きづき(日記)

きづき、またかんがえたことをしるす (いっぺい)
Last modified : Mon Dec 01 20:06:09 +0900 2008

2008年12月01日(月)

『らき☆すた』で「チョココロネのどっちが頭でどっちがおしりか」 という話があったけど、茶色いモノが穴から出てくる方がおしりだと 私は思います。

伊坂幸太郎『グラスホッパー』読了。 伏線の張り方は上手いと思う。 文章の味付けも好みだ。 しかしなんか「これ読んで良かったー、面白かったー」という感じにならない。 対決しなければならない理由がよく分からず、 登場人物が作者に踊らされて(対決させられて)いるように感じた。 なんつーか若い世界観だなあ。 こういうのをハードボイルドというのか。 解説ではそう書かれていた。

解説って何のためにあるんだろうな。 当然ネタバレできないし、評価はベタボメしかない。 小難しい単語をならべて中身はないけど格調だけお高くとまってるものとか。

色の識別という観点で、人間の目はどの程度信用できるか? プログラミングでは環境光とか、 カメラではホワイトバランスとかいう言葉があるが、 そういうのを考えにゃならんということは 人間の目は絶対値として信用のおけるデバイスではないということだ。 リファレンスを用意してやって「これに比べて赤い」とかならそこそこ精度は 出るが、リファレンスなしで「絶対値としてどれくらい赤いか」という判断は 正直無理だと思う。


2008年12月02日(火)

大衆理容で「適当に短く切ってくれ」ではヨメが満足しないので、 美容院に行くことになった。 そこの美容師に聞いたこと。 美容師のハサミは我々がハサミと聞いて想像するより遥かに切れ味が鋭く、 挟まず当たるだけでも切れるものらしい。 まさに刃物。 切れ味が鈍いと指が疲れるし、 また切るために髪の組織を押し潰してしまって髪を痛め易いとのこと。 だから美容師はしばしば自分の鋏を研ぎに出す。 研ぎに出している間別のハサミを使うわけだが、 いつもと違う道具を使っていると長さが異なることなどから よく指を切ってしまうとのこと。 また新米のころはよく指の皮を飛ばすとか。 新米のころによくあるのは客の耳に切り傷をつけてしまうことだが、 これは決して挟み切るからではなく 刃が当たってしまっただけでも傷をつけてしまうことに因ることがほとんどらしい。


2008年12月03日(水)

「小用で便座に座るのは男の面子を挫かれるようだ」という意見をたまに見る。 私は別にどうでもいい。 というか、立って用を足すと飛び散らないように神経を割かんならんが、 座って用を足せばそういう心配がほとんどないので その時間別の事を考えたり頭を休めたりすることができる。 だから私は自宅では座って用を足すことの方が多い。


2008年12月04日(木)

会議、会議、学生実験、シンポジウム。 忙しいんじゃぼけー。

学校に貼ってあったビラにメキシコの地図があった。 とりあえず Wikipedia の画像へのリンクを貼っておく。 メキシコは西側に、細長く伸びた半島がある。 「この半島は米国に属した方が安定なのではないか」 と思ったが、それは陸の意識が強いからだと思い直した。 考えてみれば狭い海湾を挟んでも船での行き来によって十分な交流・物流が可能だ。 半島の中程より先では、アメリカからよりメキシコ本土からのアクセスの方が便利だろう。


2008年12月05日(金)

アルファベットの O, l とアラビア数字の 0,1 は見分けが付かない。 ということでこのどちらかは見分けがつきやすいように形をかえて欲しい。 アルファベットよりアラビア数字の方が普及度は高そうなので、 アラビア数字をそのままにしてアルファベットの2文字は 別の形を使うようにしたらどうか? しかし、たとえば英語では 単語の視覚的な形がその単語を認識するのに大きな役割を果たすため、 単語の形が崩れるのは避けた方が良いだろう。 対してアラビア数字で数を表すとき、その表された形が 問題になることはまずありえないため、 アラビア数字の方がゆずるべきだ。 勿論、こういう変更が現実的ではないことは分かってる。 こんなことよりも、アメリカでヤード・ポンド法をやめる方が先だ。


2008年12月06日(土)

車で移動した方が早くても、その間は本を読む・勉強するなどは一切できない。 また車運転には事故のリスクが常にあり、神経を削る。 市内に住んでいるのだから、電車を使うのが妥当な選択肢である場面が多いと 私は思う。

服の受け取り。 裾直しくらいならできたものを郵送してもらうのが一番ラクで良いのだが、 郵送では裾直しの出来に文句を言えないので、 また高い服なのでそういうリスクは負いたくないという気持ちはまあ分かる。 ただ現地に行って試着してみたところで、 今迄服にこだわって来なかった私では「こんなもんだろ」と納得して帰るのが関の山。 店員に「こんなもんですかね」と聞いたところで「こんなもんですよ」以外の返答は ありえず、現地で試着する実際的な効果はほぼ皆無だろう。

時間が大事。 たとえば勉強する時間を確保するために、どこからその時間を捻り出すかという問題。 時間や集中力を確保するために私は、小金を使用したり、 毎月やるべき作業を3ヶ月に1度にまとめるといった工夫をよくするわけだが、 「それくらいの手間は惜しまずやったらいいやん」と言ってしばしばヨメは許可しない。 私が自分の小遣いで行うことすら許可しないことがある。 言葉の上では私が勉強するのを応援するとか言うてるが、 何をすることが最も支援することになるのか・効果が高いのかという考えは 足りてないと思う。 無論 些少な時間を稼ぐために多大なコストはかけるべきではないが、 コストとメリットの測り方が異なる。 それぞれ異なる個人なのだから価値観が違うのは当たり前だが、 他人の持つ異なる価値観をどのように尊重するべきかという メタ価値観はあまり練られていないように感じる。


2008年12月07日(日)

数学大変。 自分で資料を作って、自分の思うように教えたいとか思う。

中学・高校で野球をやっていた時、 守備が下手で「エラーしたらどうしよう」とばっかり考えていた。 しかしこれは逆で 守備機会において常にネガティブなイメージばっかり考えていたから 守備が下手だったのかもしれない。

言語化を行わなければ、人間の純粋な思考の速度は極めて速い。 バットにボールが当たり、打球がこちらに向かって飛んできたと把握した瞬間に、 それからの全ての行動をイメージすることは可能だ。 これは通り一遍のイメージトレーニングの効果があるだろう。 ネガティブなイメージに凝り固まった私にはそれができなかった。 野球の上手い奴はきっと、それを自然にできるのだろう。


2008年12月08日(月)

ヨメの妊娠が確定。 つわりがひどい。 食材を見るだけで気分が悪くなるとか、大変だ。 「腹を痛めて産んだ」という言い回しがあるが、 臨月近くの状態だけでなくツワリの状態も相当につらそうだ。 考えてみれば、私の母が私を産んだ時も同様にこのような苦しい期間を経てきたわけで。 かえりみて母に感謝だ。 とにかくヨメ ガンガレ、ちょおガンガレ。

ヨメがこういう状況なので、ここんところ弁当や自分の晩飯を 作ってると言ったら大層驚かれた。 ちょっと得意な気分だ。


2008年12月09日(火)

走ることは嫌いではないが、走ること自体は私にとってストレス解消にならない。 マラソン大会に出るなど何かしら目的があって その目的のための努力ならば、ある種の快感が伴って走ることがストレス解消 の手段となりえる。 しかし、強制的に走らされたらそのこと自体がストレスだ。

ストレス解消の手段をどこに求めるかは人によって違うはずなのだが。 無趣味な人に趣味にこだわる気持ちを理解してもらうにはどうしたら良いのだろう。


2008年12月10日(水)

「自転車での通勤は危険だ」とヨメが渋い顔をするので当面やめることに。

駐輪場の上下の階への階段脇に、自転車を押すための 幅20cm ほどの細いスロープがある。 見通しが良いし特に禁止もされていないので、 周囲に人がいないときは自転車に乗ったままそのスロープに進入する。 毎日やってるので姿勢制御が結構上手くなってきた。 姿勢制御は身体自体のバランス以外に、ブレーキ・ペダルの調整も重要だ。 たとえば、極低速で進行するよりも、ある程度はスピードをあげた方が バランスは安定する。 カーブにおいては重心の位置が同じでもスピードによって遠心力の かかり方が変化し、倒れようとする方向が内向き・外向きに変わる。 よって、ブレーキに手をかけつつ低速・やや内向きバランスで進入し、 内向きに倒れそうに感じたらペダルを強く踏む、 外向きに倒れそうに感じたらブレーキを握るという バランスの取り方が使える。


2008年12月11日(木)

京都出張。京阪の四条駅が「祇園四条」に変わっていた。 地下鉄の四条駅と同名であることを避けたのだろうか。 四条は通りの名であり、京阪の四条駅は川端通り、地下鉄の四条駅は烏丸通りと 結構な距離がある。 知らない人は乗り換えが簡単にできると錯覚するのかもしれない。 最近、京阪に中之島支線ができたので、名称変更はそのタイミングに合わせたのだろう。

ケーキ・軽食屋の鞠小路が閉店していた。 後に京都の友人に聞いたところでは、夜逃げ同然で閉店したとか。


2008年12月12日(金)

ヨメが冗談めかして言う「子供の性格は ipp に似ないで欲しい」という言葉は 私の在り方を非難して傷つける言葉であるということに気付いてないんだろうなあ。 本当に非難しているのではなく、 言葉に無頓着なだけということは分かってはいるのだが。

ヨメが私に言う「これをして欲しい・して欲しくない」という事は 半分も受け入れられていない。 ヨメから見れば相互間で行われる全ての案件の半分も受け入れられていないわけであり、 それをしてヨメはたぶん、私が他人の意見を受け入れない人間であり、 「押し通せば済むと思っている」と感じているのだろう。

私からヨメに強くお願いすることはほとんどない。 ヨメが考えて選んだ選択ならば、 私はそれが最善ではないと思っても任せている。 ヨメの価値観が世界で最も優れたものと捉え、 そのため意見を言わないわけでは決してない。 ヨメと私の価値観の相違点があった場合、 (当然私は自分の方が良く、ヨメも採用すべきだと感じているわけだが) それをアイデアとして提示はするものの、 無理には自分の価値観を押し付けないようにしている。 私から強く言うことがないため、相互間の案件はそもそも半分になっている。 相手からの価値観の押し付けを数割でも受け入れているということは、 十分に相手を思い遣っていると言えると私は思う。


2008年12月13日(土)

mp3 再生で歌詞を表示させたいという要求は世間的にはあまり高くないのだろうか? やりたいことは歌詞を全体表示し、現在再生しているところを色付きで示すということ なんだが、なかなかコレといった解法があまり見合たらない。 「できれば UNIX で」という条件も含めているからかもしれんが、 諦めて Windows で調べてもいまいち芳しくない。 これができたら普通の音楽鑑賞だけでなく、 英会話学習のスキットを聞く際などにも便利だと思うのだが。

歌詞データを用意するのがまず面倒だからかもしれんな。 私にとっては 音質の良い生 wav データよりも歌詞入りの mp3 データの方が 商品価値が高いんだけど、将来こういう売り方をしてくれるようにならないだろうか。


2008年12月14日(日)

家で仕事している横で『アストロノーカ』のプレイ動画を流してみた。 ゲームの基幹システムは『マリーのアトリエ』と同様、 生産・開発の行程・管理の最適化に面白さを感じさせるというモノだが、 土着の敵性生命体バブーとの駆け引きに凄みを感じた。 今日やってくるバブーは、こちらの全力を傾ければ撃退できるかもしれない。 しかしバブーは撃退されれば、撃退された手法に対する耐性を種族全体として高めて行き、 またそうやって進化したバブーが「日常的」にやってくる。 常に全力を尽くすことは、いかなるトラップも効かない最強のバブーを 育てることに繋がってしまう。 その点も考慮したある意味ゆるい戦略が効果的だ。 人工知能や進化を使うことによって、こんなゲームの幅の広げ方があったのだと感動した。


2008年12月15日(月)

数学とか物理のノートをきちんと作ろうと思った。 私はこういう職業に就いているわけで、ノートは一生使うアイテムだ。 人間の記憶できる量というのには限界があり、 全ての知識を脳内に保持しておく必要はない。 しかし、全てのことを一度は理解しておく必要がある。 その過程を自分の言葉でノートに書き留めておけば、 次に必要になったときに取り戻し易いだろう。 職業柄、将来教科書を書く可能性もなくはないし、そうなったときの部品にもなるだろう。 あるいはオープンソース的に公開しても面白いかもしれん。

ノートといっても紙のノートではなく、電子的に TeX で書いたもの。 電子データなら家でも 研究室でも (ノートPC で)出先でも持てるし、 バージョン管理ツールを使えばどこででも編集できる。 元々数学の公式とかは以前から書き溜めていたんだけど、 この戦略は物理や化学、計算機においても有効だろう。 今現在、数学・物理のそれぞれで既に70〜80ページくらいにはなっている。

教科書はどうしても紙面の制約から式展開が飛び気味になる。 そのため私のような数学弱者は「どうしてこの式からこの式に変化できるのだろう」 ということを理解するために時間を少なからず使ってしまう。 教科書と違って個人的なノートでは、 紙面の制約がないため式展開をゆっくり丁寧に記述することができる。 そういう意味で、だからノートなのだ。


2008年12月16日(火)

総合機械商社 南陽の CM こういう頭悪いの大好きだ。

ヨメに買ってもらったダブルファスナーの服を最近着ている。 ダブルファスナーはただの飾りではなく、実は小用において実用的であった。


2008年12月17日(水)

10x15cm くらいのサイズのメモ帳を持ち歩きとして使用していたのだが、 使い勝手の良いものがあまり店に置いていない。 特に重要なポイントはリングの径が大きくそこにボールペンをホールドできること なのだが、生協や多くの文具店で置いているものはこのリングの径が小さく ボールペンが入らない。 東急ハンズに行けばあるのだが、 このためだけに行くのもなあ、という状況。 で、一噌メモ帳を作ってしまってはどうか、と。 私個人の会計は小遣い制に移行したためメモ帳に支払う数百円も厭わしく思える。 研究室で仕事してるとどうしても反故紙が溜まるのでこれを半分に切って ファイルやバインダーで挟めば良いのではないか。 ただ A6 や A7 サイズのバインダーが売ってない。 アスクルのカタログにも A5 のものがあったきり。 ということで、一度使用して背表紙がビリビリになったバインダーを カットして作ってみた。 ただ問題はペンをホールドできないことだなあ。 何か手を考えよう。

反古紙は扱いが難しいという意見がある。 裏の白いところをメモ用紙としても、 どちらの面が反故になった情報でどちらの面が新しく書き加えた情報か 紛らわしいとのこと。 私は反故紙を使用しているが、あまり混乱したことがない。 私は自分ルールとして四隅のどこかを小さく千切ることで「反故紙サイン」にしている。 この「反故紙サイン」はホチキス止めしてある資料が不要になったら隅を ホチキス針ごと破いて除けばそのままサインになるので便利。 私の場合、反故紙は印刷には使わず、 主に筆算・式展開の計算やアイデアをまとめる一時的なメモのためだけに使う。 (本当のメモは計算機上にあるテキストファイルや TeX なので、 紙メモは最終的に計算機に落とされて短い時間で廃棄される運命にある。) こうしておくと、「反故紙サイン」が付いている紙で、プリンタ印字された面は 必ず無効になっていることが保証され、その反故紙では手書きの文字がある面だけを 見れば良いことになる。 また、人に渡す場合のほとんどはメールで渡せば済む。 こういう事情は他のオフィスワーカー一般には当て嵌らないのかもしれない。


2008年12月18日(木)

先日たまたま見た 『アルパカ見ると何でも許せる:アルファルファモザイク』 でひとしきり愉快な気分になった。 それを下敷として……。 今日見かけた アルパカビバップ。 笑い死にするかと思った。 今年一番笑った。

『ぼくは猟師になった』(千松信也)読了。 身内贔屓もあるだろうが、面白く読めた。 やっぱりちゃんと文章書ける人だな。 焼け跡で鹿パーティあったなあ、ああ、何もかもが皆懐かしい。

「お洒落とかわざわざしたくないという感覚」で思い出したのは、 『ときメモ』で顔面を鍛えたくなくていつもデートの相手に逃げられてたなあ、 ということ。 ビバ女々しい野郎どもの詩。 最初のデートで逃げ出さなかったヨメは詩織より確実にイイオンナだ。


2008年12月19日(金)

ヨメのつわりが本当大変。 そらまあ母体からすれば異物が体内にいるわけで、 正常な免疫系からすればそれは攻撃対象になってしまう。 だからある意味 免疫系を狂わせる必要があるわけで、 それは体調にも多分に影響を与えるもんだろう。 「にしてもこれはあまりにひどくないか。 内部的に免疫系の調整をしても、母体の調子が悪くならないように進化して 然るべきではないだろうか?」 とか思ったが、つわりには母体に妊娠したことを知らせる働きがあるのだと思った。 つわりがなければ母親は妊娠に気付かず無茶な運動とかをするかもしれない。 つわりの軽い人は流産し易くなってしまうとかの淘汰圧がかかるのかもしれない。

予定日決定。 丁度日本で日食が見られる日。 今からはわくわく月間。 しかしそれよりまずヨメの体調と精神が安定する日々が待ち遠しい。

昔流行った蓮コラ。 これがどのように気持ち悪いのか私にはサッパリ理解できなかったが、 身近の一人が蓮コラ苦手な人であることが発覚した。 どうも本能に近いところで生理的にダメだということらしい。

尻ポケットに財布を入れている。 財布はクリップ付きスプリングストラップでズボンに繋いでいる。 このストラップがいつも捻れる。 右回転と左回転との回転が均等ならばこの捻れはさほど溜まらない筈だが、 捻れの溜まり方を見ているとそうとは言えず、どちらかに回転し易いようだ。 この捻れの方向を観察したところ、 左手に財布を持って時計回り方向が優位であるようだ。 そう思って見れば成程、 時計回りには中指を曲げ親指を上に返す1アクションで財布を反転させることができるが、 反時計回りにはどうしても2アクション以上かかる。 ということで時計回りが優勢なのだろう。

レポート採点で死亡中。


2008年12月20日(土)

ちょっとしたメモをとりたいことがある。 勿論紙で書き留めれば良い程度のことなのだが、。 書き留めるべき事が2〜3行に達するならば PC で書いた方がラクという程度の分量。 キーボードから打ち込むにしても、普段数秒毎に上書き保存する習慣がついており、 エディタを起動しただけの状態では保存ファイル名が設定されておらず却って不便。 そういう状況を改善するために、「memo」コマンドで 年月日を示したファイル名を 設定してエディタを起動するようにした。

上記の memo コマンド を使ってみると、 メモファイルを作ってみたはいいが結局書くことはなく終了したり、 また別の箇所に内容を書き写したあと使用済みとなるファイルが生じたりする。 そういうファイルを捨てるのに、 「今のファイル名は実際は 20081220.txt だったから……」と ファイル名を確認するのは面倒。 なのでメモファイルを削除するコマンドもあわせて用意した。 レシピとしては、~/.zshrc に以下を記述

	  function memo() {vi `date "+%Y%m%d"`.txt}
	  function rmmemo() {rm `date "+%Y%m%d"`.txt}

2008年12月21日(日)

26:00 くらいまで脳の髄まで絞りきって仕事してると脳が痺れたようになる。 そういうときに脳の興奮を柔らげるために酒を使ったりしてた。 当然こんな時間にヨメが起きてるわけがないので、一人の寝酒だ。 酒を飲むとヨメが露骨に渋い顔をするので、ヨメがいる場ではあまり美味く飲めない。 ヨメが外泊するときに「羽を伸ばしてね」といったので 気持ち良く酒が飲めると思って冷凍庫に残っていた酒をやっつけた。 するとヨメ大激怒。 「自分の見てないところで飲むのが許せない」とのこと。 そんなわけで11月から禁酒の約束をすることになった。 やってみて一番堪えるのが母や姉、義兄との晩飯(ほぼ週一)で酒を飲めないこと。 気のおけない友人知人、家族と酒を酌み交わすということ自体が素敵な時間なんだと、 それをできなくなってから気付いた。 なんつーか心に潤いが不足してきた気がするが、約束だからこの1年は我慢しよう。 しかし今回の制約のおかげで、その時間の大事さに気付けて良かったと思う。

母が受けた肺癌の手術は、5年生存率が3割とかということらしい。 母の余命があと3年とかだとしたら、そのうちの1年は小さくない。 まあこんなこと言うと自分が酒飲みたいだけなのに 理由を他者に求めているだけだと見做されるだろうから言わないが。

くるみ割り人形のバレエ鑑賞。 本当はヨメと行く予定だったんだけど、ヨメがこの状況なので急遽ピンチヒッター姉。 カラフルなドレスとか、非日常感に心を遊ばせた。 十分に面白かった。 ヨメともまた今度行こう。


2008年12月22日(月)

Canon の営業が研究室に来た。 「プリンタを使わせてもらっている」という話をしたら、 「トナーはどうされてますか?」と訊かれた。 「リサイクルトナー(※他社製)とかを使用しています」と返答したら 実にブルーな表情をした。 考えたらプリンタ販売のビジネスモデルは、 本体価格の利益は薄く消耗品やサービスで利益を上げるわけで、 私のような戦略の消費者が増えるとメーカーは上がったりだ。 本体を開発・生産するという点にもっと敬意を表し、 Canon のトナーもたまには買うたらんとな。


2008年12月23日(火)

板書用の資材としては、黒板&チョーク と ホワイトボード&マーカーが一般的だ。 今迄教室では黒板&チョークばかりだったので、 何となくホワイトボード&マーカーの方が高級なのかと思っていた。 しかし使い勝手という観点では黒板&チョークの方が良さそうだ。 マーカーの太さはペンによって異なり、 細いものでは教室の後ろの方から文字が見えにくい。 薄くなったことに気付かずそのままついつい書いてしまったり、 あるいは貧乏性を発揮したりすると学生の利便性を損なってしまう。 マーカーは蓋をしなければならない。 ニオイに敏感な人はにおいが鼻につくし、 私のような貧乏性には蓋をしてない時間の分だけ残量が減るように感じてしまう。 その点チョークは短かくなっても一定の濃さ、太さで書けるし、 残量が一目瞭然でチョークそのものににおいはない。 チョークには指が汚れ、粉が飛ぶという欠点もあるが、 総合的にはチョークの方が優れていると私は思う。 黒板を叩くチョークの音や、チョークを滑らせた時の心地良い摩擦抵抗感も捨て難い。

丸一日以上かけて3次方程式の一般解法を追う。 が、教科書と結果が合わない。 そしてその段階でもう少し調べると物理では数値解で十分かつ有用だと分かって ガックリきた。 うん、確かに一般解を使っても複雑な形なので、 数値計算として誤差を小さく抑えるのに苦労しそうだ。

年賀状の図案完成。


2008年12月24日(水)

年度末に向けて物品購入関係でてんやわんや。 金主に対して何となく感じる責任感でついつい最善の買い物をしようとしてしまうが、 最善の買い物をするために時間を消費するよりも、 もっと適当に買い物をして研究本体に時間を費すべきだよなあ。

ヨメが音に敏感になっているので、ヨメが出勤した後に年賀状プリントアウト。


2008年12月25日(木)

研究室大掃除。


2008年12月26日(金)

研究で欠陥形成の勉強してるんだが、なんかよく混乱してなかなか進まない。

メシ作って食う→風呂→洗濯。


2008年12月27日(土)

つわりに苦しむヨメが義実家に帰る。 私は家で仕事とか年賀状を書き上げるとか。

私の実家で夕食を食わせてもらおうと連絡すると寿司食いに行くとのこと。 私の実家は明朗会計自分の分は自分持ち。 小遣い制のもとでは少し厳しいいがまあ仕方ない。 酒飲みてえなあと、 姉夫婦の飲むヒレ酒を指をくわえて見つつ思う。 そのあと家族カラオケ。


2008年12月28日(日)

布団干し、窓・網戸の掃除、掃除機かけを済ませて義実家へ電車で。 ノートPC 持って行って、電車で仕事、義実家で仕事。


2008年12月29日(月)

義実家では1泊だけして大阪に帰る。

高校の同窓連中と飲み。 「寮であんな好き放題やってて今の生活はさぞ窮屈だろう」と言われた。 寮外から見れば寮生活は好き勝手自由気儘我侭放題にやってるように見えるようだが、 下宿で一人暮らししてる方が何から何まで自分の好きにできるように私には思える。


2008年12月30日(火)

『ハチミツとクローバー』の映画のやつ。 仕事しながら倍速再生を横目に見た感じだが、結構良かった。 漫画は完結した筈だよな。 読みてえな。

ヨメ実家の家族を迎えて私実家で鍋→カラオケ。 両家族とも実によく楽しんでいたようだが、 ヨメがつわりダウンでずっと寝てたのだけが残念。 また何時かみんなで楽しめるといいな。


2008年12月31日(水)

姉夫婦、義実家の方々とともに早朝の黒門市場。 その後正月を義実家で過ごすヨメをつれて義実家の方々は帰っていった。 私は仕事や掃除を片付けるために残る。

夕食は私の実家で鍋。 牡蠣・河豚うめえ。 河豚用ポン酢うめえ。 最後の蕎麦が激うめえ。

正月に酒を飲む許可をヨメから確実にもらうため、今日は酒を我慢。


最新日記の各日付が当該月の日記へのリンクになっています。 さらに過去のものはトップページから辿れます。

| トップページ | bbs |