指輪を選んでもらって、買った。 エンゲージリングは私から彼女に贈り、マリッジリングはお互いに贈り合う形ということになった。 ふつーエンゲージリングはプロポーズんときに買っておいた指輪を渡したりするらしい。 そらまあ儀礼的アイテムとしてはそれでいいだろうけど、 アクセサリでもあるんだから本人が気に入った物がいいだろう。 特にこういうのは好みの差が大きそうだし。
なお公理系Dの中の操作"+" は一般に「演算」operation と呼ばれるが、数学的には「2変数関数」といってもいい。 (『不完全性定理』, 野崎昭弘, p.69)
そこで知識が繋がった。 LISP の演算子は (+ 1 2) のように表現するのはそういうことだったんだと。 そして演算子の前置形式表記もそういうことなんだと。
私が喋る際、脳内では喋る言葉を考える場所と実際に喋る場所とが独立して存在し、 それぞれが並列に処理をしていることに気付いた。 それはある人が話をしている時。 その人は少し考えては言葉を発し、また少し考えては言葉を発していた。 その人はきっと、シングルタスクで処理していたのだろう。
その人はおそらくは言い間違いしないために最善の文言を選んでいたのだと思う。 その姿勢は正しい。 しかし大事なのはそれだけだろうか? (独り言ではなく)話をするということは必ず相手がいることであり、 話はその相手のためになされることになる。 ということは相手に退屈させないということがとても大事だと私は思う。 相手に退屈させないために私は、自分が言ったことに対して相手がどのような反応をし、 また微妙な表情の変化を捉えようと、していると思う。 それによって補足を加えたり例えを入れたり、相手の予想を裏切った返答をして話に変化を付けたりする。
多数相手に話をするのが難しいというのは、状況を探るべき対象が増えるからだろう。 そう考えるとゼミは少人数ほど良いと思う。 学生にとっても人数が少ない方が一人一人の責任感が強く感じられるだろうし。 教員が複数人いる研究室ならば、教員が1人になるように分割してゼミを運営するのが良いのではなかろうか。 それぞれのグループがセクト的になるのを嫌うのなら、教員以外は毎回シャッフルするというやり方もあるだろう。 とりあえず、10人以上での読書会は効果が低いと思う。 まあ学生の姿勢に依存する部分が大きいのかもしれないが。 でも運営側はどのような姿勢の学生であっても一定の効果を上げられるシステムの構築に心を配るべきだと思う。
『空の境界』。 なんだろな、これ、おもしろくないよ。 たぶんボリュームが足りない。 あと映画というメディアに合ってない。
『CHANGE』の続き。 結構面白い。 でも『West Wing』の方が知的で面白い気がする。 『West Wing』と比べるとフィクション度が高いということかもしれない。
四川大地震に関係して、「難民のテントが必要。だけど現在、世界のテント生産の6割が中国製。だから外国からの支援は見込めない。」 という説明がなんか面白かった。
会議において議長のなすべき仕事の第一は会議を円滑に進行させることだと私は思う。 議長は、出席者全員の時間を預っていることを意識し、無駄な時間を省くために勤めるべきだ。 議長は、出るべき意見がすべて出るように促し、議論の方向を誘導したり全体の意見を調整するべきだ。 議長の持つ特権はこの目的のためにあり、 逆に言えば議長はこれ以外の役目を抑え目にすべきだと思う。 議長は特権的な機能を持っているだけに、議長自身が意見を出す場合は控え目を心掛けた方が良いということもあるし、 「議長としての発言ではないのですが」と前置きする配慮が有効な場面もあるだろう。
会議は何らかの決定をするために招集されるが、 その決定の妥当性の責任は議長にはなく、 あくまで会議に関わる者全体にある。 だから議長は自分一人の意見にこだわるべきではない。 このような議長と他の出席者の違いを理解していない人も少なからずおり、 不幸にもそのような会議に出席することになった場合、全員が無駄に時間を消費させられる。
ゴエモンギャンブルに絡んで、 「この世の富の全て」とはどれくらいの金額だろうか?とか考えてみた。 まず、富とは価値を買うことができるリソースであると言える。 価値は基本的に人が時間を費したことで生じるものだろう。 この考えに従うと、地球上の全ての人間の時間を買い上げられることがこの世の富の全てだということになる。 現時点で地球上に60億の人間が存在するとし、それぞれが70年生きて、1日が1万円に相当するとする。 そのとき、「この世の富の全て」に相当する金額は、大雑把に1万(円/日)*365(日/年)*70(年)*60億(人) ≒ 153京(円)。 おおよそ 10^18円前後のオーダーということになる。 サンクトペテルブルグのゲームは表が1回出る毎に獲得金額が2倍になっていくので、 1円からスタートするならば、(2^10 ≒ 10^3 を使って)60回連続して表が出れば「この世の富の全て」を得られることになる。 60回連続して表が出れば良くそれ以上は無意味と捉えれば、このゲームから得られる利得としては60回までを考えれば良い。 この時の期待値は30円となる。
摂津峡をてくてくと。 小一時間の散策。
蛍の名所らしく、またシーズン的にも今頃らしいのだが、この時期暗くなるまで待ってるとかなり遅くなってしまうので無理せず帰る。
何ということはないのだけど、自分でもお気に入りのフレーズ。
『将棋の子』(大崎善生/菊池昭夫)。 こういう世界があるという点では評価するが、純粋に漫画としてはイマイチ。 狂言回し役が何か不自然で半端だし、誰に主眼を置いて読めば良いのか分からない。
『僕の胸も熱くなる』(渡辺多恵子)。 この脳の真ん中まで甘ったるいの、いいなあ。 漫画力も十分。
『彼方から』(ひかわきょうこ)。 そこそこちゃんと読ませてくれて、十分及第点だと思う。 でも全体の分量に対して世界の広さの描写が半端な気がする。 連載で読んでたら気にならないとは思うけど。 村で隠れ住むあたりはもっと短くても良いのではないだろうか。 なんとなく、プログラミングでクラスの設計をしているときに、 変に一部分だけ詳しく記述されている感じ。 バランスが崩れていて、丸くない感じ。
『ルパン三世 カリオストロの城』。 十年以上振りに改めて見たがすごいな、これは。 実によくできてる。 時計のカラクリ、水の仕掛け、湖底の古代都市などは、印象的で特徴的な良いモチーフ。 世界ときちんと丸くおさまっており、全てのエピソードがきちんと閉じている。 ルパン三世というキャラと世界を使って2時間くらいの話を作ってくれ、と頼まれたとして、誰がこんなに良い物を作れるだろうか。
繰り糸の仕掛けを何度か出して信頼できるツールという印象を与えたあとの屋根のシーン。 この段階では視聴者はそのツールが機能すれば安心ということが分かっているので、それがひっかかっり機能した時点で安心感を表す効果音を入れるとか。 巧みだ。
「血が足りねえ」は今でもよく覚えてるセリフだなあ。
FreeBSD では operator グループに属しているユーザは shutdown を実行できる。 あまり何も考えずに普段使用している一般ユーザを operator に属させていたが、 ふとしたはずみで遠隔ログインしているホストを誤って shutdown -h now してしまった。 そもそも shutdown することは年に数回程度だからその度に su しても大したコストではない。 ということで operator グループから外れることにした。
電車の吊り広告には「ユルカワ」とかいった文字が踊っている。 そういや「キモカワ」とか色々あるなあ、と。 それなら、珍妙な可愛さとかだったら「チンカワ」になるのだろうか、とかオモタ。
そういえば、先日「スイーツ(笑)」という言葉を知った。 こういう言葉を作り出すセンスはすごいと思う。
英単語を筆記体で書くのが苦手だ。 これはたぶん、筆記体で書くには脳内で並列処理をしなければならないが、 そのように脳ができていないからだと思う。 cを書くときには一度筆を持ち上げるとか、 i, j, t, x の文字は後でもう一手間加える必要があるため、頭の片隅に留め置く必要があるとか。
髪を切った。 床屋で「スポーツ刈り」「丸刈り」以外のことを言ったのは、初めてかもしれない。 そして切った気がしない……暑い……。
「雑用に手を取られてしまって研究に使うべき時間を失い、そのために私の生きてる間に研究が進み切らなかったら、ひょっとしたら人類の損失かもしれない。」 ある人にそう言っても理解してもらえなかった。
「昔、ルドルフという数学者がいて、人生をかけて円周率の計算をし、35桁正しい値を求めた。 もしルドルフが雑用に手を取られて、円周率を32桁までしか求められなかったら残念だとは思わないのか?」 と私は言ったのだが、今考えれば例えがあまりにも良くない。 こんなことに価値を見出すのは学者的気質を持つ者以外はおらんだろう。 せめて、「ベートーベンは生涯に9編の交響曲を残したが、それが 7編だったら?」とか、「カールルイスが出した当時の世界記録が 0.01秒遅かったら?」 とかにするべきだった。
他人が言う例えで的確ではないものも決して少なくないが、 そういうときに相手が何を言いたいのかを的確に読み取る能力というのは コミュニケーション能力をより高めるためには大事なのかもしれない。 その能力は私もそんなに高くないだろう。 とりあえず話をするときに意識してみよう。
男性と女性とで考え方が根本的に違うとする。 育った環境ではなく、遺伝子レベルで違うとする。 ならば私が女性に生まれていたらどのような思考をするようになったのだろう? もし私が女の肉体にうまれていたならば、理系を選ばなかったのだろうか? 理系を選ばず文系を選んだとしても、ロジックを愛さなかったのだろうか? そういうところが、私が性差というところを認めたくない部分だ。 自分の意思で決められなかったことで、自分の思考形態を既定されたくない。 性別による思考形態の差を認めると、自分が決めたこと以外の要素で自分の思考が決められることを認めなければならない。 それを、私は、認めたくない。
我が家の猫はどうやら我々の個体をはっきりとは区別していないらしい。 我が家は母と私の2人暮らしなので、普段私と母がいる状況では猫は居間に出てくる。 そこに姉が加わって3人の状況になると私と母と姉がいる状況では猫は出てこない。 かといって姉がいれば無条件に出てこないかというと、母&姉という組み合わせでは猫は出てきて、 私&姉でも出てくる。 一度、姉&姉旦那 という組み合わせで実験してみてえ。
その猫は冬、母の布団に入り込み、頭だけ出して寝る。
頭髪に1〜2本、あごひげで1本、あと鼻毛にもたまに。 白髪のことである。 ここ1〜2年でたまに見かけるようになってきた。 体の中央に近いところは、幸いにしてまだ見たことがない。
1 と 0.999... が同じ値であるということについて、 この二者の間にいかなる有理数、無理数も存在しないことから同じ値であることが言えないかとか ぼんやりと考えていたけれど、 結局 循環小数 9/9 で説明してしまうのが一番だということで落ち着いた。
教科書的には 1 と 0.999... は1つの数の2つの表現ということになるらしい。 最初聞いたときはちょっとひっかかったが、そういうこともあるだろうとすぐに思い直した。 まあ言うたら 2/3 と 4/6 は同じ数を表す別の表現だわな。 小中学生に言うときはそう言えば納得してもらい易いかもしれない。
最近インストールした Linux ではどういうわけか dd した HDD を他の PC に繋いだら NIC が使えなかった。 ここ数ヶ月の懸案事項だったのだが、ようやく原因が分かった。 最近の Linux では /etc/udev/rules.d/70-persistent-net.rules というファイルがあり、これが NIC の MAC アドレスを記録するという仕組みになったようだ。 そこで一度 Linux をインストールした HDD を他の PC に持っていくと搭載されている NIC の MAC アドレスが違うため、 例えば eth0 としてその NIC が使えなくなるとかいう現象になる。 まあ気持ちは分かる。 Linux の短所は複数 NIC の取扱いであるのだから。 しかしなぜこの設定が /etc/conf.d/net あたりでないのか理解に苦しむ。 起動時だか終了時に自動で更新されるのがなおのことタチが悪い。
Vine Linux が結構いい。 インストーラの出来が良く、最初に設定だけ全て決めておいて時間がかかる作業はまとめてやってくれる。
『不完全性定理』(野崎昭弘)読了。 不完全性定理自体の証明は半分も理解できなかったが、それまでの歴史とかが面白いからそれでいいだろう。 寮にいたころに「『1+1=2 は本当に正しいか?』というのは数学的な一つ問題だ」という話を聞いたことがあるが、ひょっとしたらそれは不完全性定理に絡んだ議論だったのかもしれない。
プロバイダの通知書紛失。 最近、なんか色々なくしたりする。 たまに、記憶とかも。
流石に1000冊を越える漫画は、私一人で生活してるなら問題ないが、共同生活するなら色々と問題ありそうだ。 ということで漫画を減らすことを考える。 まず仮に限度の量を本棚一杯=約500冊ということにする。 今在る漫画を500冊まで厳選することは可能ではあるだろう。 しかしその戦略を取ることは、この先1冊増える毎に同様の苦しい選択を強いられることを意味する。 このような場合は目先の最善状態を目指すのではなく、 今後がラクになるシステムを作るべきである。 何を言うとるかというと、具体的には漫画の電子データ化。 幸いにも今のご時世 PC の性能は十分で色々便利なフリーソフトもあり、PC で漫画を見る環境が十分にある。 シートフィーダ付きのスキャナは5万くらいで買える。 本棚1つ分の面積、体積が買えると思ったら良い買物だろうし、新聞や雑誌の切り抜き、市民だよりの記事なんかを気楽に保存できるというメリットがある。
んでまあ実際にどの漫画を紙媒体として残すかという問題になる。 そこで私が第一の選考基準としたのは、自分的に素晴らしいと思う漫画よりも、 もし彼女が読んだ時に漫画の面白さが伝わるような漫画。 そう、彼女は漫画を読まない人なのだ。 漫画読みとしてのトレーニングを積んでいない人にとっても面白がるべきポイントが分かり易く、かつ面白い漫画を重点的に残そう。 夫婦は必ずしも同じ趣味、嗜好を持つ必要はないけれど、相手が同じものを面白がってくれた方が楽しいじゃない? そしてそのような一端(いっぱし)の漫画読みに育て上げるためには、小学生に大学数学の素晴らしさを教える愚は犯してはならぬ。 漫画を読む力が必要なものは、ばっさり捨てる。 必要なのは濃度。 無論押し付ける気はない。 ただ巣を張って待ち構えるだけだ。
残した漫画はまた後日報告する(かも)として、とりあえずスキャン後廃棄することにした漫画が以下。
『ソムリエ』(甲斐谷忍)。 何回おなじ主題の話やってんだという気もするが、週刊連載だしこれでいいのかもしれん。 そしてこういう作りの方がドラマにするにも向いてるのだろう。 しかしやっぱり人物の性格とか情景がワンパターンだな。
『ブラックジャック』(手塚治虫)を何冊か読み返してみたけど、SF に近い。 面白いからいいけど。 でも医者にとっては見るに堪えないのではなかろうか。 私にとって適当な野球漫画が耐えられないのと同様に。
吊り橋のような両端で支えられて垂れ下がる線は、懸垂線と呼ぶそうな。 二次関数を習った時の中学の数学の教科書(東京書籍)の口絵に懸垂線の写真がマス目を背景に書かれていて、あたかもこれが二次曲線であるような錯覚を与えるような感じだったのだが、 教科書としてこれはいかがなものか。 まあおかげで10年以上経っても覚えていたわけだが。
特定の階層に負担が大きくかかる組織を、別の組織と統合することに成功。 無事、自分を最後の委員長とすることができた。 うれしー!
その最後の議決を取る会議の議長が実にナイス議長だった。 論点を的確にまとめ、洗い出し、次の議論へ導く。 あのような議長スキルを教授層あたりに教授してやってほしい。
上から目線というのは自分では気付かないもんなんだろーなー、とか思った。 自分もそうだし、他人も。 一般に。
研究における問題設定能力、問題を設定しそれを解くための材料を集めていくということ、がようやく分かってきた気がする。 早く、試してみなければ。
漫画と料理の共通点は? どちらも自転車に乗れません。(from 県立地球防衛軍)
とかいうネタは置いといて。 作り手からすると料理と漫画は近いように感じている。 全体的なテーマがあって、コース(コンテ)を考え、素材(キャラクター)を用意し、全体的な味つけを整える。
『大人の問題』(今市子)。 ゲイのカップルをテーマにしたドタバタ系の漫画だが、はるなちゃんが非常に良いアクセントになっている。 料理に例えればスパイスだ。 スパイスが良ければ全体の良さが2段も3段も上がるのだなあと思った。
Canon DR-2510C という機械仕掛けの神を導入しての漫画スキャン実行中。 唐沢なをき はスキャンでは活きない。 というかスキャナ(スキャンする人)泣かせ。
『ハツカネズミの時間』(冬目景)。 何が描きたかったんだろうかと考えると、こういう閉鎖空間を描きたかったんだろうなぁ。 でもそこから脱出することを目的としてしまったら、非常によくある感じの漫画になってしまう。 そんな感じ。
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