日記

last-modified: 2011/12/14 02:48:55. JST

2005年03月01日(火)

「忍者が毒を毎日少しずつ飲んでいると毒の効かない体質になる」 みたいな話があるけれど、あれ絶対体のどっかに蓄積してるよな。 と、久々の煙草を買いながら思った。 あるいは疾病のリスクより、他の要因による死亡(殺害されるとか)の方が圧倒的に高かったのかもしれない。 選択肢を間違ったら(あるいは選択肢なしで)即バッドエンドみたいな職業だからなあ。

でもまあ煙草も毎日吸ってたら段々効きにくくなるし、 即効的な効果が出にくくなることは確かだろう。

「全ての毒は量で決まる」と誰かが言ってたけれど、全くだと思う。 水だってそういう意味で正しく毒だ。 DHMO(DihyrodogenMonooxide) はまあよく出来たジョークではあるが、 そういう意味で全く正しい。 「毒」の定義を多くの人が捉え損なっていて、 このギャップがこのジョークを成立させていると言える。

そういう意味で即効的な害悪が表れない限りにおいて全ての物質は毒ではなく、 逆に量が過ぎれば全ての物質は毒と言える。 また、一般には害悪の現れない範囲の量においては訓練によって許容量が増えると言えるだろう。

生命が生きていく上では様々な物質を取り込み、排出する必要がある。 その過程で様々なモノが蓄積される。 こうやってモノが蓄積されていく過程を老いと捉えることはできまいか。

モノが蓄積されることで生物はいずれその機能を停止する。 そこで蓄積された毒を濾過するみたいな、 純粋な新しい生命を作るというシステムが必要になったのだろう。

もし仮に永遠の生命を持つ者がいたとする。 彼はきっと、このようなモノを蓄積させないために細心の注意を払わねばならないだろう。

女の子はおしとやかに、汚れることを嫌う性格に育つ(育てられる)というのは 体内に毒物を取り込むリスクを下げるという点で子孫を残すのに有利だったのかもしれない。 逆に男はその分汚れ仕事を引き受けるということで 活発な、泥遊びなんかを喜んでするような性格が優位になったのではなかろうか。


2005年03月02日(水)

京大が後期試験をやめるという話がちょっと出る。 言われてみると寮では経論や他の後期試験で入った人とかに変な人が多かったような気もする。 そのおかげで人間を見る目が少しは広くなった気がする。 思うに「多様な人材を取る」ということには大学自体のメリットもあるが、 そこにいる学生にとっても人間を見る目の幅が広くなるという 場による教育のようなメリットも大きいと思う。

「手間かかるしやめても良いんじゃないか」と単純に思っていたけれど、 この点に関して私は合理主義に寄りすぎていたな、と思う。 ……いや違う。 何れにせよ合理は合理なのだが、メリットを量り損ねていたのだ。 とはいえ当局が言うてるように「多様な人材を取るという当初の目的に見合わなくなってきた」というのもありそうな話だと思う。 後期試験をやるコストに見合わなそうだと思うので、廃止に反対するというわけでもないのだけれど。


2005年03月03日(木)

シナリオは、読者の予想を「裏切らなければならない」。 予想通りに話が進んで予想通りに終わってしまうのならば、 読者はそのシナリオを読む必要がないからだ。 しかし同時に「裏切ってはならない」というのも真である。 なぜならシナリオは読者にとって納得の行くものでなくてはならず、 納得されるということは論理によって導き得るものということ、 すなわち事前に予想されうるものということだからである。 論理に繋がりのないシナリオはただ絵が並んでいるだけにすぎない。 「伏線」とはこの矛盾する命題を消化する解の一つではなかろうか。

MS-Word で予稿作成。 はっきりいって忙しいです。

ほほほほほ、編集画面と印刷(プレビュー)が異なるなんて、全く大した WYSIWYG だこと!

私はね、基本的には文章を書くのが好きなんですよ。 だけど MS-Word はね、そういう執筆という作業を心底嫌なものにさせますね。 このクソが。

「段組とかでは MS-Word の方がラクだ」と錯覚していたけれど、 次からは可能な限り TeX でやってやる。 PDF で提出すれば文句言わんやろ。


2005年03月04日(金)

奈良にてプロジェクトの報告会。

『先生はえらい』の沈黙交易の項が面白かった。 ふと、本を読むという行為が興味深いものだという思いにとらわれる。 作者が言いたかったことが、彼がこの場にいなくても、あるいは彼が今いなくても、 読者に伝えられるのだから。 言葉というもの、そして文字というのは人間が発明したもので最大のものだと思う。 その他の発明は、 (同次元で比較すべきものではないような気もするが、) これらがなければ全く意味をなさないものばかりだ。

内容については、コミュニケーションの、目的といっても良いくらい重要な部分は 「理解されないこと」という視点は新鮮だった。 明解な論理、開かれた情報だけが文章や説明の最大の価値だと思っていた 私の目を啓かれた思いだ。

「俺はこの本の言うことを隅から隅まで理解できた」 というと、この本の言うことを理解できていないことになる。


2005年03月05日(土)

報告会@奈良2日目。 だるー。

ある案に対し、「そのように経済性のみに注目するのはどうか」という議論を よく見かける。 ここで問題にしたいのは、「経済性」という単語はあまり適当ではなさそうな気がする、 ということ。

このような議論は 複数の案、対案を比較検討していることになるが、 一般に複数の評価軸を生のまま評価・比較することは不可能なので 一次元の評価軸に投影しなおす必要がある。 結局のところ、何れも評価すべきそれぞれの側面について 「好ましさ」という評価軸に反映させていて、 相手の案に対して「それはこの側面についての評価が妥当ではない」 と言っているにすぎない。

経済性という単語が不適だというのは、 その単語自身には適用範囲が定義されていないからだ。 自身が唱える広範な分野、視点におけるメリットも例えば貨幣の単位で 「経済性」として算出することも可能な筈だ。

「コストパフォーマンスで測れない」とかいう文言が嫌いなのは、 私が「コスト、メリットの多くは定量的に評価できる」と思っているから。 そのように言われる物の多くはメリットの定量化ができてないだけで、 定量化する手段はあると思う。 まあ客観化が難しいとか、コストとリスク、メリットのギャンブル性(期待値と分散) をどう評価するとかの問題もあるけれど、 それでも自分が対案を選択しているということは 自分の中では定量化できているということだろう。


2005年03月06日(日)

私は議論というと「論理に則って結論に至る道程」の事だと思うのだが、 一般には「口泡飛ばして意見を戦わせること」の事だと思われているのだろうか。 ちなみに前者は(少なくとも理系の)学術的な用語としての「議論」であって、 一般的なニュアンスとはずれがあるのかもしれない。

片付けしてると大昔のジャンプの切り抜きがでてきた。 ほんでアイシールド21の作画の村田雄介(16)の投稿作のピンナップが出てきたり、 ミス JBS の常連さんの名前でぐぐってみたり。


2005年03月07日(月)

引越し業者の手続きが面倒。 短期的なコストとしては自分でやってもトントンな気がするけれど、 経験としてはまあ有益だろう。


2005年03月08日(火)

引越しの搬出を15日にしたので、これが最後の1週間ということになる。 その後この部屋には友人が入って友人宅となる。 でもって引越し時点では京都に仕事が間違いなく残ってるので、 その「友人宅」に布団持ち込み(置きっぱなし)で 暫く泊めてもらうことになってたりする。


2005年03月09日(水)

2人マダン大盛り。 うーん、これだと一人一皿行けるかも。 昔に比べて量減った?


2005年03月10日(木)

片付けとか発表準備とかで大童。


2005年03月11日(金)

博士交流セミナーとかいうのに出席させられたのだが、大変つまらなかった。 セミナーそのものと、講師のしゃべり方と、セミナーの運営と、それぞれ少しずつ不愉快で全体として普通に不愉快。

これで発表は終わったのであとは論文、と。


2005年03月12日(土)

私の部屋の特徴的なオブジェクトであるハイベッドが梱包された。 あと3日。

京都を離れる前に飽きるまで食ってやろうと通っているちゃんぽん屋に向かう。 初春、冷え込む夜。 見慣れた町を自転車で走り抜ける。 ゆっくりと、祭は終わっていく。

帰り道、ふとそこが今迄の追いコン漫画に使った風景であることに気付く。 有馬医院。 A号館東側。 そしてその他の追い出し漫画を思い出す。 もう何年も前から、私は私自身を追い出していたのかもしれない。


2005年03月13日(日)

学部1、2回生のときの同じクラスの O氏とばったり会う。 京都にいる最後の最後に彼と会うというのもまあ縁というものなのだろう。 で、どうやら彼はこのサイトを発見していたらしい。 意外な人物に見られているもんだ。


2005年03月14日(月)

『南瓜とマヨネーズ』(魚喃キリコ)。 カチッと音がするようにピースのはまった作品。 なんかすごい。

18:15に水崎氏から入電。 ひの氏が都落ち(上京)するらしいのでその送別会とのこと。 19:00集合! そこで『ホワイトデー2005・ち○これーとぱにっく2』のスイッチが急に入る。 今回はミルクinチョコバナナ。 バナナにストローで穴をあけ、そこにコンデンスミルクを吹き込む。 で、その状態でチョコレートをからめたらしまい……の筈なんだけど、 チョコレートの量が少なすぎてうまくからめることができなかった。 結局クソミソをまぶしたような汚ならしい物体ができあがった。 今回は時間的制約が厳しかったのと、あまり面白い絵にならなかったので写真はなし。 漫画にもなりません。

ひのの送別会だけど、私もオゴってもらったので追いコン第二部も兼ねている形になるのかな。 木屋町の飲み屋の後、自遊空間でコタツで漫画を読む。 あれはなかなか良い空間だ。 『キメラ』(緒方てい)と『サル』(藤子不二雄A)を読む。 サルはもうちょっと読みたいなあ。 一次会含めて結局6時間ほど遊んだので、これで睡眠時間が6時間減ることになる。


2005年03月15日(火)

荷物の梱包が終了したのが6:00。 昨日の突発飲み会がなければ0:00に終わって8.5時間眠れた、ということ。 私の締切感覚はかなり精度が高いと思う。

3時間睡眠で引越し屋を待つ。 置いてく荷物の決定とかあったので、次の住人であるこーへーさんに来てもらってちょっと話をする。 カーペットをはがすと大変なホコリ。 窓を開けて換気扇を回しても数時間喉の痛みが消えなかった。

搬出後 kinoka さんに掃除機を借りてお掃除。 そして睡眠を補充。

さようなら友楽菜館。


2005年03月16日(水)

研究室に行ってもあまりやる気がしない。 まあ当然か。

冷泉通りのピザ屋。 チーズが上品でしつこくない。 まあ美味い。 だけど高い。 店内に釜があって、それで焼くんだけど、あれでは客を捌けないわな。 スタッフの一人がそれにかかりきりになってしまうこと、設備の問題で一回に一枚しか焼けないこと。 その分が値段に跳ね返ってるんだろう。 座席は20〜30くらいあったみたいだけど、あのシステムでは客が15人もいれば食事が出てくるのが遅いことに不満を抱くと思う。


2005年03月17日(木)

こーへーさんの引越し。 雨が降って大変大変だった。

実家のぬこ様がなついてくれない……。


2005年03月18日(金)

荷物の搬入。 でこれから住むべきマンションのシステムを少しずつ学ぶ。


2005年03月19日(土)

荷物の整理。 そして上洛。

『聖』(山本おさむ)。 苦しさの中に生きるということが素晴らしい迫力を伴って描かれている。 生命の限りを尽くして己を鍛えなければならないような気がしてくる。 私も頑張らなければ。

もりりん上洛。 麻雀後、こーへー宅でダラダラする。


2005年03月20日(日)

『素人のように考え、玄人として実行する』(金出武雄)。 7割程度が「私も既に考えていたこと」。 だけど、このような思考に辿り着いている人がいるということ、 これをキチンと論理的に明文化されているということ。 3割程度が全く新しく知ったこと。 かなり良かった。

ただ、研究という経験がある程度なければ、本の内容を実感として理解するのは難しいのではないかと思う。 多分、3年前の私では「研究」についてあまり理解できなかったのではなかろうか。

お世話になっているこーへー邸の片付け手伝い。 大型ゴミとか処分して出られなかったことがちょっと心苦しい。


2005年03月21日(月)

結構親しかった古い寮生の結婚式が京都であり、その3次会が寮の旧印刷室であった。 私が寮に入った頃に既に年寄りだった人がたくさんいた。

随分と年かさの女性につかまって、四条まで出て飲んでたり。 とりあえずバーで飲むという経験を初めてやった。

過ちに対して、何故謝らなければならないかは分からないが、 とりあえず謝っておくという姿勢。 「それがアカン、人間は過ちを犯すものだからやってしまったことはしょうがない。 だから『二度と同じ過ちをしないように努力する』と誓約することが 謝るという行為の意味だ。 それがキチンと理解できるまでは謝りに行くべきではない」 と何度も言うてんのに1分後には「どうすれば良いと思う?」 おいおい、もう10回くらい言うてるよ。 無限ループはやめてくれ。

こういうことを繰り返していると話の節々で「そうだと思う」と言われても、 本当に理解してるのかあやしく感じられるようになってしまう。 「内容はよく分からないが、とりあえず YES としておけば相手は満足するのだろう」 と思われているような気がして話をする気が失せる。 砂漠の砂に水をかけている気がする。

YES と言われることで気を良くする、 謝られることで偉くなった気がする、 男女は対等ではなく「男を立てるべきだ」と考えている、 そんなつまらない価値観の人間(特に男)は少なからずいるだろう。 だから彼女の振舞いが必ずしも間違いとは言えない。 むしろそんな男に振り回されてきたのかと思うと悲しくなるが、 私やマスターが求めているのはそのような「話の出来ない」人間ではない。


2005年03月22日(火)

3月は送別会で酒が飲めるぞー。 研究室に2年半いた研究員の方の送別会。 今日は最初から最後まで愉快に飲めた。

4月から一緒に仕事をし、直接の上司になる人の噂を聞くのだが、 どうやら「私に劣らず変な人」らしい。 ちょっと楽しみ。


2005年03月23日(水)

学位授与式。 一人一人に手渡しするとか無駄な儀礼はいらないです。 総長の話は他の博士の人の研究の話。 おいおい他人の研究を面白いように説明するのは至難の技だろう、と思っていたら 案の上つまらなかった。 ボソボソして聞き取れなかったし。 これなら3年前の長尾総長の精神論の方が心の中でツッコミ入れられる分マシだったかなあ。

荷物の処分があらかた片付く。 あとは仕事を片付けて、車で京都←→大阪を1往復するだけ。


2005年03月24日(木)

『はやて×ブレード』(林家志弦)。 これは良いコメディだ。 頭の悪い直情径行オンナノコっていいなー。

『ジョバレ』(白井三二朗)。 ダマされた……! 萌え絵系のダメ漫画かと思ったらちゃんと、そしてかなり面白いじゃねーか。


2005年03月25日(金)

京都を離れる日を29(火)に決定する。


2005年03月26日(土)

大学関係の研究施設で下水管がつまってフロア一面水びたし。 ということでその始末の手伝い。

寮で酒好き某がジンとベルモットを用意していた。 うん、ドライマティーニって美味しいねえ。 度数の割に飲み易いので前後不覚に寝こけるまで飲んじゃった。 真っ昼間から。

『ハイパーあんな』『新ハイパーあんな』(近藤るるる)。 みっちゃん可愛いよみっちゃん。


2005年03月27日(日)

研究室に行って軽く論文作業。

焼きそばパーティ@寮。


2005年03月28日(月)

いつも通り午後出勤。 ちょっとだけ論文作業をして切りを付けて、研究室の荷物整理。 最後にみんなに挨拶して退出。

最後の例会。 そして最後のダベり@こーへー邸。 こーへー所有の漫画はもっと読みたかったなあ。 読んでないのが沢山あったけどまた読む機会はあるだろう、ということで。


2005年03月29日(火)

引越し。 当初の予定では車で一往復した後電車で大阪入りすることを考えていたのだが、 レンタカーで乗り捨てできる方が便利だと考えてレンタカーでミニバンを借りる。 荷物は既に粗方送ってしまっているので手持ちの車で一回で行ける程度の分量だと 思っていたが、下宿、研究室、寮の荷物を積み込んでみると見込みが全然甘かったことに気付いた。 セダンだったら積み込み切れなかった可能性大。


2005年03月30日(水)

日本橋でお買いもの。

液晶ディスプレイは Acer というメーカーのものを購入したが、 初期不良くさい。 起動時にビデオカードの周波数のチェックに失敗して画面が真っ暗になることがある。

セガバーチャスティックは半ば衝動買い。 元々東方シリーズのためにアーケードスティックが欲しかったというのがあるのだが、 購入すべき液晶ディスプレイを決めて店員をよぶ時に見つけて即決。

Happy Hacking Keyboard Lite2 (USB) の英語配列が欲しかったんだけどなかった。 でも今日中に USB キーボードが必ず必要なので(だと思っていたので)、 仕方なくそれにした。


2005年03月31日(木)

液晶ディスプレイは「真っ暗になることがある」という再現性の難しい不具合だったが、 ソフマップに持ち込んで初期不良と認めてもらうことに成功。 で、一度トラブルのあった製品を同品で交換するのが何となく嫌だったので、 今度は BenQ というメーカーのにした。 帰って確かめてみるとこれは大丈夫っぽい。 このディスプレイは台座のところにちょこっと物を置ける窪みがあるのが嬉しい。 先の Acer の奴より安くて、心なしか綺麗だし、結果的に良かった。

だが失われた時間が痛い。 進めておきたかった仕事が全然進まなかった……。

母、姉と飲みに行く。 マスターが酒に詳しい人で大変良かった。 「香りの強いの」という注文で出てきた「雨後の月」と「瑞冠」が美味かった。 両方とも広島の酒らしい。

調べてみると、BenQ は Acer から分離したブランドらしい。 結局同じ会社だったということか……。


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