまり早く触ってしまうとこのセミに取り返しのつかないダメージを 与えることになりそうだ。 結局、胴体の色がやや黒ずんできたあたりで手で掴んで網戸の外側につかまらせた。 数時間後見るとセミはいなくなってたので、どうやら無事飛び立てたらしい。 よかったよかった
ヨメの様子も安定してるし、仕事もあるので研究室に泊まり。
未明、ヨメ陣痛。 寝てて電話に気付いたのがその 1.5時間後。 急ぎ電話するも通話中。 たぶん病院でご実家とかに電話してるのだろう。 なんとか連絡がついたところ、 もうちょいかかりそうということで病院から帰らされたそうだ。 この時期は何があるか分からんな。 予断を持たず、できるだけ家にいるようにせんとあかんかった。 反省。 ということでとりあえず始発で帰宅。 ヨメの無事を確認して、寝る。
11:00ころ起きて、義母ごはん。 昼寝や論文作業など平常運行。 18:00 頃、陣痛の感覚が短くなりヨメと義母は病院へ。 まだまだかかりそうだし、病院にいても仕方ないので私は自宅待機→実家で鍋。 カタンの新シナリオでは勝利を収めた。
25:00ころに就寝。
3:45。義母から電話。私 病院へ。 8:00 頃、義母とメアド交換して帰宅。 帰宅メールを PC から送った際、From ヘッダを書き換え忘れていたので メールが PC に届き、着信に気付かず。 13:30起床。 メールを見れば「早ければ 14:00-15:00」というメールが 11:00 に届いていた。 ということで病院へ。 14:15 頃 病院に到着。義父もいた。 17:00 頃、病院から外に出てラーメン屋で夕食。 21:00 頃私は車で帰宅。義母も車で家へ。入浴してもらう。 義母を病院に送り、義父を家へ、入浴してもらい、ヨメ布団で寝てもらう。 私は計算機の稼働状況チェックなどして 25:00 ころ就寝。
乳幼児の頭蓋骨が割れているのは、 狭い産道を通るときにその半径を小さく保つためだそうだ。
7:30 起床。 義父と朝食。 ヨメの陣痛は 4分間隔から一向に縮まらず、陣痛促進剤の点滴を打つことになった。 ヨメはもうドロドロに消耗しており、家族が立合いなんかするともっと気が散って もっと消耗するということで立合いはなし。 私も立合いたいという気持ちはあるけれど、それよりヨメが出産という大事業を 無事に達成することが遥かに大事なのでそんな気持ちはもはやどうでも良い。 次の機会があるかもしれんし。 あればいいなあ。
病院ロビーのソファで義父と待っていて、分娩室前待機の義母から電話。 14:32 女児誕生。 分娩室から産声が聞こえるが、事後処理があってなかなか会えない。 小さい。 小さくて可愛い。 可愛いは正義だ。 正義は勝つ。 おそらく、我が家のヒエラルキーの頂点に立つ存在となるだろう。
連休丸々の長い戦いとなった。 ヨメは本当によく頑張った。
「何々してほしいんだけどできる?」ではなく、「何々しておいて」 とだけいうのがヨメの発言でよくあるパターン。 私の都合を聞いてくれないのがしんどい時がある。 私が口を濁すのは、「やりたくない時」ではなく 「事情を聞いて欲しい時」なのだとふと気付いた。
「自分の出した命令に対して理由なんて毎回説明できない」とかヨメは言うのだが、 逆の立場で命令されたらヨメはどう感じるのだろう。 私が「これよりこれを先にやれ。理由はない」とか言われて納得できるのだろうか。 ヨメの自己を相対化する能力は人並程度だなあ。 あと普通出張前は準備で忙しくなるということを知っておいて欲しい。
仕事やってると往々にして複数の案件を同時に持つことがある。 そのときにどの仕事を先に片付けるか優先順位を付けなければならない。 ビジネスでよく言われるのは緊急性と重要性で分類するという奴だ。 緊急性も重要性も高いものは最優先、 緊急性も重要性も低いものは急いでやる必要がない。 緊急性が高く重要性が低い・ 緊急性が低く重要性が高いものは必要に応じて重み付けして優先度を決める。 人はそれぞれ個別に仕事を抱えているものなので、 最適な優先度設定もはやり人それぞれになる。 ただ「緊急性も重要性も高いものは最優先」というのは万人に共通だろう。
出生届を提出して役所から出たら丁度 日食の最大のあたりだった。 薄曇でたまに雲が薄くなった箇所から三日月型の太陽が見えた。 それからヨメと子の見舞い。 子がすやすやと寝てるのをヨメと見ていて、じんわりと目頭が熱くなった。
母の自転車に乗ろうとすると、虫ゴムが死んでいた。 病院の近くに自転車屋がたまたまあったので、虫ゴムを購入して交換した。 虫ゴムがどういう仕組みの物か、初めてじっくり見て、分かった。
研究会で京都出張。 会場まで出町柳駅から高野川の水の流れを見ながら徒歩で北上。
水の流れを動きの分かる写真として写す場合にはシャッタースピードを遅くべきだし、 立った水しぶきを切り取るように写す場合にはシャッタースピードを早くべきだ。 人間の目で水の流れを見ると前者のように見える。 カメラのシャッターは 1/1000 秒間だけとか開かれるが、 人間の目でそのような短い時間だけ見てもロクな像を見ることができなさそうな気がする。 人間の目に比べてデジカメの CCD は物凄い少ない光量で反応するのだな。
カメラと異なり、人間の目は常時シャッターを開きっぱなしにしている。 カメラでそんなことをやると像がぶれてしまってまともな像を得られない。 人間の目は静止画を撮るカメラというより、ビデオカメラの方が近いのだな。 考えてみれば当然だが。 たとえば移動や向きを変えることによる視界の変化を、 脳内で空間展開してその座標系で人間は生活している。 ビデオカメラの手ブレ補正はこのような脳の機能を 機械でやっているものという見方もできそうだ。
昔住んでた部屋の前を通ったが、ガスメーターに札がかかっていた。 「今は誰も住んでいないのか」となんとなく寂しい気分になった。 俺のつけた換気扇やエアコンもそのままだった。 価格・立地的にあんな良い物件そうないと俺は思うんだけど、 私の木造家屋耐性が普通の人に比べて高すぎるのだろうな。 そらまあ吉田寮に住んでたらそうなるわな。
東京出張。 しかし前も後ろも予定が一杯なので時間的な余裕なし。
TeX で式や図のラベルと実際に出力される番号の対応を確認するのが面倒。 実際に出力される番号をラベルにしてしまうと編集に便利かもしれないので、 そういうスクリプトを作ってしまうのもアリか。 しかしソースをパースして番号を手前でカウントするのは阿呆のする事だろう。 それをすると setcounter などにも対応しなければならず、 TeX の全ての書式に精通しなければならない。 実際の TeX 処理系はこの番号の対応情報を .aux に書き出していることに気付き、 「そしたらこの情報を利用すればいいじゃん」と思った。 aux ファイルを読み込む部分を作って必要な情報を抽出したところで、また気付いた。 「こんなの grep すればいいじゃん」 matter.tex を編集していて、式番号 1.24 のラベルを知りたければ、 コンパイルしてから「grep 1.24 matter.tex」してやれば大体分かる。
TeX は aux 情報の更新やリファレンスデータベースの更新のために複数回コンパイル する必要がある。 bibtex なんか使ってるとさらに煩雑だ。 latex コマンドの戻り値とかオプションで制御できないか少し調べてみたが どうもそういう作りにはなっていないらしい。 しかしやはり同じ思いをしている人はいるらしく、 latexmk という perl スクリプトを作ってる人がいた。 ports にはなっていないが、ダウンロードするだけで簡単に使えた。 便利。
人間の感情は化学的なものの作用と平山は言うていたが、正にそうだと思う。 ホルモンバランスが崩れて感情が不安定になるとかいうのはそういうことだし。 アルコールでものの感じ方が変わるとかもそれに入るだろう。 だから、ヨメがヒステリックに変なことを言ったとしてもヨメ自身が悪いわけではない。 特に今出産直後なわけだし。
素人は議論において 「自分は知っていた・分かっていてそうやった」と主張してしまいがちだ。 自分は知っていて偉いかもしれないが、 それよりは相手の意見を引き出した方が今後の自分のために良いことが あるかもしれない。 愚者も千慮に一得あり、知者も千慮に一失あり。 こう考えるようになって、 私は「自分は知っていた・分かっていてそうやった」と主張しないように心掛けている。
母やヨメは私を「自分の世話もよう見られない人だ」と見たがる傾向がある。 私は「自分の世話は自分で見れる」と考えているので ついついカチンと来て「自分のメシくらい自分で用意する」と言ってしまうのだが、 これについても議論における態度と同じくした方がベターかもしれない。 相手には「自分の世話もよう見られない人だ」と見させておいて 世話を焼いてもらう方が、お互いのために良いかもしれんと思った。 「世話したい」という欲求が、ヨメは知らんが少なくとも母にはある。 その欲求が充足されるし、私は現実的にはラクな生活という大きなメリットを 得ることができる。 私が支払う代償は安いプライドだけだ。
「相手から何も指摘されなくなったらおしまい。」 それをヨメは分かってる。 これは私が言われたことで、 ヨメは自分のこととしては振り直す事はあまりできてないっぽいけど、 ヨメは賢いからすぐ理解できるだろう。
仕事死にそう。 英語4ページ本当にできるのだろうか。
ヨメが怒りっぽくなっている。 くわばらくわばら。
義実家に植えていたバジルが大きくなってきたそうで、生バジルを頂いた。 ちょっと量が多いので、 ネットを参考にドライバジルをやってみた。 が、なんか臭い。 バジルというより青ノリに近いニオイ。 ビンに何かのニオイが残っていたか、電子レンジで加熱しすぎたか。
今日締切の予稿の、締切時刻を2時間ほど勘違いしていてちょっと焦ったが、何とか提出。 その後、今週中にしなければならない事務関係の処理を少ししてから 明後日締切の予稿にとりかかる。
予稿。 持ち帰りで仕事。 図面は家で作った。
予稿大詰め。 3:00-4:30 の1.5時間睡眠で、始発で出勤。 今日の午後くらいまでに共同研究者に送れれば、最低限の筋は通せる。
が、送れず。 共同研究者から電話があって共同研究としては見送ることが決定。 ならばあとは研究室内の人間だけだからな。 少し猶予ができた。
「マンションを買うくらいなら家を買った方が、最低限土地は残る」 と聞いて、最初は一理あると思った。 しかしこれは結局土地に投機的価値を見てるわけで、 土地の分安いマンションと、差額分を株や土地に投資しても近い効果が得られると思う。
なんとか予稿提出して一段落。 ということでプールで泳いだ。 メインはクロールで、往路を右息継ぎ、復路を左息継ぎというように泳いでいるのだが、 復路に比べて往路がラクに感じた。 「私は右利きだから右息継ぎの方が上手くなってるのかな」 とか思っていたが、復路を右息継ぎで泳いでみたらこれもしんどかった。 ということは、プールの水に流れが生じていたと考えるのが妥当だろうな。
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