連休の谷間だが、普通に仕事。
アル中のジレンマ。 あるアルコール依存症患者が酒を飲みたい場合、 その前にアル中でないことを証明しなければならないとする。 アル中でないことを証明するには、酒を飲みたいと思った時にそれを完全に意思でコントロールし我慢できることを示す必要がある。 すなわち、酒を飲みたいときに我慢できなければアル中であるので、彼は酒を飲んではいけない。 酒を飲みたいときにその欲求を我慢できればアル中ではないので、彼は酒を飲んでも良い。 さて、この時アル中は酒を飲めるだろうか?
「昔はモノクロの夢を見る人が多かったが、今はカラーの夢を見る人が増えてきた」 とかいう話をどこかで聞いたことがある。 昔というのがどれくらい昔のことかはよく分からんが、 この話が正しいとすれば私はテレビや映画の影響ではないかと思っている。 人々が意識を集中して映像を見る体験がモノクロでなされていた場合、 それが夢の見方に影響を与えたのではないだろうか。 テレビ・映画がモノクロからカラーになることでモノクロの夢を見る人が減ったのではないだろうか。 また、テレビを見たことのない人は夢をモノクロで見るのだろうか? この辺年代別とか文化的背景とともに調べれば何か分かるかもしれない。
というか夢をモノクロで見るというのが、私には結構信じ難いことなんだが。 先の言説は正しかったんだろうか。
『蝉時雨のやむ頃(吉田秋生)』。 やはり上手い。 続きが楽しみ。 しかし、すずちゃんは賢くて可愛いなあ。
赤が一番センセーショナルな、人間の感覚に最も強く働きかける色だと思う。 しかし彩度の高い紅-赤色は明度が低く、例えば光量不足の環境では目立ちにくい。 ということでオレンジが一番幅広い環境で目立つと思う。 つかまあ理屈を付けてみてるが、オレンジが好きということだ。 だから小物とかでもオレンジを選ぶことが多い。 つーかどの色もその色なりに好きなんだけどな。 青も緑も紫も黒も白も。
ホテルの試食会。 3000円ですげーうまかった。
高校の友達と飲み。
酒を控えろと言われている。 そらそうだ。 自分でもアル中予備軍の恐怖に怯えつつあったからな。 ということで今が酒についての知識のピークにあるはずだ。 あるべきだ。 なので今の知識や好みなどをまとめておこう。
一番好きな酒は日本酒だけど、最初に飲むのはビールがいい。
ビール・発泡酒・その他の雑酒
基本はビール。
特にその他の雑酒などではすえたような変な酸味が口に残ったりする
ので飲みたくない。
発泡酒はここんところあまり飲んでないので分からないが、
ビールにしてもアッサリより苦みがある方が好みであり、
発泡酒は幾分苦みの少ないものが多いので
割高でもビールを飲む。
何せ人生で飲めるアルコール量は限りがあるのだし。
キリン・サッポロ・サントリー・アサヒ
親がキリン党なのでその影響でキリン。
基本的に味がしっかりして苦みがあるのが好き。
エビスもよく飲むが、美味しんぼでの刷り込みが大きいのだろう。
サッポロ 黒ラベルは個人的には高評価。
美味しんぼで刷り込まれたイメージのせいもあるが、
アサヒはあまり好きではない。
アサヒのビールは発泡酒よりは上という程度に位置付けている。
その他
チリビールは辛味がうまい。たまにあるといい。
コロナビールはよく分からん。
一番好きな飲み物。 ちびちび飲みたい。 ただし、日本酒であれば何でも好きというわけではない。 まずパック酒とかは嫌い。 飲み屋とかでもメニューに銘柄ではなく「日本酒」とだけしか 書かれてないような場合はロクな酒が出てこないので そういう場合はビールを注文する。
燗・冷酒
銘柄に依る。
その酒が一番美味しく頂ける温度が一番。
ただし、人肌のぬる燗が一番味が分かるので、
その温度で一番美味しいお酒が一番美味しいと思う。
ヒレ酒も好きは好きだが、混ぜものしてる感じかな。
日本酒単体で美味しい方が好き。
銘柄
あと広島は癖の強い変な酒が多い。 だから俺的に聖地の一つ。
器
香高いタイプの酒は薄手の小さめのものを。
味のどっしりしたものは厚手の大きめのものを。
口に当たる感触で酒の味が変わる、それを想像しながら選ぶのも楽しい。
器は手に馴染むものを。
器になみなみ、はNG。
ブランデー、ウィスキーなど他の蒸留酒はあまり分からん。 明らかにすごいのとかは分かる気はするが。 ズブロッカにブレープフルーツジュースでカクテル最強。
妊婦が救急車でたらい回しにされて、亡くなってしまうという事故がしばしば起きている。 亡くなられた妊婦の夫が救急医療の不備を嘆き、行政に改善を訴える記事が新聞を賑わす。 「しかしなあ……」。 ある医療関係の人から話を聞く機会があった。 「それは結局、行きつけの産科医を作らず、診てもらってないからだよ」。 考えてみれば行きつけの産科医があれば救急車を呼んだ時もその病院に行くよう言えばいいだけで、救急時にたらい回しされるリスクが激減する。 この話を聞いてから、その夫婦は出産が命の危険を伴う大仕事ということを理解せず、 その事故は当の夫婦が然るべき対策を怠ったがために起きた悲劇なのではないかという気がするようになった。
姉がプエルトリコというテーブルゲームを手に入れて来たのでやってみた。 感想としては「ルールが複雑すぎる」これに尽きる。 だってプレイヤーターンのローテーションが3重ループになってるんだぜ。 複雑とは言え何度かやればルールはそら覚えることができるだろうが、 ゲームの進行が複雑でそのために脳のリソースを常に一定消費する感じで ゲームの駆け引きの部分に入り込めない。 私は作業ではなく駆け引きの部分を面白いと思うべきだと考えているので、 これは私にとっては減点要素かなあ。 テーブルゲームにかかる時間というのは 駆け引きを考えるためにかかる時間と 定められた作業(例えば、麻雀で洗牌→牌山を作ったり、花札で山札をめくって場札を取るなどのルールで定められた思考のいらない作業)にかかる時間 から構成されている。 まあ作業の時間も話をする時間にしてしまって、ゲームをコミュニケーションツールと捉えればいいのかもしれないが、もっといいゲームは沢山あるように思う。 というか、本当にコンピュータゲームにすべきゲームだよ。 複雑なルールや進行は機械的なゲームマスターに任せてしまって、 カードの取得などの手作業時間も瞬時にして、プレイヤーはゲーム内の選択に集中する。 それがこのゲームのあるべき姿だと思う。
母のツテがあって能を見にいった。 能の歩き方は独特で、一歩一歩踏み締めるように真っ直ぐ歩き、 立ち止まって方向を変え、また歩き始める。 言い方は悪いがロボットの歩き方だ。 あの歩き方は視界の効かない能面をつけて 間違いなく場所を移動するために必要な方法なのだろうなあとか思う。 しかしその歩き方がために空気が凍っているような独特の緊張感が出て、 それがなんか面白かった。
演題は大原御幸異聞といい、源平合戦で生き延びた建礼門院の話。 だがあの日本古典芸能の節回しは殆ど聞き取れん。 あれが聞き取れたらもっと楽しめるんだろうなあ。
舞台中央に掘っ建て小屋が建ててあったのだが、それが上方に狭く作られていた。 狭い舞台上で小屋を大きく見せ、また舞台全体に広がりを感じさせるための工夫なのだと思った。
屁の音程は次第に高くなる。 これは楽器で言う共鳴部の長さが短くなるためだろうか、とか明け方のまどろみのなか思い付いたり。 ああ全く、なんて平和な一日の始まりだろうか。
私の姓は「きし」で始まるのだが、 名乗るとその部分が「いし」や「にし」に聞き取られることがしばしばある。 また、所属で「工学部」と言っても「法学部」と聞き取られ易い。 今日気付いたがこれ両方とも第一音が「k」なので、同根の問題なんだな。 k 音は破裂音なので発声する前に数瞬の溜めが必要で、 それを怠るから「いし」とか「ほう」に聞こえてしまうのだろう。 「っこうがくぶ」というように力をためて、最初の一音に力を入れて発音することを心掛けた方が良いのかもしれない。
発狂小町でまとめられた発言小町のトピックを読む。 個々の個体の差異の方が大きいということはわかっているが、 傾向としてどうもやっぱり嫁姑の関係と婿舅の関係は大きく異なる気がする。 『話を聞かない男、地図が読めない女』では「女性の方が協調性を重んじる」とか強弁されていたが、典型的な男性像/女性像では女性の方が協調性が足りない気がする。 学級の中のセクト主義とか。
発言小町は全部は追えん。 だからそれをまとめられたブログは重宝する。 2ch と 2ch まとめサイトの関係と同じだ。
さて、発言小町でネタにされていることは自分もしかねないので面白がれない という面は私にも確かにあるが、だからこそ私にとっては勉強になる。 自分がしかねない失敗を事前に疑似体験し、実際の失敗を回避できるのなら、それは喜ばしいことだと思う。 だからこそ、それを面白く面があると私は思うのだ。
全体で x人の組織で委員会を構成するとき、その適正人数は何人か?
委員というのは字義的には「委ねられた人」だから、複数人の意見を代表して他の代表と議論することが役目なわけだ。 1人の委員が n人の意見を代表するとする。 この時 委員が彼らに対して責任を果たすには n人の意見を吸い上げ、まとめる作業が必要になる。 また、そのように代表された委員が m人存在するとする。 彼らはそれぞれ組織の一員であり、委員であるということは一つの結論を導くためのものだ。 すなわち、彼らには m人の意見を調整する作業が必要になる。 この n人の意見の調整と m人の意見の調整は丁度相似形になっている。 すなわち、n 人の意見を代表した委員が m 人集って1つの結論を出すのだと。 多人数の意見を纏めるのはその人数が大きくなるほど難しくなるので、 1つのプロセスで集約する必要のある人数を減らすことが焦点になる。 組織全体の人数(m×n)が定まっているのならば、mとn はどちらかを減らせばどちらかが減る関係にある。
以上のことから、 x 人の組織に対し、√x人で委員会を構成するのが最も効率的であることがわかる。 すなわち100人の組織なら10の委員会を、 10000人の組織なら100人の委員会を作るのが適正だということだ。
ここで代議員や政治家との対比を議論しようと思ったけど、今日は無理だ。 寝よう。
勝率1/2、勝てば所持金倍増、負ければ所持金半減のギャンブルがあったとする。 このギャンブルはすべきか否か?
獲得金の期待値を考えれば (2.0-0.5)/2=1.25 でプラスであり、この観点では文句なく勝負すべきだろう。 しかし獲得金ではなく勝率の期待値を見ればそれは 0 であり、従ってここから期待される獲得金額は0である。 さて、これはどう考えるべきだろうか? この問題は「コインの表が連続して出た回数 n に対して 2^n の金を獲得するギャンブル」と同様の問題と思うのだが、さてどうだろう?
ニコニコ サーチ「TAS」で見かけた『がんばれゴエモン』(ファミコン)の博奕がこんなのだった。
直交座標の3点透視で x, y 2つの平面軸に対し 3つめの z 軸(鉛直軸)の消失点をどこに取るべきか? ちょっと考えてみたけれど、透視図法というのは結局近似であり、 球面である視界を平面に落とし込むときの歪みやズームのかけかたに依存するのだろう。 結論としては数学的に正しい点というのは求められない、と。
会議ってやだなあ。 研究や計算機管理作業をしてえ。
某コミュニティで政治に関するトピックが立っていた。 「(略)私の意見にご賛同くださる方は共闘しましょう」。 私は議論するだけの知識も時間も持ち合わせていないので端から参加しなかったが、 なんか学生運動のノリだなーと思いつつ最初の方のレスを見ていると 「無知蒙昧なもまいらに教えてやる。反対意見は無知ゆえだから教えてやる」 という感じ。 いや全く、お高い所からの意見ありがとうございます。 つーかまあ「議論しましょう」ではなく「僕の言うこと聞く奴はこの指とまれ」 であり、同じ意見を持つ人だけを求めているのはトピック名から明らかなので、 そこで真っ当に議論をしようとしてしまった人は釣られてしまったんだと見ることもできる。 しかしまあトピ主に関して言えば、自分は正しいことを前提として教えを説くよりも、 知性を信頼できる相手とならば議論する方が良い場合が多いように思う。 議論なしに自分と同じ考えを持つ人だけを集めようとしている あたりもまた学生運動っぽい。
自分は政治という権力に反対しているから「反権力の気概を見せている」、 そのような自分の言うことに賛同しないから「反権力の気風が薄れた」とか、 自分のやり方だけが「反権力」だと思ってるんだろうなあ。 私は、『上から目線の教示に対して「はいはい」と従わないこと』が反骨・反権力と思う。 決してあからさまな権力として分かり易い「政治力」だけが権力ではないと思う。 「教えてやる」という立場で自分がやってることが、権力をふりかざすこと と同じだということに気付いてないんだろうなあ。
まあそのトピックではトピック名を変え、 共闘ではなく議論を進める、 という方向で意見交換が進んでいるので敢えて蒸し返しはしないけど。 それに議論の在り方をそのトピックで議論するのは誰にも求められてないだろうし。
『秒速5センチメートル』。 圧倒的に絵が綺麗。 以上。 ストーリーに関しては、見終わった直後は「なんじゃこりゃ?」という感じだったが、 徐々に消化できてきた。
要は強烈すぎる恋愛体験のために恋愛不適合者になってしまった男の物語、と。 きっと高校に上がったころに女性に新しく恋人ができたとかしたんだろう。 だから手紙も来なくなったし、メールも送れない。 その美しすぎる思い出があるがために男は新しい普通の恋ができない。 男はそのように恋愛不適合者になってしまったが、反面 女性は強かだと。 男は過去に引き摺られ、過去の匂いに振り返る。 相手も振り返るものだと幻想を抱く。 しかし女は今を生き、振り返らずに行く。 新海誠は何か嫌なことでもあったのか、とか思わんでもない。
うっかりニコニコ動画で宇宙船サジタリウスを見つけてしまう。
村同士の戦争の話(6話)。 現実には、基本的に村同士では戦争が起きない。 なぜなら村同士の利害関係の対立はそれより上位の政治機構によって調停されるから。 下位組織同士が戦争状態になってしまうと、上位の政治機構にとっては不利益が生じる。 逆に考えると、国同士で戦争が起こりうるのは、それより上位の政治機構が存在しないからだとも言える。 国同士では全体の利益のための協調に強制力を有する組織は基本的には存在しない。 そこに共通の敵があれば、個々は自身の利益のために協調しうる。
NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀 file:040 「出過ぎた杭は誰にも打てない コンピュー タ研究者・石井裕」』。 「今迄の実績を捨て 新しい研究で勝負しろ」 いや捨てるほどの実績なんて俺にはないから立ち位置を変えるのはそんなに難しいことじゃないはずなんだけどさ。 その覚悟はたぶんいつか重要になってくる。 いいものを見た。
指輪物語読了。 追補編は400ページを1時間ほどでザラリと斜めに読んで終わりとした。
この違いはどういうことかつらつら考えてみた。 まず使用している言語の違いがあると思う。 現代に生きるの我々は北を上とした地図に慣れており、東と言えば右、西と言えば左という感覚が強くある。 指輪物語の原本は英語で勿論 左開きの本なので、 東、すなわち地図で右の方向というのは本のまだ読んでない部分に描かれている。 ピグマリオは日本の漫画で右開きなので、 西、すなわち地図で左の方向というのは本のまだ読んでない部分に描かれている。 本を読み進める方向への旅は、読者にとって馴染み易いのではないだろうか。 日本語訳の指輪物語でどっちの方向に進んでいるのかすんなりと私の頭に入らなかったのは、こういうことに原因があるのかもしれない。
指輪物語はヨーロッパで書かれ、ピグマリオは日本で書かれた。 それぞれの地理的状況において陸伝いに旅をする方角がヨーロッパでは東であり、 日本では(最初に海を隔てられているが)西になる。 そういう感覚の違いかもしれない。 とすれば、指輪物語で最後に彼が船で中つ国を発っていくのは、我々の世界において中世が終わり大航海時代に移っていくことと対応しているのかもしれない。
『ひとりずもう』(さくらももこ)。 ちびまるこを一度ちゃんと読みたい。 この人はたぶんかなりちゃんと漫画が上手い。
家に帰れば作業の横でサジタリウスを斜めに見てる……はずが何時の間にか真っ直ぐ見てる。 今26話終わった。 ニコニコマジ時間泥棒。
以前三宮でブラジル料理屋バイキングに入ったら油っぽい肉ばっかりで食傷気味になった。 以来生野菜の美味いこと美味いこと。 ということで一度生野菜を飽きるまでたらふく食ってみたいと思ってた。 2、3日生野菜しか食ってないと今度は肉を食いたい欲求が大きくなって来るだろう、そのときに食う肉は美味かろうとか何とか。 今週は母が外泊で晩飯をなんとかせんとあかんので、一度やってみたかった野菜地獄。 あまり厳密なルールを決めず野菜をたっぷり食べましょうね、という感じ。 3日間やってみたけど、自分で作るのには動物性タンパクは使わないけれど、昼食を外食にするとかおにぎりに鮭が入ってるとかで完全な野菜地獄にはならず。 これやらんと肉への欲求とか高まらんよなあ。 でもまあ総じて美味かった。
生まれながら盲目の人の見る夢ってのはやっぱり聴覚メインなんやろか。 いや多分そういう人は聴覚によって脳内に空間を再現しているので、 夢でも普段脳内で再現している空間情報の展開様式に則ったものになるのだろう、きっと。
『アンダーグラウンド(村上春樹)』読了。 地下鉄サリン事件で被害に遭った人達のインタビュー。 読んでても勿論オウムに対する怒りとかそういう感情が第一に来るが、それはまあ以前から持っていたものだ。 ということでこの本を読んで一番面白かったのは、本当に色んな人生があるんだなーということ。 事件とは関係ないその人の背景が面白かった。 そしてたぶんそのことが、そういう背景に関係ない人達が多数巻き込まれたということが、村上春樹の書きたかったことなのだろう。
『別冊図書館戦争I(有川浩)』。 アンダーグラウンドを読み切って、次はこの本かなーと手に取り軽い気持ちでページを捲ると、気がついたら最後まで読んでた。 読みやすー。 そして堂上さんやっぱりいいなあ。 可愛くて格好良い。
『阪急電車』(有川浩)。 なにこの素敵路線。 乗りてえ。
『雲のむこう、約束の場所』 よくわからねえ。 ナナメに見てたせいもあるが、引き込まれはしなかった。
ベンザブロックは下痢止め、 ベンザエースは便秘改善に効くようなイメージがある。
私がよく間違えそうになったり、混同したりする単語。
先生の仕事というのは自分のことを棚に上げて叱ることだと思い始めた。 自分が学生のころにはそんなに出来てなかったし、 下手すれば今でもできてないことがある。 そして自分ができてないことを偉そうに言うのはどうかと思う。 しかし、そんなことは学生からすれば関係ないことだ。 「こういう人間にならなくてはいけないんだ」という錯覚によってでも その結果学生が自身を鍛え、効果が得られるのならそれを選択すべきだ。 人間的に誠実であることよりも、教育者にはもっと大事なことがあるのだろう。
CHANGE というドラマに「たぬきそばはなんでたぬきというのか?」と 小学生に問われて考え込む教師の姿が描かれていた。 おそらく、視聴者の多くはどう答えたものだろうと悩んだと思う。 私ならば、教師といえども決して全てを知っているわけでないということを教え、 自分で調べるという方法があることを知らせる。 そうするべきだと思う。
『狼と香辛料』。 パズル的な構成だな。 これこれこういう材料が読者に提示されていて、 その時裏ではどういう金の流れになっていて、 そこでどう儲けるか? そういう部分が知識として面白かった。 続きも面白そうだけど、今はいいや。 こうやって読むとコミカライズ版もよくできていることが分かる。 風俗、慣習などの細かい世界設定がこの小説の魅力ではあるが、 漫画にとっては細かすぎるそれらの情報は上手に省略されている。
指輪物語は冗長な表現が多く、重要な情報を抜き出して早く読まないといつまで経っても終わらなかった。 読みたいものは他にいくらでもあるのだから、私は時間効率を最大化しなければならない。 ということで私にとっては丁度良い速読のトレーニングとなった。 それを踏まえて『狼と香辛料』を読んでみると読むのが速くなっていることを実感。
今迄「とりあえず動けばいい」方針で計算機を組んでいた。 もちろんこれは正解だったと思う。 10台、20台程度ならとりあえず動かな話にならん。 こんなシステムで1〜2人しか使わないシステムなら全部個別対応でもたかが知れている。 しかし計算機の台数が100台になろうという時にその方針では死ねる。 そういうわけで、最近は計算機環境を整備しなおしてた。 クラスター計算機のサブネットを一元化し、 計算機サブネットからインターネットへのルーティング、DNS、NTP、LDAP サーバを立てた。 年に数回フリーズしていた Linux ファイルサーバは FreeBSD で立て直した。 他の仕事の合間を縫いつつ、ここまでに約2ヶ月。 かなりシステムがすっきりした。 この辺のメモを外部にも公開すべきだよなあ、と思いつつ、 でもそれは自分のためにすることじゃないのでどうしても優先度は下がる。 それよりは学生自身が Linux 計算機を組めるようにテキストを整備するべきかなー。
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