きづき(日記)

last-modified: 2011/12/14 02:54:29. JST

2006年02月01日(水)

他人に吐き出すべきではない種類のことも、テキストにまとめるだけで幾分落ちつくものだなあ。 とりあえずテキストに落としてみたのだけれど人間観察のまとめとして面白くなってきた。

「典型的な A 型インフルエンザは二峰性で、体温のピークが2つ出る」とのことらしい。 寝てはいたのだが、6:00〜12:00 頃にじっとり寝汗をかいていたので、この時間帯が2つめのピークだったと思われる。 次は、ウィルスの撃退に伴った肉体へのダメージを回復する段階かな。

とはいえまだ咳が出るので、職場には出ない。 もし4回生にうつしたら大変だし。 それに仕事の大半は家でもできるのだ。 今 最優先の仕事は論文投稿に伴う文章校正と英語の勉強だし、 次の仕事として走らせている計算機の稼働状況は研究室 PC に繋いで常時チェックできるし。


2006年02月02日(木)

論文作業したり、ひたすら寝たり。 ベルセルクを読んで、コカ城城主や伯爵や偽エルフ郷の衛兵昆虫が黄金時代に出ていることに気付いて感動したりした。 1巻1話の最初に殺された使徒は、コルカスを殺した奴なんだな。


2006年02月03日(金)

医者には熱が下がってから2日くらい見るように、と言われてたので、熱が下がってから3日目の今日は学校に行くべきだったのかもしれぬ。 でもまだ咳、痰が出て他者に感染させる可能性はなくはないし、次が土日なので今日は休んだ方がリスクが少ないと判断した。 病気の状態から健常状態へは大体サチって行く感じ、 逆にキャリア(保菌者)としての能力は、指数関数的に減少していく感じだと思う。 たとえば、他者へ感染させるリスクとして、ある日 30% で次の日 10% だったらその次の日は 3%くらいではないかと。 今日行けば3%くらいの確率で他人に感染してしまうのではないかという感覚。 明日も平日だったらいつまでも休んでたらアカンので学校行くけれど、今日行かなければさらに土日を使ってリスクを引き下げることができる気がした、と。 ……休みの言い訳としては必死すぎるか。


2006年02月04日(土)

某氏経由でドラえもん最終話の同人漫画を読ませて貰った。 すこぶる良かった。 元ネタは勿論知っていたが、漫画として大変上手い。

酒を飲める程度には回復した。


2006年02月05日(日)

論文の再投稿を漸く済ませた。 しかしまあ叩かにゃ育たん人間やなあ、俺は。

来年の授業担当分では C 言語を使う予定、ということで勉強開始。 だけど fscanf で早々につまづく。 そういや俺、普通の入門書って持ってなかったな。 とりあえず明日図書館で漁ってみよう。


2006年02月06日(月)

総じて好調。 fscanf() を通したら、あとは3時間ほどでフーリエ変換、逆フーリエ変換のコードの骨格は出来上がった。 次は授業の環境を確認して、その環境でテストする事かな。

リダイレクト使えると便利なんだけどなー。 「ft < deviation.dat > frequency.dat」とか。 でも学生の作業環境は Windows っぽい。 ひょっとしたらドラッグ&ドロップで動作するようにすると便利だったりするのだろうか。

「cc ift.c -o ift -lm && ./ift」とか。 「俺、今コンピュータ使いこなしてる」という気分。

取引先の仕事があまりに遅いので、同業他社に取引先を変更しようと画策中。 しかし特殊な書類の書式がそれを阻む形。 まあボチボチ進めて行こう。


2006年02月07日(火)

A0版は面積1平米、B0版は面積1.5平米。 A版サイズの間を埋めるようなサイズとしてB版を規格にしたのなら、 B版は面積√2平米にすべきだったと思うのだが、どうだろう。 (面積比にして 1(A0):√2(B'0) = √2(B'0):2(A-1)。) そうすれば一辺が 1/2^n [m] になってキリが良かったのに。

プレゼンテーションの拙い人というのは、他人のプレゼンテーションのどこが巧かったのか、という分析に興味がないのだろうか。 私は、巧くないプレゼンテーションを見ていると「ここをこう話せばもっと良くなるのに」とか思ってしまうことがよくあるのだが、この時意識をそっちに取られてプレゼンテーションの中身に集中できなくなってしまっている。 これは私の悪い癖だ。 理想は、「巧いプレゼンを見たときにはその美点を洗い出してそれに倣い、拙いプレゼンを見てもプレゼン方法の検討ではなく中身だけに集中するようにする」ということだな。 意識してトレーニングしよう。 ただ、身近な人だったら「このプレゼンはこうした方が良い」という指摘は有用だからすべきだろうけれど。


2006年02月08日(水)

家 UNIX マシンの HDD 増強を皮切りに、色々玉突き的に増強して回る計画。 「どうせだったら SerialATA だよな」と思ったが、今までの経験で SerialATA を2つ繋げるとブートしないなどのトラブルの経験があったので、とりあえず研究室の余り HDD などを借りて帰って試してみる。 やってみたところ、1台だけ繋ぐとインストール→ブートまで行けるのだが、2台繋ぐと BIOS の IDE チェックまで進まねえ。 いや、たまに進むこともあるのだが、その差が何に依存しているのかがよく分からん。

Integrated Peripherals
	Onchip IDE Device
	  Onboard IDE Channel 1 : Disable
	  Onboard IDE Channel 2 : Disable

ぐぐって分かったのだが、BIOS で IDE デバイスを Disable にしておく必要があったみたいで、これでちゃんと起動した。 障害はなくなった。 仕事帰りに HDD 買って来よう。

ということで帰りに日本橋に寄って 300GB SerialATA な HDD を2つ買って来た。 いつものように一方は他方の完全バックアップ用。 FreeBSD 6.0-RELEASE のインストール作業。

平行して、ついでに本屋で買って来た漫画を読む。

長い長いさんぽが非常に良かった。 絵的な演出が上手いなあ。 もうちょっと他の奴も買ってみよう。


2006年02月09日(木)

採点とか取引メールとかで一日潰れる。 頼むから3ヶ月遅れで数学のレポート提出せんでくれ…… 実験レポートとかやったら大した内容ちゃうからええねんけど、数学はもっぺん脳内に問題と解答を頭に叩き込まなならんのがしんどい。

旧HDD からのデータの転送。 150GB もあると結構時間食う。 というより、cp に -Rp オプションを付けずにやってしまいシムリンクを再現しなかったので、も一度やり直した。

平行して、昨日の漫画の残りを片付ける。


2006年02月10日(金)

学生のプログラミング環境は Borland C Compiler だった。 ということでその環境を手元 PC にインストールし、テストプログラムをコンパイルしてみる。 うん、ある程度予想した通りだった。

このことを踏まえて入出力回りの仕様を再考し、エラーチェックなんかを組み込んでプログラムは完成。 まず FreeBSD の cc でテストしながら作ったけれど、BCC でも問題なく動作することを確認。 あとは学生が少なくとも同じレベルのものを作れるように部品に分解してテキスト書くだけだが、これはもう手数が計算できる。

家PCの FreeBSD インストールとそれに伴う整備が概ね終了。 X の起動、skkserv の起動とプチな問題はサクサク片付いた。 残る問題は subversion と apache。 subversion は locale 回りの問題らしく、ssh でサーバにアクセスするときのロケール環境変数が然るべく設定されていないとマズいようだ。 (特に日本語ファイル名が。)

LANG="C"
LC_CTYPE="ja_JP.eucJP"
alias vi="LANG='ja_JP.EUC' vim

vim の設定と干渉する部分があったが、上記の設定で何とか切り抜けた。 早く UTF-8 に全面移行したいなあ。 (zsh が UTF-8 に正式対応するのを待っている。)

平行して『ベルサイユのばら』を読んだ。 描かれたのが1970年代ということを考えると物凄いと思うけれど、現代の洗練された漫画によって肥えた目から見れば、……現代的な感覚で言うならば、それほど大した作品には見えない。 どうもオスカルが作者(読者)の好きなように動かされているようなニオイを感じる。 貴族の立場で革命軍に参加する、というのは謀反と同義だろう。 なのに、家族にまで危害の及ぶことを、あんなに頭の良い人が全然考えていないというのがどうもしっくり来ない。 敬愛するマリーと、心情的に味方したい市民との間で葛藤すべき立場の筈なのに、迷いなく市民軍に味方している。 ……国王から借りている軍を引き連れて。 私の知っているオスカルは、こんな義理の薄い奴じゃない。 作者はマリー、フェルゼン、オスカルの3者を合わせて主人公として描いたつもり、と後書きに記してあるけれど、フェルゼンは明らかに格下だし、マリーとオスカルの関係もあまり強くない。 もっと意識的にオスカル視点で劇を動かした方が良い物になったような気がする。

ベルサイユのばら(外伝)。 ゴミだった。 超イラネ。


2006年02月11日(土)

日本酒を買いに行くと、行きつけの酒屋が休みだった。 そうか、今日は祝日だったか。

大学で借りた英語の本で勉強中。


2006年02月12日(日)

dd が終わらねえ(朝)。 まあ 10分/1GB で計算すると、3000分/300GB で2日以上になるからなあ。 まあのんびり待つか。

dd 終わった(夜)。 48時間弱。 大体 10分/1GB、Serial ATA 1.0の転送速度 1.5MBytes/sec のほぼ数字通りの性能。

英語本勉強終了。 授業テキスト書くという仕事もあるけれど、これは平日仕事時間中にすることにして、 久しぶりに心置きなく遊ぼう。

尊敬語と謙譲語の違いを小学校のころに捉え損なって以来ずっと分からなかったのだが、そうか、尊敬語は相手の動作、謙譲語は自分の動作に関する動作を変化させるのだな。


2006年02月13日(月)

演習を担当している授業の、数学の質問に来た学生に対して、問題の意味、背景、用途も含めて完全なアドバイスが出来た(と思う)。 すげー、俺数学力上がってる!

先の見通しが立っていないものの評価をし、コストとリスクを支払って、利益が最大になるように選択をする。 ギャンブルはこのように表現できるが、人が人生に出会う選択もだいたい同じ回路で計算できる。 すなわち人が出会う大小様々の選択はほぼ全てギャンブルだと思う。 ということを前から思っていて、ついついそのことを前提に喋ってしまったんだけれど、まあこう考える人はあまりないのかもしれない。 「ギャンブル」という言葉はネガティブな意味でしか用いず、「選択とギャンブルは違う」という認識を多くの人はしているのかもな。

「ギャンブル性が高い/低い」という言葉があるからハイリスクハイリターンなものがギャンブルとされるのかもしれない。 でも倍率1.1倍の鉄板レースでもそれはやっぱりギャンブルだろう、と思う。 まあどちらの定義もあり、ということを認識しておけば良いのだろう。

なお、選択する時点で既に、見通しが完全に付いているように見えるものもあるだろう。 しかしそういう場合でも、「その結果によって自分はどれくらい幸せになるか」という主観的な評価は定量化しきれず、それが迷いの元になることが多い。 その「自分は本当はどのように評価すべきか」という点が賭けの対象のゆらぎとなる。

では主観的な評価も完全に定量化できてしまった場合はどうなるか? この場合はどの選択肢を選ぶべきかが一意に定まってしまい、他の選択肢は選択肢として機能しない。 それはギャンブルではなくごく当たり前の行為でしかない。


2006年02月14日(火)

なんかみっちり働いた気がする。 ……いやいや、オープンソースマガジンを読むのは仕事の一環ですよ。 UNIX 関係の情報もちゃんと追っかけとかないと効率的に仕事できないですからね。


2006年02月15日(水)

ある人とはもう議論できないという結論に至った。 考えがまとまっていないことを不用意に発言する。 そのこと自体は致命的ではないのだが、それが厳密さに欠けている、正確ではない、誤っているなどの場合でも先の発言を訂正しない。 常に自分の立場に固執して反論しようとする。 感情で論理を曲げようとする。 批判を受け入れない。 (批判された時に、その理由を聞く前にまず反論する。) 事実として本当に言ったことは忘れ、言いたかったことだけを記憶している。 (「言いたかったこと」なんてもんが議論の場で共有されているわけがないだろう。)

私は異性の好みのタイプとして「議論のできる人」と表現することがある。 (別に異性に限った話ではないが。) その意味は、自分の発言に責任を持ち、自分が誤っていたのならそれを正すことができる、また私が誤っているのなら感情によらずに論理的な説明で私を正してくれる人、という意味だ。 あの人はその全てに欠格している。


2006年02月16日(木)

また議論しようとしてしまった。 もう二度とすまい。

とはいえ今の煮えくり返る感情が冷めたらまた同じ誤ちを繰り返してしまうのだろうな。 それが論理を追い、正しい道を追求する者の業かもしれぬ。


2006年02月17日(金)

どうやったら大きな話を作れるのか分からない。 今練っている仕掛けを最大限に活かすには、話全体を大きくするのが有効だとは分かっているのだが、どうすれば全体が大きくなるのか分からない。 まあ適当にやったら何とかなるだろう。


2006年02月18日(土) 「♪ス、ス、スーパム来い、こっちのみーずはあーまいぞー」

スパムフィルタとして scmail を使おうと思ったが、Scheme 処理系である Gauche にエラーを吐かれるので使えなかったのが半年前。 今日もう一度やってみたが同様。 むー。 ということで別の選択肢を探してみる。 bsfilterというのが ruby で書かれており、日本語に対応しているとのこと。 試してみることにする。

東急ハンズでいろいろ物品調達。 チャリの交換ワイヤーとか、コタツ用クリップスタンドとか、練習用画材とか、研究室用卓上時計とか、麻雀マット(主にカタン用として)とか。

行き付けの酒屋に行っていつものように試飲してた。 そこで店長が勧めてくれた酒が滅法美味かった。 5000円でも買うぜ、と覚悟を決めて値段を聞いてみると、一升3000円ちょっと。 ホクホク気分で買って帰って来ました。 ちなみに梅の宿(奈良)の燗酒献上というお酒。 古酒(15年、ただしブレンドデッド)なので普通の日本酒とは味わいがちと違うけどオススメ。 ……ぬる燗につけてもいいけれど、常温の方が好みかな。

うほ、スパムかかってるかかってる。 ベイジアンフィルタは偉大なり。


2006年02月19日(日)

漫画を描くことにあまり時間を取らないようにしようと思っているのだが、今年の追いコンでは多くの時間を共有した仲間が幾人か追い出されていくことだし、とりあえず追いコン本に漫画を描くことにした。 今、2ページ漫画のプロットまで切ったところ。 そこで最近丁度、絵の勉強してみようと思い立ったところだったので、どうせならコンテに入る前にちょっと勉強を進めてみようと。 時間はまだ幾分余裕があることだし、絵柄の改造もちょっと試してみたい。 この辺何とかしたら、私はもうちょっと別の何かになれるかもしれない。

そんなわけで、先に手に入れていた『脳の右側で描け』という本を読んでいたところ、俺の脳はかなり左脳に特化してるっぽいな、と思った。 回りのある種の人間と比べて私は言語の意味や使用に厳格だと思う。 あと思考は必ず言語化されているとか、論理的思考を好むとか。

この辺の特性は英語のヒアリングができないというのと関係しているような気がせんでもない。 英語も言語だが、耳から入った単語が表す事象をイメージに直結させることができず、どうしても理解がワンテンポ遅れる。 ここ1年そこそこ毎日やってるけれど、それなりの進歩すらない。 英語を扱うことにかけては右脳が上手いこと協調していないからじゃなかろうかと。


2006年02月20日(月)

今日の仕事は工場見学の引率という奴。 教員の中では私が一番下っ端かつ余裕があるだろう、という理由もあるが、実際に興味があったから、というのも大きい。 実際行って正解。 さすが大企業、パンフレットとかショールームとか、自社製品の紹介が格好良くて面白かった。 研究に対するモチベーションが上がってきた。

「人間は目で見るそのままの世界で生きているのではなく、それを三次元に展開した、ある意味脳内で展開された世界で生きている」と私は考えている。 (日記:2004年5月19日) 『脳の右側で描け』にはこの持論を裏付けるようなことが書いてある。 ただし、見たままに絵を描くには、脳のこの作用を捨てなければならない、とのこと。 そうか絵を描くためには、空間把握を捨てて、視界を二次元の画面として読み取る見方をすべきだったのか。 私が至った論理の延長上に、納得させられる方法論を見せられた。 なんか感動。 犬大将が絵を描くところを何度か見たことがあるんだけど、彼の描き方との違いがこの差に起因すると考えると非常に納得が行く。


2006年02月21日(火)

UNIX でドローツールが欲しくなって調べてみたところ、SVG という規格があって、それを扱えるアプリケーションが幾つか、inkscape と sodipodi というのが、あるらしい。 でも ports から入れようとすると、どちらも Perl の XML パーサのインストールエラーで蹴られる。 苦労してまで入れたいわけちゃうからなあ。 暫く待とうか。

固体の電子論について勉強中。 毎日少しずつ進んでおります。 勉強が仕事の一環で、それで給料貰えるって素敵な仕事だなあ、とつくづく思う。 もっと頑張ろう。 頑張るべきだ。

この辺どう考えても去年、博士課程のうちに理解しておくべき領域なんだがな。 去年やってたら金払って学ぶ、今年なら学んでお金もらう。 ……この辺つきつめると危険なので、この辺でやめとこう。

小さな罪。 交差点にさしかかったその時、トラックが左折して来ようとしていた。 渡ろうと思えば渡れたが、私は常のごとくトラックに気をつかって交差点を渡るのをやめ、立ち止まった。 しかしその時、交差点の対面に下を向いて歩いている少年がいた。 少年はトラックに気付いていなかった。 事故はなかった。 トラックはちゃんと少年に気付き、停止したから。 私はこのとき、渡ることをアピールしてトラックを止めるようにするか、少年に気を付けろ、と声をかけるべきだったのだ。 私は少年の命を百分の一、見殺しにしたのかもしれない。


2006年02月22日(水)

一日を教材作成に捧げたが、仕事の優先順位を間違ってた。 論文のための勉強を先にすべきじゃん。


2006年02月23日(木)

英語に比較して日本語は文の最後が重要だと思う。 というのは、その文章が肯定されるのか否定されるのか(「彼は走る」or「彼は走らない」)、その文に対する自分の感想(「〜かもしれない」or「〜に違いない」)が文尾になるまで決定されないから。 だから、だからこそ、プレゼンテーション時には文尾に意味のないことをダラダラ続けられると聴衆が疲れた気分になってしまうのだと思う。 英語だと、文尾でダラダラ続けられても聞き流せる場合が多いように思う。

逆に言うと、日本語は文頭をダラダラ続けることが許容され易いということにもなるだろうか? そういう話し方する人がいる、ということについて、「それが許容されているから、そういう人が存在する」と見るべきか、「(私が)許せないから気になるんだ」という見方をすべきか。

TSS clipboard player。 (MML という音楽記述言語で定義された)文字列を音楽と解釈して再生するソフトウェアだが、コピーしてクリップボードに送るだけで再生する、という操作感が新鮮で面白いと思った。


2006年02月24日(金)

拘束性の仕事。

他所から見るとウチの研究室はド硬派で厳しく見えるようだ。

学生の前で、「俺、学生時代友達いなかったしな」と言うと物凄くいたたまれない顔をされた。 ……や、やだなあ、じ、冗談に決まってるじゃないか。


2006年02月25日(土)

拘束性の極めて強い仕事、入試の試験監督という奴。 めっちゃだるい。 一日無為に過ごした気分満点。 いやまあ社会的には必要な仕事だと分かってはいるのだが。

球面である視界を平面に投影した時の歪みを定量化する方法とか考えてた。 整理するための基本的なアイデアは幾つかあるのだが、その先の部分、簡便な作画法とかがまだ煮詰まらない。

「鳥山明の頭には 3D レンダリングエンジンが積まれてる」と言ったりする。 私はそれを3Dを回転させることだと思ったが、ひょっとしたらそれは、平面に投影する能力のことを指していたのかもしれない。 それと人間の頭が持つ抽象化・象徴化の作用を免れ、詳細な 3D データを持っていること、この能力がとんでもない。

30分は1800秒だから、カウントすると5000くらいまで数えられるだろうか。 あんまり暇だったので「1,2,3,……」と数え上げ始めたが、50くらいで目が覚め、あまりの無為、無意味さに辛くなってやめた。


2006年02月26日(日)

『脳の右側で描け』はたぶん、漫画絵に即効的な効果はない。 あまり効果ないんじゃなかろうか、とまで言うと言い過ぎか。 まあ面白そうだから続けるけれど。

追いコン漫画は結局いつもどおりで……、と思っていたんだけれど、 その本のおかげで「手とかのいくらでも参考にできるものを描く時にはできるだけそれを見て描く」というあまりにも基本的なことを思い出すことができた、といえる。 その意味でちょっとマシになったかも。

自分が一年後に死ぬのなら何をするか。 俺だったらその限られた時間の中で、残せる最大のものを残そうとするだろうな。 たぶん、仕事をやめて文章を書くかするのだろう。 ひょっとしたら、まだ論文になっていない仕事をまとめることがそれかもしれない。


2006年02月27日(月)

そういや、手持ちのヘテロクロミア双子猫の写真は、金目と銀目がそれぞれ逆になってるな。 双子の肉体は鏡像になっているのかもしれぬ。 (写真の猫がたまたまそうだっただけかもしれないが。) でも内臓の位置までは反転してないだろうと思う。 やっぱりよく分からんな。

vipw でパスワードファイルの編集しようとしたら 「vipw: pw_edit(): No such file or directory」 と蹴られる。 環境変数 EDITOR が何かよくないらしく、 「EDITOR=vi vipw」 とやったら編集できた。

4回生卒業研究の打ち上げで飲みに行く。 飲みすぎた。 何のために喋ってるのか分からんようになるってのはかなり酔いすぎ。 電車がとっくにない時間になってしまったので研究室に泊まった。


2006年02月28日(火)

二日酔いにはならなかった。 結構ふらふらになるまで飲んだんだけどな。 ビールは水分多いからやろか。

計算機が届いたので、それの初期不良チェックとセットアップとか。 ということで今日はよく仕事をした。 UNIX 系 OS は dd で環境まんまコピーできるからいいなあ。


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