鬱。 閉塞感というか。 仮に就職してたとしてもロクに使えない人間になってたんかなあ、とか。
もうちょっと鍛えるべき部分をきちんと認識せんと。 そして鍛えることに喜びを見出すようにせんと
集中講義終了後、16:30帰宅。 もりりんを拾って漫研の合宿地である鳥取へ。
結局着いたのは 24:00 頃。
皆トランプの大富豪やってた。 俺あんま好かんねんな。 やったらそこそこ楽しめることは分かってるのだけれど。 「何を出すべきか/出さざるべきか」という最善の手はほぼ決まってるので。
ルーチンワークでその途中のコミュニケーションを楽しむ物、と考えればそれは麻雀と全く一緒やな。 あと、誰かが知ってる新しいローカルルールの下でのゲームをやってみる楽しみというのもあるかもしれない。
海。 水着持って来てなかったのでこーへーとブラブラする。 しかし、暑いのでドライブに変更。 軽く1時間程回って、「水木しげるロード」に着く。 まあテーマを決めた商店街みたいな感じ。 水木しげる記念館は定休日だったが、その道端に設置されている妖怪のブロンズ像の出来が非常に良かった。
一度宿に戻ってその付近を歩く。 写真をポチポチと撮ってみる。
カラオケ。 「バスト占いの歌」は大敗北。 そのうち雪辱、するのかなぁ。
昼起き、後片付けして 15:00 出発。 20:00 頃京都に着いて天一。
突発的にエロゲー欲が急騰し、「夜が来る!」をプレイする。 アリスだなあ。 でも戦闘たるい。 オート戦闘機能があれば良いのに。
研究室のネットワークの大変更。 各計算機を固定 IP → DHCP 管理への変更。 私が担当したのは DHCP サーバの方ではなく、各計算機(DHCPクライアント)の設定変更だったのだが、それが IRIX と TruUNIX と別の流儀の UNIX なのでこれが結構大変。 しかも聞いてみると TruUNIX は所謂 DHCP は持ってないみたいだし (似た名前のサービスはあるが、それは一般に DHCP と呼ばれるサービスではないらしい)。
「夜が来る!」。 音楽とか、てゆーかメインテーマの「A night comes」が良いなあ。
とりあえず一周目終了。 この後続けるかは今んところ分からない。
学部んときの研究室の教授の還暦祝賀パーティ。 1つ下の学生(既に就職している)にも「論文書いてるんすか?」と心配された。
麻雀→カラオケ。 もりりん就職祝いにピクミンのCMソング「愛のうた」を謌っておきました。
「夜が来る!」はメシ食いながら1時間やってみるとやっぱりタルくてやってられない、ということでやめました。
最近は結構東方妖々夢。
月火水と思っていたゼミが火水木だった。 DHCP 関係でいろいろ。 これだけで一日終わりました。 最近研究ができません。
ゼミ。 本当は午後なのに、午前からだと思って睡眠時間を間違えてしまい、ゼミ中に睡眠が入ってしまう。
一人称複数を貶める発言は、自分以外の人間をも貶めていることになる。 その根拠に納得できない人間にとっては不当に貶められているということになる。
前みたいなことになるんじゃないかともう怖くて怖くて。
私がなぜ議論するのか、ということ。 一言で言うと、「自分の在り方を模索しているから」。
ある意見と出会ったとする。 それが自分のまだ到達していない視点からの意見ならば、議論というよりは教えを乞うという感じになる (なお、「到達していない」と「先に進んでいる」は必ずしも等価ではない)。 自分と同じ視点ならば議論になり得ない。 自分が既に経験した視点からの意見に見えるならば、「それが本当に既知のものなのか」、 それとも「自分の到達していない視点であるがたまたまそう見えるだけなのか」を確認すべきだ。 後者ならば新しい視点を得るチャンスだし、前者ならば(「彼」が望めば)相手に新しい視点を与えるチャンスだ。
議論の勝ちだとか負けだとかは、自分では意識しないようにしていると思っているが、周りからどう見えてるんやろう。 こればかりは自分で客観評価できないからなあ。
絵が上手くならなければならない。
絵を上手く描けるようになりたい。
そのための手段は分かっている。絵を描くことだ。
だけど俺は、どんな絵を描けば良いのか分からない。
とりあえず博士取るまで研究するかなあ。
高校んときの友人が来る。 どうも物の見方が狭いというか、決め付ける傾向にあるというか。 「Windowsアカンやろ」とか、「理系の実験ってこんなんやろ」とか、「漫研の奴はみんなアニメ大好き、コミケ大好き」とか、「どうせ学生やし暇なんやろ」みたいな。 まあ最後の奴は完全に否定することはできんのだが。 睡眠不足+研究上がりの疲れもあって、結構一方的に攻撃してしまった気がする。
哲学に興味があるみたいなことを彼は言った。 暫く話をした後、俺が「お前の物の見方は狭い気がする。哲学とかやるんやったらもう一歩引いたところか見るというか、決め付けない姿勢みたいなんが重要ちゃうんか」と言ったら「レポート書くときと普通に生活してる時は違う」みたいな事を言った。 おまえそれは単位のためとかファッションで哲学やってるだけやろ。
あと12時間もすれば、漸く待ちに待った週末です。 最近1週間速いなあ。
なんかゴチャゴチャしてきて何をすべきか、何をどうすべきか分からなくなってきた。
最近つまんない事で、言葉尻を捉えて怒ってばっかな気がしてきた。
未明、というか0:00。 もりりんの誕生日を祝うため、宮崎に作ってもらったケーキを持ってもりりん邸へ。 てゆーかケーキそのものは俺的には結構どうでも良くて、メインはφ1cm強の仏壇用ロー ソク二十○本(総量約1kg)。 緊急消火用の水を用意して、炬燵の上を片付けて、炬燵周りから燃え易い物や消火用水がかかった時の被害が大きそうな物をどけて、ローソクが抜けないようにローソクの下をガムテープで補強して、息で消えそうになかった場合の予行演習をやった上でローソクの束に点火。 まあ無事にイベントは達成されました。
宮崎のケーキがまた美味くて非常に良ろしかった。 その後まるりん邸で花札やったり。 花札についているルール説明がウチの母方の実家ルールに近いものだった。 今までウチのローカルルールだと思っていたが、結構一般的やったみたい。
13時間睡眠。 ここんところ上手に眠れなかったのをちょっと回復。
寮で焼肉、旧交を暖める。
夜にちょっと研究作業。
最近コンピュータいじってないなあ。 ちょっと Emacs 関連でよくない部分が増えてきたのでこの連休中に何とかしよう。
昨日宮崎んところで「化粧師(けわいし)」(石ノ森章太郎)を読んだ。 面白いじゃないか。 以前サイボーグ009をちょっと読んだ時に浅慮の偽善者っぽく感じたのだが、それを払拭 するに足るかもしれん。 読まず嫌いはいかんね、やっぱ。
仮想議論。 「お前は俺のことを狂ってると言う。 それは単に、お前の常識で計れないだけだろう? 勿論人間は自分の常識、というか自分の知識の中でしか物を計れない。 そういう俺だって、「お前が自分の常識で計った物がそのまま正しいと考えるような人間」だと俺の常識で計っている。 だが、俺は自分の常識にかけただけのものを正しい事として吹聴することは危ういことだと知っている。 お前さんはどうなのかね? それを知った上で、別の観点からそれを吹聴しているのかね?」
とか考えてみたが、 「俺は自分の常識にかけただけのものを正しい事として吹聴することは危ういことだと知っている」 ってのは本当に実践できているとはあまり思えない。
私の場合、既視感というものを最も強く感じるのは「前にこういう既視感を感じたことがある」という状況。
イベントで長月氏が京都に来ると聞いていたので18:00頃に電話を入れて晩飯だけ御一緒する。
阪神の優勝が決定した。 まあ私は長いこと形式的阪神ファンなんだが、一応、おめでとうと。 ありがとうと。
昼頃体育会のシャワー浴びた後、生協前で漫研部員数名と、というか上洛していた白土氏と遭遇する。 あんまり時間取れなかったけど一応会えて良かっただす。
研究。 つまらない操作ミスで数百時間分の計算がフイに。 この辺やっぱ促成栽培の弱みでしょうな。 博士課程から研究室移って今の研究を始めたわけで、右も左も分からんのに成果を出さなならんとか。 今もって計算の中身が分かってないし。
学科の後輩と飯を食うことになったので、とりあえずビィヤントに連れて行く。 俺にとってビィヤントは、自信を持って連れて行ける「美味い店」。 あれを不味いと言われたら「味覚が違うので仕様がない」と諦めるしかない、諦めることのできる店。
ターミナルの背景色を白にした。 というのも黒いターミナルで w3m-img を使っていると、透明化 GIF を綺麗に表示できないから。 画面がビカビカして変な感じ。 まあすぐに慣れるとは思うけど。
単に堀江と言われて由衣を連想するか、美都子を想うか。 俺は明らかに後者なのだが。
こないだ免税店で買ったワイルドターキーは美味かった。 ウィスキーは1000円と3000円で明白な違いがあるということだ。 だが今日買った2000円のブランデーは1000円のと違いが分からん。
て、よく考えたらワイルドターキーは免税店で3000円だった。 もっと差は大きい。
そうかあ、唐沢戦は読者の視点を唐沢に移させることで、一歩と対戦する気持ちを読者に強いているわけだ。 上手いなあ。
何といっても鴨川会長萌えだよなあ。
研究室→例会。 面子が集まらず、麻雀はなし。
研究ヤバめ。 つまずきからなかなか立ち直れない。
久々の ~/.zshrc いじり。 プロンプトのカラー化の部分を変数を使っていじり易いように書き変える。 ホスト毎にカラーも変えることにする。
「反論すれば良い」という意見を展開する際に忘れちゃならんのは、議論的弱者というか、議論を怖がってしたがらない人もいるだろう、という認識を持つこと。
免許の更新。 京都市民はわざわざ長岡京まで行かんならん (辺境の市や区ならそこの警察署で良いらしいのだが)。 住所の変更をついでにできるということを忘れていて住民票を取ってなかった。 むう、今度警察署で変更してもらおう。
ついでに献血。 「献血された血液は明日から使われます」と書いてあった。 だからエイズなどの検査目的で献血を利用するな、という意味なんだが、急に、自分の血が誰かの体に流れるイメージが、誰かの命になるイメージが。
半ば分かっていながらも後回しにしていたゴージャス原稿締切は、今日締切だった。 ダベリもそこそこにすぐ帰る。 でも原稿作業するにはちょっと体力を削られすぎていた。 下描き終了、ペン入れ途中でインクが乾くのを待ちきれずに沈没。
昼前に起きて原稿完成、まあ1ページだしコマ割りないしすぐだわな。 その後ボチボチ東方妖々夢したりネット巡回したりダラダラ。 寮で昼飯食ってダラダラ。 絵夢邸に原稿提出してそこでダラダラ。 研究室に辿り着いたのは 17:00頃でした。
一本、綺麗に引けた線があった。 たまたま意識して引いた線、速く、一気に、勢い良く引いた線。 結果は上々、綺麗にできたので意識に残った。
絵夢氏はその線を指して「この線なんか綺麗に引けてる」と言ってくれた。 そうか、この引き方なんだな。
某氏の誕生日を祝って焼肉、ドーナツ。 寮のあの部屋は誕生日お祝いサークルになってるよな。
研究どうしよう。 ヤバいよお。
9月頭にちょっと暑かっただけで、今年の夏はすぐに終わった感じ。 北海道の夏ってこんな感じなのかな、と勝手に想像する。
「吐かない(吐けない)人の方が酒に強い」という意見は一面では正しいが、全体としては正しくないと思う。 吐く人と比べて吐かない人は、酒に対する肉体の許容度は高いだろう。 だけど、吐いてすぐ元に戻れる人の方が、酒席という場においては強いというべきだ。 肉体の強さではなく、ペース配分なんかと同列の「酒飲みの技術」というべきか。 いざという時に吐けないというのは危ういことだ。
研究ヤバヤバ。 精神がやや不安定気味。 他人と話してる時は全く大丈夫なのだが。
某性格診断テストをやってみる。 あんま面白い結果はでなかった。
どんな性格診断テストの類でもある程度は傾向を言い当てることができるだろう。 別に外れている部分があってもかまわない。 人間には、「ここは当っている」と思う部分が強く印象に残り、それ以外の部分はそれほど印象に残らない。
というより、傾向や本質を導き出すということよりも、「こういう診断結果が出ましたが、これについてあなたはどう思いますか」と問うてどの部分に強く反応するかを見る方がよほど効果的だと思う。 ひょっとしたらランダムに生成した診断文でも構わないかもしれない。
研究、漸く再始動できそうな位置まで辿り着いた。 けどここまでに時間がかかり過ぎた。 どうにか、なるようにしかならないが、とりあえず頑張ろう。
計算仕込んで午前 2:30ころに寮に行くと場が完全に出来上がっていた。 酒って楽しいなあ。
「お前が思う程にはお前は○○していない」(例:迷惑をかける)という文言が最近お気に入りなのだが、「俺が思う程には俺は頑張っていない」という文言を思い付いてちょっとブルー。
ちょっとブルーな日々 = 水色時代。
ラブエスかあ、そんなゲームもあったなあ。 と、公式ウェブサイトに体験版が置いてあったので落としてみる。 そういやラブエスんときはゲーム本編に入るまでのプロローグが非常に出来が良くて「それだけで良い」と評していたような。
zsh でホスト名補完候補を定義するにはシェル変数 _cache_hosts に登録すれば良いらしい。
LOVERS 体験版。 プロローグやっぱり良いなあ。 本編はまあどうだろう、あんまり期待してないしたぶんやることはないだろうなあ。
ロリ傾向から頭の良さそうな娘に嗜好がシフトしてるなあ。
「さくら、さくら」と唄おうとすると、いつも間にか「十五夜お月さま見て跳ねる」になってしまう。
計算データの仕込み。 アップアップ。 余裕ないです。
最強伝説黒沢(福本伸行)。 エグい。 痛々しい。 何が最強なのかサッパリ分からないが、そんなことはどうでも良い。 これは凄い漫画だ。
一日中研究会の概要作成。
もりりん邸から放出されるカラーボックスを引取手に配達して回る。 王将→吉田寮→研究室→絵夢邸。
漸くここへ来て理解した。 計算機的手法の限界を。 まあここまで理解できなかったのは考えてなかったからなんだが。 端的に言うたら多体問題は解析的に解けないということ。 100原子ともなると全電子計算は実際上不可能な計算量になる。 もちろん単発の計算ならば相応のコストをかければできるだろうが、結果というものは複数の結果を比較しないと意味がない。 現在の計算材料学は多くの、本当に多くの近似の上に成り立っており、如何に有効に近似するかということが焦点になる。 常に完全ではない。 常に瑕を抱えている。 材料学を志したのは原子というプリミティブな要素から物質を眺めれば何らかの「絶対」が得られると思ったからだが、その道は、人が辿るには遠すぎる。
このタイミングで言うてもただの逃避にしか見えんなあ。
「与えられた条件の中で最も妥当な線で世界を見るということが研究だ」と言えば、それは計算機的手法に限らずそうなんだけど。 まあ諦めるにしても諦め切れるな、とそう思っただけ。