今迄に取ってきた論文PDFファイルの整理。 この辺の整理の指針については今迄に mp3 ファイルや メールの整理などで色々考えてきたため、その考え方が役に立った。 ポイントはやはり私の言葉でいうところの「直交性」と「完全性」だ。
まず主題や内容で分類するのは問題外。 なぜなら直交性がほとんど確保できないから。 たとえば注目すべき主題が手法Aである論文と材料Bである論文があるとする。 この時、それぞれの論文の主題をそれぞれ手法A、材料Bということで分類したらどのような問題が生ずるか? 実はこの両者は同じ手法A、同じ材料Bを対象にしたもので力点の位置が異なるだけかもしれない。 それに材料にしても、例えば SiC を Si 系材料として見るか、C系材料として見るか、非酸化物セラミックスとして見るかは一意には定まるまい。 そんな細かいルールは自分が定める時には満足するかもしれないが、3日後にその論文を探す人間(=自分)がその3つのディレクトリ全てを走査する羽目になるに決まっている。
発表年で分類するのはどうか? これならば直交性も完全性も十分に満足できる。 ただ唯一にしてかなり大きな問題は、論文の内容を覚えていても、その論文が何年に発表されたものか普通の人間は覚えないことだ。 その論文が発表されたのが1967年か、1968年かという正確な数字は普通の人間は覚えない。 覚えていたとしても大抵は「大体この頃」というくらいだろう。 1975年頃の論文を探すために±3年、計7年のディレクトリを漁るのは、決してやりたくない仕事だ。
論文のタイトルはどうだろう? このアイデアは面白い。 何しろタイトルは論文の内容を端的に表したものだからだ。 殆どの論文に使われているタイトルはファイル名として收まる程度の長さだろう。 問題は、タイトルの頭文字をとったところで綺麗な分類ができないところだ。 論文がどんな内容だったかを覚えていても、そしてどんな感じのタイトルだったか覚えていても、タイトルの最初の単語を正確に覚えていることはそう多くはあるまい。
結局、ファーストオーサーの姓のイニシャルでディレクトリを分けるのが良いと判断した。 誰の論文かは結構覚えるものだし、人と内容の相関性もそんなに悪くない。 もう1〜2桁論文数が増えれば First name, Last name のイニシャルの組で分類にすることもできる。 ただし、実際のファイル名には端的な情報は可能な限り盛り込み、「著者姓イニシャル/著者名,タイトル, 雑誌名-発表年.pdf」のようにすることにした。 こうしておけば ls や locate での検索も可能だからだ。
アーチというのは半円ではなく、放物線で作られるべきなのだろうか? 半円だと地面に接する位置近傍で地面からの抗力と上部の重力の合力が外に向き、 その力がアーチを壊すように働いてしまう。 まあ近似の範囲としては半円でも問題ではないだろうが。
アーチが放物線であるべきかどうか確かめるために微分方程式を立てようとしたところで、アーチ構造は自重がなければ(頂点以外の点では)荷重がかかれば崩壊してしまうことに気付いた。 アーチ構造は数学的な構造ではなく、物理的な構造なのだと思った。
そういえば、吊り下げたロープが放物線になるということも、 そうらしいと知っているだけで確認してないな。 多分然るべき微分方程式を立てて解けば導けるのだろう。
おすしまるかぶり虫とか、おしりまるかぶり寿司とかつまらないフレーズが頭に。
5年使った J-phone 携帯から、vodafone を飛ばして Softbank携帯 に買い替え。 メモのための自分宛メールを含めてメールを使うするようになってきたら、 ボタン操作のレスポンスが鈍重であることが気になりだした。 また、液晶のピクセル数が小さく1画面に80文字程度しか文章表示ができないのが不便極まりない。 電池がヘタレてきて充電があまり保たなくなってきたこと、若干膨張気味であったこと。 あれだけ高性能な電子ガジェットはたぶん良い玩具になるし、そこそこ高くても買ってもいい。 経済力はそれなりにあるんだし。
ちなみに購入したのは東芝の 920T。 選択のポイントの一つは文字入力をしているときに誤って通話終了ボタンを押してしまいそうな配置になっていないか。 これを押してしまうと入力してきた文字が全て消えてしまいかねない。 920T はテンキーがスライダの下にあり、通話終了ボタンはスライダの上で間に段差があるのでその恐れがほとんどない。 それとは別にキーボード付きの奴にしようかという迷いもあったが、携帯テンキー打込みは片手でもできるというメリットがあるという点を評価して普通のテンキーの奴に。
携帯の充電器を研究室用にも購入すると言ったらすげー不思議がられた。 そんなに変かなあ。
某ブログのお題でウェリントンの日時計について考えてたとき、他人のコメントでアナレンマとか初めて知った。 あと、回帰線より赤道側だと日時計って作りにくいんだろな、と思った。
先日のこと。 漫画を読み慣れてない人に私が描いた漫画を読ませてみたが、 含意とかを全然読み取れなかったようだ。 例えば、追い出されコンパ漫画(2005.03)での含意:
こんなのは全てスルー。 もっと丁寧に描写しないといけなかったのだろうか? こんなん誰が見ても分かるもんだと思っていたのだが、そういうのは言われんとわからんらしい。 まあやっぱり文章と同じで万人にとって最適な表現というのはきっとない。 だから過度に噛み砕いて表現すると却って良さを損うことにもなるからあまり過敏にならんでいいんだろう。 いやまあもう漫画は描かないだろうから関係ないっちゃないんだが。
骨髄バンクドナー提供について、ブログとかに出す情報は特定されないように配慮しなくてはならないとのこと。 たとえば何月何日に何処で入院して提供したとか。 ググル姉さんの手にかかればこんな零細サイトでも見つけられてしまうだろう。 私は当然ウェブ日記者なので、どのくらいの情報まで出していいのか骨髄バンクの人に聞いてみた。 都道府県くらいまで、何月くらいまでの情報は出してもOKとのこと。 ということで、骨髄バンク関係の話題は基本的に数日〜数週間ずれて書かれていると思うがよろしということで。
なお、骨髄バンク的には患者とドナーが面識が出来ると断りにくくなることを懸念しているとのこと。 まあ勿論ドナーが患者に金品などを要求するのを懸念するのもあるだろうけれど。
しかしこの提供の手続き、日程調整とかこれもう本当に面倒くさあい! これは普通の社会人がやるもんじゃないわ。
新しい携帯でテレビが見れた。 今迄誤解しとったが、ワンセグって通信料要らんねんな。
日本酒を買いに行って試飲しながら話してるところで、初めて明後日が休日ということに気付いた。
黄金(こがね)、銀(しろがね)、銅(あかがね)、鉄(くろがね)。 これらはそれぞれの金属の古称。 今日ふいに、鋼(はがね)もそれに類するものだと思い至った。 これは刃に使う金属ということだろう。
なんか体調崩し易いなあ、今年。 いやひょっとしたら毎年こんな感じだけど覚えてないだけなのかもしれないが。
骨髄ドナーの件で「薬は飲むな、飲むなら先に連絡して相談しろ」 と言われてたので、昨日電話して今日返答。 その返答は「まだ日があるから飲んでもいい」とのこと。 その「まだ日がある」の線引きはどこにあるのか、と問うたが明瞭な返答がない。 今日が「まだ日がある」のなら、明日も飲んでいいのか? 明日が「まだ日がある」のなら、明後日も飲んでいいよな? いつまで飲んでいいのか判断がつかない。
骨髄バンクのコーディネーター、あんたらプロ意識が足らんのちゃうか? プロである医者にとって素人である患者の勝手な自己診断は邪魔になるだろうと思うから、患者である私は勝手に「まだ日があるから」と判断しないように心掛けているのに。 それを勝手に解釈して良いのなら、「あと3日もある」とか適当にされても 骨髄バンクは文句を言えないということだろう。
人によって対応が違うだろうから、ある時に覚えた「まだ日があるから飲んでもいい」は医師ではないコーディネーターが他の時に安易に使う言葉ではない。 しかし、誠実な患者ならどういう点に注意するかをもうちょっと真剣に考えて欲しい。
『ゴッドハンド輝』。面白いなあ。 死者を一人も出さないなんてファンタジーなんだけど、 患者は必ず救われてまあワンパターンなんだけど、 少年漫画として非常によく出来ている。
携帯電話を購入すると必ず1個の充電器が同梱されて来るが、 この1個だけだと自宅、研究室の何れに置いたとしても生活時間の4割しかカバーできない。 なぜなら私の生活時間は大雑把に、起きてる時間の4割は自宅、4割は研究室、2割がそれ以外になっているから。 ここでもう1個充電器を調達すると、生活時間の8割で気付いた時に充電できる。 そのためのコストとして1500円は安いもんだろう。
まあ毎日キッチリ充電器に差す規則正しい生活をする人間ならば わざわざそんなことせんでもいいんだろうけど、 私はそんな規則正しい生活を送る人間ではなく、電池が減っていることに気付いたら充電するというズボラ人間なので。
最近気付いたことは、最近の充電器の端子形状は規格化されており、 DoCoMo だろうが Softbank だろうが同じ充電器で充電できるということ。 携帯電話なんてどこの会社のものでも結局使ってる電池は同じくリチウムイオン電池なんだから端子の形を揃えれば相互に使えていいのに、なんでやらんのかと憤っていたのが5年前のこと。 5年も経てば結構変わるもんだよな。
ついでに携帯の卓上ホルダ、イヤホンマイク購入。 イヤホンマイクは一般的なイヤホンジャックのものは使えず、携帯用の端子になっているものしかダメなようで、汎用のイヤホンジャックでいけるようにして欲しいようにも思ったが、側面面積という有限リソースに対して端子の数などを節約しなければならないだろう状況を考えると仕方がないことなのかもしれない。 これを使うと、携帯電話が音楽プレイヤーに! おかげで Nature Podcast を再生するために持ち歩いていた携帯音楽端末をリストラできた。 もうちょっと色々いじって遊びたいけど、 もうちょっと時間ないと無理だな。
忌詞・忌み言葉。 梨を「ありの実」、髭を「剃る」を「あたる」、「するめ」を「あたりめ」というような奴。 それで「すりばち」を「あたりばち」と言うということを知った。 でも「あたりばち」って「ばちあたり」っぽい字面で却って縁起悪いイメージが。
メール打ちにポケベルコードを使っていたが、 新しい携帯ではポケベルコードより普通の標準方式の方が便利っぽい。 というのは数字列や英字列を打込むときにはそのまま打ち込んだ変換候補にそれらの数字列などが出るから。 最も便利な方法は、使っている道具に依存するもんだろう。 なので標準方式に乗り換えることにする。 さらばポケベルコード。
D2 の頃から投資信託をしている。 その頃は色々あって奨学金が丸々余るような形になってた。 そこで「もしここにある100万をつっこんで110万になってたら、卒業後奨学金を一括返済してしまえば 10万アブク銭になるじゃん!」という目論見。 で、銀行に行って「元本保証なくてもいいから、適当に期待値の高そうな奴。とりあえず2年くらいは寝かせるつもり」 とだけ伝えて向こうが進めてくるやつをホイホイ契約。 それ以来毎月状況がハガキで送られてくるが、 口数やら個別元本やら数値がたくさんあったのであまり見ずに放置してた。 というかそれっぽい値の掛け算がどう考えても元の額より低かったので少しイヤーな気分になりながら、それでも放置。 この状態がずっと続いていた。 先日の投資しようか、というのでとりあえず現有資産とその投資信託の過去のデータをエクセルに打ち込んでみた。 それによると、最初につっこんだところで手数料2%引かれ、あとガンガン下がって3ヶ月で元の92%弱まで下がってた。 そっからじわじわ盛り返して元の水準に戻るまで2年くらいかかり、そのあともじわじわ増えて今は元の120%くらいのところ。 最初に下がったところも含めて全体として 4.5年で120%。 てことは年4.5%くらいか。 けっこう良い数字だよな。
なおたまたま返還免除職に就けたので、このまま仕事を続ければそもそも奨学金を返還する必要がなくなり坊主丸儲けである。
余計なことを勝手にやり、 操作のルールが不明瞭でその上不安定で二度手間三度手間をユーザに強いて、 世のオフィスワークの生産性を下げることに最大限の貢献をしている MS-Word。 その MS-Word で唯一私の評価する機能がコメントと編集履歴。 仕事柄、複数人で文章を作ることがよくあるので、これだけを心の慰めに MS-Word を使用する。
学生は文章力が低い。 当たり前だ。 そのようなトレーニングを積んでいないのだから。 私かてそれなりにソリッドな文章をかけるようになったのは、それなりに毎日日記をつけていたからだ。 まー、2週間に一度まとめて日記書いていて、その日付も一ヶ月遅れになっている今現在は毎日とは言い難い状況だが。 そのような習慣のない彼らにそれは望めないだろう。 学生がそれなりの文章を作れるように、彼らが作った文章を添削する。 その際に私は MS-Word の編集履歴の記録を使用する。
「編集履歴の機能を使用すると学生にとってラクなので学生自身が考えなくなる。おかしいところだけ指摘して学生自身にどういう文章が良いのか考えさせるべき」という意見がある。 だが私はそうは考えない。 文章を作るという作業は自分の伝えたいことに最もマッチする表現を選び出して行く作業だ。 しかしどうであろうと、人間は自分の中にない表現は選択肢に入らない。 だから「こういうことを言いたいときにはこういう表現を使えば良い」ということを提示してやらなければならない場面があると思う。 それを提示しておけば、意欲のある人間はそれを注意して吸収することができるだろう。 逆にやる気のない人間に強制的に考えさせるという効果は減じてしまうかもしれんが、やる気のない人間は何やらせようとそもそも効果が低いと思う。 下に基準を合わせて伸びようとする人が伸びる機会を損わせるのは私は良くないと思う。
使用済みの貼るカイロを放っておいたら袋が膨れて来たんだが、この理由が分からん。 とりあえずの仮説。
しかし単純に分圧で考えたら酸素が内に入る駆動力と窒素が外に出る駆動力は同じになる筈なんだよな。 分圧-活量の関係が理想的でないからだろうか。
水崎氏経由、『コンビニ』(初音ミク)。 これはいい、すごくいい。
『約束された場所で underground2』(村上春樹)。 オウムの地下鉄サリン事件について、オウム真理教徒のインタビューの本。 確かにオウム信者というだけで狂信者というようなイメージを私は持っていたが そういうわけではなく、か弱いというか純粋な人はいるだろうし、 宗教というような受け口は社会にあるべきだと思う。 以下、その他の新鮮だった表現とか考え方。
web 上でユーザ登録する際とかにメールアドレスを入力するフォームがしばしばあるが、 これへのペーストを許可しないサイトがある。 その理由がさっぱり分からん。 例え2回入力することで入力ミスを減らすようにしていても、それよりは自分の MUA に登録しているメアドをコピペした方がよほどエラー率は下がるだろう。 人間の目と手ほど信頼の置けないデバイスはないのだから。
携帯を買い替えた動機の一つは操作に対するレスポンスが鈍重ということだった。 しかしハードウェアの処理能力は確かに上がっているが、同時にソフトウェアが重くなっているので、その意味ではあまり意味がなかったかもしれん。
携帯の標準入力方式だと、え段、お段の文字を打つ時に「あ、い、う、え……」と頭の中でカウントしてしまうのでその分文章に割いていた一時記憶が揮発してしまいそう。 対してポケベルコードだと1文字に対して上限2キーだから大したことない。 というか、同じ行(あ行、か行)の文字を打つときにカーソルを右に移動しなければならないのが結構耐えられん。 ということで再びポケベルコードに戻す。 いやまあ慣れの問題であるということは分かっているのだが。
映画を見て来た。 『陰日向に咲く』。 シナリオ上の部品は良い。 結構光る演出とか演技とかはある。 しかし話全体を通して見ると、構成がもう全くだめ。 以下はネタバレを含むので注意。
青年と女の子、オッサンズ、アイドルおっかけという3グループで話が並列に進行するのだが、 1時間くらい経ってもそれぞれのグループの関係が示されない。 視聴者にとっては何処に連れていかれるのかいつまで経っても不透明のまま、どこに主眼を置けば良いのか分からない。 というか「青年と女の子」と「オッサンズ」は統一したストーリーに乗っているが、 「アイドルおっかけ」は物語冒頭ですれちがっただけで最後まで統一したストーリーに乗らなかった。 主題は「父と子の絆」だと思うのだが、「アイドルおっかけ」のために主題が散漫としてしまっている。 結局、アイドルおっかけの話は尺の問題とかで適当な話を短篇集か何かからもってきてつっこんだだけちゃうやろか。
「お笑い芸人をやめた母がどんな思いで国に帰り、別の男性と結婚したのか」とか、 「何故今になって母の初恋の男性と引き合わせたいとか、その別の男性との娘である女の子が思うようになったのか」というのも結構なドラマな筈だと思うのだが、描かれていない。 この辺ちゃんと設定あるのだろうか? いや、単に煮詰められてないだけだと思う。 そういうのがあるのならば、アイドルおっかけのエピソードを入れるよりそれらを入れるべきだ。
シナリオ上の要請として、どうしてお笑い芸人でなければならなかったんだろう? 私だったら三流役者とマネージャーにするけどなあ。 そうしておけば、野球選手の父親になりすます場面を「一世一代の大芝居」として捉えることができるのに。 まあコンビ芸人とは構図が若干異なることになるが、総合的にはそうした方が良いと私は思う。 このシナリオは何某とかいう芸人によって書かれたとのことで、そのために芸人にこだわりすぎてしまったのではないだろうか。 漫画に漫画描きのエピソードが一般人の日常よりはるかに高頻度に描かれるのと同じで。
きょうのしごとはしんどかった。 入試業務のあと計算投げてた。 試験監督はやりたくない仕事。 それより門の警備の方が、寒いけど試験時間中は本読むとか内職とかできるのでよほどいい。
京都出張。 実は別件で京都に行くことになっていた予定とくっつけてこの日になったのだが、 それがなくなってしまったので純粋に仕事で出張になった。 で、いつものようによこちょうで飲んでから帰った。 仕事の打ち合わせより、飲み会と帰り道で話した内容の方が俺の人生に影響を与えるかもしれんな。
英語での執筆作業に excite! とかの 和文英訳ツールを使うのが有効な場面があると、ある人に教わった。 もちろん一発で使い物になる英文は出てこないがそれでも叩き台にはなる。 また英単語が頭に浮かぶまでの 0.5秒が無限小に短縮されるわけで、それも数百数千の回数が積み重なると大きな量になる。 このような単語、表現ストックとしてだけでも有効性を持つだろう。 全く的外れな結果が得られたとしても消せばいいだけで、試すためのコストに十分見合いそうだ。
「文章を作るという作業は自分の伝えたいことに最もマッチする表現を選び出して行く作業だ。 しかしどうであろうと、人間は自分の中にない表現は選択肢に入らない。」
……と私は考えている。 それは英語でも同じことだ。 「一から英語で書けるようにならなければならない」というのは確かに真っ当な意見だけれども、私のような英語弱者や学生が英文を書く時には自分が表現できる英文で表現しようとして、論理の方を曲げてしまいかねない。 より英語に慣れている人に添削してもらう時にだって、その人にとっては「本当はどういうことが言いたいのか」が隠されたまま「どう書くべきか」を指摘しなければならない。 だから慣れるまではまず日本語できっちり書いた方が良い、私はそう考える。 その日本語ですら文法がまともでない学生はざらにいるが、そういう日本語弱者に対する文法チェッカとしての機能も和文英訳ツールにはあるとのことで、これについても膝を打った。
『るぷぷキューブ ルプ☆さらだ DS』。 PS版から相変わらず、実にしぶといゲームだ。 レベル「るぷ〜?」第10話すてーじ8と9 がなかなか解けずに1週間以上経っている。
父親が私の生まれるずっと昔から父だったというような錯覚があったことに気付く。 でも父は姉が生まれたときで26、私が生まれたときで30。 今の私も若造だが、その時の彼も結構な若造だったのだろう。
MS-Word の編集履歴の記録と同等の機能を TeX で実現できないだろうか? 手元に前の版と最新版の2つのバージョンのファイルを用意しておけば、その差分は diff で簡単に取ることができる。 差分を例えば added、deleted といった 環境として埋め込んだ TeX ファイルの生成までは容易に出来るだろう。 問題はこっから先でこの added, deleted を含めた LaTeX のクラスファイルを作ってやらなければならないということ。 私はテキスト操作のスクリプトは作れるが、TeX のクラスファイルをいじることはようやらん。 誰かこういうことやってないかなあ。
とりあえず追加は下線、削除は footnote ということにして、こういうスクリプト作ってみようかな……。
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