『別冊ゴルゴ13』 75冊供養完了。 これで俺の部屋からゴルゴは駆逐された。 以前はゴルゴが取るに足らない漫画だと思い込んでいたのだが、 実はすごい漫画だと評価し直した。 ゴルゴが出てきたときの安心感は全くエンターテインメントであり、 たまにゴルゴが出てこない回はその意外性が実にエンターテインメントだ。 一度日記に書いたことはあるが、かつて友人が放った一言があまりに良い言葉なのでもう一度。
「決まりきった展開のゴルゴ13は現代科学を取り入れた水戸黄門みたいなもんだろ。」
2年越しで散らかってた部屋を片付けたり、Libretto をいじってたりしたら日が暮れていた。 私は LibrettoL1 を 2台持っている。 そのうち外回り用のポインティングデバイス(乳首デバイス)の調子が悪く、PowerPoint でプレゼン中にマウスカーソルがフラフラ移動して聴衆の集中を削ぐようなことが度々あった。 対して内回り用はフラフラしてても実害はほとんどないので HDD を交換したり。 ついでに FreeBSD での X が 800x600 でしか動かず 1280x600 の画面をフルに使えなかったりしたのでこの際 FreeBSD 6.2-RELEASE を入れてみようとしたがインストールメディアでこけた。 忙しい今、一生懸命になってするべきことではないという神のお告げだろう。
『金魚屋古書店出納帳』(芳崎せいむ)。 漫画好き属性という属性がこの世に、そして俺に存在していたとは……。 キャラや話が、本来の性能より明らかにブーストされてる。 うわー胸の芯(おく)で何かがキュンキュン締めつけられながらギュンギュン回ってるよ。 俺の顔ニヤニヤしっぱなし。 ……いや、たぶん漫画好きブーストがなくても面白い漫画だと思いますよ?
『金魚屋古書店出納帳』に別冊ゴルゴの話が。 然るべきところに出したら喜ばれるかもしれんな。 しかし問題は良い古本屋を知らんということだ。
論文の査読依頼が来た。 以前、米国のよく分からんプロジェクトの審査(?)の依頼が何故か俺んところに来て断ったことはあるが、今度は受けようと思う。 普通の論文査読っぽいし。 責任を果たせない可能性というのはそこそこに恐怖だが、 学者を続けていくのならいつかは乗り越えなければならない事の一つだから。 というか指摘するべきを指摘できなかったとしても、 私一人の責任ではなく別の査読者も同じ責を負うわけだし、私なんぞを指名した人の責任という見方もできる。 てゆーか私に求められている責任というのは完璧な仕事を達成することではなく、 「私の能力の範囲内で」判断を下すことなのだ。 勿論私の能力の限り善処はするが、まあ気楽にしっかりやろう。
シンデレラのガラスの靴はどこから持ってきたのだろう? 魔女の魔法で生まれた物ならば、何故12時の鐘で元に戻らなかったのだろうか。
俺、煙草の煙で輪を作れるんだけど、これってどれくらい特殊な技能なのかな。
MS-Word。 ハングアップするのは一歩ゆずって仕方ないことだとしよう。 頻繁にハングアップするのもまあどうしてもと言うなら百歩ゆずってやってもいい。 しかし最終保存版を開こうとすると勝手に修復しようとして元ファイルを破壊するのはやめてくれ。 せめてその前に修復を試みるか否かのどうかのダイアログを出してくれ。 仕事でなきゃ絶対使わんな、こんなアプリ。 世界中のオフィスワーカーの仕事の能率を下げるための産業兵器として優秀だと思う。 まー「編集履歴の記録」とか、そこそこいい機能はあるので100%害悪だとはよう言わんが。
注意深く雫を切っておかないと、モノを社会の窓からひっこめた後に残っていた液体がパンツに染みを作ってしまうことがある。 これは多分、外気に触れて緊張していた周辺の筋肉が、仕舞われたことで緩和したことによるのだと思う。 あ、俺じゃなくって友達の話だってば!
で思ったのは、女性はモノそのものが存在しないわけだが、彼女らはこの手の尿もれって関係ないのかな? なんとなく、油断してるとパンツを上げたホッとした感でそうなってしまいそうな気はするのだが。 てゆーか実は男でも俺……じゃなくて、その友達以外はそんなことが滅多にないとかだったら恥ずかしい、だろうなあ。
メガマックのカロリーはマクドナルドのウェブサイトによると 754kcal らしい。 1メガカロリーという意味の名前だと思ってたけど、違うのな。 試してみたが、その食い難さが好みではない。
ハルヒ小説(8)まで読んだ感想。 まあ面白いし文章も綺麗だけど、(1) が神すぎるのに対してそれ以降は比較的普通に面白いだけに感じる。 新刊が出ても追いかけず、完結するまでは放置しようか、という気分。
mlterm + scim-skk という環境で日本語入力をしている。 C-j で skk の日本語入力をオンにするのだが、ここで scim が起きていないと ターミナルは ENTER として解釈してしまう、というのが不便だった。 これは ~/.mlterm/key に「Control+j = ""」 C-j を無視するように設定してしまえば良いようだ。
一般に、ランニングコストを下げるにはそのためのイニシアルコストをかける必要がある。 例えばカレーを作るのには、私の場合1時間程度の時間がかかって面倒だ。 しかしカレーを作る1時間を支払えば、以後の数日は数分の時間温めるだけでちゃんと飯が食える。 カレーを作った方が期間全体でのトータルの時間+金銭コストは少なくて済む。 短期的に、最初の1日だけ見るとコストは余計にかかっていることも言う間でもないことで、イニシアルコストを支払うことで期間全体のトータルコストを引き下げたわけだ。
イニシアルコストをかけずにランニングコストを下げる方策があるのならば、人はその方策を取らない理由はない。 だから普通に考えるならば、イニシアルコストのかからない改善策は既に全て行われている筈であり、そのため現在まで残っている改善策は全てイニシアルコストがかかる物になっている筈だ。
このようなイニシアルコストとランニングコストの関係は多くの人にとって通常の生活感覚において常識的なことだろう。 しかし予算と組織運営にそれを当て嵌めて考える人はそれほど多くないのではなかろうか。
財政難だから予算を削減するという話はどこでもよく聞く話。 この単純な脊髄反射的反応には、ランニングコストを下げるには一般にイニシアルコストをかける必要があるという観点が欠けている。 先に述べたように、ランニングコストをさげるには一度そのための予算を確保するべきなのだ。 無理矢理ランニングコストを下げようとすることは、カレーを作らず、食事の回数を減らすことに相当する。 組織に無理を強いて一部の細胞を殺すようなものだし、暖を取るために家を壊してその建材を燃やすような行為だ。 一時的にそのような行為を取らなければならないこともあるだろう。 例えば熱湯を沸かさなければ今すぐに死ぬのならば、家の建材だろうが燃やすべきだ。 しかしそのような行為はあくまで緊急避難的にしか行うべきではない。 イニシアルコストにかける予算がないことは理解できるが、それは組織全体に圧迫を強いて、これまで多大なコストをかけて維持してきた組織やその価値そのものを滅却しかねない諸刃の刃であることを十分に理解した上で行うべきだ。
私は mixi にもアカウントを持っている。 適度な自己顕示欲の発散はこのウェブ日記で行っているのでわざわざあっちで何か書く気はないのだが、どこ行ったか全く知らなかった小中高でのクラスメイトなんかが不意に連絡してくれることがあるのでとりあえず実名で自己紹介文だけ晒しておいている。 そこにはとりあえず漫画好きであることが示されている。
先日ウチの研究室の学生と一緒に飯食った時に、不意に「先生は漫画どのくらい持ってるんですか?」ということを聞かれた。 漫画好きであることは隠してないので新歓とか中間発表打ち上げのコンパでそれとなく言ったことはあるかもしれないが、このタイミングで言うことはやや不自然。 mixi で辿られた可能性がある。 ますます以て何も書けんなあ。
NHKスペシャルのエイズの奴。 南アフリカのムベキ大統領は異端的な学説を盲信していて、それに従った政策のために不幸な人が増えている、というストーリー。 普通の見方をすればムベキはそのような「誤った見方」をやめて「正しい見方」に沿った政策を展開すべき、という話になる。 ……のだが。 果たして「本当に正しい見方」というのは何処にあるのだろうか、という話。
例えば私はエイズがウィルスによるものであることを信じている、と言える。 私はエイズがウィルスに依る物であることを示すデータを自分の目で確認したことはないし、それの基盤となる勉強も足りていない。 ウィルスに依る物であるかそうでないかは、それこそ科学的な視点と知識がなければ判断できない。 専門家ではない我々は十分に納得できるデータと論理がなければ「エイズはウィルスによるに決まっているのだから」と盲信すべきではない。 あくまで政治家であって科学者でないムベキにはそれを判断することができないというのはあたりまえの話だと思う。 ムベキの罪は誤った(?)学説を盲信していることではなく、自身が誤っている可能性を考えずに片方の学説に偏った政策をゴリ押ししていることだろう。
ある学説を信じるかどうかという問題について、学者にとってはそれは自分とその身内だけに対する責任だけの問題だが、 政治家の場合はその政策に影響を受ける多数の人に対しての責任が生ずる。 政治家が学説を信用する際には、学者以上に慎重になるべきだ。
卒業生が遊びに来た。 彼はゴルフクラブの設計をしているらしい。
ゴルフクラブでボールを打つ瞬間、ヘッドにぶつかったボールは、ひしゃげてヘッドに接しながらある程度の距離を移動し、それから飛んでいく。 ボールがひしゃげてから元の形状に復元する行程は復元力を有する振動のように扱える。すなわち、ボールは固有振動数を持つと言える。 クラブヘッドがボールに当たったとき、運動量がボールに移動するため、クラブのシャフトがたわむ。 これも振動であり、すなわちシャフトは固有振動数を持つ。 このボールとシャフトの固有振動数を、ボールとヘッドが接している時間の逆数にすると、ボールにエネルギーを効率的に伝えることができるとのこと。
数学の問題。 立方体の箱の中に任意の大きさの球を詰めるとする。 どのように詰めると箱の中の球の体積の総和が最大になるか? そして理論的な最大体積は箱の体積に対して何%になるか? ただし、球のサイズはそれぞれ異なっても良いし、原子の大きさを無視して無限に小さな球も可能であるとする。
球の大きさを全て同じにしてしまうと充填率は最大で約74%(=√2・π/6)になり、 球の半径を無限に細かくしていっても、充填率はこの値に漸近していくだけだ。 さてここで、あるサイズで最密充填したあとの隙間により小さな球を詰めればさらに充填率を上げることができる。 この充填作業は無限に繰り返すことができ、その度に箱の中の球体の総体積が増加していくことになる。 数学的な証明はどうやればいいのかよく分からんが、より細かい球での充填の段階に至る毎にきっと100%に漸近していくと思う。 まあ言いたいことは、空間的な充填率を上げるにはツブの揃ったサイズのものを充填するのではなく、バラバラのサイズでやった方が充填率は上がり易いということだ。
『とらドラ!』(1)。 悪くなかった。 続きも見てみよう。 てゆーか一番共感したのは、汚れたキッチンシンクを見て主人公が言った言葉、「俺に、どうか俺に、このキッチンを掃除させてくれぇっっ!」。 そういやこれに近いことを実際やったことあるな、俺。
プラネットアースのジャングルの奴。 ツル植物の戦略は面白いなあ。 少ない材料でより高く。 で、木の幹に無駄に当たっていた光を有効に利用する。 冬虫夏草とか、菌類も面白い。 ウツボカズラのなかの小宇宙!
プラネットアース、最後は海。 視聴完了。 面白かったー。
先日寮で見たピタゴラ装置が激しく良かった。 3〜4回見たが飽きない。 飽きそうにない。 今度買おう。
4年生の卒論の手伝いで死亡中。
行きつけの中国料理屋の店の人から、私がずーっと中国人留学生だと思われていたことが発覚した。 日本人、生粋の大阪人であることをなかなか信じてくれなかった。 どうもあまり喋らないのが原因らしい。 一人で飯屋に入ったら大抵本読んでるからそうなるのだが、そんな奴は他にもよくいると思うのだけど。
そういえば黒門市場前を歩いていたら中国語っぽい言葉で喋りかけられたことがあったな。 そんなに日本以外のアジア人ぽいのだろうか。
NHKのインドのやつ。 インドすげー。 俺は絶対勝ち上がれねえ。 これは教育関係者としてすげー興味深い。 インドの算数教育、ワクワクするよ。 算数ゲームいいよ。すばらしいよ。 ……ゆとり教育シネ。
IITいいな。 こんなブランドがウチもほしい。 というか、研究者として頑張る気になった。 元気がなくなった頃にまた見よう。
漫画修羅場で座って落ちる奴は多々見たことはあったが、 立った状態から落ちる奴というのは初めて見た。
一円を拾うには一円分以上のカロリーが必要ということらしいが、 現代人の多くはカロリーを使うことに金を払っていることを考えると、 やはり一円は拾うべきではないだろうか。
ニコニコ動画、すごいな。 ロックマン2の最速動画でついつい合唱してしまった。 あと、迷宮組曲とか。
ソロモンの鍵をプレイしたい。 もし動画を上げれば、俺はきっと神になれる。
紙の繊維そのものは、単体を拡大して見ると分かるが白色ではなく透明だ。 じゃあなぜ、紙は白く見えるのか? それは紙は植物繊維の集合体で、繊維と繊維の間はスカスカで不規則な固気界面を形成しているためそこで光が乱反射するから。 ほら、水も空気もそれ自体は透明だが、細かく泡だった状態では白く見えるだろう? これは無数の泡の気液界面で光が乱反射するから。 塩の結晶それ自体は透明だが、食卓塩は白いこともこれと同じ。
紙を水で濡らすと、繊維の隙間に水が入り込む。 固体も液体も凝集体で、それぞれの屈折率は気体に比べて比較的近い値になっている。 そのため乾燥状態での紙にくらべて乱反射の度合いが減り、透明度が増す。 トレーシングペーパーの一種であるパラフィン紙はこの紙の繊維の間をパラフィンで埋めたもので、やはり普通の紙に比べて透明度が高い。 すりガラスを濡れ雑巾で拭くと透明度が上がるのもこれと同じ。 紙が水を通すというのもこのスカスカによるもので、例えばパラフィン紙は能く水を遮断する。
大根は白い。 これは繊維の隙間に空気が存在するから。 大根を煮ると透明になるのは、この隙間に空気の替わりに水が入ることで全体の屈折率が均一化されるから。
ここで、粳(うるち)米と餅米について考えてみる。 粳(うるち)米は比較的透き通っているが、餅米は白く濁っている。 先の議論からの類推として、餅米は組織に隙間が多く、粳米は組織が密に詰まっているのではないかと考えられる。
餅米のデンプンはほとんどアミロペクチンのみから構成されており、粳米ではアミロペクチンとアミロースから構成されている。 分子量を比べると、アミロース((0.5〜2)x10^6)と比べてアミロペクチン((15〜40)x10^6)は大きく 分子の形状もアミロペクチンは枝分かれの多い複雑な形状になっている。 このことから餅米のデンプンは比較的大きな粒だけで充填されたゴソゴソの組織になっていると類推される。 また餅米に含まれておらず粳米のみに含まれるアミロースは、分子量が小さく((0.5〜2)x10^6)分子の形状も枝分かれの少ない直鎖的な構造になっている。 このため粳米では、大きなアミロペクチン同士の隙間にある小さなアミロースが充填材のように働いているのではないだろうか。
これを裏付ける傍証が幾つかある。 先に挙げた粳米は透明感があって、餅米は白く濁っていることがその一つ。 すなわち餅米ではアミロペクチンとその間隙で乱反射しているが、粳米ではその間隙をアミロペクチンが充填しているので反射する実質的な界面が減少していると考えられる。 また、餅米は自重の35%、粳米では20%程度の水を吸収するが、この吸収量の差もこれを反映したものと考えられる。 というのは餅米ではゴソゴソのアミロペクチンの間隙全てに水が入り込むことができるが、 粳米はアミロースがアミロペクチンの隙間に存在するため、その分水の吸収量が減ると考えられるから。 あー、でも、アミロース、アミロペクチンという分子オーダーの構造の複雑性と 光の散乱に効くだろうミクロンオーダーのサイズの複雑性を同列に語るのはどうだろう? 多分大丈夫な気はするのだが。
炊いた米が白くなるのは何故だろう? アルファ化に伴う構造変化で欠陥がたくさんできるねやろか。
(参考文献: まんがサイエンスVII『おもちとごはん どこがちがう?』, Wikipedia(アミロース、アミロペクチン、もち米、うるち米、酒造好適米)
さて、酒造好適米(酒米)はどうだろう。 奴は外側は透明だが、心白と呼ばれる中心の白い部分は読んで字の如く白く濁っている。 この部分は餅米と似たような性質を示しているのではないだろうか? 酒造りにはこの心白の部分だけを使用するために数十%精米する。 精米して心白以外の部分を削った酒米は、水を吸収し易い (精米後の酒米の洗米は秒単位の制御が必要)。 この水を吸い易いという性質は、うるち米よりもち米に近い気がする。 先日行った酒蔵の説明では、「心白の部分の組織はゴソゴソしている」とのこと。 だから基本的には、粳米より麹の菌糸が入り込み易いらしい。
白く濁ってる、水を吸い易い、という事実2点。 組織がゴソゴソしているという事実に対する餅米の推論1点。 これらの点から酒米の心白はアミロペクチンのみでできていると考えて幾つかググってみたけれど、よく分からなかった。 で、気になったのは、以上の推論が正しいとするならば、わざわざ酒米で精米するのでなく、餅米で酒造りをしたらいいんじゃないのか、ということ。 まあちょっと調べようがないのでここから先は放置。 なお、紹興酒は餅米から作られるらしい。
『3次元空間で任意のn点があるとき、これらn点で構成される多面体のうち、 最大の体積を有する凸多面体を求めるアルゴリズム』。 最近結構ずっと考えているんだけど、なかなか適切なアルゴリズムが思い付かない。 なんでこんなこと考えているかというと、 結晶構造描画ソフトにn原子を選んでそれらの点から構成されるポリゴン立体を描画できたら便利なのになー、と思ったから。 我々の分野だとOイオンに囲まれた8面体とかを描きたい場面が多々あるので。
祖母7回忌の法事。 私は心底からドライな性格してるなー、と思った。 親とかは自分より先に死ぬものだと思っているので、私より先に死んでも何とも思わないように思う。 てゆーか既に片親は亡くなってるしな。 将来愛する人とか、愛する子供とかできたら、そしてまだ見ぬ彼彼女らが私より先に死ぬようなことがあればまた違った感じになるとは思うけど。
坊主っていい声してるよなー。 さすが声で飯食ってる(とも言えるだろう)人は違う。 彼らとカラオケ行ってみたい。
Windows PC の電源が煙吹いて壊れた。 結構キッチリ管理魔的性格の私でも、さすがにこの保証書とかは残ってないだろなー、と思っていたけれど、抽斗をあさると領収書が、押入からは箱と保証書が見つかった。 購入から実に350日、保証期限ギリギリである。 明日店に持って行ってみよう。 1年の保証期間内だから問題なく交換してくれるだろうけれど、すぐに代替品が手に入るとは限らない。 でも一年近く使えたので別に新しいのを買っても惜しくない。 すぐ使うための新品を1つ買ってそれとは別に新しい代替品を郵送してもらうと、使える部品が1個増えるのでそれはそれで良いだろう。
よく行ってた自転車屋が最近開いてない。 心配だ。 去年の夏ごろ、その店の店主は心臓手術をしていたが、その関係だろうか。
英語耳の本を買って発音の練習している。 通勤途上で歩きながらブツブツ声出してるんだけど、やってると明らかに舌が疲労してくる。 特に s と sh の音。 これはすなわち今迄何如にちゃんとした発音ができていなかったか、ということであり、 今まさに(比喩ではなく)筋肉が鍛えられているということだ。 いいぞ、鍛えられているぞ。 修行するぞ、修行するぞ。 なお、s と sh はそれなりに舌の使い方が分かったから、その筋肉を使用して今疲労していると言える。 対して現在舌の使い方の分からない r の音とかは全然疲れない。 すなわち、ダメダメということだ。
本業の仕事が一段落ついたところでようやく論文査読再開した。 しかし締切まであと1週間切ってる。 で、読んでみると……なんかおかしい。 大丈夫か、この論文。 信頼の置けない論文を読むのってつらいなあ。 まあ、他の多くの読者にそういう悲しい思いをさせないために reviewer がフィルタリングしているのだと言えるから、それでいいんだけれど。
「白い恋人」に対抗して、「黒い恋人」というチョコレート菓子を作ったらやっぱり非難されるのだろうか。 そして「褐色の恋人」に名前を変えさせられたりするんだろうか。
トラックボールに興味。 少しだけ触ったことはあるけれど、そのときは本当に少しだけだったのでよく分からなかった。 どうやらディープなコンピュータユーザほどはまるらしいので、一度試してみたいと思う。 「PCは入力機器(キーボードとマウス)にこそ最も金をかけるべき」というのが私の持論の筈なので、ならばいいものを買うためだけでなく、いいものを探すためにもコストをかけてもいいはずだ。
しかし問題は、トラックボールはマウスと比べて多様性が高いということ。 たとえば親指操作か、人差し指操作かがトラックボールの二大流派であり、それぞれで使用感が全然違うということ。 すなわち、良い物を探すコストが2倍かかる。 まあいいさ。 次に日本橋に行ったときに探してみよう。
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