きづき(日記)

きづき、またかんがえたことをしるす (いっぺい)
Last modified : Wed Apr 02 03:31:25 +0900 2008

2008年04月01日(火)

「わたくし、結婚します。」

さて、これは嘘になるかならないか?

発言した時点で真偽が確定していない発言は、嘘吐きとしての真摯な態度とはいえないと私は思う。


2008年04月02日(水)

計算機いじって UNIX 環境を整備するのって、どうしてこんなに楽しいんだろう。 いやこれにかまけていては絶対にいけないのだが。 (2008/04/08付記: 順調に行けば、楽しい)

Linux のディストリビューションは幾つもあるがどれもインストーラがイマイチ。 FreeBSD は圧倒的にインストーラがいい。 最初の 5分で手でしなければならない設定を済ませ、あとの手順はその設定に従って自動で進んでくれる。 多くの Linux のインストーラは、ユーザがパーティションを切る設定をしたら直後に実際にパーティションを切ってフォーマット(数分)、次にユーザがカーネルの設定をしてインストーラがカーネルをインストール(数分)、次にユーザがパッケージの選択をしてインストーラがパッケージのインストールをする(数分)。 ……というように非常に作業効率が悪い構成をしている。 オート部分が長くなるように作られているのは Ubuntu くらいだ。 思想としては単純な筈なんだけど、こういう配慮をしてくれるディストリビューションが少ないのが不思議で仕方ない。

Linux で複数のネットワークデバイスを搭載した計算機を扱うと面倒。 2つ以上デバイスがあったら eth0, eth1, ……になっていくのだが、実際にハードウェアとしてどっちが eth0 でどっちが eth1 なのか分かりにくい。 FreeBSD ではドライバが違えば、vge0, bge0 のようになるので、まだマシだ。

Ubuntu はインストールが楽だけど、計算機用 OS としては使い難い。 最大の理由は Ubuntu ではコンパイルがこけることがあるからなのだが、 Gentoo 計算機の中に Ubuntu 計算機が混ざっていると、それらのマシンだけ管理者権限での作業を sudo でしなければならずそれを使い分けるのが面倒という管理作業コストの面も無視できない要素。

しかし今時は X の設定でがんばんなくても xinit 一発で xorg が起動しちゃうし、良い時代だなあ。


2008年04月03日(木)

高分子なんかでは、大雑把に C:H の組成比は 1:2 くらいだろう。 OやN、S がどのくらいあるか分からんが、きっと C に対して 2割以下くらいだろう。 C, H, O の原子量が 12, 1, 16 であることから、有機物において炭素原子が占める質量は 7割程度になるんちゃうやろか。 C+O2→CO2 の燃焼反応において、分子量を考えると固体中の炭素の質量 12 に対し、二酸化炭素の分子量は 44 になる。 以上のことが正しいとすると、大雑把に 1kg のゴミを燃やしたら 2.5kg 程度の CO2 が出ることになる。 いやまあ数値はかなり眉唾だが、排出 CO2 が何トンと言われてもピンと来なかったけど、こういう風に見積ることも出来るのかな、と。

先週突発的に発生した工事のために計算機クラスタを全部退避させなければならなくなった。 計算機を全部止めるのは色々面倒なので、工事終了後の復旧作業のついでに以前から不安定で困っていたファイルサーバ(Linux)を FreeBSD で組み直すことにした。 samba を入れた。 不思議なことに、なんぼ設定を EUC-JP だと指定しても、実際には UTF-8 で動くので困った。 「まあファイルサーバだしそれでいいや」と軽く考えたが、それが失敗。 NFS で手前マシンにマウントしており、手元の EUC-JP な mlterm では化ける。 ということで手元マシンも UTF-8 化することに。

ついでに並行して新しいマシンを組んで FreeBSD 7.0-RELEASE を入れてみた。 Athlon64 3700+(2.2GHz)。 はやいはやい。 今迄のマシンが PentiumIII 800MHz だから単純計算約3倍。 TeX のコンパイルがこんなに快適に!howm.rb の全文検索がこんなに高速に!ターミナルを閉じるのが(ry


2008年04月04日(金)

仕事が終わる時間が遅い。 23:00を回ることもざら。 電車通勤じゃなければもっと遅くまで居残るのではないだろうか。 まあ朝が遅いので普通の人より長く仕事してるとは言い切れないのだが。 早く帰って早く寝て、早く起きて早く仕事に行き、早く帰る。 それが理想的な生活リズムだというのは分かってる。 でも、いつも20:00とかの時点では「まだ時間がある、(仕事を)片付けたい」という気持ちが強いのだ。

そして、帰ってから寝るまでの時間は、その気持ちはそれほど強くない。 それが問題だ。


2008年04月05日(土)

なんか妙に説得力のある発言を夢の中で聞いた気がする。

部屋を片付けた。 本当はもっと早くから片付けたかったのだが、今週の平日は全て 23:00以降帰宅だったので無理だったのだ。 片付けてみるとそれはもう素敵な空間が。 片付けて掃除機かけたの半年ぶりくらいかもしれない。 この快適な環境を保つために、もっと頻繁に片付けるようにしよう。 というか、散らかさないようにしよう。

部屋の散らかりによる作業効率の低下と、整頓による効率上昇は 正にイニシアルコストをかけることによってランニングコストを下げるという構図になっている。 理知的な人間ならば、人生のアウトプットを最大化しようとしている人間ならば、部屋は常に片付けようとしなければならんということだな。 きっと。


2008年04月06日(日)

今週は睡眠状況があまり良くなかったらしく、寝坊が過ぎた。 花見時間をあまり長く取れず。

「犬みたいな友好的な動物を何故食うのか」とか。 友好的なのは自分の飼い犬などそれぞれの個体であって、種族全体がそうであると見做すのはおかしいと私は思う。 人間だって、自分に友好的な奴もいれば 敵対的な奴もいる。 敵対的な人間は殺して食っていいのか? 友好的だとか知性的だとかいうのは、殺して食って良いかとは別次元の問題だ。

と思っていたのだが、ある所で「お前は猫を食えるか?」という意見を見て、彼らの気持ちも少し理解できた。 でもまあ食って美味いんだったら、それを食用として供する店があったら食うかもしれんと思う。 しかしまあ食いたくない人は、「自分が食いたくない」というところで踏み止まって欲しい。 自分が食いたくないからといって、食いたいという他人の文化や価値観に土足で踏み入るのはいかがなものかと思う。


2008年04月07日(月)

仕事で受け取った名刺の枚数が100枚を越え、そろそろ検索性に限界が生じつつある。 購入したスキャナで名刺管理ソフトウェアが付属していたので使ってみたら、結構優秀。 自動 OCR で氏名を氏名として、会社名を会社名としてさまざまな情報を取り込んでくれた。 まあ正しく読み取る率は80%といったところだが、それでも凄いと思う。 データ構造を考えながら手でポチポチ入力することを考えれば大変有難い。

で、思ったのだが、道具を揃えて管理コストを下げることを我々はよくやるが、下がった分の管理コストは往々にしてそのままそこに投入されがちではないだろうか。 たとえば名刺管理のコストが1/10 になったとしても、現在100枚が管理上の限界だったところが 1000枚までそのまま続行という形になりそうだ。 このことから人間が扱う仕事は複雑性が一定のところに落ち着く傾向があるのではないだろうかと思ったのだが、 考えてみれば問題を解決しようというモチベーションが高まるのは複雑性が十分に大きくなったところなので、 それが無視できるコストの状態でそれを問題視しないので当然とも言える。 だからきっと、そうなんだろう。 この辺は HDD 残量一定則(HDD容量が手狭で大容量 HDDを導入しても、データは容量一杯まで溜まり、結局ファイルのやりくりに苦労する状況は変わらない)に似ている。

ということは、よほどタイトな問題でない限り、ランニングコストを低減するためにイニシアルコストをかけても、結局無駄ということになることがあるということか。 自戒せねばなるまいな。


2008年04月08日(火)

今日はモチベーション低かった。 しかしそれを仕事が進まなかった理由にできるわけもない。

計算機いじり、順調に行かないときはすぐにやめればいいのに。 どうして。 泣きたくなってくる。 どうしてこんなことになったのだろう。 半日の時間をドブに捨てた。 今やるべきではなかったのに。

あー泣きてえ。 どうして俺はこんなにダメなのか。


2008年04月09日(水)

昨日よりはちょっとまし。 だけど論文作業進められなかった。

議論が平行線を辿る兆しが見えたら、もう議論はサクサクやめて相手に下駄を預けて問題を放り投げてしまおう。 でないと時間の無駄だ。

A、Bと2つの選択肢があり、そのどちらも自分にとって違いがほとんどないと感じるならば、他者がそうした方が良いと強く言う方を取るのが筋だと思うのだが。 それでわざわざそうしない方を選ぶのは、人間として曲がっているか何も分かってないかのどちらかだろう。


2008年04月10日(木)

ふと気付いたが、このウェブ日記がもう8年近い。 まあ若かりし頃の奴は見るに堪えない部分もあるのだが、まあそれはそれだ。 もう時効だよ。 そもそも日記をつける習慣自体は中3くらいから始めたはずなので、今んところ人生の半分は日記が埋まっていることになる。


2008年04月11日(金)

犬大将経由で 発狂小町。 引き込まれる。 他人の案件なんだけど、自分になかった見方がそこここに提示されている。

自分は優しさが足りない。 諸々のことを、受け止めるだけの器の広さがない。 柳のつよさがない。 発狂小町を見ていて、己の至らなさにちょっと、泣きたくなった。

俺は何様なんだろうなあ、この上から目線。 自分の正しさを盲信しとるんだなあ。


2008年04月12日(土)

男と女は本当に根本的に違う生き物なのではないのかという気がしてきた。 生物学的な種という分類では男と女は人間という生物に包含されているが、 遺伝子的な違いはかなり大きなものではないか。 人間の男女では大雑把に、23対の染色体のうち1対の染色体の半分が異なる、すなわち遺伝子の約2% が異なると言えよう。 人間とチンパンジーの違いが1%以下らしいので、男女の差はこれより大きいと言えるのではないだろうか。 人間男という種族と人間女という種族がそれぞれ協力して子孫を残す仕組みになっていると見るべきかもしれない。

性格は環境に依存し 気質は生まれに依存すると、高校の何かの教科書に書いてあった。 すなわち気質は遺伝子に影響を受けるといえるだろう。 気質が異なれば、物事に対するアプローチや対処法が異なり、その過程または結果が性格に反映されるということもあるだろう。 まとめると性格は遺伝子に依存する部分があると。 私の持つような四角くてロジカルな思考形態は遺伝子的に男性に形成されやすいということも起こりうることではないだろうか。 遺伝子で全てが規定されるわけでもないだろうが、全体にバイアスをかけるような効果はあるのではないだろうか。

考え方とかそういうものは性差に起因するべきではないと勝手に思っていたが、きっとそういうもんじゃない。 比率、傾向として確実に違う。 高校までの教育では男女は同等で本質的な差はないとされており、私はそれを盲信していたのだが、それは現実に即していない。 いや、より正確に表現するならば、事実の一面しか示していない。 それぞれ性格に傾向的な違いがあるということとセットにして捉えなければ私のような困ったちゃんが出来てしまうわけだ。 性格、能力について「男だから」とか「女だから」とかいう言辞が私は嫌いだったのだが、そういうことも傾向としてはあると考えなければならないと思った。 もちろん、個体差の方が大きく、カテゴリの情報を個に適用する愚は戒めなければならないが。

しかしまあなんつーか普通の人は異性と付き合う経験を重ねる上で普通に理解してんだろうなあ。

東京で元寮生の結婚式二次会。 世紀末(90年代末)ころの元寮生・元寮外生が30〜40人くらい。 後ろの方ですげー盛り上がってた。

「おまえとか寮生は、ごちゃごちゃした人間関係のごった煮の中に放り込まれて、人間関係に強すぎるんだよ。普通の人間はそんな環境に生きたことはないもんだ」とか、既婚者の元寮生に言われ、ものすごく感銘を受けた。 私が他者との考え方や価値観の違いをそのまま許容する姿勢なんかは、確かにあの場で醸成されたものだ。

人間として完全であるような強い人間になりたいと思っていた。 一人で何でもできる、自立して生きていける人間に。 でもそういう人間って女性から見たら物足りないのだろう。 男性でも一緒だが、女性は頼られたいのだ、きっと。 私が居ないとダメね、と思いたいのだ。 頼られることこそが自分の価値を裏付けるものであり、頼られなければ自分は彼にとって不要なものとして関係を切られかねないと不安になるのかもしれない。 円満な家庭を築き、それを不安なく回す理想的なお父さんは、実は何かが欠けていることが最も重要な資質なのかもしれない。

私にとって理想の友達関係というのは花の慶次の前田慶次と直江兼続のような感じ。 自然にそこに在り、静かに本を読み、一言も話をせずに立ち去ることもあるというような。 きっとこれは二人とも完全で、足りぬ所ない人間だから成り立つことであり、 離れてもいい友情という関係だから成り立つのだろう。 家庭のような強い引力で結ばれるべき関係には、それは求められるべきではないのだろう。


2008年04月13日(日)

帰りの新幹線、足元を見ると壁際に電源コンセントがあった。 5分しか持たないへたれ電池ノートPCをもっていっていたので大変助かった。 帰ってから検索してみるとコンセントが付いている車両と付いてない車両とがあるらしい。

大事な話をようやくすることができた。 この辺の話に順番のくいちがいが色々あって大変だった。 直列型の事故。 私に責任の一端がある、すなわち私がしっかりしていれば問題はそもそも起きなかったと言えるが、しかし私に責任のある箇所以外で食い違いが起きていなければその事故は起きなかったとも言える。 でもそういう場合は自分の不明を恥じ、次は自分で問題を起こさないという矜恃を持つべきだろう。 そして起こってしまった今となっては、その問題をどうリカバリーするかどうかに尽きる。


2008年04月14日(月)

オンラインコミュニティでバーチャルドミトリー吉田寮みたいなん作れたら面白いかもなあ。 南中北寮の地図があって、それが年ごとにズラッと並んで表示されている。 自分が住んでいたり居候していた居室が自分のベースで、ログイン中はどこか誰かの部屋に遊びに行ってグダグダチャットしたり。 部屋をデザインしたり、本棚作ったり、バーチャル猫を飼ったり。 我々が実際に住んだ社会を模したものは、作られた架空の社会より我々にとって魅力的なものになりうるのではないかと思う。 まあそんな技術力はないし、技術があっても作る時間を払う気はないが。


2008年04月15日(火)

『日本の、これから 大丈夫ですか?日本人の学力』(NHK)。 討論番組はしんどい。 自分になかった視点を持っている人もたまにいるけれど、S/N 比が低い。

1ヶ月ほど前からどういうわけか scim-skk が動かなくなり、仕方なく scim-anthy を使っていた。 今日ふとしたことであまりにむしゃくしゃしたので、ついカッとして検索した。 [ubuntu-jp:544] Re: scim-skk が使えなくなりました。 結論から言うと、辞書ファイルがおかしくなっていたらしい。 今はちゃんと使えている。

という経緯でここんところ anthy を使っていたのだが、やはり skk が良い。 文節区切りの指定とか移動は、カーソルキーの存在しない HappyHackingKeyboard(Professional2) では shift + Fn + ; のような3キー同時押し操作になるのでかなり心理的な負担が大きい。 あと skk は辞書にない単語の場合すぐに覚えさせられるのがやはり良い。

日本語変換メソッドの開発は、自己学習型の計算機的アプローチの適する分野だと思うのだがどうだろうか。


2008年04月16日(水)

玄米茶は最も優れた飲み物の一つである。 ……などと嘯いてみる。 まあ値段当たりの香ばしさ美味さはかなりのもんだと思う。 なので自分で買って普段飲む茶は常に玄米茶だ。 さて、最近研究室の教授に玉露の頂き物があり、それが私の所に回ってきた。 飲んでみると旨み成分強くアミノ酸が塩味のように感じる。 しかし次第に慣れ、そして慣れると旨み成分がどんどん美味く感じられるようになってきた。 去年の塩こんぶと同じような適応過程だな。

論文作業。 先日 勧められた JabRef というアプリケーションを文献管理に使ってみたが、これはいい。 論文というのは付帯する情報が多く、ファイルシステム&プレインテキストを手作業で管理しているとすぐに限界を迎える。 一昔前には研究者は文献カードを作るのが仕事の一部であったらしく、 すなわち一仕事であったということだろう。 その作業自体は PC のオーソドックスなツールを使ったところであまり変わりあるまい。 このような作業には専用ツールを使用するのが妥当であると認識を新たにした。

管理、整理というのに快感を覚える性質を私は持っているが、 JabRef を使って論文を整理するのはそういう整理する快感がある。 情報収集がもっと楽しくなるかもしれない。


2008年04月17日(木)

東京に日帰り出張。

世話焼き好きというタイプの人間がいる。 私の母がそれだ。 私はどちらかといえば世話を焼かれたがらない性質で、 焼いてくれる世話で色々割り込みをかけられるより静かに放っておいてくれる方を望むのだが、まあそこで大人しく世話を焼かれてやるのも親孝行なのだろうな。

私は正しくありたいし、相手にも正しくあって欲しい。 しかし私が相手に正しくあることを求めた時、相手が傷付き、そのことに私も悲しい思いをするのならば、私はそれを求めるべきではない。 常に己の正義を貫くという選択肢は、この場合妥当ではないということなのだろう。


2008年04月18日(金)

「価値観を押し付けるな」という言辞は 「価値観を押し付けるべきではない」という(メタ)価値観の押し付けかもしれない。 私は押し付けはせずに「〜して欲しい」というくらいに留めることを心掛けよう。 でもまあ価値観とメタ価値観は別の捉え方をすべきだと思うし、 その点を共有できなければ自分としてはかなり辛い。 そういう覚悟が自分でも必要だろう。

指輪物語、今7巻。 不潔と清潔のギャップ、そして空腹と満腹のギャップで快感が提供されている。 この点はスターウォーズに近い。


2008年04月19日(土)

『ハチワンダイバー』(1,2)。 勢いがすごくいい。 キャラクターがすごくバカで、それがいい。 そしてタイトルがいい。 ハチが日本語、ワンが英語。 重箱読みならぬハチワン読み。 「ハチワン」の語呂が良すぎて暫く気付かなかった。 こういう名前は言葉に関して小賢しい私には付けられないが、だからこそその素晴らしさに惚れ惚れする。

研究室の手元 PC として入れた FreeBSD は samba の問題もあって UTF-8 環境で運用することにしたのだが、 そこで w3m が上手く動かない。 色々調べて、mlterm でも shinonome フォントでもなく、w3m に問題があることを確定した。 w3m が認識する UTF-8 のフォント幅が端末で実際に表示されるフォント幅と異なる。 そのためリンクなどの書換えが生じたときに w3m が内部で考えている画面とターミナルで実際に表示される画面に齟齬が生じ、その結果画面が乱れる。 これを回避する手段がないものかと色々試みた。 東に設定すべき環境変数があればそれを指定し、西にパッチがあると聞けばそれを当ててコンパイルしてみた。 結論、無理。 自分でハックできるならいいけど、そうでなければこれ以上は無理。 そこで w3m と UTF-8 環境を秤にかけてみた。 今では w3m は生活にかなり食い込んだアプリケーションになってしまっている。 何か検索したいときはターミナルから「ggl 何か」(ggl は google 検索する自作 zsh 関数)が指に染みついている。 でもまあ普通の人はグラフィカルブラウザだけ使ってるんだし、俺もそこまで歩を戻しても良いだろう。 いつか将来 w3m が UTF-8 を正しく使えるようになることもあるかもしれない。 ということで w3m と暫くお別れする決心をした。 それまでは Sleipnir on Windows か FireFox on X-window かで生きてみよう。 …… portinstall www/firefox が通らないけど。


2008年04月20日(日)

異性と付き合うということについて今迄あまり人に相談してなかったが、 晩飯んときに家族と軽く悩みとして話してみた。 感じていた違和感はそれなりに感じて然るべきもんだったのかもしれない、という感じ。

思ったことをそのまま、自分の心に正直に言うと相手が傷つくことがある。 まあ大半は言い方の問題で、私は言い方が冷たいだとか、何で他人のような喋り方をするのかとかそんなのだが。 そういう時に相手が傷つくのを避けることを最優先してしまうと、自分がしんどい。 それがつきつまると相手と一緒にいるときに自分が寛げなくなってしまいかねない。 だから、ある程度は自分が思ったままに言った方が良いのだろう。

どんな時でも冷静沈着、理性的で知性的であることが格好良いと私は思う。 そういうものにわたしはなりたいと思ってきた。 が、女性からしたらそういう有り様は「自分のことをどれだけ思ってくれてるのか」と不安になるんだろうなあ。


2008年04月21日(月)

今朝から母が入院していて、今日の夕食は用意されていない。 普段は帰りが遅くなるのでそういう時はレトルトソースとパスタが定番なのだが、 今日は会議の都合で早く帰宅することになったので自分で作った。 カレー以外の料理は久しぶりだ。 といってもメインはパック売りの餃子だったが。 焼き餃子、茄子の味噌汁(仙台味噌)、ホウレンソウのおひたし、雑穀入り玄米。 満たされた。 明日は米、納豆、味噌汁で朝飯だ。 普段は朝食にパンを食ってるが、一人暮らしのときは朝から米がデフォだった。 やっぱ力の出が違うよ。 そして明日晴れてたら自転車で通勤しよう。


2008年04月22日(火)

『笑う大天使(ミカエル)』映画版。 だめだいらねえ、死ぬほどいらねえ。 漫画の方が百倍良い。

20分見たところでやめる技術が必要だと思った。 最後まで通して見ないことには評価すべきでないという考えがあるが、 別に俺が評価しなくていいじゃん。 それにツカミが良くないエンターテインメントはそれだけで悪であるとも言える。 「20分見たけどつまんなさそうだからやめた」は十分に正確な評価と言えそうだ。


2008年04月23日(水)

それなりにハードな一日。

絵を綺麗に描こうとしすぎなんだよな。 結晶は3D描画ソフトでやろうとせず、もう Illustrator でいいや。 でなければいつまでたっても終わらん。


2008年04月24日(木)

関節をポキポキ鳴らす。 鳴らすと暫くは鳴らず、忘れたころにまた鳴るようになる。 このシステムが何か不思議だったんだけど、 『ゴッドハンド輝』によると、関節のところにある液体成分が刺激によってキャビテーションのように弾けて音が鳴るらしい。 確かにそれで上手く説明できる気もするが、でも「本当にそうか?」という気も同時にする。


2008年04月25日(金)

UTF-8 環境は決して薔薇色の世界ではない。 ←↓↑→や■□といった文字は表示幅が文脈に依存する。 すなわち、我々の使用する日本語環境ではこれらの文字は全角(double-width)で表示されるが、アルファベット圏の人達の環境ではこれらの文字は半角で表示される。 まあアルファベット圏の人達の気持ちも分かる。 矢印とか中黒とか四角とかの記号文字は使いたいよな。 そして英数字だけで行と桁が綺麗に揃った端末の中に double-width の文字が混ざると気持ち悪いよな。 ふう。 で、その結果、個々のアプリケーションごとに文字幅をどうするかを対処しなければならなくなったわけだ。 もうあれだ。 samba が EUC-JP で動くのならばそっちに戻ってもいい気持ち。


2008年04月26日(土)

母が薄型テレビを購入するということで意見袋としてついて行く。 まあ結果から言うと私の意見(というより嗜好)はあまり役に立たなかったわけだが。

最善の買物をするって体力使うんだよな。 今の母の体力では最善の選択を追求することを要求するのは良くない。 だから選択に使う体力をセーブしたという意味も含めると、結局あれが最善だったんだろうと思う。


2008年04月27日(日)

結婚することになりました。 ということでもまいら祝福よろ。

あ…ありのまま今 起こった事を話すぜ!

『おれは式について大雑把な考え方なんかを聞きに行くだけだと思っていたら、
いつのまにか式の日取りが決まっていた』

な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
おれも何をされたのかわからなかった…

頭がどうにかなりそうだった…

催眠術だとか超スピードだとか
そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…
(ポルナレフ@ジョジョの奇妙な冒険第3部を改変)

2008年04月28日(月)

水曜日の授業関係の準備でてんやわんや。 採点して、採点して気になった点をテキストに反映して、テキストを学生の人数分刷って、学生の課題用データを生成して……。 明日に予定入ってしまっているので今日中に全てこなしてしまわねばならないのがつらかった。


2008年04月29日(火)

わがままだと言われた。 自分では自分のことを「こんなに他人に迷惑をかけないように気を使ってる人間はいない」と 勝手に思っていたのだが、そうでもないのだろうか? ということで、その辺を自己分析してみたところ、 相手に迷惑がかかるということを正しく評価できていなかったという結論に落ち着いた。 例えばカッコワルイ服装をしていても、私一人で歩いてる分には私はへーきのへーだ。 それで不利益を被ったとしても愚行権というやつで片が付く。 でも一緒に歩いている人がいれば? その場合、カッコワルイ私と一緒に歩いている彼女に迷惑がかかる。 彼女に迷惑がかかるのならば、私は改めなければならない。 ズボンにシャツの裾を入れることがそんなにカッコワルくて恥ずかしいことだとは知らなかったが、 世の価値観がそうなっており、無人の原野を歩くのでない以上は見られることを念頭に置いて行動しなければならない。 でも、彼女に迷惑がかかるということを私が理解していなければ、私にはそれを改める十分な理由がない。 ということでやっぱり「わがまま」ではなく、「無知」の方が正確だと思う。 自分の利害だけを優先する(=わがまま)のではなく、相手が迷惑を被るならそれを慮って行動を変えるべきだと考えているから。 その周りの迷惑の評価を知らなかった(=無知)だけなのだから。

あーでも、「自身が悪い部分を認めて欲しい」ということを身近な人間にほど求めすぎるきらいはあるな。 自身の至らない点を認めることを嫌がる人間も少なくないのに。 自分の不足な点を指摘されることを嫌がる人間にとってそれは「迷惑」と言っても良い行為だ。 そういう意味では私は「わがまま」だ。


2008年04月30日(水)

授業。

大学の学者社会ってのはまあ確かに見る人から見れば学生気分のぬるい社会だが、 それが私の生きる社会であり、その中で上手くやっていけてるなら 外の社会の基準を杓子定規に当てはめるのはあまり意味がないような気がする。


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