2004_09月日記

last-modified: 2011/12/14 02:46:33. JST

2004年9月1日(水)

最近趣味の時間はプログラミングのことを考えてばかり。 その反面というか、漫画を描くということに対してかなり情熱が薄れてきてしまった。 もう俺は、 俺が戦うべき場がここでないということを知っている。 それで良いという気持ちと、それを悲しむ気持ちとがないまぜになって存在している。


2004年9月2日(木)

涼しかったので学校サボって部屋でゴロゴロしてた。 布団でぬくぬく。

ヨリが跳ぶ(全20巻)を読破しちゃった。


2004年9月3日(金)

あの映画に「BRAZIL」という原題を付ける製作者のセンスもぶっとんでるけど、さらに邦題として「未来世紀」を接頭辞につけるセンスも正しく間違いなくぶっとんでるよなあ、などとふと思う。 そしてそのチョイスは正しくて、間違ってないと思うけど。

変な夢を見た。 私の見る夢は大抵一人称なのだが、三人称のショートショートを読むような視点の夢。 抽象的な言葉を実態にした花をつける「知想概念」という名前の植物を見つけた男。 男が見つけた一株の「知想概念」は女性の姿をしており、植物自身がかなり高い知性を有しており、男は「彼女」との会話を楽しむ。 で、男はさまざまな抽象概念を花に咲かせて遊ぶ、とかそういう話。


2004年9月4日(土)

久々に一人酔っ払いモード。

英語は口語においては、一つの文の終わりが明示的でないように出来ている。 一通り言いたいことを言って、そのあとに 'to do something' だとか ', because someone does something' だとかで付加的に情報を足すことを、文法的にも正しいままにすることができる。 前の文の終末にあったものが「ピリオド」であっても、それを「カンマ」であったかのように文を続けることができる。 日本語は「です」で終えたらその先は別の文として扱う。 そういう意味で英語は口語的で、日本語は文語的なんだと思う。

そういう意味で、英語は美しいと思う。 ……思考形態として日本語「よりも」、人間の自然な思考をそのまま言語化できるのだから。

私が日本語に感じる美しさというのは、多分に文語的なものだ。 機能的には、文字の形態(「ひらがな」か、「カタカナ」か、「漢字」か)によってその文字の文中における機能を中身を知る前に知ることができるということ。

「言語の機能」に美しさを感じるというよりは、「先人の積み重ねた情念」に対して、というべきか? 日本語という言語そのものに美しさを感じるのではなく、祖先の魂を感じる部分に依るというべきだというような気がする。 言語の文法というフォーマットよりも、一つ一つの単語に籠められた意識に美しさを感じているような気がする。

酔っ払いー。 視界が右から左ー。


2004年9月5日(日)

酔っ払ってる時って視界がぐるぐる回るけど、この方向っていつも一定なのかしら? また、みんな同じ方向なのかしら?

今年の NF くらいに処分しようと不要漫画をダンボール詰めしてたら、自分で買った筈なのに読んだ覚えのない漫画が3冊も出てきた。 ついでに貰った漫画で読んでなかったのを片付けていく。

『なるたる』。 んー、まあ読めるけど、尻切れやなあ。

『最終兵器彼女』。 演出は上手い。 100〜200ページスパンでの演出に長じている浦沢直樹なんかと違って、週刊誌で載る程度の、20ページスパンでの演出に特化しているので単行本でまとめて読むよりも、週刊誌で休み休み読む方が向いてる作品だと思う。 てゆーか情報を小出しにしすぎてちょっとまだるっこしい気がする。


2004年9月6日(月)

『マリンカラー』(SUEZEN)。 買い揃えてからもう5年以上経っていると思われるが、初めて読んだ。 ……面白い。 てゆーか SUEZEN はやっぱり線が綺麗やなあ。 処分品に回すつもりだったけど、SUEZEN は一つ持っておきたいので確保しておこう。

SUEZEN。 こいつは馬鹿だ。 絶対馬鹿だ。 愛すべき馬鹿だ、たぶん。 そして俺は、こーゆー馬鹿漫画が大好きだ。

……ひょっとしてコイツ、自分の持ち味が馬鹿漫画であることに気付いてないのかな? そしてその気付いてなさっぷりが素敵度合いを増させしめているような、そんな気がする。

食堂で初めてライス小盛りを頼んでみた。 とりあえず食ったという事実があれば耐えられそうなのでこれで行ってみよう。 これで節約したカロリーで、発泡酒を飲むんだ。

ペンの握りについての話をした時にペンを握ってみたけれど、もう全然ダメ。 へろへろ。

てゆーか、後期風車どうしよう。 また4〜8ページのショートショート系のやろか。 ネタはなくはないけど……でも今本当に描きたいのは16〜32ページくらいの長めの話。 なんだけど、描ききる時間がないことは明白なのでまあ4ページなんだろうな。


2004年9月7日(火)

Emacs(UNIX) と Meadow(Windows) で同一の .emacs を使えるように .emacs いじり。 ついでに Meadow で東雲フォントを使えるようにして、migemo を試してみて……。 半日そんな感じで消費してしまったが、VC++ プログラミングするには Windows 上でソースいじる必要があるので見返りは十分あると思う。 gvim でも良いのだけれど、複数のバッファを開いて「このファイルからあのファイルへ」カット&ペーストするには Emacs の方がラクだし。

漫画供養というか、処分漫画を処分する前に一度読んでおこうという苦行。

『マトゥルスの血族(1〜2)』(沢田一)。 設定を描きたいという意欲だけは分かるが、全てにおいてゴミ漫画。 シナリオの進め方がスムーズでなく、キャラクターがシナリオに躍らされて無理矢理それに合うような言動を「させられている」ような感じがする。 そして不自然な言動が頻出する。 キャラクターがみな短絡思考しか持っておらず薄い。 ……処分品にするのつもりだったけど、「不愉快になれる」力を買って不愉快漫画として残すことにした。

『少年甲斐(わずかにとしがい)』(森見明日)。 ふつーにつらい。 内容がないよう。


2004年9月8日(水)

プログラム言語の多くで代入操作は「左辺に右辺を代入」という形で行われるが、「左辺を右辺に代入」の方が人間の自然な思考形態に近いと思うがどうだろう。 でもまあこんな仕様の言語作っても慣れるのが大変そうだけど。

全力こいて研究で使うスクリプト。 オブジェクト指向いいなあ。

プログラミングのスキルは間違いなく上がってる。 何が良くなったかというと、最初にガーッと書き出した時の場合分けが結構十分っぽくに出来るようになったということ。 「文法を間違えなくなった」というのは単純に俺の技術の向上とはいえないかもしれない。 というのは主に使う言語を perl から ruby に替えたから。 ruby の方が「怪しい書き方」をしないですむのかもしれない。 でもまあ、「より良い道具に替える」というのも技術の向上の一つととらえて構わんだろう。

犬大将来る。 ということで寮から引き上げた漫画のうち、『血笑鴉』(横山光輝)、『アグネス仮面』(ヒラマツ・ミノル)の所有権が私に移る。


2004年9月9日(木)

C/C++ の何が良くないって、ソースとヘッダが別のファイルになっていることだと思う。 いや勿論1ファイルで書いてしまうこともできるけど、殆どの場合それは妥当な解ではない。

そんなわけで一つの関数を定義するのに2つのファイルのそれぞれで編集しなければならなくなる。 クラスのメンバ関数を定義する時でもインラインにしない通常の関数では、クラス定義部とその外での関数定義部で2回書くことになる。 「変更箇所を1箇所にまとめる」というのがプログラミングの基本的な作法だが、C/C++ では言語仕様からしてそのことに気を配っていない。

マウス操作のコストとは、「マウスを狙いのポイントに持って行くためのコスト」に近似的に等しい。 マウスを狙いのポイントに持って行くには、収束のアルゴリズムと似たプロセスを経る。まず「ここに動かそう」という意思でマウスを動かす。 その結果として得られるポインタ位置と目的地の間には大抵は幾許かの差が生じるので、その時の「現在のポインタ位置」から「目的地」を狙ってポインタを動かす。 それを繰り返すことになる。

「1ステップのマウス操作で得られた現在地点と目的地点の間のズレの大きさ」は、元のポインタ位置から目的地までの距離に比例する。 よって、マウス操作の操作コストは対数に比例することになる。

キーボード操作で1つの文字を入力するコストは 1 のオーダーであり、そこに入力する文字数 N を乗じるので、すなわち O(N) のコストがかかる。 一方マウス操作は1回のマウスオペレーションに対して log M のオーダーのコストがかかり、マウスオペレーションの回数 N を乗じて O(N log M) のコストがかかる。


2004年9月10日(金)

今日気付いた、C/C++ に対する ruby の良いところ。 関数の定義にキーワード「def」があるおかげで「grep -E '(def|class)' foo.rb」で定義してある関数を簡単に一覧表示できる。 ソース中で def と同じ行に一行コメント書いておくとかなり見通し良くなりそう。

アンテナいじり。 rAntenna は ruby で書かれているだけあってソースが読み易いなあ。 どういう構成になってるかがすぐわかった。 俺でもいじれそう。

アマゾンにて『アフター0 Neo(1)』と『まんがサイエンス(9)』。 あやめちゃんは本当にかわいそうでかわいいなあ。

研究室の人にフリークライミングのジムに連れていってもらう。 筋トレがわりに楽しく筋肉付けられるかな、というのが動機。 筋トレではなくスポーツの中でトレーニングすると、常に「何かを動かす為に」筋力を使うので限界まで筋力を使う事に対する精神的な負荷をかなり軽減することができる。 また、ある程度特定の部分だけでなく、実際の運動に使われる部分をバランス良く鍛えることができる(反面狙ったところだけを重点的に、とはできないが)。

体の動かし方、バランスの取り方と重心の制御など、今まで全然意識してなかったけど幾つかの定石と方法があるらしく、そういう「技能を鍛える」という観点でも面白い。 とりあえず今日得た知識。


2004年9月11日(土)

rAntenna をいじって ftp でプロバイダのウェブスペースにアップロードできるようにして cron から実行できるようにする。 ということで新しい、「京大漫研者アンテナ」。

アンテナの移転は利用者に不利益を押し付けることになるのでそれによって得られたメリットを表明しておく責任がありそうだ。 ということで、以下、判断理由。

以上の判断の土台となる技術的な知識について言うならば、


2004年9月12日(日)

研究室の後輩に誘われて野球。 4打数3安打、うち一本は本塁打だったんだが、本塁打の打球はバットの上っ面であまり良い打撃ではなかった。 自分のベストのバッティングというのを一度やってみたいもんだ。

『MADARA』(1〜5)。 買ったが全く読んでなかったダス。 キャラクター喋りすぎ。 「いいだろう、説明してやろう。……中略……。おしゃべりの時間は終わりだ。」 こんなんばっか。 この手の漫画って、どうしても敵方が本気でやってないように見えるんだけどなあ。 あと、固有名の出所がメチャクチャなのが気になる。 日本神話、中国の神話、ユダヤ教の神話、ギリシャ神話、etc……。 まあ固有名なんだから OK っちゃ OK なんだが、やっぱり統一感に欠ける気がする。

某氏に送る前にもう一度目を通しておきたい漫画を読んでおく。

『泥棒猫(全3)』(大石まさる)。 まー読み易いし、線に迷いがないので嫌いではない。

『フラワーズ(1)』(奥瀬サキ)。 1巻だけだと何が何だか分からない。

『入神』(竹本健治)。 むちゃくちゃ濃ゆい。 絵そのものは拙いんだけど、表現がちゃんとしてるのが大変良い。 脳内麻薬がでているようなサイケな絵、予想外の事態に直面した時の歪んだ視界とか。 盤上の戦いの迫力に満ちているのだが、残念ながら私は囲碁がよく分からない。 もしちゃんと碁が打てるようになったのなら、その時にもう一度読みたい漫画。


2004年9月13日(月)

随分、オブジェクト指向という考え方が分かってきた。 ruby は扱い易くてプログラミングを学習するのにかなり適していると思う。 C++ を初めるより少し前に ruby に触れることができたのはやはり幸運だったんだろう。

金曜日のフリークラインミング、日曜日の野球で筋肉痛が酷いので筋トレは筋肉を動かす程度に。

本当に今年卒業できるのか? かなりせっぱつまってきた。 やばいかも。 プログラミング云々で遊ぶ前に、ちょっと卒業に向けて本腰入れよう。

アンテナ変更のメリットを云々言ってみたけれど、結局のところ現時点では利用者のメリットはない。 単に私が管理するコストが下がる、とただそれだけ。


2004年9月14日(火)

受け売り筋トレ情報そのに。 とはいえ筋肉の性質は個人差も大きく、「これが正しい理論だ」というのは言い難い。 数ある流儀のうちの一つ程度に。

しかし、このような高負荷トレーニングは初心者にはおすすめできないらしい。 ある程度トレーニングに慣れてから(2〜3ヶ月程度?)、ということらしい。

「FreeBSD 5.3-RELEASE は 10/3 公開を予定されている」→「恒例の遅れから、10月末くらいに公開されるかな?」→「少なくとも 5.3-RELEASE で年は越せるだろう」。 そういや以前は 2004年夏と言われていたよなあ、と思い出す。 いや、不平を言うてるわけやなくて。 ただ、ふと、アキレスと亀の話を思い出した、と、ただそれだけ。


2004年9月15日(水)

「決まりきった展開のゴルゴ13は現代科学を取り入れた水戸黄門みたいなもんだろ。 そこらへんがうけているんだよ。」

↑「ゴルゴの科学考証がおかしい」という批判に対する友人の言。 その分析は大変正しい。 うーん、イイコト言うなあ。

数学と科学。 科学は数学を利用するが、数学が科学を利用することはない。 すなわち数学の方がよりプリミティブな学問と言える。 科学も幾つかの分野があり、大きく物理、化学、生物学などに分けることができる。 これを先の数学と科学の議論にあてはめると、物理
([2007-12-12]追記。 ここで「ブツリ(物理)」と途切れていた。スクリプトのバグの所為だろう。この続きとして書きたかったのは以下のようなこと。 「化学を真に理解するには物理の知識があった方が良く、 生物学を真に理解するには化学の知識があった方が良い。 そしてそれぞれ逆は不要。 所謂「理科」には、このような依存関係があることに気付いた。」)

今月の学会のプレゼンテーション資料を作成中。 自信のある題材で作るのは楽しいなー。


2004年9月16日(木)

学会発表予行演習、完勝。

みやざき邸で飲んで、漫画について好き放題しゃべくって漫画を借りて帰る。


2004年9月17日(金)

久々に松屋で豚丼。 はずみでその後の食事でも油っこいものが欲しくなってしまう。 イカンイカン、ダイエットだ。

『エマ(1〜4)』(森薫)。 良い漫画だ。 空気の扱い方が上手い、というか。 例えばオペラ中の出来事のシーンのサイレントでの処理ってのは大変素晴らしいと思う。 あと挟み込みのアンケートはがきがこっているとか、各話の後に1ページの小品が添えられている(これの出来も良い)とか、手が込んでいて大変楽しい作りになっている。 でも、一番楽しいのは本編よりもあとがきだったりする。

壁登り。


2004年9月18日(土)

筋肉痛。 壁登りすると握力を消費して日常生活でも握力がなくなる。

某掲示板用に電撃大王の某漫画の批評を練ってみる。

もりりん来襲、ということでカラオケ。 歌うのってちょっとやらないとあっという間に下手になる。 うーん、ま、いっか。

って、そのあとウチの下宿でダラダラ。


2004年9月19日(日)

データを蒐集する際に、それをフィルタリングするのに上手い方法がないかなあ、と。 一番手軽なのは初めて見た時にダメっぽいのは消してしまうことなんだが、こういう感覚的な、芸術性をゼロイチで評価するのは難しいし、評価の基準点が徐々にズレてしまいそうだ。 それにせっかく落としたのに何か勿体無い気がするし。 好きな度合いを点数付けして定量化してそれをデータベース化する、というのが最大手間でのベストな状態っぽい。 でも面倒だしちょうど良いアプリケーションを探すか作るかするところから始めにゃならん。

処分予定だった筈の『なぎさMe公認』、もりりんにつられて読破。 リエさーん、一生ついて行きますよー!


2004年9月20日(月)

寝て起きて酒飲んでまた寝て。

タマキツッコム:漫画フォントの作り方』。 写植作るのにとても便利そうです。


2004年9月21日(火)

学会発表準備は大体終わったんだが、今日学校行くと「以前やってたあの研究は今どないなっとんねん」と教授に言われる。 「じゃあ明日までにまとめとけ」「それと就職の応募も出しとけよ」みたいな。 おげ。

「イオン伝導体の話も好きです」
「じゃあこれから先、現在開発されているよりも性能の高い新しい材料を開発するのか?」
「えーと、それをするには知識の材料が足りてません」
「その知識を収集しなかったということは、それほど好きではなかったということではないのか?」

教授が俺に諭した論理は、俺が普段よく使う論理であった。 そう、俺は、コンピュータを使うこと以上には研究対象であったイオン伝導体を愛していなかったのだ。

結局イオン伝導体が好きだというのも俺はそれでしか戦えないという観念からのものだろう。 そうではない感覚的な「好き」という話ならば、それはかなり広範囲に適用できそうだ。

博士の就職先というのは、俺が考えている程には、即バリバリ論文を書いて研究を進められるということを期待されていないのかもしれない。

一連の話でいろいろ切り捨てることができた。 それなりに戦えるところでやればいいや。 それに自分が望む場所で戦える人間ばかりでもない。 もっと気楽にやってみよう。


2004年9月22日(水)

教授に見せる資料を徹夜で作るつもりがネット遊びで大半潰れる。 二番目にやりたいことをやるって楽しいなー、この背徳感(?)が。

レトロゲームサントラ推進協会』より。 ソロモンの鍵の BGM を作ったのがメタルユーキだとーー!


2004年9月23日(木)

返却前のお別れの儀式、ということで『はだしのゲン』を通読する。 非難とかイジメとか、胸が悪くなるほど醜い人間が溢れてる。 でも大衆ってあんなもんだろうな。 俺もああなるかもしれんし、ああなんかもしれん。

友人から借りた NHK『映像の世紀』。 メチャクチャ面白え。

『東方永夜抄』 1ヶ月かけてようやく全コンビでエキストラをクリア。 そいでインペリシャブルシューティングも拝む。 おそらく修練で上手くなるのはここまでなので、ここでやめよう。 40時間プレイ、一日1時間以上やっとったんか。


2004年9月24日(金)

やらなきゃいけないことがだんだん積まって息苦しくなってきた。 今期風車はかなり無理っぽい。 でもやればできるかも。 やってみようかな、4ページ。

6:00前、綺麗な朝焼け。 日出・日入の時間は空の色が移ろいゆく様が美しい。 毎日この時間に起きているような生活リズムも面白いかもしれない。


2004年9月25日(土)

『映像の世紀』(全11回)。 面白かったー。 列強の植民地支配とか、大日本帝国とか、社会主義についてとか、思考の為の新しい材料が沢山手に入ったという感じ。

社会主義国家が多く崩壊したけれど、結局社会主義というシステムがマズいんじゃなくて、それとは独立の(?)独裁というシステムがマズかったんちゃうかなあ。 合理的で柔軟でその他諸々の点で完璧な価値観というのは人間には到達し得ない極限だと思う。 決定というのは結局価値観の反映なので、この価値観をどう扱うかが政治というものだ。 民主制というのはこの価値観の偏りを少なくするように多数の人間で平均化するシステムで、独裁では独裁者の単一の価値観で統制される。 生物学で言われる、「多様性を失い、環境の変化などへの柔軟性が失われる」ということそのままの論理が通用すると思う。 アメリカの大統領の任期が慣例的に2期8年を制限にしてるのは、こういう点で結構合理的な気がする。

それと社会主義、共産主義を志向する人間は理想主義的な傾向があると思う。 理想というのは一つの極限で、無限の労力を払った時にだけ到達し得る地点だろう。 「角を矯めて牛を殺す」という言葉があるが、実際どこまで角が曲がっているのならば許容できないのか。 角が曲がってなくても模様が変だったら許容できないのか。 あるいは足が曲がっていて仕事できなかったら許容できないのか。 幸運にして「完璧な牛」がいた場合、それ以外の牛は全て抹殺するのか。

理想主義者が大衆の支持を得るなどで自身の決定に自信を持ったのなら、「理想に到達すること」、「それに無限の労力を払うこと」、「それを他人に強いること」の全てが彼にとって正義となる。 理想主義者の単一の価値観というのは結構背筋の寒いものがある。

いや、独裁というシステムを全否定するわけではない。 独裁というのは上手く行けば物凄い速度で社会が改善されていくからだ。 ヒトラーによる農業、工業政策によって第一次大戦後の荒廃のドイツが驚異的な立ち直りを見せたというのはその最たる例だろう。 でもやはり、為政者について「のるかそるかの大博打」をするよりは、ローリスクローリターンでボチボチ良くしていく方が良いと私は思う。


2004年9月26日(日)

『勝手に改造』最終巻、最終回。 アリだと思うし面白いと思う。

『スカイハイ』『スカイハイ・カルマ』『スカイハイ・新章』(高橋ツトム)。 ストーリーが若干ウェットか。 高橋ツトムはドライなハードボイルドの方が合うような。 いや、人間模様が十分魅力的で面白いのではあるが、死後の世界という曖昧さの入りそうな世界設定はちょっと減点。 「なんで他人に発見されないとあの門に行けないの?」とか「自然死と殺人(事故死)の区別はどこでするの?」とかちょっと疑問が残るし。

しかし、ラフに見えるあの線でどうしてこんなに見易い画面ができるのか不思議でしゃあない。 黒をキチッと使ってコントラストを上手に調整してるからかな。 こういうハイコントラストの絵には正直憧れる。


2004年9月27日(月)

ここんところ生活リズムが崩れまくり。 まあ寝るのが気持ち良くて際限なく寝るからなんだけど。

学会に持って行く資料の最終チェックとか、論文準備とか。 今日出発するので例会には出られません。 てゆーか今週一杯京都にはいません。

『映像の世紀』を見ていて思ったのは、太平洋戦争で中国に対して戦争していた日本が、唐突にアメリカに対して戦争をしかけている、ということ。 私は単純に「侵略戦争をしたかった」みたいな認識をしていた時期があるが、「中国、アメリカという大国二つを相手に同時に戦争しようと考えていた」というのはいくらなんでも不自然すぎる。

資源、特に石油を押さえられて追い詰められた日本がアメリカに戦争せざるを得なくなったのではないか? アメリカからすると当時のアジアで急成長している日本帝国がアジアの覇者となって西側列強と同等の力を持つことは避けなければならなかった。 石油をストップさせて、「さあ、殴って来いよ」とけしかけたような印象がある。

もちろん、「さあ、殴れ」と言われたとしても本当に殴ったらアカンねんけどな。 でも殴らな死ぬんだったら普通の人間は殴るだろう。

と、ちょっと考えるだけでこれくらいの論理は出てくるんだから、当事者である当時のアメリカが真珠湾攻撃を本当に予測していなかった、というのがちょっと信じられない。

……ん? この時点までアメリカは第二次大戦に参戦していなかったっぽい。 アメリカが第二次大戦に参加する口実に使われたのかなあ。 日本と戦争になったら日独伊三国同盟のため、ドイツイタリアもアメリカに宣戦布告する。 キチンと勝ち切れたら、連合国の一員として戦後処理の決定権を得ることができる。 また、欧州列強は欧州内での戦争で手一杯なのでアジアの戦争は連合国ではアメリカの一人舞台だ。 そして戦後、アメリカは日韓比など太平洋の対岸に多くの拠点と影響力を得たことになる。

日本にとって太平洋戦争が侵略戦争であったかどうかということに対して判断できるだけの材料を私は持っていない。 大東亜共栄圏という思想は曖昧さを有していて、現地人を教化して共に栄えるという理想的な状況にもなりうるが、欧米列強がやっていたような単純な植民地支配にもなりうる。 統治の現地責任者が「大東亜共栄圏」という思想をどう把えていたかによって統治の実情が違うわけだ。 「日本による教育」が良かったと言っている地域もあれば「日本による植民地支配」を非難する地域もある、というのは主観の違いだけではなく、そもそも事実が複数あることをも意味している。

現在のアジアで力のある国が、中国と日本の2つあるということ、力が分割されているのは西側を中心とする現在の世界のバランスからすると大変良いのかもしれない。


2004年9月28日(火)

秋田大学で学会。 唯一聞きたい発表には間に合った、が早足で歩いたので疲れた。

食堂が混みまくりでイヤだったので先に散歩。 都合よく中庭で土産物販売していたのでそこで林檎1個80円を買って齧りながら歩く。 秋田大学手形キャンパスというのは京大の吉田キャンパスくらいかな。 ぐるっとまわると平田篤胤の墓があったので寄ってみたり。 鉱物博物館というのがあったので寄ってぷらぷらしてみたり。

晩飯にきりたんぽ鍋の食える店にいったんだけど、もう完全に店の処理能力を超えていた。 2時間以上いたけれど、料理が出てくるの遅くて腹は膨れずなんか疲れてしまった。

東横イン秋田駅東口というホテルに泊まってるんだけど、部屋に LAN ケーブルがほげっと出ていて挿すだけで DHCP で使えるのでめっちゃ便利。


2004年9月29日(水)

下宿PCにアクセスしてメールチェックしてみたり、日記更新してみたり、研究室 PC に繋いで投げている計算のチェックしたり。

「会話をメインにした話作り」というのが自分内の課題の一つとしてあったので、今回の風車小屋はこれでやってみよう。 短めのページでピリリとした物が出来そうだし。 ということで舞台と役者とポイントを大まかに設定しておいて、出張中の移動時間などの空き時間を脳内の二人の会話に当ててるんだが、不意に口元がほころぶ。 ニヤニヤしてしまう。 バスの中で、電車で、飛行機で。 あー、今回も萌え漫画だねえ。

で、一つ問題が。 俺、女の子の標準語が脳内で展開できないみたい。 コンテ切ったら誰かに見てもらった方が良いかもしれん。

聞きたいセッションもなかったのでレンタカーで秋田観光。 てゆーか男鹿半島をぐるっと回ったくらいだけれど。

男鹿水族館に入ったのが昼飯前だったせいか、どれ見ても美味そうでいかん。 イカなんかはめっちゃ美しくてめっちゃ美味そうだった。 寒い地方の魚の方が美味そう、というのは大きく成長するからやろか。


2004年9月30日(木)

台風接近中。 台風情報のニュース見てると京都直撃したみたいなんだが、ひょっとして台風の目を見れたんやろか。 見てみたいなあ、台風の目。 しかし一番の問題は帰りの飛行機が飛ぶかどうか、ということなんだが。

飛行機は飛びました。 ということで暫く実家に逗留。


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