2004_06月日記

last-modified: 2011/12/14 02:45:23. JST

2004年6月1日(火)

睡眠補充。 そして、どっかのバカと議論して「バカ言ってんじゃねー」とエキサイトしてる夢。

『CLANNAD』AFTER STORY。 皆、みんな、なんて優しいんだろう。 そして、主人公が、人間として人として成長していく姿がキチンと描かれているのが心地良い。

初期条件作って、計算機に投げてます。 今日学校休んでるのに、遊んでいるのに。

『CLANNAD』やりながらメッセージスキップ中に落描きしてる。 「俺はこんなに自分の絵が好きだったんか」。 無闇な下方修正を無くせば、そこには自分の一番好きな絵があった。 絵を描くことがこんなに好きになったことはなかった。 そしてまだまだ、描くほどに上手くなってる気がする。 もっと好きになれる気がする。

名簿から一月近くペンは握ってない、落描きすらあまりしてなかった。 しかしその間、暇があれば立体について、遠近法について考えていた。 だから、物の形を立体として捉える技術は上がった。 早く漫画が描きたい。


2004年6月2日(水)

3:00、『CLANNAD』終了。 ある2行でボロボロ涙が零れた。 ここで泣いたのは、やはり積み重ねの巧みさなんだろうな。

『ハチミツとクローバー』。 面白いことは分かってるのに、良い漫画であることは分かってるのに、今の俺には甘酸っぱすぎて読めない……。 『CLANNAD』で恋愛回路がつながっちゃってるからか。 なんか、昔のことを思い出したり。 可愛いと思ってた女の子と今思えば明らかにフラグ立ってたなーとか、最初の一歩すら踏み出さなかったなーとか、踏み出してたらどーなってたかなーとか、過去のある日に戻れるならやっぱりこの日なのかなーとか。

私の恋心ってのは、純化した萌え心に近いんだろう。 あるいは近かったのだろう。 結晶化した感情を越えなければ、これからは恋と思えないのではないだろうか、そうやってまた一歩を踏み出せないのではないだろうか。


2004年6月3日(木)

研究室の人に ruby を薦められたのでちょっと齧ってみる。 美しそうで、面白い。 オブジェクト指向な考え方というのがちょっと分かった気がする。 暫く勉強してみよう。

久々に漫画を進めようとコンテを発掘。 んー、コンテに今一納得いかない。 も一度切り直そう。


2004年6月4日(金)

カットモデル終了22:00。 帰りついでに哲学の道まで行って蛍を眺める。

携帯のカメラで撮ろうとしてる人が結構居たけど、あんなカメラで撮れるのかなあ。 光量が全然足りないと思うんだけど。

十分な機材と、そして実力がなければ蛍の飛ぶ美しい景色は写真には納められないだろう。 すなわち私にとっては実質不可能ということだ。 だけどそれで良いのだと思う。

『沈夫人の料理人(2)』。 最高!

『魔法遣いに大切なこと(1)』。 絵が綺麗から気にはなってたんだが、どうも地雷臭いと思ってたんだが、一冊くらいなら……。 ……ダメでした。 ごめんなさい。 でもボク頑張る、頑張って読むよ……。

カラーページだけ切り取って捨てたろかな。

『CLANNAD』の思い出がどんどん美しくなっていく。 あのゲームは、うん、やって良かったと心から思う。


2004年6月5日(土)

中学校のころ、理科の授業。
「カビが人間の役に立ってる、何でしょう」、俺は答えた、「薬」。
「よく知ってるなあ、どこで知ったんや?」、俺は答えた、「漫画(『火の鳥』手塚治虫)」。
今思えば、答えられた教師は少し苦い顔をしていた気がする。

思えば俺は、色んな物を漫画から貰ってたんだなあ、と。


2004年6月6日(日)

π(x) 〜 x/log x(x→∞)

ガウスの素数定理。 簡単な説明は、以下のような感じ。

2以上の数については、2で割り切れない数の割合は 1/2。
残った1/2 の数(=奇数)のうち、3で割り切れない割合は 2/3。
残った1/3 の数(=奇数)のうち、5で割り切れない割合は 4/5。
:
Nが素数である確率は、「N以下の素数について逆数を撮り、それぞれ1から引いたものを積算したもの」ということになる。 尤も、この積分を計算することは大変難しいらしい (私もちょっとやってみて挫折した)。

では、と思ったのは、「ある年に『前代未聞の大事件』という物が発生する確率は、1/log xに比例するのだろうか?」ということ。

数日前に大変上手く描けた女の子の顔も、今見ると何か物足りない気がする (最も足りないのは例えば背景とか、絵としての構成だとは思うけど)。 目が鍛えられているのか、それとも「美人は三日で飽きる」なのか。 前者だったら良いなあ。

原稿進まねえ! まあ、今回は視点の位置を色々意識して変えて構図を工夫している、そして同じコマを何度か描き直しているのでしゃあないことではある。 新しい技術を得る為にかかる時間は支払うべきコストだろう。

成長はかけた時間の関数だと考えるならば、原稿になんぼ時間かけても無駄ではない筈なんだけど、でもやっぱり他のことで忙しいよね、という話。

さて、コミックスタジオで原稿作業を進めているわけだが、これでやってると道具持って他所の修羅場で皆と原稿ということができない。 正解はサクサク上げて手伝いに行くことなんだろうなあ。 でも締切パワーがないとやっぱり進捗も今一つというところ。


2004年6月7日(月)

悲しい話であるほど、切ない話であるほど良い物語と言われる。 しかし何故わざわざフィクションで辛い思いをしたがるのだろう。 悲しい話を見て泣くことがそんなに楽しいか。 そういう物語は記憶に残りやすく、記憶に残ることは一時のネタよりも価値があることだと言うが、それは何故なのか。 人はフィクションで辛い思いをすることを何故、そしてどのように喜んでいるのだろうか。 これは考えるに値する問題だと思う。 (ひらしょー 2004年6月7日)

鍵となるのは結局のところ非日常性という事じゃないだろうか。 遊びの一側面である「日常からの脱離」。 悲しい物語に触れても自分が実際に不幸になるわけではなく、胸の奥の悲しさ回路/切なさ回路を回すだけだし。

まあ言い方は悪いが、「他人の不幸は蜜の味」ってことだろう。 「他人の不幸が相対的に自分を幸福にする」というニュアンスではない。 ただ、悲しい状態というのは皆が避けようとする筈で、だけれどもどうして避けられなかったか、そしてそれに直面した時にどうなるか、というのは非常に興味深い事象だと思う。 だから、そこに物語が生まれ、多くの人の興味が注がれるのだと思う。 そういう意味で、私は他人の不幸を知るのが好きだ。

楽しい状態というのは皆がそうなろうとする所が悲しい状態との相違点。 だけど、「なろうとして、そのようになった」それだけじゃ人の興味は呼べない。 そこに物語を生むには、「実際それが与えられる人間というのはごく僅か(トーナメントで優勝するとか)」とかのルールがあれば良い。 ルールというより障害と呼ぶ方が一般性が高くなるか。 スポ根漫画なんかは不幸にならなくともそうやって障害を解決していくだけで名作になりうる。 すなわち、「どうやって解決するか」「その解法の効果は?」といったところに興味を誘導するわけだ。

まとめとしては、人が指向する状態になっても興味は引かない、それを背いた状態になるときに『なぜなったか』『どうやって解決するか』『そのときどんな心境か』といった興味が湧き出してくる。 記憶に残るとか印象に強いとかいうのはこれらの興味に対する回答をよく提示していることだと思う。

「悲しいことを避けようとして避けられた」。 「嬉しいことを得ようとして得られなかった」。 悲しいこと、嬉しいことの定義が微妙だけど、どちらもダメ物語のにおいがプンプンする。 これらは日常的なことだろう。 非日常に遊ばせてくれ、という気がする。


2004年6月8日(火)

某小説後書き。 「自身の才能に見切りを付ける為に」「そして見切りを付けられた」。 泣きたくなるほど共感できる。 そして、悲しいけど倖せだな、と思う。 せめて、俺も、その地平に立ちたい。

ruby 面白そう。 オブジェクト指向という知識はあったけど、その考え方というのは全然理解できてなかった。 とりあえずこのことについて考えるのが面白い。


2004年6月9日(水)

自分を客観的に評価した場合、普通の人より UNIX 管理の能力についてはやっぱり数段高い。 研究室ローカルの事情に精通している(バッドノウハウを蓄えている)という点も含めて考えると、現在の研究室ではスタッフも含めて1番使える人間だろう。 ということで、研究室の計算機の管理を一手に引き受けているような形になっている。 「自分が替えの利かないパーツになっている」ことに快感は覚えるけれど、それが組織として不健全であることも自覚しているので、何とかせんとなあ、という感じ。

18:00に帰って漫画描く予定だったのだが、教授室の引越しに伴う計算機の引越し&中間打ち上げで酒飲み。 面白いけど、時間がなくなる……。 面倒なので、今日帰るかどうか迷ってるところの26:30。


2004年6月10日(木)

結局研究室で寝起き。

Linux >> OSF >>>> Irix。 やっぱ皆使ってる素性の良い OSって良いよね。

やっぱり何処となく他人任せなんだな、と自覚した。 「鍛えて貰えば何処ででもそこそこ使えるようになるだろう」などと甘いことを考えていたけれど、「自発的に自分を鍛えなければならない」。 アイタタタ……。

22:00 に寝るが 23:30 に目が覚めてしまったので原稿作業。 画力はやっぱり上がってる。 27:30再就寝。


2004年6月11日(金)

学校に居る時間フルに使って ruby を勉強。 やっぱりオブジェクト指向で問題を解決する考え方というか、どこで切り分けるかが掴めてない。 一連の定型処理しかしない場合でもクラスで括って仕事単位でメソッドを用意するべきなんやろか。 とりあえず今までの perl スクリプトを ruby に書き換えて行くことにするので、トレーニング用の題材は沢山ある(40個程度)。 やってるウチにちょっとずつ最適解に近付いて行くだろう。


2004年6月12日(土)

早起き原稿。 「今年で卒業したら、来年以降どうするかなあ」。 というのは、漫画との付き合い方の話。 まずスッパリやめるか、ダラダラ描くかという選択。 これは多分後者だろう。 描きたいけどまだ描けていない物が沢山ある。

じゃあ何処で描くか、やっぱり風車小屋なんかなあ、ということになる。 俺には同人指向はあまりない。 あまりやったことないけど、本を作るって大変な事だと思う。 どうせならそういう事に割かれる労力も漫画を描くことに注力したい。 自分で本を作らないんだったら漫研以外の付き合いはないし、此処以外ないだろう。 本を作るってのも、やってみたら面白いのかもしれんけどね。

あとやめる前に、できるならば京都を離れる前に、「漫画を描くようになって自分が身に付けたスキル」をまとめて文章化したいな。 新入生の教本となるような。 新入生が「俺の7年目の状態」から始められたら、素敵だと思わない?

「画力上がってる」と思ったのは錯覚だった。 いや、鉛筆力は間違いなく上がってるのだが、鉛筆力→ペン力の減衰が激しくて鉛筆力が生かせていない。

ちょっとクラスの使い方が分かってきた。 初期化処理でそれ以降共通して使う部分まで処理しておいて、あとはメソッドで取り出す「ボタン」を作ってやる、と。 結局処理ってのは逐次的なので、それを「完全に手続的でないようにする」ことはできないということ。 10の長さの処理を10の長さそのままで処理するか、2ずつ5つに分けるか、1ずつ10個に分けるか。 1つの区切りの適切な長さが何処にあるかというのはケースバイケースだろうけど、そのための有効な区切り方の一つがオブジェクト指向という考え方なんだろう。


2004年6月13日(日)

ちゃんと風景描けるようになりたいなあ。 これが出来たら5割ほど威力が増すと思うのだが。

背景しんどいんじゃゴルァ! 丸一日かけてちっとも進まん。

ペン力はまあ、後半は慣れてちょっと良くなった。 背景はちょっと、今後の課題として手本になるような漫画を意識して見るようにしよう。 構造ではなく、描き方のストックを増やすようにしよう。

け、研究が、進んでない……。 欠陥生成についての実験論文を幾つか読んで自分の計算結果の妥当性を検証しなきゃならんのに。 計算したエネルギーから欠陥濃度を算出する方法についてより詳しく勉強する必要があるのに。 まあ、つっこまれたらもう一度謝って、その晩にでも勉強することにしよう……。 月曜日学校行くの、ドッキドキ。


2004年6月14日(月)

プリントアウトを他人に頼むことになるのでその分デッドラインが早い。 今日明日中には上げたいなあ。 ……おかしいなあ、もっと早く上げるつもりだったのになあ……。

5:30。 次々迫り来る背景にちょっと心が折れました。 寝る。


2004年6月15日(火)

コミックスタジオを使うようになって、漫画のコマ割りには「論理コマ」と「物理コマ」があることに気付いた。 物理コマってのは実際にコマワクによって区切られているコマ。 論理コマってのは意味の上で一繋がりになったコマ。 例えば、1つの絵をコマワクで分割してるような場合は「1論理コマ」「2物理コマ」に相当する。 1つのコマに2つの絵が混在してる場合(例えば回想シーンへの導入)は「2論理コマ」「1物理コマ」に相当する。

手で漫画描く場合は適当に処理できるけど、コミックスタジオで描く場合は、道具的な制約や機能があるので論理コマ主導でコマ割りした方が便利っぽい。

「プログラム言語を学んだ時に、プログラムに対して新たな知見が得られるようでなければそれは良い言語とは言えない」というような事を誰かが言っていたな。 そういう意味で、コミックスタジオは私に新しい視点をもたらしてくれた良いツールだと思う。

残り行程、髪塗りが3ページ、仕上げが6ページ。 今晩完成も難しいか? とりあえず学校行こう。

ruby 使って一番やりたかった、「計算機の稼働状況をチェックするスクリプトをマルチスレッド機能を使って高速化する」が出来た。 とりあえず気はすんだので、これ以上いじるのは原稿とか研究が一段落してからにしよう。

しかし ruby 良いなあ。 一行で出来る仕事が多いのでソースの可読性が一気に上がる。


2004年6月16日(水)

5時間睡眠の3:00起床で原稿、8:30就寝で13:00起床。 結局ギリギリまでかかるのは惰眠を貪ってるからだ。 まあ睡眠削って漫画描くのは基本的に私のスタンスではないのでこれで良いのだろう。 ……研究室行く時刻がそれで良いのかという問題は残っているが。

19:00退出、原稿。


2004年6月17日(木)

4:30、プリントアウトお願いのメールを出して、当面の作業は終了。 とりあえずプリントアウトしてもらった原稿が手元に来るまでは何もなし。 これで終了になったら良いなあ。

さて、じゃあ寝て起きたら研究に注力するか。

作者紹介を忘れてた。 いや失念していたわけではなくて、サイズを聞き忘れていた。 例会後が21:00に掃けて、修羅場開始24:00まで、と思って下宿に帰って描く。


2004年6月18日(金)

あれー、半ページに5時間もかかったよー。 今頃修羅場ってる筈だけど、もうおねむの時間だし、寝てから行くよー。

あー、マズいなあ、というのはモアレのこと。 プリントアウトをお願いした時に、全てのレイヤーを統合してから送った。 というのはデータの軽量化の為もあるが、何よりコミックスタジオでレイヤーを沢山重ねた時の信用が今一ということが大きい。 しかしトーンレイヤーをラスターに統合してしまうとモアレが出るということに今気付いた。 ……とりあえず、届いたものを見てから考えよう。

12時間以上眠りますた。 やっぱちょっと疲れが残ってたみたい。 で、論文読みながら原稿届き待ち。 英語は極端に弱いなあ。 まあ毎日一部以上ずつ論文読むようにしよう。 ここ数日でちょっとマシになってる気がするから。

原稿届いて、結局無問題。 誰か手伝おうと水崎邸からえすと氏とフシギボウイ氏をお持ち帰りする。


2004年6月19日(土)

8:00くらいまで作業して寝る。

起きてまたえすと氏の手伝い。

仕事が回って来ないので半分くらいの時間は遊び。 ruby スクリプトを組んで回って遊んでる。

こーへーさんがコンテ切りに来た。


2004年6月20日(日)

こーへーさんはコンテが切れたので下描きしに帰ってった。 えすと氏も寝に帰った。 することないので俺も寝た。

えすと氏もどうやら自分一人で十分間に合うくらいまで来たのでお役御免。 現時点で手伝える人はあまりいなさそうだし、ということで研究室に行くことにしよう。

ウツ氏の手伝いをすることに。 他人の原稿って無限に時間を掛けてできるから楽しいなあ。 時間内に上げにゃならんという責任もないし。 ということで自分の原稿では絶対しない(というより思い付かない)レベルの鬼削りをかましてみました。 ……自分の原稿でできるようになるべきなんだろうなあ。


2004年6月21日(月)

原子というものは原子半径を持った球ではなく、原子核と電子で成っている。 じゃあ原子核や電子はそれぞれ半径を持った球かというと、これらもよりプリミティブな粒子、素粒子でできており、我々が「大きさ」と表現するのはその素粒子が影響を強く及ぼす範囲を意味する。 つきつめていけば、素粒子が「在る」のは不確定性の海に揺蕩う、0次元の厳密な「点」であって、「球」ではないのかもしれない。

以前自分の漫画で「この世界も何者かの箱庭なのかもしれない」と書いたことがある。 仮に自分が平べったい演算器の上のデータだったとしても、然るべき操作に然るべき反応が返ってくるこの世界が「実際にどのように在るか」というのは中にいる私には測れない。 自分がデータだったとしても、腕に傷がつけば痛みを感じる、いや「痛みに相当する反応」があるだろう。

このような視点は、「脳に対する私の自我」という構図と近い気がする。 すなわち、「脳=演算器」、「自我=データ」だ。

まあそうであっても、自我というのが錯覚の産物であったとしても、それでもそのように生きるべきだし、そのように生きるしかないのだけれど。

こういうことに興味があるのなら哲学を勉強すべきなのかもしれない。


2004年6月22日(火)

研究室対抗ソフトボール、打つよりも守備が楽しい。 内野はいいなあ。

まさひろの呼び掛けでビヤガーデン。 にゃー、よく飲んだー。 みんなおつかれさまー。


2004年6月23日(水)

バイクを手放す決心が漸くついた。 ここ数年は年当たり数万の出費に明らかに見合ってなかった。 次に必要になったら、その時買うという方向で。

ruby に触れたおかげでオブジェクト指向というものが随分分かった。 今なら C++ を勉強しても身に付くと思う。 てゆーか、perl で下積みして ruby を勉強したという経験から、プログラムを勉強するやり方が随分身に付いたんだと思う。 まず具体的なモチベーションを固めて、教本を読みながらその目的を実現するにはどういう記述をするべきか、という具体例をテキストファイルに写していく、と。

約500ページのC++本の2割くらいを読んだ。 やっぱ、ruby って美しいな、と思った。


2004年6月24日(木)

午後から桂キャンパスで講演会があったので行くことに。 ついでだからと早めに出て金閣寺に行ってみた。 建物とか格好良かったけど、通り抜けて終わりって感じでちょっとつまんなかった。

ついでにちょっと気になったので桂離宮に寄ってみる。 ……宮内庁に申し込みせなあかんみたい。

講演会は、いつものように、「もっと英語頑張ろう」。

帰りに丸太町のアルペンで軟式野球用スパイク、ハイソックス、3kgダンベルを買う。

拙作『君のいた景色』の最大の欠点は、イベントがないということ。 「地味」「何か足りない」というのはそういうことだろう。 「フラグを立てて、イベント発生」みたいな賑やかな感じが必要だな。


2004年6月25日(金)

大学内に出来た新しいレストランで飯を食う。 ビール入れる。

以前 perl で 3元1次連立方程式を解くスクリプトを書いたのだが、今回それを一般化して n元1次連立方程式を ruby で解くスクリプトを組んでみた。 ガウスの掃き出し法でやったのだが、ruby に標準添付されている Matrix ライブラリでは行列の順番を保存するインスタンス変数がないので解の順番を記録できない。 結局行の入れ替えが発生した時点で止めざるを得ない状況に。 ……順番を保存する新しいクラスを Matrix を継承して作るのが解法なのだと思うんだけど。


2004年6月26日(土)

最後のお掃除ということでバイクの拭き掃除。 身内に全然告知してなかったけど、欲しい人いないですかね? バイク本体、手袋やらなんやらつけて5万くらいで譲りますけど (他、必要経費として車検、保険なんかで10万くらいかかると思います)。 京都近辺の方で欲しい方おられましたら早急に連絡下さい。 多分明日明後日にはバイク屋に持って行きます。

蚊帳が欲しいと思ってググってみたけど、数万円のオーダーのものらしい。 ということでニックで材料を買ってきて自作する。 といっても私は高床ベッドの下に寝ているので、側面4枚に網を張れば良い。 上辺にロープを張って、そこから網を垂らして洗濯挟みで止める。 2000円+2時間くらいで出来上がった。

んなことやってたら危うく例会忘れるところだった。 やりとりせにゃならんことがあったのに。 危ない危ない。


2004年6月27日(日)

もう午前のうちにバイク屋に持って行くことに。 「せっかくだから」と山中越え行ってみたけど、途中で雨がパラついて来たので5分くらいで引き返す。

バイクとしては売れませんでした。 だいたい相場が12万円のものが、修理費用で12万円以上かかるって。 せやろなあ、バラのパーツは高いし工賃もかかるし。 私はあのバイクしか乗ったことなかったから分からなかったけど、「リヤサスがもう全然ダメ、振動が全く減衰しませんわ」といわれて、「そういや段差なんかで妙にクニャクニャしてたな」と納得したし。

でもパーツ取り用として 1万円で引き取ってくれた。 廃車手続きをやってくれるらしいし、廃車費用も向こうで持ってくれた。 交通費1000円もくれた。 廃車手続きに行くのは面倒なので大変助かった。

で、思ったのはやっぱ友達とかに直で売るとかいうのはあんまり良くないな、と。 というのも悪い部分を相手に押し付けることになるから。 バイクの故障は即座に命に関わる。 まあその辺の覚悟があるのなら良いけれど、あるつもりでもその状況になったら実はなかったことが発覚するかもしれないし。 店を通すとそこで一度キチッと修理されて売りに出るわけだし。 ……あと自分ではバイクの価値を正確に量れないというのもある。

研究室の人に「どんな漫画が好きなんですか?」と聞かれた。 ちうても個別に「これは好きか?」と聞かれるならまだしも、答えようがないなあ。 基本的には、私が好むのはジャンルやのうて出来やからな。


2004年6月28日(月)

C++本、半分くらい。 C++ の文法ってなんか、「この機能を付けよう→付けたらこんな問題が発生→じゃあこういう解決をしよう」という場当たり的な作り方をしてる気がする。

ダメ漫画もダメなりに好きだし、嫌いな漫画もある意味では好きだし。 結局「漫画を好き」だとしか言いようがない。

「自分の考えを押し付ける人A」と「押し付けることを是としない人B」がいたとする。 今ここでBがAに「君、自分の考えを押し付けるのは良くないよ」と言ったとしよう。 この時、Bは自分の考えをAに押し付けている。

さらにここでAがBに「Bよ、それはお前が自分の考えを俺に押し付けてるんだろう」と反論することはどうだろう? 他人の言葉を借りていても、自分の言葉として相手を指摘しているのには変わらない。 Bの言葉を借りた時点でAは「他人に押し付けることを是としない立場」でなければならなくなる。

いずれにせよ論理が破綻して議論にならない気がする。 まあBが「押し付け」に相当する程強弁しなければ良いだけの話なんだが。


2004年6月29日(火)

先週木曜に買った 3kg ダンベルで論文読んだりネット遊びしてる間アームカールしてるんだが、前腕部が明らかにボリュームアップしてきて楽しい。

午前、思い立って銀閣寺に行ってみた。 結構良かった。

「近くに住んでいると却って行かない」ってのは、行かなかったら仕事とか遊びとか他の事が出来るからだろう。 旅先では、行かなかったからといって他のことが出来るわけではない。


2004年6月30日(水)

蚊帳最高。

研究が幾分進む。 もう少しで論理が固まる。


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