きづき(日記)

きづき、またかんがえたことをしるす (いっぺい)
Last modified : Thu Oct 23 21:38:59 +0900 2008

2008年10月01日(水)

犬が一匹、ワゴン車の中で寝ていた。 餌が盛ってあったりと長時間そこに居させることを前提とした感じだった。 一歩引いて見ると、車はペリカン便のワゴン車だった。 配達中の盗難対策に留守番犬にしているのだろうか。

PCキーボードのブラインドタッチではホームポジションから 目的のキーを打つのが基本だが、 携帯入力では指が1本であるため、現在位置と目的位置との 座標差を意識することが肝要なのだな。

たとえば一羽の百舌鳥を助けたとする。 その百舌鳥が自然にかえり、そして蛙を殺すかもしれない。 その時私は、間接的に蛙を殺したことにならないだろうか。


2008年10月02日(木)

自分だけは詐欺に引っ掛からない、宗教に引っ掛からない。 あんなのに引っ掛かるのは注意力のない奴だけだ。 自分は違う。

世の多くの人がそう思い込んでいるが、 詐欺に引っ掛かる人もそれ以前はそう思っていたのだ。 インタビューとかでよくあるじゃないか。 「まさか自分が引っ掛かるとは思ってなかった」。 だから、私もこれらに引っ掛る可能性があると思っている。 世帯の金を誰かが全部引き出しうる状況は リスク管理の点で劣ると思う。 この辺、一元管理による効率化とトレードオフになるかもしれない。

「自分の理屈だけで世間が通るわけがない」と言われることがあるが、 そんなの言われる間でもなく当然だ。 私は世界や人が在るその在り方をそのまま受け止める。 あるいはそう努めている。 受け止めた上で世界の在り方を理解するためのツールが理屈であり、 理屈は世界や人をそこにあてはめる杓子定規ではない。

「理屈なんかない」というのは自分の理屈で理解できないということ。 その人なりの理屈はある。


2008年10月03日(金)

2つの組織を統合し、負担の不均衡を無くした。 私は最終委員長としての職務を全うし、新しい組織の副委員長に仕事を引き継いだ。 実に達成感と解放感。

「唐辛子は血圧を上げるので体に良くない」と言われた。 塩分は聞いたことがあるが、香辛料についてそういうことは聞いたことがないので 調べてみた。 教えて、グーグル先生! グーグル先生によると、どうやら唐辛子には血管拡張作用があり、 血圧が一時的に上がるとのこと。 確かに体がポカポカして汗が出るんだからそうなのだろうと取り敢えず納得した。 しかし永続的な効果はなさそうな感じ。

ついでに塩分について調べてみた。 塩分によって血圧が上がるメカニズムは、 実は科学的にはよく分かっていないらしい。 見つけた中でとりあえず納得した理屈は以下。

こう考えると、唐辛子は血圧に直接悪影響を及ぼすナトリウムを含まないし、 さらにナトリウムによる「欠陥を収縮」と逆の効果を持ちうる。 しかしなあ、 「唐辛子には血管拡張作用があり、血圧が一時的に上がるとのこと。」 という情報と矛盾する気がする。 ネット検索程度の調査ではこの辺が限度か。

2008年10月04日(土)

「金を残すのは下、 仕事を残すのは中、 人を残すのは上。」

先日たまたまテレビ見かけた言葉。 調べてみると戦前に内務大臣や東京市長を務めた後藤新平氏の言葉だそうで。 「仕事」は建物のことらしい。 全くその通りだと思う。 私にとっては、立派な家を建てるより、 子供をしっかり育てることが人生の目標として大きい。 勿論、その両者は両立できないことではないので家も建てられたら良いとは思うが。 あと子供に金は残さなくても良いと思う。 子孫の為に美田を残さず。


2008年10月05日(日)

実に久々にカレーを作る。 寮の友人やそのブログ、ビィヤントのカレーと「今日のカレーには……」札なんかから 美味しそうなところを色々取り入れて工夫を重ねてきた。 家族とかには概ね好評。 私式レシピを公開してみよう。 量とかは適当に。 「こうしたら美味くなる」みたいなコメントを頂けたら幸甚。

	  curry いっぺー式
	      大豆、チャナ豆、レンズ豆を適量、半日程度水につけておく
	      玉葱を細かく刻み、炒める
	          きつね色という生易しいものではなく、こげ茶色になるまで
	          この行程でこげの香り、香ばしさが生まれる
	      # ウバザメ式: クミンシードと八角を焦げるまで油で熱してぶちこむ
	      炒めた玉葱を少なめに水を張った鍋に入れて煮る
	      水で戻した豆を煮鍋に投入。
	      きのこ(まいたけ、しめじ等)を煮鍋に投入
	      にんにくを2〜3かけをスライスし、軽く炒めて煮鍋に投入
	      にんにく1個、しょうがをすりおろし、煮鍋に投入
	      にんじん、じゃがいもを乱切りにして炒める
	      じゃがいも1個をすりおろし、煮鍋にいれる。
	          #ただし、ドロドロして焦げつき易くなるので注意
	      肉を炒めて投入
	          牛でも豚でも好きなように。
	          焦げ目が香ばしさを生むので、やや強めに炒める
	      根菜投入
	          タケノコ、ゴボウ、蓮根など
	          スーパーに売ってる筑前煮の具を投入するのが便利
	          (ただし、こんにゃくは除く)
	          あと冷蔵庫の中の物を適当に。大根や茄子があれば適量入れる。
	      トマト缶
	          トマトを湯剥きしてもいいが、面倒なので缶詰め
	          カゴメのソース用味付きトマト缶をよく用いる
	      カレールー投入
	          別種のカレールーを半分ずつ入れる
	          グリコの絶品シリーズが美味い。
	          辛口と中辛とか、別種のルーをまぜるとか適当に
	      トマトベース野菜ジュース
	      ワインビネガー or リンゴ酢
	          酸味はカレーを美味くする重要な味覚
	          だけど、過剰投与はかなりヤバいので少なめを意識して
	      豆腐。ヘルシーなタンパク源
	      醤油。イマイチ味が分かるまで入れたことないんだけど、どうなんだろう
	      ローレル

2008年10月06日(月)

3次元空間内の1次元構造がお互いを切り合うかどうかという問題を 計算機的にどう処理するかで悩んでいる。 衝突判定というのと同様の問題だと思うが、 さらに結び目理論(?)のような取扱いも必要になる。 どうしたものだろうか。


2008年10月07日(火)

愛妻弁当という奴。 塩辛のおにぎりというのは母の作る弁当になかったので、正直驚いた。 最初は首をかしげたが、数日食うと慣れて美味く感じるようになってきた。 おそらくこれも塩昆布と同じく旨味のかたまりで、 美味いと感じるまでにトレーニングが必要な食材なんだろう。

五感というが、三半規管による平衡感覚はこれに入らない気がする。


2008年10月08日(水)

実験装置の送付のためにダンボールで梱包する仕事。 定形のダンボールで入らないサイズだったので、 コーナンでかなり大きなダンボールをもらってきて色々工夫。 結論。 なんとか上手く押し込めようとか考えずに、 何も考えずに切り貼りして作った方が早い。


2008年10月09日(木)

最近、桁数区切りのカンマが3桁単位なのが気に食わなくて仕方ない。 日本は万進法なので4桁じゃないと不便だろ。


2008年10月10日(金)

母の病状は完全に安定したっぽい。 有難いことだ。 これからも毎月とか検査するので暫くは大丈夫だろう。 そうであることを願う。

知り合いに、半年間の手当ての甲斐なく父を亡くされた方がいる。 既にそういう事態になっていた未来もあったのだなあ、と。


2008年10月11日(土)

二人で対話している間で誤解が生じたとき、言った方が悪いのだろうか? 聞いた方が悪いのだろうか? 「自分は悪くなかった」と人は思いたがる。 自分が話した方なら「聞き手が悪かった」と思うし、 自分が聞いた方なら「話し手が悪かった」と思うものだ。 真実は一つだ。 だが事実は人の数だけある。

「真実ってやつは、誕生日と同じだよ。個人にひとつずつあるんだ。 事実と一致しないからといって、嘘だとは言いきれないね。」 (『銀河英雄伝説』より)
人間の記憶はアテにならないものだ、 自分の記憶もアテにならないのだ。 それが分かっている人間はそれほど多くない。

「工科系の大学で JIS もないのか」と非難されたりするらしい。 私は JIS を殆ど使用しないし、 JIS を使用しない工学分野は多々あると思う。 そんな決め付けで話をしないで欲しい。 そんなこと言って非難する奴は放っておけば良いと思う。

ヨメの実家へ。


2008年10月12日(日)

極楽山浄土寺。 夏至の西日が仏像の真後ろから差し込むように設計されているとのこと。 今は夏至とは時期が異なるがそれなりに良い調光で、 座ってじっと見ている間に雲間から太陽が覗いてお堂全体がパァーッと 明るくなっていく様いとおかしき。

畑をかじく。 「かじく」というのは土地の言葉で「耕す」こと。 鍬の使い方を少し覚えた。 備中鍬はすごいと感動した。 日本史の教科書に中近世の発明品として載っていたのを覚えているが、 たしかにこれは効率的に耕せる。 一枚刃の鍬に比べ、刃先が土に当たる面積が少ないため小さな力で深くまで差し込めるし、 土を起こす時も歯の間から土が逃げることができるので少ない力で起こすことができる。

耕すというのは、土中に空気を送り嫌気性細菌を減らしたり、 窒素を含ませたり、水が浸透する経路を作り、また根を張り易くする という意味があるのだと思うがどうだろう。


2008年10月13日(月)

バジル、イタリアンバジル、大根などを植える。 次に来る時が楽しみだ。

カラオケ。その前に飲みすぎてて醜態を晒した気が……。 歌う機会が激減したせいか、最近上手く声が出ない。


2008年10月14日(火)

「しゃあない」というのは責めの言葉ではなく、事実を受け容れゆるす寛容の言葉だと思う。

デジカメでぽちぽち写真を撮り続けているが、 本当に個人で楽しむだけの状態になっている。 私にとってカメラは遊ぶためのものであり、 高価なものだからと押入に大事にしまっておくために買ったのではない。 しかし対外的なアウトプットがないために、 「写真を撮るという行為をどれだけ大事にしているか」ということを 示せていないのだということに気付いた。 ブログスペースでも借りるかなあ、と考え、 次に mixi をその用途に使えば良いのだと思い付いた。 そのうち、そういうことをするかもしれん。

AがBに「カメラを持って行くと壊れるかもしれんよ」忠告したとする。 その結果壊れると A は「ほれ見ろ。壊れただろう」、 壊れなければ「今回はたまたま壊れなかっただけだ」と言うだろう。 でも逆の立場から見れば、 壊れると B は「今回はたまたま壊れただけだ」と言うことができるし、 壊れなければ「ほれ見ろ。壊れなかった」と言うことができる。 結局のところ確率的事象の問題で、ギャンブルにすぎない。 両者の間にはどの立場に立ってどちらに賭けるかの違いしかない。


2008年10月15日(水)

大学の図書館で借りた『コードコンプリート』を読書中。 いいこと書いてあるけど冗長な情報が多いので、 飛ばし読みスキルを磨いてみようと思った。 いや本当に良いこと書いてあるんだけど。

真のバカでも使えるものを設計しようとして人々がよくやるミスは、 真のバカのバカさ加減を過小評価することだ (Douglas Adams, 『コードリーディング』の章の頭の一言)

実に課長バカ一代だ。


2008年10月16日(木)

多くの C/C++ の入門書は言語の機能を一通り全て説明しようとしすぎているように思える。 あまり使わない、使うべきではない機能はばっさり削除して、 最低限必要なワンセットを絞って提供する本はないものか。 ループは while だけ、条件分岐は if だけ、ポインタは存在すら言わないとか。 初心者には選択肢があればあるだけ、どれを選ぶべきか迷う。 愚直でも最低限一通り動かせるようになるのが最優先だろう。 その次はコーディングスタイルだ。 コーディングスタイルを教える本はどれも中級書っぽいんだよな。 あと、クラスごとにファイルを分けて、分割コンパイルをする作法とか。

やはり、『入門 Perl』はすごかったと思う。 Perl のとっつき易さもあるけれど、あの本のとっつき易さが私を プログラマ的にした第一歩だったと思う。 今現在 C 言語を学生に教えているが、C の前にあの本で Perl を教えたいとすら思う。


2008年10月17日(金)

某勉強会のあとの食事会。 梅田の第一ビル地下とか辺りを初めて歩いた。 21:00 過ぎと時間的に勤め人がいなくなる頃で人もまばら。 「Wizardry のダンジョンってこんな感じかなあ」と思わせられた。 左右幅が 10m 前後で3人が横に並んで剣を振えば、敵の後衛へのアクセスを妨害できる感じ。 道はまっすぐで商店の横幅がおよそ道幅と同じくらいなので、 正方形のブロックでダンジョンが構成されている感覚。 もし人間が絶滅したら。 中性子爆弾で人だけがいなくなったら。 今の文明と連続性がない知的生命体がこのダンジョンを見つけたならば、 彼らはどんな感覚を抱くだろうか。 想像すると結構ゾクゾクする。

死ぬほど卒論生の文書校正。 他の仕事が進まない。

C++ で関数にオブジェクトを渡すときには通常ポインタで渡されるということを教わった。 また「オブジェクト間の関連はポインタとして保持する」らしい。 そういえば昔読んだ本にそう書いてあったな。 「あるオブジェクトが他のオブジェクトと関連を持つ時、 どちらかがどちらかを実体として保持することしかない」ように私は思っていたため、 ポインタで保持するという感覚に慣れない。 これはオブジェクト指向プログラミングを Ruby でしかしていなかったためだろう。 「ポインタで保持するということは、 実体が別の箇所にグローバルっぽく置かれているということか?」 とか色々浅慮を重ねていたのだが、その時急に、 new、delete の機能、コンストラクタ、デストラクタの仕組みなどの知識が 一気に全部繋がった。 実に爽快な気分。 最高に『ハイ!』ってやつだ。


2008年10月18日(土) 「たびにやみ ゆめはかれのを かけめぐる うぼあ」

セルロースはとにかく水に分解されにくいとのこと。 そこでふと、だからこそ古紙は再生できるのか、と思い至った。

自立した大人なら、どのような状況に置かれてもそれなりに対処できるだろう。 だから私は「大丈夫か?」とはあまり聞かない。 逆に、聞かれると相手に気を使わせたようで 私は申し訳なく思ってしまう。 しかし「大丈夫か」と聞かれたら、女性は嬉しいものらしい。


2008年10月19日(日)

日帰り京都旅行。 丁度観光シーズンに入っていたこともあり、 竜安寺の石庭はにぎわいを見せていた。 少し残念。 あそこはもっと人が少ない時を狙って行かなければ。 そして暑い時より寒い時の方が雰囲気が良いような気がする。 仁和寺の宝殿。 仏像がいい、というか、置かれている静謐な空間が実に良い。 妙心寺は寺町というか、複数の寺の集合体らしい。 そのそれぞれが観光に開放してたりしてなかったりするらしいが、 今日は町の祭とかち合ったためか空いている寺が殆どなかった。 しかも歩いているうちにヨメの体力が尽きてしまい時間切れ。 竜安寺前の漬物屋で漬物を買って帰った。 美味かった。

「料理を作ってくれたことに感謝する」ということと、 「作ってくれた料理が美味い」ということとは別個の情報だ。 だから「作ってくれてありがとう。でもここはこうしてくれた方が美味しいかも」 とか言いたくなるが、上手く言わないと楽しい食卓が冷戦の舞台となってしまう。 これ、豆知識な。 たぶん「感謝ベクトルと、美味ベクトル」の独立した情報として 処理されているのではなく、 「美味しい=ありがとう」と同一の情報として処理されているのだろう。 そう受け取られるならばこちらもそのように発言すべきだ。 それが最も伝えたい意図に近い発言なのだから。 いやヨメが作る料理が不味いわけでは決してなく十分以上に美味いわけだが、 魚の臭みを消すために醤油を少し垂らすとか、 色彩と香りのためにスープにパセリを散らすとかそういう話。 なお私が作った場合は 今後相手により一層喜んでもらうために、 具体的な助言なら積極的にもらいたいと思っている。


2008年10月20日(月)

プライドってつまらないよなあ、とか思う。 相手を一段下に置いてしまってその人が言うことは何も受け容れないとか。 特に学者なんかやってると学生からでも学ぶべきことは多々あるわけで、 愚者の一言からも学べる姿勢を持ちたいと思う。


2008年10月21日(火)

C言語を教える授業があるのだが、 テキストは別の教員が作ったもの。 色々と教えるべき順序やポイントが違うだろうと思う部分や、 不親切だと思う部分、サンプルコードが少ないだろうという部分が散見される。 自分でテキスト作って授業したい……。


2008年10月22日(水)

ぼくのなつやすみ 8月32日バグ。 何て詩的で素敵なバグなんだろう。

実家の猫は臆病で馬鹿で我侭だったのだが、 新しく子猫が来て暫く経ったら妙に大人になった。 他者との関係によって自身の立場を再構築したのだろう。 猫同士で遊び相手にもなるし、 猫は複数匹同時に飼うべきかもしれない。

組織に新人が入らなければ、彼はいつまでの新米のまま成長しないかもしれない。 私も学生に教えるという立場になってから、何かが変わった気がする。

他者との関係がなければ、人間も獣のままなのかもしれない。


2008年10月23日(木)

車の助手席の人が運転者に行う働きかけは、おおまかに以下の3段階に分類できると思った。

  1. 情報「信号青になったよ」「制限速度は40kmだよ。ちょっと速いんじゃないかな」
  2. 提案「発進したら?」「スピード落とした方が良いよ」
  3. 命令「モタモタせんと発進しないとダメ」「スピード出しちゃダメ。落としなさい」

運転者やその行動によるが、 私が助手席に乗るときは 1 で言うことがほとんどで、たまに2といった感じ。 基本的には運転者の判断に任せているが、 運転者の2つの目だけでは周囲の状況把握が足りないこともあるかもしれないので、 「気付いてないかも」といったことだけを言う。 あくまで判断は運転者だがするべきだ。 信号が青だからといってすぐに発進しなければならないわけではない。 助手席から見ているたった2つの目では気付いていない何かに気付いているかもしれない。 運転者に情報だけ提供し、判断は運転者に任せる。 多くの場合、それが一番事故を少なくすると私は思う。 「運転してる時にごちゃごちゃ言われたくない」と言う人もいる。 その人はこちらが情報として言っていることを命令として聞いているっぽい。 私が運転している時にその人が命令っぽい口調で言ったことについて後で聞いてみると、 提案のつもりだったことが分かった。 この領域の脳内の分解能は、私の方が細かいのだろう。 あるいは、私は言葉にこだわりすぎなのだろうなあ。 こんな分析をするあたり、私はかなりやりすぎだ。

『コードコンプリート』下巻に「科学的なデバッグ」という概念が示されていた。 確かにエラーの再現と原因の特定には科学的手法と似た手順が用いられる。 そう考えると、その手順自体も一定の最適戦略が立てられるということかもしれん。


2008年10月24日(金)

部屋で日記書いてる私を見て、ヨメが言った。 「可愛くて美人で料理が上手いと書いといてね」。 うん、条件は満足したし、嘘は言ってない。


2008年10月25日(土)

お仕事で出勤。

ファインマン物理学か。読んでみよう。 勿論英語で。 ただ英語で読むとなるとそれなり以上に時間がかかるので 図書館から借りてもすぐ時間切れになりそう。 でもまあとりあえず借りてみようか。

今迄プログラミングのインデントを盲信的に厳密にやっていたが、 こういうスタイルを取っていると 「インデント自体に構造情報を持たせればいいじゃん」 という Python がかなり魅力的に見える。 それに「同じ目的を持つコードは自然と類似する」というのも 工学屋としてポイント高い。 暇ができたら一度見てみようと思う。 さすがに今の俺だったら言語の概要くらいは 1〜2日で押さえられるだろう。

しかしインデントってあまり厳密にやる必要ないよなあ、とさらに最近思い始めた。 機械的にやって厳密で美しいより、 人間にとって見易くなるのが余程優先されるべきだろう。 例えば長い引数リストを取る関数では引数で揃えたりとか、 長い演算式で途中で改行するときは式要素で揃えたりとか。 そう考えると C/C++ や Ruby のようにインデントを人間の匙加減でいじれるのは その利点であり、それを積極的に利用すべきだ。


2008年10月26日(日) 「ピィーーギャーウィンウィンウィン、ペーギャーーー」

ダイヤルアップ接続というものを久々に義実家で体験した。 Gimp の15MB をダウンロードするのに30分とか。 ああ、何もかもが懐しい。

Gimp でのプリントアウトは何かと鬼門だったことを忘れてた。 Windows の写真ビューワが結構使えたのが嬉しい誤算。

バジルがいい匂い。 俺、たぶんかなり、畑が好きだ。


2008年10月27日(月)

俺がいても全然役に立たないあまりに退屈な会議。 なんか色々消耗する。

中間発表打ち上げで、結婚したことを公式に報告。

あー、アニソンカラオケ行きてえ。


2008年10月28日(火)

石鹸で潤滑性が上がるのは、ミセルになって厚さ方向につぶれにくくなるからだろうか。 粘度が上がり、皮膜が壊れ難くなるからだろうか。 なんとなく後者な気がする。 前者の説明は無理がありそうだ。

2ch だったか発言小町だったかで見た意見だが、 「女性には一日の発言ノルマがあって、それを満たすために マシンガンのように喋る」というのがあった。 勿論「ノルマ」は比喩的表現だが、なかなか的を射たもののように感じる。 ヨメの言うことに「前聞いたことと同じだなあ」と思うこともあるが、 でもまあ聞いたらんとストレスがたまるんだろう。 それを聞くのが夫の務めと心得た。


2008年10月29日(水)

電子顕微鏡観察には液体窒素を汲んで来て使う。 大抵少し余るので、学生が観察した後余った場合は声をかけてもらうように根回ししておいた。 何に使うのか? 液体窒素は手指のイボの治療に良いのだ。 小学生の頃にかかった皮膚科のお医者さんの治療法なのだが、 大学の学部生時代に素人ながら同様にやってみたら結構上手くいった。 あれから10年経ってまたイボが幾つか顔を出してきているので またやってみた。 液体窒素をつけた綿棒を皮膚に押し付けるわけだが、やっぱり痛え。 しかし聞くところによると痛覚の総量は一定以下らしいので、 一箇所ずつ複数回やるよりも、多数の箇所を一度にやる方が 脳が知覚する痛覚の総量はきっと少なかろう。 またどっちにしろ、痛みによって集中力に割り込みがかかるのは 痛みの箇所の数に依らん。

皮膚に液体窒素つき綿棒を押し付けてる間は激しく痛い。 しかし一歩引いて痛みという感覚を客観的な立場から 観察してみるという姿勢を持ってみると、 かなり耐え易いということに気付いた。

2ヶ月近く遅れていた日記がようやく追い付いたので記録。


2008年10月30日(木)

『ツクモ電気が民事再生 九十九電機,民事再生手続きを申し立て。事実上の破綻か』。 うわお。 ツクモがつぶれるとキツいなあ。 ツクモに比べるとコン房とかは高い、遅い、拙(マズ)いの三拍子揃ってるので使えない。 拙いというのは書類作成能力が低いことで、 科研費で宛名が違うと言うてるのに別の宛名書いたり、 電話番号に私の内線番号を入れたりと滅茶苦茶しよる。 ツクモがなんとか復活することを祈るばかり。

ソフトボールで満塁ホームラン。 でも俺の身体能力なら本当は全打席ホームランとかできて然るべきなんだよな。 それが出来ないのは判断力が弱いから。 打ち易い球をじっくり待つべきなのに、それができずに難しい球を打ち急ぐから。 今日、バッターボックスに入っている間の自分の精神状況を観察してみて、 追い込まれるのが嫌という気持ちもあるが、 純粋に時間の問題として早く打ってしまって落ち着きたい気持ちで一杯なことが分かった。 次の機会には結果を最良にするためにどうすべきかを強く意識してみよう。

英語を小学生から学ぶべきという意見にはずっと否定的だったのだが、 最近その考えを改めつつある。 日本が技術・産業で生き残るためにはやはり英語が必須だろう。 口頭でコミュニケーションする能力までは必要ではなくても、 文献、ネット情報くらいは読めなきゃ話にならん。 勿論英語を必要としない職種も多くあるが、 海外に対して何らかの優位を確保するには 海外との情報交換が必要だ。 今の我々の生活の豊かさが海外に対して優位に立っていた結果だと考えれば、 その点をもっと大事にすべきだと思う。

初期英語教育に否定的だったそもそもの考えの基点は、 外国語を学習するのに時間を割けば、 他の科目の学習にかける時間が減るからというものだ。 たとえば文学のような極限の国語能力を必要とする分野は その外国語修得のためのリソースすら惜しむべきだろうと。 しかし漱石や鴎外を始め文豪の少なからずが外国語に堪能だったし、 外国語を知ることでより日本語の理解が深くなるものだよな。 やっぱり英語はそういう分野でも必要なのかもしれん。 今迄の浅慮を恥ずかしく思う次第だ。

日記のネタをメモっておいて、 後日それをまとまった形に書き起こす。 そのときに最初は考えてもいなかった考察が加えられ、 思いも寄らぬ方向へ議論が伸びることがある。 日記を書くというのは面白いことだ。


2008年10月31日(金)

私は基本的に打力に偏重したタイプで守備が下手だった。 今もそれが一つのコンプレックスになっている。 でもそれでもやはり6年間それなりに真剣に野球やった人間なので 普通の人よりは余程上手い。 そういうわけでソフトボール大会なんかでは内野(主にショート)を守らせてもらうことが多い。 守備では落とすのが恐い。 だけど、捕ることと、投げること自体は好きだ。 やっぱり好きなんだ。 それが野球好きの原点。 昨日のソフトボールの試合を思い返していて思ったのは、 前に出なければファンブルする率も低いということ。 中学時代にボールは前に出て処理するという基本を叩き込まれたわけだが、 それが何か、そうしなければならない強迫観念のようになってしまっている。 今となってはもう一歩うしろで落ち着いて処理した方が良いだろう。

人は周りに人がいるかどうかを無意識に把握している。 研究室で人がいなければ無意識に屁をこいたりするが、 人がいればその前に割り込みがかかる。 周りに誰もいないときは漫画を読みながらバカ笑いをするが、 誰かいればそういうことはあまりしない。 漫画でバカ笑いしてるところをヨメにも見せて、 どれだけ漫画を好きなのかを見せてみたい気もする。

『おおきくふりかぶって』(11)。 ひぐちアサは、自分が描く世界を本当に愛しているのだなあと思う。

イボがウィルス性の疾患だと知って吃驚している。 そういや小学生のころコンパスの針とかでつついて取ろうとしたら、 却って大きくなっていってしまったよな。 これは傷口が大きくなり、そこにウィルスが感染してしまうかららしい。 なるほどだ。


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