きづき(日記)

last-modified: 2011/12/14 02:52:35. JST

2005年12月01日(木)

9:00起き学校。 本来会議のある日なのでそれに合わせて行ったのだがなかった。 もうちょっとゆっくり寝りゃよかった。 てゆーか俺が前の会議にいなかったの分かってんだから連絡してくれよう。

色々バタバタと片付けていく。 勉強してえなあという思いを強くしながら、心残りを潰していく。


2005年12月02日(金)

「そういう自己満足の細かい揚げ足取りは作者のテンション下げる以外の効果がないん だよ!」 とのことだが、まあ人にもよるだろて。 私はどんな細かい揚げ足取りでも私の作品をネタに話してくれたら嬉しいもんな。 私がそういうヘコみ方をしたことがない、というのは私に向かってそういう揚げ足取りをする人がいなかった、という見方もできるのだが。

それを痛みと感じる人がいることは常に忘れてはならないが、彼がどういう人間かは話してみないと分からない。 だから私はとりあえずそのように働きかけてみることにしている。


2005年12月03日(土)

学校行事で出勤。 あまり細かく何をしたかとか書くと後々オンとオフが特定されてマズいことになるかもしれぬのでぼかすようにしてみよう。 まあ今までの分で十分特定可能だろうがな。

学部生おつかれさま、ということで新潟土産の日本酒(4合)を3人で空ける。 我ながら、なかなか調子良く喋ってた。 端から見ると俺はさぞかし博識に見えるのだろうな。(反語的表現)


2005年12月04日(日)

14時間睡眠。

ビール、ネコ用品の買い出し後、東急ハンズ。 コタツ生活を充実させるための座椅子(17k)、抱き枕(7k)が主な対象。 あと電池工作パーツ(LEDなど)を嬉しがって買ってた。 ただ、座椅子が発送になってしまったのが残念だ。 今欲しいのに。


2005年12月05日(月)

演習担当の数学の勉強と採点で1日潰れる。 しかしまだ終わらない。 数学の採点は全て論理を追わなければいかんのでしんどい。


2005年12月06日(火)

忘年会、3次会まで。 終電で帰った。 あまり話したことない人とたくさん話ができて楽しかった。

小学校1学年20人とか30人とかいう田舎出身の人の話。 「そういう社会だと下の名前で呼び合うもんなんで、街の方に進学すると「お前ら付き合ってるの?」とか聞かれるんですよ」。 不覚にも萌えた。 へへっ、いいのもらっちまったなぁ……。


2005年12月07日(水)

眠い目をこすりながら1限目から。 指導内容の確認をなんとか終えたのは行きの電車の中だった。

しんどいなあ。 明日採点を終わらせたら、勉強に入れるかなあ。 ……うん、疲れてる。 ちゃんと寝よう。


2005年12月08日(木)

「雲はどうしてかたまりになっていられるのだろうか?」 という疑問に対して一定の理屈を見つけることができた(正しい答えかは知らないが)。 ツッコんでくれた人々に感謝。 ↓一応の理屈。

夏に積乱雲が発生するのは地表からガンガン水分が蒸発してくるため上へ上へ延びていくけれど、秋になると水の蒸発が減るため、雲が大きく成長する前に風で散らされるので積乱雲が発生しないとか。 その傾向がもっと強くなると羊雲になるとか。 この辺の情報を総合するとやはり雲は風で散らされるのだけれど、地表からの水分の供給によってあたかも一つの雲がそのまま大きくなっていっているように見える、と言えそう。 なお地表からの空気の流れは局在化している筈(でなければ地表の空気は全て上空へ行ってしまう!)で、そのため雲は天空全域に満遍なくできるのではなく、一箇所で成長する傾向があるのだと思う。

「々」って「ノマ」って名前が付いてるのな。 skkinput でちゃんと「ノマ」で変換できる。 日本語IME で入力するときに困ってたのよ。


2005年12月09日(金)

昨日のうちに細々とした仕事を全部片付けてしまったので、今日は一日中勉強に充てられた。

1〜2時間毎に休憩を入れるのは理に適ってるなあ、と思った。 今日は一日量子論の勉強していて頭が煮え煮えになっていたのだが、 帰りの自転車乗ってる間にその問題自体を遠くから眺め見ることができた。 今最もやるべきなのは「それはそういう約束としておいて、論文を書くために欠けている知識を補う」こと。 もちろん基礎の部分から一つ一つ手順を踏んで間違いのない論理をキッチリ確認していくことは必要なことだけれど、それは今でなくても良い。 もっと長期的なスパンで確信を深めていけば良いことだ。

プログラムを組んでいてもそういうことがある。 ミクロな問題解決のための作業が、マクロに見た自分のすべきこととしての最適解と一致しないことはままあることだ。 よくあるのはミクロな作業を連続してやっていると次第に最適解的な行動から外れていくということ。 作業を始めてから3時間後、ちょっとディスプレイから目を離した際に「ちょっと考えれば気付くより良いアプローチ」を気付いたことは何度もある。 1〜2時間周期で機械的に自分の今やってる作業を見直すというのは能率的な作業には有効だと思う。

ということを考えると、「煙草吸ってる時間仕事してないんだから能率が落ちる」と言われることがあるけれど、適度な煙草休憩は作業能率の点からも有益なのかもしれない。


2005年12月10日(土)

座椅子到着! 夢のこたつむり生活……!

4月からこちら、口にした日本酒の銘柄と寸評を記録(30以上)していたんだが、無駄だしやめよう。 どうせ味や香りなんてのは正確に記録できないのだし。 美味いか美味くないかの2択でほぼ十分だろう。 また居酒屋などで知らない酒があったら必ずそれを試してみるというのも無駄が多い。 わざわざ美味くない酒まで味わう必要もあるまい。 信頼の置ける酒屋があるので、幅を広げるのはそこだけにして居酒屋などでは美味いと覚えているものだけを選ぶのが良さそうだ。

スカウターってあんなに目に近いところにあるんだから焦点を結ばなくて見えないだろうと思ったけれど、ホログラムを使えばなんとかなるかもしれんな。


2005年12月11日(日)

知り合いから教えてもらった製法で柚胡椒作製。 柚子皮55個分をすりおろすのは大変だったけど、これで1年間の美味いうどん、そうめんは保証されたようなもの。

友人にググルさんは兄さんではなく、姉さんではないか、と言われた。 曰く、妙齢の知的な眼鏡っ娘らしい。


2005年12月12日(月)

アマゾンから漫画が届いて幸せな夜。


2005年12月13日(火)

冨樫の良い所は、「最後はハッピーエンドだろう」と信じ切れない所だと思う。


2005年12月14日(水)

盲亀浮木という喩えがあるが、男女の出会いの妙と捉えても面白い。 が、ちょっと卑猥なニュアンスが入るね。


2005年12月15日(木)

数学をよく勉強した。 今日はフーリエ変換の微分方程式への応用と、ラプラス変換をちょっと触った。 勉強が仕事(の一部)っていいな。


2005年12月16日(金)

カタンのゲーム中にカードを収めるケースをダンボール工作した。 製作時間2時間。 そこそこ良い出来。


2005年12月17日(土)

いつも通り、酒屋で試飲、そして一升瓶を買ってくる。

カタン専用カードホルダのお披露目。


2005年12月18日(日)

『薔薇のために』を読んでいる。 今3巻。 凄い。 凄い。 もう言葉がない。 凄い。 明日仕事ができなくても良い。 読もう。

あと4冊残っているけれど、最後のラインは踏み越えなかった。 3時間 睡眠を取れる時刻に眠る。

しかし、良い漫画だ。 この漫画に出会えて良かった。 漫画を愛して良かったと思う。


2005年12月19日(月)

義務仕事がなかったので仕事はまあつつがなく。

研究室の忘年会。 また例によって、学生に話さない方が良いことまでぶちまけてた。 まあ半分冗談とか誇張とか謙遜だと思われるだろうから、大丈夫だと思うけど。


2005年12月20日(火)

京都へ日帰り出張で仕事の打ち合わせ。 ついでにお歳暮(出羽桜)なんてものを持って行った。 そして夜は教授を交えて飲み会。 イジり易い、なかなか良い性格をしていると我ながら思う。


2005年12月21日(水)

授業、会議、会議が散発してあったので、何もしてない割に疲れた。 てゆーか忘年会→京都日帰り出張→飲み会で普通に体力が削られてたし。

休肝日。 日常的に飲んで体にダメージを与えないアルコール量は 15ml/日と聞いたが、俺はその5倍程度やるのがザラだ。 それが毎日はさすがにマズいだろう。 いつまで続くか分からんけど、とりあえず休み休みを心掛けよう。


2005年12月22日(木)

「ssh でのポートフォワーディング」の呪文を覚えた。 下宿 PC の HDD を研究室 PC で NFS マウントなんてのも出来そう。 やらないとは思うけど、可能なことを色々想像してみよう。

硬めの文書に書く私の文章がウェットに過ぎると指摘されたのだが、 具体的な箇所を指して指摘されないと認識できるわけないだろう、と思う。 自分が時間をかけて最も妥当だと信じられる極値に近い所まで練り上げた文章だ。 そもそもそういう色眼鏡がかかっているからこういう文章になったとも言える。 たとえ提出された後でも、「ここの部分をこうするべきだった」などと言ってほしい。

これは、他人を良くするための批評というものについて、彼があまり考えたことがないからだと思う。 完成された作品(提出された文章)について検討することは「あまり意味がないこと」と考えているのだろう。

俺の為を思って指摘してくれるためなので有り難いことだしそう思っているが、 その効果が大変中途半端だ。 もう一言二言足してくれると倍も三倍も感謝するのに。 というよりその発言を受けて、私は何をどうすれば良いのだろう? 彼は何を期待しているのだろう? 「上手くなれ」と言ったら上手くなるとでも思っているのだろうか。 まあ「そういう欠点がある」と、存在だけは知ることができたとはいえるが。


2005年12月23日(金)

過去の記憶のおぼろげさ、というのは今まで生きてきた長さに対する比率に依存するのではなかろうか、と思った。 例えば、「6歳のときの3歳時の記憶のおぼろげさ」と「28歳のときの14歳時の記憶のおぼろげさ」というのは近い気がする。

これは時間の長さの感覚にも通じる気がする。 小学生のころは1時間もあれば何でもできる気がしたし、 ジャンプが出る月曜日が待ち遠しくて1週間が長く感じた。

A という立場と B という立場を解説する文章を読む際、ついつい「私はどちらかというと A という立場だ。そして本当はどちらが妥当な立場なのだろう?」という見方をしてしまいがちだ。 でも、その間のどこかが本当に立つべき場所である場合が多いのではなかろうか。 「この部分には賛成、この部分には反対」とか。 一方を採用して他方を否定するのではなく、両方の考え方の中から妥当な部分を抜き出して一つの考え方にまとめあげることができたらそれで良い気がする。

「〜を裏返せば、〜ということであり、その結果〜になる」 という論理展開嫌いだな、俺。 数学的/論理学的に扱わない場合、人間はある事象から正しく写像を作ることはほとんど不可能だと思う。 結果「裏返された像」というのは意識的/無意識的に歪んだものになりがちだろう。


2005年12月24日(土)

どういうわけか寮友達の連中と京都でカニ食おうということになったので京都。 そして北バチでカラオケ。 その後漫研の連中と連絡取ろうとしたが携帯が繋がらねえ。 「カラオケ行ってんだろーなー、カラオケだったらもういいや」ということで寮で『ラブロマ』『げんしけん』『もやしもん』などを読み漁って寝る。


2005年12月25日(日)

大阪への帰り道、知恩院と青蓮院を観光して行く。 知恩院では丁度法然上人関係のイベントがあって、数十人の坊主が読経していた。 坊主はやっぱりいい声してるなあ。

青蓮院の庭は結構良かったけれど、まったり寛ぐための丁度良いポイントが少なかった。 まったり休憩ポイントとしては知恩院の山亭が良かったと思う。 ちなみに、俺的に最高のまったりポイントは竜安寺の石庭。 あれは時間が止まる。

写真を撮ることに対する憧れはあるが、どういう写真を撮れば良いかが分からない。 歩いていて「こういう構図を切れば格好良さそうだ」と感じるときに徒然にシャッターを切るのだが、いつもどこかピンと来ない。 ということを考えていて、他の人が撮った写真をもっと沢山見て、その中から自分が撮りたいであろう写真を選び出していく方が先だよな、と思った。


2005年12月26日(月)

なんかダメだなあ。 物を作る気力が全然ねえや。 あとの人生、消化試合みたいなもんかな。


2005年12月27日(火)

論文作業その2に入る。 まだまだ先は長い。

年賀状作業の仕上げ。 今年は宛名を筆ペンで書いてみたのでかなりしんどかった。 来年からは PC アプリを使おう。


2005年12月28日(水)

家のお仕事ということでビールの買い出しに行く。 それからちょっと遅めに出勤。 本当は休みにしてしまいたかったのだけれど、今日荷物が届くので仕方ない。 というわけで初期不良で里帰りしていたマザーボードが帰ってきたので PC を組んで計算を投げる。 ともあれ休み前に間に合ったので良かった。

雨粒配置の確率(12/20)
まず雨粒1粒に注目し、その雨粒がある位置にあるということはどういうことか、ということを考える。 問題は、座標をどれだけ細かく区切るかということ。 しかし問題にしたいのは「これだけの範囲なら同じ座標と見做す」ということではなく、厳密に同一の座標であること、だろう。 そうすると1粒の座標をとっても完全に一致することはまずありえないことになる。 無限の精度で位置が一致することはありえないからだ。

ある座標に雨粒がある場合、雨粒はどのような状態にあるのだろうか? 雨粒が持つパラメータとして、まず粒径が思い浮かぶ。 粒径は質量と言いかえた方が議論し易い。 雨粒1つの質量が 10mg のオーダーだとしよう。 するとざっと 10^20個のオーダーの H2O 分子があることになる。 雨粒の質量が1mg〜100mgの範囲で分散しているならば、質量はざっと10^21-10^19 = 0.99×10^21のオーダーの場合の数がある。 10^21分の幾ら、というのは日常的な感覚ではほぼ絶無に近いが、それでもこれは座標の完全な一致に比べればずっとありうる確率だ。

雪ならば、含まれる分子の数だけでなく、結晶の形もパラメータになるだろうし、結晶の向いている向きもパラメータになるだろう。 また水滴に含まれる不純物と濃度分布もパラメータになる。 極端に言えば、水滴に含まれる水分子一個ずつについての座標と運動状態も考えられるし、水滴表面で空気中の水蒸気と常に交換されている分子の運動についても考えることができる。 まあここまでは流石にやりすぎだろうとは思うが。

このような議論を水滴の数だけ積算しなければならない。 この確率は恐らく、宇宙が始まってから終わるまで、宇宙の全域で試行が行われても1度起きるより限りなく少ない程度だろうと思う。

小学校低学年の頃の妄想を思い出した。 「世界中の人の配置がある特定の状態になったら、今俺が鳴らした指の「パチン」という音が世界中に響くのかもしれない。 しかしそのような状態になるのは天文学的に少ない確率なだけで。そして今指を鳴らさなかった俺は、そのタイミングを逃がしてしまったのかもしれない」

「天文学的」という表現があるけれど、天文学より確率論の方が大変な数が出てくるような気がする。

12/5の「絶対零度 vs 何万度」は温度と熱量を混同している気がする。 低温に対する概念は高温で、その間でやりとりされるものが熱、ですね。 絶対零度は冷媒としては大したことなく、100g の 0[K] の物体を 100g の298[K] の物体と接し合わせたら 200g の 149[K] の物体になるだけ(比熱一定と仮定)。 分子1個だけが数万度に相当するエネルギーを持っていても人間には痛くも痒くもないし、それよりは60度の数万トンの水(湯)の方が人間には致命的なダメージを与える。 これは低温側でも全く同じ議論ができる。

気化には圧力の項も入ってくるのが面倒だなあ。 たとえば太陽の中心温度は 10^7 K のオーダー(Wikipediaより)らしいが、この核の状態は、というと固体と液体の中間くらいの状態だろうと思う。 高圧状態を考えるとどれだけ高い温度でも、原子の持つエネルギーを抑え込むだけの力で拘束すれば気体にはならない(超臨界状態にはなりうるだろう)。

では常圧だけを対象にすることにしてみたらどうなるか。 一般に、原子番号が大きな物質ほど融点、沸点が高くなる。 通常は原子は100数種類しかないことになっているが、それより大きな原子も短時間少量なら実験によって生成されうる。 そこで何番までの原子をもって「全ての原子」と呼べるだろうか? どうでも良い議論としては、中性子星というのがある。 このような巨大質量の粒子は気化できるのだろうか? まあそれ自体が気化した原子と見ることもできるが。

細かいツッコミとしては、比熱は温度に依存するので273度温度を上げるのと下げるのでは、移動する熱量は一般に異なる。

もう一点。 量子論から言えば、絶対零度でも粒子の位置と運動量は同時に確定できないので 0K においても粒子は僅かに振動する。 これを零点振動と呼ぶ。 ヘリウムは絶対零度近傍でも固化しないのはこれが原因。 だから「全ての原子の動きが止まる」という文言は科学考証的には間違っているわけだ。 しかし、漫画は面白ければ正義なので、彼の漫画はあれで良いしああするべきだと思う。


2005年12月29日(木)

家族旅行という奴。 母、姉、姉の旦那、私の4人で大阪駅から城崎温泉へ。 現地で2〜3時間ほどてくてく歩きをするのが旅行時の趣味の一つではあるのだが、人と一緒に歩くのって苦手やなあ、私。 まあぶらぶらして適当な温泉に入ってから旅館へ。

宿は銀花という旅館。 姉と母の気に入りで、部屋の作りとか色々気持ち良い所だった。 女将さん候補を養成する女将塾ということをやっているらしく、 若いねーちゃんが多かった。 教育も行き届いててその点も良かった。

旅館でも風呂、そして昼寝して飯。 酒かっくらって家族カタン。 勝てねえ。


2005年12月30日(金)

起きて風呂入って朝食頂いて。 1泊だったので若干慌しく。 でも2泊だったらいらちな私は何かしたくて落ち着かなくなるだろう。

旅行から帰って来てから高校野球部 OB の宴会。 本当は昼の部で野球もしたかったんだけど、旅行の予定が先に入ってしまっていたので仕方がない。 来年こそは。


2005年12月31日(土)

2日連続でかなり酔うまで飲んだので、今日は静養しよう。 ……と思っていたのだが、飲める場面で飲まずに済ますということができない性質が我ながら情けない。 晩飯およびその後の家族でゲームやりながら飲んでしまって頭痛が。 年越しの瞬間は酒由来の頭痛で寝転がっておりました。


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