きづき(日記)

きづき、またかんがえたことをしるす (いっぺい)
Last modified : Sat Nov 01 13:44:53 +0900 2008

2008年11月01日(土)

「田舎では電柱が木製だ。だから材木屋の裏の顔が電柱組」 という視点を提示され、なるほどと思った。


2008年11月02日(日)

義実家と家族旅行。 抜けるような秋晴れ。 山歩き〜。 山歩き〜。 しかし諸事情により山歩けず。 まあ空気は美味かったし、かなりな写真日和だった。

和歌山県 勝浦の温泉ホテル(ホテル浦島)。 実に地の利を押えたホテルだと思った。 根本がくびれた小さな岬全体が個人の所有物で、そこに温泉が湧いている。 その岬は勝浦港と並んで位置しており船で数分の距離。 岬は陸地と地続きではあるが続いている部分が細いのと、 起伏が激しいのとで道はなく、まさに孤島状態。 そういうわけで船が正規ルートとなっている。 船で渡るというのがまた非日常へ渡る感覚で良い。 温泉自体は硫黄泉で、卵の腐ったような臭いがする。 それがなんか体に良さそうな気がするというのがまた不思議だ。 まあたぶん安心への信頼と体に良いという思い込みが根底にあるんだろうけれど。 ホテル内に浴場が7箇所あったが、どれも泉質は同じなので 無理に全部試すことはなかったかもしれん。 しかし洞窟内の露天風呂はなかなか雰囲気が良かった。

実姉が持たせてくれたニムトというゲームをヨメ、義母、義弟とプレイする。 簡単なルールのゲームなので手軽に盛り上がれた。 ありがとう、姉。 しかし、ニムトのカードは上下の認識がしにくいのが難点。 実に工学デザインセンスの欠けたデザインだ。 6, 8, 9, 0 の絡むカードは上下がほとんど分からんし、 1, 5 もあやしいかもしれん。 こんなん数字の足元に影を入れれば一発で上下が分かるのに。


2008年11月03日(月)

熊野の神社を幾つか巡る。 世界遺産だけあって、やっぱりお金がそれなりにある感じがする。 蕎麦が美味かった。

旅行の帰路。 姉から借りたマイクロソフトの入社面接試験の例題みたいな本で盛り上がる。 ああいう数理パズルの類って興味ない人は全然知らんねんなあ。 「1日で倍になる蓮の葉が60日で池を埋め尽くした時、 半分埋め尽くしたのは何日目でしょう?」 なんて、皆が小学校で知る問題だと思っていた。

右利きの人は風呂の洗面台の右に風呂桶がある方が、洗面器でお湯をすくい易い。 シャンプーで目をつぶっていることも多いだろうから特にそういう使い易さは配慮に値する。 私が今迄暮らした家では洗面台の右に風呂桶がある設計の家が多かった……、 と思ったのだが、私が物心ついたころの家は逆だったことを思い出した。 つかマンションだったら1軒おきに構造が反転するので 右が多いも左が多いもねえな。


2008年11月04日(火)

プログラミングで、今のところ自前で2階テンソルなクラスとかを作ってるんだが、 これ自前でやる必要ないだろう。 ということで lapack++ とかを試してみようとインストール中。 FreeBSD の ports に入っていたので試してみたが、入れられそうで入らない。 ごそごそやって、gcc4.2 を入れると何とか入った。 でもよく調べてみると、lapack は一般化された行列を使用するためのでゴツいものであり、 私の目的には 3行3列あれば事足りる。 また応力テンソルは 3行3列の配列となり 9つのデータを格納することになるが、 σxy = σyx、 σyz = σzy、 σzx = σxz、が等価になるので実質6つのデータ しかないのだが、このチェック機構が欲しい。 こういうことを他所のライブラリに追加するのは面倒だ、 つか私のスキルでできるか分からん。 ということを書きながら、アダプタパターンみたいなことをやれば良いのではないかと思い付いた。 いやしかしとりあえずプロトタイプは自作クラスでやってみて、 それから lapack++ を試した方が良いのかとグダグダ考えている。 日記に書いてみてもまとまらない例。


2008年11月05日(水)

知的財産権関係の学内セミナー。 官製の冊子4冊のうち3冊が漫画にページを割いていた。 講義自体は中の下くらい。 もっとポイントを絞って短くして欲しかった。

来年1月の大阪ハーフマラソンに申し込んでみたが、 決断が遅れたため申し込み時点で定員に達してしまい落選。 残念だがしゃあねえ、来年だ。 それでもとりあえず、夜、ヨメと走ることに。 それで思ったのだが、走り方にも上手い下手ってあるんだなあ、と。


2008年11月06日(木)

銀行とか生命保険とかの手続き。

ファインマン読んでる場合じゃねえ。 まずは本業の勉強からだ。

栓のされた瓶が2つあり、一方には純水が、他方には海水が入っている。 この栓を空けずに2つの瓶の中身を判別することは可能だろうか? 可能ならばその方法は?


2008年11月07日(金)

昨日の問題で想定した解答は、 「よく振ってみる。海水は泡がよく残るが、純水は泡があまり生じない」。 しかし、問題文は本来ならもうちょっと厳密にした方が良かった。 例えば、

この問題自体は以前から知っていたんだけど、 何故海水だと泡が消え難いかが不思議だった。 先日の指輪云々で m 氏から教えてもらったついでに、 石鹸水では表面張力が小さいため泡が消え難いのだと聞き、 これは海水でも表面張力が小さくなるからではないかと思ったわけだ。 Wikipedia によると 表面張力は不純物によって低下するため、 塩という不純物がある海水は表面張力が弱く、泡が消え易いののだろう。 ついでに、持ち歩いているウーロン茶で泡がようけ残るのも、 ビールの泡が消え難いのもそういうことだと思う。

さつまいものコロッケが美味かった。 思ったより甘味が前に出ないのな。

食った量=うまいと感じた程度という解釈をされることがあるが、 私の場合そういうつもりであることはほとんどない。 美味いか美味くないかと、食うべきか食うべからざるかは別の問題だ。 どんなに美味くても油が多いものや塩気が強いものは控えるべきだろう。 私は生活上の基本スタンスとしてカロリーを抑えようとしているので、 食わなくても寝るまで耐えられるならそこでやめようとしている。 それだけのこと。


2008年11月08日(土)

部屋におるときに防寒着を着るのを何となく面倒がってしまうことがある。 そうしていると次第に体温が下がり、眠くなって活動不能になってしまう。 日中の活動時間を最大化するために体温保持って大事なんだなあ、と。 ということで、はんてんラブな季節到来。

「頭の活動なんてのはつきつめれば化学反応である。 温度が高い方が化学反応は早く進行する。 よって、体温が高い方が頭の回転が速くなる」 という超理論の観点から見ても体温は高めで維持した方が良いと言える。


2008年11月09日(日)

新居の状況が落ち着いたので実家の方々をご招待&母の誕生日ということで ケーキでティーパーティ。

ジョギング。5.6km を 31分。

「気をつければ良い」と言われることがあるが、 「常に気をつけておく」というのは集中力を一部そちらに割くということで 精神的な負荷を上げ、仕事の効率が落ちる。 また人間のやることは絶対ではなくいつか失敗するかもしれないので、 原理的に失敗を無くす工夫にはそれなり以上の価値がある。


2008年11月10日(月)

私から私の母に送るメールに「お構いできませんで」とか、 「またお越し下さい」とかかしこまったことを書いてくれ、 とヨメは言うのだが、その辺どうなんだろう。 逆の立場で考えると、 ヨメがヨメの実母(義母)に送るメールにそういうことを書いた方が 良いということになると思うのだが、 ヨメ←→ヨメの実母の間にそういうかしこまった文が必要とは私には思えない。 もちろん私が義母に送ったり、ヨメが私の母に直接送るケース、 あるいは夫婦連名で送る場合などでは礼節を踏まえた文が必要だろうけれど。 実の親子間でのやりとりならそういうのはその当事者間に見合った文で 良いと私は思う。 それとも私に見えないところで、なんかあるのだろうか。 嫁姑問題はほとんど不可避的と聞くし、 こういう事にダンナは鈍いと相場が決まっているからなぁ。 たぶん何もないだろうが、何かあったらヨメ側に立ってやらんとあかんし。


2008年11月11日(火)

今迄風呂では洗髪→頭を流す→体を洗う→体を流すの順に洗っていたが、 これを体を洗う→洗髪→頭と体を流すの順にしたら効率的だと気付いた。 何ヶ月か前から風呂ハミガキもしていて、これも良いと思う。


2008年11月12日(水)

プログラミングの市民勉強会。 テーマは Dynamic Programing(DP) とか。 DP の定義はよくわからんかったけど、新しいことを知れたので良かった。

職場に液体窒素があってたまに余るからといって、 それでイボの治療を自分でするのはあまり普通ではないらしい。


2008年11月13日(木)

PiTaPa が壊れた。 改札で対応を尋ねたが、深夜ゆえ翌朝来てくれ、とのこと。 翌朝8:00前に改札に行くと、昨日聞いたその駅員がそこに居た。 『アンダーグラウンド』であったように、 深夜と早朝とそういうシフトで働いてるんだなあ、と妙に感動した。


2008年11月14日(金)

京都で小宴。 普通人に言わせると漫画は捨てるべきだ、と。 まあその気持ちは分かる。 正直捨てる準備はある。 (尤もスキャンしてからだが。) だがそれでも残しているのは、ヨメがいつか読んでみてくれたら嬉しいな、 と淡い期待を持っているからだ。 そういう気持ちがあったのだが、 ただそんなこと言うても「どうせ読まれへんて」と言われるのだろうと気付いたので 言わなかった。 まあそうなんだろうなあ。 その悲しい覚悟は徐々に受け容れていこう。


2008年11月15日(土)

ヨメと服を買いにバーゲンというものに行った。 高い。 いやモノの品質の割に安いんだろうけど。 ユニクラーの私としてはいつも1桁下のところでせめぎあっているわけで、 普段買っているものの 1桁上のものを見せられて「良いものでしょう?」と 言われても、「安い」と思えずどうしても顔がこわばってしまう。 喩えて言うなら、美味そうなキャベツを見せられて 「このキャベツで1000円は安いよね?」と言われてる感じ。 買ってくれるのは嬉しいけど、この辺の金銭感覚というものは 上書きするのにかなり努力を要する。 まあ頑張ろう。


2008年11月16日(日)

ここ数年の実家の恒例行事である柚胡椒作成。 100個の柚子の皮だけをすりおろし、 鷹の爪をコーヒーミル(唐辛子専用)で破砕して混ぜ合わせ、 チャック付きポリ袋に入れる。 前回は 柚子50個に対して 鷹の爪を25g 程度入れたのだが、 今回はその6割方程度で十分な辛さになったのでそこで止めた。 鍋やそうめんで活躍する予定。

バンコクのチャオプラヤ川で 灯籠を流すような恒例行事があったらしいと、テレビのニュース。

  • ニュースキャスター「自分の行いを川に流していました。」
  • ipp「上手いこと言うね」
  • 姉「水に流すというのは、バンコク共通なのかね」
  • ipp「これまた、上手いこと言うね」

  • 2008年11月17日(月)

    純水に塩化ナトリウムを溶かすと却って表面張力が強くなるらしい。 ということは純粋な塩水では泡は立ちにくくなる筈なので、 海水で泡が残り易いのは別の成分に因るのだろうか。 実験してみんとあかんかもなぁ。


    2008年11月18日(火)

    ある科目では「不正レポートは発覚し次第落第」と しっかりアナウンスされているのだが、 不正レポートが発見された。 本人らに問い、認めさせた。 絶対の正義が此方にあって完全に結論ありきの議論ができる場面なんて 社会では滅多にないよなあ。 こんなにラクチンなのかと何か新鮮だった。

    しかしまあ、今ここに自分の学生時代のレポートがあったら死にたくなるだろうなあ。


    2008年11月19日(水)

    東野圭吾『片想い』読了。 読み易く、そこそこ面白かったと思う。 (例えば森博嗣の作品にあるような)色気というのか、美しさというのか、 そういうのがなく淡々としている。 それが良いのかもしれないけれど。 工芸品的な、色々なエピソードが無駄なくピッタリと組み合わさる感じがした。

    『9マイルは遠すぎる』(ハリイ・ケメルマン)。 母のオススメだったので読んでみた。 表題作が白眉。 確かに新鮮で面白かった。 それ以外はストーリーに驚きがなく、主人公のニッキィに隙がなさすぎてイマイチ。

    任意のベクトルを直交なベクトルの組み合わせで表現できる。 関数の直交性というのが、 任意の関数を「直交」した複数の関数で表現するために そういうことをしているのだと先日ようやっと気付いた。 ビバ授業準備。


    2008年11月20日(木)

    野球でバッターボックスに立っている時の判断はかなり瞬間的だ。 投手が投げた一瞬後には ホームベース付近を通過するタイミングを球種、スピードなどから総合的に判断。 コースが内角ならばバットスイングは早めでミートポイントを前に。 コースが外角ならばバットスイングは遅めでミートポイントを後ろに。 ここまでが基本で私もできていたのだが、 ここから先の感覚も大打者になるには必要だったのかもしれん。 私なんかはどんな球でもフルスイングしていたのだが、 たとえば低めの球は長打になりにくいので、 低目の球は外野の前にポトリと落とすのも良いだろう。 打球の方向によってヒットになりやすいよう スイングを調節すべきなのかもしれない。 「そんなこと瞬間的に判断できるか!」とか思わんでもないが、 プロ野球選手とかいうバケモノどもの性能を見ていると そんなことを瞬間的に判断してるのだろうなと思う。


    2008年11月21日(金)

    英語を書く能力は、やっぱり英語を書かないと磨かれない。 書く能力を上げるために読むというのはあまりに非効率的だ。 だから読む時には読む能力を上げるためだけに読むことにする。 あと読み方にも2種類あって、精読するときと飛ばし読みするときと それぞれの読み方を意識した方が良いみたい。

    私の脳内で思考が言語化するのを無理矢理イメージ化すると、 光がサッと通ったあとに文字がじわじわ浮いてくる感じ。 神社に行ったら二拝二拍手一礼したあと、そういう文字になる前の思考でお祈りしている。 言語化したところで内容は同じだ。 どうせ口に出さず心の中でお願いするのだし、 神様なら言語化する前の思考で通じてもおかしくないだろう。 だから早い。 そういう姿を見てヨメは「しっかりお祈りしなさい」と言うわけだが。

    英語で思考してみようとしても何も浮かんでこない。 言語化する前の思考の塊がどこにも見当たらない。 しかしどこかにある筈だ。 日本語で考えようとし、日本語文字列になる直前の状態を 探ってみようとしても上手くいかない。 先は長い。


    2008年11月22日(土)

    熊取に出張。 ここんところ仕事がベリーハードで日記を書けてなかったのだが。 往復の快速列車の中で座れてまとまった時間が取れたので 丁度そういうことができた。 ネットは繋げないけど、結構快適。

    結婚式って、今思えば夢のような時間だった気がする。


    2008年11月23日(日)

    先週中という仕事があったが終わってない。 すなわち俺が終わってる。

    夢で走っても前に進まないのって、脳の処理速度が遅いからじゃなかろうか。 走ってる時の視界ってめまぐるしく変わるけど、 眠ってるときの低スペック脳ではそういう状況は扱えないとか、そんな。

    寝るときに目をつぶること、騒がしい環境では眠り難いこと。 脳は感覚を感じるのにも一定の処理能力を使っていると考えると、 これらの刺激は脳を活動を強いるため眠れなくなるのかもしれん。


    2008年11月24日(月)

    私が女性だったとする。

    1. 胎児に対する薬の影響について全く無知だったとすると、 私は薬を飲むことを躊躇わないだろう。
    2. もうちょっと知識があるならば、胎児に影響があったら恐いと思うが どの薬が影響を与えるか分からないので一切薬は飲まない。
    3. さらにもうちょっと知識があるならば、 「この薬は影響がない」などと判断して薬を飲むかもしれない。
    4. もっと知識のある人は、どんな薬でも影響はゼロではないことを知っているので 一切薬は飲まない。

    専門の医者なんかは 上記 4. の立場を取り、妊婦には一切薬を勧めないらしい。 今の私は 2. だが、中途半端に知識をかじると 3. になってしまいそう。 生半可な知識は却って危険であるという事例といえそう。

    女性は妊娠すると一切薬を飲めない/飲まないというのは常識だと思っていたが、 そうでない人もいるらしく少々ショックだった。 でもまあ考えてみれば男性が最初から父親ではないのと同様、 女性も最初から母親ではない。 子供ができることによって徐々に親になっていくのだ。

    一日中仕事。 28:00 までかかった。


    2008年11月25日(火)

    この日記の良いところは簡潔なところらしい。 まあ同じ内容なら長ったらしい文章なんて読みたかねえなわな。

    年賀状のネタを思い付く。


    2008年11月26日(水)

    仕事でひぃひぃ言うてる横での BGV(Back Ground Video)。 『茄子アンダルシアの夏』 山田くんとかと同系統のジブリの習作っぽいのだが、自転車いいなあ。

    『さらば銀河鉄道999』。 仕事しながらナナメに見てただけなんでよく分からなかったけど、 なんかムリヤリ収束させようとしたことは分かった。


    2008年11月27日(木)

    2台持ってる Libretto L1 のうちの1台が死にそう。 HDD に不良セクタが発生っぽい。 諦めて買うかあ。 でも根が貧乏性なもんでちょっと手を加えれば使える状態にあるものが そこにあるのに新品を購入するのは抵抗がある。 よく考えたら私は計算で研究をしているということもあり、 研究費でノートPC を買うのは妥当な立場にいる。 普通に出張で使ったりするしな。 まあそれは選択肢の一つに入れつつ、 Libretto を研究室に寄贈し、 ノート用 HDD を単体で研究費で購入して Libretto を 復活させるというのもとてもアリだな。

    FireFox3 を FreeBSD にインストール。 何度か試したことがあるけど、サブプログラムの依存性の問題などで いつも失敗していた。 今回教えてもらった portsnap での ports の更新、 エラーが出たらその ports をアップグレードという手段でインストールできた。 FreeBSD でグラフィカルにウェブブラウズするなんて netscape 4 以来だから7年振りくらい? 随分懐かしく、新鮮な感覚だ。


    2008年11月28日(金)

    約束というものを私は重く考えている。 そう考えているからこそ、安易に相手に押し付けることができない。 約束を相手に無理矢理押し付けることができる人は、 その重さを本当に理解していないのではなかろうか。 私が相手に約束をさせるとき、情報を完全に提示し、 相手に選択の時間を与え、選択肢を与えようとする。 脅し、迫っての「約束しないことを許さない」という一択には しないよう気を配る。 まあそういう強制の下で結ばれた約束でも、 反故したら反故した方が悪いんだけどな。

    ヨメは口が上手い。 自分の有利な方に議論を誘導するのが上手いと思う。 その方向に関する頭の回転は私よりも間違いなく速く、 だから口論で私はヨメにかなわない。 しかし しばしば私は心の底から納得できず、 後からじっくり考えるとヨメの論理には無理があったりする。 そういう時は最高にストレスだ。 おかしかったところを改めて指摘しても、 ヨメ的には終わった議論だからヨメは最高に不機嫌な顔をする。 「なんで終わった議論を蒸し返すの?」と。 だから私が肚に溜めこむしかない。 最初に話をしたその場で思い付けなかったこと・言えなかったことは、 この世に存在してはいけないのだろう。

    たぶん、議論に求めるものの方向性が違う。 ヨメは自分の考えで相手を説得するために議論をする。 私の議論もそういう面を持つこともあるが、 基本的には両者の意見から最善の方策を見出すために議論を使用する。 私のような議論の使い方をする方が世間的には少数派であり ヨメのような人の方が普通だとは思う。 しかし後者の場合、結論を出すことや相手の譲歩を引き出すことが議論の目的に なってしまい、相手を納得させることが目的とはならない。 無理に急いで結論を出そうとしたり 相手を説得しようとするから相手にストレスをかけるということになるのだろう。 ヨメは(ヨメに言わせると「女の人は」)せっかちなところがあるから、 そういうところに起因するのかもしれない。

    相手にストレスをかけて性急に結論を出すくらいなら、 お互い納得できることをゆっくり探った方が良い。 私はそう思う。 急いで、無理矢理形にはめて約束を強要すれば歪みが生じる。 応力(stress)がかかって積み木が壊れたとき、それは積み木が悪いのだろうか? 無理矢理押し込んだ人に一切の非はないのだろうか?

    「男が/女が」という言い方は嫌いだが、 こういうのは典型的な夫婦喧嘩なんだろなあ。

    「結婚してこのかた喧嘩したことない」と豪語する人と話をしたことがあるが、 それは一体どういうことだろう。 本当にお互いに思い遣りゆずり合ってやっていけてるのか、 お互い踏み込めていないのか、 片方が諦めているのか。 「言葉通りに仲が良い」以外にも、幾らでも可能性はある。


    2008年11月29日(土)

    ここんところターミナルの開始と終了で 10秒前後と妙に時間がかかっていたのだが、 原因は予想通りヒストリファイルの肥大化だった。 ~/.zshrc で HISTSIZE=1000000 → 100000、SAVEHIST=1000000 → 100000 にすると快適になった。

    今迄頑なに 80x24 文字ターミナルを守っていたのだが、 1280x1024 pixel ディスプレイでは画面を有効利用できていないので、 ~/.mlterm/main に「geometry = 89x33」と記述して、 icewm の画面を4分割できるサイズ(89x33 文字)に修正。 広い広い、快適快適。


    2008年11月30日(日)

    猟師を扱ったテレビ番組。 ノウハウとかが面白かった。 本は読まずに貸したままだが、取り返して読もう。

    姉夫婦んところも、姉がダンナに服を買おうとするもダンナは不要と言うらしい。 男性でも服にこだわる人はいるだろうが、私がいる世界は概ね服がどうというより 中身がどうかで決まる世界だ。 私の尊敬する人達は服の善し悪しで他人を嘲笑ったりはしないと思う。 それでも女性が男性に服を良い着せるのは何故かというと、 所謂良くない服を着た男性を見た女性が 「ダンナにあんな服を着させて恥ずかしくないのかしら」 と嫁を低く評価したり噂するからではなかろうか。 想像にしか過ぎないのだが、女社会の方が男社会よりずっとドロドロしているイメージ。 女社会の評価のために我々は服を着させられている気がする。 だからたぶん、私のためではなくヨメのため。 ヨメのためにヨメが金を使う。 最初からそう言ってくれれば、私はもうちょっと割切って頑張れると思う。

    世間的には「一国一城の主」とかいう表現があるので、 家を買うというのは主に男性が持つ夢だと思っていた。 でも一箇所に落ち着きたいというのはどちらかというと女性に強い意識である 気がしてきた。 家の本当の主は主婦だし、女性の方が安定指向は強いだろう。 専業主婦は一日の大半を家で過ごすわけで、 そうであるならば特に持ち家への欲求も強くなりそうに思う。

    なお、私には家を所有したいという欲求がほとんどない。 それは任地が変わりうるという職業柄から、 家を持っても転勤によってそこに住めなくなるかもしれんという 意識のあらわれかもしれん。


    最新日記の各日付が当該月の日記へのリンクになっています。 さらに過去のものはトップページから辿れます。

    | トップページ | bbs |