きづき(日記)

きづき、またかんがえたことをしるす (いっぺい)
Last modified : Wed Dec 05 04:34:21 +0900 2007

2007年12月01日(土)

同僚とハイキング。 前回の反省から登山ステッキを持っていったが、使うとやはり数% 程ラクになる感じ。 買っておいて良かった。

ある人が燃料、ヤカン、カップ、水、スープの素を持って来てて、大変尊敬した。 いざというとき出せるように揃えておけたら格好良いかも。 でもハイキングするの年1〜2回程度だから、コストに見合わんか。


2007年12月02日(日)

講演資料作成。

高校野球部OB連中で東京に行く先輩の壮行会。


2007年12月03日(月)

講演資料作成、および翌日1限の演習の予習。 採点までは手が回らず。


2007年12月04日(火)

他大学で招待講演2件。 学部1年生向けの方はそこそこ手応えありだったが、 研究室の学生向けの話が全然理解してもらえなかったようだ。 分かり易い、良いプレゼンテーションをすることにはそこそこ自信を持っていたのだが そのようにできず少しショック。 敗因はおそらく、私自身が化学系の道を歩んで来なかったため この方向の学生がどういう知識をどういう手順で得て来たものか、 それぞれの学年でどの程度の知識を持っているものと考えて良いものか サッパリ分からなかったことだろう。


2007年12月05日(水)

4時起きで演習の予習の仕上げ。 7:00出勤でコピーなどの準備。 1限が演習。 4限の別の演習で再提出レポート返却。 これで今週の山は越したー。


2007年12月06日(木)

精神的に疲弊していたので Linux のセットアップに逃避。 ubuntu は最初のインストールが楽。 ルーティングではまって、解決に2時間とか。 帰りは終電。 UNIX いじってる時に消費する精神力は私にとってどうやら別腹のようだ。 耐えられる。


2007年12月07日(金)

もう6週も前に自転車転倒で痛めた左手首がまだ痛む。 ということで勧められた整骨院に行きの通勤途中で寄ってみた。 入念なマッサージの結果、確かにラクになった。 すごい。 あのサービスは確かに病院ではなかなかできないように思う。

学生の計算の進捗が芳しくない。 忙しさにかまけて丸投げしてたらあかん。 反省。


2007年12月08日(土)

ubuntu ルータを越えると DNS が何故か取れない。 IP フォワードのフィルタルールがまずいのだと思うが、よく分からん。 ubuntu ルータそのものに DNS をさせることも試みたがすぐにはできなかった。 ふと FreeBSD を親分にしてみてもいいかな、と思い付く。 今度試してみよう。

仕事するつもりで研究室に居はしたが、だめだ。 やっぱり土日は仕事しないつもりで金曜日に必死こいて片付けないと、 全てが無駄になってしまう。


2007年12月09日(日)

宝くじ買ってみてもいいかもなあ、と思うようになった。 300円10枚綴りだとすれば、3000円が個人で購入できる最小単位。 学生時代のように金にあまり余裕のない時には 3000円の価値が高かった。 「その 3000円で何が出来るか、出来なくなるか」。 そのように考えると、期待値が大きな判断基準になる。 そして胴元が取る寺銭のために期待値は必ずマイナスになる。 職に就いた今では 3000円という金額の価値が相対的に低下している。 その3000円が私の人生に与える影響はないと言って良いだろう。 それよりは、人生を劇的に変える可能性が零から非零になることに価値がありそうだ。

高額の賞が当選する確率はほぼゼロだ。 この考えは変わらない。 朝家を出る時に「今日交通事故に遭うだろう」と考える人はあまりいないが、 宝くじに当たる確率はそれよりも低い(人間は楽観的な観測を信じたがる)。 工学屋としてはこんな確率は無視する方が妥当だと思っていたが、 参加費用をゼロに近似できるのならば賭けに乗るのもアリかもしれない。 宝くじはあくまでギャンブルだ。 生活に差し支えない程度に余剰金で行うべきだという観点から見れば、 所持金の多寡によって行うべきか行わざるべきかが変わるというのもまあ妥当な結論だと思う。

なお人間の感覚は対数的なので、もし買うのならば連番ではなくバラで買うべきだと思う。 3億円当選することは、5000万円当たることの 6倍嬉しいだろうか? 確かに連番ならば、1等が当たれば前後賞が付く可能性が高い。 しかし同時に、1等が当たらなければ前後賞も外れている可能性も高くなる。 バラならば前後賞ごと当たることはほぼありえないが、1等が外れてもどこかの前後賞に引っ掛る確率は相対的に高くなる。 まあこの辺は個人的にどのくらいの額が欲しいのかに依存する。 もし会社経営者が宝くじを購入する時、「あと3億円あれば工場を新設でき、2億円では足りない」という状況ならば、3億円を狙って連番を買うべきかもしれない。

僅かにだが、連番ならばハイリスクハイリターン、 バラならばローリスクローリターンとも言える。 ふと思いついたのだが、極限のハイリターンはバラ買いかもしれない。 バラ買いのそれぞれで 2億円が当たれば、最大20億円までの収入が見込める。 もう一つ思い付いた。 当選番号が連番になれば、連番でも1等と前後賞がそれぞれ重複して最大30億円が見込めるかもしれない……が、システム的にこういう当選番号は除外されそうな気がする。

末等をなくして高額賞を増やした方が嬉しいという意見を聞いたことがあるが、 そして個人的には私もそう思うのだが、 しかしあった方が良いように私は思う。 末等が必ず当たるため、宝くじは常に 300円の金券としての価値を持つ。 300円であっても宝くじを引き換えに行かせるモチベーションになる。 そして引き換えに行けば、購入者が把握していなかった高額賞でも、きっと確認して支払ってくれる(はずだと思うのだが、どうだろう?)。 「宝くじは当たるもんじゃない」と思っている真っ当な精神を持つ者からすると、 末等がなければその宝くじを忘れたり失くしてしまったりするかもしれない。 宝くじの胴元としては宝くじを忘れたり失くしてもらった方が大きな利益が 望めるかもしれないが、 少しでも然るべき人に然るべき配当が行くようにした方が商売として健全だ。

まあ、でも、買わねえだろな、俺。 だって面倒なんだもん。 売り場まで行くの。


2007年12月10日(月)

携帯の電池がかなりヨボヨボ。 充電した直後でもメーターが1個減ってたりする。

携帯を買い換えたら入力のストレス減るかな。 今の携帯では3のキーの直上に電源キーがあり、これを押してしまうと入力内容が全部失われてしまう危険性がある。 だからサ行やウ段を打つ時には注意を要する。 携帯に限らず物を購入するときにはこの手の操作系のユーザインターフェースを最も重視したいんだけど、こういうのって実際に使わないとなかなか分からんのよな。 それに新しいもの程良くなっているとは限らないし。

聞くところによると、数年経った携帯の電池は無償で交換してくれるとか。 今度 J-phone ……じゃなかった、Softbank ショップに行ってみよう。


2007年12月11日(火)

計算機クラスタの親分の OS を FreeBSD にしてみたら全てがうまく行った。 いや勿論以前から FreeBSD でいいじゃんと思っていたわけだが、 6.2-RELEASE ではどういうわけか VIA のギガビットイーサ LANカード(vge) が 使えなかったのだ。 しかし最新の 7.0-BETA4 ではさっくり使えた。 ports もインストールできた。 xorg 7.3 で特に xorg.conf を作らなくても xinit で X 起動できたし、全く文句なし。 子分も NFS マウントできて mpi 計算が走ることを確認。 これで仕事(の一つ)が山を越えた。

問題は、明日と明後日。 演習授業と会議がてんこ盛り。


2007年12月12日(水)

京都にいる筈の中ボスがなんか知らんがウチの大学に居た。 たまたま会ったので研究上の懸案事項を立ち話ディスカッション。 おかげでメール送らにゃあかんという懸案事項が半分クリア。 あとはその線に沿って研究で成果出すだけ。 たぶん、行ける。

演習授業クリア。 残る山は明日予定されている3つの会議。 1週間後の演習がさらに地獄。 2科目3コマあるのでその全ての予習せんとあかんし、年内最後の授業なので手元にある分のレポートを全て採点して返さんとあかん。 前回採点できんかったんで2回分溜まってる。 他に学内の行政的な仕事もある。 まあやるしかなかんべ。

Ruby 関係の人達と忘年会。 当然のことだが俺以外全員プログラマだったようだ。

まず、私はこれら2つの在り方の違いが面白いと思った。 前者においては知識が深くなる方向へ伸びることが求められ、 後者においては知識が広くなる方向へ伸びることが求められる。 すなわち、求められる知識の方向が直交しており、これがその在り方を決めていると言えるだろう。

大学に残って研究を続けるような人間と会社で戦い続けてきた人間とでは、そもそも知識につじての考え方の根本的な部分が大きく異なる。 だから職人肌の技術者と管理職に摩擦が起きたり、研究者が管理職になると大変だったりするのだろう。

会社組織で上の方に行くほど多数をまとめなければならないのは、利害関係の衝突を調整するためだろう、きっと。 複数の部署がそれぞれ最善を尽くすわけだが、それは下手すると部分最善全体最悪となり、会社全体の利益を損うことになるかもしれない。 上司の役割は彼等を超越する者として利害を調整し、組織全体の利益を最大化させることと捉えられる。 この構図は、市民個々人の利害とそれを調整する行政の仕組みと同じだと思う。


2007年12月13日(木)

最近よく労働している。 14:00昼飯のあと24:00 帰宅まで食事なしとか平気になってきた。

あうう。 会議と労働とで少し脳がしびれている。


2007年12月14日(金)

「今の学生は、これをやっておけばこれができるようになるとかを全部示して、お膳立てしてあげておかないといけない。そうしないと学習しようとしない」とか言う人が多い。 「昔の学生は自分で調べたし、理由は置いといてとりあえず学んどけと言われたら学んでいたもんだ」とか。 私はその時代の学生を見たことがないのだが、 「彼達の言う昔の学生の基準は、彼等自身だ。 大学に残るような少数の学生にそういう傾向が強かっただけで、 彼等と同じ学年を統計的に、客観的に見たら今の学生と状況変わらんかも しれないじゃないか」と思う。 というか、どっちゃにしろ学習するのならモチベーション低いより高い方がいいじゃん。 というかそもそも、学習するなら独習が一番効率が良いので、わざわざ授業するのはそのモチベーションを植え付けるためであるべきだと私は思っている。 だから「これをやっておけばこれができるようになる」ということを示すことこそが授業の中核だというのが私の信念だ。 というようなことを総合的に考えると、私がこう考えるようになったのは私が博士行く気なしのロクデナシ学生だったからかもしれんなあ、などと思い至る。 成績的にはオチコボレに近かったし。 そう考えれば、ロクデナシ学生だった私というのは教員として希少な存在なのかもしれない。


2007年12月15日(土)

病院で某の主治医と話。 とりあえず手術するという方針で。 5年生存率が3割てことは、期待値でいうと余命は1年半くらい? いや積分すると期待値はもっと長いのだが、それくらいの覚悟は必要だということだ。


2007年12月16日(日)

なんかひょんな縁で出会いパーティ行って来た。 値段も高々1飲み会程度だし、あまりそういう期待は過度には持たず、 怖いもの見たさな感じが強かったつもりなんだが、 結論から言うと出会って来ました。

相手から尋ねられることは実は、相手が尋ね返して欲しいことだと気付いた。 「誕生日はいつ?」とか、「音楽とか聞くの?」とか。 そーいえば誕生日聞かれて、しかし聞き返さなかったことがあるなあ。 あの頃はよく分かってなかった。 これを裏返せば、異性に限らず何かの場面で話題に困ったりしたら、自分の聞いて欲しいことを聞けば良いという簡潔で有効な技になるかもしれん。 というか普通に使ってる気がするな。 まあ明文化して意識した、ということで。


2007年12月17日(月)

エ ア コ ン 故 障。
寒い。 学生ともども冬の寒さに凍えている。

骨髄バンクのドナー候補に選ばれた。 健康で体力のある、そして今迄の病気感染リスクが極めて低い成人男子だ。 スペックシート上は私以上の適格はあるまい。 さあ、持ってけ。 とにかく患者には俺がヲタ喪男鉄板童貞であることに感謝してもらう。 制度上俺のことを知れないと言っても、それに感謝してもらったことにする。

しかしこれに関して、どの辺まで公言してもいいのかな。 まあ患者がこのページを見る確率は星を拾うようなものだろうけど。


2007年12月18日(火)

研究室が寒い。 寝袋を「着用」してイモムシ状態で仕事。 「寝袋持って行っといてよかった」。 心底そう思った。

家族の同意を得るのが面倒。 一応面前で話して了承得るのが筋だしなあ。

忘年会から帰ってすぐに寝る。


2007年12月19日(水)

4.5時間睡眠の 4:00 起きで採点、出勤して休みなしで授業準備して、 1,2,4限と授業。 しかも合間で休める筈の研究室は風こそなけれど極寒の地。 死ねる。

最近左の下まぶたがピクピク引き攣る。 ストレスか? そんなにストレスフルな毎日は送ってないつもりなんだけど。 でも疲れが酷いときに悪化している気はする。 病院行ってみるかな。

俺は人を好きになれるかもしれない。 恋愛ゲームも、できるかもしれない。 メールのやりとりを恋愛の駆け引きなのだと捉えると、 相手はかなりの恋愛強者だと言えそうだ。 もしそうだとしたら、その点に関しては俺のおよぶべくもないので適当に当たって砕ければいいし、 意図が図れれば乗せられるのも悪くない。 というか駆け引きであろうとなかろうと、俺のやることできることは変わらん。 上手くいかんでも良い経験にはなるだろう。 喩えるなら、レベル3でメタルスライム相手にしてる感じか。 いや、Murphy's Ghost の方が適切かもしれない。

ハードワークその1終了。 あとは明日の会議。


2007年12月20日(木)

会議終了。 年内とは言わず、後期で最も負荷がキツいところは越えたー。 あとは雑務を潰していくぜ。

『図書館内乱』(図書館シリーズ2)。 『図書館危機』(図書館シリーズ3)。 うわあ、勘弁してえ、堂上さん(30男)可愛い! あー、もーあんたら幸せになってくれ!

有川浩は話を組み立てるのが上手い。 特に感じたのが、慧が郁にぶっちゃけ話したあたり。 今迄張ってあった伏線が一点に収束していく感じ。 一冊の本の冒頭のツカミが抜群に上手い。 彼が彼女を好きだなんてことは読者の誰にも分かっているのに、 分かっているからこそそれをツカミに使うなんて(『図書館危機』)。 そして章立ても上手だし、章を閉じるのも上手い。 文法としては、意味が一意になるように文の修飾語の順番に配慮が払われているのが気持ちいい。 具象として言ったことなのに、鉤括弧付けないとかもたくみだ。


2007年12月21日(金)

平等を確保するときには、機会の平等と結果の平等とが区別されなければならない。 成果を出した学生だけが発表できるというのは結果の平等で考えると不公平になる筈だが、それは勿論ナンセンスだ。 彼らにスタート地点および進捗の過程で機会が平等に与えているのならば、 努力して成果を出した者に特権が与えられるのは当たり前だ。 努力せず成果の出なかった者に合わせて結果の平等を当て嵌めると、それは共産主義の失敗例になってしまう。 そもそも現代社会で保障が謳われているのは、結果の平等ではなく機会の平等だ。


2007年12月22日(土)

仕事そっちのけで年賀状作成。


2007年12月23日(日)

『National Treasure/リンカーン暗殺者の日記』見てきた。 なんとも過不足なく100点のハリウッド映画という感じ。 アメリカ人の好きなもの(男の子成分)を詰め込んだ感じ。 カーチェイスとか、 カラクリ仕掛けとか、 洞窟探検とか、 改めて認め合うカップルとか、 歴史萌えーとか、 大統領萌えーとか。 こういう要素を具材にして監督や役者と一緒に鍋に入れて、 そこそこの資金でグツグツ煮れば、工業的に作ることができる映画なんじゃないかな。 まあこういうのも嫌いではない。

以下は観劇する前に読んだらたぶん面白さが減るので注意。

ツカミの部分はハッタリがとてもよく効いていて良かったが、 効きすぎて何で財宝を見つけることが祖先の辱めを雪ぐことになるのか よく理解できなかった。 そして結局ミッチーがどうやってベイツ家が裏切り者だと世論をミスリードできたのか、その証拠を捏造(?)できたのか、その仕組みも分からんまま。 あれをやるためにあれが必要で……という話の作りは RPG のおつかいイベント見てるようだった。 個々のパズルは色々甘いが、ハリウッド映画という表現媒体の制約上あの辺が限界だというのも理解できる。 未知の仕掛けをいじる時はいつも危険と隣り合わせな筈なのに (机をいじる場面とか、抜け道のカラクリとかでもそれなりに危険だと思うのだが)、 岩の穴に手をつっこむ場面だけ皆が危険だと強調したのが唐突で不自然。 まあ話の流れ的にあそこでああいう場面が必要だという構成上の要請は分かるのだが。 全体的にストーリーテリングとしてはかなりご都合主義だと思う。 それがハリウッド映画と言うならばそう言うしかないのだけれど。 憎まれ役以外は誰も死なないと安心して見ていられる、流血なき娯楽映画。 王道たる娯楽。

「何百年もメンテしてないメカニズムが、そんなに上手いこと働くものか」と、 工学屋としてはどうしてもそんな目で見てしまう。 あの可動床は面白いギミックかもしれないが、 あんな不安定なものが何百年もその状態で保てるものか。 慣性があるので最後に落とした黄金像は全く意味ねえ。 というか人体ほどの重量を持つ物体が落ちたらその衝撃であの舞台のバランスが崩れたり、崩壊が加速されるだろう。 まあ「黄金を捨ててまで行動した」という形式が大事だというのも分かるので、それでいいのだが。


2007年12月24日(月)

家族でクリスマスイブディナーという試み。

クリスマスイブは週休二日制だと 3/7 の確率で休みになるんだな。 自分にはあまりに関係ない情報なので気にしたこともなかったが。 てゆーか普通の月曜日だと思っていたら休日でびっくりした。


2007年12月25日(火)

早くに目が覚めてしまったので未明に出て 6:00 研究室。 5時間程度しか寝てないのにあまり眠気なく目覚めてしまったことが既に体調の変調の兆しだったのだが、この時点では見過ごしていた。 昼にソファで2時間近く眠ってしまった。 やはり疲れはあるのだろう。 夜は大学関係で飲みつつ意見交換ミーティング。 この時も暑く感じるわりには汗が一滴も出ず、お冷やの水を顔に塗って扇子で扇いだり。

メール来る。 だめだ脳味噌がとろけてる。 熱に浮かされたようなことを返した気がする。


2007年12月26日(水)

未明、寝苦しさに目が覚める。 38.7℃。 おいおい、熱に浮かされたような言葉を発していたと思ったら本当に熱が出ていたとは……という冗談は置いといて、まじいな。 授業程度だったら休ませてもらうところだが、今日の会議は私がキーパーソンの一人ぽいので外せない。 12:00 まで寝たが、38.0℃。 まあ少しクラクラするが、頭はクリアだ。 行こう。 本当は今日は車で電気ヒーター持って行くつもりだったんだけど、38℃で車の運転はようやらん。 行ってみると、インフルエンザの可能性を指摘された。 39℃突破してなかったので、私はそれを考えてなかった。 しまったな。 会議の他の人にうつしてしまったら責任重大だ。

会議での私の発言は僅かだったが、その発言がピンポイントでよく機能したと思う。 しかし長引き、体力の限界が先に来たので結局中座して帰った。


2007年12月27日(木)

体温計で体温を測定するのには何分必要か? どこで聞き齧ったか 5分とかやってたんだけど、最適な測定時間を導くために一度自分で1分おきにデータを取る。 これが科学者のあるべき姿だろう? ということで大体2分くらいでほぼ収束することが分かった。

前の週末にコーナンで霧吹きを買った。 おにぎりを作るときにパリパリののりを折らずにつけるために有効だと思ったのだ。 その霧吹きが意外な大活躍。 デロンギのオイルヒーターに霧吹きをかけてやると部屋の湿度を簡単に上げられる。

頭はクリアだが頭痛がする。 ……いやまて。 頭はクリアなつもりだが、ふとした弾みに「医者はどこだ」という台詞が浮かんでくるあたり、やはり少しおかしいのかもしれない。


2007年12月28日(金)

熱は山を越えたが咳が残っているし油断できねえ。 てゆーかちょっと起きてるとまた熱が出る。 喋ろうとすると咳がでて喋れない。

ケータイメールの使い方。 布団の中からアイデアや病状をメモってPCに送れるのが便利。 ということで、以下はそれで記録を取った体温の経過。 いやこんなん私も含めて誰も欲してない情報であるということは分かっているのだが、 私がこういう変にこまめな人間だという情報はそれなりに面白がる奴がいるかもしれんだろ? まあとりあえず、熱のため睡眠が細ぎれでよく眠れていなかったことが分かる。

	                  36          37          38[℃]
	                  ↓          ↓          ↓
[12-26] 18:13 [38.5] ***** ***** ***** ***** *****
	      19:17 [38.3] ***** ***** ***** ***** ***
	      20:35 [37.2] ***** ***** **
[12-27] 02:00 [38.8] ***** ***** ***** ***** ***** ***
	      03:30 [38.2] ***** ***** ***** ***** **
	      04:10 [37.9] ***** ***** ***** ****
	      07:21 [37.0] ***** *****
	      09:25 [38.2] ***** ***** ***** ***** **
	      10:35 [37.7] ***** ***** ***** **
	      11:36 [38.2] ***** ***** ***** ***** **
	      12:40 [37.5] ***** ***** *****
	      13:20 [37.7] ***** ***** ***** **
	      14:20 [37.9] ***** ***** ***** ****
	      15:15 [38.4] ***** ***** ***** ***** ****
	      16:40 [38.2] ***** ***** ***** ***** **
	      17:40 [38.8] ***** ***** ***** ***** ***** ***
	      18:20 [38.6] ***** ***** ***** ***** ***** *
	      19:00 [37.8] ***** ***** ***** ***
	      19:45 [37.8] ***** ***** ***** ***
	      20:30 [37.3] ***** ***** ***
	      23:00 [37.1] ***** ***** *
[12-28] 07:21 [37.3] ***** ***** ***
	      14:00 [36.6] ***** *

2007年12月29日(土)

以上は骨髄バンクに送ってもらった DVD にあった数値。 骨髄移植は 70件/月 = 840件/年 なので、6000人の患者のうち約86%が移植を受けられずに死亡していることになる。 「患者の9割」は実数に直すと 5400人/年で、これが30万人のドナーと対応するのでドナー登録者がドナーに選ばれる確率はおおよそ1年あたり 1/55。 ドナー提供の適齢期間が 30年だとするとおおざっぱに半分くらいの確率でドナーになりうるということか。 思ったほどには低くないな。

よく考えたら、自分が提供した人ってのは型が一致してんだから、 将来自分が血液疾患を発病してもその人が生きていればその人からもらえる可能性が高いことになりそうだ。 自分の骨髄を、骨髄バンクにリアルに預けるという形で捉えることができるかも。


2007年12月30日(日)

熱は引いたが頭痛が残り、喉が痛い。

amazon の配送料が酷くなったと聞いたのでこないだ試してみた。 購入したのは、

	   680円 冷たい密室と博士たち
	  1260円 チョコレート戦争
	  1680円 図書館危機
分割発送にすると、 「冷たい密室と博士たち(680円) + チョコレート戦争(1260円)」と「図書館危機(1680円)」に分割され、前者には送料がかかり、後者にはかからなかった。まとめると以下な感じ。
	  合計               商品点数  送料
	  1940円(=680+1260)     2      かかる
	  1680円(=1680    )     1      かからない
アマゾンが定めるところでは以下のようになっており、
	                                                配送料
[a] (一括発送)注文合計金額が¥1,500以上         ¥0
[b] (一括発送)注文合計金額が¥1,500未満         ¥300
[c] (分割発送)それぞれの商品価格が¥1,500以上   ¥0
[d] (分割発送)それぞれの商品価格が¥1,500未満   発送1件につき¥300
今回のケースは前者の発送は[d]、後者の発送は[c]が適用されるということだろう。 要は一回の発送の購入金額の合計が 1500円以上かどうかではなく、 1500円以下の商品が含まれているかどうかが判断基準になっている、と。 合理的な顧客だったらどうするかを考えてみよう。 彼はまず分割発送を選んでみてどのように分割されるか確認し、 その分割された単位で一括発注をするだろう。 例えば今回の場合、 「冷たい密室と博士たち(680円) + チョコレート戦争(1,260円)」で一括発送で 発注して、続けて「図書館危機(1,680円)」を発注すれば 発送のタイミングは全く変わらないまま送料をゼロに抑えることができる。

こういうルールは顧客に無駄な手間を払わせるインセンティブになる。 いやまあサービスを利用するかどうかはその提供者が定めるところに従うべきだから 別にそのこと自体に文句つけるつもりはないけれど、 そのルールがあまりに美しくないと思うわけで。 こういう面倒さ、不快感がサービスの満足度を下げる要因になると私は思う。 送料なんて安いもんだから別に構わんっちゃ構わんし、 配送してくれるというサービスは安い送料に見合うサービスだと思うのだが、 こういう下手な選択肢が存在することが私にとって不快。 選択肢を作らないことで利便性を計るという考え方がないのかもしれん。


2007年12月31日(月)

半病人。 起きてる時間は かなりの勢いでニコ厨。


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