日記

last-modified: 2011/12/14 02:50:11. JST

2005年06月01日(水)

コンテ2ページ。 なんでもないシーンだがやけに迷走した。 しかしおかげでコンテを切る際のコストのオーダーを下げるためのアルゴリズムについて ちょっと思い付くことがあった。


2005年06月02日(木)

サクラクラパスのスタディペンというのを買ってみたら、 これが随分と良い具合。

染料ではなく顔料で、粒子の粒径を紙の繊維より大きく、かつ粘度をサラサラさせる。 原理としてはこんなものだろう。 なんでこんな便利なものが今までなかったのかと。


2005年06月03日(金)

『赤松健発言集1:「大衆娯楽」』 赤松健がこんなにスゴい人とは思わなかった。 尊敬した。 とりあえずラブひなをちゃんと読み直そう。

時間・コスト的制約のために、自分にとってベストと思える構成から 幾つかのエピソードを削る悲しみ。

しかし基本的には、作家としてベストと思える構成よりも ちょっと詰めすぎくらいな気持ちでページ節約した方が バランスの良い作品になると思う。 でもやっぱりちょっと悲しい。


2005年06月04日(土)

有機的に繋っている(と思っている)エピソードを削るのは、 我が身を削るように辛い。 「ページ数を減らすように」との指令なので1ページの情報を増やすアプローチも あるが、これで無理に詰めると黒岩になるしなあ。


2005年06月05日(日)

元の文献が何処にあるかは知らないけれど、 「外界の情報を遮断した部屋に閉じ込めれば人間の体は25時間周期でサイクルする」 みたいな話がある。 これはひょっとしたら、月の重力の変動を体が感知しているんじゃないかと思った。 月が空を巡るのは約25時間周期であり、 「外界の情報を遮断した」といっても重力までは遮断できるわけがなく、 特に女性には月経という月の変動を感知している「と思われる」サイクルが存在する。

仮に重力すら完全に均一に保った環境で実験したら、 何時間サイクルになるのだろうか? やっぱり25時間なのだろうか?

どうでも良いけど「遮断」と「shut down」を私内部で混同していることが 明らかになった。 「遮断」に対応しているのは「shut」もしくは「shut off」だろう……。


2005年06月06日(月)

日々の様々な作業というのは「これを忘れないようにしなきゃ」というタスクが 頻繁に現れる。 その時に片付けてしまえれば良いけれど、「前処理が終わるまで進められない」とか、 「同時に複数の小タスクが重なってどちらかは後回し」になったりする。 後者の場合に、「早く片付けられそうな方からする」というのは 一つのタスクに関することを頭から追放し、 残るタスクに集中するための方策であるといえる。

思うに「安心して忘れられるようにする」という点に注目すれば 様々な場面での作業効率に大きな効果があると思う。 メモを取る技術、整頓の技術というのは仕事の出来る/出来ないに大きな差を 生むだろう。

この辺の事は多分、プログラミングにも通じると思う。 理想的な構造化プログラミングは関数の機能だけ覚えておけば、 実装は「安心して忘れられる」。 理想的なオブジェクト指向プログラミングはオブジェクトの意味と振舞いさえ 覚えておけば、内部は「安心して忘れられる」。 人間が一度に考えられる量には限りがあるので、 如何にして忘れて良い領域を増やすかということに注目して これらの技術が生まれたのだろう。


2005年06月07日(火)

人並以上に UNIX を使えるようになって思ったのは、 「『使える』ということは、目的に対する複数のアプローチの中から 最適のものを選び出せるということ」だということ。 殆どの場合、やり方は無数にあってコストが最小とか、 時間が短いとか様々なやり方がある。 具体的な問題を解決する際に2、3あるいはそれ以上のアプローチを すぐに思い付いて、それぞれの差異を検討し、すぐに実行に移せる。 これが「使える」という状態だと思う。

というようなことは何時だったか書いたような気もするが、 英語で発言するということもこういうことなのだな、と漸く思い至った。


2005年06月08日(水)

文字を書くときにハライにすべきところを殆どトメていることに気付いた。 ハライって要は抜きだよねー、ということでこれからちょっと意識するようにしよう。


2005年06月09日(木)

ようやくキリの良いところまでコンテが切れた。 12ページに10日ばかりかかったことになる。

少なくとも今年は、随分自由に出来そうだ。 計算機のセットアップにちょっと時間かかるけど。 でも己の立っている場所が、世界中の人々の生活を劇的に便利にする素材を 開発しうる所だということに気付き、今かなりやる気になっている。

でも帰ってからやることはコンテとネット遊び。


2005年06月10日(金)

CO2フリーガソリンとかいう商品がある。 要はガソリンが放出するのと同じ量の CO2 を回収するだけ木を植える、という話らしい。 何となく良さげな響きだが、一つ疑問がある。 成長した木はどのように処分するつもりなのだろう? 例えば回収して、燃やせば吸収した分と同じ量の CO2 を排出し、大気中の CO2に対して全く効果がないことになる。 植物が固定した炭素を半永久的に (あるいは大気中のCO2濃度が問題にならない程度に薄くなる時代まで) 貯蔵し続けない限りCO2は結局大気中に放出されるということだ。 それは企業に半無限のコストを強要する。 また、CO2 フリーガソリンを購入するということは、 別に企業との間に契約を交わすわけではない。 企業が実際にそれを永久に守り続けると考えるのは楽観に過ぎると思う。

回収した植物をバイオマスとして発電等に利用する(その分化石燃料の消費が減る)とか、 回収物の木材としての利用が熱帯雨林の伐採を緩和する効果があるとか、 伐採しっぱなしでなく木を植える植林という文化を広めるという主張ならば なんぼか納得できるのだが。 何れにせよ論理が欠落している気がする。


2005年06月11日(土)

物を整理するときには完全性と直交性に注意すべきだということに気がついた。 例えば集合を A, B に分類する際を考える。 「A or B で集合全てを表現できること」これが完全性。 「A and B という要素は存在し得ないこと」これが直交性。 これは 2つのカテゴリに分類する例だが、3つ以上のカテゴリにもそのまま適用できる (フーリエ級数展開のイメージから思い付いたので、 実際の論理学ではこのような用語は用いないかもしれない)。

これは要は「仕舞うべき場所が一意に定まる」ということを表現しているに過ぎない。 どんな要素でも仕舞う場所が存在し(完全性)、 仕舞われるべき場所の候補が2つ以上存在しない(直交性)と言い換えることもできる。

完全性は比較的簡単に実現できる。 代表的なカテゴリを幾つか用意した後、 残った全てを「その他」というカテゴリにつっこんでしまえば良い。

問題は直交性の方で、これが結構難しい。 分類すべきモノが何かによって、 またモノが同じでも自分が注目したい点が何処かでまたベストなやり方が変わる。 先日考えた mp3 をタイトルの先頭の文字で分類する、 というのは この直交性を確保する上でかなり優秀な分類法だと思う。 所謂「ジャンル」という分類は、かなり直交性が低い。

話は別にコンピュータの利用に限らない。 「あれはどこに仕舞ったかな……」と部屋の中で探し回る羽目になるのは、 整理のルールの直交性が低く、「ここにあるかもしれない、あそこにあるかもしれない」 という状態になってしまっているということ、 すなわちルールの曖昧さが主たる要因であろう。


2005年06月12日(日)

日本橋でお買物。 コニカミノルタのカラーレーザープリンタが4万円だったのでついついそれを……。 でもデカいなあ。 40kg あるんやて。 来週土曜日に到着するよう配送を依頼する。

私は基本的に「飲む」という行為が好きで、これは酒に限らない。 お茶もコーヒーも牛乳も野菜ジュースも、何でも良い。 家にいる間しょっちゅう酒を飲むのは、口が寂しいというのが大きな要因の一つだ。 ということで今日買った給湯ポットで酒の消費量が抑えられたらいいなあ。

あと昔の PS ゲーのドラクエ4、7、火魅子伝を購入。 いつかやるでしょ、きっと。 ガンパレードマーチも探したけど見つからなかった。

普段取り外している CD-R ドライブを取り付け起動したら /usr 領域の HDD を マウントできなかった。 HDD を認識しなかったらしいので shutdown すると、 システムの終了動作のディスクへの最後の書き込みが終了せずループしている。 仕方がないので電源断したが、その後 CD-R ドライブを取り外しても HDD は復帰しなかった。 HDD クラッシュかあ、痛いなあ。


2005年06月13日(月)

仕事帰りに日本橋で 160GB HDD を2つ買ってくる。 で繋いでみてもインストールできない。 そもそも BIOS の認識が変だし、FreeBSD のインストーラの挙動も変。 マザーボードがあぼーんしたのかな (そういえば、何だったかは忘れたけど、以前何かマザーの不具合があったような……)。 まあ3.5年ほど24時間ブン回してたわけで、そろそろ悪くなってもおかしくない。 しゃあない、次の週末くらいに PC を組むか……。

PC のパーツは HDD、CPUファン、電源ファンといった可動部品が 最も壊れやすい(1〜3年くらい?)が、 その次に壊れ易いのがマザーボード(3〜5年くらい?)。 そもそも部品点数が多いし、コンデンサの化学的な劣化という時限装置もある。 メモリは扱いさえ注意すれば、安定稼働している状態ではあまり壊れない (でも稀にメモリに穴があくことがあり、Libretto30 はこれで死んだ)。


2005年06月14日(火)

被害に遭った HDD を研究室の FreeBSD 機に繋いで fsck でディスクのリペアを かけてみてるんだけど、24時間経っても終わらない。 これは期待薄だなあ、ということで逸失したメールを再度貰えるよう依頼したり、 このまま日常業務を再開する方針で。

バックアップに際して 「かけがえのないデータの損失を防ぐ」、「復旧にかかるコストが少ないこと」 ということの他に、 「完全復旧するまでの暫定処置にある状態で業務に不便を生じないこと」 への効果も考えに入れた方が良いと思った。

RAID のような高コストなシステムは用意する気はないけれど、 ディスクのパーティションを同じに切った HDD を2つ用意して、 毎日自動的に rsync で一方(メイン)から他方(バックアップ)に全ディスクを複製するようにしよう。 そうしておけば、メインが死んでもコネクタをつけかえて /etc/fstab, /etc/periodic を修正するだけで HDD を買いに行くのを待たずにすぐに稼働できる筈だ。

……まあ今回の場合はマザーあぼーんなので HDD は少ししか関係ないのだが。


2005年06月15日(水)

fsck 48時間突破。 まあ致命的なデータはないのでべつに直らなくても良いとはいえるのだが、ま一応ね。

block = sector として、80時間経過時点で 40Msector 処理できた。 160GB HDD はざっと 300Msector らしいので、ざっとあと3週間? うわぁ……。

『ロマンシング サ・ガ 大辞典』届きました。 1ページずつじっくり味わってます。


2005年06月16日(木)

失せ物が漸く出て来た時などに、それを「もっと然るべき場所」に仕舞ってしまう、 というのがついついやってしまう失敗。 記憶として、「ここで見つけた」というイベントは強烈なのでそれを覚えてしまうが、 そのあと何処に仕舞ったかはそれほど強烈ではないので忘れ易い。 で、「あの時はここで見つけたのになあ……」ということになる。 もう一度同じ場所に仕舞うのが妥当ではある。

一度仕舞った後にもう一度引出しを開けて物を見つける動作を演習する、 という「物を失くさないオマジナイ」を思い付いたけど、どうだろう?


2005年06月17日(金)

「経済性だけの問題じゃない」という人だって、 自分の給料が1パーセントカットされたら大騒ぎするんじゃなかろうか。 ……というと語弊があるな。 方針は YES or NO の1次元にしかなりえないのだから、 1次元の評価軸に投影して定量評価して議論しましょう、と。

豆科の植物の根っこには根粒バクテリアというのがいて 空気中の窒素を固定しているらしい。 でもその根粒バクテリアってのはどのように繁殖しているのだろう? 豆の中に入っているとは……あまり思えないよなぁ。

アブラムシの中にもアブラムシの体内にしか存在しないバクテリアがいるとか。 これについても同様の疑問。


2005年06月18日(土)

VIA Eden の 800MHz 版(ファンレス)を買ってくる。 mini-ITX という規格で店員に「microATX の箱には載らない」と言われた。 でも mini-ITX 箱はそもそも出玉が少なく、またイマイチなのしかなかったので 箱は買わず。 手持ち microATX箱にネジ穴を開けるとか、最悪剥き身 PC でも良いという方針で。 ……けど、帰って穴の配置を確認してみたら microATX 箱にちゃんと載った。 まあ万事 OK ってやつだね。 しかし、せっかくだったらファンレス電源にして完全ファンレスマシンにしたいなあ。 まあ長期的展望ということで。

研究室 PC にログインしてみると fsck が終わったみたいなので回収に行く。 しかし全部iノード名のディレクトリ/ファイルになって lost+found に入ってた。 結局サルベージする価値のあるデータは拾えませんでした。


2005年06月19日(日)

FreeBSD 5.4-RELEASE で package になっている xorg-6.8.2 では 何処に問題があるのか、X のシステム部分(タスクバーや時計)で文字が出せない。 FreeBSD 5.3-RELEASE の xorg-6.7.0 ではその問題がないのでとりあえず 5.3 を入れている。

また fetchmail でメールを紛失したかと思った。 ちゃんと調べると、procmail を起動できなかった時は /var/mail/$USER に入るみたいで、そこからサルベージできた。 1メール分ずつ 00, 01, ... のような名前にして、 「for i in {00..10} ; do ; cat $i | procmail ; done」(zsh)。 procmail て要はフィルタなのね、ということを知った。


2005年06月20日(月)

ぐぐる先生によると、こういうことらしい。 土中に普遍的に低濃度で存在しているところへマメ科の根があると、 根粒菌の生育に有利な環境が整えられて根粒が形成される、 というシナリオなのだと思われる。

よく考えたら、地力を吸う力の強い作物を栽培した後 (特にマメ科の植物を植えなくても)数年間畑を休ませると地力が回復するというのは、 窒素固定する菌が元々土中に存在している証拠なんだと思う。

英語耳は随分マシになったが、やはり脳が追いつかん。 私が英語を理解するのは英語→日本語→意識というフローになっていて、 この日本語という邪魔なフィルタがある。 このフィルタもさすがに随分薄くなってきたのだが、 もっと削って軽量化しなければ使い物にならない。

「K.O.」(大島やすいち)。 話はつまんないけど、気持ち良いコンテを切るなあ、と。


2005年06月21日(火)

油性ペンって、油溶性の染料を揮発性の油に溶かしたものなんだな、と。 油が揮発すると染料だけが残る。 この染料(インク)は水には溶けないしそもそも染料なので容易には消せない、と。


2005年06月22日(水)

家用 FreeBSD 機はほぼ完全に機能を復帰した。 次は研究室 FreeBSD 機の HDD を二重化することだな。

大昔にある人から勧められた『<子ども>のための哲学』(永井均)。 ふと気が向いてアマゾンで発注したのだが、メインとなる問いの1つが 私が「子供」(カギカッコの子供)の頃に疑問に思っていたことそのものだったので あっという間にツカまれた。

私はその頃の問いを忘れたことにして<大人>になってしまった。 それは全く「普通」のことだし、恥ずべき事ではない。 今の私はそれよりも、物理としての世界の成り立ちの方に「なぜ?」を 強く感じているのだから。 しかしもう一度<子供>としての疑問について、少なくとも先達の一人が どのような論理を展開したかを見るのは良いことだと思う。


2005年06月23日(木)

「人間は本質的に、一次元でしか物を測れない。」 (2002年12月10日(火)) と思っていたけれど、これは落とすべき結論が YES or NO やその中間の 一次元上にあるからではなかろうか。 もし仮に二次元的な回答を要求する問いがあるならば、 それを判断する思考も二次元的であるべきだろう。 (例えば、「パン屋に行きたい」と「八百屋に行きたい」に対して、 「パン屋と八百屋に行く」という回答をする、というのはどうだろう?)

ただし、そのような二次元的な問題の多くでは それぞれの次元が一次独立であるだろうから、 結局一次元的な問いが2つあるだけになるだろう。

研究用に計算機を買いたい。 この場合、以下の問題が与えられる。

この最適解を探すのは、果たして何次元の問題か? ……うーん、「最適解を探す」という時点で既に一次元だなあ。 まあそれぞれの問題における重み付け係数の関数の形が 分かれば(数学的には)容易に解ける問題ではある。


2005年06月24日(金)

専攻内 研究室対抗ソフトボール大会のためにいつもより1時間以上早く出勤する (「出勤」に相当するかどうかは微妙なラインだが)。 すると電車とか通学路に女子高生や女子中学生がいっぱいなんですよ。 そうか、この時間は夢の時間なのか、などと思って内心ニヤニヤしてた。

大会や試合そのものよりも打席での勝負の方が印象に強い。 良い勝負だった。

おあそび大会なので、1試合30分で時間が来た回が最終回というルール。 3対2でリードしている状況で残り時間が少ないのでもう終わろうか、というムード。 もちろん相手は延長して逆転の望みを繋げたい。 そこで「いいんじゃないの?もう1回やれば」と言っておいて、 改めて最終回の先頭バッターは私で、「本気」で打席に入った。 そいで今日私が放った唯一のホームラン。

勿論それまでの打席も本気でなかったわけではないのだが、 「早く長打を打ちたい」という欲が先行し、 「間違いなく打てる美味しいボール」まで待たずに「まあ打てそうなボール」に 手を出してしまって内野安打とかポテンヒットとかになってた。 ……なんというか、「透明感のある本気」とでもいうべきだろうか、不思議な感覚。 まあたまたま打てたから、「その前の心理状況が特殊だった気がする」だけなのかもしれないが。

もう一つ。 決勝の相手のピッチャーがちゃんとしたソフトボールのピッチャーで、 ウィンドミル(腕を1回転させる投げ方)を使う人。 普通の人の倍くらいのスピードは出てるんちゃうかな。 私も完全に振り遅れてたんだけれど、打席中でカットを重ねて、バットを短く持って、 10球目くらいにミートしてライト前ヒット(やっぱり振り遅れだけど)。 勝負に勝ったという達成感。 あと、5球目くらいに相手キャッチャーが「粘っても投球乱れませんよ」とか ささやきかけて来たのを、結果的に的外れにしたのが愉快。


2005年06月25日(土)

『ロマンシング サ・ガ 大辞典』で最も価値があるのは中程にある32ページの 短編小説『運命を手にする者へ』だと思う。 いや文章は拙いし小説としてはあまり面白くないんだけれど、 ナイトハルト様が何故ディアナと婚約したかとか、 イスマス城が何故陥落しなければならなかったのかとか、 そういう一々腑に落ちる解釈を提示してくれるところが良いのですよ。


2005年06月26日(日)

論文の手直しとかしてたらもう夜。 英語はやっぱり心理的なハードルが高いなあ。 明日からはコンテ切れるといいなあ。


2005年06月27日(月)

sleep `echo '53 * 60' | bc` ; echo '\a'

53分後にビープを鳴らすためにこんなことをやってみた。 面白いなー、シェルコマンドって。


2005年06月28日(火)

今日は一個ヘマを打った。 研究に使用する CentOS というフリーの Linux がある。 これの DVD-R の ISO イメージは BitTorrent という P2P ソフトウェアでしか 配布されていない。 これを研究室でダウンロードしていたらネットワーク管理の人に注意された。

copyright を有している者が意図した、正当なやりとりであったとしても、 ネットワークを管理している方から見ればそこで行われているのが 違法なソフトウェアのやりとりなのか区別が付かず、 必ずそれを確認する必要があるということ、 そして管理者にそのような手間をかけさせてしまうということに気付いてなかった。

「道理ガ我ニアルナラバ百万人ト雖モ我行カン」の反例の一つだな。 自分が正しいと信じていても、他人に迷惑かけちゃいかん。


2005年06月29日(水)

アマゾンが届いて漫画の日。


2005年06月30日(木)

コンテで一番時間がかかるのは、1ページに詰め込む場合だな。ページ数切りつめもそう だし、メクリの要請でしばしば「この2ページでここまで進めたい」という状況が発生す る。今日は8コマ1ページに3時間近くかかった。

今は立体的なコマワークとか、変形ゴマとか、特殊なコマワクとかで色んなことを試す のが楽しい時期。


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