2003_08月日記

last-modified: 2011/12/14 02:42:35. JST

2003年8月1日(金)

猫が蚤連れて来てるみたい。

英語の勉強が面白くなってきた。 それで発表するのはやっぱり嫌ではあるが。


2003年8月2日(土)

ネットで見つけた DirectX でゲームプログラムなサイトが非常に良くて、ずっとそこ見てた。


2003年8月3日(日)

とりあえずマップチップにどういうものを準備すれば良いのかの参考にするために、ソロモンの鍵の各面をキャプチャしながら一通りクリアする。 こんなこと始めんかったらあと3時間は早く寝れたのになあ。 昼に起きて勉強とかできたんだろうなあ、とかナキゴトを言ってみる。

住民票の変更とか、納税手続きとか、車検手続きとか、社会生活を営む上で必要な役所手続きは義務教育で教えるべきだと思うのだが、どうだろう? 「人生を豊かにする教養」よりもよほど重要だと思うし、結局は誰しもが人伝えに教わるもんなんだから。


2003年8月4日(月)

まーなんか、そろそろ店仕舞いの準備かな、という気がしてきた。 スキルを磨くより、描きたいもんを優先すべきか。

今月ゴージャスが出て某連載が無事に最終回を迎えた。 話については「よく分からない」という意見が大半だが、ま、その辺しゃあない。 月一以下だし。 本当に描きたい場面がアッサリしすぎてた感があり、これは結構な問題なんだが、話としてはこれ以上分かり易くするつもりもないしなあ。 なお、近いうちに一冊に纏めるつもりなので、身内の方はそのうちよろしゅう。 まとめて読めば話も分かる……、はず。 分かるようになればいいなあ。

問題は、やはりいつも絵。 分かっているけどポイントが分かってないので逐一ツッコんでくれると有難い。 でももっと毎回ツッコんで欲しかったなあ。 でも人前で自分の漫画を読むのってなんか気恥ずかしいので回りの人間もタイミングを捕みにくかったんだろう。 この辺の意識を改善して「感想どないよ?」と積極的に聞けるようになりたい。

絵以外ではテンションの変化が急すぎる、ちうのがなかなか的確。


2003年8月5日(火)

マンガのコマ割りと時間

4:00ころ目が覚めてもちっと寝たいところだが暑くて眠れず、そのまま学校。 16:00 頃に眠くて仕事にならなくなったので帰って寝る。

21:00ころ目覚める。 もちっと寝たいところだが暑くて眠れず。

27:00寝る。 28:00蚊に起こされる。

卓球をするロボットよりも、飛んでいる蝦を叩き殺すロボットの方が欲しい。

代役出席しなければならなかった研究報告会、予定がバッティングしたおかげで出なくて済むようになった。 ラッキー。


2003年8月6日(水)

ゲームプログラミングでフレーム毎に描画しているという感覚がなかなか身につかない。

「cron からスクリプトを動かすと終了ステータスが偽になる」という現象に悩まされていたのだが、原因はコマンドのパスをフルパスで指定していなかったからだった。

卓球するロボットなんかより、蚊を平手打ちで叩き殺してくれるロボットが欲しい。

『理科系のための[入門]英語プレゼンテーション』 いい本だ。 今感じてるプレッシャーをまんま解きほぐす序文。 みんなそんなにうまくできるわけないので気楽にやろう、リラックス、な気分。 中身も今俺が求めていた内容にバッチリ合致。 「ここで大切なのは、最後の on it という表現です。これがあると突然あなた の英語が光ります。」 ノリも良いし。

韓国での交流研究会で座長をすることになった。 理由は D2 だから(他の殆どの面子は D1 と M2)。 「一年早く生まれたって事がそんなに偉いのかよ!」 とか言ったら面白いかなぁ。


2003年8月7日(木)

ムカついて、3日経ってもまだムカついてたので書くことにする。 以下、ただの悪口。 本人への問題提起でもなんでもありません。 リンク先で何か言うてても基本的に無視します。 「ウェブ上で議論のできない」人と議論するつもりはありませんので。

同時に掲示板もとっぱらってるので、「こういう(そふぃあ氏の)意 見がある。自分も賛成なので自分のサイトでも掲示板の設置はやめた」ということなのだろう。 そふぃあ氏の意見は確かに尤もだと思う。 こういうスタンスでサイト運営するというのは非常にありうべくことだと思うし、 正解の一つだとも思う。 だが、これがまき氏の意見だと思うと俄かに信じられなくなる。

リンク先の(そふぃあ氏の)最終的な主張は「意見がある場合はメールで送ってく れ」ということになる。

以前まき氏にメールを送ったとき「公開しないでくれ」と書いてあるのに公 開された。 (全文公開と一部公開とどちらが非道いかは何とも言えないが、ともかく) まき氏は自分が強気に出られる部分だけ選択的に公開しレスポンスを付けた。 こないな人間の何を信用してメールを送れるというのだろう。 自分が強気になれる部分を取捨選択するためなんじゃないかとさえ思う。

私にとってまき氏は、メールを送れるほどに信頼の置ける人間ではない、という こと。


2003年8月8日(金)

あー、やっぱ愚痴は表に出すもんやないな。 しもた。

一遍「もーえーわ」と言ったことをも一度蒸し返すのはアンフェアやわな。 すんません。

ゼミ帰り、ニックで寝ゴザ衝動買い。 500円、安いなあ。 とりあえず蒲団の上に敷いて使ってる。 畳の上敷きにもかなり惹かれたんだが、4000円くらいするのであきらめた。


2003年8月9日(土)

ロシアンティー。 どうやらジャムは紅茶に入れないのが正当らしいけど、とりあえずやってみる。 買ってきたジャムが「甘さひかえめ」だったせいでなんぼ入れても甘くならん。 紅茶飲みながら舐めると結構いける。


2003年8月10日(日)

ゼミ用にフーリエ変換の勉強。

仮に正義が己にあってもそれを言うことは正しくない、ということはありうる。 それは それまでの行為と、これからの行為が別の物だから。

FF4でセシルがパラディンになる場面で、「正義よりも 正しい事よりも 大事な事がある。いつか 分かる時が来る。」 とかなんとか言うてたなあ。

このフレーズを長いこと「正義よりも正しい事」というように捉えていたけれど、「正義」と「正しい事」が並列なんかな。 このゲームのストーリーに「正義よりも正しい事」というようなメタなニュアンスが含まれていたとは思えない。


2003年8月11日(月)

バンド計算ゼミ、FFTの割当て、しかしアルゴリズムを完全に理解できていなかったです。 むう。 まあ時間あるし大体理解してるし所詮本で10ページ弱のアルゴリズムだし何とかなるだろう。 それより問題は韓国出張のポスターとOHP。


2003年8月12日(火)

漫画のような(芸術性のある)創作物の批評はどうやっても「俺はこう思う」の域を越えることはない。 「こうした方が良い」という批評も要は「私だったらこうする」ということでしかない。


2003年8月13日(水)

東京から某氏が来る。 まんがを読ませたり、そんな感じ。

某バイトの雇用主に該たる教授の話。 教授は「今他の学会の受付のまとめをしていて、申し込みを一人でバラ、バラと重複して送ってくる人がいて困る」という話を引き合いに出された。 この話を踏まえるならば、「我々の原稿を取り纏める出版社に迷惑をかけぬようにこちらで完全な形にまとめてから送る」となるべきだろう。 そう言ったら教授は怒った。
「君の作業量が増えてもいいのか? 完成したと思った原稿に修正する箇所が見つかったら君がその修正をするのか?」
「仮にそのような状況になったならば仕方がないと思っていますが」
「じゃあ君に投げてもいいんだな」
「……」

教授が大変なのは分かったし、俺の作業量が増えることを慮ってくれるのは有難いのではあるが、論理の繋がらない話を繋げるのはやめて欲しい。 単に「出版社が出来た分から順次送ってくれと言っている」としておくべきであり、これ以上は言うべきではないと思う。


2003年8月14日(木)

某氏と鞠小路で昼飯。 ランチをやってるって知らなかったよ。 てっきりケーキ屋かと。


2003年8月15日(金)

大阪、高校時代の友人数人と大阪で飲み。 電車のない時間になってしまったので、箕面まで歩くとか。 諦感と達観と郷愁と面白さとなんかよく分かんないけど、結局言うてしまうとまあ酒の勢いでてくてく歩いた。

始発2本目で京都に帰る。 寝てから研究室。


2003年8月16日(土)

ギリギリまでやる気なし。 締切は月曜朝。


2003年8月17日(日)

最近、仕事の合間とかに、テトリスをプレイするアルゴリズムを考えたりしている。 「何処に置くべきか」というのはそれなりに定量化できそう。 今のところの課題は、「そこに置けるのか、到達できるのか」。

で、今の俺の小さな夢は、テトリスを延々プレイするスクリーンセーバーを作ること。 それで、仕事の合間にぼーっと眺めるんだ。


2003年8月18日(月)

準備一杯一杯。 でも結局いつも言うてるようになるようにしかならないのでまあいいや。 ミスっても命取られるわけやなし(寧ろ可哀想な目で見てくれるに違いない)。

ちうことで韓国行って来ます。 帰りは土曜日。


2003年8月19日(火)

6時間眠るつもりだったけど4.5時間で目が覚めてしまう。 いつものように、寝倒す恐怖に圧迫されて二度寝できず。 で、旅行の用意とか。 発表練習とかはあんまり気が乗らなかった。

「李朝の城跡を観光するか、ホテルへ直行するか」と問われたが、ソウルは雨。 雨さえ降ってなければ行く方に手を上げたんだけれど。

ホテルで各セッションの座長で短いディスカッション。 そのあと彼らにつれられて飯屋に。 「マッカリ」を飲みたい、と言ってみたが彼らには通じなかった。 (後日別の場所で、「マッコリ」と発音してるのを聞いた。 こう言えば通じたのかな。)


2003年8月20日(水)

シンポジウム一日目。 第一セッションの座長は、英語が不自由でいろいろ迷惑をかけました。 発表はまあ中身がなかったのでアレでした。

連れが俺のポスターをホテルからキャンパスまでのバスに置いて来てしまったことが発覚。 昼休み、向こうの学生さんに無理を言って色々してもらう。 車を出してもらったり、事務にかけあってもらったり、もう大変。 結局学内便の速達みたいなんで送ってもらったり。 色々申し訳なかった。

研究関連でするべきことは、英語の勉強と計算と、論文の3点のみ。 (あと大抵の場合は雑用が入るのだけれど) やってやれんことはない。

英語国民はいいよなあ。 俺が勉強すべきことのうちの2点以上を勉強せんでいいのだから。 不可欠な2点は英語を書くことと話すこと、補強すべき能力は聞くことと読むこと。


2003年8月21日(木)

シンポジウム2日目。 義務の仕事が全て終わったので非常に気楽に聞いていたのだけれど、英語がサッパリ頭に入らないので大層苦痛でした。

テトリスの到達可能性の判定は帰納的にやれば出来そう。 しかもこの手順でやることでより単純なアルゴリズムになりそうな感じ。

「数学が出来て生活に何の役に立つの?」とは数学のできない中高生がよく言いそうなことだが、少なくともこういう遊びをするのに役に立つな。

ハングルってシステマティックで格好良いなあ。


2003年8月22日(金)

シンポジウム3日目の今日は研究室巡りと山登り。 実験装置がようけあった。 京大はたぶん、仮に金があっても土地がないので装置を買えないんだと思う。 俺は計算オンリーだからあんまり関係ないんだけど。

修士一人しかいない研究室にスパコンが入っているのは吃驚した。

午後は山登りすることになっていた。 日本側の一人の学生が、「山登りはあまりしたくない」というようなことを言うと韓国側の学生も「実は私達もあまりしたいと思っていない」というような返事が。 どこもそうなんやなあ。 ということで学校の体育施設を使って遊ぶことが候補に入る。

朝鮮半島の山がどんな感じなのか興味のあるところだったんだが、双方とも学生が殆ど行かず日本の教授・助教授に囲まれて登るのは嫌だったので結局グラウンドでサッカーやってた。

バンケット。 まあ宴会なんだが、コミュニケーションに不安がある、というかもうトラウマに近い状態ではこれもあんまり楽しめない。 今の俺くらいの英語力でも怖れずバンバンしゃべってる奴はいくらでもいるのだが。

韓国では徴兵制度がある。 その時に詳しく聞けなかったので帰ってから調べてみたら、18〜25歳のどこかで3年程兵役を勤めなければならないらしい。 人生で働ける期間が40年として、その内の3年、しかも吸収力の高い若い時代の3年は非常に大きい。 こういう損失は個人の損失ではなく社会の損失だ。

しかし、韓国は北朝鮮と戦争状態にある(いつ交戦状態になるか分からない)という現実がある。 安定した兵力の確保は不可欠な事項なんだろう。 残念ながら。


2003年8月23日(土)

7:30出発でソウルへ。 やっぱり雨。 ソウル市で宮殿だとかを見て回る。 大人数で歩くと自分のペースで歩けないのでちょっと苦痛。 てゆーか昨日のサッカーの筋肉痛でまともに歩けない状態だったというのもあるが。

秀吉の朝鮮出兵ってもっと散々に負けて帰って来たイメージがあったんだけど、結構侵出してたんやな、と。 なんかもう結構建物とか燃やしたり無茶苦茶侵略してた感じだった。 そういえば首の代わりに耳を削ぎ落とすのに、女子供の分もやったとか残虐な行為が幾らも行われたとかいう話を聞いたことあるな。 残虐な行為を行うのは勝者の側だということを考えればそうなんだよな。

ちょっと気になったので帰ってから調べてみた。 秀吉の朝鮮出兵の時、日本軍は陸上戦では連戦連勝だったが、海上戦で李瞬臣の水軍に負けて補給路を断たれて敗走した、ということらしい。

おみやげは、漫研、吉田寮、実家にの予定。 一番のヒットはロッテワールドの免税店で売っていたチョコレートのパッケージ。

某ネズミもどき 拡大サイズ

ロッテ、頑張るなあ。 私の想像した心象風景は、こんなの。

「フン!やるな…花京院。ところでおまえ相撲好きか?とくに土俵際のかけひきを!……手に汗にぎるよなあッ!」
((c)荒木飛呂彦、JOJOの奇妙な冒険(15) ホイール・オブ・フォーチュン)

帰って下宿に着いたのが23:30。 漫研の下回生の酒飲みに誘われたので、東龍でラーメン食って出撃。


2003年8月24日(日)

とりあえず暫く漫画から離れる決心をした。 たぶん数ヶ月だけど。 その間に今やってる研究を一段落させて、論文を1、2本上げてしまって。 それからできるなら研究を休んで漫画を描こうかと。

漫画で残ってる作業を上げてしまわんとな。 単行本化と来月ゴージャス裏表紙。


2003年8月25日(月)

弱さとはできないということじゃなくて、やらないということ。

ソウルの土産物屋オススメの「ボッサムキムチ」というのを試食させてもらったがさして美味くない。 何が入ってるのかな、と成分表示を見たが当然ハングルで分からない。
店員「何を見てはるの?」
私 「いや、何が入ってるのかな、と思いまして」
店員「さっき言うたやないの」
私 「いや、さっき聞いた中には植物ばっかりで魚介類がなかったんで。 私魚介類の入ってるキムチの方が好きなんで」
なんか凄い嫌な顔された。

あんな平べったく辛いだけのキムチを美味いいうて食うてんのかな。 キムチは元々向こうの物だし味覚が違うのかもしれない。 しかし、日本人観光客向けの土産物屋の高価なキムチは適当に作られてるような、そして観光客と思ってなめられているような、そんな疑念が晴れない。


2003年8月26日(火)

幾つかのスクリプトが正常に動作しなくなった。 調べてみたら、プロバイダの ftp サーバのユーザディレクトリが '/~zbm97210/' から '/zbm97210/' に変更されたためだった。 そういや今日一時的にプロバイダのウェブスペースにアクセスできんかったな。 この作業しとったんか。


2003年8月27日(水)

研究室でウィルス騒ぎ。 welchia だとか。 研究室メインマシンは FreeBSD だし、ほぼ占有状態で使わせてもらっているマシンも週一くらいで Windows Update してるので平気だったのだが、共用計算機全部をチェック→パッチ当てせなならんで大変。 ネットワーク管理してる助教授が始末書を提出するまでネットに接続できない状態。

過去のある時点の話。 甲は乙の行動を指して「調子乗ってるんちゃうん?」と言った。 私は「乙の行動は嗜好の範囲内として妥当な、あるいは正当なものだと思う、まあそんなこと言いなや」とかいうように応えた。 私はこの時点で見出していなかったが、後の乙の行動を見ると確かに調子乗りの傾向が伺える。 今になって私は甲の慧眼に感心する。


2003年8月28日(木)

この1週間毎日酒飲んでる。 肝臓大丈夫かな。 でもマッカリ美味いなあ。

誕生日ー。 ということで母親からおめでとうメールが来たんだが、 「誕生日おめでとう」と親に言われるのはなんか違う気がしてきたり。 私が「生んでくれてありがとう」というべきなんじゃないかな、とか。

「誕生日は自分が無事に生まれてここまで育ったことを周りに本人が感謝する日なのです。 誕生祝いは言ってみれば祝い返しなのでしょう」 ということらしいです。 成程、納得。

ありがとう、みんな。 おまえら、愛してるぜ!

おとうさん、おかあさん、ありがとう。 でもごめんなさい。 そちらへのお土産だった筈の韓国海苔は、あんまり美味しいので全部食べてしまいそうです。


2003年8月29日(金)

帰ってからマッカリ600ml、そして免税店で買った Wild Turkey に手をつける。 うーん、上等なウィスキーは違うなあ。 感動。

とらハ本用のシナリオのタネはあったんだけど、俺が描ける分量(4p以下)にならないので諦め。 て、大分前にもう諦めていたんだけど。

困った。 鬱だ。 何やっても楽しくない。


2003年8月30日(土)

どないかな? 長いこと懸案事項だった skk の不調。 emacs を入れ直しても直らない。 ……どうやら ddskk 周りの不具合だったみたい。 入れ直したら概ね直ったっぽい。


2003年8月31日(日)

ひらしょーとニャルが来る。 ダラーっとしてた。


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