NHK スペシャルの今上天皇の奴を見た。 すごいな。 今上天皇になら抱かれてもいい。
『クロスゲーム』。 あまりにいつものあだち充でなんか不愉快になってきた。 あだち充はもういい。
「核技術のような世界を破壊しうる技術の獲得レベルがもっと低ければ、 文明というのはそんなに長続きしないものかもしれない」、 と『鋼の錬金術師』を見て思った。 たとえば「世界を破滅させる魔法」を世界中の誰もが使える世界の先は長くないだろう。 なお『鋼の錬金術師』は初めて見たのだが、 なんとなく世界観が分かるし導入はうまいと思う。
ヨメ実家で合同実家バーベキューパーティ。 食後のボードゲームにカタン用ダイスがなかったので、 ちょちょいと 2D6 なプログラムを作成したが使われず。
帰宅。 私の家は田舎がなく、姉旦那も都会の人なので田舎という体験が面白かったようだ。 今度はスモーク器材を買って行って燻製しようと盛り上がっていた。
ヨメは暫く義実家で静養するので、私は暫くメシを自弁しなければならない。 すなわち、カレーだ。 ヨメ実家からたんまりとれたて大タマネギをもらってきたのでそれを炒めてみたが、 市販のものと鮮度が違って実に瑞々しい。 カレー作るときの「焦げるまで炒める」のに少々時間がかかった。
義父の言うことにはタマネギは大きなものほど腐り易いとのこと。 普段生活してる感覚だと市販のタマネギは常温で数週間くらい持つものだけれども、 水気があるものほど腐りやすいということだろう。 淡路島の農家で見るように収穫後のタマネギは吊るして干すが、 あれは水分を減らすためだな。 穫れたてフレッシュの干されていないタマネギは水気が多いだろうし、 大きいものはその分水気が飛びにくいものだからそういう傾向が生じるのだろう。 市販の流通経路に乗せるものは途中で腐らないように干してあるし、 流通に乗っている間にも水分が飛ぶので調理時点で水分が少ないのだろう。 また乾燥の便のために、畑でもあまり大きくなりすぎないうちに収穫するのだろう。
たまたまテレビでコントを見たのだが、あれは読切漫画と同じかもしれん。 伝えたいことを語るための小世界を構築し、キャラクターを配置してストーリーを転がす。 私はもうちょっと興味を持って見てみても良いかもしれん。
ふと、幼いころに「エイティーというのは 80 って意味よ」と教えられたことを思い出した。 私はその時ウルトラマン 80 を見ていたんだろう。 なんだかマンホールの下から空を見上げているような映像が頭に浮かぶが、 これは本当にあった映像だろうか。 もう分からない。
当時の感覚として、フィクションという概念を理解しておらず、 世界のどこかで実際に起こっていることのように感じていた気がする。 果たして人はフィクションという概念をいつどのように身に付けるのだろうか? ある時を境に不連続的にパッと理解するものではなく、 徐々に少しずつ理解を深めるように私は思う。 というのは子供の遊びに「ごっこ遊び」というのがあるからだ。 ごっこ遊びをする時の彼らは確かに仮面ライダーでありショッカーであるわけだが、 幼少の頃のそれはかなり本気になり切っている。 小学生くらいでもごっこ遊びは行われ、それは孫悟空であり桃白々であったりするわけだが、 彼らは自分がそうだと本気で思っているわけではなく そういう役割を演じているだけだ。 この2つのごっこ遊びの性格の違いは連続的に変化していくものだと思う。
ちょっと前に見た B級SF映画の世界設定がそんなんだったな。 フィクションという概念を理解できない異星人がスタートレックのような宇宙冒険番組を 歴史的事実だと思い込んでいるという。 その異星人はごっこ遊びをしないのかもしれないな。 人類補完計画やライブアライブの近未来編など、 人類がスープになって混ざり合った状態ならば、 個にして全、全にして個の知性体ならば、 わざわざごっこ遊びをする必要はないかもしれない。
漫画を読まないヨメにどんな漫画を勧めたら良いのかが分からない。 『20世紀少年』とかならいいかと思ってたが、 他の人の意見によるとこれはやや高度なようだ。 『ハチミツとクローバー』とか良いのではないか、ということになった。 私もまだ最後まで読んでないし、探して買ってみよう。
車の運転中、自分が進む方向の信号だけでなく歩行者用の信号などから 信号が変わるタイミングがある程度分かる筈。 ヨメに指摘されて思い出した。 いつの間にか忘れてしまっていたが、 そういえば昔バイクに乗ってたときはこれやってたなあ。
研究上のいろんなことを、TeX でまとめながら仕事している。 図面は gnuplot や POV-Ray でテキストデータとコマンドラインで生成している。 すなわち生成されるドキュメントはこれらの要素に依存している。 このような状況は make の適用ということに気付き、 makefile を作成してみたら綺麗に管理できた。 気持ち良い。 しかし makefile の文法はキモい。 バッドノウハウの代表格の1つとされるだけのことはある。
makefile に書かれるべき依存関係は C言語などのプログラミング言語では include とか特定のキーワードで 宣言されているので自動生成が可能な筈。 google かけてみると、makedepend とか configure とかがそういう役目を担うらしい。 こいつらの使い勝手が良ければいいけれど、そうとも限らない気がする。
全数シーク操作のコストはデータ点数 N に比例するので、冷凍庫の内容物の数を減らすことで 冷凍庫の走査という日常的な作業コストを軽減できる。 例えば10個のものが入っている冷蔵庫では平均的に5.5個目でヒットにするの対し、 20個のものが入っている冷蔵庫では平均的に 10.5個目でヒットする。
現在 冷凍庫に保冷剤がひとかかえほどもあるので、 少し減らしてはどうかと提案したら激しく却下された。 曰く、「容量余ってんだから入れておけばいいじゃない」。 データや資材の管理に厳しくないところで生きてる人は、まあ普通こう反応するものだろう。 そしてそれで大抵の場合は問題ではないのでこちらとしても強く押すつもりはない。 しかしこの辺の検索の作業コストをどのように見積っているのか気になって聞いてみたら ヨメは「全てを考慮して保存することを選んでいる。 私がこう言うてるんだから黙って従ってよ」と言った。 冷蔵庫・冷凍庫については全ての決定権がヨメにあるらしい。
「自由には責任が伴う」という言葉があるが、これを強く感じた。 冷蔵庫を完全に一人の自由にするのならば、 相手には一切使わせなくても不自由を全く感じさせないようにする 「責任」が生じるということだ。 もしこうしたならヨメは家を離れることも、病気で寝込むことも許されなくなる。 このような、安全性が低くて一方にのみ大きな負担のかかるシステムは決して健全ではない。 それよりも誰もが使うことを前提に、その使用頻度に応じた発言力を考慮して 話し合って決める方が余程健全で安定したシステムだと思う。 相手が一部でも使用するのならば、その比率に応じて意見を考慮してやるべきだろう。 事実、料理はヨメがほとんどやってくれているので私よりヨメの決定権が大きいことは 私も認めるが、一家に1台しかない冷蔵庫に対する発言力が ヨメ 1に対して 私 0というのは俄かには認めがたい。
土日のごはんは私が用意する、ということになっていたのだが、 台所はヨメのナワバリなので触るなというようなことを言われたのでプチストライキ。 まあ最近は何も言わんでもヨメがつくってくれていたので実質何も変化はないのだが。
私は論理立った話し方「しか」できないと見られているようで、 「あなたは大学の教員でなければ生きていけないだろう」と言われることがある。 そう言われた時、私は沈黙することしかできない。 事実そうだと思っているからではない。 「他の一般的なの仕事」というのが具体的に何を指しているのかは分からないが、 私はどんな職業でも、技術としてはともかくコミュニケーション能力としては それなりに勤められると思っている。 しかし現時点で私は他の職に就いておらず根拠がないので 相手と同じ「主観で決め付けた主張」 (cf. 詭弁のガイドライン, 4) しかできない。 「できると思う」「いやできない」とお互いの脳内世界の展開をぶちまけあっても 泥沼の平行線にはまって不毛なだけだ。 私はそんなに TPO をわきまえない人間のように見えているのだろうか。 むしろ私は相手が学生なら学生なりに、 相手の能力と立場に合わせた喋り方をしているつもりなのだが。 自分に対して喋るのと全く同じように他の人にも話していると思い込むのは 少々想像力が足りないと思う。 大学ってのは学生相手の仕事も少なからずあるが、 仕事の半分以上で他の教員や研究者とのコミュニケーションを必要とする。 「私にはこれもできていない」と断じられていることになるのだが、さて。
悪い意味での「オトナ」な人はどこの世界にもいる。 ここでの「オトナ」は自分が行動するときのスタンダードと 他者が行動するときのスタンダードを意識的/無意識的に使い分けている人のこと。 あと自己と他者の相対化ができていないとか、 構図の対称性への認識が甘い人っていうのも多い。 他者から見た私はどうだろうか? 自分では、他者に対して適用するのと同じか、 やや厳しめのスタンダードを自分に適用しているつもりなのだが、 やはり他人から見ればダブルスタンダードに見えるのだろうか。
「言うてる内容を聞き取る」、 「意見を聞き入れ、取り入れる」 の両方が、日本語では「言うことを聞く」になる。 Aが「Bの意見を聞き入れるか保留している」から「AはBの言うことを聞かない」、 Bが「Aの言ってる内容を聞き取っている」ので「BはAの言うことを聞いている」。 これはダブルスタンダードだ。
「論理的な話し方しかできない人」よりも、 「自分がやる場合には OK、他人がやる場合は NG」などと 自他に異なるモノサシを用いたり 自分を客観的に見ることができない人のほうがよほど社会人として問題があると思う。 しかし、実は社会にいる人間の殆どはそういう人間だと思うし、 そのような状況にあっても社会はまわる。 そういうものだと私は思う。
「そんなキッチリした話し合いなんてのは京大の人とでもやりなさいよ」とか言われる。 根本的に分かってないんだな、と思う。 共同生活しているから価値観の衝突が起こり、だから話し合いの必要があるのに。 話し合いのスキルを既に持っている人であっても共同生活していなければ そんな踏み込んだ話なんて必要ない。 「生活を共にするとはどういうことなのか、そこにおいて何が必要なのか」を理解していない ように私には見える。
パセリとイタリアンパセリを干してみたが、 パリパリにはならず、食ってもいまいちだ。 刻んでから乾かすべきか。
自転車のライトが弱い。 常に弱いのなら電池が錆びるかヘタってるのだろうが、 たまに強く輝いたりするので導電接触の問題だろう。 ということで取り外して持ち帰り、手入れした。 板バネになっている電極を少し起こし、 少し錆びた電池と電極にサンドペーパーをかけ、 防錆のつもりでワセリン(メンソレータム)をごく薄く塗った上で鉛筆で グリグリやった(コンタクトZ) ところ、綺麗に復活した。 また、フタが固くて開きにくいのでツメをすこし削り取った。 つけてみると綺麗に強く輝いた。 実に気持ちの良い仕事をしたと満足。
職場に来た保険屋のねーちゃん、銭勘定とか数字に弱そう。 グラフは数値の表現にすぎないということが分かってないし、 最善の選択をするために必要な数字の提示がない。 上から提示されたオススメ商品を伝えるだけの伝令のような感じ。 「保険の本質はギャンブルだろう」と言ってみたら 根拠なしに「ギャンブルではないと思います」と答えた。 まあ実際に保険がギャンブルかどうかは定義や解釈の問題とは言えるが、 自分が扱う商品がそのように解釈されうる側面を持っていることくらいは 押さえておいて欲しい。
どっかの港町みたいなところで小便をしたらいつまで経っても小便が切れず 勢い良く出続ける。 ……という夢を見た。 なお、寝小便はしていなかった。 実際に小便が出ていないので膀胱信号が出続け、 そのため小便が出続ける夢となったのだろう。 幼少の頃とかだとこういう夢で体が連動して寝小便をたれてたところだ。
仮眠中に眠りが深すぎて起きたくても起きられないことがある。 目覚ましなど外部の刺激があれば起きられるのだが、 それがなければ何度も起きる夢を見たり、起きようとしても体が動かない。 所謂 金縛り状態。 体と精神の連絡が遮断されており、 精神は起きているのに肉体に命令が届かない状態なのだろう。 これは「寝小便をしなくなる」の構図に近い気がする。 寝小便・金縛りと年齢との間に何らかの相関性があるかもしれん。
調べものをするときに、 たとえば辞書を用意する(立ち上がって手に取って開き検索する・アプリを起動する)間、 その単語を覚えておかんとあかんのは面倒。 その操作が複雑だった場合には、その操作をしているうちに忘れてしまうこともあるため 気が抜けない。 私が lookup (Emacs 上で動く電子辞書ツール)が面倒だと感じるのはそういう点で、 単語をコマンドラインから直接調べられるようにするのは価値があると考えている。 この思想の元、google・ wikipedia をコマンドラインから直接検索する zsh 関数を自作していたが、 OALD(Oxford Advanced Learner's Dictionary, 英英辞典) のウェブサービスを見つけたのでこれを コマンドラインから検索する zsh 関数を作ってみた。
function oald() { local url url='http://www.oup.com/oald-bin/web_getald7index1a.pl' if [ $# > 0 ]; then # 引数が存在すれば url=${url}'?type=text&search_word='$* fi w3m ${url} }
授業を欠席する学生に対し、 私の本来の思想としてはそれを応援すべきなのだが、 他の教員の姿勢にいつの間にか引き摺られて 「なんで欠席するんや」という感じになってしまっている。 複数人で担当する教科なので自分一人の都合で決めるわけにはいかないという側面は 確かにあるのだが。
「あなたが学生に教えていたとする。このときに学生に課するに適切な課題を考えよ」 というメタな課題を考えた。 『ドラゴン桜』にもあったことだが、 他人に答えさせる問題を考えることは教育上有益だろう。 またこういう問題は大学っぽくて面白いんじゃないかな。
研究室 PC 構築。
泊まりで研究室 PC 構築。
2ch系のまとめサイトでカタンについての話があり、 「n点目の取り方で勝負が決まる」というレスがあって非常に納得した。 盤面・趨勢にもよるが、おおまかに 5、6点目あたりになるだろう。 その点の家を建てるか否かに、 他の人がそれぞれどの程度煮詰ってるかを考慮する必要がある。 こう考えると、バーストは必ずしも悪くない。 カタンは突出すると抑えられるゲームなので、 あからさまに点数を取り過ぎるとマークされる。 そのため自分の状況を適度に冷ます必要がある。 その1つがカードを引くことで、盤面の点数を変化させることなく資源を 貯蓄・投資することができる。 カード引きではなく、バーストでも熱が冷める。 無理めの家・町建造でも、その1点がクリティカルポイントの点ならば、 バーストを恐れず資源を貯めることを検討すべき。 麦x2、鉄x2、羊x2、木x2 の8枚ではバーストが怖いのでカード1枚と交換するのが 定石だろうが、 「町を取れば勝てる」・ 「分岐の点である」・ 「取れなければ負ける」状況では そのまま「次どうぞ」するギャンブルは有効だ。
少数(3つ程度)のことしか覚えておけないという記憶障害があるらしい。 映画の題材にもなったらしいし、ジョジョ6部にもあった。 これどういう感じなんだろうと思っていたが、 これは我々が見る夢の中の状態に近いのかもしれない。 夢の中では同時に多くのことを覚えておくことができない。 たとえば、夢の中で以下の状況にあったとする。
カバンから溢れた複数の物を拾っているときには 「目先のこれを拾う」という判断が加わるので、 「こっちでカバンを拾う」 「カバンからこぼれたものを拾う」 と併せて頭が一杯一杯になってしまって「あっちの人」のことを覚えておくのが難しくなる。
もしできるのならば、 俺が妊娠のしんどさを請け負ってヨメが元気な方が良かったと思うのだが、 これは妊娠のしんどさを理解してないから言えるのだろうか。
ヨメが私にすげー気をつかってるのが分かる。 極端に言えばビクビクしてる。 赤ちゃん用品なんて必要なものだから出費は当たり前のものだと私は考える。 しかし私が「そんな高価なものを買うなんて!」と怒るのではいかと 気が気でなかったようだ。 気を使われている私は気楽にさせてもらってることになるが、 ヨメにとってはこのようなストレスフルな状況はいろいろ良くないだろう。 というより、相手に過度の負担を強いるこのような状況を私は望んでいない。 ヨメが感じた種類のストレスは「相手が何をどう考えるか」を理解することで軽減される。 たとえば私は「必要なものを必要な量だけ必要な価格で購入すること」は 当然のことだと思っているし、 子供の安全に関することは必要性の高いことだと認識している。 そのことが理解し合えていればビクビクと不要なストレスを受けることもなかっただろう。 否、情けは人のためならず。 このようなストレスは次第に積もり積もって、 いつか爆発して私に降りかかるとも思っている。 お互いに無駄なストレスのない生活にするために、 楽しく豊かな家庭にするために重要なのが「話し合い」だと私は思っている。 ヨメが私に対してどのように在って欲しいと思っていることを、 私に伝えることもまた「話し合い」なのだ。 結婚前から私は、そう言っている。
ヨメは、私が言う話し合いの重要性を理解してくれるだろうか。
我々は一個の家族になれるだろうか。
それとも、子をかすがいとしてくっついた単なる個人の集合になってしまうだろうか?
英語力の底上げに単語を沢山覚えよう。 単語のみならず、読んだり書いたり話したり聞いたりする能力は 適切な反復動作で鍛えることができる。 そういう目的で学習用のクイズゲームスクリプトを作ったのだが、 我ながらこれが結構良い出来。 公開レベルにはまだ不足なので、もうちょっと手を入れて、落ち着いたら公開しよう。
英語と日本語の単語は一対一には対応しないが、 言語同士の関係は対等なので多対多でおおよそ対称的な対応はつけられるだろう。 しかし、私のような日本語に通じていて英語に不自由な人間の学習という観点では、 英語と日本語は非対称的だ。 英語と日本語の単語を一対多で対応させて、 以下のように覚えるのが良さそうに思う。
似た意味の英単語でも、類義語を提示するなどして1つの単語に答えを収束させるように するのがミソだ。
『小さい子持ちは1階に住むべきか:アルファルファモザイク』。 防音カーペットとか用意した方が良いのかな。 つか赤子関係なしに、私はカカトで歩いてしまうので足音が響くことをヨメに指摘されている。 改めよう。 あと隣家には挨拶した方が良いのだな。 覚えておこう。
朝、起き抜けで調子が出てない時、 ヨメが話し掛けた言葉に返事したつもりで声がでてなかった。 これはいかん。気をつけて元気を出そう。
研究室の計算機構築作業。 先は長い。
デンプンは人間が消化できるα状態と消化しにくいβ状態がある。 収穫された生米はβ状態でそのまま「米はうめえなあパリパリ」と食うことも 不可能ではないが、これは通常消化できない。 これを高温水環境で処理すると糊化(α化)して消化しやすくなる。 米の場合、炊飯と呼ばれる処理だ。 しかし一度α状態になったデンプンも時間経過とともにまたβ状態になっていく。
平日、ヨメが弁当を作ってくれる。 嬉しい。 基本的に前日作っておいて冷蔵庫に入れてあるため、 米のデンプンが老化(β化)するので電子レンジ必須。
私の実家では炊いた米をタッパにつめて冷ましてから冷凍保存する習慣があったのだが、 結婚当初にこれをしようとしたら「不味いからやめて」と言われた。 私は不味いと思ってなかったし、長時間保温したものより冷凍→レンジで解凍の方が 美味いと思っていた。 さらに新聞の生活欄で 「保温を続けるより冷凍した方がおいしさが失われない」という記事を見かけたので それを見せたがそれでもヨメは嫌がった。 私は「まあ味覚は自由だし、そう感じるものは仕方ないな」と思って冷凍飯はできるだけ ヨメの目につかない所でするようになった。 で、ふと思ったのだが、ヨメは冷蔵と冷凍を混同してるんちゃうかなあ、と。 ググル先生に聞いたことだが、冷蔵は非常に老化しやすい状態で、 冷凍だと糊化した状態で水分が凍結されるとのこと。 同じく電子レンジで1〜2分程度昇温するとしても、 冷凍飯ではデンプンが糊化したまま水分が凍結してるので温度を上げると炊き立てに 近い状態に戻るが、 冷蔵飯の老化した米は十分に糊化しにくいかもしれない。
でもまあ弁当の場合は冷蔵でやらんとあかんかもしれん。 朝に何かの手を加えるのは面倒だし、常温で置いといて腐敗するのも怖い。 多少の食感より腐敗のリスクを避ける方が余程優先される。 軽く検索かけると人によって色々流儀があるみたい。
口内炎が悪化の一途。 グーグル先生に聞いてみると、ビタミン B1 が不足しているらしい。 ビタミン B1 は細胞の代謝(呼吸)をたすけるもので、 口唇部で特に必要とされるらしい。 口は粘膜と外皮の境界なので特に代謝が活発だからだそうだ。 すなわち、ビタミン B1 の欠如はまず口内炎として現れる傾向がある。
自分では意識してなかったが昔某氏の日記に「玄米食にしたら口内炎が一発で治った」 というのがあった。 玄米の栄養素をググってみたら、結構な量のビタミンB1が含まれていて 白米はその2割程度しか含有していないとのこと。 そういや最近玄米食ってねえな。
「少量で良いから、ご実家から玄米をもらってきてくれないか」とヨメに言ったのだが、 少量だけ分けるのは面倒だそうだ。 私は、「籾殻を取ってから精米機に入れるもんであって、 精米機に入れる前の状態で少し小分けすれば良いのだろう」と考えていたのだが、 違うのだろうか。 ヨメの言葉は、語気が荒いわりにどうも歯切れが良くない。 実際に自分がやっていたりして詳しく知ってるわけではないのだろうか。 先方に話を聞くくらいのことはやってくれてもいいんじゃないかとも思うが、 まあこちらはお願いする立場だし、言うてることは「タダでくれ」ということなので そこまでしてもらうのも見苦しいしな。 まあ自分で買うか。 なお、妊婦に玄米はよくないという説があるらしいのでヨメに無理矢理食わせる気はない。 研究室での保存食にしたいだけだ。 研究室に泊まった次の日の朝昼によく消費されることになる。
「同じものを食ってる自分に口内炎ができていないので、 それは栄養の問題ではなくあなたの不摂生の問題だ」 と言われた。 それはどうだろう。 体格や体質によって必要な栄養素やその量は異なるもんだと思う。 同じものを食って同じような食生活してても家族の誰か一人だけ便秘になったり 風邪を引いたりすることはよくあることだし、 それは人によって薬の効果が違うことと同じだろう。 就寝時間が遅くなるのは仕事上仕方がない面がある。 そういう日の翌日で出勤が遅くても良い日であっても決まった時刻に起こされる。 酒も煙草もヨメとの約束通り激減させている。 これ以上どうしたら良いのだろう。 つか食うもので睡眠不足などの不摂生をカバーできるのならそれをしない理由はないと 私は思う。 何故、より効率的な栄養の摂取を否定するのだろうか。 私の健康より他の何かが大事なのだろうか。
相手の意見を受け入れたら負けだと思ってるんじゃないかなあ。 こちらは「こういう助けが欲しい」というサインを送ってるのだが、 ヨメは勝ち負けに執心しているように見える。 議論の勝ち負けほど無意味なものはないのに。 私は苦しんでいるのに。助けが欲しいのに。
「自分には問題が生じてないんだから、それは全部あなたの責任で問題だ」 というのは薄ら寒いものを感じる。 私はまだいい。 ヨメと対等の立場にある(筈だ)し、小遣いの内側で何とかして自分を守ることもできる。 でも理性や知性の不十分な子供に対してこのような姿勢を取ったりしないかと 少し不安になる。
こういう愚痴をこぼしてしまうけれども、 まあ世の平均よりは十分にマシだとは思う。 少なくとも、そう信じている。
漫画描いてたことはオープンにしてるので、たまに「読んでみたい」と言う人がいる。 その人に見せること自体は吝かではないが、問題はペンネーム。 このサイト内でペンネームの痕跡は消去してあるが、 ペンネームでググるとこのページへのリンクが検索されてしまうので、 この日記まで辿られる可能性がある。 ヤバいことは書くべきではないというのはこれからも気をつけるつもりではあるが、 万一のためにこのページへのリンクをペンネームで記載しているものは ハンドルネーム(いっぺー)に変えてくれると幸甚。 というか不要ならリンク削除してもらってもいいかもなあ。 大抵の人はブックマークで管理してると思うし、 今時リンク辿ってここまで来る人がいるとも思えない。 勿論強制するつもりは全然ないし、全ての判断は各サイトの人にまかせるのだけれど。 まあ気が向いたらよろしくです。
方々に手間かけてもらってそんだけやってもらっても、 グーグル先生のキャッシュからいつ消えるかわからんし、 あんまり効果ないかもなあ。
あと古日記はそのうち消そう。
燕尾服の燕尾の部分は2つに分かれているが、 これをクリーニングに出すとその先を軽く結いつけて洗われるらしい。 なのでクリーニングから返ってきた燕尾服を着るときにはその糸を切っておく必要がある。 ある人の燕尾服の燕尾の部分が糸で結いつけられたままだったのを見た母は 「旦那にそんな格好をさせて恥ずかしくないのか、 その人の奧さんの常識を疑った」ことがあるらしい。 私の感覚では最終的な責任はあくまで着ていてる本人にあって、 知らぬ恥とかうっかりしていたとかの恥は着ている本人に帰するべき問題、 奧さんに責任の所在を求めるのは筋違いだと思う。 ……のだが、一般的な女性社会というか、 女性文化というのはこうなっているものなのだろうな。 人はそう在るべきではないと私は思うが、 世の女性の少なからずがそのように在るのだ。 すなわち、私の着ているものでヨメが不当に評価されてしまうことになる。 私がヨメの反対を押し切って私の責任で着ているものなのに! そのような捻じ曲がった見方をされるのは不愉快だが 現実世界はそう在るわけで、 ヨメのために私はもうちょっと良い服を着てやらねばならないのだろう。 好きなんだけどなあ、ボロい服。 汚れとか引っ掛きとか気にせんと作業できるし。 でもまあしゃあない。 ヨメチョイスの服をもうちょっと増やすことにしよう。 でも汚れたり破れたりするのは、それを気にしてたら仕事できないことがあるので ある程度大目に見て欲しいと予防線を張っておこう。
VPN ルータをなんとか運用まで持って行き、計算機設置場所の問題点を一つクリアできた。
ねむい。 でも頑張らなきゃ。 俺より能力のある人が忙しくしてるのに、 俺が力を尽くさなければいつまで経っても追い着けないじゃないか。
自転車を売ろうというおっさんが学内をうろつていて、ちょいと立ち話。 おっさんが明後日には引っ越すとのことで早急に売りたいらしく、 かなり良さげなマウンテンバイクを 5000円で売るとのこと。 私は買う気ないけど話聞いてたら「3000円でいいから」とか言ってきた。 ちょっと心が動いたのだが、今すでにクロスバイクあるし自転車の置き場所にも困るからやめた。 学内に面積があるとはいえ不要の自転車を置きっぱなしにするのは良くないよな。
「あれ盗品かもしれんなあ」とあとから思った。 防犯登録の変更のことを聞くと、 「買い手が自分で警察署に行って申請すれば、売り手に連絡が行って確認してくれるので、 自分で行ってくれ」とか言いよったのだが、これは怪しいよな。 警察がわざわざ元の持ち主に連絡取ってくれるのか分からんし、 連絡がつかんかったらいつまでも登録を更新できないはずだ。 でなければ、盗品を勝手に警察に持って行って登録しなおすことだってできてしまう。 もし盗品だったとしたら、私が受け取った時点で窃盗とかそういう罪科が ついてしまいかねん。 盗品でなかったとしてもその辺はキッチリやるべきだ。 寮生時代に自転車の議論聞いといてよかったとオモタ。
計算機のセットアップしてたら、LAN カードからLED の光ではない 見なれぬ赤い光が。 見れば LAN カード上のチップが赤熱して発光しており、こげくさい臭いがたちこめていた。 今回は ASUS のマザーなのだが、これはどうも PCI まわりが不安定だ。 ビデオカードの認識が変で電源を入れて BIOS までいかないことが多々ある。 今回のチップ小火も PCI スロットまわりの問題だと思う。
研究の計算機は今迄 Linux で動かしていたのだが、 試みに FreeBSD を入れてみてもプログラムは走った。 Linux emulation は偉大なり。 しかし並列計算でこけた。 ライブラリの問題らしい。 やっぱあかんのかしら。
いろいろやってみると、並列計算でも FreeBSD でいけた。 計算時間も Linux との差は 1% 以内でほぼかわらず、誤差の範囲内だ。 Linux のインストール・セットアップは FreeBSD のそれに比べて面倒なので、 今後できるだけ FreeBSD で行くことにしよう。
同窓会で京都。 それから寮に行って泊めてもらった。 今週はハードで睡眠不足気味だったので、早々にダウン。
私と同年ころに寮にいた奴がいた。 私はそいつのこと殆ど覚えてなかったんだけど、 奴から見て私はどうも「腐ったような目をしていてつまらん奴」と思われていたらしい。 まああのころの私はファミコン麻雀バイトで実に充実した毎日を送っていたから、 正にそう見えたことだろう。 しかし「つまらん奴」というのはこっちから見た奴も同様だったんじゃなかろうか。 わざわざそいつと遊びたいと思わなかったから遊ばなかったのだろうし。
『宇宙兄弟』 まあそこそこ面白い。 宇宙飛行士訓練の漫画は幾つか見たことがある。 だから閉鎖環境試験は最初に見たときほどの目新しさはもう感じないが、 だけれどもやっぱり面白い。 ある種の極限状態で、適度な緊張感、適度な安心感があり、 かつそこに配されるキャラクターによって様相が変化するからだろう。 孤島の洋館のような、作劇的に良い舞台なのかもしれん。
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