2003_11月日記

last-modified: 2011/12/14 02:43:28. JST

2003年11月1日(土)

日本ブレイク工業社歌が頭から離れない。

政治家を信用してないというか。 まあ勉強してないから信用するにも情報が圧倒的に足りなかったというか。 九条がらみのことで憲法改正するということは、戦争できるようにするために変えようとしてるのだと思い込んでいた。 だけど、解釈が多様に分かれてこれからも延々議論し続けなければならないのなら、それは憲法なのか、という気がしてきた。 「自衛のための戦争も放棄する」のならそのように、グゥの根も出んくらい別解釈のできないような条文に改正すべきではないかな、という気がする。

私の感情はたぶん、「殴られたら殴り返せ」になってしまうだろう。 例えば肉親を殺されて、ヘラヘラ笑ってるなんてできない。 それは正しいことではないかもしれない。 泥沼へ落ちるまえに他者を許す必要があるかもしれない。 なってみないと分からないが、そのような事態を想像しておくことは必要だと思う。

どうなんだろう。 自分の票区にミサイル打ち込まれたら、「殴り返せ」という意見が主流になるんちゃうんかな。 自分の家族が死んで、そういう世論になっても「殴り返さない」を貫くことができるのかなあ。

と、まあこの1年くらいで左寄りから右寄りにシフトしている、と。


2003年11月2日(日)

原稿作業。 3連休のうち24時間くらい使えば出来ると思ってたんだけどなあ。

高校んときの同級生と会う。 どうも躁状態っぽい。 A→B→C という論理だと思うのだが、B を抜かしてしゃべるもんだから訳が分からない。

俺が言うことに対しても適当に yes と答えてるっぽい。 俺が話をしている目的は、自分の考えを理解してもらいたいということだ。 適当に yes と答えられるのは決して本意ではない。 分からないんだったらそのように言うてくれ。 俺も自分の説明が常に十分だとは思っていない。 安易に「分かった」なんて言うな (本気で「分かった」と思ってるのかもしれないが)。


2003年11月3日(月)

キチンと睡眠を取りながらだが、結局締切1時間前まで作業してた。 とりあえず提出して研究室。

今回は Gペンの線がけっこう滑らかに引けたと思う。 背景のヘタレ具合は今迄と一緒。 あと、ウソであってもそれっぽい光の表現が優先されうることを認識した。


2003年11月4日(火)

未明、寮の某部屋。 肉や豆腐を入れて味噌汁を強化する。 ウマー。 昼過ぎに行ってみるともうなくなってた。 計算が狂った。 まあ、美味いと思ってくれたようで嬉しい、とても嬉しいことではある。

研究ダルー。 プレゼンテーション用にアニメーション GIF を作る云々の作業。 そこそこ繁雑。


2003年11月5日(水)

-2:00就寝、2:30起床。 しゃあないか、ということで寮で飯食って研究室。 さ、論文読むか。

遠近法というのが漸く分かって来た。 視界という球面を考える。 そうすると目線がその直線に乗らない限り、直線は必ず曲がって見えることになる。 よく一点透視だとかいって平行線が消失点に向かう直線で描かれるのは、視界球面のごく一部を切り出せば平面で近似できる、ということだろう。

このことは以下のパラドックスを考えると分かり易いかもしれない。 例えば、今線路の上に立っている。 地平線上で2本のレールが交わっている。 しかし、カメラを真下に向けると、レールは平行に見える。 平行な直線を真っ直ぐ延長していくと、その先で交わる、という矛盾。

視点という一つの点から直線を眺めると、「視線のアングル」と「直線と視線のなす角度」は直線上のどの点をとっても異なる。 例えば立ち上がって本棚を見ると、本棚の左端と右端は違う曲率を持つ曲線で描かれ、視点と同じ高さでは2直線は平行、地面に近い部分はすぼまって見えるだろう。

直線に見えるものは人間が直線であると認識しているもの、ということになる。 脳が勝手に修正しているのだ。 脳によって修正済みの、本当に直線で平行に描かれた世界は、現実とは少し違う。 それは無限遠から望遠カメラで覗いたような視界。 その差異が違和感を生む。 そう、私の今迄描いてきた世界は、無限望遠のカメラからとらえたものばかりだった。

「視線と直線の成す角度が小さいほど遠近法で扱う必要性が高い」という指標はどうだろうか?


2003年11月6日(木)

FTP の調子がおかしいというのはパッシブモードだとFTPサーバから返って来る出力が通らないせいだった。

中学だかの授業で聞いた「少量のアルコールは健康にとって有益」というのを信じてきたのだが、この説の信憑性は怪しいと聞いた。 どうしよう。 酒との付き合い方を考える今日この頃。 ……毎食一缶発泡酒を開けるのはマズいよなあ、さすがに。

胃は消化のための器官ではなく、消毒が主な機能らしい。 なるほど、36℃で数時間保ったら食い物なんてアッという間に腐るだろう。 腹の中で腐敗が進まないように強酸で殺菌してるわけだ。 そういえば痛みかけの食い物食う時でも腹ん中入れてしまえば腹ん中では腐敗が進行しないと思ってたもんな。

ビフィズス菌なんかは環境を酸性にして他の菌を殺すらしい。 すなわち、酸性環境で生きられる菌は少数であり、胃酸で大抵の菌は死ぬということだろう。 また、ビフィズス菌は酸に強く胃酸で殺菌されないので「生きたままおなかに届く」わけだ。


2003年11月7日(金)

「明るいところでは眠れない」というのは、明るいところでは外敵に見つかり易いからそれに対するために獲得した形質なのかな、とか思った。

「騒がしいところでは眠れない」というのは外敵の接近音に気付くためには静かなところで眠った方が良いということで獲得した形質なのかな、と思った。

日記も半日記なわけで。 3日毎に3日分記述とか平気でやるわけだが。 でも今使ってる自作の日記更新用のスクリプトが毎日記述を前提に作られているのでとりあえず毎日記述していることにしているわけで。 ……なんか少し看板に偽りありな感じがするけれど、ま、いっか。

英語ゼミ発表、死亡。


2003年11月8日(土)

私は明らかに言語、というより日本語を介してしか思考できない。 とはいえやはり「思考が言葉になる前の状態」のモノもあるのだが、その状態でのキャパシティが小さく、時間的な寿命も短いのだろう。 そうして頭の中で、「音」になった時点のものが私の思考ということになる。 「音」的な感覚なので、脳内の再生速度に律速されるという面もある。 ……今気付いたが、あやふやな形での思考を復唱することで記憶を強化しているという面もあるらしい。

で、「日本語を介してしか思考できない。だから英語ができない」といういつもの結論になるのですが、それで良ろしいでしょうか?

「私の脳内には言葉がない。キーボードを打って、文字が画面に表示されて初めてそれは私の思考になる。」 と甲が言い、乙が「我が意を得たり」というようなことを言うてる。 私が文体を読む限り両者には差異があるように見えるのだが、如何せん私にはできない思考形態であるため、そこに本当に違いがあるのかどうか私には分からない。

東方妖々夢、ようやくエキストラクリア。 で、ファンタズムで秒殺される。


2003年11月9日(日)

選挙だったわけですが、行けませんでした。 まあ遊んでただけなんですが。

いや、思うのですが、私みたいに詳しくない人間が投票して、よく調べてよく考えて投票した人間の票を薄めてしまうのって、どうなんでしょうね。 投票する事が社会人としての責任、ということらしいので、「投票する以上はそれについて勉強することまで含めて責任」ということなんでしょうね。

少数の賢者と多数の愚者がいるモデルを考える。 愚者は(目の前の餌につられて)A案を推し、賢者は(広い視野・長期的な視点から)B案を推す。 さて、私は普段考えていないので、パッと見 A案が良いように思える。 私は自分の知識・思慮が足りないことを知っている。 私は「より良い選択肢」が選ばれるべきだと思っている。 このとき私はどうするべきだろう?

多数決による民主主義というのは「人の間に賢さに差がないとして、数の多い方が正しいということにしておきましょう」ということなんだろう。 この定義ならば投票率が高い方がより妥当性が増すということになる。

まあなんぼ言うても投票せんかった言い訳にしか思えないのだが。 我ながら。

あーでも、社会的圧力で「○○に投票しろ」とか言われて投じられた票も一定数ある筈で、それを薄める役割もあるのかな、と思った。

学科内麻雀大会。 20人で打って決勝卓まで残ったけどそこで敗北。 最も時間の無駄遣い感の大きい結果。


2003年11月10日(月)

パースって面白いなあ。 紙面がこう、盛り上がるんですよ。 いや、描いてるわけじゃないんですが、頭の中で。


2003年11月11日(火)

ゼミ準備。 只今死亡中。

やっぱり仕事が舞い込んだ! 新しい計算機を導入する作業。 細かい作業は明日ゼミ後。


2003年11月12日(水)

ゼミ発表。 全くつつがなく終了。

次は 26日の学会。 NF 期間は遊び時間を入れたいので前倒しにせんとなあ、って前倒しにできた試しがないのですが。


2003年11月13日(木)

学校やる気なし。 計算機の稼働状況チェックのスクリプトを修正するとか、そんなの。 でも明日はやりますよ。 きっと。


2003年11月14日(金)

早く起きたので、サウンドサーバの導入。 Windows マシンから音を出す時、今迄切替器まで手を伸ばさなならんかったのが、キーボードから操作することが可能に。 UNIX 機で再生してる mp3 をちょっと止めて、「あ、あの曲ちょっと聞きたいな」というのを再生できるようになった。


2003年11月15日(土)

今期の風車小屋、なんか滅茶苦茶面白いんですけど。 全員に行き渡ったくらいから某カキコミ開始しようかしら。 でも来週大変なんだよな、俺。

一日中、NFの出し物の某カレンダー作業、25:00完成。 ま、予定通り。 明日は学会発表の資料を一通り作り切ることが目標。


2003年11月16日(日)

パースを使うということ、消失点へ向かう線が曲線になる遠近法による画面は、視点の位置がその場面、舞台の中にあるということを示す (消失点に向う線が直線になる画面は、視線の位置の方向は決定されるが、カメラ位置が無限遠から見た世界ということになる)。 画面は、ただの状況説明から「その世界の誰かからの視点」に変化する。 たぶん、臨場感が圧倒的に増すだろう。 使ってみてえ。

広角レンズとか魚眼レンズの写真が、こういった正しく歪んだパースを理解するのに有効だと思う。 これらは世界を歪めて映すんじゃなくて、我々の目に歪んで見えている世界をそのまま映し撮る機械だ。 人間の脳は、歪んだ世界を理性で直線に変換し、認識している。 視界の情報を脳内で3次元空間に再配置してその中で生活している。 絵を描くときに理性によって変換された世界を描くのではなく、正しく歪んだ世界を描けることは大きな武器になるだろう。

この辺のことをまとめて、キチンと系統立てて文章化したいなあ。


2003年11月19日(水)

ちょっと漫研批評掲示板で頑張りすぎて、飽きてきちゃった。 またちょっと充電します。 まあ NF も近いですしね。


2003年11月20日(木)

NF 準備で車を駆る。 しかし、古本に出すべき漫画を搬出するのを忘れていた。

他研究室のM2の研究の手伝いばっかりしてて発表資料作成が進まず。 他研究室とはいえそれは私が修士のときに居た研究室なので直接の後輩とも言える。 まあ、彼に計算の進め方なんかを教えるのをドキュメント/マニュアル化しておけば今後の役に立つかもしれんし、今の研究室で後輩の指導とかしてないからな。 これくらいはやるべき仕事だろう。


2003年11月21日(金)

体育会のシャワーに行く途中、西部生協の裏手。 幼稚園児たちが歩いていた。 「俺の腰ほどの背丈しかない彼らの目には世界はどう映っているのだろうか」 ……などと考えながら歩いていたら、彼らは車両が進入できないようにする柵、私にはよけて通るべきものにしか思えないオブジェクトを、彼らはごく自然に、くぐり抜けていった。

たとえ今俺がしゃがんでも、それはくぐり抜けるためのオブジェクトには見えないだろう。 これはただ単に視点の問題じゃない。 「人間は視界の情報を脳内で3次元空間に再配置してその中で生活している」。 その、展開する際のスケール(例えば「手が届く距離」)が違うんだ、ということに不意に思い至った。 だから、子供の視点で見た世界と、大人がしゃがんだ視点から見た世界は違って見えるんだ。

と、パースについて考えていた時に得た論理と、「幼いころの風景と今見える風景のミスマッチ」についての論理が整合した。 いやー、考えるって楽しいな、と思う瞬間。

普通にゼミ。


2003年11月22日(土)

日中は研究室で学会資料作り、なんだが一向に能率が上がらない。 いーかげんギリギリまで何もしない癖はなんとかしたいのだが。


2003年11月23日(日)

未明、NFの漫研ブースで酒飲みすぎ。 某氏を捕まえて無理矢理「この絵はこうすべきだ」とか絡んでみたり、若者を捕まえて「パースはこうだ」とか「演出こそがキモだ」だとか語ってみたり。 その他にも迷惑を掛けていた可能性は多分にある。 謝るべきかどうかもよく分からんし、反省すべきかもよく分からん。 少なくとも自分は楽しかったし、他の人も酔っ払い状態の私との会話を楽しんでいたかもしれんし。

二日酔い。 ということで OB連中とカラオケに行きそびれる。 久々にカラオケ行きたいなー、という欲求がたまって来ているところに残念だ。 打ち上げコンパ後はカラオケ行けねーだろーしなー。

OB 連中と宴会、だが本人とは席が遠くほぼ全くしゃべれず。 まあまた会う機会もあろうて。


2003年11月24日(月)

発表資料、一杯一杯。 今まで遊びすぎたツケを一気に払わざるを得ない状況。 NF は例年、文化系サークルの発表を一周することにしてるのだが、気が急いてそれどころじゃなかった。 一応写真部、美術部、書道部と回ってみましたが、やっぱ芸術って気持ちが落ち着いてないと楽しめませんわ。

やはりNFコンパ無理でした。

某に頼んでLibretto30 に FreeBSD-4.9RELEASE を入れてもらうの巻。 packages や ports を入れたりして過負荷がかかると死亡するみたい。 FreeBSD-5.0系列だとブートしない、という状況と重ね合わせると、やっぱメモリに穴が空いてるんちゃうやろか、という結論に。 まあ、zsh を起動するのにも数十秒かかるような機械(5x86-133MHz:486-DX-100MHz相当)なので、もういいかな、という気がする。 本当メモ取りにしか使えんしな。 これから先は出先で PowerPoint が使えんと困る場面もでてくるわけで、俺がノートPC に要求する機能の半分しか実現できないことになる。 買っても良いかな、と思い始めた。


2003年11月25日(火)

徹夜。 ま、電車とか飛行機で眠れるわけだし、発表は明日だし、何とかなるでしょう。 てゆーか、早く発表終わって下さい。

ということで仙台行ってきます。


2003年11月26日(水)


2003年11月27日(木)


2003年11月28日(金)

早寝早起きー、やはり5:00ころに目が覚める。 持ってきた本を読む。

昼飯を抜けるくらい朝しっかり食っておいたので、昼休みは暇、ということでプラプラ歩く。 海岸に出て、雄島を一周して、1時間強くらい。

午後のセッションを聞くが、最終セッションは飛行機の時間の関係でぶっち確定。 で、40分程の空き時間に「ウェルカムドリンク」として置いてあったワインをかっくらう。 結構良いワインでしたよ。

バス→バス→飛行機で伊丹空港。 同行者と別れて、私は実家。


2003年11月29日(土)

実家、私の部屋の片付け。 PCラックをバラして、ゴミPC から部品を取って捨てられる状態にして、あとは幼いころからためたガラクタを捨てて。 てゆーか、どう考えても本棚が足りねえ。 あとで買いに行くことにする。

祖母宅を訪ねて、古本屋行って(戦果ナシ)、電器屋寄って。 コーナン行ってみたけどスチールの本棚はないらしい。 困ったね。 てゆーか、あそこ店員少ねえ。 もう1割高くても良いから店員増やしてくんねえかな。 パッと店員がつかまれば10分で終わる買物に30分かかるというのは面倒。 まあ、正解は客がすいてる時間に行くことなんだろうな。


2003年11月30日(日)

午前中は市内のコーナン2件回るがやはり本棚はないね、という結果。 昼飯後一眠りしてから上洛。

いきなり電源が切れたりする下宿の Windows PC、BIOS で CPU を 100x1.7 → 100x1.6 に落とすと安定した。 CPU が一杯一杯だったということか? 以前はキチンと回ってたのになあ。 陳腐化ではなく、劣化したということにしておくのが面白いかな。


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