きづき(日記)

きづき、またかんがえたことをしるす (いっぺい)
Last modified : Sat Jan 05 01:48:53 +0900 2008

2008年01月01日(火)

あけおめ。
ねこのここねこ ししのここじし

謎かけの解説は、また後日。


2008年01月02日(水)

他人と喋るとき、私は余程親密にならんとですます調が崩れない。 でも寮や漫研の同輩、後輩あたりと話するときの口調はもうちょっと砕けている。 そう考えると、タメ口になる境界線が、普通の人よりやや低いのだと言えるかもしれん。 で思ったのは、この性質のために相手はより一歩引いた所からより客観性の高い意見を言われているように感じて、攻撃されているように感じる度合いが強いのかもしれんなあ、と。


2008年01月03日(木)

もう正月休みが終わってしまった。 病気で体力と根性が潰れてたということもあるが、結局ニコ厨で終わってしまった。 プログラミングとか、やりたいこと色々あったんだけどなあ。 というわけで見たもの:

どう見てもニコ厨です。 本当にありがとうございました。


2008年01月04日(金)

体調は完調じゃなかったが、天気良かったのでついつい自転車で出勤。 途中、住吉大社で祭礼を少し見たり。

犬大将経由でニコニコ動画のアパッチ野球軍。 スゲーオモシレー。


2008年01月05日(土)

高校の同窓クラス会。 いい酒だった。 来た奴にはそれなりに喜んでもらえてるようで、幹事冥利に尽きるというもんだ。


2008年01月06日(日)

初詣というやつ。 一昨日に行ったのは何だって? そういう細かい事はまあいいじゃん。 おみくじなんて、ここ干支2周分くらい引いてなかったに違いない。 ちなみに小吉でした。


2008年01月07日(月)

reminder に祝日を記入するために来年のカレンダーを眺めたら、 2008年は 5/3(土)、5/4(日)、5/5(月)で、これまでのパターンでは3連休止まりの残念な年になる筈なのだが、どうやら 5/6 が振替休日になるらしい。 Wikipedia によると、どうも祝日法が改正されたのこと。 へー。


2008年01月08日(火)

軽めの宴会のあと、ソファで横になってたら終電過ぎてた。 採点、採点、採点……。


2008年01月09日(水)

採点が終わり、眠れる状態に持ち込めたのは6:30。 そして10:30に起きてレポート返却。

母の手術の説明を受けるため、早退して病院へ。


2008年01月10日(木)

来週までと思っていた採点が、実は再来週で良いことが発覚。 これで随分楽になったぜ。


2008年01月11日(金)

母の手術。 医者をそれなりに信用しているのと、医者にとって術中死はかなり不名誉で避けようとするらしいという漫画由来の適当な情報と、失敗してもどうせそれが運命だという諦観と。 私が手術室前で待ってようが待ってなかろうが、手術の結果は変わらん。 要するに個人的には行かなくてもいいということ、なのだが、切除した臓器を見せてもらえるらしいということが最大のモチベーションになって行くことにした。 そんな血生臭いオブジェクト、医学素人にはそうそう見れるものではない。 で行って、母の病室は自由に使えるらしいので、手術中そこで仕事(レポート採点)してた。 切除が終わったので呼ばれ、組織を見せて貰ったが、やはり素人目には癌組織は分からない。 しかし医者先生の言うようにピンセットでつつかせてもらったらやっぱり硬くなっている箇所があった。 普段よく目にするスーパーの肉パックの感じと比較すると、300〜400グラムくらいだろうか。 医者先生によると、開けてみたがやっぱり見えないところに癌細胞が潜んでいる可能性がありそうだ、とのこと。 5年生存率3割に入るのはそれなりに厳しい事かもしれん。

組織切除のあと、縫合に1時間くらい。 縫合が終了し、全体が無事終了して ICU に入った母と面会した。 痛みがひどいらしく、喋ることもままならない。 当たり前だ。肺を切ったんだから。呼吸も辛かろう。 喋らんでいい、と伝え、少し手を握って、早めに退室した。 あの人の性格ではきっと、私がいた方が気が休まらないだろう。 色々、なんかちょっと、思うところがあったが、まだ言葉として整理できていない。


2008年01月12日(土)

今のうちに言葉にしておかないと、二度と辿れぬ感覚だろうからもうちょっと思索を深めてみる。 私は元々生きるということに対して結構諦観というか、達観というか、一歩引いたところから眺めていた気がする。 「人生、なるようにしかならない」とか。 自分は死にたくないし、自分以外の誰にも死んで欲しくはないが、それでも死というものはそこにあるものなのだ。 全ての努力を払った後に、それでも避けられなかった死ならば仕方がない。 人事を尽くした後に来たる天命。 これまで自分が持っていた死生観はこんな感じだった。 そこに痛みというファクターは含まれていなかった。

手術直後の母が痛みに苦しむ姿を見た。 そんなに痛みに耐えるのも、生きるためなんだと。 母は病気の自覚症状がなく、痛みがない状態で生活を続けていた。 そこに敢えて痛みを背負うのは、より長く生き延びるためだ。 何もせず短期間で死ぬよりは、痛みを乗り越えてより長く生きようとしているのだ。 痛くても、生きなきゃだめなんだ。 5年生存率が3割ということは、そして手術して5年生きられない人がいるということは、何もしなければ5年以内にはほぼ確実に死んでいたということ。 手術しなくても今は元気であったが、そういう辛い手術をしても生きることが優先されるのだ。 私は、痛みというものによって、生というものを急に、別の角度から実感したようだ。

アパッチ野球軍貫徹。 これはもう間違いなく端から端までツッコむのが面白いアニメ。 一人で見ても面白くない、できれば同好の士と一緒に「これはダメだろ」とか言いながら見たい作品だ。 というわけでそういう友人が近くにいない場合は、DVD より、YouTube より、ニコニコ動画で見るべきだと思うのです。

駄目だ。 頭ん中がもう完全に桃色だ。


2008年01月13日(日)

大阪生まれの大阪育ち、だけど海遊館に行ったことなかったので行ってみた。 哺乳類いいなあ。 ラッコとかイルカとか毛のある生き物(けもの)の可愛さは異常。

初めて気付いたのだが、魚はゆったりと動き、哺乳類はキビキビ動く。 考えてみれば、魚は変温動物なので体温は水温+α程度の筈で、だから運動性能が低く活動が緩慢。 そして低体温だから比較的低カロリーで生きられる。 低カロリーで生きられるから捕食のために優れた運動性能は必要ない、そういう生存戦略と見ることができる。 対して哺乳類はその逆で、恒温動物なので30度以上の体温を有するため運動能力に優れ、沢山捕食して沢山カロリーを消費する。 ということで海遊館のイルカは休むことなく激しく泳ぎまくりだった。 同サイズのサメなんかがゆったりたゆたっていたのと対照的。

海遊館の売りのジンベエザメとそれが入っている巨大な水槽も良かった。 あれだけ巨大な水の塊があると青っぽい光で視界が満たされるので、 それが癒し的な感じ。 あとクラゲがきれいだった。

昔学会で地方に行ったとき(秋田だったか?)、レンタカードライブで水族館に入ったことがあった。 そこはイカとかエビとかカニとか貝とか魚以外の魚介類が豊富で、見ててマジ腹が鳴った。 どう見ても寿司(ネタ)です(ry。 対して海遊館は比較的大型の動物が多かったかな。 ジンベエザメ、マンボウ、ラッコ、アザラシ、イルカ、ペンギン。 なんつーか飼育に金がかかりそうな感じの奴。 たぶん都会だしお金もそれなりにかけられるから、というラインナップなんだろう。 先の消費カロリーの議論からして恒温動物はエサ代がより多くかかる筈だから 地方水族館には辛いのかもしれない。 そしてたぶん、小物系の方がそのまま食う形に近いので、 美味そうに見えるのが多いのかも。


2008年01月14日(月)

成人の日。 いやこう書いておかんと休日だったことが分からんようになるので。

箕面ドライブ。 そして箕面の滝まで歩いてみた。 箕面は小中学校まで過ごした土地なので非常に思い入れが深い。 マジ心の故郷。 滝まで歩いて、マイナスイオン(?)を浴びて帰って来た。 店でたこ焼き買い食いするなんて、当時の経済力では全く想定外の行動だ。

箕面の滝道には昆虫館という施設がある。 しかし入ったのは小学生時代以来。 蝶々を放し飼いをしている温室が面白かった。 親に放し飼いされた子供(兄妹)と一緒になったので彼らと回っていたら、 職員に彼らの親だと勘違いされた。


2008年01月15日(火)

病院施設にくっついているコンビニを利用したが、ひどかった。 のど飴を求めて店内を一通り回り、望みのロッテののど飴がなくカンロののど飴しかなかった。 他のコーナーにあるのかもしれないと思って、「のど飴を探してるんですが」と店のお婆さんに聞いてみたところ、「ないよ」と答えられた。 正直面喰らった。 いや、カウンターの前にカンロののど飴はあるし。 嘘いうなや。 もう話できないと思ったのでカンロののど飴を買ってすぐに出た。

まあ耳が遠いのかもしれないが、聞こえないなら聞こえないと言うべきだろう。 聞こえないのに聞こえた振りしてサービスもどきを提供するのは最低だと思う。 それだったら店を畳むか、他の人に経営してもらうか、バイトを雇って欲しい。 商売っ気がないのはある意味美徳なのかもしれないが、 サービス業なのにサービスになってないのは顧客に不利益が生じるのでやめて欲しい。


2008年01月16日(水)

先日骨髄バンクドナーの血液検査を受けたのだが、コーディネーターの説明が遅くて辟易した。 もっとテキパキ進めてくれ。 60〜90分で終わる筈なのに 120分近くかかったのは俺の質問が多かった所為ではなく、あんたの説明が遅い所為だろう。 私はキチンと予習して行っているので説明が冗長。 ……まあこの辺はしゃあない気もするけどな。 世のドナーの少なからずが予習せずに行って説明を要とするだろうから。 しかしコーディネーターには話の流れからその辺を察して欲しい。 でなければ、私のように真面目に対応して予習した人が馬鹿を見ることになるので。

白血病の既往歴を持つ人はドナーになれないらしい。 ということで将来私が白血病を患っても自分の血液をあげた人がドナーになることはないとのこと。


2008年01月17日(木)

午前、出勤を送らせる形で母の手術後の見舞い。 母はすっかり元気で拍子抜けした。

去年拾った拾得物の宝石状のものの引き取り。 うわあい、キュービックジルコニアライクなオブジェクトが俺のものに! 冬の窓から差す日光にかざして楽しんでみたり。

顔面痙攣はいつの間にか直ってた。 一過性のもんだったんだな。


2008年01月18日(金)

年賀状に使った「ねこのここねこ/ししのここじし」。 これは小野篁の故事に由来する謎掛け。 詳しくはぐぐってもらうとして、原典としては子の字は「こ」「ね」「し」と読めるので、「子子子子子子」という文字列は「ねこ(の)ここねこ」、あるいは「しし(の)ここじし」と読めるよね、ということ。 それを逆に謎掛けて、「ねこ(の)ここねこ」「しし(の)ここじし」は両方とも「子子子子子子」と書けるので、合計12文字(匹)の子(ねずみ)がいるよね、ということでした。 去年の謎掛けにくらべて、問がやや独善的だったのは否めないですなあ。

というか、年賀状に「あけおめことよろ」に類する語が入ってねえ。 忘れてたよ!


2008年01月19日(土)

センター試験の試験監督。 リスニングの監督は正直したくない。 音たてたらあかんので受験生との対応も筆談などでしなければならないなど、 ストレスが大きい。 コストに見合うメリットがあるならやるのが良いと思うが、具体的にそれだけのメリットがあるか定量的に示してくれないものかな。


2008年01月20日(日)

ニコニコ見てたら、ゆとりと貶されたのをムキになって反論してる奴がいた。 論旨としては「ゆとり教育は当時の大人によって決められたものであって自分には責任がない。だから『ゆとり』と貶されても屁とも思わない」とのこと。 まあそうなんだけどさ、社会が悪いというのもその通りなんだけどさ、それを背負って行くのはおまえの人生だろ、と言いたい。 「あいつらの所為だから、俺の能力が低いのは俺の所為じゃない」と喚いていても何も良くならんし、能力が低いという事実は変わらんだろう。 たとえ言ってる内容が正しくてもそれを言っても仕方がないことというのが世の中にはある。 原因がどうあれ、事情がどうあれ、自分を高める努力は常に必要ではなかろうか。

というか「ゆとり」という揶揄は真にゆとり教育を攻撃しているのではなく、大抵空気読めないとか思考能力が低いとかいうことを揶揄しているだけだろう。 だって発言者がゆとり教育をうけた人かどうかは分からないんだし。 だから「ゆとり」という揶揄に対してムキになって先述のような反論する奴はまさしくゆとりということで。


2008年01月21日(月)

『切磋琢磨するアメリカの科学者たち』(菅裕明)。 まあアメリカの研究予算取得のシステムなどの情報は細かすぎるが、 取捨選択しつつそういう部分は飛ばして読めば良いわけで。 そういう読み方しないとちょっと情報密度低くなってしまうかなー。 とりあえず私の役に立った部分は、まず目標設定はどうあるべきかという点。 その研究によってどのような重要な科学的知見が得られるか、 目的・目標は個人的であったりこじんまりとしたものではだめ、 かといって大風呂敷になりすぎてもだめ。 背景としてどのようなことが今明らかになっていて、まだ解明されてないか。 そして研究計画におけるリスク対策。 リスクに対してどのような対処が考えられるか、一つの失敗で全体が無にならないか、 上手く進まなかったときの二の手を考えておくとか。 あと、とりあえずモチベートされた。 研究しよう。


2008年01月22日(火)

『冷たい密室と博士たち』漫画版(浅田寅ヲ)。 ひどい。これはひどい。 ページ数が圧倒的に足りない。 この作品を描いた漫画家にはおそらく非はない。 敢えて言えば、企画が悪い。 最低でもあと倍のページ数が必要で、ひょっとしたら10倍あってもいいかもしれない。 しかしそれはそこそこ売れている漫画家には要求できるべくもない物量だ。

森博嗣って漫画描きだったのか。 言われてみれば漫研部員に対する妙に鋭い描写に納得する。 あとがきが、私にとって深い。 「自分では、漫画の才能は天才的だと考えている。何故多くの人はわかってくれないのだろう、と不思議に思う」 お前は俺か。 その自虐的なまでの才能のなさに対する自覚といい。 いやでも俺の場合、他の人が分かってくれない理由は明らかだ。 俺の場合は絵が拙いのが大きい。

文章書き、漫画描き、研究者と私が人並以上だと自負していたり、求めている全ての要素でこの人は私を上回っているのではなかろうか。 なんつーか衝撃だ。


2008年01月23日(水)

『美の壷 寿司』と 『プロフェッショナル 仕事の流儀 file:074 修行は、一生終わらない 鮨職人・小野二郎』。 NHKいいなあ。 というか、寿司いいなあ。腹減ってきた。 東京出張ねえかなあ。


2008年01月24日(木)

受験勉強で数学の問題やってた時には問題を解くための条件の数が合ってるという感じがした。 簡単な例では、3変数の方程式の解を求めるのに条件が3つ必要、という奴。 この感覚は、鍵の数と錠の数が合っていると表現するのが良いように思った。


2008年01月25日(金)

図書館シリーズ終了(図書館革命まで)。 面白かったー。 この本の良くないところは背表紙タイトルだけではシリーズ何冊目か分からんところだと思う。 が、そんなことはまあ読者としては瑣末な問題だ (ただ、「どこまで読んで次はどれなのか」を店先で判断に迷ってしまい、購入を躊躇するかもしれん、というのは商売としては瑣末ではない問題だと思うが)。 エピローグの彼彼女らの姿が、典型的ではあるが本編と良い温度差があってとても良かった。

Ruby クックブック読書会。 この本はちょっとどうかな、と思うようになってきた。 もう何年前になるか分からんが、某から貰った(そして別の奴に譲った) Perl クックブックは素晴らしい本だった。 ということで「何故 Ruby クックブックは駄目なのか」ということを考えてみる。 Perl クックブックの「やりたい事」は文字列を具体的にどうするとか比較的 primitive な、多くのアプリケーションに共通的に使われる基礎的な要素であるのに対し、Ruby クックブックの「やりたい事」はどうも「telnet で通信するには」のように特定の目的でのアプリケーションとか、アプリケーション寄りのノウハウだと思う。 私がプログラムをするときは「これとこれを組み合わせてやればできる」という考え方をするのだけれど、この場合の「これ」を示すのが Perlクックブックで、「そうやって組み合わせたもの」を示すのが Ruby クックブックという感じなんだと思う。 まあ Ruby の場合、私の云う「これ」を示して欲しいという向きには標準クラスのメソッド一覧で大抵片が付いてしまうという側面もあるだろうが。


2008年01月26日(土)

『タイムボカン王道復古』。 うーん、まあ企画としては間違ってないが、見るべき価値があるかというと微妙。 一番良かったのはやっぱり山本正之の『悪役ドアが開く』かなあ。


2008年01月27日(日)

電球ソケットを天井に固定していると何かぶつかったときに大変割れやすい。 しかし天井からぶら下げていれば電球自身が動いて衝撃を逃がすので、比較的安全性が高い。 ということを物置から荷物を取り出しているときに思った。 まあウチの物置は天井が低く、ぶら下げるだけの余裕はないんだけど。


2008年01月28日(月)

昨年秋に自転車で転倒した時に痛めた左手首がまだ痛い。 手首が冷えるのがきっと完治しない要因の一つだろう。 そこで穴が空いて片方しか残ってなかった靴下の先を切って、 筒の部分をリストバンドにしてみた。 悪くない。 そしてさらに、折り返した部分に使い捨てカイロを挟んでみた。 さらに悪くない。


2008年01月29日(火)

『お金は銀行に預けるな』(勝間和代)。 ひらしょーが読んでたらしいので読んでみた。 何を買えみたいな表面的な情報ではなく、リテラシーとしての初歩の知識を教えてくれて有益だった。 うん、投資をしてみよう。 とりあえずリスク分散の初歩らしい4分割法みたいなのを試してみよう。

私は無駄遣いは嫌いだが、逸失利益が生じることもまた損失なのだというのには納得。 小金を稼ぐためにあくせくしたりケチ臭くするのは嫌いだが、お金自体は好きだしな。

給与所得は実質線形だが、利子による所得は指数関数になりうる。 金持ちがより金持ちになるのは金をもっているからなのか。 ( だだもれ(ひらしょー))

10万円をかけようが、100万円をかけようが、それにかかる時間コストは同じだ。 適切な金融商品を選べば、投資は実にマイルドなギャンブルだ。 経過時間という対価こそ払うことになるものの、期待値がプラスになる希有なギャンブル。 しかもお金がお金を稼いで(いたり失ったりして)いる間、私の個人的な時間は失われない。

そういえば、算私語録(安野光雅)に金利の話が幾つかあったな。 この本が書かれた当時はバブル前で銀行の金利が6% の時代で、 「年利6%で運用すれば年収 600万円の男の価値は1億円と等価になる」とか。 もし資産さえ十分にあれば、私の年収に対して無視できない程度の額を私自身が働くことなく稼ぎ出すことも可能なわけだ。


2008年01月30日(水)

骨髄バンクのドナーになったということは、血液型の一致度がかなり高い人がいるということで、そこで血液型性格判断が正しいと仮定すれば、ほとんど俺と同じ性格の人間がそこにいるということになるな。

ちなみに、骨髄提供の判断に使われる HLA型は 1/15〜30万の確率で一致とのこと。


2008年01月31日(木) 「そうだ京都、行こう。」

京都に「夢を語れ」というラーメン屋があるらしい。 気になったのでぐぐってみたところ、その正体はどうやら二郎らしい。 そうだ京都、行こう。


最新日記の各日付が当該月の日記へのリンクになっています。 さらに過去のものはトップページから辿れます。

| トップページ | bbs |